検索結果 全1047作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • シナリオ 高野 悦子 巴里に死す 初出年: 1962年

      原作 芹沢光治良   脚本・演出 高野悦子 登場人物   宮 村 … 佐田啓二   石 沢 … 森 雅之   築 城   万里子・伸 子(同一)… 香川京子   鞠 子(声)

  • 小説 山川 方夫 待っている女 初出年: 1962年

    寒い日だった。その朝、彼は妻とちょっとした喧嘩(けんか)をした。せっかくの日曜日なので、彼がゆっくりと眠りたいのに、妻はガミガミと彼の月給についての文句をいい、枕をほうりなげて、挙句(あげく)のはて、手ばやく外出の仕度をして部屋から出て行ってしまったのだ。 蒲団(ふとん)に首をう

  • 評論・研究 高見 順 商品としての誠実について 初出年: 1960年

    『エロスの招宴』といふエッセイを連載形式で書いてゐたとき、私は自分が書いてゐることの参考に、ベレンソンの裸体論をぜひ読みたいと思つた。裸体論といふ著述がベレンソンに特にあるわけではないが、ルネサンス美術論のなかに、さういふ箇所のあることを聞き及んでゐた。そしてそのルネサンス美術論の翻訳が近く出版されるといふ予告を私は見たので早く出ないか、出たら裸体論を読みたいと思つてゐたのに、なかなか出版されないで、そのうち、私の『エロスの招宴』の終回が来た。あれから何年経つたか、ベレンソンの翻訳はどういふわけかまだ出版されてない。 つまりこんなわけで私はベレンソンに特別の関心を持つて

  • 小説 正宗 白鳥 今年の秋 初出年: 1959年

    十月は好季節であるが、毎年雨が多い。旅行しても、家にゐても、日を暮し心地のいゝのは十一月頃からである。今年の秋、私はいかにして過さうか。昭和三十三年十一月一日。私は歌舞伎座で挙行される芸術祭に列席するつもりで家を出て、その次手に、放送局に立寄ることにした。予約してゐた簡単な放送の録音を採って、お茶を飲んでゐると、お宅から電話がかゝつたとの知らせがあつた。世間の用事の乏しい私には外出先きへ自宅から電話のかゝる事なんか滅多にないので、珍しい事と思ひながら、受話器を手にして耳を注ぐと、「郷里(くに)</rub

  • 小説 谷崎 潤一郎 夢の浮橋 初出年: 1959年

    五十四帖を読み終り侍りて ほとゝぎす五位の庵に来啼く今日 渡りをへたる夢のうきはし この詞書を伴ふ一首は私の母の詠(えい)である。但し私には生みの母とまゝ母とあつて、これは生みの母の詠であるらしく想像されるけれども、ほんたうのところは確かでない。その仔細はこれから追ひ追ひ詳(つまびら)かにするであらうが、理由の一つを挙げてみれば、生

  • ノンフィクション 野村 望東尼 『夢かぞへ』姫嶋篇 初出年: 1958年

    夢かぞへ かれこれ深く物する人々に別るとて、 君がなさけかさね&#12340;&#12341;の旅衣猶いくへにかならむとすらむ 皆人の深きなさけをおも荷にてかへすよもなくいづる旅かな 暮れはてゝ、乗物などもてきたれば、ためらふべくもあらず、出でゆくことども、うるさければもらしつ。 つひにゆくみちはさりとも老らくのいきの別れはなき世ともがな 月いとあかく、きら&#12339;&#12341;としてあはれにすごし(</

  • 評論・研究 十返 肇 文壇と批評 初出年: 1956年

    「文壇」崩壊論 一 文壇というものは無くなつた――それが今年(昭和三十一年=1956)の「文壇」回顧として私に最も痛切に感じられた印象である。伊藤整のいわゆる逃亡奴隷と仮面紳士によつて構成された文壇なる特殊部落は、完全にジャーナリズムの中に崩壊したといえよう。伊藤氏の「小説の方法」は、いまから僅か八年以前に書かれた名著であるが、つぎのような一節は、もはや現代の「文壇」

  • 評論・研究 阿部 眞之助 山縣有朋 初出年: 1953年

    アメリカあたりでは、新前の新聞記者を「仔牛」というそうだが、私が「仔牛」に生れたその月に政変が起つた。第二次桂内閣が倒れ、第二次西園寺内閣に移ろうとしている時だつた。当時、議会はあつても、議会政治の原則は認められていなかつた。原則がやや認められかかつたのは、時代がずつと下り原内閣の頃だつたが、原はその代償として、東京駅頭で刺し殺されなければならなかつたのである。 こんなわけで次の内閣に、何人(なんぴと)に大命が降るかは、天皇の思召によるということになつていた。しかし天皇と

  • 小説 宮本 百合子 刻々(一) 初出年: 1951年

    朝飯がすんで、雑役が監房の前を雑巾がけして居る。駒込署は古い建物で木造なのである。手拭を引さいた細紐を帯がはりにして、縞の着物を尻はし折りにした與太者の雑役が、ズブズブに濡らした雑巾で出来るだけゆつくり鐵格子のこま一つ一つを拭いたりして動いて居る。 夜前、神明町辺の博士の家とかに強盗が入つたのがつかまつた。看守と雑役とが途切れ、途切れそのことについて話すのを、留置場ぢゆうが聞いてゐる。二つの監房に二十何人かの男が詰つて居るがそれらはスリ、かつぱらひ、無銭飲食、詐欺、ゆすりなどが主なのだ。 看守は、雑役の働く手先につれて彼方此方しなが

  • 大関 松三郎 詩集『山芋』(抄) 初出年: 1951年

    &nbsp; 目 次 山 芋 畑うち 虫けら 雑 草 虫けら &nbsp; &nbsp; 山 芋 &nbsp; しんくしてほった土の底から 大きな山芋(やまいも<r

  • 評論・研究 笠 信太郎 ものの見方について(抄) 初出年: 1950年

    日 本 似て非なるもの さて、このあたりで私は、問題を少しばかり我々の身近くに引つけて見てみたいと思うが、それにしても、これまで見てきたヨーロッパ諸国の人々の考え方や、ものの見方を、我々のそれと比較して、その異同を考えてみないわけにはゆくまい。 日本人の今日までの頭の動かし方は、以上にのべた三つの国民(注 イギリス・ドイツ・フランス)のどれかに似ているであろうか。まず、こういう問題が出てくるに違いない。やかましく論じ立てれば、これもま

  • 小説 久坂 葉子 ドミノのお告げ 初出年: 1950年

    或る日―― 足音をしのばせて私は玄関から自分の居間にはいり、いそいで洋服をきかえると父の寝ている部屋の襖(ふすま)をあけました。うすぐらいスタンドのあかりを枕許によせつけて、父はそこで喘(あえ)いでおります。持病の喘息が、今日のような、じめじめした日には必ずおこるのです。秋になったというのに今年はからりと晴れた日はまだ一日もなく、陰気なうすら寒い、そんな肌に何かねばりつくよう

  • 評論・研究 中井 正一 現代美学の危機と映画理論 初出年: 1950年

    1 個人主義文化が、封建主義文化を引きはなすために、たたかった歴史の跡は決して容易なものではなかった。幾千の人が火であぶられ、幾万の人が鎖でつながれたかわからない。一六〇〇年代は、大きなそのたたかいの記念すべき世紀であった。一九〇〇年代もまた、今後の歴史家がその研究の対象とするであろうと思われる記念すべき世紀となるであろう。今や、個人主義文化そのものがその危機に臨んでいる。私たちは、その大いなる世紀のまさにただなかに立っている。 封建主義的文化においては、一つの特徴がある。すなわち地上的なるものは天上的なるものから造られたるもの(<span c

  • 評論・研究 佐々木 八郎 〝愛〟と〝戦〟と〝死〟 初出年: 1949年

    ――宮沢(みやざわ)賢治(けんじ)作『烏(からす)の北斗七星』に関連して―― * * 学徒出陣に際して一九四三年十一月十日、第一高等学校文二のクラス会が開かれた。佐々木八郎は、席上このエッセイを朗読した。宮沢賢治諭に託して

  • 逸見 猶吉 逸見猶吉詩集(抄) 初出年: 1948年

    目次兇牙利的(ウルトラマリン第二)曝ラサレタ歌ある日無音をわびて眼 鏡黒龍江のほとりにて人傑地霊 <div class="poetry"

  • 小説 太宰 治 桜桃 初出年: 1948年

    われ、山にむかひて、目を挙ぐ。 ──詩篇、第百二十一。 子供より親が大事と、思ひたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考へてみても、何、子供よりも、その親のはうが弱いのだ。少くとも、私の家庭に於いては、さうである。まさか、自分が老人になってから、子供に助けられ、世話にならうなどといふ図々(づうづう)しい虫のよ

  • 小説 林 芙美子 晩菊 初出年: 1948年

    夕方、五時頃うかゞひますと云ふ電話であつたので、きんは、一年ぶりにねえ、まア、そんなものですかと云つた心持ちで、電話を離れて時計を見ると、まだ五時には二時間ばかり間がある。まづその間に、何よりも風呂へ行つておかなければならないと、女中に早目な、夕食の用意をさせておいて、きんは急いで風呂へ行つた。別れたあの時よりも若やいでゐなければならない。けつして自分の老いを感じさせては敗北だと、きんはゆつくりと湯にはいり、帰つて来るなり、冷蔵庫の氷を出して、こまかくくだいたのを、二重になつたガーゼに包んで、鏡の前で十分ばかりもまんべんなく氷で顔をマツサアジした。皮膚の感覚がなくなるほど、顔が<rub

  • 小説 林 芙美子 夜の蝙蝠傘 初出年: 1948年

    この孤独と云ふものは、四方八方から責めたてられて起つたものだと解り、一瞬の考へのなかにも、外部から、何かしら音をたてゝはいりこまれてゐる不安を、始終、頭に入れてゐなければならぬと、追ひまくられてゐる気になり、その息苦しい不安を、英助は、ぢいつと虚空(こくう)に只みつめてゐる。「おい、おくさん、何時(いつ)ごろ、冥土へ御出発としますかね」まるで愉しい旅行へ旅立つやうな尋ねかたである。町子が、鍋の

  • 小説 原 民喜 夏の花 初出年: 1947年

    わが愛する者よ請ふ急ぎはしれ香(かぐ)はしき山々の上にありて獐(ノロ)のごとく小鹿のごとくあれ 私は街に出て花を買ふと、妻の墓を訪れようと思つた。ポケットには仏壇からとり出した線香が一束あつた。八月十五日は妻にとつて初盆にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑はしかつた。恰度(ちやうど

  • 小説 原 民喜 廃墟から 初出年: 1947年

    八幡村へ移つた当初、私はまだ元気で、負傷者を車に乗せて病院へ連れて行つたり、配給ものを受取りに出歩いたり、廿日市町の長兄と連絡をとつたりしてゐた。そこは農家の離れを次兄が借りたのだつたが、私と妹とは避難先からつい皆と一緒に転がり込んだ形であつた。牛小屋の蝿は遠慮なく部屋中に群れて来た。小さな姪の首の火傷に蝿は吸着いたまま動かない。姪は箸を投出して火のついたやうに泣喚く。蝿を防ぐために昼間でも蚊帳が吊られた。顔と背を火傷してゐる次兄は陰欝な顔をして蚊帳の中に寝転んでゐた。庭を隔てて母屋の方の縁側に、ひどく顔の腫れ上つた男の姿――そんな風な顔はもう見倦る程見せられた――が伺はれたし、奥の方