検索結果 全1004作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 随筆・エッセイ 阿部 政雄 「元凶」を見つめよう

    3月20日、日比谷の「ワールド・ピース・ナウ」に行きました。 ピース・パレードに参加するのは、半年、いや10か月ぶりですが。何しろ5月になると76才ともなると、いくら気持だけは若くても脚が弱ってもうデモは無理です。ふと昔知った「傘がない」という井上陽水の歌も思い出したが、幸い傘はあるので、季節の変わり目か左足が少しうずくのを我慢しながら、地下鉄に乗り、参加しました。 雨の中とはいえ、大変な参加者の数で熱気に溢れていました。野外音楽堂に入る前に親しい人々の顔を見て、来て良かったと思いました。雨のせいか、音楽堂は座っている人が少なく、割に簡単に舞台の近く

  • 随筆・エッセイ 阿部 政雄 バグダードとメソポタミア

    平和の都・バグダードそぞろ歩き アッバース王朝(七五○~一二五八)のカリフ、アブー・ジャーファル・アルーマンスールによって「平安の館」として建設されたバグダードは、建築の見地からも、科学と文学の遺産の見地からも、世界の中の最も重要な都市の一つである。 バグダードは、打ち続いた戦争にもかかわらず、アメリカの軍事的脅迫の最中にありながら、ここ数年の間に、様々な面で近代化を達成した。このことは、整備された道路網、公園など現(前)政権下で設立された

  • 随筆・エッセイ 阿部 政雄 もう一度人類のルネサンスへ一歩踏み出そう

    あの第2次大戦中、小生は今の高校生の年頃で、旧制中学校は全部閉鎖、学徒動員されて名古屋の三菱の工場で飛行機の発動機に使う鋳物を造っていました。来る日も来る日も土煙の出る薄暗い工場の片隅で、休み時間中に級友の南谷君が「阿部君よ、おれたちは後2年の命だよな。どうせ中国大陸に行くか、南方に送られて生きては帰ってこられないだろうな。どうだ、死ぬ時にあれだけ本を讀んだから、もう心残りはないというくらい本を讀もうじゃないか」と話し掛けてきました。 本の好きな小生は「そいつはいい考えだ。仲間をあつめよう」と承知して、早速5名ぐらいの級友で読書クラブみたいなものをつ

  • 評論・研究 阿部 眞之助 山縣有朋

    アメリカあたりでは、新前の新聞記者を「仔牛」というそうだが、私が「仔牛」に生れたその月に政変が起つた。第二次桂内閣が倒れ、第二次西園寺内閣に移ろうとしている時だつた。当時、議会はあつても、議会政治の原則は認められていなかつた。原則がやや認められかかつたのは、時代がずつと下り原内閣の頃だつたが、原はその代償として、東京駅頭で刺し殺されなければならなかつたのである。 こんなわけで次の内閣に、何人(なんぴと)に大命が降るかは、天皇の思召によるということになつていた。しかし天皇と

  • 評論・研究 愛国公党の議会開設建議 民撰議院設立建白書<1874年>

    某等(それがしら)別紙奉建言(けんげんしたてまつり)候次第、平生ノ持論ニシテ、某等在官中屡(しばしば)及建言(けんげんにおよび)侯者モ有之(これ

  • 綾部 健二 工程

    平均台 過ぎ去った無数の世代と 未来の世代との間に 絆のように架けられた ひとつの空間 熟しつつある果実のように あなたの頬は紅潮し すき通った筋肉の連鎖は しなやかな曲線を描く すばらしい跳躍 渦巻くような転回 頂点での一瞬の静止 世界のすべての動きが停止する瞬

  • 小説 庵原 高子 叔母の秋

    緋色に染めた暖簾を通して夕暮れの淡い光線が流れこんでいて、それが店内では紫がかった奇妙な色に変っていた。くすんではいるのだが、最近ではあまり目にしない赤い長襦袢のような、奥に隠れたなまめかしい色に感じられる。 「まったく信じられないことばかりだよ」 ラーメンを割り箸で口に運びながら、安則はそう呟いた。 髪の毛は歳月に晒されてかなり白くなっているうえ、アメリカ人好みの茶に黄や緑の混じった格子のシャツを着ているが、子供のころ坊主頭を見てジャガ芋のようだと思った頭のかたちや、象を連想させるような細い目に大きな鼻は、まったく変って

  • 小説 伊吹 知佐子 病む足

    一 菊山加奈恵は、闇の中で目覚めた。枕元に近い雨戸を十糎(センチ)ばかり透かしてある。そのガラス戸越しに、樋(とひ)を流れる雨水の音が聞こえる。耳をすますと、庭土へ降りしきる雨足の音も混じっていた。 近ごろ、夜の眠りが浅くなった。夜光塗料を付けた時計の針が、午前三時半を指していた。そろそろ入梅か。夜明けまでには、まだ二時間はある。この雨

  • 随筆・エッセイ 伊吹 和子 川端康成 瞳の伝説

    初対面まで 一昔前まで、編集者は担当した作家に深く関わって、その作品の完成に、何らかの意味で貴重な役割を果していた。また作家の中には、編集者が一心同体となって取り組んでくれなければ、よい作品は書けない、と言う人たちがあった。現在では、人間らしいものはせいぜい電話の音声くらいで、あとはすべてを無機質な機械が代行するようになり、その結果、作家は編集者を無視し、編集者は作家を軽んじる状態が出来つつある。 作家と編集者──この密接な関係の壊れる以前、幸いにも、私は昭和期を代表する幾

  • 随筆・エッセイ 伊丹 万作 戦争責任者の問題

    最近、自由映画人連盟の人達が映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前も混っているということを聞いた。それが何時どのような形で発表されたのか、詳しいことは未だ聞いていないが、それを見た人達が私のところに来て、あれは本当に君の意見かと訊くように成った。 そこでこの機会に、この問題に対する私の本当の意見を述べて立場を明かにして置きたいと思うのであるが、実のところ、私にとって、近頃この問題程判りにくい問題はない。考えれば考える程判らなく成る。そこで、判らないというのはどう判らないのか、それを述べて意見の代りにしたいと思う。 さ

  • 小説 伊東 英子 凍つた唇

    晴れきつた六月の午後。 もう二十日余りも雨を見ない地べたは、歩く度にきしきしと下駄の歯がくひこんで、風はちつともないのにもうもうと砂烟りが立つた。鬼子母神の境内に立並んだ老木も、ぐつたりと疲れ果てた枝を垂れて、白つ茶けて埃にまみれた葉と葉の間からさしこむ陽は、ともすると軽いめまひを誘ふほどに烈しかつた。じつくりと粘つた汗が、指先きにつけて見たら、ぎらぎらと脂のやうに光るだらうと思はれる汗が、帯上げをきつく締めた乳房のまわりを気味わるく濡らしてゐた。鈴江は引摺るやうに運んで来た足をふと止めて、だるい眼を上げて四辺を眺めた。そこは先刻訪れた赤い門のあるお寺の前であつた。

  • 伊東 静雄 わがひとに与ふる哀歌

    晴れた日に とき偶(たま)に晴れ渡つた日に 老いた私の母が 強ひられて故郷に帰つて行つたと 私の放浪する半身 愛される人 私はお前に告げやらねばならぬ 誰もがその願ふところに 住むことが許されるのでない 遠いお前の書簡

  • 小説 伊藤 桂一 雲と植物の世界

    序 章 いちばんはじめにその眼を見た時、かすかな驚きが、次第に昂(たか)まりながら、やがて、言い難い恍惚(こうこつ)に移っていったのを私は覚えている。それはふしぎな静かさを湛(たた)えた、透明な湖の肌を想わせた。なにかが此

  • 小説 伊藤 桂一 零秒前

    昭和十六年の末、ルソン島上陸軍が優勢な進撃をつづけつつあるとき、マニラを奪るべきかバターン半島を攻めるべきかについて論議が戦わされたが、大本営は、敵がバターン半島において抵抗を試みるとは考えず、マニラ攻略を作戦の主眼とした。このため、のちにバターン半島攻略戦において、敵の意外の反撃に苦しむことになった。 バターン半島南部のサマット山、マリベレス山一帯の米比軍は、日本軍が予想したよりもはるかに強固な防衛線を築いていて、兵力も比島国防軍七個師、米軍五万を数えた。砲百門のほか豊富な集積弾薬、観測設備等により、不敗の態勢を持していた。しかもマニラ湾、半島西海岸の制海権は米軍が

  • 短歌 伊藤 左千夫 伊藤左千夫短歌抄

    牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる 明治三十三年 うからやから皆にがしやりて独居(ひとりゐ)る水(み)づく庵(いほり)に鳴くきりぎりす 牀

  • 評論・研究 伊藤 整 求道者と認識者

    明治以来の文学史の整理もずゐぶん進んで来た。中でも文献や実地調査による実証的研究といふものが、手がかりが多いので最も進んでゐる。個人の力でまとめられた実証的な業績も多いが、集団の力による昭和女子大の「近代文学研究叢書」のやうなものも、新しい方法による業績として見のがすことができない。この分野は、全国の大学の国文科を中心として、言はば日々蓄積されて行く学問上の成果である。 だが、どういふ結論が、近代日本文学の本質的なものとしてそこから引き出されるかといふことになると、かなり曖昧である。また現在と将来の日本人の生活と文学が、どのやうに過去のものとかかはり合ふかといふ問題、

  • 評論・研究 伊藤 整 近代日本人の発想の諸形式

    1 私が近年理論的に追求してゐることは、日本人の発想法といふことである。これは直接には私が個人として小説や批評を書く上の困難を解決したいといふことから生れたものであるが、日本文学のタテの系列から言つても、日本の古典文学にある日記文学、随筆文学、心中文学、復讐文学等とも関連がある。若(も)しそれを、明治以来の近代日本文学に限れば、

  • 伊良子 清白 淡路にて

    古翁(ふるおきな)しま國(ぐに)の 野にまじり覆盆子(いちご)摘(つ)み 門(かど)<

  • 評論・研究 井口 哲郎 科学者の文藝

    中西悟堂 ─文学と科学との間─ 『野鳥と共に』(創元文庫)の「解説」で、窪田空穂は、悟堂の閲歴を次のように簡潔に書いている。 中西君は石川県下に生れた人で、やや長じて天台宗の寺に養われ、東京で正常の学歴を踏んで僧としての資格を得、二寺の住職となった。学生時代から文藝に心を寄せ、歌集、詩集を刊行していたが、住職となると小説の作を企て、『犠牲者』と題して、三千枚の長編を、三年間を傾注して成し遂げた。これは関東大震災当時で、三十歳に入ろうとする頃のことである。刊行

  • 小説 井上 ひさし あくる朝の蟬

    汽車を降りたのはふたりだけだった。 シャツの襟が汗で汚れるのを防ぐためだろう、頸から手拭いを垂した年配の駅員が柱に凭(もた)れて改札口の番をしていた。その駅員の手に押しつけるようにして切符を二枚渡し、待合室をほんの四、五歩で横切ってぼくは外へ出た。すぐ目の前を、荷車を曳いた老馬が尻尾で蠅を追いながら通り過ぎ、馬糞のまじった土埃りと汗で湿った革馬具の饐(す)えた匂いを置いていっ