検索結果 全1004作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 俳句 出口 孤城 矍鑠(かくしやく)

    苗床の残りの松に初日ざし 新年 若潮を汲むに一火を焚く礁(いはほ) 初東風(はつこち)や尻逆立てて鴨餌ばむ 年祝(ほ</

  • 小説 小笠原 幹夫 鬼灯(ほおずき)の女

    江戸川公園に近い、牛込と小石川の境にある電車道、もとの15番の関口町の電停前を小石川側に渡り、すぐ眼の前のトロフィーやカップを商う徽章屋とパン屋の間の横丁をはいり、一町ばかり行くと、江戸川の流れに架かる大滝橋の袂に突きあたる。その橋へ出る手前、横丁にはいってすぐを左へまがると露地があり、そこに輝夫のアパートがある。 木造モルタルの総二階、別にアパートの看板が出ているわけではないので、外から見たところ、しもた屋とまったく変わりがない。というより、しもた屋の内部をアパートに改造したというのが真相らしい。むろん玄関も塀もなく、露地の側にむきだしに格子がある。 <p

  • 評論・研究 小久保 晴行 地方行政の達人(抄)

    序章 やれば出来ると思っていても…… 江戸川区ただひとりの名誉区民、そして「建区の父」 この日も、朝からみぞれ混じりの泣き出しそうな空であった。 平成十三(二○○一)年一月二十六日午後、東京都江戸川区春江町三丁目、東京都立瑞江(みずえ)葬儀所の収納室には、八○名余りの人々が、それぞれの想いをこめて集まっていた。 前夜の通夜は、折からの雪に見舞われて

  • 短歌 小久保 晴行 パリ日乗

    ユーロスターよりパリ北駅の降り立ちに想いの巡り胸迫り来る ひさびさの駅前広場パリ嬉し笑顔のひとはサ・ヴァと出迎う セーヌ河渡りて鳥の一羽舞い二羽の立ち舞い群れ移り行く 地下鉄の熟れたる匂い親しかる暗きホームに酔いどれひとり 道端のカフェで飲むカルヴァドス渋き香りも久しぶりなり 学窓の思い出深し下町のカルチェラタンの匂いもあらた ランボーに悩みひねもす格闘せしパリ大学の階段教室

  • 評論・研究 小宮 豊隆 中村吉右衛門論

    一 文壇で会つて見たいと思ふ人は一人も居らぬ。役者の中では会つて見たいと思ふ人がたつた一人ある。会つて見たら色々の事情から多くの場合失望に終はるかも知れぬ。夫(それ)にも拘らず藝の力を通して人を牽き付けて止まぬ者は此の唯一人である。此唯一人とは云ふ迄もない、中村吉右衛門である。 文壇で鼓吹<

  • 小説 小金井 喜美子 名誉夫人 ヒンデルマン原作

    男女のいひなづけして、未だ婚礼せざるものさしむかひにてあるとき、これに立会ふを名誉夫人とはいふなり。又この篇に絵画の事をいへるうちに、古流新派とあるは、世に所謂印象派の方面より、今までありし流派をすべて古流といひ、おのれが一種の自然を観る法をそなへ、一種の色彩を施す式をおこなふを、新派といへるなり。我国にては、今黒田久米のぬし達、ここに云ふ新派に属し玉へり。これ等の事あらかじめことわりおかでは、この「スケツチ」の味解しがたかるべし。(明治二十八年しも月の末つかた) 君たち二人こゝにあそび給はんほど、しばしかの岡にのぼりて、今の景色をうつさばや、光線の工

  • 小熊 秀雄 蹄鉄屋の歌

    泣くな、 驚ろくな、 わが馬よ。 私は蹄鉄屋。 私はお前の蹄(ひづめ)から 生々しい煙をたてる、 私の仕事は残酷だろうか。 若い馬よ、 少年よ、 私はお前の爪に 真赤にやけた鉄の靴をはかせよう。 そしてわたしは働き歌をうたいながら、 ──辛棒しておくれ、 すぐその鉄は冷えて

  • 小熊 秀雄 馬上の詩

    わが大泥棒のために 投縄を投げよ わが意志は静かに立つ その意志を捕へてみよ。 その意志はそこに そこではなく此処に いや其処ではなくあすこに おゝ検事よ、捕吏よ、 戸まどひせよ。 八つ股の袖ガラミ捕物道具を、 そのトゲだらけのものを わが肉体にうちこめ 私は肉を裂いてもまんまと逃げ去るだらう。 仔馬、たてがみもまだ生えた許

  • 小熊 秀雄 丸の内・銀座ほか

    《目次》 東京駅 丸の内 地下鉄 銀 座 東京駅 東京駅は ウハバミの 燃える舌で 市民の 生活を呑吐する 玄関口、

  • 随筆・エッセイ 小山内 薫 千駄木の先生

    鴎外先生は青年を愛した。 先生の愛は狭かつたかも知れない。併し、深かつた。くだいて言へば、「贔屓強い」人だつた。一度贔屓をした以上は、どこまでも、それを持ち続けるといふ風があつた。亡くなつた先生の令弟三木竹二氏も、やはりさういふ人だつた。 先生には、鋭い直覚があつた。人の風貌を一度見るか、人の作物を一遍読むかすると、直ぐその人の歩いてゐる道がはつきり分かつた。 亡くなつた医学士大久保栄も先生に愛せられた青年の一人である。貧しい俳人大塚甲山もその一人であった。吉井勇が「浅草観音堂」を書いた時なども、大変喜ばれた。上田敏や永井荷風に対し

  • 戯曲 小山内 薫 息子

    人 物 火の番の老爺 七十歳 金 次 郎 二十七歳 無頼漢 「手先」と呼ばるる捕吏 三十歳位 時 代 徳川末期 場 所 江戸の入口 舞台にはっきり見えるものは、唯粗末な火の番小屋だけである。雪がさかんに降っているので、右も左も奥も前も、ただ一面に白いだけである。火の番小屋には明かりがついている。障子が一枚明けてあって、襟巻頭

  • シナリオ 小山内 美江子 3年B組 金八先生

    登場人物 坂本 金八 (国語教諭) 乙女 (大学四年生) 幸作 (浪人) 千田 校長 国井美代子 (教頭) 乾 友彦 (数学) 北 尚明 (社会) 遠藤 達也 (理科) 小田切 誠 (英語) 小林 花子 (渡辺・家庭科) 本田 知美 (養護) ...

  • 随筆・エッセイ 小出 楢重 洋画家の漫談雑談

    裸婦漫談 日本の女はとても形が悪い、何んといつても裸体は西洋人でないと駄目だとは一般の人のよく言ふ事だ、そして日本の油絵に現れた女の形を見て不体裁だといつて笑ひたがるのだ。それでは、笑ふ本人は西洋人の女に恋をしたのかといふとさうでもない、やはり顔の大きな日本婦人と共に散歩してゐるのである。 理想的といふ言葉がある、昔(むか)しは女の顔でも形でもを如何</rb

  • 評論・研究 小松 茂美 手紙

    手紙の名称 『唐書(とうじょ)』という本に見える話である。ある日、穆宗(ぼくそう)皇帝が柳公権(りゅうこうけん)(七七八~八六五)を呼んで、書法についてたずねた。かれは、静かに答えた。「心正則筆正」。心の正しいものは、筆法もおのずから正しいもの、と。なにしろ、柳公権といえば

  • 俳句 小川 芋銭 春の句など

    ▲枯川先生今日獄を出づると聞き あら清し麦秋の天に練雲雀時鳥(ほととぎす)四谷の空の月七日注:枯川は堺利彦の号。堺は「萬朝報」で日露戦争反対の論陣を張っていたが、社主が開戦論に転じたために「萬朝報」を離れ、幸徳秋水らと「平民新聞」を創刊した。芋銭は挿絵画家として「平民新聞」に参加した。(電子文藝館編輯室)</div

  • 小説 小川 未明 戦争

    かういふことを私が言つたら、人は私を痴者(たはけ)といふだらう。 さうだ。私は痴者だ。また人は私を懐疑家だ、空想家だといふだらう。しかし、私はかれらからさう言はるべき筈がない。どちらが間違つてゐるか。まあ、私の言ふことをよく聞いてからにしてもらひたい。 海のかなたで、大戦争があるといふが、私はそのことを時々口に出して話すが、実は心の底でそれを疑つてゐるのだ。「戦争があるなんて、それは作り話ぢやないのかしらん。私及び私のやうな人間をだまかそうと思つて、誰か

  • 評論・研究 小泉 八雲 文学と世論 ─『人生と文学』より─

    文学と政治との間に考えられる関係を例證するような短い講義をしたいと私はずつと考えていた──すなわち、どんな問題であろうと、これほど相反する問題はなさそうにみえるが、しかも密接な関係をもつている問題なのである。諸君も御承知の通り、諸君のなかから日本の将来の文学の、新しい時代の文学の、創造者のなかに加わるものがでてきてほしいという期待を、私は度々述べてきた。このことに関連して日本文学の創造は(文学とは特に小説と詩とをさすのであるが)、私が考えるところでは、政治上からみても必要なことだと言いたい。「政治上からみて必要なこと」というのが諸君には強すぎる言葉と思えるなら、国民として必要なもの、と

  • 小説 小沢 美智恵 祖母(あじ)さん

    1 日本というのは小さな国だ、とずっと思ってきた。 わたしの机の上には古い大きな地球儀があって、校正刷りを点検する仕事に疲れると、わたしはよくそれをくるくる回す。行ったことのない国ばかり……。しばらくでこぼこした表面を眺めてから、かすかなため息をつき、最後にはたいてい母国である日本の細長い国土を眺める。どうしてなのかはわからない。わからないけれども、きっとそうして自分の存在場所を確かめているのだろう。確認が済むと、わたしはいつも、ふむと一声呟いて仕事に戻る。「ふむ」にはその時々でいろいろな意味合いがあったけれども、「小さ

  • 随筆・エッセイ 小谷 瑞穂子 世界の中の日本

    1.日本の歴史と国際政治――日本を知って留学する大切さ、その意義 はじめに、私の個人的な留学体験からお話しいたします。 1953年の9月、第二次世界大戦後の戦禍の日本から、第一回フルブライト留学生として、アメリカのニューヨーク州にあるコーネル大学院に留学した私は、新学期の留学生歓迎パーティーの席上で、韓国の女子留学生からいきなり“日本人と同じテーブルで食事をしたくない。席を替えて欲しい”と満座の中で叫ばれたショッキングな経験があります。聞けば彼女の両親は、第二次世界大戦中に

  • 小説 小中 陽太郎 ラメール 母

    あてなき疾走(抄) 遊び歩くうちには衝突も多かった。 「11PM」の「銀座の文士と女」という番組だった。スタジオに入って行くなり、先に来ていた生島治郎の顔色が変わった。 「俺はこんな奴と同席するなら帰る」と言った。 そして、ほんとうにスタジオを出て行ってしまった。きょとんとしている陽太郎に、野坂昭如が「俺がいつか誤解を晴らす」と言った。 これには、当時生島がつきあっていた女性が絡んでいた。その女赤木は三度変貌した。はじめは小学校の自治会で陽太郎の