検索結果 全1050作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 評論・研究 保岡 孝顯 戦争と人間-基地周辺の人々 初出年: 1998年

    はじめに すでに一年半まえになるが,筆者は沖縄国際大学・アルスタ一大学,英国北アイルランド紛争解決民族間題研究所合同の企画で開催された「戦争・民族紛争は何をもたらしたか」をテーマとした国際平和学シンポジウム(1996年10月30日-31日,於 沖縄コンベンションセンター)に参加して感動を覚えた。その後97年9月11-13日に開催された日本カトリック正義と平和全国集会の「戦争と人間」の分科会に参加して,沖縄米軍実弾射撃訓練が直前に迫っていた自衛隊王城寺原演習場(宮城県旧陸軍演習場・元進駐軍練兵・野砲地)を金網フェンス越しに見学し,戦後農業開拓者として同地域に入植,強制

  • ノンフィクション 保岡 孝顯 マハトマ・ガンディーとマザー・テレサの道 初出年: 1997年

    ――私が捨てなければならないもの   「私たちに残るものは、人に与えたものだけ」とマザー・テレサはいう。マハトマ・ガンディーとマザー・テレサが若き日に身につけたものは、ことごとく貧しい人々のために捧げられた。   九月八日、東京のカテドラルを埋め尽くした千五百人もの人々はマザー・テレサを追悼するミサに集い、各々静かな祈りを捧げ、最後の別れを告げた。 不思議と輝いた清らかなマザー・

  • ノンフィクション 川合 継美 同舟 欧陽可亮伝(抄) 初出年: 1997年

    巨星落つ 欧陽(おうよう)可亮(かりよう) 享年七十三才 国籍 中国 あれは平成四年五月一日未明のことだった。 一人の偉大な中国の甲骨文字の学者が、八王子の郊外にある老人ホームで、家族に看とられることもなく、ひっそりと息を引きとった。 この老学者の死は、書の聖祖として高名な欧陽詢の直系の子孫が歴史上では四十四代目をもって終ったことを告げて

  • 山口 賀代子 詩集『おいしい水』(抄) 初出年: 1996年

    赤い花   人たちの寝静まった後 月の光を浴びながら ゆっくりと球根を太らせていく植物群があり 赤い花 黄色い花 紫紺の花 花の盛りを 見ないまま逝く人がいる   赤い花が綺麗なのは 花の下に葬ったものがあるからだと姪が耳もとで囁き わたしはどきっとして幼い少女の顔を見る  

  • 小説 穂高 健一 千年杉 初出年: 1995年

    嵐が過ぎたあとの残り雨もやっとあがった。 赤褐色の濁流の甲武川が、木橋である落合橋の底すれすれまで、水かさを増していた。橋の袂では、付近の農家の者たちが総出で、土手沿いに土嚢を積み上げている。靖弘はかれらに労をねぎらう挨拶をしてから、落合橋を渡り、そのさき観音堂、廃墟の鉱泉小屋、地蔵倉を過ぎた。そのあたりから、靖弘はケイタの名を呼びはじめた。繰り返し、その声が山間にこだまする。 天然杉の樹冠をかぶる伊野山を見上げた。白い雲海が山の西斜面にひっかかり、もがきながら登っていく。 伊野山への登山道をかねた林道は、急勾配でぬかるみ、落葉が春

  • 菊田 守 『かなかな』より 初出年: 1994年

    かなかな 空が明るんでくるころ かなかなと鳴いてみる かなかなと何度か練習する あとは黙っている 昼間は暑いのに ジージージーと鳴いている油蟬 オーシツクツクオーシツクツクと鳴く 法師蟬の声を聞いても黙っている みんな黙っている あたりがうす暗くなるころ 朝の調子を思い出して かなかなと

  • 小説 夏目 漱石 趣味の遺伝 初出年: 1994年

    一 陽気の所為(せい)で神も気違になる。「人を屠(ほふ)りて餓えたる犬を救へ」と雲の裡(うち)より叫ぶ声が、逆(さか)しまに日本海を撼<

  • ノンフィクション 保岡 孝顯 祖国に平和はいつ来るのか 初出年: 1994年

    ―アフリカ難民キャンプを訪問して― &nbsp; 一九九四年二月二十一日から三月十四日の約三週間、第七回上智大学アフリカ難民現地調査団が、ケニア、エチオピア、タンザニア、マラウイ、モザンビークを訪れた。一九八三年以来、二年ごとに行われている現地調査である。 本文ではこのうち、ケニア、エチオピアの二カ国の報告をする。 帰還する難民たち 二月二十六日早朝、ナイロビからエチオピアの首都アディスアベバに五年ぶりに入った。一九八三

  • 随筆・エッセイ 川合 継美 風の鳴る北京(抄) 初出年: 1993年

    目次 第1章 父と母、そして中国 両親と横浜 華北へ 通洲事件 父と中国の研究者たち 第2章 懐かしい北京の日々 北京の友人たち 第3章 父の遭難と帰国 憲兵隊事件 日本の敗戦と父の釈放 最後の面会と引き揚げ &nbsp; &nbsp; 第1章 父と母、そして

  • 随筆・エッセイ 櫻井 千恵 『千暮の里から』(抄) 初出年: 1992年

    木は大きなる、よし うちの庭のまん中には、一本の枇杷の巨木がある。褐いろの老いた葉を押しのけるように、新芽が今天をさして一斉に伸び始めた。 うすく透けるその萌葱いろの葉はなんともつややかで、あたりの光景をひときわ明るくしているかに見える。その、驢馬の耳みたいな柔らかな葉を、少し烟ったような四月の空に溶かして、樹は雄々しく立っている。 この樹を植えたとき 「あんたらぁ、庭にこんなもん植えて!」 旧弊な年寄が毎日やってきてこう言った。 庭に枇杷を植えると病人が出た

  • 富永 たか子 詩集『シルクハットをかぶった河童』抄 初出年: 1991年

    &nbsp; 象のサーカス &nbsp; スパンコールのきらきらの数だけ 哀しみを喰べたおまえたち 身売りして来た 故郷のあの村のあの仲間の代表だ &nbsp; ほこらかに鼻をもちあげ 口をほっと開け 細い目で充分に微笑んで 「せーの」の鞭のひと振りで インドの背中にアフリカが

  • 評論・研究 江藤 淳 閉ざされた言語空間―占領軍の検閲と戦後日本(抄) 初出年: 1989年

    第二部アメリカは日本での検閲をいかに実行したか 第一章 昭和二十年(一九四五)九月、逐次占領を開始した米軍の前で、日本人はほとんど異常なほど静まり返っていた。 連合国記者団の第一陣として、東京に乗り込んで来たAP通信社のラッセル・ブラインズは、「全国民が余りにも冷静なのに驚いた」と告白している(1)。 だが、「驚いた」のはなにもブラインズだけではなかった。実は占領軍自身が、すべては「巨大な罠(わな</r

  • 評論・研究 和田 耕作 真正の哲人・狩野亨吉 初出年: 1989年

    一 誇るべき人物 今や哲学者と称する者は、諸々の学説を紹介する文献学者のみで、真に「哲学する人」はきわめて少ない。 ここに紹介する狩野(かのう)亨吉(こうきち)(一八六五~一九四二)こそは、実に「真正の哲学者」であり、近代日本の中で「自己の哲学」によって生きた、誇るべき人物である。 かつて、多くの「忘れられた科学者・思想家」を発掘した

  • 小説 水上 寛裕 海辺の宿 初出年: 1984年

    その夏その海で、ひとりの老人に出会った。 八十歳に近いだろうその老人は、その春、七つ年下の四十五年連れ添った妻を亡(な)くしたという。悪性の風邪(かぜ)から肺炎を起こして、いきなり逝(い)ったというのだ。 あれは一九六五年のことだ。私は四十歳。東京の新宿で小さな

  • ノンフィクション 吉岡 忍 女子少年院 愛に飢える素顔の少女たち 初出年: 1984年

    うん、ここに入ったら、誰も見ていないところでリンチされたり、夜中に蹴飛ばされたりするだろうな、と思っていた。映画なんかでそういうのあるじゃない。だから、入って一週間くらい、怖くてね、夜、眠れなかった。真由美はそう言って、笑う。笑うと、大きな瞳がくるくるっと動いた。 うしろで縛って肩まで垂らした長い髪が、ほっそりした体躯によく似合っている。これでもここで生活した八ヵ月間に十二キロも増えた。あたし、十四になるちょっと前から覚醒剤やってたからガリガリだったのよね。ここへ来ると、みんな太っちゃう。十キロも十五キロもよ。 ここ――愛光女子学園は東京・狛江市の住

  • ノンフィクション 林 郁 女と戦争 初出年: 1981年

    目 次 1)神と共寝する女 2)現代島痛びの女 3)戦争にみる女の被害と加害 4)女が笑えば ──救世の武器として── &nbsp; 1)神と共寝する女 女はすべて神であった 「そこは碧く澄んだ海と虹色のサンゴ礁にかこまれた夢のように美しい島でした。フクギやユウナの並木が続き、炎色のデイゴの花や青紫の昼顔が咲き乱れ……」──御獄(ウタ

  • 随筆・エッセイ 山田 太一 何処にいて何処へいくのか? 初出年: 1974年

    私たちはいま何処(どこ)にいるのか。 たとえば、こういう文章がある。 「近ごろ、妙に知識人とか文化人とかもの書きの中に、政治を軽蔑するムードが高まってきた。 ぼくの考えるところでは、昭和の初めにもそういう形があって、うまく操作されて、世間がいわば暗い時代からの逃避としてエロ・グロ・ナンセンスのほうに行っちゃって、もの書きのほうは軍部をただ軽蔑し、あるいは軍部をあや

  • 戯曲 井上 ひさし 金壺親父恋達引(かなつぼおやじこいのたてひき) 初出年: 1972年

    登場人物 金仲屋金左衛門 伜・万七 娘・お高 手代・豆助 京屋徳右衛門 伜・行平 娘・お舟 万周旋業・大貫親方 口きき業・お梶 ■ 朝の段

  • 随筆・エッセイ 石川 武美 練るほどによし 初出年: 1967年

    記者は真実を書け 私は記者として四十年余りを過ごしてきたが、その間に、世間の人からどんなに軽蔑されたかしれぬ。それはもちろん、こちらの不徳のせいもあるが、もう一つの理由は、記者という職業が、世間からあまり信用されていなかったためでもある。 なぜ信用されなかったかというと、記者が平気でうそを書いたからである。私にも経験のあることだが自分に関係のあることが新聞記事になったとき、事実の相違があまりに大きいのに、びっくりさせられる。急ぐための誤報もあろう、予備知識がないための判断のあやまりもあろう。それ

  • 評論・研究 江藤 淳 現代と漱石と私 初出年: 1966年

    漱石という人はおそろしく孤独な人間だったが、漱石の作品は不思議と読者を孤独にしない。これはどういうことだろうかと、私はこのごろ思うようになった。 私は人なみに中学生時代にはじめて漱石を読んだ。そのときは『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』、それに『こゝろ』が面白かった。大学にはいって間もなく、子供のころから弱かった胸を悪化させ、丸一年の上ひとりで寝ていたが、そのあいだにも漱石はずい分読んだ。かならずしも漱石に「道」を求めるような読みかたをしたわけではない。『門』や『道草』を読んでいると気持がしんと沈んで来る。それでいて決して凍てつくということがなく、心の奥底はむしろ豊か