検索結果 全1044作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 小説 夏目 漱石 趣味の遺伝 初出年: 1994年

    一 陽気の所為(せい)で神も気違になる。「人を屠(ほふ)りて餓えたる犬を救へ」と雲の裡(うち)より叫ぶ声が、逆(さか)しまに日本海を撼<

  • ノンフィクション 保岡 孝顯 祖国に平和はいつ来るのか 初出年: 1994年

    ―アフリカ難民キャンプを訪問して― &nbsp; 一九九四年二月二十一日から三月十四日の約三週間、第七回上智大学アフリカ難民現地調査団が、ケニア、エチオピア、タンザニア、マラウイ、モザンビークを訪れた。一九八三年以来、二年ごとに行われている現地調査である。 本文ではこのうち、ケニア、エチオピアの二カ国の報告をする。 帰還する難民たち 二月二十六日早朝、ナイロビからエチオピアの首都アディスアベバに五年ぶりに入った。一九八三

  • 随筆・エッセイ 川合 継美 風の鳴る北京(抄) 初出年: 1993年

    目次 第1章 父と母、そして中国 両親と横浜 華北へ 通洲事件 父と中国の研究者たち 第2章 懐かしい北京の日々 北京の友人たち 第3章 父の遭難と帰国 憲兵隊事件 日本の敗戦と父の釈放 最後の面会と引き揚げ &nbsp; &nbsp; 第1章 父と母、そして

  • 随筆・エッセイ 櫻井 千恵 『千暮の里から』(抄) 初出年: 1992年

    木は大きなる、よし うちの庭のまん中には、一本の枇杷の巨木がある。褐いろの老いた葉を押しのけるように、新芽が今天をさして一斉に伸び始めた。 うすく透けるその萌葱いろの葉はなんともつややかで、あたりの光景をひときわ明るくしているかに見える。その、驢馬の耳みたいな柔らかな葉を、少し烟ったような四月の空に溶かして、樹は雄々しく立っている。 この樹を植えたとき 「あんたらぁ、庭にこんなもん植えて!」 旧弊な年寄が毎日やってきてこう言った。 庭に枇杷を植えると病人が出た

  • 富永 たか子 詩集『シルクハットをかぶった河童』抄 初出年: 1991年

    &nbsp; 象のサーカス &nbsp; スパンコールのきらきらの数だけ 哀しみを喰べたおまえたち 身売りして来た 故郷のあの村のあの仲間の代表だ &nbsp; ほこらかに鼻をもちあげ 口をほっと開け 細い目で充分に微笑んで 「せーの」の鞭のひと振りで インドの背中にアフリカが

  • 評論・研究 江藤 淳 閉ざされた言語空間―占領軍の検閲と戦後日本(抄) 初出年: 1989年

    第二部アメリカは日本での検閲をいかに実行したか 第一章 昭和二十年(一九四五)九月、逐次占領を開始した米軍の前で、日本人はほとんど異常なほど静まり返っていた。 連合国記者団の第一陣として、東京に乗り込んで来たAP通信社のラッセル・ブラインズは、「全国民が余りにも冷静なのに驚いた」と告白している(1)。 だが、「驚いた」のはなにもブラインズだけではなかった。実は占領軍自身が、すべては「巨大な罠(わな</r

  • 評論・研究 和田 耕作 真正の哲人・狩野亨吉 初出年: 1989年

    一 誇るべき人物 今や哲学者と称する者は、諸々の学説を紹介する文献学者のみで、真に「哲学する人」はきわめて少ない。 ここに紹介する狩野(かのう)亨吉(こうきち)(一八六五~一九四二)こそは、実に「真正の哲学者」であり、近代日本の中で「自己の哲学」によって生きた、誇るべき人物である。 かつて、多くの「忘れられた科学者・思想家」を発掘した

  • 小説 水上 寛裕 海辺の宿 初出年: 1984年

    その夏その海で、ひとりの老人に出会った。 八十歳に近いだろうその老人は、その春、七つ年下の四十五年連れ添った妻を亡(な)くしたという。悪性の風邪(かぜ)から肺炎を起こして、いきなり逝(い)ったというのだ。 あれは一九六五年のことだ。私は四十歳。東京の新宿で小さな

  • ノンフィクション 吉岡 忍 女子少年院 愛に飢える素顔の少女たち 初出年: 1984年

    うん、ここに入ったら、誰も見ていないところでリンチされたり、夜中に蹴飛ばされたりするだろうな、と思っていた。映画なんかでそういうのあるじゃない。だから、入って一週間くらい、怖くてね、夜、眠れなかった。真由美はそう言って、笑う。笑うと、大きな瞳がくるくるっと動いた。 うしろで縛って肩まで垂らした長い髪が、ほっそりした体躯によく似合っている。これでもここで生活した八ヵ月間に十二キロも増えた。あたし、十四になるちょっと前から覚醒剤やってたからガリガリだったのよね。ここへ来ると、みんな太っちゃう。十キロも十五キロもよ。 ここ――愛光女子学園は東京・狛江市の住

  • ノンフィクション 林 郁 女と戦争 初出年: 1981年

    目 次 1)神と共寝する女 2)現代島痛びの女 3)戦争にみる女の被害と加害 4)女が笑えば ──救世の武器として── &nbsp; 1)神と共寝する女 女はすべて神であった 「そこは碧く澄んだ海と虹色のサンゴ礁にかこまれた夢のように美しい島でした。フクギやユウナの並木が続き、炎色のデイゴの花や青紫の昼顔が咲き乱れ……」──御獄(ウタ

  • 随筆・エッセイ 山田 太一 何処にいて何処へいくのか? 初出年: 1974年

    私たちはいま何処(どこ)にいるのか。 たとえば、こういう文章がある。 「近ごろ、妙に知識人とか文化人とかもの書きの中に、政治を軽蔑するムードが高まってきた。 ぼくの考えるところでは、昭和の初めにもそういう形があって、うまく操作されて、世間がいわば暗い時代からの逃避としてエロ・グロ・ナンセンスのほうに行っちゃって、もの書きのほうは軍部をただ軽蔑し、あるいは軍部をあや

  • 戯曲 井上 ひさし 金壺親父恋達引(かなつぼおやじこいのたてひき) 初出年: 1972年

    登場人物 金仲屋金左衛門 伜・万七 娘・お高 手代・豆助 京屋徳右衛門 伜・行平 娘・お舟 万周旋業・大貫親方 口きき業・お梶 ■ 朝の段

  • 随筆・エッセイ 石川 武美 練るほどによし 初出年: 1967年

    記者は真実を書け 私は記者として四十年余りを過ごしてきたが、その間に、世間の人からどんなに軽蔑されたかしれぬ。それはもちろん、こちらの不徳のせいもあるが、もう一つの理由は、記者という職業が、世間からあまり信用されていなかったためでもある。 なぜ信用されなかったかというと、記者が平気でうそを書いたからである。私にも経験のあることだが自分に関係のあることが新聞記事になったとき、事実の相違があまりに大きいのに、びっくりさせられる。急ぐための誤報もあろう、予備知識がないための判断のあやまりもあろう。それ

  • 評論・研究 江藤 淳 現代と漱石と私 初出年: 1966年

    漱石という人はおそろしく孤独な人間だったが、漱石の作品は不思議と読者を孤独にしない。これはどういうことだろうかと、私はこのごろ思うようになった。 私は人なみに中学生時代にはじめて漱石を読んだ。そのときは『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』、それに『こゝろ』が面白かった。大学にはいって間もなく、子供のころから弱かった胸を悪化させ、丸一年の上ひとりで寝ていたが、そのあいだにも漱石はずい分読んだ。かならずしも漱石に「道」を求めるような読みかたをしたわけではない。『門』や『道草』を読んでいると気持がしんと沈んで来る。それでいて決して凍てつくということがなく、心の奥底はむしろ豊か

  • 随筆・エッセイ 長谷川 伸 小説・戯曲を勉強する人へ 初出年: 1964年

    一 私が股旅物を書くのは、表現の一つの方法として書くのである。要は股旅物にあるのではない。その中に流れている精神である。 これを履き違える時、其処には単なる一個の武勇伝が出来あがるに過ぎない。 上ツつらを書かずに、下に流れているものを、形の中に脈打っているものを、書かねばならない。 股旅者も、武士も、町人も、姿は違え、同じ血の打っている人間であることに変りはない。政治家の出来事も、行商人の生活も、これに草鞋(わらじ)<

  • 随筆・エッセイ 川喜多 かしこ 「思い出の名画でつづる東和の歩み」(抄) 初出年: 1964年

    「銀界征服」と「アクメッド王子の冒険」 東和商事合資会社は一九二八年十月に創立されました。社長は二十六歳の川喜多長政。出資者は川喜多のほか、ドイツ人の友人フォン・スティテンクロン男爵とフランス人の友人アンドレ・ジャルマン。九坪のオフィスを東京海上ビル七階に構えました。社員は支配人とボーイだけ。こうした出来たてほやほやの会社に私が社長秘書として入社したのは一九二九年の一月でした。当時の私は二十一歳。フェリス女学校の研究科を終え、横浜YWCAで初歩英語教授と交換にタイプと英文速記を一年学習したところでした。 震災後父を失い、母と二人の

  • 小説 谷崎 潤一郎 京羽二重 初出年: 1963年

    をけら火やしらみそめたる東山 京都の人には説明するまでもない句であるが、新村博士の広辞苑に依ると、「をけら」は漢字で「朮」と書き、きく科の多年生草本で、世に「をけらまつり」と云ふものがある、京都八坂神社で毎年大晦日から元旦にかけて行ふ神事で、鑽火(きりび)で朮を焚き、その煙の靡く方角を見てその年の豊凶を占ふ。参拝者はその火を火縄に移して持ち帰り、雑煮を煮て年頭の吉祥を祝する。とある。この行事は今日でも年々行はれてゐるが、私は京都で七八年の歳月を過し、葵祭や祇園祭や大文字

  • シナリオ 高野 悦子 巴里に死す 初出年: 1962年

    &nbsp;&nbsp;原作 芹沢光治良 &nbsp;&nbsp;脚本・演出 高野悦子 登場人物 &nbsp;&nbsp;宮 村 … 佐田啓二 &nbsp;&nbsp;石 沢 … 森 雅之 &nbsp;&nbsp;築 城 &nbsp;&nbsp;万里子・伸 子(同一)… 香川京子 &nbsp;&nbsp;鞠 子(声)

  • 小説 山川 方夫 待っている女 初出年: 1962年

    寒い日だった。その朝、彼は妻とちょっとした喧嘩(けんか)をした。せっかくの日曜日なので、彼がゆっくりと眠りたいのに、妻はガミガミと彼の月給についての文句をいい、枕をほうりなげて、挙句(あげく)のはて、手ばやく外出の仕度をして部屋から出て行ってしまったのだ。 蒲団(ふとん)に首をう

  • 評論・研究 高見 順 商品としての誠実について 初出年: 1960年

    『エロスの招宴』といふエッセイを連載形式で書いてゐたとき、私は自分が書いてゐることの参考に、ベレンソンの裸体論をぜひ読みたいと思つた。裸体論といふ著述がベレンソンに特にあるわけではないが、ルネサンス美術論のなかに、さういふ箇所のあることを聞き及んでゐた。そしてそのルネサンス美術論の翻訳が近く出版されるといふ予告を私は見たので早く出ないか、出たら裸体論を読みたいと思つてゐたのに、なかなか出版されないで、そのうち、私の『エロスの招宴』の終回が来た。あれから何年経つたか、ベレンソンの翻訳はどういふわけかまだ出版されてない。 つまりこんなわけで私はベレンソンに特別の関心を持つて