検索結果 全1030作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 戯曲 井上 ひさし 金壺親父恋達引(かなつぼおやじこいのたてひき) 初出年: 1972年

    登場人物 金仲屋金左衛門 伜・万七 娘・お高 手代・豆助 京屋徳右衛門 伜・行平 娘・お舟 万周旋業・大貫親方 口きき業・お梶 ■ 朝の段

  • 随筆・エッセイ 石川 武美 練るほどによし 初出年: 1967年

    記者は真実を書け 私は記者として四十年余りを過ごしてきたが、その間に、世間の人からどんなに軽蔑されたかしれぬ。それはもちろん、こちらの不徳のせいもあるが、もう一つの理由は、記者という職業が、世間からあまり信用されていなかったためでもある。 なぜ信用されなかったかというと、記者が平気でうそを書いたからである。私にも経験のあることだが自分に関係のあることが新聞記事になったとき、事実の相違があまりに大きいのに、びっくりさせられる。急ぐための誤報もあろう、予備知識がないための判断のあやまりもあろう。それ

  • 評論・研究 江藤 淳 現代と漱石と私 初出年: 1966年

    漱石という人はおそろしく孤独な人間だったが、漱石の作品は不思議と読者を孤独にしない。これはどういうことだろうかと、私はこのごろ思うようになった。 私は人なみに中学生時代にはじめて漱石を読んだ。そのときは『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』、それに『こゝろ』が面白かった。大学にはいって間もなく、子供のころから弱かった胸を悪化させ、丸一年の上ひとりで寝ていたが、そのあいだにも漱石はずい分読んだ。かならずしも漱石に「道」を求めるような読みかたをしたわけではない。『門』や『道草』を読んでいると気持がしんと沈んで来る。それでいて決して凍てつくということがなく、心の奥底はむしろ豊か

  • 随筆・エッセイ 長谷川 伸 小説・戯曲を勉強する人へ 初出年: 1964年

    一 私が股旅物を書くのは、表現の一つの方法として書くのである。要は股旅物にあるのではない。その中に流れている精神である。 これを履き違える時、其処には単なる一個の武勇伝が出来あがるに過ぎない。 上ツつらを書かずに、下に流れているものを、形の中に脈打っているものを、書かねばならない。 股旅者も、武士も、町人も、姿は違え、同じ血の打っている人間であることに変りはない。政治家の出来事も、行商人の生活も、これに草鞋(わらじ)<

  • 随筆・エッセイ 川喜多 かしこ 「思い出の名画でつづる東和の歩み」(抄) 初出年: 1964年

    「銀界征服」と「アクメッド王子の冒険」 東和商事合資会社は一九二八年十月に創立されました。社長は二十六歳の川喜多長政。出資者は川喜多のほか、ドイツ人の友人フォン・スティテンクロン男爵とフランス人の友人アンドレ・ジャルマン。九坪のオフィスを東京海上ビル七階に構えました。社員は支配人とボーイだけ。こうした出来たてほやほやの会社に私が社長秘書として入社したのは一九二九年の一月でした。当時の私は二十一歳。フェリス女学校の研究科を終え、横浜YWCAで初歩英語教授と交換にタイプと英文速記を一年学習したところでした。 震災後父を失い、母と二人の

  • 小説 谷崎 潤一郎 京羽二重 初出年: 1963年

    をけら火やしらみそめたる東山 京都の人には説明するまでもない句であるが、新村博士の広辞苑に依ると、「をけら」は漢字で「朮」と書き、きく科の多年生草本で、世に「をけらまつり」と云ふものがある、京都八坂神社で毎年大晦日から元旦にかけて行ふ神事で、鑽火(きりび)で朮を焚き、その煙の靡く方角を見てその年の豊凶を占ふ。参拝者はその火を火縄に移して持ち帰り、雑煮を煮て年頭の吉祥を祝する。とある。この行事は今日でも年々行はれてゐるが、私は京都で七八年の歳月を過し、葵祭や祇園祭や大文字

  • シナリオ 高野 悦子 巴里に死す 初出年: 1962年

    &nbsp;&nbsp;原作 芹沢光治良 &nbsp;&nbsp;脚本・演出 高野悦子 登場人物 &nbsp;&nbsp;宮 村 … 佐田啓二 &nbsp;&nbsp;石 沢 … 森 雅之 &nbsp;&nbsp;築 城 &nbsp;&nbsp;万里子・伸 子(同一)… 香川京子 &nbsp;&nbsp;鞠 子(声)

  • 小説 山川 方夫 待っている女 初出年: 1962年

    寒い日だった。その朝、彼は妻とちょっとした喧嘩(けんか)をした。せっかくの日曜日なので、彼がゆっくりと眠りたいのに、妻はガミガミと彼の月給についての文句をいい、枕をほうりなげて、挙句(あげく)のはて、手ばやく外出の仕度をして部屋から出て行ってしまったのだ。 蒲団(ふとん)に首をう

  • 評論・研究 高見 順 商品としての誠実について 初出年: 1960年

    『エロスの招宴』といふエッセイを連載形式で書いてゐたとき、私は自分が書いてゐることの参考に、ベレンソンの裸体論をぜひ読みたいと思つた。裸体論といふ著述がベレンソンに特にあるわけではないが、ルネサンス美術論のなかに、さういふ箇所のあることを聞き及んでゐた。そしてそのルネサンス美術論の翻訳が近く出版されるといふ予告を私は見たので早く出ないか、出たら裸体論を読みたいと思つてゐたのに、なかなか出版されないで、そのうち、私の『エロスの招宴』の終回が来た。あれから何年経つたか、ベレンソンの翻訳はどういふわけかまだ出版されてない。 つまりこんなわけで私はベレンソンに特別の関心を持つて

  • 小説 正宗 白鳥 今年の秋 初出年: 1959年

    十月は好季節であるが、毎年雨が多い。旅行しても、家にゐても、日を暮し心地のいゝのは十一月頃からである。今年の秋、私はいかにして過さうか。昭和三十三年十一月一日。私は歌舞伎座で挙行される芸術祭に列席するつもりで家を出て、その次手に、放送局に立寄ることにした。予約してゐた簡単な放送の録音を採って、お茶を飲んでゐると、お宅から電話がかゝつたとの知らせがあつた。世間の用事の乏しい私には外出先きへ自宅から電話のかゝる事なんか滅多にないので、珍しい事と思ひながら、受話器を手にして耳を注ぐと、「郷里(くに)</rub

  • 小説 谷崎 潤一郎 夢の浮橋 初出年: 1959年

    五十四帖を読み終り侍りて ほとゝぎす五位の庵に来啼く今日 渡りをへたる夢のうきはし この詞書を伴ふ一首は私の母の詠(えい)である。但し私には生みの母とまゝ母とあつて、これは生みの母の詠であるらしく想像されるけれども、ほんたうのところは確かでない。その仔細はこれから追ひ追ひ詳(つまびら)かにするであらうが、理由の一つを挙げてみれば、生

  • ノンフィクション 野村 望東尼 『夢かぞへ』姫嶋篇 初出年: 1958年

    夢かぞへ かれこれ深く物する人々に別るとて、 君がなさけかさね&#12340;&#12341;の旅衣猶いくへにかならむとすらむ 皆人の深きなさけをおも荷にてかへすよもなくいづる旅かな 暮れはてゝ、乗物などもてきたれば、ためらふべくもあらず、出でゆくことども、うるさければもらしつ。 つひにゆくみちはさりとも老らくのいきの別れはなき世ともがな 月いとあかく、きら&#12339;&#12341;としてあはれにすごし(</

  • 評論・研究 十返 肇 文壇と批評 初出年: 1956年

    「文壇」崩壊論 一 文壇というものは無くなつた――それが今年(昭和三十一年=1956)の「文壇」回顧として私に最も痛切に感じられた印象である。伊藤整のいわゆる逃亡奴隷と仮面紳士によつて構成された文壇なる特殊部落は、完全にジャーナリズムの中に崩壊したといえよう。伊藤氏の「小説の方法」は、いまから僅か八年以前に書かれた名著であるが、つぎのような一節は、もはや現代の「文壇」

  • 評論・研究 阿部 眞之助 山縣有朋 初出年: 1953年

    アメリカあたりでは、新前の新聞記者を「仔牛」というそうだが、私が「仔牛」に生れたその月に政変が起つた。第二次桂内閣が倒れ、第二次西園寺内閣に移ろうとしている時だつた。当時、議会はあつても、議会政治の原則は認められていなかつた。原則がやや認められかかつたのは、時代がずつと下り原内閣の頃だつたが、原はその代償として、東京駅頭で刺し殺されなければならなかつたのである。 こんなわけで次の内閣に、何人(なんぴと)に大命が降るかは、天皇の思召によるということになつていた。しかし天皇と

  • 小説 宮本 百合子 刻々(一) 初出年: 1951年

    朝飯がすんで、雑役が監房の前を雑巾がけして居る。駒込署は古い建物で木造なのである。手拭を引さいた細紐を帯がはりにして、縞の着物を尻はし折りにした與太者の雑役が、ズブズブに濡らした雑巾で出来るだけゆつくり鐵格子のこま一つ一つを拭いたりして動いて居る。 夜前、神明町辺の博士の家とかに強盗が入つたのがつかまつた。看守と雑役とが途切れ、途切れそのことについて話すのを、留置場ぢゆうが聞いてゐる。二つの監房に二十何人かの男が詰つて居るがそれらはスリ、かつぱらひ、無銭飲食、詐欺、ゆすりなどが主なのだ。 看守は、雑役の働く手先につれて彼方此方しなが

  • 大関 松三郎 詩集『山芋』(抄) 初出年: 1951年

    &nbsp; 目 次 山 芋 畑うち 虫けら 雑 草 虫けら &nbsp; &nbsp; 山 芋 &nbsp; しんくしてほった土の底から 大きな山芋(やまいも<r

  • 評論・研究 笠 信太郎 ものの見方について(抄) 初出年: 1950年

    日 本 似て非なるもの さて、このあたりで私は、問題を少しばかり我々の身近くに引つけて見てみたいと思うが、それにしても、これまで見てきたヨーロッパ諸国の人々の考え方や、ものの見方を、我々のそれと比較して、その異同を考えてみないわけにはゆくまい。 日本人の今日までの頭の動かし方は、以上にのべた三つの国民(注 イギリス・ドイツ・フランス)のどれかに似ているであろうか。まず、こういう問題が出てくるに違いない。やかましく論じ立てれば、これもま

  • 小説 久坂 葉子 ドミノのお告げ 初出年: 1950年

    或る日―― 足音をしのばせて私は玄関から自分の居間にはいり、いそいで洋服をきかえると父の寝ている部屋の襖(ふすま)をあけました。うすぐらいスタンドのあかりを枕許によせつけて、父はそこで喘(あえ)いでおります。持病の喘息が、今日のような、じめじめした日には必ずおこるのです。秋になったというのに今年はからりと晴れた日はまだ一日もなく、陰気なうすら寒い、そんな肌に何かねばりつくよう

  • 評論・研究 中井 正一 現代美学の危機と映画理論 初出年: 1950年

    1 個人主義文化が、封建主義文化を引きはなすために、たたかった歴史の跡は決して容易なものではなかった。幾千の人が火であぶられ、幾万の人が鎖でつながれたかわからない。一六〇〇年代は、大きなそのたたかいの記念すべき世紀であった。一九〇〇年代もまた、今後の歴史家がその研究の対象とするであろうと思われる記念すべき世紀となるであろう。今や、個人主義文化そのものがその危機に臨んでいる。私たちは、その大いなる世紀のまさにただなかに立っている。 封建主義的文化においては、一つの特徴がある。すなわち地上的なるものは天上的なるものから造られたるもの(<span c

  • 評論・研究 佐々木 八郎 〝愛〟と〝戦〟と〝死〟 初出年: 1949年

    ――宮沢(みやざわ)賢治(けんじ)作『烏(からす)の北斗七星』に関連して―― * * 学徒出陣に際して一九四三年十一月十日、第一高等学校文二のクラス会が開かれた。佐々木八郎は、席上このエッセイを朗読した。宮沢賢治諭に託して