検索結果 全1000作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 評論・研究 秦 澄美枝 二つの『高山右近』

    序章 二つの『高山右近』 1999年8月7日、雑誌『群像』に発表された加賀乙彦の小説『高山右近』、これは97年11月14日国立能楽堂で初演された後、98年10月14日金沢市文化ホールでの改演によって完成した加賀乙彦の創作能『高山右近』と同じ素材を扱う作品である。小説という表現手段で、舞台芸術である能と全く異なる構想・趣向・方法・文体により、安土桃山時代のキリシタン大名高山右近という能と、同一人物を主人公に、能では手中に収めきれなかった“人間”のドラマを描いて作品を完成したものである。 この小説『高山右近』によって加賀乙彦は、これまで

  • 仁科 理 わが紀行

    雁風呂 冬近い北国のその村は 入り日の淡さにつつまれ 蜃気楼のようにはかなかったが 季節外れの旅にはふさわしかった 一夜をとった海辺の宿は 夜っぴいて海鳴りがとどろいていた 目覚めては夕餉に聞いた 雁風呂の話を思い出していた 海をわたる長旅の翼を休めるために <p

  • 俳句 須藤 徹 朝の伽藍

    春雷にランボー読む手ふるへけり 句集『宙の家』 ひまはりのふと女めく月あかり 秋風や無人の家の矩形なる 月明の川干あがつて太くあり 月光の雪道こはす女あり 山茶花の白を残して鳥翔てり 春眠の曇りガラスを踏む間際 新樹の夜椅子は無言で向きあへり 藤

  • 評論・研究 須藤 徹 現代俳句の起源——俳句における写生と想像力を考える(序説)

    目次 子規の「写生」が意味するもの 「風景」の超克へ 可能性としてのデッサン 山林郊野の発見 俳句と主観 Ⅰ 子規の「写生」が意味するもの 明治以来の基本的な文芸思潮であり、また俳句においては、正岡子規が使用し、近代俳句

  • 評論・研究 厨川 白村 小泉(八雲)先生

    一 ラフカディオ・ヘルン 「贈従四位小泉八雲」 とかう書けば、全く知らない人は日本人かと思ふだらうが、小泉先生の血管には日本人の血は一滴も流れてゐなかつた。美しい神秘と空想との世界に生きるケルト民族の愛蘭(アイアランド)人を父とし、むかし欧洲の花やかな藝術と文明とを生み出した希臘(</rp

  • 短歌 水崎 野里子 Admiring World Beauties

    Tanka: Dragonflies Dragonflies flying on my kimono on my bag in my dream then fly in a scream In the ancient times Japan was called "the islands of drago

  • 小説 水樹 涼子 紫の記憶

    「あなたのオーラは紫、いや、もっと青みがかった、そう、青紫ですね」 突然、隣の席の男にこう言われた。 「えっ?」 「一般的に、よく着る服の色と、その人の持つオーラの色は一致しやすいと言われています。あなたのオーラは、青紫でしょうね」 確かに私はその日、濃いロイヤルブルーのサマーセーターを身に付けていた。しかしだからといって突然、名も知らない男からオーラの色云々などと指摘されようとは、思いもよらぬことだった。 「あの……?」 困惑したまま口ごもると、 「あっ、これは失礼。つ

  • 随筆・エッセイ 水樹 涼子 とちぎ綾織り(抄) 〜下野の歴史と伝説を訪ねて〜

    目次 大谷にて(神に出会う異界の入り口)思川――上流編(残る伝説に思い馳せ)聖地・日光〈一〉(開山挑戦三度目の謎) 大谷にて(神に出会う異界の入り口) この秋、久しぶりに宇都宮市の大谷を訪れた。 幼

  • 小説 水上 瀧太郎 山の手の子

    お屋敷の子と生れた悲哀(かなしみ)を、泌み々々と知り初(そ)めたのは何時(いつ)からであつたらう。 一日(ひとひ)一日と限り無き喜悦(

  • 水野 るり子 星の間で

    カモメ カモメは河口にいる 蛇行する川のしるしが 海岸線に断ち切られ ふいに消える場所 カモメはその河口の上を飛びかいながら 海の裏側でたえず生まれてくる 小魚の群れを見張っている カモメを知りたいときには 河口に行かなくてはならない だがカモメの方法や川の方向 <

  • 小説 水野 仙子 神楽坂の半襟

    貧といふものほど二人の心を荒くするものはなかつた。 『今日はお精進かい?』とでも、箸を取りかけながら夫がいはうものなら、お里はそれが十分不足を意味してるのではないと知りながら、 『だつて今月の末が怖いぢやありませんか。』と、忽ち怖い顔になつて声を荒だてる。これだけ経済を為し得たといふ消極的な満足の傍(かたはら)、夫に対してすまないやうな気の毒のやうな、自分にしても張合のない食卓なので、恰(あたか</rt

  • 評論・研究 水野 廣徳 平和への直言

    目次 個人掠奪と国際侵略死産の侵略定義戦争と投機戦争ファン戦争消滅の最捷路「厳重抗議」と「断然一蹴」平和と戦争反対日本対英米露戦

  • 杉浦 伊作 半島の歴史(抄)

    目次 半島の歴史ポートレート —PAUL WOLFの作品—峠孤貧 —A Widow— 半島の歴史 半島にひとつの入江がある。山につゝじの咲くころ。若葉 のむげにかほり。水苔のあたりぜ

  • 評論・研究 杉山 平助 商品としての文学

    藝術品はその他の一般的生産物と等しく、自然的素材に人間労働力が加つて初めて出現する。従つてひとたび完成されて社会的関係にいるや否やその他の一般的生産物たる靴、傘、刀剣、自動車等々と何等の区別なく社会の経済関係の歴史的変化に従つて、その社会的性質を規定される。 たとへば米や織物のやうな一般的生産物が、一団体内の分担的労働の産物として生産されるやうな原始社会では、詩人もまた自分自身あるひはごく親近な人々の衝動を代表して詩を製作したので、それも狩猟あるひは農耕の片手間の製作であり、その詩的生産に対して別に報酬も受けず、あるひはきはめて僅かにその他の労働分担を軽減してもらへた

  • 小説 杉本 苑子 今昔物語ふぁんたじあ(抄)

    怪 力 1 「あぶないッ、逃げろッ」 「突かれるぞッ」 とつぜん、わきおこった大声に、『腹くじり』の春王は、おどろいてうしろをふりかえった。 暴れ牛だ。 荷はこび用の、真っ黒な大牛が、なにを怒ったか、背に青竹の束を山なりに積んだまま、ひきちぎった手綱をひきずりひきずり、街道をまっしぐらに狂奔してくる。 「とめてくれえ、……だれか、おさえてくれえ」 牛飼いであろう、わめきながら追ってくる

  • 小説 杉本 利男 錆びた十字架

    (1) 北品川の工場地帯に住宅街が割り込んでいる地域がある。山の手側は外国大公使館の厳めしい建物が、濁った青空を背に広がっている。線路一つの隔たりが、石垣の色や庭木の育ちまでも違わせている。 木造二階建ての古いアパートに土井一家が越して来たのは、花曇りの日であった。主人の芳雄は四十過ぎで、いかにも意志強固と見えて、いつも歯を食いしばっている。そのせいか <

  • 小説 杉本 利男 暮れ烏(がらす)

    (1) 辺りが白み始める頃、鈴木千代乃は裏の畑へ出て行った。千代乃の畑には茄子、隠元豆、ピーマンやトウモロコシなどが栽培されている。彼女の畑の隣には、ビニールの温室が工場のように広がっている。夏になった今は廃屋の惨めさを曝すように、ビニールがだらしなく垂れ下がり、骨組のビニールパイプをむき出しにしている。実を取られた茄子の枯れ茎などが林立している。 千代乃の畑では昔ながらのやり方で、野菜などが作られている。六十七、八歳になる彼女は、息子夫婦が手入れもせずに放置しておく五畝ほどの畑を、一人で切り回している。

  • 小説 杉本 利男 うぶげの小鳥

    きりさめかかるからまつの もえぎのめだちついばむか うぶげのことりねもほそく みしらぬはるをみてなけり —北原白秋— (1) 台東区の一角に寺の多い区域がある。近隣の人々は昔から、その辺りを寺町と呼んでいる。上野隆の育った浄福湯も寺町の中にあった。 浄福湯の斜め前に小料理屋「清川」がある。清川には上野隆とおない年の斎藤清子がいた。隆と清子は幼稚園の頃から、お互いの家に行ったり来たりし

  • 小説 菅 忠雄 銅鑼

    庭の芝生には陽が隈なく照つて、鳩がおりてゐる。秋の日射は日中(ひなか)は未だ暑い。 食堂では三時の喫茶が始まつた。子供の声と茶器の音――それは庭の端からでも聴える。廿歳(はたち)の長男を頭(かしら)に八人の子供は少し多過ぎる。此家の主人――吉田は時折さう思ふ。然し有難い事には、皆

  • 小説 瀬沼 夏葉 薄命(ドストエフスキー『貧しき人々』より)

    しめやかなる都の春の夜(よ)、已(すで)に更けて、暁に近づける頃、ほとほとと戸を叩くは誰(た)が家、内には今しも、窓に倚り眠られぬ苦しさを忘れんと、庭の暗き方を眺めゐる主人、恁(かゝ)る夜更、何人の訪