検索結果 全1036作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 随筆・エッセイ 伊丹 万作 戦争責任者の問題

    最近、自由映画人連盟の人達が映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前も混っているということを聞いた。それが何時どのような形で発表されたのか、詳しいことは未だ聞いていないが、それを見た人達が私のところに来て、あれは本当に君の意見かと訊くように成った。 そこでこの機会に、この問題に対する私の本当の意見を述べて立場を明かにして置きたいと思うのであるが、実のところ、私にとって、近頃この問題程判りにくい問題はない。考えれば考える程判らなく成る。そこで、判らないというのはどう判らないのか、それを述べて意見の代りにしたいと思う。 さ

  • 評論・研究 竹山 道雄 外国人の日本文化批判(抄)

    ──日本人は何故こうも誤解されるのか──   文化論の方法の一例――ミードのサモア文化論 人類学者マーガレット・ミードのサモア文化の研究は、半面に西欧文化の批判となって現代思潮にショックをあたえて、権威書となっていた。ところが、最近になって人類学者フリーマンがそれを根本から反駁(はんばく)する本を書いた。これについての甲論乙駁(こうろ

  • 小説 伊東 英子 凍つた唇

    晴れきつた六月の午後。 もう二十日余りも雨を見ない地べたは、歩く度にきしきしと下駄の歯がくひこんで、風はちつともないのにもうもうと砂烟りが立つた。鬼子母神の境内に立並んだ老木も、ぐつたりと疲れ果てた枝を垂れて、白つ茶けて埃にまみれた葉と葉の間からさしこむ陽は、ともすると軽いめまひを誘ふほどに烈しかつた。じつくりと粘つた汗が、指先きにつけて見たら、ぎらぎらと脂のやうに光るだらうと思はれる汗が、帯上げをきつく締めた乳房のまわりを気味わるく濡らしてゐた。鈴江は引摺るやうに運んで来た足をふと止めて、だるい眼を上げて四辺を眺めた。そこは先刻訪れた赤い門のあるお寺の前であつた。

  • 小説 伊藤 桂一 雲と植物の世界

    序 章 いちばんはじめにその眼を見た時、かすかな驚きが、次第に昂(たか)まりながら、やがて、言い難い恍惚(こうこつ)に移っていったのを私は覚えている。それはふしぎな静かさを湛(たた)えた、透明な湖の肌を想わせた。なにかが此

  • 小説 伊藤 桂一 零秒前

    昭和十六年の末、ルソン島上陸軍が優勢な進撃をつづけつつあるとき、マニラを奪るべきかバターン半島を攻めるべきかについて論議が戦わされたが、大本営は、敵がバターン半島において抵抗を試みるとは考えず、マニラ攻略を作戦の主眼とした。このため、のちにバターン半島攻略戦において、敵の意外の反撃に苦しむことになった。 バターン半島南部のサマット山、マリベレス山一帯の米比軍は、日本軍が予想したよりもはるかに強固な防衛線を築いていて、兵力も比島国防軍七個師、米軍五万を数えた。砲百門のほか豊富な集積弾薬、観測設備等により、不敗の態勢を持していた。しかもマニラ湾、半島西海岸の制海権は米軍が

  • 短歌 伊藤 左千夫 伊藤左千夫短歌抄

    牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる 明治三十三年 うからやから皆にがしやりて独居(ひとりゐ)る水(み)づく庵(いほり)に鳴くきりぎりす 牀

  • 評論・研究 伊藤 整 求道者と認識者

    明治以来の文学史の整理もずゐぶん進んで来た。中でも文献や実地調査による実証的研究といふものが、手がかりが多いので最も進んでゐる。個人の力でまとめられた実証的な業績も多いが、集団の力による昭和女子大の「近代文学研究叢書」のやうなものも、新しい方法による業績として見のがすことができない。この分野は、全国の大学の国文科を中心として、言はば日々蓄積されて行く学問上の成果である。 だが、どういふ結論が、近代日本文学の本質的なものとしてそこから引き出されるかといふことになると、かなり曖昧である。また現在と将来の日本人の生活と文学が、どのやうに過去のものとかかはり合ふかといふ問題、

  • 評論・研究 伊藤 整 近代日本人の発想の諸形式

    1 私が近年理論的に追求してゐることは、日本人の発想法といふことである。これは直接には私が個人として小説や批評を書く上の困難を解決したいといふことから生れたものであるが、日本文学のタテの系列から言つても、日本の古典文学にある日記文学、随筆文学、心中文学、復讐文学等とも関連がある。若(も)しそれを、明治以来の近代日本文学に限れば、

  • 伊良子 清白 淡路にて

    古翁(ふるおきな)しま國(ぐに)の 野にまじり覆盆子(いちご)摘(つ)み 門(かど)<

  • 評論・研究 井口 哲郎 科学者の文藝

    中西悟堂 ─文学と科学との間─ 『野鳥と共に』(創元文庫)の「解説」で、窪田空穂は、悟堂の閲歴を次のように簡潔に書いている。 中西君は石川県下に生れた人で、やや長じて天台宗の寺に養われ、東京で正常の学歴を踏んで僧としての資格を得、二寺の住職となった。学生時代から文藝に心を寄せ、歌集、詩集を刊行していたが、住職となると小説の作を企て、『犠牲者』と題して、三千枚の長編を、三年間を傾注して成し遂げた。これは関東大震災当時で、三十歳に入ろうとする頃のことである。刊行

  • 小説 井上 ひさし あくる朝の蟬

    汽車を降りたのはふたりだけだった。 シャツの襟が汗で汚れるのを防ぐためだろう、頸から手拭いを垂した年配の駅員が柱に凭(もた)れて改札口の番をしていた。その駅員の手に押しつけるようにして切符を二枚渡し、待合室をほんの四、五歩で横切ってぼくは外へ出た。すぐ目の前を、荷車を曳いた老馬が尻尾で蠅を追いながら通り過ぎ、馬糞のまじった土埃りと汗で湿った革馬具の饐(す)えた匂いを置いていっ

  • 井上 章子 SUMMER REVERB

    Before Winter -Hiroshima- 冬の前に —ひろしま— After the long heated summer Suddenly comes the chill and cold of autumn Neither hearing the crickets chirp Nor seeing leaves change their colours Only ...

  • 評論・研究 井上 清 近代天皇制の確立 新しい権力のしくみ

    中央集権官僚制 廃藩と同じ日(明治四年=1871七月十四日)土佐出身の板垣退助と肥前出身の大隈重信が、参議に再任せられた。これで参議は薩摩の西郷(隆盛)、長州の木戸孝允(たかよし)とともに、薩・長・土各一、肥二の旧四藩出身者ということになった。廃藩の前、大久保(利通)はもっぱら薩長の力で廃藩後の政権を維持しようとしたが、木戸は土・肥を加えることを主張し、それが実現されたのである。 木戸は

  • 小説 井上 靖

    一 山に獣道(けものみち)というものがあると何かの本で読んだことがあるが、なるほどそういうものがあるかも知れない。家の二匹の犬が庭の植込みの中を歩いたり、駈けたりする道はいつも決まっている。そんなことを言い出したのは息子である。息子の書斎は二階にあって、縁側から庭の大部分を見降ろすことができるので、いつとはなく二匹の犬の通る道が一定していることに気付いたのであろう。私の書斎も庭に面しているが、一階なので事情は少し違う。縁側からも、仕事机の横の窓からも、

  • 井上 靖 北国

    人 生 M博士の「地球の生成」という書物の頁を開きな がら、私は子供に解りよく説明してやる。 ――物理学者は地熱から算定して地球の歴史は二 千万年から四千万年の間だと断定した。しかるに 後年、地質学者は海水の塩分から計算して八千七 百万年、水成岩の生成の原理よりして三億三千万 年の数字を出した。ところが更に輓近(</

  • 評論・研究 磯貝 勝太郎 歴史小説の種本

    第一章 頻繁(ひんぱん)に典拠される種本 歴史文学とは、歴史上の事件、人物を素材として構成される文学で、小説のほかに史劇、史伝などもふくまれるが、本書では主として、小説というジャンルに限り、それも明治時代以降に創作された近代歴史文学作品において、種本(たねほん)がいかに扱われているかについてふれてみたい。

  • 小説 稲垣 足穂 短編二つ

    散歩しながら A ある朝、街角をまがりかけたとたんに、ガボッ! といつてその通り一めんの青い焔が立つた。ピタッと自分は煉瓦に身をくつつけた。 しばらくして何があつたのだらうと近づくと、路のまんなかに赤い火がある。へんな螢だと思つてとらうとすると、ひとりの男がうつ伏せにシガーをもつてゐたのだつた。ひき起して「どうしたのだ

  • 小説 稲上 説雄 夢浮遊

    夢 小学生のころ、同じような夢を、何度も何度も繰り返し見た。 私は、よく夜の空中を浮遊した。まず初めは、平泳ぎで低空を飛行し、表通りのバス停から北へ、見知った道沿いに市の北側にある山の方へと向かった。平手に空気の抵抗が薄く、力を抜けばすぐに地面に落ちてしまう恐れがあった。山の裾に火葬場があり、その手前を暗く川が不気味な水音を立てながら流れ、私は、水面すれすれを、流れに落ちないように背筋に力を込め、腕と脚で必死になって空気の水を掻いた。水音が冷たく耳に響く。それから火葬場の屋根の上に

  • 小説 宇田 伸夫 扶余残照

    百済の公主 胸をしめつけられるほどの優しさで木槿(むくげ)の花は開いた。 そして、そのときを待っていたかのように乙女は扶余(プヨ)の町に現れた。 ふわりと広がるチマチョゴリが細い体によく似あった。透き通るような白い肌が秋の陽を受けて、白磁のように輝く。長くつややかな髪が錦江を渡る風になび

  • 随筆・エッセイ 羽仁 もと子 半生を語る

    一 昭和三年八月三十一日。珍らしく晴れたこの高原の軽井沢で、ひとり静かに机の前に坐つて、わが半生を語らうとしてゐる。古い言葉の通り、過ぎ越し方が頭の中に絵巻のやうに展(ひろ)がつて来る。懐しいしかしながら雑然たる絵巻である。唯(ただ)この一つの生命が、見えざるものに導かれて、その中で育つて来たことを思ふと、過ぎ去つたことはすべて感謝である。 </p