検索結果 全1008作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 小説 黒島 傳治 渦巻ける烏の群

    一 「アナタア、ザンパン、頂(ちょう)だい。」子供達は青い眼を持っていた。そして、毛のすり切れてしまった破れ外套(がいとう)にくるまって、頭を襟(えり)の中に<ruby

  • 小説 黒島 傳治 豚群

    一 牝豚(めぶた)は、紅く爛(ただ)れた腹を汚れた床板の上に引きずりながら息苦しそうにのろのろ歩いていた。暫く歩き、餌を食うとさも疲れたように、麦藁(むぎわら)を短く切った敷藁の上に行って横たわった。腹はぶってりふくれている。時々、その中で仔が動いているの

  • 小説 今 東光 痩せた花嫁

    調子外れのラッパが鳴つた。 タンタカタ タンタカタ トテ、チテ、タ。 そのコルネットの爆発性を帯びた笑ひ声は、まるで千八百七十年代の小さな、いたつて下らない出来事を嘲るやうに鳴り響いた。 ――幕が開いた。 「あれは何ていふの」 「モンタルトの村です」 「伊太利(イタリー)?」 「さう」 「伊太利モンタルトの村の場景つていふ

  • 小説 今 日出海 天皇の帽子

    一 成田弥門は東北某藩の昔家老だった家から成田家へ養子に行ったので、養父の成田信哉は白髪の老人であるが、流石(さすが)に武士の育ち、腰こそ少し曲ったように思われても胸をぐっと張り、茶の間の欄間に乃木希典(のぎまれすけ)の手紙を表装してかけてあるのを見ても、いかにも乃木大将と親交があったらしい謹厳な風貌の持主だった。 弥門は幼い時か

  • 評論・研究 今井 清一 関東大震災

    大震火災 大正十二年(一九二三)九月一日の正午二分前、関東地方南部をはげしい大地震が襲った。あまりの激震に、中央気象台の地震計はすべて針がとんで測定できなかったが、東京帝大理学部の地震研究室にあった二倍地震計だけがかろうじて記録をつづけた。これによると、東京帝大のある本郷台での最大振幅は八八・六ミリメートルに達し、埋立地である下町ではその二倍前後におよぶものと推察された。震源地は東京から約八十キロ離れた相模湾(さがみわん)</r

  • 評論・研究 今井 清一 戦略爆撃と日本

    1 第二次世界大戦と戦略爆撃 空襲と市民 空襲も、それを可能にした航空機も、二十世紀の産物である。一八七〇~七一(明治三~四)年の普仏戦争では、パリにできた国防政府の内相ガンベッタが南フランスでの抗戦をよびかけるために、プロシャ軍に包囲されたパリから軽気球で脱出した例があるが、これは航空機と呼べるものではなかった。一九〇〇(明治三十三)年にはツェッペリンが

  • 随筆・エッセイ 今井 邦子 花圃と一葉

    一葉女史といふ人はすでに過去の人であつて、生きた一葉女史に接することが出来ず、たゞその作品を通してその人の面影を偲ぶのみだからあの名作「たけくらべ」「にごりえ」「わかれみち」等々その後年殆ど傑作揃ひであつた作品を通して見ると、一葉といふ人の人間的価値をすぐれて高くたかく買ふと同時にわれながらいつか理想化した面影を描いてそれを自ら信じてしまつてゐるやうなことがいくらもあるが、それが当の一葉と面接があり交際のあつた人々となると、即ち、生ける日の一葉を知つてゐて、その人を語る人の心持とにはそこに幾尺かの開きがあるといふことを、このごろ私は興味深く感じて来てゐるのである。このことは一通りいつた

  • 小説 今野 敏 カムイコタンの羽衣

    1 案外退屈なもんだな。 ツヨシは、列車の窓から外を眺めながらそう思う。 緑で一杯だ。最初は、緑の木々に圧倒された。緑の平野に唐突に町が現れる。民家が肩を寄せ合うように建ち並び、商店の看板が見える。人の営みが感じられたと思ったら、またすぐに田圃や畑、森林の中だ。 北海道の大地というのは、たしかに本州とはまったく違う。広大な平野、その地平に幻のように青い山の稜線が見える。 遠くの山なのだろうが、妙にくっきり見えるのは、湿度が低いせいだろう。

  • 評論・研究 佐高 信 遺言と弔辞

    「ただ抱いて欲しかった」 遺書は先に逝く者の手紙であり、弔辞は逝った者への手紙であると私は思う。 遺書と言えば、『きけわだつみのこえ』(岩波文庫)に象徴される戦没学徒兵の手紙が真っ先に挙げられるが、検閲制度の下で、彼らの声がそのまま伝えられたわけではない。そう考える時、「娘あずさへの手紙」と副題のあ

  • 小説 佐々木 邦 変人伝

    「勉強しないと、東京の叔父さんのところへやってしまいますよ」 僕が中学生の頃、母は然(そ)う言って驚かすのが常だった。叔父は母の弟だ。父は女学校の先生だけれど、叔父は高等学校の先生だから尚お豪(えら)いことになっていた。しかし父に言わせると、叔父は変りものだった。 「叔父さんは学者でしょうね?」 と僕は母に訊いて見た。 「今に博

  • 小説 佐佐木 邦子 オシラ祭文

    ようやく林が切れた。高いところから見下ろすと、村は、折り重なった山々の間に、繭のように静かに、ころりと丸くなっている。すては大きく頭を振って、肩で息を吐いた。走ってきたせいで、まだ息が荒い。 最初は、苗菰(なえごも)を背負った小さな猿のような年寄りだった。狭い杣道を、下ばかり向いてふらふらたどっていたときだ。何かの苗らしいものを背からはみ出るほど背負って、その年寄りが村のほうから登ってきたのだ。人がすれ違えるほどの道ではなかった。先にやり過ごすために、すては林の中へ少し踏

  • 小説 佐々木 味津三 名君修業

    一 ――僅(わづか)に十六歳のそれも目の見えぬ盲人が、六年の臥薪嘗胆(ぐわしんしやうたん)ののちに、ともかくも一流に秀でた親の讐(かたき)を見事に討つたと言ふのであつたから、本荘宗資(ほんじやうむねす

  • 小説 佐佐木 茂索 おぢいさんとおばあさんの話

    日に一度来る郵便配達が、二三の新聞と一緒に、一通の手紙を投げ入れて行つた。新聞と手紙とは、女中の手で奥の間へ運ばれた。奥の間には、老衰のおばあさんが臥(ね)てゐて、おぢいさんが看病してゐる。 新聞に交つて久振(ひさしぶり)で来た手紙を、おぢいさんは不審相に眺めたが、すぐ手紙の裏を返して差出人の名を見ると、鳥渡(ちよつと<

  • 小説 佐左木 俊郎 熊の出る開墾地

    無蓋の二輪馬車は、初老の紳士と若い女とを乗せて、高原地帯の開墾場から奥暗い原始林の中へ消えて行つた。開墾地一帯の地主、狼のような痩躯(そうく)の藤澤が、開墾場一番の器量よしである千代枝(ちよえ)を連れて、札幌の方へ帰つて行くのだつた。 落葉松林(からまつばやし)が尽きると、路はも

  • 俳句 佐怒賀 正美 四方のくちなは

    光りては深空(みそら)はぐれのいかのぼり にんじんに似し教師去り春の虹 火のやうな墓碑立ちて鳥渡るなり 幼木のはくれんひらく魂あらし 特攻兵たりける父に亀鳴けり 白鳥のこもごもとほく讃へあふ 牡丹東風(ぼたんこち<

  • 随筆・エッセイ 佐藤 義亮 出版おもいで話

    私は前から、長い出版生活のおもい出を書いて見たいと思っていた。今回、社(新潮社)の祝賀会に際し、急にこういう本をこしらえることになり、あわてて少しばかり書いて見た。しかしこれは思い出のほんの断片にすぎないし、匆卒(そうそつ)の際で年代や何かを十分調べる余裕もなかった。他日、まとまったものを、ゆっくり書くことの機会を得たら、この補いをさせてもらおうと思っている。 佐藤 義亮 <p

  • 評論・研究 佐藤 公平 林芙美子の年齢

    ──私は明治三十七年十二月三十一日に、山口県の下関市で生まれた。田中町の錻力屋さんの二階で生まれたと云ふ事である。母は鹿児島の出で、父は四国の伊予の周桑郡の出である。母は温泉宿をいとなみ、父はその頃紙商人として桜島へ渡った様子だ。 これは芙美子著書『放浪記1 林芙美子文庫』あとがきの引用である。 彼女の誕生日は、戸籍上明治36年12月31日だが、昭和26年6月28日の没後も随分長い間おおやけには明治37年生まれと信じられており、最初の年譜を編んだ板垣直子は、『林芙美子の生涯 ─うず潮の人生─』(大和書房 昭和40年)で、次のように弁明している。 </

  • 小説 佐藤 紅緑 行火

    奥州は津軽の城下に、名高い七夕の侫武多(ねぷた)祭が済んで門に火を焚く盆の頃になると、林檎がそれぞれに美しい色を染め出す。地福村といふのは弘前の町から半町となき西南の小さな村で、遠く館野の方から見ると只だ一帯の林檎畠。特に朝の静かな眺めは格別なもので、薄く白い霧の中に包まれた一廓は滑かな葉を瀰(わたる)紅、黄、紫などの林檎の色に、恰(さな

  • 佐藤 惣之助 女の幼き息子に

    潜水夫 潜水夫は武装した星の兵卒である。 金(きん)の頭を 暗(やみ)の中にとぢこめ 全身に 風と水の鱗や獣皮をつける。 兜をもつて、星を閉ぢ、世界を隔て 波濤の

  • 小説 佐藤 和子 消えない灯

    1 母娘の再会を祝うその夜の晩餐は、物資の乏しい戦時下としては驚くほど豪華なものだった。床の間の香炉からは気品ある香りが仄かに立ちのぼり、朝、通されたとき見た仏像の掛物も、いつのまにか慶事用の鶴の軸に取りかえられている。緑の絨毯(じゅうたん)を敷きつめたその十畳の客間は、珍客のときだけ使う特別の部屋らしく、大きな床の間・違い棚の、人を威圧するほどに立派なのが、この家に馴れぬ慧子には却って落ち着けない感じだった。一同が席につくと、和服の背を床柱にもたせ