検索結果 全1000作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 評論・研究 佐高 信 遺言と弔辞

    「ただ抱いて欲しかった」 遺書は先に逝く者の手紙であり、弔辞は逝った者への手紙であると私は思う。 遺書と言えば、『きけわだつみのこえ』(岩波文庫)に象徴される戦没学徒兵の手紙が真っ先に挙げられるが、検閲制度の下で、彼らの声がそのまま伝えられたわけではない。そう考える時、「娘あずさへの手紙」と副題のあ

  • 小説 佐々木 邦 変人伝

    「勉強しないと、東京の叔父さんのところへやってしまいますよ」 僕が中学生の頃、母は然(そ)う言って驚かすのが常だった。叔父は母の弟だ。父は女学校の先生だけれど、叔父は高等学校の先生だから尚お豪(えら)いことになっていた。しかし父に言わせると、叔父は変りものだった。 「叔父さんは学者でしょうね?」 と僕は母に訊いて見た。 「今に博

  • 小説 佐佐木 邦子 オシラ祭文

    ようやく林が切れた。高いところから見下ろすと、村は、折り重なった山々の間に、繭のように静かに、ころりと丸くなっている。すては大きく頭を振って、肩で息を吐いた。走ってきたせいで、まだ息が荒い。 最初は、苗菰(なえごも)を背負った小さな猿のような年寄りだった。狭い杣道を、下ばかり向いてふらふらたどっていたときだ。何かの苗らしいものを背からはみ出るほど背負って、その年寄りが村のほうから登ってきたのだ。人がすれ違えるほどの道ではなかった。先にやり過ごすために、すては林の中へ少し踏

  • 小説 佐々木 味津三 名君修業

    一 ――僅(わづか)に十六歳のそれも目の見えぬ盲人が、六年の臥薪嘗胆(ぐわしんしやうたん)ののちに、ともかくも一流に秀でた親の讐(かたき)を見事に討つたと言ふのであつたから、本荘宗資(ほんじやうむねす

  • 小説 佐佐木 茂索 おぢいさんとおばあさんの話

    日に一度来る郵便配達が、二三の新聞と一緒に、一通の手紙を投げ入れて行つた。新聞と手紙とは、女中の手で奥の間へ運ばれた。奥の間には、老衰のおばあさんが臥(ね)てゐて、おぢいさんが看病してゐる。 新聞に交つて久振(ひさしぶり)で来た手紙を、おぢいさんは不審相に眺めたが、すぐ手紙の裏を返して差出人の名を見ると、鳥渡(ちよつと<

  • 小説 佐左木 俊郎 熊の出る開墾地

    無蓋の二輪馬車は、初老の紳士と若い女とを乗せて、高原地帯の開墾場から奥暗い原始林の中へ消えて行つた。開墾地一帯の地主、狼のような痩躯(そうく)の藤澤が、開墾場一番の器量よしである千代枝(ちよえ)を連れて、札幌の方へ帰つて行くのだつた。 落葉松林(からまつばやし)が尽きると、路はも

  • 俳句 佐怒賀 正美 四方のくちなは

    光りては深空(みそら)はぐれのいかのぼり にんじんに似し教師去り春の虹 火のやうな墓碑立ちて鳥渡るなり 幼木のはくれんひらく魂あらし 特攻兵たりける父に亀鳴けり 白鳥のこもごもとほく讃へあふ 牡丹東風(ぼたんこち<

  • 随筆・エッセイ 佐藤 義亮 出版おもいで話

    私は前から、長い出版生活のおもい出を書いて見たいと思っていた。今回、社(新潮社)の祝賀会に際し、急にこういう本をこしらえることになり、あわてて少しばかり書いて見た。しかしこれは思い出のほんの断片にすぎないし、匆卒(そうそつ)の際で年代や何かを十分調べる余裕もなかった。他日、まとまったものを、ゆっくり書くことの機会を得たら、この補いをさせてもらおうと思っている。 佐藤 義亮 <p

  • 評論・研究 佐藤 公平 林芙美子の年齢

    ──私は明治三十七年十二月三十一日に、山口県の下関市で生まれた。田中町の錻力屋さんの二階で生まれたと云ふ事である。母は鹿児島の出で、父は四国の伊予の周桑郡の出である。母は温泉宿をいとなみ、父はその頃紙商人として桜島へ渡った様子だ。 これは芙美子著書『放浪記1 林芙美子文庫』あとがきの引用である。 彼女の誕生日は、戸籍上明治36年12月31日だが、昭和26年6月28日の没後も随分長い間おおやけには明治37年生まれと信じられており、最初の年譜を編んだ板垣直子は、『林芙美子の生涯 ─うず潮の人生─』(大和書房 昭和40年)で、次のように弁明している。 </

  • 小説 佐藤 紅緑 行火

    奥州は津軽の城下に、名高い七夕の侫武多(ねぷた)祭が済んで門に火を焚く盆の頃になると、林檎がそれぞれに美しい色を染め出す。地福村といふのは弘前の町から半町となき西南の小さな村で、遠く館野の方から見ると只だ一帯の林檎畠。特に朝の静かな眺めは格別なもので、薄く白い霧の中に包まれた一廓は滑かな葉を瀰(わたる)紅、黄、紫などの林檎の色に、恰(さな

  • 佐藤 惣之助 女の幼き息子に

    潜水夫 潜水夫は武装した星の兵卒である。 金(きん)の頭を 暗(やみ)の中にとぢこめ 全身に 風と水の鱗や獣皮をつける。 兜をもつて、星を閉ぢ、世界を隔て 波濤の

  • 小説 佐藤 和子 消えない灯

    1 母娘の再会を祝うその夜の晩餐は、物資の乏しい戦時下としては驚くほど豪華なものだった。床の間の香炉からは気品ある香りが仄かに立ちのぼり、朝、通されたとき見た仏像の掛物も、いつのまにか慶事用の鶴の軸に取りかえられている。緑の絨毯(じゅうたん)を敷きつめたその十畳の客間は、珍客のときだけ使う特別の部屋らしく、大きな床の間・違い棚の、人を威圧するほどに立派なのが、この家に馴れぬ慧子には却って落ち着けない感じだった。一同が席につくと、和服の背を床柱にもたせ

  • 左川 ちか 雲のやうに

    果樹園を昆虫が緑色に貫き 葉裏をはひ たえず繁殖してゐる。 鼻孔から吐きだす粘液、 それは青い霧がふつてゐるやうに思はれる。 時々、彼らは 音もなく羽搏(はばた)きをして空へ消える。 婦人らはいつもただれた目付で 未熟な実を拾つてゆく。 空には無数の瘡痕がついてゐる。 肘のやうにぶらさがつて。 そ

  • 小説 斎藤 史子 濁流

    1 炊事場の椅子に腰掛けて、クァンはぼんやり水を見ていた。家の裏が湖になった。向こう岸もかすんで見えない水のひろがりだ。水は同じ場所にたゆたっているようで、浮かんだ塵芥は少しずつ移動しているからやはり川だ。こんなに水が出たのは何十年振りか、いやここに住み出してから初めてのような気もする。 二日前、「ばあちゃん、大変だ!」という孫娘のティエンの声に起こされて下に来てみると、炊事場まで川の水が押し寄せていた。雨季は終わりかけていたのに、十日も雨が続いていて川は増水していた。 「気をつけないと危ないぞ」 「水に流される

  • 小説 斎藤 史子 まだ生きている

    二階の廊下に掃除機をかけたついでに娘の部屋のドアを開く。一瞬どうしようかと迷ったが、そのまま掃除機を引っ張って中に足を踏み入れた。娘の由佳は三十歳も半ばを過ぎるというのに、親に部屋に入られても嫌がる風もない。時に掃除をしておくと有難がるぐらいである。小さい時は弟の克巳と親子四人、狭いアパート暮らしをしたせいかもしれない。市の郊外に無理をして一戸建てを建ててからは子供二人に個室を与えられたが、その時は既に由佳は大学生、克巳は高校生であった。 「受験勉強に危うくセーフ、やっと一人になれる」 と克巳が喜ぶと、 「一人になって却って勉強できなく

  • 評論・研究 斎藤 野の人 泉鏡花とロマンチク

    一 はでやかで鮮かで意気な下町風の女の夕化粧じみた紅葉の小説や、哲理とか何とか云つて重つくるしい露伴の小説や、基督教趣味で信仰で固めて、ちと西洋臭い様な蘆花の小説や、それから此頃名高いこれこそ本当の小説家である漱石、殊に智慧にも富み機智にも充たされて、飽くまでも西洋の学問と文化とを日本の趣味に醇化したこの新小説家の小説を読んでから、飜(ひるがへ)</r

  • 小説 斎藤 緑雨 わたし舟

    黄昏(たそがれ)の帰り路(ぢ)を少しも早くと渡し場に到れば、われより先に五十許(ばかり)なる女の、唯ひとり踞(つくば)ひたるが軽く手を縁(へり<

  • 小説 細田 民樹 多忙な初年兵

    私達は随分忙(せわ)しくなつて来た。 朝のうち、駈歩(かけあし)や体操で演習解散になると、食事当番に行く者は兵舎の南側へ整列して、舎内週番上等兵が炊事へ引率してくれるのを待つてゐた。この勤務の上等兵は時には用事をしてゐることもあるけれど、大概食事時間になると厩(うまや)から帰つて

  • 随筆・エッセイ 坂口 安吾 堕落論

    半年のうちに世相は変った。醜(しこ)の御楯(みたて)といでたつ我は。大君(おおぎみ)のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずくこと

  • 随筆・エッセイ 坂本 四方太 夢の如し

    自 序 「夢の如し」は三年ばかり前からボツボツ雑誌に掲載したのを、今度思立つて一纏めにしたものである。余は之を纏めて出版するに就いて一考した。斯様な片々たる文章を集めて、再び世の人に示す必要があるかどうかと考へた。全体余の今の文藝観では、心に深い感動が無ければ文章を書くな、といふのが根柢になつて居る。然るに「夢の如し」はどうかといふと、勿論そんな考で書始めたものでは無い。して見れば今之を出版する必要は無いのかも知れぬ。さうかといつて断然打捨てゝ了ふ気にもならぬ。何故であらうかと考直して見るに、深い感動とまでは行か