検索結果 全1055作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 小説 木下 尚江 火の柱(抄)

    (十四 承前) と篠田はお花を奨(はげ)ましつ「誠(まこと)に世の中は不幸なる人の集合(あつまり)と云うても差支(さしつかへ<

  • 木全 功子 座り直す

    目次 座り直す 闇のむこう めぐる 息を詰める 耳鳴り 来世など信じない 花びら 古い新聞 魂よ

  • 評論・研究 木村 亨 横浜事件の真相 再審裁判へのたたかい(抄)

    目次 降伏放送直後の細川レポート 敗戦直後の裁判所側のうろたえざま 事件のでっち上げは誰の謀略か 出獄直後の体調を整える ぼた餅のたべ方を知らない日本人 笹下会の結成と共同告発 <a href="#C7

  • 小説 木村 曙 操(みさを)くらべ

    春 心ありて風のにほはす梅のそのまづ鶯の問はずやあるべき 香り来る、花のたよりに皆人の、はるばると問ふ梅の園、いづれおとらぬにぎはひに、人の心も興ずめり、茲(こゝ)ハ都に程近き、亀井戸村に其名さへ、老松(おいまつ)と聴(

  • 随筆・エッセイ 木村 徳三 文芸編集者 その跫音(抄)

    改造社解散前後 昭和十年代が、日本の近代文学史上、際立って多彩な収穫期だとするのが定説になっているが、それは太平洋戦争の勃発によって終止符を打たれたといってよい。端的なあらわれは、その年の夏、東京新聞に連載中の徳田秋声氏の「縮図」が当局の圧力によって掲載中止させられたことであった。 時勢はそこまできているのかという感が私たちの胸に痛烈にきた。『文藝』にあっても、昭和十四年に高見順氏の「如何なる星の下に」、十五年の中野重治氏の「空想家とシナリオ」の連載以後は、これという佳品は得られなかった。表現の自由を奪われた文学者の大半は沈黙せざるを得ず、しか

  • 小説 木村 良夫 嵐に抗して<昭和5年(1930)発表>

    工場から帰つて見ると置き手紙があつた。筆跡は同居人の吉村である。 「僕の帰る迄待つて居てくれたまえ」と、吉村は私が今夜九時迄に工場分会に集会が在るので、出席しなければならない事は知つて居る筈だつた。それなのに、私が工場から帰るのを待たずに、置手紙をして行つたのには、分会に対する特別の問題があるのか、又は分会の集会よりもつと重大な仕事が出来たのか、何(いず)れかだつた。七時が過ぎ八時が過ぎても吉村は帰らなかつた。分会では私の行くのを待つて居るだろうと思うが、吉村はそれを承知の

  • 木島 始 日本共和国初代大統領への手紙

    大統領よ ぼくらの大統領よ おくらせてもらおう すぐ消(き)えるようでいて消(け)せない手紙を きみに 夢の絵文字になって現われるようにとの 真夜中の手紙を 心が植えた真昼の手紙を 光をあてれば雲と散る夢もあれば 謎ときの光

  • 木島 始 予兆

    1 ぼくらは ひととき その予兆に たじろいだ 原始の沃野から 古代から 中世の信仰へ その中世から 言い伝えられた魂のように 上昇する一瞬の 煙となって ぼくらの肉体のすべてが焼きつくされる日 ぼくらの家が バラックが ぼくらの樹木が 黒く 全人類の 全地球の 空を焦が

  • 評論・研究 門 玲子 只野真葛小伝

    父と娘 只野真葛は江戸女流文学者の中では、ひときわ大きな異色の存在であるが、その生涯や作品が一般に広く知られているとは言いがたい。他の女流文学者たちも同様である。今、真葛の作品を論ずる前に、その生涯を一通り辿ってみたいと思う。 真葛の生涯を考えるときに、その父工藤平助の存在を抜きにすることはできない。父平助の活躍期と真葛の成長期は、綯いあわされた一本の綱のように絡まっており、また真葛の後半生も強く父に規制されている。 只野真葛は宝暦十三年(一七六三)、江戸日本橋数寄屋町で生まれた

  • 随筆・エッセイ 門 玲子 江戸女流文学に魅せられて

    江馬細香との出会い もう三○年以上前のことになる。ある日、故中村真一郎氏の随筆『氷花の詩』(冬樹社・昭和四六年)を読んでいた。亡くなった金沢の友人が「二冊あるから」と貸して下さったものだ。私は以前から中村氏のエッセイ、評論を愛読していた。氏は作家でありフランス文学者なので、当然ヨーロッパ全般の文学に造詣が深く、また平安王朝文学にも通じておられる。『氷花の詩』には中村氏の知の世界が、西洋と日本を、現在と過去を自在に往き来して、縦横に語られていた。 <p

  • 小説 門脇 照男 風呂場の話

    風呂場を建てよう、と言い出したのは父だった。 「木は山へ行ったら、いくらでもあるけん」というので、僕は父について山へいった。 僕はそれまで、父の山へ行ったことがなかった。 「お前もうちの山がどんな山か、どこが境か見ておいたらいい」と父は言った。 「うん」と僕はきまり悪げに返事して、この年がきて(僕は今年、満三十七才になった)まだ父に百姓仕事は任せ切り、気儘な学校勤めをしていることを恥ずかしく思った。僕はこの家へ養子に来てから、ほんとに百姓仕事はしなかった。しなかったというよりは、そんな百姓仕事を極端に嫌って、スキがあれば

  • 随筆・エッセイ 野間 清治 『キング』創刊前後

    禍の効用 大正十二年(1923)の震災によって、直接間接こうむった損害を金に見積ったらどれくらいになるか、かなりの額に上ったのであるが、しかしあくまでも「禍の効用」を信じてやまない私は、むしろこの災難がもたらした利益の方を計算したい。その利益の一つは、私がそれまでに企図した最大の計画、すなわち大正十三年(1924)の一月を目指して準備を進めつつあった『キング』の発刊、これが震災に遭って延期を余儀なくされたことである。この延期のために、

  • 評論・研究 野田 宇太郎 異国情調の文藝運動

    序 説 「パンの会は一面放肆(はうし)なところもあつたが、畢竟するに一の文藝運動で、因循な封建時代の遺風に反対する欧化主義運動であつた。例の印象派の理論、パルナシャン又サンボリストの詩、一体に欧羅巴(ヨーロッパ)のその頃の文藝評論などが之に気勢を添へ、明星又スバル、方寸、屋上庭園、或は自由劇場といふやうなものの起つた時代

  • 評論・研究 矢部 登 結城信一の青春

    1 二つの『百本の茨』 結城信一が六十代最後の仕事としたのは『百本の茨』の完結であった。 『百本の茨』とは、亡くなられた年、昭和五十九年の「新潮」五月号に〈序章〉にあたる「有明月」を、三ケ月後の同誌八月号に〈其二〉にあたる「暁紅」の二篇のみが発表されただけで、結城信一の死により惜しくも中断し、未完に終った自伝的連作小説の標題なのである。この未完の長篇『百本の茨』は、結城信一が命を賭し、最後の精魂を傾けた仕事であったことはいうまでもない。 じっさい、《「新潮」五月号から断続的に小説を書きます。序章を書いただけで

  • 薬師川 虹一 連詩 風化

    目 次 更 地更 地 (2)剥離する記憶風化するとき風 化 更 地

  • 随筆・エッセイ 柳田 泉 女性作家七人語

    湘烟女史 中島俊子 湘烟女史は、必ずしも作家といふ分類にピッタリと納まる人ではないが、明治及びそれ以後の女性に就いて語るときには、政治であらうと、婦人運動であらうと、社会運動であらうと、文芸であらうと第一に出される大きな名だ。それだけ偉い女性だ、偉いといふ点では明治以後、下田歌子を除けたら、これ程偉い女性はゐなかつたらう。人真似もかういふ真似はいゝと思ふから、私も湘烟女史のお話から始める。 女史の伝記はいつか詳しく紹介してもいゝと考へてゐるが、此の号ではいづれ誰かゞ書かれるかとも思ふ

  • 有働 薫 岸壁の国

    薄い黄色の 菩提樹の花が終わる頃 ブレストのバスターミナルから ポルスポデール行きのバスに乗る 体格のいいブリュネットのおばさんの運転する大型バスが 街の西側の郊外へ出て きれいに整備されたオートルートをゆったりと行く はじめのうちは万国的な郊外風景 サンルナンをすぎて 「プルーダルメゾーへ17k」の標識を読むころ あたりに建物の影がうすれはじめると ラベンダーとトウモロコシ

  • 小説 由起 しげ子 本の話

    一 私の義兄(あに)、白石淳之介はその年の二月一日、静かな晩、神戸市外のK病院の一室で五十八歳の生涯を閉じた。喉頭結核であった。病名は喉頭結核であったが、事実は栄養失調死であった。自ら自身の肉を削り血を涸(か)らしてずかずか死の方へ向って歩いて行くという死に方であった。戦災でそれ一着しかない、教壇に立つにも炊事をするにも買い

  • 与謝野 晶子 あゝをとうとよ戰ひに

    君死にたまふこと勿れ (旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて) あゝをとうとよ君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生れし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せとをしへしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや

  • 与謝野 晶子 そぞろごと

    ○ 山の動く日来(きた)る。 かく云へども人われを信ぜじ。 山は姑(しばら)く眠りしのみ。 その昔に於て 山は皆火に燃えて動きしものを。 されど、そは信ぜずともよし。 人よ、ああ、唯これを信ぜよ。 すべて眠りし女<r