検索結果 全1047作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 評論・研究 門 玲子 只野真葛小伝

    父と娘 只野真葛は江戸女流文学者の中では、ひときわ大きな異色の存在であるが、その生涯や作品が一般に広く知られているとは言いがたい。他の女流文学者たちも同様である。今、真葛の作品を論ずる前に、その生涯を一通り辿ってみたいと思う。 真葛の生涯を考えるときに、その父工藤平助の存在を抜きにすることはできない。父平助の活躍期と真葛の成長期は、綯いあわされた一本の綱のように絡まっており、また真葛の後半生も強く父に規制されている。 只野真葛は宝暦十三年(一七六三)、江戸日本橋数寄屋町で生まれた

  • 随筆・エッセイ 門 玲子 江戸女流文学に魅せられて

    江馬細香との出会い もう三○年以上前のことになる。ある日、故中村真一郎氏の随筆『氷花の詩』(冬樹社・昭和四六年)を読んでいた。亡くなった金沢の友人が「二冊あるから」と貸して下さったものだ。私は以前から中村氏のエッセイ、評論を愛読していた。氏は作家でありフランス文学者なので、当然ヨーロッパ全般の文学に造詣が深く、また平安王朝文学にも通じておられる。『氷花の詩』には中村氏の知の世界が、西洋と日本を、現在と過去を自在に往き来して、縦横に語られていた。 <p

  • 小説 門脇 照男 風呂場の話

    風呂場を建てよう、と言い出したのは父だった。 「木は山へ行ったら、いくらでもあるけん」というので、僕は父について山へいった。 僕はそれまで、父の山へ行ったことがなかった。 「お前もうちの山がどんな山か、どこが境か見ておいたらいい」と父は言った。 「うん」と僕はきまり悪げに返事して、この年がきて(僕は今年、満三十七才になった)まだ父に百姓仕事は任せ切り、気儘な学校勤めをしていることを恥ずかしく思った。僕はこの家へ養子に来てから、ほんとに百姓仕事はしなかった。しなかったというよりは、そんな百姓仕事を極端に嫌って、スキがあれば

  • 随筆・エッセイ 野間 清治 『キング』創刊前後

    禍の効用 大正十二年(1923)の震災によって、直接間接こうむった損害を金に見積ったらどれくらいになるか、かなりの額に上ったのであるが、しかしあくまでも「禍の効用」を信じてやまない私は、むしろこの災難がもたらした利益の方を計算したい。その利益の一つは、私がそれまでに企図した最大の計画、すなわち大正十三年(1924)の一月を目指して準備を進めつつあった『キング』の発刊、これが震災に遭って延期を余儀なくされたことである。この延期のために、

  • 評論・研究 野田 宇太郎 異国情調の文藝運動

    序 説 「パンの会は一面放肆(はうし)なところもあつたが、畢竟するに一の文藝運動で、因循な封建時代の遺風に反対する欧化主義運動であつた。例の印象派の理論、パルナシャン又サンボリストの詩、一体に欧羅巴(ヨーロッパ)のその頃の文藝評論などが之に気勢を添へ、明星又スバル、方寸、屋上庭園、或は自由劇場といふやうなものの起つた時代

  • 評論・研究 矢部 登 結城信一の青春

    1 二つの『百本の茨』 結城信一が六十代最後の仕事としたのは『百本の茨』の完結であった。 『百本の茨』とは、亡くなられた年、昭和五十九年の「新潮」五月号に〈序章〉にあたる「有明月」を、三ケ月後の同誌八月号に〈其二〉にあたる「暁紅」の二篇のみが発表されただけで、結城信一の死により惜しくも中断し、未完に終った自伝的連作小説の標題なのである。この未完の長篇『百本の茨』は、結城信一が命を賭し、最後の精魂を傾けた仕事であったことはいうまでもない。 じっさい、《「新潮」五月号から断続的に小説を書きます。序章を書いただけで

  • 薬師川 虹一 連詩 風化

    目 次 更 地更 地 (2)剥離する記憶風化するとき風 化 更 地

  • 随筆・エッセイ 柳田 泉 女性作家七人語

    湘烟女史 中島俊子 湘烟女史は、必ずしも作家といふ分類にピッタリと納まる人ではないが、明治及びそれ以後の女性に就いて語るときには、政治であらうと、婦人運動であらうと、社会運動であらうと、文芸であらうと第一に出される大きな名だ。それだけ偉い女性だ、偉いといふ点では明治以後、下田歌子を除けたら、これ程偉い女性はゐなかつたらう。人真似もかういふ真似はいゝと思ふから、私も湘烟女史のお話から始める。 女史の伝記はいつか詳しく紹介してもいゝと考へてゐるが、此の号ではいづれ誰かゞ書かれるかとも思ふ

  • 有働 薫 岸壁の国

    薄い黄色の 菩提樹の花が終わる頃 ブレストのバスターミナルから ポルスポデール行きのバスに乗る 体格のいいブリュネットのおばさんの運転する大型バスが 街の西側の郊外へ出て きれいに整備されたオートルートをゆったりと行く はじめのうちは万国的な郊外風景 サンルナンをすぎて 「プルーダルメゾーへ17k」の標識を読むころ あたりに建物の影がうすれはじめると ラベンダーとトウモロコシ

  • 小説 由起 しげ子 本の話

    一 私の義兄(あに)、白石淳之介はその年の二月一日、静かな晩、神戸市外のK病院の一室で五十八歳の生涯を閉じた。喉頭結核であった。病名は喉頭結核であったが、事実は栄養失調死であった。自ら自身の肉を削り血を涸(か)らしてずかずか死の方へ向って歩いて行くという死に方であった。戦災でそれ一着しかない、教壇に立つにも炊事をするにも買い

  • 与謝野 晶子 あゝをとうとよ戰ひに

    君死にたまふこと勿れ (旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて) あゝをとうとよ君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生れし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せとをしへしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや

  • 与謝野 晶子 そぞろごと

    ○ 山の動く日来(きた)る。 かく云へども人われを信ぜじ。 山は姑(しばら)く眠りしのみ。 その昔に於て 山は皆火に燃えて動きしものを。 されど、そは信ぜずともよし。 人よ、ああ、唯これを信ぜよ。 すべて眠りし女<r

  • 短歌 与謝野 晶子 明治の与謝野晶子短歌(抄)

    『乱れ髪』 その子二十(はたち)櫛(くし)に流るる黒髪のおごりの春の美しきかな 清水(きよみづ)へ

  • 与謝野 鐵幹 誠之助の死

    大石誠之助は死にました、 いい気味な、 機械に挟まれて死にました。 人の名前に誠之助は沢山ある、 然し、然し、 わたしの友達の誠之助は唯一人。 わたしはもうその誠之助に逢はれない、 なんの、構ふもんか、 機械に挟まれて死ぬやうな、 馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。 それでも誠之助は死にました、 おお、死にました。 日本人で無かつた誠之助、 立派な気ち

  • 評論・研究 陽羅 義光 テロと文学

    1 テロや文学を語るにおいて、資格もしくは資格めいたものが必要かどうか、私には皆目解らないが、もしそんなものが必要だとしたなら、若干手前みそであっても、私にはそれがあると、やや声を落として断言できる。 文学の素人でも大いに文学を語るべきだとの見解を、妥当とみる論者は、その語ったことによって、いや語る前後の己れの勉学と精進によって、大文学者になるかもしれないではないかとの、甘い可能性をおそらく、その理屈の裏に秘めている。 あるいは、頭のかたいことを言わず、表現の自由なのだから、誰が

  • 小説 陽羅 義光 暗愁

    1 なまぬるい不吉な風が彼の心に吹きはじめている。気づいたときにはもう抵抗する力は失せていた。 ただ得体のしれぬ風に翻弄される。嘲笑される。 なす術もなく彷徨(さまよ)う。あるいは立ちつくしているのだった。 ごったがえす駅の改札で。うるさいだけの街の雑踏のなかで。 にぎわうショッピング・センターのフロアで。たむろする映画館のロビーで。 <

  • 陽羅 義光 ひらよしみつ詩集

    四角い宇宙 月 心がキレイになる時がある 一年に一度 いや十年に一度 そんなとき死にそこなって 四十歳になった THE MOON There will be the time for my heart to be pure and tender; Once a

  • 随筆・エッセイ 淀野 隆 私の万博体験~モノとヒトの出会いのドラマ~

    目 次 序 章 博覧会の起源 西洋と日本の原点第1章 戦後日本民族の大移動 共通体験の場・博覧会第2章 沖縄返還記念 海洋型博覧会の開催第3章 学園、研究都市構想 科学する心の醸成第4章 再び大阪へ 我が国初の「環境博」第5章 2度の開催中止

  • 評論・研究 陸 羯南 「日本」創刊

    「日本」創刊の趣旨 新聞紙たるものは政権を争ふの機関にあらざれば則ち私利を射るの商品たり。機関を以て自ら任ずるものは党義に偏するの謗(そしり)を免れ難く商品を以て自(みづか)ら居(を</

  • 小説 立原 正秋 冬のかたみに

    第一章 幼年時代 父が無量寺から十日ぶりに下山してきた早春のある日の夕食のときだった。父と母は、春から私を黙渓書院に通わせるか、それとも無量寺の老師のもとに通わせるかで話しあっていた。私は父と同じ膳にむかい、母はつぎの間で弟と膳にむかっていた。父が下山してきたので食膳には牛の骨つき肋肉(カルビ)が出ており、下女(げじょ)が炭火で焼きあげた肋肉を順次に