検索結果 全1008作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 短歌 櫟原 聰 歌の渚

    りんごひとつ手にもつ時に空深く果実に降るは果実の時間 『光響』抄 拒みつつ青年となるわがそばに火のごとく澄む青空ありき 樹に寄りて空を見てゐる人たちのかなしみとしてしづかな未来 はるかなる祈りはきこゆ近寄れば樫ひとしきり葉を降らせたり しづかなる生命恋しき樫の木の艶ある葉こそ青空の霊 <

  • 短歌 櫟原 聰 火と樹と

    あかつきの夏野を走る鹿あれば太き腕に抱きしめられむ (火謡) 空と風のレストラン森に開店す木の実を摘みに森へ行かうよ この街のしづかなる空に流れたる青き時間よ子や樹を目守(まも)れよ ゆく雲よ夏の終はりのはぐれ雲いま少しわれに時間をたまへ

  • 評論・研究 淺見 淵 「細雪」の世界

    谷崎潤一郎が太平洋戦争を中に挾んで足掛け七年の歳月を費して完成したという「細雪(ささめゆき)」について、下巻が去年の暮れに上梓(じようし)されるに及んで、ぼつぼつその批評があちらこちらに散見されるようになった。 今までの

  • 評論・研究 淺見 淵 藝術主義の頽廃について

    福田清人の新著「十五人の作家との対話」の志賀直哉のところを読むと、志賀文学に陶磁器や絵画についての記述が多いことが指摘されている。 これに関聨して憶(おも)い出すことは、自然主義文学全盛時代、反自然主義文学に対してジレッタント呼ばわりしたことである。ところが、今日になつて顧みてみると、案外、自然主義作品が残つていないで、ジレッタント呼ばわりされた反自然主義作品のほうが残つている。また、今日残つている自然主義作品の作者にしても、田山花袋は桂園派の和歌を嗜

  • 評論・研究 潁原 退蔵 春風馬堤曲の源流

    安永六年(1777)の正月、蕪村は『夜半楽』と題した春興の小冊を出した。その中に「春風馬堤曲」十八首と「澱河歌」三首とが収められてある。それは一見俳句と漢詩とを交へて続けたやうなものであるが、実は必ずしもさうではない。言はば一種の自由詩である。しかも格調の高雅、風趣の優婉、連句や漢詩とはおのづから別趣を出すものがあつて、人をして愛誦せしめるに足る。その体は日本韻文史上にも独特の地位を占むべきもので、ひとり形式の特異といふ点のみでなく、一の文藝作品として確かに高度の完成した美を示して居ると言つて宜(よ)<

  • 評論・研究 澤辺 正修 國約憲法見込案(明治13年(1880)11月以前に起草したと推定)

    大日本国憲法 第一篇 第一条 大日本ハ、立憲君主政体ニシテ天照大御神ノ皇統ノ知(しろ)シ召ス国ナリ。皇統ニアラザレバ天ツ日嗣(ひつぎ)ヲ継(つが)セ給フ可カラ

  • 随筆・エッセイ 濱 幸子 日本の文様

    1.文様のいろいろ 格別の暑さだった今夏、若い人の彩色豊かなゆかた姿を多くみかけました。それなりに可愛らしく目を楽しまてくれましたが、やはりゆかたは藍の匂う古典柄をすっきりと着てほしいと思ったのは私だけでしょうか。そこで「日本の文様」とは、と考えたのです。 「ねェ、日本の文様といったら先ず何を思う?」と私。「うーん、麻の葉かしら」と友人。 「麻の葉」といってもピンとこない人もありましょう。戦前、赤ちゃんの産着(うぶぎ)や

  • 評論・研究 眞有 澄香 〈毒婦〉という教育

    はじめに ここでいう〈毒婦〉とは、明治五人毒婦の一人に数えられる一方で、〈貴婦人〉とも謳われた〈島津お政〉を指す。志賀直哉『暗夜行路』(大正10年から昭和12年まで「改造」に断続発表。「前編」は大正11年7月に新潮社から刊行)の「前編第二、十二」には、「祇園の八坂神社の場末の寄席といつたやうな小屋」で「懺悔する意味で自身、一代記を演」じていた、「長いマントを着、坊主頭に所謂宗匠帽を被」る女性が描かれているが、「暗夜行路前編」が主として大正元年から3年頃までの取材によるものであり、松山巌『うわさの遠近法』(講談社学術文庫,1997年,p.72)には〈

  • コラム 眞有 澄香 「文学」の力 ~「生(バース)」が「人生(ライフ)」になるとき~

    高等学校教諭の職を辞し、本格的な文学研究を志して大学院に入学した時、私は研究対象として泉鏡花を選んだ。なぜなら、泉鏡花は「天才」「日本語の魔術師」と称される偉大な作家だから、という至極単純な理由による。それから私は、当時、明治文学研究の第一人者と目されていた故岡保生先生に師事し、仲間たちと共に鏡花文学に親しみ、自分なりに考えたり、調べたりする、充実した日々を過ごした。それだけではない。泉鏡花と出会ったことで、私は「私」にも出会うことができたのである。いま、あらためて、そのことを振り返ってみたい。 泉鏡花を賞賛した作家を挙げれば、枚挙にいとまがない。夏目漱石、谷崎潤一郎

  • 評論・研究 萬田 務 無言の告発 ―芥川龍之介「地獄変」一面―

    一 はじめに 「地獄変」は、大正七年五月一日から同月二十二日まで(五日と十六日は休載)「大阪毎日新聞」夕刊に、一日遅れて五月二日から二十二日まで(十八日は休載)「東京日日新聞」夕刊に、それぞれ二十回にわたって連載された短篇である。四百字詰原稿用紙にして七十枚程度のものであるが、芥川の作品のなかでは比較的長い部類に属するといえるかも知れない。 芥川は当初、〈地獄変はボムバスティックなので書いてゐても気がさして仕方ありません本来もう少し気の利いたものになる筈だつた〉<span c

  • 釋 迢空 古代感愛集(抄)

    目次 追悲荒年歌幼き春白夏日感傷 四章やまと戀ゆき葎 追悲荒年

  • お知らせ 電子文藝館事務局 電子文藝館とは

    日本ペンクラブは、2010年11月26日(「ペンの日」)で、創立75周年を迎えます。 1935年、島崎藤村を初代会長に据えて、創立されました。 インターネット時代の文学状況の変化を見通し、日本ペンクラブは、電子文藝館を2001年11月26日の「ペンの日」に開設しました。 電子文藝館の掲載作品は、会員・物故会員のほかに、幕末・明治維新から、現在までの日本近代文学の軌跡を鳥瞰できるように、1935年の日本ペンクラブ創立以前の先人たちの優れた作品も、あわせて、積極的に掲載しています。できるだけ、代表作というよりも、秀作、

  • お知らせ 電子文藝館事務局 国際版への誘い

    ようこそ、デジタルライブラリー・インターナショナルエディションへ! 日本ペンクラブ電子文藝館が、リニューアルされました。 さらに、第76回の国際ペン東京大会開催記念コーナーとして、期間限定で、「国際版電子文藝館(デジタルライブラリー・インターナショナルエディション)」が、開設されました。英語に翻訳された日本文学の、いくつかの作品が、ここだけで、独自に公開されています。 トップページ、右上の「インターナショナルエディション」をクリックすると、読むことが出

  • お知らせ 電子文藝館事務局 被災地見舞い

    日本ペンクラブ電子文藝館は、今回の東日本大地震(東北関東大震災)で犠牲になられたすべての方に対して心から哀悼の意を表します。行方不明の方には、一人でも多くの生命が救済されるよう切実に願っております。また、全ての被害者の方に、改めて、お見舞いを申し上げます。 いま、私たちは、大地震と大津波に見舞われた被災地への救助もままならず、もどかしい思いにかられています。とりわけ、惨事を重篤にするとともに拡大した原子力発電事故と事故に伴う放射能汚染については、自然災害に端を発したとはいえ、人災の要素が濃くなっているなかで、国民的な危機感を共有し、真実を世論に訴えて

  • お知らせ 電子文藝館事務局 電子文藝館は、2016年11月に開設15周年を迎えました。

    デジタル時代を迎え、文字でものを書くという表現行為をする私たちにとって、デジタル環境の進化に遅れずに同伴することは必須の行動です。15年前、私たち日本ペンクラブの有志が集い、機関決定を経て、2001年11月26日の「ペンの日」(日本ペンクラブの創設記念日)に、日本ペンクラブの中に電子文藝館委員会が創設され、その活動の場としてデジタルライブラリー機能を持つ「電子文藝館(デジタル・ライブラリー)」を開設しました。 「電子文藝館」に掲載されている作品は、作品掲載に当って、以下のような3つの大きな源泉をもっています。 1)ひとつは日本ペンクラブの会員(先達の

  • お知らせ 電子文藝館事務局 文学館・記念館等リンク

    徳富蘆花記念文学館小田原文学館市立小樽文学館<a href="http://

  • 随筆・エッセイ 畠山 重篤 森は海の恋人(山に翻った大漁旗)

    牡蠣の森を慕う会 彼は牡蠣士だもんな・・・・・・と養殖業仲間の会話で、自他共に認める牡蠣づくりの名人を牡蠣士と呼ぶ。 その人の所有している漁場の良し悪しもあるが、牡蠣養殖の上手下手は、多分に性格的なものがある。振り返ってよく考えてみると、牡蠣と性格が似ている人が、牡蠣士の称号を得ているような気がしてならない。 条件の第一は、性格がゆったりしていることである。神経質で、こせこせした短気な性格は、牡蠣づくりには向いていない。牡蠣はもともと、潮間帯の生き物であるから、毎日、干潮になると夏は陽

  • 小説 嶋川 弘 牧場(まきば)の外へ

    「訴えてやる!」 田村は生ぬるいビールを飲み干した。会社を辞めてまだ一週間。公園に外灯がついた。 勤めて一年も経っていない会社からクビを宣告されたばかりだ。経営が悪化したことに伴うリストラ。四十八歳の働きざかり。 二十年以上も勤めていた会社で次長までなった頃、自分の先が見えたと思っていた。 年収は六百万位で良い方ではないが、中小企業としては仕方ないだろう。妻と子供三人の五人家族。生活は楽ではないので妻は近所の部品組立工場でパートとして働いている。 田村は二十年間健康食品の販売会社でそれなりの営業実績

  • 随筆・エッセイ 鈴木 光子 『いとしのエラ  エラ・マイヤールに捧げる挽歌』

    はじめに プロローグ 声の日々 源(はじまり)の日々 至(きわみ)の 時 <a href="#P06"

  • 小説 木下 正実 アセボ峠

    《目次》 1 2 3 4 5 1 さく、さくと、歩くたび霜柱が、稲を刈