検索結果 全1000作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 木島 始 予兆

    1 ぼくらは ひととき その予兆に たじろいだ 原始の沃野から 古代から 中世の信仰へ その中世から 言い伝えられた魂のように 上昇する一瞬の 煙となって ぼくらの肉体のすべてが焼きつくされる日 ぼくらの家が バラックが ぼくらの樹木が 黒く 全人類の 全地球の 空を焦が

  • 評論・研究 門 玲子 只野真葛小伝

    父と娘 只野真葛は江戸女流文学者の中では、ひときわ大きな異色の存在であるが、その生涯や作品が一般に広く知られているとは言いがたい。他の女流文学者たちも同様である。今、真葛の作品を論ずる前に、その生涯を一通り辿ってみたいと思う。 真葛の生涯を考えるときに、その父工藤平助の存在を抜きにすることはできない。父平助の活躍期と真葛の成長期は、綯いあわされた一本の綱のように絡まっており、また真葛の後半生も強く父に規制されている。 只野真葛は宝暦十三年(一七六三)、江戸日本橋数寄屋町で生まれた

  • 随筆・エッセイ 門 玲子 江戸女流文学に魅せられて

    江馬細香との出会い もう三○年以上前のことになる。ある日、故中村真一郎氏の随筆『氷花の詩』(冬樹社・昭和四六年)を読んでいた。亡くなった金沢の友人が「二冊あるから」と貸して下さったものだ。私は以前から中村氏のエッセイ、評論を愛読していた。氏は作家でありフランス文学者なので、当然ヨーロッパ全般の文学に造詣が深く、また平安王朝文学にも通じておられる。『氷花の詩』には中村氏の知の世界が、西洋と日本を、現在と過去を自在に往き来して、縦横に語られていた。 <p

  • 小説 門脇 照男 風呂場の話

    風呂場を建てよう、と言い出したのは父だった。 「木は山へ行ったら、いくらでもあるけん」というので、僕は父について山へいった。 僕はそれまで、父の山へ行ったことがなかった。 「お前もうちの山がどんな山か、どこが境か見ておいたらいい」と父は言った。 「うん」と僕はきまり悪げに返事して、この年がきて(僕は今年、満三十七才になった)まだ父に百姓仕事は任せ切り、気儘な学校勤めをしていることを恥ずかしく思った。僕はこの家へ養子に来てから、ほんとに百姓仕事はしなかった。しなかったというよりは、そんな百姓仕事を極端に嫌って、スキがあれば

  • 随筆・エッセイ 野間 清治 『キング』創刊前後

    禍の効用 大正十二年(1923)の震災によって、直接間接こうむった損害を金に見積ったらどれくらいになるか、かなりの額に上ったのであるが、しかしあくまでも「禍の効用」を信じてやまない私は、むしろこの災難がもたらした利益の方を計算したい。その利益の一つは、私がそれまでに企図した最大の計画、すなわち大正十三年(1924)の一月を目指して準備を進めつつあった『キング』の発刊、これが震災に遭って延期を余儀なくされたことである。この延期のために、

  • 野口 米次郎 われ山上に立つ

    かくてわれ山上に立ち、 生命と沈黙の勇者……勝ち誇り、 空に眼(まなこ)をむけ、突立ちあがり、 没せんとする太陽(ひ)を見て微笑み、麗しく悲しき告別を歌ふ。 夕(ゆふべ)は神秘にてわれをとり巻き、 そ

  • 小説 野上 豊一郎 お菊さん(抄)(ピエール・ロチ『マダム・クリザンテエム』より)

    リシュリウ公爵夫人に 公爵夫人、 此の本を非常に敬虔な友情のしるしとしてお受けください。 私は此の本をあなたに捧げることを躊躇してゐました。題材がふさはしいものに思へなかつたからです。けれどもその表現法に於いて私は決して悪い趣味に堕しないやうに努めました。さうしてそこまで達せられたことを望んで居ります。 これは私の生涯のうちの或る一と夏の日記です。私は少しの変更も加へず、日附さへそのままにしました。それは、私の場合に

  • 評論・研究 野田 宇太郎 異国情調の文藝運動

    序 説 「パンの会は一面放肆(はうし)なところもあつたが、畢竟するに一の文藝運動で、因循な封建時代の遺風に反対する欧化主義運動であつた。例の印象派の理論、パルナシャン又サンボリストの詩、一体に欧羅巴(ヨーロッパ)のその頃の文藝評論などが之に気勢を添へ、明星又スバル、方寸、屋上庭園、或は自由劇場といふやうなものの起つた時代

  • 小説 矢崎 嵯峨の舎(嵯峨の屋御室) 初戀

    嗚呼(あゝ)思ひ出(いだ)せばもウ五十年の昔となツた。見なさる通り今こそ頭(かしら)に雪を戴き、額に此(この)様な波を寄せ、貌(かほ<

  • 評論・研究 矢部 登 結城信一の青春

    1 二つの『百本の茨』 結城信一が六十代最後の仕事としたのは『百本の茨』の完結であった。 『百本の茨』とは、亡くなられた年、昭和五十九年の「新潮」五月号に〈序章〉にあたる「有明月」を、三ケ月後の同誌八月号に〈其二〉にあたる「暁紅」の二篇のみが発表されただけで、結城信一の死により惜しくも中断し、未完に終った自伝的連作小説の標題なのである。この未完の長篇『百本の茨』は、結城信一が命を賭し、最後の精魂を傾けた仕事であったことはいうまでもない。 じっさい、《「新潮」五月号から断続的に小説を書きます。序章を書いただけで

  • 薬師川 虹一 連詩 風化

    目 次 更 地更 地 (2)剥離する記憶風化するとき風 化 更 地

  • 随筆・エッセイ 柳田 泉 女性作家七人語

    湘烟女史 中島俊子 湘烟女史は、必ずしも作家といふ分類にピッタリと納まる人ではないが、明治及びそれ以後の女性に就いて語るときには、政治であらうと、婦人運動であらうと、社会運動であらうと、文芸であらうと第一に出される大きな名だ。それだけ偉い女性だ、偉いといふ点では明治以後、下田歌子を除けたら、これ程偉い女性はゐなかつたらう。人真似もかういふ真似はいゝと思ふから、私も湘烟女史のお話から始める。 女史の伝記はいつか詳しく紹介してもいゝと考へてゐるが、此の号ではいづれ誰かゞ書かれるかとも思ふ

  • 評論・研究 有島 武郎 惜しみなく愛は奪ふ

    概念的に物を考へる事に慣らされた我等は、「愛」と云ふ重大な問題を考察する時にも、極(ごく)習俗的な概念に捕へられて、正当な本能からは全く対角線的にかけへだたつた結論を構出してゐる事があるのではないか。「惜しみなく与へ」とポーロの云つた言葉は愛する者の為す所を的確に云ひ穿(うが)つた言葉だ。実際愛する者の行為の第一の特徴は与へる事だ。放射する事だ。我等はこの現象から出発して愛の本質を帰納しやうと

  • 小説 有島 武郎 An Incident

    彼はとうとう始末に困(こう)じて、傍(かたはら)に寝てゐる妻をゆり起した。妻は夢心地に先程から子供のやんちやとそれをなだめあぐんだ良人(おつと)の声とを意識してゐたが、夜着に彼の手を感ずると、警鐘を聞いた消防夫の敏捷(びんせ

  • 有働 薫 岸壁の国

    薄い黄色の 菩提樹の花が終わる頃 ブレストのバスターミナルから ポルスポデール行きのバスに乗る 体格のいいブリュネットのおばさんの運転する大型バスが 街の西側の郊外へ出て きれいに整備されたオートルートをゆったりと行く はじめのうちは万国的な郊外風景 サンルナンをすぎて 「プルーダルメゾーへ17k」の標識を読むころ あたりに建物の影がうすれはじめると ラベンダーとトウモロコシ

  • 小説 由起 しげ子 本の話

    一 私の義兄(あに)、白石淳之介はその年の二月一日、静かな晩、神戸市外のK病院の一室で五十八歳の生涯を閉じた。喉頭結核であった。病名は喉頭結核であったが、事実は栄養失調死であった。自ら自身の肉を削り血を涸(か)らしてずかずか死の方へ向って歩いて行くという死に方であった。戦災でそれ一着しかない、教壇に立つにも炊事をするにも買い

  • 与謝野 晶子 あゝをとうとよ戰ひに

    君死にたまふこと勿れ (旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて) あゝをとうとよ君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生れし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せとをしへしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや

  • 与謝野 晶子 そぞろごと

    ○ 山の動く日来(きた)る。 かく云へども人われを信ぜじ。 山は姑(しばら)く眠りしのみ。 その昔に於て 山は皆火に燃えて動きしものを。 されど、そは信ぜずともよし。 人よ、ああ、唯これを信ぜよ。 すべて眠りし女<r

  • 短歌 与謝野 晶子 明治の与謝野晶子短歌(抄)

    『乱れ髪』 その子二十(はたち)櫛(くし)に流るる黒髪のおごりの春の美しきかな 清水(きよみづ)へ

  • 与謝野 鐵幹 誠之助の死

    大石誠之助は死にました、 いい気味な、 機械に挟まれて死にました。 人の名前に誠之助は沢山ある、 然し、然し、 わたしの友達の誠之助は唯一人。 わたしはもうその誠之助に逢はれない、 なんの、構ふもんか、 機械に挟まれて死ぬやうな、 馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。 それでも誠之助は死にました、 おお、死にました。 日本人で無かつた誠之助、 立派な気ち