検索結果 全1055作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 小説 神西 清 雪の宿り 初出年: 1941年

    文明元年の二月なかばである。朝がたからちらつきだした粉雪は、いつの間にか水気の多い牡丹雪(ぼたんゆき)に変つて、午(ひる)をまはる頃には奈良の町を、ふかぶかとうづめつくした。興福寺の七堂伽藍(しちどうがらん)も、東大寺の仏殿楼塔も、早くからものの音をひそめて、しんしんと眠り入つてゐるやうである。人

  • 小説 岡田 三郎 伸六行状記(抄) 初出年: 1940年

    一 山下さんはことし五十六歳である。体重は十九貫。背のたかさは五尺六寸余。もちろん体格は堂堂としてゐる。 前総理大臣の某氏に、容貌が似てゐると、知人のあひだでいはれてゐるが、なるほど、くちびるの少し厚ぼつたい、大きめの口を、遠慮なしにあけて笑ふときの、ゑくぼでも出来さうな好好爺然(かうかうやぜん)たる淡白な無邪気さは、新

  • 池田 克己 原始(抄) 初出年: 1940年

    《目次》 地 理手 首豚の邊(ほとり)東京(第六番)

  • 随筆・エッセイ 岡本 一平 かの子の栞 岡本かの子追悼 初出年: 1939年

    巴里の植物園の中に白熊が飼つてある。白熊には円い小桶で飲み水が与へられる。夏の事である。白熊は行水したくなつたと見え、この飲み水の小桶へ身体を浸さうとする。桶は小さいので両手を満足に入れるのも覚束ない。 それでも断念しないで白熊はいろいろと試す。小桶は歪んでしまつたが、白熊の入れる道理が無い。すると白熊は両手を小桶の水に浸したまゝ薄く眼を瞑つてしまつた。気持の上では、とつぷりと水に浸つたつもりであらう。 私はいぢらしい事に思ひ伴れのかの女に見せた。それからいつた「カチ坊つちやん(かの女の家庭内の呼名)よ。君がその気質や性格やスケールで世俗に入らうと

  • 杉浦 伊作 半島の歴史(抄) 初出年: 1939年

    目次 半島の歴史ポートレート —PAUL WOLFの作品—峠孤貧 —A Widow— 半島の歴史 半島にひとつの入江がある。山につゝじの咲くころ。若葉 のむげにかほり。水苔のあたりぜ

  • 小説 長谷 健 あさくさの子供 初出年: 1939年

    星子の章 1 江礼(えらい)の手記……その一 いつもなにか告口のたねはないものかと、かぎ廻ってでもいるような零子(れいこ)だが、今朝はそうしたいやみもなく、真剣な面持(おももち)

  • 小説 幸田 露伴 幻談 初出年: 1938年

    斯(か)う暑くなつては皆さん方が或(あるひ)は高い山に行かれたり、或は涼しい海辺に行かれたりしまして、さうしてこの悩ましい日を充実した生活の一部分として送らうとなさるのも御尤(ごもつと)もです。が、もう老い朽ちてしまへば山へも行かれず、海へも出られないでゐますが、その代り小庭<

  • 随筆・エッセイ 高村 光太郎 九代目團十郎の首 初出年: 1938年

    九代目市川團十郎は明治三十六年九月、六十六歳で死んだ。丁度幕末からかけて明治興隆期の文明開化時代を通過し、國運第二の発展期たる日露戦争直前に生を終ったわけである。彼は俳優という職業柄、明治文化の総和をその肉体で示していた。もうあんな顔は無い。之がほんとのところである。明治文化という事からいえば、西園寺公の様な方にも同じ事がいえるけれど、肉体を素材とせらるる方でない上に、現代の教養があまねく深くその風丰(ふうぼう)に浸潤しているので、早く世を去って現代の風にあたる事なく終った團十郎よりは複雑

  • 評論・研究 三枝 博音 日本の文学への眼 初出年: 1938年

    一 考へてみると、日本人のもつ文学の世界の中にずゐぶんと西洋の文学が入つて来たものである。日本人の夢は北欧に飛び南欧に飛んだ。深い霧の夜の中に咽(むせ)ぶスラブ人たちの魂の彷徨にも会へば、中欧の森の中に聞えた清純の乙女たちの歌をも知つたのである。若しヨルダンの河のほとりに結ばれた愛と憧憬であつたら、もう何百年もの昔日本人の詩の世界に一つの綾をつくつたのである。アフリカの熱沙の上に燃えた幻想や南米の野に薫る友情までも

  • 小説 太宰 治 満願 初出年: 1938年

    これは、いまから、四年まへの話である。私が伊豆の三島の知合ひのうちの二階で一夏を暮し、ロマネスクといふ小説を書いてゐたころの話である。或る夜、酔ひながら自転車に乗り、まちを走つて、怪我をした。右足のくるぶしの上のはうを裂いた。疵(きず)は深いものではなかつたが、それでも酒をのんでゐたために、出血がたいへんで、あわててお医者に駈けつけた。まち医者は、三十二歳の、大きくふとり、西郷隆盛に似てゐた。たいへん酔つてゐた。私と同じくらゐにふらふら酔つて診察室に現はれたので、私は、をかしかつた。治療を

  • 評論・研究 戸坂 潤 認識論としての文藝学 初出年: 1937年

    文藝学の対象は云うまでもなく文藝である。尤(もっと)も従来の日本語の習慣によると、文藝は又文学とも呼ばれている。文学という言葉は通俗語として、又文壇的方言として、特別なニュアンスを有(も)つて来ている。単に文藝全般を意味する場合ばかりではなくて、却つて小説とか詩とかいう特定の文藝のジャンルを意味したり、又はそうでなくて、一つの作家的乃至人間的態度を意味したりもしているのである

  • 小説 芹澤 光治良 大鷲 初出年: 1936年

    一 ――社長、村井代議士からお電話でした、なんですか、是非お会ひしたいつて申しまして、中の三百三番にお電話をいただきたいと。 ――社長、東京へ行かれるさうですな、お立ち前に決裁していただきませんと。 ――社長、中央バスの重役会が来週の火曜日と言ふ通知がありました、自社(うち)のも月曜日になつて居りますし、中

  • 評論・研究 高見 順 描写のうしろに寝てゐられない 初出年: 1936年

    自然描写はかなはん と、「文学界」の時評のなかで言つたところ、とんでもない暴言だと、翌月の「座談会」で川端康成氏に叱られた。私がなにかハツタリを言つたみたいな感じになつて了つた。川端氏も読まれたにちがひない、フロオベルのジヨルジユ・サンドヘの書簡のなかに次のやうな文字がある。「貴方はスイスを御存じですからそのお話をしても仕方がないし、またもし私が此処で死ぬほど退屈してゐると云つたら、軽蔑なさるでせう。(中略)どつちにしろ死ぬほど退屈でせう。私は自然人ではありません。歴史のない土

  • 随筆・エッセイ 佐藤 義亮 出版おもいで話 初出年: 1936年

    私は前から、長い出版生活のおもい出を書いて見たいと思っていた。今回、社(新潮社)の祝賀会に際し、急にこういう本をこしらえることになり、あわてて少しばかり書いて見た。しかしこれは思い出のほんの断片にすぎないし、匆卒(そうそつ)の際で年代や何かを十分調べる余裕もなかった。他日、まとまったものを、ゆっくり書くことの機会を得たら、この補いをさせてもらおうと思っている。 佐藤 義亮 <p

  • 左川 ちか 左川ちか詩集(抄) 初出年: 1936年

    鐘のなる日 終日 ふみにじられる落葉のうめくのをきく 人生の午後がさうである如く すでに消え去つた時刻を告げる かねの音が ひときれひときれと 樹木の身をけづりとるときのやうに そしてそこにはもはや時は無いのだから 憑かれた街 思ひ出の壯大な建物を あらゆる他のほろびたものの上に 喚び起こし、待ちまうけ、希望するために。

  • 野口 雨情 『草の花』(抄) 初出年: 1936年

    広小路 ゆき来も繁き 広小路 柳の蔭の 夕燕 &nbsp; しとしと雨の 降る中を 飛んでまた来て また返り &nbsp; 泊る軒端も ないのやら ゆき来の人の 顔を見る &nbsp; 行々子

  • 伊東 静雄 わがひとに与ふる哀歌 初出年: 1935年

    晴れた日に とき偶(たま)に晴れ渡つた日に 老いた私の母が 強ひられて故郷に帰つて行つたと 私の放浪する半身 愛される人 私はお前に告げやらねばならぬ 誰もがその願ふところに 住むことが許されるのでない 遠いお前の書簡

  • 随筆・エッセイ 嶋中 雄作 中央公論社 回顧五十年 初出年: 1935年

    緒 言 雑誌の寿命は短いものである。人間の働き盛りを十年か十五年と観て、その十年か十五年が雑誌の生命である。人間の活動力が衰うれば雑誌も衰える。だから、『中央公論』が五十年も続いたということは実に珍らしいことである。また、五十年という歳月は天地の悠久に比して必ずしも永しとはしない。けれどもまさに半世紀である。半世紀の間には、歴史上重大な事件の二つや三つない時代はない。世界歴史中どの世紀を取って見てもそうだが、殊に近代は事件が重畳</rb

  • 小説 萩原 朔太郎 日清戦争異聞(原田重吉の夢) 初出年: 1935年

    上 日清(にっしん)戦争が始まった。「支那も昔は聖賢の教ありつる国」で、孔孟(こうもう)の生れた中華であったが、今は暴逆無道の野蛮国であるから、よろしく膺懲(ようちょう)すべしという歌が流行(はや)</r

  • 小説 武田 麟太郎 一の酉 初出年: 1935年

    帯と湯道具を片手に、細紐だけの姿で大鏡に向ひ、櫛(くし)をつかつてゐると、おきよが、ちよつと、しげちやん、あとで話があるんだけど、と云つた、──あらたまつた調子も妙だが、それよりは、平常は当のおしげをはじめ雇人だけではなく、実の妹のおとしや兄の女房のおつねにまでも、笑ひ顔一つ見せずつんとしてすまし込んでゐるのに、さう云ひながら、いかにも親しさうな眼つきでのぞき込んだのが不思議であつた。 「なにさ」──生れつき言葉づかひが悪くて客商売の店には向かぬとよくたしなめられるのだが、