検索結果 全1013作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 小説 永井 荷風 花火

    午飯(ひるめし)の箸(はし)を取らうとした時ポンと何処(どこ)かで花火の音がした。梅雨も漸く明けぢかい曇つた日である。涼しい風が絶えず窓の簾(すだれ)を動かしてゐる。見れば狭い路地裏の家々には軒並に国

  • 小説 永井 荷風 勲章

    寄席、芝居。何に限らず興行物の楽屋には舞台へ出る藝人や、舞台の裏で働いてゐる人達を目あてにしてそれよりも亦更に果敢(はかな)い渡世をしてゐるものが大勢出入をしてゐる。 わたくしが日頃行き馴れた浅草公園六区の曲角に立つてゐた彼(か)のオペラ館の楽屋で、名も知らなければ、何処から来るともわからない丼飯屋の爺さんが、その達者であつた時の最後の面影を写真にうつしてやつた事があつた。

  • 永井 荷風 珊瑚集 (仏蘭西近代抒情詩選)

    目次 シャアル・ボオドレエル: 死のよろこび 憂悶 暗黒 仇敵 秋の歌 腐肉 月の悲しみ アルチュウル・ランボオ: そゞろあるき ポオル・ヴヱルレエン: ぴあの ましろの月 道行 夜の小鳥 暖き火のほとり 返らぬむかし 偶成 ピエエル・ゴオチェ: 沼 エドモン・ピカアル: 池

  • 小説 永井 荷風 ADIEU(わかれ)

    (上)巴里に於ける最後の一日 絶望――Desespoire(デゼスポワール)―― 最後の時間は刻々に迫つて来た。明日(あした)の朝には、どうしても此の巴里(パリ)を去らねばならぬ。永遠に巴里と別れねばなら

  • 小説 遠藤 周作 白い人

    Ⅰ 一九四二年、一月二十八日、この記録をしたためておく。聯合軍(レ・ザリエ)はすでにヴァランスに迫っているから、早くて明日か明後日にはリヨン市に到着するだろう。敗北がもう決定的であることは、ナチ自身が一番よく知つている。 今も、このペンをはしらせている私の部屋の窓硝子が烈しく震えている。抗戦の砲撃のためではない。ナチがみずから爆破したローヌ河橋梁の炸裂音である。けれども橋梁を崩し、ヴィェンヌからリヨンに至るK2道路を寸断したところで

  • 俳句 奥田 杏牛 初心

    暖房車海潮の縞うつうつと 寒月光末広がりに涛散華(なみさんげ) 妻と子の歌は厨に花木槿(はなむくげ) 青麦や女こめかみまであをし ビイ玉を透かし見る子へ夕焼ける 冬鷺の倒ると見しは羽<rp

  • 小説 横光 利一 マルクスの審判

    市街を貫いて来た一条の道路が遊廓街へ入らうとする首の所を鉄道が横切つてゐる。其処は危険な所だ。被告はそこの踏切の番人である。彼は先夜遅く道路を鎖で遮断したとき一人の酔漢と争つた。酔漢は番人の引き止めてゐるその鎖を腹にあてたまま無理にぐんぐんと前へ出た。丁度そのとき下りの貨物列車が踏切を通過した。酔漢は跳ね飛ばされて轢死(れきし)した。 そこで、予審判事は、番人とはかやうな轢死を未然に防ぐがための番人である以上、泥酔者の轢死は故殺であるかそれとも偶然の死であるかを探ぐるがた

  • 小説 横光 利一 春は馬車に乗つて

    海浜の松が凩(こがらし)に鳴り始めた。庭の片隅で一叢(ひとむら)の小さなダリヤが縮んでいった。 彼は妻の寝ている寝台の傍から、泉水の中の鈍い亀の姿を眺めていた。亀が泳ぐと、水面から輝(て)り返された明るい水影が、乾いた石の上で揺れていた。 「まアね、あなた、あの松

  • 短歌 横瀬 美年子 歌集『鑑真の眼』ほか

    昭和五二年 生まれてきて光を追はず瞳孔の白く濁るは白内障病む 超音波に吸引さるる水晶体の混濁消えて黒く澄みゆく 明るさに視線動かすみどり児の白内障手術のまぶたを閉ざす 白内障術後の患者診つつ思ふ鑑真の御目もかくのごときか 鑑真の残る視力に映りしや秋目海岸雨にけぶるを 全盲か眼前指数弁ぜしか鑑真の書の筆圧つよし <font

  • 評論・研究 岡山県民新庄厚信 他 国会開設願望ノ建言依頼書<1879年>

    抑(そもそ)モ国会ナルモノハ、吾々同胞ノ人民ガ其(その)天賦ノ自由ヲ存立シ国事ニ参与シテ一国議政ノ権理ヲ恢復スルニ於テ一日モ欠ク可カラザル要具ナリ。蓋(けだ)シ民権ハ各自人文ノ自由卜自治制度トニ依テ存立スルモノニシテ、而(しか<rp

  • 評論・研究 岡倉 天心 美術上の急務

    概して日本今日の美術は誠に幼稚である、此頃漸く文藝といふ言葉が社会問題の一に加へられるやうになつたが之に関する一般の知識は頗(すこぶる)不完全である、西洋画は長足の進歩して喜ぶべき現象を呈して居るが、欧米諸国の美術程度に比べると甚(はなはだ)初歩の位地にあると云はねばならぬ、勿論西洋画を論評する人は多いが実際西洋美術歴史に通じてその鑑識に富んだ者は幾人もない、一般批評家には、ラファエル、チシア

  • 小説 岡田 三郎 伸六行状記(抄)

    一 山下さんはことし五十六歳である。体重は十九貫。背のたかさは五尺六寸余。もちろん体格は堂堂としてゐる。 前総理大臣の某氏に、容貌が似てゐると、知人のあひだでいはれてゐるが、なるほど、くちびるの少し厚ぼつたい、大きめの口を、遠慮なしにあけて笑ふときの、ゑくぼでも出来さうな好好爺然(かうかうやぜん)たる淡白な無邪気さは、新

  • 小説 岡本 かの子 家霊

    山の手の高台で電車の交叉点になつてゐる十字路がある。十字路の間からまた一筋、細く岐れ出て下町への谷に向く坂道がある。坂道の途中に八幡宮の境内と向ひ合つて名物のどぜう店がある。拭き磨いた千本格子の真中に入口を開けて古い暖簾(のれん)が懸けてある。暖簾にはお家流の文字で白く「いのち」と染め出してある。 どぜう、鯰(なまづ)、鼈

  • 小説 岡本 かの子 食魔

    菊萵苣(きくぢさ)と和名はついてゐるが、原名のアンディーヴと呼ぶ方が食通の間には通りがよいやうである。その蔬菜が姉娘のお千代の手で水洗ひされ笊(ざる)で水を切つて部屋のまん中の台俎板(だいまないた)の上に置かれた。 素人の家にしては道具万端整つてゐる料理部屋である。たゞ少し<ru

  • 小説 岡本 かの子 老妓抄

    平出園子といふのが老妓の本名だが、これは歌舞伎俳優の戸籍名のやうに当人の感じになづまないところがある。さうかといつて職業上の名の小そのとだけでは、だんだん素人(しろうと)の素朴(そぼく)な気持ちに還らうとしてゐる今日の彼女の気品にそぐはない。 こゝではたゞ何となく老妓といつて貫く方がよからうと思ふ。 人々は真昼の百貨店でよく彼女を見かける。 目立

  • 随筆・エッセイ 岡本 一平 かの子の栞 岡本かの子追悼

    巴里の植物園の中に白熊が飼つてある。白熊には円い小桶で飲み水が与へられる。夏の事である。白熊は行水したくなつたと見え、この飲み水の小桶へ身体を浸さうとする。桶は小さいので両手を満足に入れるのも覚束ない。 それでも断念しないで白熊はいろいろと試す。小桶は歪んでしまつたが、白熊の入れる道理が無い。すると白熊は両手を小桶の水に浸したまゝ薄く眼を瞑つてしまつた。気持の上では、とつぷりと水に浸つたつもりであらう。 私はいぢらしい事に思ひ伴れのかの女に見せた。それからいつた「カチ坊つちやん(かの女の家庭内の呼名)よ。君がその気質や性格やスケールで世俗に入らうと

  • 小説 岡本 勘造 夜嵐阿衣花廼仇夢

    夜嵐於衣花廼仇夢(よあらしおきぬはなのあだゆめ)初篇緒言 さきかけ 我さきがけ新聞第三百廿号(本年五月廿八日)の紙上を以て其発端を説起し、号を逐(おふ)て連日<

  • 岡本 勝人 ミゼレーレ

    (一) 一八五二年十一月の晩秋 ニューヨークからミシシッピ号に乗った男は 石炭と水と食糧を積んでノフォーク港を出発した マディラ諸島から希望峯をまわるころには 大西洋の地図はポルトガル産のマディラ酒にぬれた モーリシャス島 セイロン島 シンガポール 香港・上海と インド洋から太平洋へと白いクジラが船をおいかけた 米国東インド艦隊司令長官は 水と食糧と石炭の基地である南の琉球島那覇港に停泊する 小笠原諸

  • 評論・研究 岡本 勝人 清岡卓行の三極構造にみる構成力と視座

    清岡卓行を論ずる際に、その核心をいくつかの極の連なる構成体として捉えることができる。 ひとつの極は、そのトポロジーである。出自としての中国大連と憧れとしてのフランスパリ、現実としての東京がその表現のうちに交響している。みずからの場所=現実としての「日本」と出自としての「大連」、憧れとしての「パリ」は、三つの大きな差異として見えてくる。現実からパリに身を接すれば、中国大連の世界は大きな幻想として浮かびあがってくる。こうした三極構造の動点の移動は、三層の重層性となって、清岡卓行という作家の世界が示す想像力と構成力のエートスとして浮かびあがっていると言えるだろう。

  • 評論・研究 岡本 清一 デモクラシーをめぐる争い

    〇 ブルジョア・デモクラシーの憲法と自由および暴力 1 憲法をめぐる争い アメリカと日本のブルジョアジーが、日本の人民をふたたび戦争にかり立てる準備をしようとすることにたいして、日本国憲法が大きな障害をなしていることは事実である。そしてまたこれらの陰謀に反対する人民たちを、抑圧せんとする支配階級の計画にたいしてもまた、言論、集会、結社、学問、思想等々の自由を保障する憲法が、その実現をさまたげていることは、うたがいえない事実である。今日、陰謀と詭弁とによって戦争準備と自由の抑