検索結果 全1036作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 木下 杢太郎 食後の唄(抄) 初出年: 1910年

    金粉酒 Eau-de-vie de Dantzick (オオ ド ヰイ ド ダンチック) 黄金(こがね)浮く酒、 おお五月(ごぐわつ)</

  • 随筆・エッセイ 坂本 四方太 夢の如し 初出年: 1909年

    自 序 「夢の如し」は三年ばかり前からボツボツ雑誌に掲載したのを、今度思立つて一纏めにしたものである。余は之を纏めて出版するに就いて一考した。斯様な片々たる文章を集めて、再び世の人に示す必要があるかどうかと考へた。全体余の今の文藝観では、心に深い感動が無ければ文章を書くな、といふのが根柢になつて居る。然るに「夢の如し」はどうかといふと、勿論そんな考で書始めたものでは無い。して見れば今之を出版する必要は無いのかも知れぬ。さうかといつて断然打捨てゝ了ふ気にもならぬ。何故であらうかと考直して見るに、深い感動とまでは行か

  • 随筆・エッセイ 大町 桂月 十和田湖 初出年: 1909年

    一 五戸 本州の北に尽きむとする処、八甲田崛起(くつき)し、其山脈南に延びて、南部と津軽とを分ち、更に南下して、東海道と北陸とを分ち、なほ更に西に曲りて、山陽道と山陰道とを分つ。長さ数百里、恰(あだか)も一大長蛇の如し。中国山脈は、其尾也。甲信の群山は、其腹也。八甲田山は其頭也。頭に目あり。凡(およ

  • 小説 永井 荷風 ADIEU(わかれ) 初出年: 1908年

    (上)巴里に於ける最後の一日 絶望――Desespoire(デゼスポワール)―― 最後の時間は刻々に迫つて来た。明日(あした)の朝には、どうしても此の巴里(パリ)を去らねばならぬ。永遠に巴里と別れねばなら

  • 評論・研究 岡倉 天心 美術上の急務 初出年: 1908年

    概して日本今日の美術は誠に幼稚である、此頃漸く文藝といふ言葉が社会問題の一に加へられるやうになつたが之に関する一般の知識は頗(すこぶる)不完全である、西洋画は長足の進歩して喜ぶべき現象を呈して居るが、欧米諸国の美術程度に比べると甚(はなはだ)初歩の位地にあると云はねばならぬ、勿論西洋画を論評する人は多いが実際西洋美術歴史に通じてその鑑識に富んだ者は幾人もない、一般批評家には、ラファエル、チシア

  • 蒲原 有明 智慧の相者は我を見て 初出年: 1908年

    智慧の相者(さうじや)は我を見て今日(けふ)し語らく、 汝(な)が眉目(まみ)ぞこは兆(さが)</

  • 評論・研究 黒岩 涙香 「萬朝報」発刊 初出年: 1908年

    「萬朝報」発刊の辞 &lt;目的&gt; 萬朝報(よろづてうほう)は何が為めに発刊するや、他なし普通一般の多数民人に一目能く時勢を知るの便利を得せしめん為のみ、此の目的あるが為めに我社は勉めて其価を廉にし其紙を狭くし其文を平易にし且つ我社の組織を独立にせり &lt;代価&gt; 近年新聞紙の

  • 評論・研究 瀧田 樗陰 月旦 新春文壇に於ける各作家の武者振 初出年: 1908年

    正月といふ月は何となく、心忙しい、気のそはそはする月で、落附いて読書などするには不適当な月である。其癖、正月程出版界の賑かな景気のよい月はない。殊に雑誌はどれもどれも沢山の小説を掲載するので、正月に出る小説の数はすばらしいものだ。其読書に不適当な月に、そんなにどつさり小説が出るんだから、一々精読、再読して、動きのとれない批評をする事などは、非常の難事である。僕は今こゝに、僕が読んだ丈けの範囲に於て、各作者の武者振の如何であつたかをざつと紹介するを以て満足しやうと思ふ。尤も同じく「読んだ」といつても、朝、早く机に向て読んだのと、夜、遅く床の中で読んだのと

  • 小説 田山 花袋 一兵卒 初出年: 1908年

    渠(かれ)は歩き出した。 銃が重い、背嚢(はいのう)が重い、脚(あし)が重い、アルミニューム製の金椀(かなわん)が腰の剣に当ってカタカタと鳴る。その音が興奮した神経を<r

  • 評論・研究 島村 抱月 文藝上の自然主義 初出年: 1908年

    一 「日の出前」とはハウプトマンがドイツに自然主義を広めた新社会劇の名であるが、此の名には慥(たし)かに一種のシムボリズムが含まれてゐる。一評家が言つた如く、作者はあれ程暗澹悲痛の人生を描きながら、「日の入り前」と呼ばずして「日の出前」と呼んだ。前途に大光明の希望をかけてゐたのであらう。其の希望は社会の改造であつたか、将(は)た個人の解放であつたか、何れに

  • 随筆・エッセイ 幸田 露伴 処女作天魔談 初出年: 1907年

    文壇では私の処女作を知つて居つたものは殆んどない。紅葉が知つて居つただけであるが、それすら故人となつたから、今では闇から闇に葬れるものとなつた。 処女作は『天魔』といふので、二十一年頃であつたと記臆する。穿(うが)ち専門の、極めて洒落た畑で。其頃京伝あたりの鋭い軽い筆つきを、面白いと思つて連(しき)りと愛読して居つたものであるから、自然其調子が乗つて居つた。五十枚ばかりの短篇も

  • 小説 田山 花袋 蒲団 初出年: 1907年

    一 小石川の切支丹坂(きりしたんざか)から極楽水(ごくらくすゐ)に出る道のだらだら坂を下りようとして渠(かれ)は考へた。「これで自分と彼女との関係は一段落を告げた。三十六にもなつて、子供も三人あつて、あんなことを考へたかと

  • 小説 白柳 秀湖 驛夫日記 初出年: 1907年

    私は十八歳、人ならば一生の春といふ此若い盛りを、之はまた何として情ない姿だらう。項垂(うなだ)れてヂッと考へながら、多摩川砂利の敷いてある線路を、プラットホームの方へ歩いたが、今更のやうに自分の着て居る小倉の洋服の脂垢(あぶらあか)に見る影もなく穢(よご)れたのが眼につく。私は今遠方シグナルの<r

  • 小説 高濱 虚子 風流懴法 初出年: 1907年

    横河(よかは) 今朝阪東(ばんどう)君が出立するのを送られて和尚(をしやう)サンもあまり行(い)けぬ口に一杯過ごされた。阪東君が出立したあとで和尚サンは

  • 小説 佐藤 紅緑 行火 初出年: 1906年

    奥州は津軽の城下に、名高い七夕の侫武多(ねぷた)祭が済んで門に火を焚く盆の頃になると、林檎がそれぞれに美しい色を染め出す。地福村といふのは弘前の町から半町となき西南の小さな村で、遠く館野の方から見ると只だ一帯の林檎畠。特に朝の静かな眺めは格別なもので、薄く白い霧の中に包まれた一廓は滑かな葉を瀰(わたる)紅、黄、紫などの林檎の色に、恰(さな

  • 評論・研究 徳冨 蘆花 勝利の悲哀 初出年: 1906年

    一 本年七月初旬、生(せい)(自分)は聖彼得堡(せんとぴーたーすぶるぐ)の亜歴山(あれきさんどる)三世博物館に於て、露国の画家ヹレスチヤギンの油絵数多(

  • 小説 夏目 漱石 吾輩は猫である 第一 初出年: 1905年

    第一 吾輩は猫である。名前はまだ無い。 どこで生れたか頓(とん)と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いて居た事丈(だけ)は記憶して居る。吾輩はこゝで始めて人間といふものを見た。然(しか)もあとで聞くとそれは書生といふ

  • 小説 中里 介山 笛吹川 初出年: 1905年

    (上) 過ぐる事三年の昔。峡東(けうとう)の風物を探つて信濃の山に別け入る可く、自分は志保(しほ)の山。差出(さしで)の磯を経て笛吹川の沿岸を遡つた。 磊々たる花崗質の巨石に激する水流の響は絶えず鳴鸞(めい

  • 薄田 泣菫 ああ大和にしあらましかば 初出年: 1905年

    ああ、大和(やまと)にしあらましかば、 いま神無月(かみなづき)、 うは葉散り透く神無備(かみなび)の森の小路を、 あかつき露(づゆ)に髪ぬれて<ruby

  • 随筆・エッセイ 幸徳 秋水 東京の木賃宿 初出年: 1904年

    活地獄――木賃宿の異名――九千人のお客様一泊六銭――柏餅の雑居――雨の日の繁昌――三畳の家庭――千四百五十の世帯――擂鉢は車輪と廻る――二銭皿の鮪—――井に落せし簪――連込みの客――鬼一口――安宿ごろつき――良人ある身――夫婦喧嘩の統計――十年前の大家の嬢様――お湯は如何――屋根代の餌――丸裸の夫婦是れにつきねど 野山長閑(のどか)に春霞、立ちつづく道者笠(<