検索結果 全1047作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 小説 邦枝 完二 廓の子 初出年: 1912年

    一 『山まゐり』の大羽子板は新ちやんのお祖母(ばあ)さんがまだ若い時分、坂東彦三の似顔――豊国筆――をそのまゝに、馬道の羽子板屋で拵らへさせたものださうです。 それは板も押絵も煤けて、花笠が半(なかば)取れかゝつたまゝ何年となく縁起棚の傍に飾られ、此家(こゝ

  • 評論・研究 小宮 豊隆 中村吉右衛門論 初出年: 1911年

    一 文壇で会つて見たいと思ふ人は一人も居らぬ。役者の中では会つて見たいと思ふ人がたつた一人ある。会つて見たら色々の事情から多くの場合失望に終はるかも知れぬ。夫(それ)にも拘らず藝の力を通して人を牽き付けて止まぬ者は此の唯一人である。此唯一人とは云ふ迄もない、中村吉右衛門である。 文壇で鼓吹<

  • 小説 正宗 白鳥 口入屋 初出年: 1911年

    「今井さだと云ふ女の居処(ゐどころ)は此方(こちら)では分らんかい」と、正服(せいふく)巡査は狭い土間に立つて、小(ちひさ)い手帖を見ながら訊いた。 長火鉢の前に坐つてゐた色の黒い大柄

  • 小説 田村 俊子 生血 初出年: 1911年

    一 安藝治(あきぢ)はだまつて顔を洗ひに出て行つた。ゆう子はその足音を耳にしながら矢つ張りぼんやりと椽側(えんがは)に立つてゐた。紫紺縮緬をしぼつた單衣(ひとへ)の裾がしつくりと踵(かゝと</rt

  • 評論・研究 徳冨 蘆花 謀叛論 初出年: 1911年

    僕は武蔵野の片隅に住むで居る。東京へ出るたびに、青山方角へ往くとすれば、必ず世田ケ谷を通る。僕の家から約一里程行くと、街道の南手に赤松のばらばらと生えた処が見える。此は豪徳寺──井伊掃部守直弼(ゐいかもんのかみなほすけ)の墓で名高い寺である。豪徳寺から少し行くと、谷の向ふに杉や松の茂つた丘が見える。吉田松陰の墓及び松陰神社は其丘の上にある。井伊と吉田、五十年前には互に倶不戴天(ぐふたいてん)の

  • 小説 森 鷗外 身上話 初出年: 1910年

    「御勉強。」 障子の外から、小聲で云ふのである。 「誰だ。音をさせないで梯(はしご)を登つて、廊下を步いて來るなんて怪しい奴だな。」 「わたくし。」 障子が二三寸開いて、貧血な顏の切目の長い目が覗く。微笑んでゐる口の薄赤い唇の奥から、眞つ白い細く揃つた齒がかゞやく。 「なんだ。誰かと思つたら、花か。もう手紙の代筆は眞平だ。」 「あら。いくらの事だつて、毎日手紙を出しはしませんわ。」

  • 小説 森 鷗外 普請中 初出年: 1910年

    渡邊參事官は歌舞伎座の前で電車を降りた。 雨あがりの道の、ところどころに殘つてゐる水溜まりを避けて、木挽町の河岸を、遞信省の方へ行きながら、たしか此邊の曲がり角に看板のあるのを見た筈だがと思ひながら行く。 人通りは餘り無い。役所歸りらしい洋服の男五六人のがやがや話しながら行くのに逢つた。それから半衿の掛かつた著物を著た、お茶屋の姉えさんらしいのが、何か近所へ用達しにでも出たのか、小走りに摩れ違つた。まだ幌を掛けた儘の人力車が一臺跡から駈け拔けて行つた。 果して精養軒ホテルと横に書いた、割に小さい看板が見附かつた。

  • 評論・研究 石川 啄木 性急な思想・硝子窓 初出年: 1910年

    性急な思想 一 最近数年間の文壇及び思想界の動乱は、それにたづさはつた多くの人々の心を、著るしく性急(せつかち)にした。意地の悪い言ひ方をすれば、今日新聞や雑誌の上でよく見受ける「近代的」といふ言葉の意味は、「性急(</r

  • 評論・研究 石川 啄木 時代閉塞の現状 初出年: 1910年

    (一) 数日前本欄(東京朝日新聞の文藝欄)に出た「自己主張の思想としての自然主義」と題する魚住(折廬)氏の論文は、今日に於ける我々日本の青年の思索的生活の半面──閑却されてゐる半面を比較的明瞭に指摘した点に於て、注意に値するものであつた。蓋(けだ)し我々が一概に自然主義といふ名の下(もと)に呼んで来た所の思潮には、最初からして幾多の矛盾が雑然として混在

  • 短歌 前田 夕暮 収穫 初出年: 1910年

    自序 我が第一歌集を「収穫」と名づく。 一体去年の秋出すつもりで、略(ほぼ)原稿を纏めた時、いろいろ名づくべき標題を考へた末、「歌はわが若き日の収穫なり」といふことに思ひ及び、そのまゝ収穫を標題とすることにした。それから四五日して島崎藤村氏の処に行くと、氏も短篇集の名を収穫としようと思つてゐたといふ話があつた。私はその話をきいて悪いことをしたやうな気がした。そこで早速私の歌集の名は<r

  • 小説 谷崎 潤一郎 刺青(しせい) 初出年: 1910年

    其れはまだ人々が「愚(おろか)」と云ふ貴い德を持つて居て、世の中が今のやうに激しく軋(きし)み合はない時分であつた。殿樣や若旦那の長閑(のどか)な顏が曇らぬやうに、御殿女中や華魁(おいらん)の笑ひの種が

  • 木下 杢太郎 食後の唄(抄) 初出年: 1910年

    金粉酒 Eau-de-vie de Dantzick (オオ ド ヰイ ド ダンチック) 黄金(こがね)浮く酒、 おお五月(ごぐわつ)</

  • 随筆・エッセイ 坂本 四方太 夢の如し 初出年: 1909年

    自 序 「夢の如し」は三年ばかり前からボツボツ雑誌に掲載したのを、今度思立つて一纏めにしたものである。余は之を纏めて出版するに就いて一考した。斯様な片々たる文章を集めて、再び世の人に示す必要があるかどうかと考へた。全体余の今の文藝観では、心に深い感動が無ければ文章を書くな、といふのが根柢になつて居る。然るに「夢の如し」はどうかといふと、勿論そんな考で書始めたものでは無い。して見れば今之を出版する必要は無いのかも知れぬ。さうかといつて断然打捨てゝ了ふ気にもならぬ。何故であらうかと考直して見るに、深い感動とまでは行か

  • 随筆・エッセイ 大町 桂月 十和田湖 初出年: 1909年

    一 五戸 本州の北に尽きむとする処、八甲田崛起(くつき)し、其山脈南に延びて、南部と津軽とを分ち、更に南下して、東海道と北陸とを分ち、なほ更に西に曲りて、山陽道と山陰道とを分つ。長さ数百里、恰(あだか)も一大長蛇の如し。中国山脈は、其尾也。甲信の群山は、其腹也。八甲田山は其頭也。頭に目あり。凡(およ

  • 小説 永井 荷風 ADIEU(わかれ) 初出年: 1908年

    (上)巴里に於ける最後の一日 絶望――Desespoire(デゼスポワール)―― 最後の時間は刻々に迫つて来た。明日(あした)の朝には、どうしても此の巴里(パリ)を去らねばならぬ。永遠に巴里と別れねばなら

  • 評論・研究 岡倉 天心 美術上の急務 初出年: 1908年

    概して日本今日の美術は誠に幼稚である、此頃漸く文藝といふ言葉が社会問題の一に加へられるやうになつたが之に関する一般の知識は頗(すこぶる)不完全である、西洋画は長足の進歩して喜ぶべき現象を呈して居るが、欧米諸国の美術程度に比べると甚(はなはだ)初歩の位地にあると云はねばならぬ、勿論西洋画を論評する人は多いが実際西洋美術歴史に通じてその鑑識に富んだ者は幾人もない、一般批評家には、ラファエル、チシア

  • 蒲原 有明 智慧の相者は我を見て 初出年: 1908年

    智慧の相者(さうじや)は我を見て今日(けふ)し語らく、 汝(な)が眉目(まみ)ぞこは兆(さが)</

  • 評論・研究 黒岩 涙香 「萬朝報」発刊 初出年: 1908年

    「萬朝報」発刊の辞 &lt;目的&gt; 萬朝報(よろづてうほう)は何が為めに発刊するや、他なし普通一般の多数民人に一目能く時勢を知るの便利を得せしめん為のみ、此の目的あるが為めに我社は勉めて其価を廉にし其紙を狭くし其文を平易にし且つ我社の組織を独立にせり &lt;代価&gt; 近年新聞紙の

  • 評論・研究 瀧田 樗陰 月旦 新春文壇に於ける各作家の武者振 初出年: 1908年

    正月といふ月は何となく、心忙しい、気のそはそはする月で、落附いて読書などするには不適当な月である。其癖、正月程出版界の賑かな景気のよい月はない。殊に雑誌はどれもどれも沢山の小説を掲載するので、正月に出る小説の数はすばらしいものだ。其読書に不適当な月に、そんなにどつさり小説が出るんだから、一々精読、再読して、動きのとれない批評をする事などは、非常の難事である。僕は今こゝに、僕が読んだ丈けの範囲に於て、各作者の武者振の如何であつたかをざつと紹介するを以て満足しやうと思ふ。尤も同じく「読んだ」といつても、朝、早く机に向て読んだのと、夜、遅く床の中で読んだのと

  • 小説 田山 花袋 一兵卒 初出年: 1908年

    渠(かれ)は歩き出した。 銃が重い、背嚢(はいのう)が重い、脚(あし)が重い、アルミニューム製の金椀(かなわん)が腰の剣に当ってカタカタと鳴る。その音が興奮した神経を<r