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女子少年院 愛に飢える素顔の少女たち

 うん、ここに入ったら、誰も見ていないところでリンチされたり、夜中に蹴飛ばされたりするだろうな、と思っていた。映画なんかでそういうのあるじゃない。だから、入って一週間くらい、怖くてね、夜、眠れなかった。真由美はそう言って、笑う。笑うと、大きな瞳がくるくるっと動いた。

 うしろで縛って肩まで垂らした長い髪が、ほっそりした体躯によく似合っている。これでもここで生活した八ヵ月間に十二キロも増えた。あたし、十四になるちょっと前から覚醒剤やってたからガリガリだったのよね。ここへ来ると、みんな太っちゃう。十キロも十五キロもよ。

 ここ――愛光女子学園は東京・狛江市の住宅街の一角にあった。中層の公営アパートや社宅と一戸建ての住宅とが混在する都市近郊のありふれた光景にうずくまっていた。一九四九(昭和二十四)年に開設された全国最初の国立女子少年院である。京王線調布駅前で拾ったタクシーの運転手は、ときどきあそこまでお客を乗せるけど、あれ、どういう学校ですかね、と聞いた。着いたところは、町なかの診療所を思わせるうすいクリーム色の目立たない建物だった。

 シンナーや覚醒剤の乱用、暴力非行、家出、不純異性交遊、窃盗。さまざまな非行を重ねたあげくに家庭裁判所で少年院送致の決定を受けた少女たち、およそ六十人がここで生活している。半年で出ていく少女もいれば、一年を過ごす少女もいる。ほとんどは十四、五、六歳。中学生の年齢とその少し上程度の少女たちだ。

 昔はね、ここでも脱走する子がいたり、喧嘩なんかも派手にやったらしいですが、ここ数年ですか、もっと前からかな、子供たちはおとなしいですねえ。中川清園長は言う。顔見ていると、この子が覚醒剤やって、ヤクザの女になっていたなんて、嘘でしょ、てなもんですよ、でも、やっぱりほんと。

 真由美もそうだった。東京で生まれて学校に上がる頃には、父親が覚醒剤の中毒になっていた。ときどき発狂するようになって、そうなると母親にひどい乱暴をふるった。小学校三年のとき、彼女は母親と家を飛びだして、知人の家に転がりこんだ。父親は追いかけてもこず、それっきりいまでも行方不明のままだ。ホステスになった母は、やがて客の男といっしょになった。真由美は茨城県で料理屋をしていた祖母に預けられて学校をつづけたが、中学に上がってすぐの頃、母親が覚醒剤をやって逮捕された。寂しかったんじゃないかな、いろいろあって、と彼女は想像する。学校はつまらなかった。両親と別れてひとりで生きていかなくちゃならないあたしと、遊んで帰れば夕食が持っている子とは話がちんぷんかんぷん、合わないのね。中学には三ヵ月通っただけだった。

 十八だと偽って同じ県内の中都市のスナックに勤めた。若いホステスの払底している街では、彼女が座っているだけで客が寄ってきた。そうやって店を転々としているとき、彼女は四十一歳の男と知りあって同棲するようになった。優しい男だったが、仕事は長続きせず、金がなくなると街頭の自動販売機から金を盗んでくるような生活を送っていた。

 あたしが覚醒剤やるようになったのは、このとき。父も母もそれで駄日になったこと知ってんのに、どうしてかなあ。その男がね、やっぱりやってたの。あれ、やっている人って、やってない人にやって欲しいんだよね。誘うの。見てるだけで冷たいなあって。あたし、夜の仕事やったり、辞めたり、母は刑務所だし、どうやって食べていくかで精一杯だったでしょ、寂しかったし。やっちゃったよ。手がわーっと震えて、幻覚が出てくる。人なんかいないのに、窓の外に見えたりして。怖くないよ、気持ちいい。大胆になれるの。体重測ると、毎日一キロ、二キロって減ってくの。毎日よ。

 男とは別れて、また別の男といっしょになった。覚醒剤の深みにはまった真由美は、何度も買いにいくうちに販売組織の男たちに可愛がられるようになり、電話番をまかされるようになった。そこで知りあった三十六歳の男だった。〇・〇五グラム、一回分で一万円くらいするでしょ。生活も目茶苦茶だし。こんなことしてたら駄目になるって、彼と逃げたの。彼の実家の静岡まで。逃げる前の一週間、アパートにこもって、水しか飲まなくて、部屋に閉じこめてもらって、あたし、クスリ抜いたの。苦しかったぁ。

 男の両親は事情を知ってひどく驚愕したが、二度と過去の生活にもどらないならと言って近くに家を借りてくれた。たった三ヵ月だったけど,このときが一番楽しかったよ。新婚みたいで、ふっ、主婦だもんね。真由美はくすぐったそうな口調で言った。しかし、やがて付合うようになった男の旧友がサラ金の返済に追われて、覚醒剤販売を手がけたいと言い寄ってきたのだ。東京の別の組織に連絡をとってやり、取引きがはじまってすぐ、男も旧友も逮捕された。

 あたし、またひとりになっちゃった。彼の両親は、怒ったけど、息子が帰ってくるまで待っていてほしい、と優しかったよ。彼女もそうするつもりでいた。一ヵ月後、真由美は東京に昔の女友だちを訪ねた。組織を逃走する前、借りていた三千円がそのままになっていたのだ。返しにいくと、そんなこといいのに、と友だちは言って、その場にあった覚醒剤と注射器を彼女のポケットに押しこんできた。

 帰り道、足が震えた、と彼女は言う。新幹線の座席でポケットに触れると、それは乾いた音をたてた。静岡に着く直前、彼女はトイレにかけこんで包みを開いた。ひとりになって、どうやって生きていけばいいか考えられなかったのね。馬鹿みたいだけど、それですぐにつかまって、オシッコ調べられたら、反応が出ちゃった。それで、女子少年院に送られることになった。

たくあんが噛めない……

 建物は渡り廊下で結ばれて、玄関のほうから庁舎、講堂、寮舎、教室、食堂などとなっている。週二回の風呂も、町の美容師が奉仕で通ってきてくれる美容室も、茶道花道のための和室も、職業指導のための特別教室もある。

 朝六時半、起床。洗面や寮舎の掃除をしたあと、七時過ぎに食堂に行って朝食をとる。寮舎ごとに整列し、いっしょに移動することになっている。義務教育年齢にある少女たちは、もちろんここでも普通の中学と同じように国語や数学や英語や社会などの授業を受ける。正午から一時間の昼食をはさんで午後四時まで、ここは普通の学校と変わらない。中卒以上の少女には職業訓練指導の授業がある。四時から一時間は食堂や教室などの掃除、五時から夕食。六時半から三十分間、寮ごとに集って一日の反省会を開く。

 七時からは自由時間だ。勉強をするもの、編物をするもの、日記や手紙を書くもの、読書にふけるもの。小さな集会室に置いてあるテレビを眺めて時間をつぶしてもいいのだが、少女たちはあまりテレビを好きではないらしい。タレントとか歌手に夢中になるのって、子供っぽいんだもの。少女たちの何人もが言った。そして、夜九時、部屋の明りが消える。

 二台の小型バスに分乗して日帰りのハイキングにでかけた。行先は神奈川県の陣馬山.調布市の郊外を走り、高速道路を抜けて、山間部に入ったところでバスを降りて、徒歩で山頂をめざすのだ。構内から出られない少女たちにとって、久しぶりに世間の光景に触れる日だった。出発は朝十時少し前。小さなバスは、全員がエンジ色のジャージを着て、手にお菓子の袋と三つのおむすびを持った少女たちでぎゅうづめになった。髪の黒い子、彼女はもう数ヵ月は愛光で生活しているはずだ。脱色して真黄色の髪の少女は、最近入ったばかりだ。その中間の黒と黄色がムラになった髪の少女が一番多かった。

 バスが門を出たとたん、空気がゆるんだ。溜息とも悲鳴ともつかない呼吸が、少女たちの(のど)からもれた。わっ、タクシーだ。デニーズがあるう。ねっ、バス停だよ。あ、信号が変わった。わあ、あそこ、煙草だあ、自動販売機だよ、売ってるう。吸いたーい。爆笑が湧いた。窓外を過ぎていく光景のひとつひとつを口に出して言わないではいられない微熱のような興奮が、車内に充満した。

 高速道路に入ったとき、運転席のすぐうしろにいた少女がおどけて叫んだ。道がちがうっ。新宿はこっちじゃないよ、反対だよお。キャッキャ笑いながら唱和する声があがった。新宿行きたいでーす。あっちでーす。ハンバーガー食べたいなあ。歌舞伎町のハンバーガー。あ、シュークリームの匂いがする、何だろ。先生、もうお菓子食べていいですかァ?

 その姿だけを見ていると、無邪気で、陽気な普通の少女たちと変わらない。陣馬山の頂上に着いておむすびをほおばり、全員でゲームをして遊んでいたとき、土産物屋のおばさんが、ジャージの胸に亀甲文字で縫いつけてあるAIKOの名称をのぞきこんで声をかけてきた。どっから来たの、どこの学校かな、どっかキリスト教の中学でしょ。少女たちは、うっ、とつまって曖昧(あいまい)な返事を返していた。

 遠くに奇抜な格好のラブ・ホテルが見えた。わあっ、懐かしいなァ。あそこ、知ってるよ。だけどさあ、あのホテルの部屋、狭いと思わなかった? うん、狭い狭い。そうよね。そばの教官たちが笑った。少女たちはたいていのことは経験してきている。ここでいまさら、そんなことを話題にするな、と言ってもたいした効果はないのだ。

 そのかわり、彼女たちはいつまでも同じ話題にこだわったりもしないのだった。山頂に至る急な坂を登っていたとき、近くの木陰にくしゃくしゃに丸めたティッシュ・ペーパーが捨ててあった。わっ、あれ、いいことしたんだ。いいな、いいな。きっとニャンニャン運動だ、ねえ。まわりの数人がクスッと笑ったが、それだけだった。その次の瞬間には、別の話題に飛んでいる。ね、わたしのホクロ見て、これお金に苦労しない証拠だって、だけど男には苦労するみたい。

 そう言ったのは、強姦幇助(ほうじょ)で補導され、少年院送致の決定を受けた少女だった。喘息(ぜんそく)で入院しているあいだに年上の男と知りあい、シンナーを覚え、怠学の癖がついたという。一度鑑別所に入れられたが、そのときは学校にもどされた。しかし、翌日、また家を飛びだして、別の男のアパートに転がりこんだ。離れると、学校って恋しいもんじゃないよ。幼稚なんだもの。マッチがどうしたとか、シブがき隊がどうのって、グループ作って騒いで、馬鹿みたい。

 私鉄バスの運転手をしている父と、ときどきパートに出ている母。ひとり娘だった。両親? あたし、家庭的には惠まれていたと思う。不満はなかった。でも、外で遊びを覚えちゃうと、学校だって家庭だってつまらなく見えるでしょ。幼稚で、狭くって、退屈じゃん。友だちのアパートに行けば、その子、昼間働いていたんだけどね、夜になると、いっぱい集ってきて、みんなでドライブに行ったりさ。毎日、毎晩、すっごく忙しいの。遊びまわって。

 彼女が好きだった男を奪っていった女の子がいた。ゲーム・センターでばったり顔を合せたとき、彼女はそのアパー卜に連れこんだ。ちょっとおいでよ、と言ったらついて来たの。部屋に行くと、男の子が数人いて、なんか話しているうちにおかしくなって、あたしの見ている前でまわしちゃった。

 あとでさ、ここに入れられる前だけど、あたしも知らない子にナンパされて、その子の部屋で六人に強姦されたの。自分は度胸あると思ってたんだ。だけど、熱だしちゃってね、彼女も大変だったろうなって、思ったの。遅かったけどね。

 少女たちの食欲はすさまじい。どんぶり二杯分のおむすびをひとつ残らず平らげた。たくあんが堅くて噛めない、と残したのは、シンナーをやりすぎて茶色くなった歯が溶けかかっていた少女だ。ゆで卵についていた塩をたっぷり振りかけてほおばっていたのは、母親が蒸発して、子供のときからずっと祖母に育てられた少女だった。年寄りの嗜好がそのままうつっているのだった。

演技する少女たち

 少女たちのなかには無邪気な子供の部分と、大人びた経験とが無秩序に混在しているようだった。子供には子供の世界があるのだと、少女たちだって知らないわけではない。だが、それはあまりにも無邪気で幼稚で退屈で息苦しい世界だったと、彼女たちには映る。でも、一度は一生懸命おもしろがって付合ったこともあるんだよ。そう彼女たちは言う。

 ほんとは信じてなんかいないことを、信じた振りして演じつづける。楽しげに、可愛げに、無邪気に、善良に、そしてときには、強面(こわもて)に。()りつづけなければ、どこでだって生きてはいけない。そのことを、いま少女たちはよく知っている。そのことを教えてくれたのは、背伸びして経験してきた大人の世界だった。

 ……少女Aは、十六歳。女子少年院から出てきたばかりです。住込みで美容院に働くようになってまもなく、同室の女の子たちとふざけあっていたとき、手首についたいくつもの火傷(やけど)の跡を見つかってしまいます。悪い仲間とつきあっていたころ、わざと煙草を押しつけて遊んだときの傷でした。怖がって、彼女を避ける女の子たち。店でも、うっかり隠し忘れていると、お客から、その傷はどうしたの、といやな目で聞かれるのでした。彼女の心も動揺します。

 輪になった十五人の中学生少女と三人の教官の前で、真由美はストーリーをしゃべった。サイコ・ドラマ(心理劇)の粗筋(あらすじ)を作るように、彼女はさっき昼休みのとき、教官から言われていたのだ。四人で寝起きしている寮の十畳の自室にもどり、小さな座り机を窓際に置いて、ノー卜を開いた。丸っこい小さな文字が、鉛筆の先から走りでた。

 愛光女子学園に入園してそろそろ八ヵ月。あと数週間で、ここを出ていくだろう。ここを出て、それからどういう生活がはじまるのか。どんな障害が待伏せているのか。自分の思いに即しながら、しかし、状況は少し変えて、真由美は粗筋を作った。半時間もかからなかった。

 ……そんなとき、街で彼女は、昔のツッパリ仲間に出会いました。過去を忘れて、まじめに出直そうと考えていた少女Aは、ディスコに誘われて、いったんは断わったのですが、もとの仲間は店や両親のところまでしつこく電話をかけてくるのでした。店のなかでも孤立した少女Aは、ある晩、とうとう昔の溜り場のディスコに入っていきます。

 ……でも、彼女は真面目に働いて、自分の人生をしっかり築いていきたい、そう願っているのです。けれど、それにはひとりでがんばるだけじゃ駄目。少女Aは、同室の女の子たちにほんとうのことを打明けます。わたしは、昔、ツッパリやって、カツアゲやって、男とやって、暴走族やって、家出やって、覚醒剤やって。だけど、もうそんな生き方はしたくない。ちゃんと生きていきたいの。

 ……店の女の子たちは彼女に同情し、かばうようになりました。彼女が、夜間高校に通うようになったときも、あまり理解を示さない経営者とかけあってくれました。そのかわり昼間、彼女は一生懸命働きます。少女Aの表情にもようやく明るさがもどってくるのでした。

浮かび上がる両親の姿

 サイコ・ドラマは、当事者の境遇に近く想定した具体的状況を演じるなかで、自他の関係を認識していく心理療法の一種だ。現実に存在するさまざまな人物になりかわることで、そういう人物を自分がどう見てきたかもわかるし、どのように対応するかの訓練にもなる。愛光のような少年嬌正施設では重要な科目になっているのだった。

 彼女が下がると、今度はそこにいた全員がストーリーに出てきた役のどれをやりたいかを申し出た。役が足りなければ、ディスコのボーイとか少女Aの更生を見守る保護司の役なども付け加えていく。教官もいっしょだ。三人の教官は、しつこくつきまとう昔の仲間になった。

 少女たちは演技をはじめた。見えないこたつを囲んだ親と子は、がんばる、がんばれよ、を言いあい、こちらの隅では、美容師の卵たちがおしゃべりに夢中だ。ディスコでは客たちが踊り、そのあいだをボーイが走ってまわる。昔の仲間はポケットに手をつっこんで、あたりを物色している。意地悪な客が美容院の椅子に座って、疑いぶかそうな質問をなげかける。少女たちに見えたとおりの世間というものが、その場に現出していた。やがて、少女は、周囲の理解に励まされて、明るい表情を取りもどしていくのだが……。

 先生、ちがうよ。ツッパリの子はあんな乱暴じゃないよ。仲間には優しくって親切なんだよ。終ったあとの反省会で、少女たちが言った。あれではまるでチンピラヤクザみたい。いや、ヤクザだったらもっと優しいよ。別の子が言った。

 教官は苦笑した。そうなんですね。しょせんツッパリやヤクザなんて乱暴で迷惑な存在だ、と思いこんでいるから、彼女たちがどうして非行グループやシンナーや覚醒剤の深みにはまっていくか理解できなくなる。ここにきた子供たちは、年上の男の子やヤクザなどに親切にされ、楽しく過ごしてきたという記憶をいっぱい持っているんです。

 それに比べれば、世間一般のほうは、少女たちには類型的で冷やかな印象しかあたえていないようだった。保護司の役をやった少女は、一生懸命がんばりなさいよ、と主人公に言い、両親には、しっかり見てやってくださいね、と投げやりな口調で言うばかりだった。ディスコの一般客は、過去の生活にもどりたくない少女Aの困惑した表情を見ても、知らん顔をきめこんでいたし、美容院の客はといえば、しつこく意地悪な詮索(せんさく)をするだけの存在だった。

 結末で、少女Aの切実な思いを知って同情し、かばうようになる女の子たちも、はじめのほうではテレビのアイドルやキャラクター商品やらに夢中になるだけの、ひどく類型的な子供に過ぎなかった。テレビに飽きると、お風呂に行こッ。洗面道具を持ってじゃれあい、コマーシャル・ソングを歌ってでかけていく、無邪気で、陽気で、退屈な普通の女の子たち。少女Aは、まずその子たちに怖がられ、避けられたのだ。

 それだけに、あとになって少女Aの親身になる女の子たちの様子は、きまぐれな同情とも言えるのではないか。だが、少女たちはその同情と庇護の場面を必死でこなした。ほとんどそれは、こうあって欲しいという願望であった。

 今度は教官が質問した。女子少年院を出てきたあの子が美容院に住込みで勤めると言ったとき、お父さんもお母さんも、とっても優しく励ましたでしょ。おこづかいだってあげてたわね。だけど、その後、彼女が困って両親に相談に行ったとき、声の調子もちがったし、追いだすようにして美容室に返しちゃったでしょう。あれは、どうして?

 少女たちは口ごもった。昔の生活にもどると思って、怒ったから。そうそう。相談されても、どうしていいかわからなかったから。きっとそうだよ。子供とちゃんと話したことがないんじゃないかな。そうかもしれないね……。しかし、どの返答にももってまわったような調子がにじんでいた。

 あの子たち自身の父親や母親の姿が、あそこには反映していたんです、とあとで教官は分析した。娘が問題を起こさず、自分を葛藤にひきずりこみさえしなければ、親たちはいくらでもにこにこし、優しい言葉もかけてくる。しかし、家庭のなかに波風をたて、暗い気分に誘い、鬱屈した雰囲気に沈ませる何かが接近する気配を感じとると、親たちはさっと身をかわすのだ、と。

 この少女たちの親には、ふたつの姿勢しかないように見える。過剰に優しい姿勢と、過剰に冷ややかな姿勢。それは、彼女たちには関係の手がかりをつかめない壁のような環境にちがいなかった。それが、しかし、少女たちが見、感じとっている実際の両親の姿なのだった。

 が、それは、親たちについてだけ言えることではないにちがいない。サイコ・ドラマに反映していたいくつもの壁と少女たちの困感は、愛光女子学園が力をいれている短歌の実作のなかに、例えばこんなふうにも表現されているのだった。

 ……人は去りその寂しさをかみしめてまた人を知る過ぎ行くままに

 真由美、十五歳の短歌だった。

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2016/05/28

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吉岡 忍

ヨシオカ シノブ
よしおか しのぶ 作家 1948年 長野県佐久市に生まれる。

掲載作は、「新潮45+(しんちょう・よんじゅうご・ぷらす)」(1984年4月号)に初出。「新潮45+」の現在の誌名は、「新潮45」となっている。

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