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商品としての誠実について

『エロスの招宴』といふエッセイを連載形式で書いてゐたとき、私は自分が書いてゐることの参考に、ベレンソンの裸体論をぜひ読みたいと思つた。裸体論といふ著述がベレンソンに特にあるわけではないが、ルネサンス美術論のなかに、さういふ箇所のあることを聞き及んでゐた。そしてそのルネサンス美術論の翻訳が近く出版されるといふ予告を私は見たので早く出ないか、出たら裸体論を読みたいと思つてゐたのに、なかなか出版されないで、そのうち、私の『エロスの招宴』の終回が来た。あれから何年経つたか、ベレンソンの翻訳はどういふわけかまだ出版されてない。

 つまりこんなわけで私はベレンソンに特別の関心を持つてゐた。そのベレンソンが第二次大戦中、山荘にこもつて、色々の本を読んで(彼は英独仏伊のほかギリシャ語、ラテン語もできた)――その感想を書きとめたものが、死後出版された。最近出たのだが、その本に関する紹介文を私はそれがベレンソンのものだといふので、今言つた関心から読んで見たら、そのなかに次のやうなベレンソンの言葉が引用してあつた。

「オーバー・ワークの、そしてそれを強ひられてゐる人間あるひは階級は、創造的Creative であることが稀である。その反対に、閑暇は、たとへばむだなそれでも、結果において創造の可能性を持つてゐる」

 私は、はつとして、そしていやな気がした。ベレンソンの言葉だといふので、特に、はつとしたわけではなく、言葉自身に、はつとしたのだが、かういふ言葉が私の目にとまつたのはベレンソンへの関心からでもある。

 私もマス・コミのなかで生きてゐる人間として、私なりにオーバー・ワークを強ひられてゐる。へえ、あんたが? と、私の仕事の量を、その少量を知つてゐる人からは笑はれさうだが、しかし私自身の気持としてはオーバー・ワークの感じなのである。だから、はつとし、そしていやな気がしたのである。

 ベレンソンはルネサンスに凝つてゐた、いはば旧弊な爺さんである。そんな爺さんの言ふことなど、この原題には適応しない、すつかりずれた言葉かもしれない。しかし私は、はつとした。私もずれてゐるからか。

 創造的とはどういふことだらう。それについて私はやはり色々と考へさせられた。

 Creative なんてのが、そもそも現代向きの言葉ではない。Productive(生産的)といふのが現代的なやうだ。

 現代は生産の時代で創造の時代ではないのかもしれぬ。

 

 せんだつて私は新聞に出てゐた日本のオモチャ製造業に関する紹介を面白く読んだ。なんだか紹介文ばつかり読んでるみたいで気がさす――いや、気がさすと言へば、オモチャ製造業の紹介なんて読んでる暇があつたら、自分の小説製造(小説生産かな?)に精出したらいいんだが、これがなかなか面白かつたのだ。日本のオモチャは、輸出雑貨の中で陶器と常に一・二位を争つてゐるさうだから、なかなか大したものだ。さういふ点に関して私の面白かつたことは、ここで考へようとしてゐる問題からそれるから、やめるとして、違ふことで面白く感じたことを書くと、あるオモチャ製造業者は自分の仕事を「創作企業」と名づけてゐる。オモチャはアイディアが大切で、常に新しいものを創作しなければならない。それが他の企業と違ふので、「創作企業」とみづから名づけてゐる。すなはち、そのオモチャ製造業者は創作家と企業家(工場主)をひとりで兼ねてゐるわけで、その人が新聞記者に対して、かう言つてゐるのだ。

「小説家や雑誌編集者と同じでね。自分の創造力におぼれると、お客さんにうけない」

 私はこれを読んで、はつとして、そしていやな気がした。自分の創造力におぼれてゐると私は自惚れてゐるわけではないが、お客さんにうけないといふのに、はつとした。そして、いやな気がしたので、オモチャの創作企業と小説の創作作業とは、同じぢやない、違ふと私は心の中で言ひ立てた。だが、すこし経つと、この人の指摘は正しいと認めざるをえなかつた。現代の作家は創作家と企業家とを、意識の上で兼ね備へてゐなくてはいけないのだ。それをちやんと指摘してゐるのである。オモチャの創作企業の場合は、企業のはうに重点がおかれてゐて、つまり、うけるうけないといふことが何よりも問題で、小説の場合は、うけるうけないの企業意識よりも、やはり創作といふことのはうに重点が置かれてゐる。初めはそんなふうに思つたのだが、企業意識をそのやうに軽く見ることは現代の小説の実態を見てないことになるのである。

 現代の小説はオモチャと同じやうな創作企業であるとなると、それはクリエーティブとは違ふプロダクティブのはうに属する作業といふことになる。さう言つてしまへば、サバサバしてゐていいんだが、さてここで、次のやうなことも考へられる。自分の創造力におぼれてゐると、お客さんにうけないといふ言葉は、いかにも企業的で、創造的でない感じだが、自分の創造力におぼれて、ひとりよがりになつてはいけない、さういふ意味にこれを解したら、どうなるか。

 現実は常に、作家に対して表現をもとめてゐる。作家に表現を迫つてゐるものを持つてゐる。それと、作家の内的な創造意欲との一致といふ問題が、ここにある。

 すぐれた作家や作品には、常にこの一致が見られる。ひとりよがりではない、この一致にこそすなはち、その作家や作品の、ひとりよがりとは違つてすぐれた所以(ゆゑん)があるとも言へるのだが、しかしそれはその一致に作家の個性的な表現が与へられてゐるときのことである。この表現とは単に形式的表現といふだけでなく、題材に対する個性的把握をもふくんでの作家的表現の意味である。それがなかつたら、一致だけでは傑作とは言へない。さうした個性的表現が、現実のいはば要求と作家の内的意欲との一致に対して与へられてゐるとき、その作品は傑作の輝きを放つ。それはプロダクティブといふより、明らかに創造的な作業であり作品である。さうなると、創造的とは個性的であるといふことか。

 

「仕事の上で個性を持ち続けたら、その人は一年でダメになる」

 これはさき頃、日本に来たイタリアのテクスタイル・デザイナーのフリドリンネ・ディ・コルベルタルドさんの言葉である。つづいて「毎年毎年かはつたものをデザインしなければならないからです。年配向きのものもすれば若向きのものもデザインする。色だつてすべてのものを使ひわけなければなりません」云々と言つてゐる。ここまで引用すれば、デザインはまあ、さうでせうが、文学はデザインとは違ひますねと言ひたくなつてくるけれど、前の言葉だけにしておくと、その個性否定論は私をどきつとさせるものがあつた。ダメになつたら、ことだと、職業作家意識であわてただけではない。個性といふ概念にまつはる十九世紀的なものへの懐疑も、つめたい隙間風のやうに心に吹きこんでくるのだ。現代は生産の時代で、個性的創造の時代は去つたのではないか。

 檀一雄氏がいつだつたか、作家十年説といふことを書いてゐた。詳しいことは忘れたが、檀さんの言ふ作家とは、個性的創造を信条としてゐる作家のことである。そして檀さんはさういふ作家が、作家といふものだと信じてゐるのだが、さういふ作家の作家的生命は十年だと言つてゐたのだ。そして、それでいいのだと言ひ、そのはうがいいのだと、たしかさう言つてゐたと思ふ。

 個性的といふことを固守すれば、かうなるのだ。そしてこれでいいのだと私もさう思ふ。さう言つてしまへばサバサバしてゐていいんだが、一般的な問題としてはさういかない。生産の時代である現代の作家は、かうした個性とは違ふものを持たねばならないのか。個性にかはる企業意識で、現代の新しい作家は、現実の要求のままに、自分の仕事をやつて行くといふことになるのだらうか。これもまた、さきに述べた一致と言へないことはない。現実が作家に表現を迫つてゐるその要求をとらへるといふことと、「お客さん」にうけるやうなものをとらへて書くといふこととは明らかに違ふけれど、個性的といふことに重点が置かれない点では同じである。

 

 最近、中村光夫氏が『想像力について』といふ評論集を出した。毎度、中村さんのお世話になつて恐縮だが、その評論集のなかに『文学と世代』といふ、岩波の講演会の速記が入つてゐて、その終りのはうで鴎外の「生き埋め」といふ言葉と事柄が語られてゐる。「生き埋め」になつた作家として鴎外のほかに永井荷風を挙げ、また「浮き沈みの多かつた点では、武者小路実篤のやうな人も、昭和の初めには非常にひどい生き埋めにあひました」と語つてゐる。この人たちは個性的な作家である。デザインとは違ふ個性的な仕事をしてきた作家である。個性的であることによつて「生き埋め」になつたのである。だが、個性的であることによつて復活もしたのである。「大正時代の武者小路さんと言へば、時代を代表する作家であつて、新しい村の運動で、非常な影響を与へたわけです。それが昭和になつて、新しい村の運動が失敗して、同時にプロレタリア文学の主張などが起つて、人道主義は古いといふやうなことを言はれますと、武者小路さんの原稿はどこの雑誌でも買はなくなつてしまつた。……さういふ目にあつてゐたのが、また復活して、立派な仕事をしたわけであります。かういふやうに、生き埋めの運命に堪へるといふことをやつた人、これをやるだけの何か自分の身についた思想といふものをつかんだ人、さういふ人たちがほんたうに意味のある仕事を、明治以来の文学で残してきた」と中村さんは言つてゐる。

 平野謙氏も――この平野さんにも毎度、お世話になつて恐縮だが、『小説新潮』九月号の『文壇クローズアップ』で武者小路さんの名を出してゐる。『群像』八月号の「戦後の小説ベスト5」といふアンケートに関連して伊藤整氏の言ふ「日本的人格美学」の「崩壊」が見られると言ひ、しかし「このことは、今日の読者が人格美学的な作品を求めなくなつたこととそのまま直結しないだらう。武者小路実篤、山本有三らは今日もなほ多くの一般読者をもつてゐるのではないか。……ただ文壇文学はさういふ読者の要望にこたへることができなくなつたにすぎない」と言つてゐる。

 平野さんは武者小路さんの個性的な仕事の「人格美学」の面をとらへてゐる。私は伊藤さんの「人格美学」説を読んでないので、今の私の言ひ方は間違つてゐるかもしれないが、平野さんのとらへてゐる面を私なりに解釈すれば、それは人間的完成といふ心構ヘで人間や人生への探究を行つてゐるといふことである。それはたとへば、ひとしく個性的な荷風を耽美派とすれば、これは求道派だといふことで、また前者を快楽型と見れば後者を誠実型と言へる。かうした誠実型の求道派文学に対して、今日もなほ「読者の要望」があるにもかかはらず、平野さんによると「文壇文学」がその要望に「こたへることが、できなくなつたにすぎない」と言ふのだが、私はこれに多大の疑ひがある。

「文壇文学」といふやうな言ひ方をする平野さんに、それではお尋ねするが、さういふ言ひ方をする以上、今日の文学には「文壇文学」以外の文学もあるとお考への上のこの言ひ方と察せられる。さしづめ、それは平野さんも所属してをられる新日本文学会の文学などがさうなのだらう。その新日本文学会は、平野さんの言ふ読者の要望にこたへることができる、そしてまた、こたへねばならぬ作家の集まりと思はれるが、はたして、こたへてゐるだらうか。ひとしくこたへてない。「読者の要望」にこたへることができないのは、ただに「文壇文学」だけではないのである。だのに「文壇文学」だけがこたへることができないかのやうな、さも軽蔑的な口調だが、「文壇文学」を軽蔑するなら、もつとほかのことで軽蔑すべきである。

 

 大正時代に武者小路文学に傾倒したああいふ読者層(正確に言ふと、小説読者層)の存在といふものを、私もその昔の愛読者の一人だつたから、ともすると自分の記憶に執して、今日もなほ同じやうに若い世代のなかにありうるものと考へがちである。私と同世代の平野さんもさうなのだらうが、そこに疑ひがある。大正時代に私たちが武者小路文学に、そして一般に文学にもとめてゐたものを、今日の若い世代もまた、ひとしく文学に求めてゐるかどうか疑問なのである。

 さきに文学を大ざつぱに求道派と耽美派とに分けたが(さういふ分け方は私にはかなり苦痛が伴ふ)――読者もおのづと、そのやうな二つに分けられるだらう。画然と分けられるかどうか、それはあやしいし、画然と分けることは間違ひだが、それにしても、たとへ片方で荷風文学を読んではゐても、ほんとは文学に対して求道的なものをもとめる心の強い読者の存在は考へられる。さうした読者はしかし、かならずしも文学のみに求道的なものをもとめてゐるといふのではなくて、つまりそのもとめてゐるものは求道的文学ではなく、求道なのである。それを文学にもとめるのは、文学が具体的な形でそれを示してくれるからといふ以外に、大正時代の場合は、文学以外のもので求道的な要望にこたへてくれるものがすくなかつたからである。ドイツ観念論の影響が強い哲学は難解であり、社会主義はまだ異端の観があつた。そこで文学に「読者の要望」が集まり、文学もその要望にこたへねばならなかつたし、ならなかつたからこたへたのである。

 すなはち、求道的な読者はほかに彼の求道的な問題を解決してくれるものがあつたら、なにも文学にのみ固執しはしないのである。疑問の直接的な解決にはあまり役立たない文学より、むしろ、ほかのものをもとめるのである。

 今日、この求道的な読者といふのは、大正時代のやうに、ひたすら文学に「読者の要望」を向けることはしないで、文学以外のものでみづからの求道的な問題の解決を行つてゐると私は見てゐる。大正時代にはまだ「過激」な社会主義としてとどまつてゐた社会科学などが、それである。文学のみが「読者の要望」に、こたへねばならなかつた大正時代と今日とは全く事情が異つてゐる。

 だからとて、平野さんの言ふ「読者の要望」にこたへる文学など、今日はもはや不要だとか、今日の文学に求道性が失はれるのは当然だなどと言はうとするのではない。だが、大正時代とは全く異る事情が存在する今日、大正時代に存在したやうな求道的文学では、今日の求道的文学たりえない。そこに今日の求道的文学の創造のむづかしさがあり、新日本文学会の作家といへども「読者の要望」になかなかこたへられない所以はそこにある。

 そのむづかしさの故か、それとも求道的な読者が文学以外のものに赴いてゐる外的事情の故か、真の求道的文学とは違ふけれど、一種のそれが代用品めいた感じで発生し、存在してはゐる。言ひかへると、平野さんの言ふやうな「読者の要望」にこたへる文学は、平野さんの見解とは違つて、実は今日、存在してゐるのだと言へないこともない。往年の求道的な読者のやうな、ああした「読者の要望」を持つた人々は文学などに眼もくれないで、みづからのもとめるものを社会科学のうちにもとめようとしてゐるが、さういふ要望とは違ふところの心情的な(今日の流行語で言へば)ムード的な要望――さういふ要望にちやんとこたへてゐる文学がある。

 さきに、求道派を誠実型と私は名づけたが、それをここへ持つてくると、求道的文学の今日的亜流としての、実はそれと異質のものだけど、一見誠実型の文学(以後、誠実型文学と呼ぶ)が真の求道的文学にかはつて、「読者の要望」にこたへてゐることに、むしろ注目せねばならないのである。

 創造の時代でなく生産の時代である今日の、それが求道的文学なのだらうか。

 ひとごとではなく、私のうちにも、この誠実型文学への誘惑、ときにその甘い自己陶酔に落ちこんでゐることを認めねばならぬ。それは現実への真の探究や人生への真の求道ではなく、それを避けた、しかも一見、さうした探究や求道であるかのやうな誠実な外観を持つた文学で、自己陶酔であることによつて他者をも陶酔させる。自己欺瞞とみづからも気づかぬことによつて他者をも欺瞞し、欺瞞的ムードを人生への誠実と見させる。そこには真の求道はない。一言で言へば、処世法としての求道であり、商品としての誠実である。

「山下肇によれば、現在の大学生のいちばん嫌ひなのは今東光だといふ」と平野さんは書いてゐる。私も読んだが、いま手もとにその原文がない。山下さんはたしか理由は書いてなかつたと思ふが、大学生のその嫌悪は、今東光氏がいかにも陳腐な反動的言辞を、それも下品な語調で吐き散らすからだけではないだらう。もちろん、それと切り離しては考へられないが、商品としてのエロ小説を書き散らしたことやその偽悪的で不作法なポーズなどからくる不潔感が、若い大学生にはたへがたいものだらう。しかも商品としての不潔であることも、純真な大学生に嫌悪感をそそるのだらう。

 だが、商品としての不潔を嫌悪するなら、商品としての誠実をも嫌悪しなかつたら、うそである。大学生諸君にだけ言ふのではなく、−般に、商品としての不潔のみを嫌悪して、商品としての誠実を嫌悪しない精神を私は嫌悪したい。商品としての不潔だけ嫌悪して、商品としての誠実には案外ころりとだまされてゐるのでは、健康な精神とは言へないのである。

 若い女性たちの流行語に、

「ご誠実でご清潔……」

 といふ皮肉なひやかし言葉がある。この若い女性たちの精神を健康なものに思ふ。この娘たちは誠実の偽善を憎んでゐるのだ。だからとて、不潔をかならずしも歓迎してはゐないだらう。

 商品としての不潔を面白がつてゐるのも、どうかと思ふが、商品としての誠実をありがたがつてゐるのも、どうかと思ふのである。脱線してしまつたが、これもつまりは創造の時代ではない、生産の時代の文学現象といふわけか。

 だが、商品としての誠実、処世法としての誠実は、文学界よりむしろ――進歩的文化人などと言はれる方々のなかに、より顕著に見られる現象なのである。今東光さんたちのいはゆる反動的な悪口雑言も、偽善的な誠実への憤りから発してゐるところが多いと思ふのである。

 

(昭和三十五年九月)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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高見 順

タカミ ジュン
たかみ じゅん 作家・詩人 1907~1965 福井県三国に生まれる。前衛藝術運動から左翼文学運動に、さらに東大英文科を卒業後も労働運動にかかわったが、転向し、「故旧忘れ得べき」等の饒舌体の私小説その他により多くの読者を得た。戦後も食道癌との凄絶な闘病のさなか活躍、最後の文士と呼ばれた。

掲載作は、1960(昭和35)年9月、「朝日ジャーナル」に『ちょっと一服』を連載の頃の一文で、まるい筆致の中に強い批評と自省を籠め、一の文壇史断章としても創作の本義としても貴重な感想を含んでいる。

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