検索結果 全1013作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 随筆・エッセイ 佐藤 義亮 出版おもいで話

    私は前から、長い出版生活のおもい出を書いて見たいと思っていた。今回、社(新潮社)の祝賀会に際し、急にこういう本をこしらえることになり、あわてて少しばかり書いて見た。しかしこれは思い出のほんの断片にすぎないし、匆卒(そうそつ)の際で年代や何かを十分調べる余裕もなかった。他日、まとまったものを、ゆっくり書くことの機会を得たら、この補いをさせてもらおうと思っている。 佐藤 義亮 <p

  • 評論・研究 佐藤 公平 林芙美子の年齢

    ──私は明治三十七年十二月三十一日に、山口県の下関市で生まれた。田中町の錻力屋さんの二階で生まれたと云ふ事である。母は鹿児島の出で、父は四国の伊予の周桑郡の出である。母は温泉宿をいとなみ、父はその頃紙商人として桜島へ渡った様子だ。 これは芙美子著書『放浪記1 林芙美子文庫』あとがきの引用である。 彼女の誕生日は、戸籍上明治36年12月31日だが、昭和26年6月28日の没後も随分長い間おおやけには明治37年生まれと信じられており、最初の年譜を編んだ板垣直子は、『林芙美子の生涯 ─うず潮の人生─』(大和書房 昭和40年)で、次のように弁明している。 </

  • 小説 佐藤 紅緑 行火

    奥州は津軽の城下に、名高い七夕の侫武多(ねぷた)祭が済んで門に火を焚く盆の頃になると、林檎がそれぞれに美しい色を染め出す。地福村といふのは弘前の町から半町となき西南の小さな村で、遠く館野の方から見ると只だ一帯の林檎畠。特に朝の静かな眺めは格別なもので、薄く白い霧の中に包まれた一廓は滑かな葉を瀰(わたる)紅、黄、紫などの林檎の色に、恰(さな

  • 佐藤 惣之助 女の幼き息子に

    潜水夫 潜水夫は武装した星の兵卒である。 金(きん)の頭を 暗(やみ)の中にとぢこめ 全身に 風と水の鱗や獣皮をつける。 兜をもつて、星を閉ぢ、世界を隔て 波濤の

  • 小説 佐藤 和子 消えない灯

    1 母娘の再会を祝うその夜の晩餐は、物資の乏しい戦時下としては驚くほど豪華なものだった。床の間の香炉からは気品ある香りが仄かに立ちのぼり、朝、通されたとき見た仏像の掛物も、いつのまにか慶事用の鶴の軸に取りかえられている。緑の絨毯(じゅうたん)を敷きつめたその十畳の客間は、珍客のときだけ使う特別の部屋らしく、大きな床の間・違い棚の、人を威圧するほどに立派なのが、この家に馴れぬ慧子には却って落ち着けない感じだった。一同が席につくと、和服の背を床柱にもたせ

  • 左川 ちか 雲のやうに

    果樹園を昆虫が緑色に貫き 葉裏をはひ たえず繁殖してゐる。 鼻孔から吐きだす粘液、 それは青い霧がふつてゐるやうに思はれる。 時々、彼らは 音もなく羽搏(はばた)きをして空へ消える。 婦人らはいつもただれた目付で 未熟な実を拾つてゆく。 空には無数の瘡痕がついてゐる。 肘のやうにぶらさがつて。 そ

  • 小説 斎藤 史子 濁流

    1 炊事場の椅子に腰掛けて、クァンはぼんやり水を見ていた。家の裏が湖になった。向こう岸もかすんで見えない水のひろがりだ。水は同じ場所にたゆたっているようで、浮かんだ塵芥は少しずつ移動しているからやはり川だ。こんなに水が出たのは何十年振りか、いやここに住み出してから初めてのような気もする。 二日前、「ばあちゃん、大変だ!」という孫娘のティエンの声に起こされて下に来てみると、炊事場まで川の水が押し寄せていた。雨季は終わりかけていたのに、十日も雨が続いていて川は増水していた。 「気をつけないと危ないぞ」 「水に流される

  • 小説 斎藤 史子 まだ生きている

    二階の廊下に掃除機をかけたついでに娘の部屋のドアを開く。一瞬どうしようかと迷ったが、そのまま掃除機を引っ張って中に足を踏み入れた。娘の由佳は三十歳も半ばを過ぎるというのに、親に部屋に入られても嫌がる風もない。時に掃除をしておくと有難がるぐらいである。小さい時は弟の克巳と親子四人、狭いアパート暮らしをしたせいかもしれない。市の郊外に無理をして一戸建てを建ててからは子供二人に個室を与えられたが、その時は既に由佳は大学生、克巳は高校生であった。 「受験勉強に危うくセーフ、やっと一人になれる」 と克巳が喜ぶと、 「一人になって却って勉強できなく

  • 評論・研究 斎藤 野の人 泉鏡花とロマンチク

    一 はでやかで鮮かで意気な下町風の女の夕化粧じみた紅葉の小説や、哲理とか何とか云つて重つくるしい露伴の小説や、基督教趣味で信仰で固めて、ちと西洋臭い様な蘆花の小説や、それから此頃名高いこれこそ本当の小説家である漱石、殊に智慧にも富み機智にも充たされて、飽くまでも西洋の学問と文化とを日本の趣味に醇化したこの新小説家の小説を読んでから、飜(ひるがへ)</r

  • 小説 斎藤 緑雨 わたし舟

    黄昏(たそがれ)の帰り路(ぢ)を少しも早くと渡し場に到れば、われより先に五十許(ばかり)なる女の、唯ひとり踞(つくば)ひたるが軽く手を縁(へり<

  • 小説 細田 民樹 多忙な初年兵

    私達は随分忙(せわ)しくなつて来た。 朝のうち、駈歩(かけあし)や体操で演習解散になると、食事当番に行く者は兵舎の南側へ整列して、舎内週番上等兵が炊事へ引率してくれるのを待つてゐた。この勤務の上等兵は時には用事をしてゐることもあるけれど、大概食事時間になると厩(うまや)から帰つて

  • 随筆・エッセイ 坂口 安吾 堕落論

    半年のうちに世相は変った。醜(しこ)の御楯(みたて)といでたつ我は。大君(おおぎみ)のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずくこと

  • 随筆・エッセイ 坂本 四方太 夢の如し

    自 序 「夢の如し」は三年ばかり前からボツボツ雑誌に掲載したのを、今度思立つて一纏めにしたものである。余は之を纏めて出版するに就いて一考した。斯様な片々たる文章を集めて、再び世の人に示す必要があるかどうかと考へた。全体余の今の文藝観では、心に深い感動が無ければ文章を書くな、といふのが根柢になつて居る。然るに「夢の如し」はどうかといふと、勿論そんな考で書始めたものでは無い。して見れば今之を出版する必要は無いのかも知れぬ。さうかといつて断然打捨てゝ了ふ気にもならぬ。何故であらうかと考直して見るに、深い感動とまでは行か

  • 評論・研究 坂本 龍馬 船中八策

    一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜(ヨロ)シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。 二、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スべキ事。 一、有材ノ公卿諸侯及(オヨビ)天下ノ人材ヲ顧問ニ備へ官爵を賜(タマ)ヒ、

  • 随筆・エッセイ 堺 利彦 堺利彦傅(抄)

    藩主小笠原家の補助と、旧藩出身先輩の寄附とで設立された育英会といふ団体があつて、官立学校への入学志願者は、多くはそこの貸費生にされてゐた。国の先輩には、小澤武雄、奥保鞏(おくやすかた)、小川又次、その外、陸軍の軍人として出世してゐる人が多かつたので、士官学校志願が大いに奨励されてゐた。私等の同期卒業生の中で、青木、生石(おいし)の二君は初め其の志願で上京した。杉元君と私は、内々で少し軍人志願を

  • 随筆・エッセイ 堺 利彦・幸徳 傳次郎 「万朝報」退社の辞

    予等二人は不幸にも対露問題に関して朝報紙と意見を異にするに至れり。 予等が平生社会主義の見地よりして、国際の戦争を目するに貴族、軍人等の私闘を以てし、国民の多数は其為に犠牲に供せらるゝ者と為すこと、読者諸君の既に久しく本紙上に於て見らるゝ所なるべし。然るに斯くの如く予等の意見を寛容したる朝報紙も、近日外交の時局切迫を覚ゆるに及び、戦争の終(つい)に避くべからざるかを思ひ、若(も)</rub

  • 小説 崎村 裕 マリの出征

    いつもの農業用水のところに来ると、マリはしばらく草叢を嗅ぎまわっていたが、対岸に眼を据えると、いきなり跳躍した。前脚と後脚がほとんど同時といった感じで対岸の地面に着き、何事もなかったようにぼくを見ている。川幅は一メートルぐらいだろうか。笹が茂り、みどり色がかった水がゆっくりと動いている。めだかの群れが泳ぎ、アメンボウが水の上をすいすいと歩いている。みずすましが水面を横切る。田植えが終わったばかりの田んぼで、蛙の声が喧しい。 ぼくは学校から帰るとマリと散歩に出る。墓地を抜け、田んぼの間の畦道を進むと、この用水に出る。マリはいつ頃からか、用水を跳び越えることを覚えたのだ。

  • 小説 崎村 裕 茜色の山

    あっ、と思ったときには前のめりにコンクリートの床に両手を突いていた。持っていた玄米の袋の口が開き、米が少し床の上にこぼれた。細引きがぼくの足元に落ちていた。 「やあ、わりい、わりい、大丈夫か」横の障子が開いて、学生服の上に半纏を着たぼくより少し上くらいの男の子が顔を出した。やや下膨れの細長くて白い顔だ。障子の反対側の部屋の根太に結んだ細引きを、ぼくが来たとき突然引っ張ったのだと分かった。 「ひどいじゃないか」といって、ぼくが米を拾いはじめると、男の子も一緒に拾った。別に怪我はないようだ、手も痛くない。 「おれ、真也っていうんだ。こな

  • 小説 崎村 裕 善人なほもつて往生をとぐ

    お盆の前の一週間は、朝七時から約一時間はお墓掃除だった。叔母はもっとずっと早く起きているのだが、私は七時より前には目が覚めなかった。 「よし坊、七時だぞ」という叔母の声に私はもぞもぞと動きだす。善昭というのが私の名前だが叔母はいつもよし坊と呼ぶ。 「芋虫ごーろごろ、じゃなくて、もーぞもぞ、だわ」と、いつもの皮肉だ。 叔母は草掻きと熊手、私は鍬と竹製の箕と鎌を持ち出発だ。といっても二分もあれば目的地に着いてしまう。本寺の大きな本堂の西側なので、朝は涼しく、蔓草は露で濡れている。蔓草を鍬と草掻きで引っ張り、鎌で根元を切っていく。お墓の隅に蔓

  • 小説 崎村 裕 鉄の警棒

    西条等は六十年安保回顧展が吉祥寺駅前のビルの一室で行われるというので出かけた。学校の教室の半分ほどの部屋で六十前後の女性が一人で受付をしていた。立看板の下に「六十年安保を記録する会」とあった。五月二十日午前零時五分、警官隊を導入して清瀬一郎衆議院議長が安保条約を強行採決した瞬間や、アイゼンハウアー米大統領の訪日の下検分のため来日した秘書ハガチーの車を取り囲んだデモ隊の写真、六月十五日国会構内に突入した学生たちに警棒を振り上げて襲いかかる警官隊と、逃げる学生の凄惨な写真、そのとき殺された樺美智子の写真など、写真が主だったが、投石を受けて凹んだ警官のヘルメットなどもあった。それらの中にその