検索結果 全1029作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 小説 中里 介山 愛染明王

    紀伊国(きいのくに)那智の滝愛染明王(あいぜんみょうおう)のお堂を、ある日の夕方、一人の歳若き出家がおとずれた。 「頼みます那智の滝本の愛染堂はこちらでございましょうか、ある人に途中で逢い那智へ参らば愛染堂の堂守(どうもり)をたずねよと申し聞かされましたこと故に、突然ではございます

  • 小説 中里 介山 笛吹川

    (上) 過ぐる事三年の昔。峡東(けうとう)の風物を探つて信濃の山に別け入る可く、自分は志保(しほ)の山。差出(さしで)の磯を経て笛吹川の沿岸を遡つた。 磊々たる花崗質の巨石に激する水流の響は絶えず鳴鸞(めい

  • 評論・研究 中澤 臨川 生命の傳統

    目下のわが思想界には二つの大きな潮流が流れてゐると見てよい。その第一はニーチェやベルグソンの哲学を祖述した、またそれから暗示を得てゐる、または是等の者を誤り伝へた個人主義で、切(しき)りに個性の権威とその充実とを主張してゐる。第二はタゴールの思想を中心とする無限実現論者で、西洋の個人主義に反対する一種の東洋思想である。この両思想は全然相反してゐるかのやうで、その実、今日の時代傾向を飽和した著しい一つの類似点を有してゐる。それは即ち在来の理性主義に反対し、抽象理想の破産を宣言しつつ、自然の本

  • 評論・研究 猪瀬 直樹 『黒い雨』と井伏鱒二の深層

    幻の重松日記を求めて インターネットがいくら普及しようと、直接得た証言にまさるものはないし、第一次資料は持ち主の家を訪ねて場合によってはいっしょに蔵のなかを探したりしなければならない。もう二十数年も前になるが、『天皇の影法師』を書くために京都で八瀬童子について調べていたとき、古老がふっと、こんなものがある、と見せてくれたのが「明治五壬申年 八瀬村記録」であった。和綴じで週刊誌大、二百九十二枚、厚さ三センチほどで古ぼけて黄色に変色している。京都市内とはいえきわめて不便なところだったから近くにコピーの機械

  • 評論・研究 猪瀬 直樹 恩赦のいたずら

    ――『天皇の影法師』より―― 「昭和」という元号がスタートしてまもなく、長谷川如是閑(にょぜかん)が昭和二年(1927)一月四日付の東京朝日新聞で「君主の交代による改元はもう昔の意味を失った」と論じた。こういう常識論はきわめて健康なもので、日々の暮らしのなかから合理的な精神を身につけた庶民の常識を高級に代弁したものとみてよい。

  • 評論・研究 猪瀬 直樹 元号に賭ける

    森鷗外が宮内省帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)に任ぜられたのは、奇しくも大正天皇崩御の日のちょうど九年前、大正六年十二月二十五日だった。前年の五年四月十三日、陸軍軍医総監・陸軍省医務局長を辞して以来、一年八カ月振りの官職復帰である。 鷗外が親友の賀古鶴所(かこつるど)とともに山県有朋(やまがたありとも<r

  • 小説 長谷 健 あさくさの子供

    星子の章 1 江礼(えらい)の手記……その一 いつもなにか告口のたねはないものかと、かぎ廻ってでもいるような零子(れいこ)だが、今朝はそうしたいやみもなく、真剣な面持(おももち)

  • 随筆・エッセイ 長谷川 時雨 旧聞日本橋(抄)

    自 序 ここにまとめた『日本橋』は、『女人藝術』に載せた分だけで、その書きはじめには、こんなことが記してあります。 ──事実談がはやるからの思いつきでもない。といって半自叙伝というものだとも思っていない。あまりに日本橋といえばいなせに、有福(ゆうふく)に、立派な伝統を語られている。が、ものには裏がある。私の知る日本橋区内住居者は──いわゆる江戸ッ児は、美化されて伝わったそんな小意気<

  • 随筆・エッセイ 長谷川 伸 小説・戯曲を勉強する人へ

    一 私が股旅物を書くのは、表現の一つの方法として書くのである。要は股旅物にあるのではない。その中に流れている精神である。 これを履き違える時、其処には単なる一個の武勇伝が出来あがるに過ぎない。 上ツつらを書かずに、下に流れているものを、形の中に脈打っているものを、書かねばならない。 股旅者も、武士も、町人も、姿は違え、同じ血の打っている人間であることに変りはない。政治家の出来事も、行商人の生活も、これに草鞋(わらじ)<

  • 評論・研究 長谷川 泉 「阿部一族」論

    創作家が作品の素材として歴史的事実をとりあげる場合に、ふつう「歴史小説」が形成される。「ふつう」という限定概念を附したのは、このことは一般にそのように取り扱われがちであるが、厳密な意味では、手放しの容易さで是認はできないからである。そのことは「歴史小説」とは何かという本質規定が重要な意義を持つことを確認させると共に、さらに次のようなことがらに留意する必要のあることを意味する。史実を作品の素材として扮飾する場合には、その歴史的事実が、誤謬や、あまりにも空想的幻想に潤色され過ぎていては、素材を歴史的事実にとった興味をそぐことになる。しかし一方そのような素材や環境の扮飾として取りあげられた瑣

  • 随筆・エッセイ 長谷川 巳之吉 理想の出版

    第一書房設立の趣意 今日の出版界を見ますと、極めて少数の摯実(しじつ)な人を除きました外は、多く邪道に陥つて概ね俗流に阿(おもね)り過ぎてゐはしまいかと思はれるのであります。本来出版事業なるものは、単なる一片の営利事業ではなく、それは実に文化の

  • 短歌 長塚 節 鍼の如く 全

    鍼の如く 其一 白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり 秋海棠の画に 曳き入れて栗毛繋げどわかぬまで櫟(くぬぎ)林はいろづきにけり りんだうの画に 無花果(いちじゆく<

  • 小説 長田 幹彦 零落

    一 私が野寄(のよろ)の町へ入つたのはもう十月の末近い頃であつた。北の国の冬は思つたよりも早く来て、慌たゞしい北風が一夜のうちに落葉松(からまつ)の梢を黄褐色に染めてしまつたかと思ふと、すぐそのあとから凍えたやうな灰色の雲が海の方から<rub

  • 小説 直木 三十五 討入

    浪 居 元禄十五年十月七日、山科(やましな)の棲居(すまい)を四条梅林庵へ移していた大石内蔵之助(くらのすけ)はいよいよ東下する事となった。「日野家用人垣見五郎兵衛」

  • 津坂 治男 詩集『石の歌』より

    目次うた皮食う一足 ふんばる う た あなたが上にいるから 私は横にのび出る あなたが枝をうつから 私は芽をそろえる あなた一人

  • 小説 津田 崇 空襲の朝

    空襲がより激しくなり、川崎での寮生活が危険ということで、僕たち中学生は危険を分散する形で、小田原の自宅から通勤してもよいという許可がおりた。 その頃、僕のいる軍需会社の化学工場棟には、これという仕事がなく、しかも工場長が長期にわたり病気で不在で、だれも叱り咎がめる者もいないだらけた雰囲気をいいことに、僕は、気ままさ、自由さを求めて、危険なスリルを楽しむように、朝、十時頃出勤してきては、一時になる前に会社の大きな塀を乗りこえて家に帰ったり、また空襲警報がなり、社外待避になれば、空襲警報が解除になると同時にそのまま家に向って帰ったりして、自分でも自分の自堕落ぶりにあきれる

  • 小説 津田 崇 おもい旅

    ――—郵便。 と言って、背の低い中年の郵便夫が、いつものように玄関先に郵便物を置いた気配を見せたかと思うと、さっと翻すように、玄関先に立った僕に背を向けるように門の外へと出ていった。 僕は、いつものように、三鷹・下連雀のアパートにいる、旧制の高校を一年間を共にし、今はそれぞれの新制の大学に移っている友達からの便りだろうと思った。 この頃、その三鷹の友達から、毎日、日記の延長をこちらに伝えるように、思いつきのままに、ときには、これはという詩人や作家の紹介やら書評を、また作詩したものや旅行の模様やら日常生活の状態や哲学的なものなどあれこ

  • 小説 津田 崇 夏の喪章

    ここに「悲しい腕」という詩がある 耳をあてる その鼓動はない かすかに風が吹いてタンポポの小さい落下傘が空間に舞うというのに 耳をあてる その鼓動はない 崖が崩れ落ちはじめて草の根がしぶとく 岩にしがみついているというのに 私は それらを掌の上にのせる 私は それらをたくみにもてあそぶ それなのに なぜ掌を支える腕は棒のようにしびれるのだ なぜ掌はこうも重いのだ 休むことができないこの一本の腕 この現実のなかに熟した果実が ぎっちりと実っているという

  • 小説 佃 實夫 わがモラエス伝 第二章 第三章

    第二章 あうはわかれのはじめ 1 十八歳のころからモラエスは、甘いロマンチックな詩をつくった。 詩作は一八七二年から一八八八年におよぶ。詩のほかに短篇小説のようなものも書き、リスボンの「夕刊新聞(ジョナルダ・ノイテ)」その他に匿名で発表した。モラエスのペンネームはいくつかある。処女出版になった『極東遊記』は澳門(マカオ)<

  • 小説 佃 實夫 わがモラエス伝(抄)序章・一章

    序章 邂 逅 1 モラエスを私が愛してやまないのは、復讐と贖罪のためである。幼いころ私は、彼を非常に恐ろしい人として識った。それは、いわば生まれて初めて味わった恐怖や嫌悪の印象である。何とかその恐ろしさを克服したい、と少年のころから私は思いつづけた。恐怖感や嫌悪感の克服は、異形の紅毛人への、ひそやかな私の復讐であった。贖罪というのは、外国人に対して冷酷で排他的な、というより、西