検索結果 全1015作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 津坂 治男 詩集『石の歌』より

    目次うた皮食う一足 ふんばる う た あなたが上にいるから 私は横にのび出る あなたが枝をうつから 私は芽をそろえる あなた一人

  • 小説 津田 崇 空襲の朝

    空襲がより激しくなり、川崎での寮生活が危険ということで、僕たち中学生は危険を分散する形で、小田原の自宅から通勤してもよいという許可がおりた。 その頃、僕のいる軍需会社の化学工場棟には、これという仕事がなく、しかも工場長が長期にわたり病気で不在で、だれも叱り咎がめる者もいないだらけた雰囲気をいいことに、僕は、気ままさ、自由さを求めて、危険なスリルを楽しむように、朝、十時頃出勤してきては、一時になる前に会社の大きな塀を乗りこえて家に帰ったり、また空襲警報がなり、社外待避になれば、空襲警報が解除になると同時にそのまま家に向って帰ったりして、自分でも自分の自堕落ぶりにあきれる

  • 小説 津田 崇 おもい旅

    ――—郵便。 と言って、背の低い中年の郵便夫が、いつものように玄関先に郵便物を置いた気配を見せたかと思うと、さっと翻すように、玄関先に立った僕に背を向けるように門の外へと出ていった。 僕は、いつものように、三鷹・下連雀のアパートにいる、旧制の高校を一年間を共にし、今はそれぞれの新制の大学に移っている友達からの便りだろうと思った。 この頃、その三鷹の友達から、毎日、日記の延長をこちらに伝えるように、思いつきのままに、ときには、これはという詩人や作家の紹介やら書評を、また作詩したものや旅行の模様やら日常生活の状態や哲学的なものなどあれこ

  • 小説 津田 崇 夏の喪章

    ここに「悲しい腕」という詩がある 耳をあてる その鼓動はない かすかに風が吹いてタンポポの小さい落下傘が空間に舞うというのに 耳をあてる その鼓動はない 崖が崩れ落ちはじめて草の根がしぶとく 岩にしがみついているというのに 私は それらを掌の上にのせる 私は それらをたくみにもてあそぶ それなのに なぜ掌を支える腕は棒のようにしびれるのだ なぜ掌はこうも重いのだ 休むことができないこの一本の腕 この現実のなかに熟した果実が ぎっちりと実っているという

  • 小説 佃 實夫 わがモラエス伝 第二章 第三章

    第二章 あうはわかれのはじめ 1 十八歳のころからモラエスは、甘いロマンチックな詩をつくった。 詩作は一八七二年から一八八八年におよぶ。詩のほかに短篇小説のようなものも書き、リスボンの「夕刊新聞(ジョナルダ・ノイテ)」その他に匿名で発表した。モラエスのペンネームはいくつかある。処女出版になった『極東遊記』は澳門(マカオ)<

  • 小説 佃 實夫 わがモラエス伝(抄)序章・一章

    序章 邂 逅 1 モラエスを私が愛してやまないのは、復讐と贖罪のためである。幼いころ私は、彼を非常に恐ろしい人として識った。それは、いわば生まれて初めて味わった恐怖や嫌悪の印象である。何とかその恐ろしさを克服したい、と少年のころから私は思いつづけた。恐怖感や嫌悪感の克服は、異形の紅毛人への、ひそやかな私の復讐であった。贖罪というのは、外国人に対して冷酷で排他的な、というより、西

  • 小説 佃 實夫 わがモラエス伝(抄)

    第7章 阿波の辺土に (承前) 1 モラエスは阿波の辺土に死ぬまで日本を恋ひぬかなしきまでに と歌ったのは吉井勇である。吉井勇には、モラエスをよんだ歌が多いが、これはその代表的なものといえる。 第二次大戦後、アメリカ大使館に勤めたグレン・ショウーは、たび

  • 小説 佃 實夫 わがモラエス伝 第四章 第五章 第六章

    第四章 おヨネとコハル 1 日本へ移ったモラエスは、最初旅館ぐらしだった。 すでに馴染になっていた神戸の宿に旅装をといた彼は、《美しい田畑で飾りたてふんだんに緑また緑の風景》のなかを歩き回った。《陶然となる風光に事欠くことなく》、《花と微笑とに埋まった》国の、《うき世を忘れるうっとりとした眺めのうちに》住むプランに酔い痴れて。 一八八九年(明治二十二年)八月、初めて日本を訪れたとき、長崎からリスボンに在る妹フランシスカに、《世界じゅうに較べもののない美しい樹木の蔭で余生を送ることがで

  • 小説 辻井 喬 亡妻の昼前

    作田は昼近くなって目を醒した。カーテンから洩れてくる眩しい光で、太陽が高く昇っているのが分った。何処に寝ているのだろうと戸惑って、ようやく恵子が使っていた寝台に潜り込んでいるのだと気付いた。彼女が死んで四月近く経っていた。まだ四十代だった彼女の癌は、拡がるのも早くて、発見した時はもう手遅れになっていた。全身に転移がはじまっていて手の付けようがなく、寝込んでから半年かからなかった。あっけなく先立たれた感じが強く、近頃になって、葬式の時に「おいおいとお淋しいことでしょう」と慰められた言葉に実感が生れてきていた。昨夜、深酒をして帰って、恵子の寝台に寝たのは、年とってから妻を失った男の感傷が酔

  • 評論・研究 坪内 逍遙 小説三派

    総評 「新作十二番」とは春陽堂より発兌(はつだ)せる美本の読切物にていづれも名家苦心の小説也。第一番は竹のや主人の「勝鬨」第二番は紅葉山人の「此ぬし」第三番は美妙齋主人の「教師三昧」第四番即ち最近の発行は三昧道人の「桂姫」なり。いづれあやめ草ひきもわづらはれておのおのおろかなるは無けれど、氏(うぢ)も育(そだち<

  • 川柳 鶴 彬 鶴 彬 川柳選

    昭和三年 飢えにける舌――火を吐かんとして抜かれ 人見ずや奴隷のミイラ舌なきを ロボットを殖やし全部を馘首する 昭和四年 つけ込んで小作の娘買ひに来る 銃口に立つ大衆の中の父 自動車で錦紗で貧民街視察 神殿の地代

  • 小説 鶴 文乃 明日(あした)が来なかった子どもたち

    健太(けんた)は、庭の大きな楠の幹にある窪みに腰を掛けて、いつものように金(キム)さんの行列を待ちました。毎朝八人の外国人が一列になって、監視役らしい日本人の後を、のろのろと歩いていきます。 健太の家の下には大通りに通じる細い道があります。その外国人たちは、近くの刑務所から、重い足を引きずるように出てきては大通りを隔てた鉄工所に向かいます。健太には、初め、この人たちが外国人だ

  • 小説 鶴田 知也 コシヤマイン記

    巫女カビナトリの神謡序 これは祖母が神威(カムヰ)様から授つて私に伝へた神謡(かみうた)だ。祖母は大変良い声だつた。私は駄目だ。それに沢山忘れた所がある。そんな所は私が思ふ通りに唱つてしまふ。祖母も矢張り忘れた所は自分でうまく拵

  • 天童 大人 玄象の世界(抄)

    目次 Ⅴ Ⅸ ⅩⅢ ⅩⅣ ⅩⅦ ⅩⅩⅢ 聲神医 </a

  • 添田 啞蟬坊 新流行歌集(抄)

    目次あゝわからないあゝ金の世 ○あゝわからない ○あゝわからない/\。今の浮世はわからない。 文明開化といふけれど。表面(うはべ)ばかりじやわからない。 瓦斯(<

  • 評論・研究 田岡 嶺雲 嶺雲揺曳(抄)

    人才の壅塞 徳川幕府封建の制度は門閥の弊を養成して、上下人為の分厳に、格卑きものは才あるも用ゐられず、格貴きものは才なきも要路を占むるを得、登門杜絶、人才壅塞(ようそく)せらるゝもの三百年。而して其の弊の極まるや発して維新の革命となる。維新の革命は実(げ)に多く<r

  • 評論・研究 田口 鼎軒 日本之情交論

    情交の事は人生の一大事にして社会改良の途に当りて最も密に講究せざるべからざる問題なり然(しか)れども其事たる稍々(やや)公言しがたきの事情あるにや近日我邦(わがくに)婦人の事に関しては電信の線のながながしき論文を掲げられたる新聞雑誌多けれども敢て此論点にまで勇進したる程の記者は一人も見当らざるは惜

  • 小説 田才 益夫 カレル・チャペックの寓話(抄)

    前置き: カレル・チャペックは1930年代に入って、隣国ドイツのナチス化と、当時の政治のファシズム化に抵抗して「寓話」という皮肉をこめた短い文章を、自ら編集員であり活躍の本拠地だった「人民新聞」つまり「リドヴェー・ノヴィニ」に掲載した。背景にはスペイン市民戦争もあった。訳者 寓話</

  • 小説 田才 益夫 カレル・チャペックの闘争(抄)

    (1)認識の精神と支配の精神 人間の創造活動には二つの種類があります。その第一の活動は認識の探求。あるいは広い意味での、私たちの住む世界の生活体験を探求すること。そして第二の活動は、この地球上の自然的かつ物質的力を支配しようとする努力です。 この第一の活動は通常精神文化と呼ばれています。その構成要素であり本質的現象は今回の会議のテーマである人文科学であります。第二の活動は要するに技術です。 人文科学とは通常ギリシャ;ローマの教養の

  • 小説 田才 益夫 カレル・チャペック著『もうひとつのポケットから出てきた話』

    第一話 盗まれたサボテン 「それでは、今年の夏、わたしが体験した愉快な出来事についてお話しいたしましょう」 クバート氏は語りはじめた。 「わたしは夏の別荘に行ったのです。どんなって、そりゃ、もう、夏の別荘というのはこんなものだという、ごくありふれた別荘でしてね、泳ぐにも池がない、森もない、魚もいない、まったくなんにもなし。でも、そのかわり、そこには大衆党があり、活動的なリーダーが推進する美化協会とか、真珠企業、それに、かなり年をくった鼻のでかい女局長がいる郵便局があったりで、そこに欠けたものを何ら遜色のないまでに補っていたという