検索結果 全1044作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 小説 織田 作之助 初出年: 1944年

    登勢は一人娘である。弟や妹のないのが寂しく、生んで下さいとせがんでも、そのたび母の耳を赧(あか)くさせながら、何年かたち十四歳に母は五十一で思ひがけず妊(みごも)つた。母はまた赧くなり、そして女の子を生んだがその代り母はとられた。すぐ乳母(うば)を雇ひ入れたところ、折柄乳母はかぜけがあり、それがう

  • 小説 太宰 治 裸川 ――新釈諸国噺より―― 初出年: 1944年

    わたくしのさいかく、とでも振仮名を附けたい気持で、新釈諸国噺といふ題にしたのであるが、これは西鶴の現代訳といふやうなものでは決してない。古典の現代訳なんて、およそ、意味の無いものである。作家の為すべき業ではない。三年ほど前に、私は聊斎志異の中の一つの物語を骨子として、大いに私の勝手な空想を按配し、「清貧譚」といふ短篇小説に仕上げて、この「新潮」の新年号に載せさせてもらつた事があるけれども、だいたいあのやうな流儀で、いささか読者に珍味異香を進上しようと努めてみるつもりなのである。西鶴は、世界で一ばん偉い作家である。メリメ、モオパッサンの諸秀才も遠く及ばぬ。私のこのやうな仕事に依つて、西鶴

  • シナリオ 伊丹 万作 無法松の一生 初出年: 1943年

    原作………………………岩下 俊作 スタッフ 製作………………………中泉 雄光 監督………………………稲垣 浩 撮影………………………宮川 一夫 音楽………………………西 悟郎 キャスト 富島松五郎………………阪東妻三郎 吉岡小太郎………………永田 靖 よし子………………園井 恵子 敏雄(少年時代)…沢村アキヲ(長門裕之) 〃 (青年時代)…川村 禾門 宇和島屋…………………杉 狂

  • 小説 堀 辰雄 ふるさとびと ―或素描― 初出年: 1943年

    一 おえふがまだ二十(はたち)かそこいらで、もう夫と別居し、幼児をひとりかかへて、生みの親たちと一しよに住むことになつた分去(わかさ)れの村は、その頃、みるかげもない寒村になつてゐた。 浅間根腰の宿場の一つと

  • 評論・研究 潁原 退蔵 春風馬堤曲の源流 初出年: 1943年

    安永六年(1777)の正月、蕪村は『夜半楽』と題した春興の小冊を出した。その中に「春風馬堤曲」十八首と「澱河歌」三首とが収められてある。それは一見俳句と漢詩とを交へて続けたやうなものであるが、実は必ずしもさうではない。言はば一種の自由詩である。しかも格調の高雅、風趣の優婉、連句や漢詩とはおのづから別趣を出すものがあつて、人をして愛誦せしめるに足る。その体は日本韻文史上にも独特の地位を占むべきもので、ひとり形式の特異といふ点のみでなく、一の文藝作品として確かに高度の完成した美を示して居ると言つて宜(よ)<

  • 小説 井上 立士 魔笛 初出年: 1942年

    銭湯はひつそりしてゐた。 あから顔の肥つた男が、よたよたとタイルの流し場から姿を消すと、男湯は三村ひとりになつた。浴槽に脚を伸ばして、揺れる湯気を眺めてゐると、うつとりとした睡気に似たものが瞼に漂ひ始めた。そのまま眼を閉ぢた。だが、耳はなにかを聞いてゐた。 桶の音、湯を使ふ音に混つて、女の声が響いてゐた。女湯もすいてゐるのか――どうやら話してゐる女客二人だけらしい。高い天井にはねかへつて来る女の声は明るく弾んで、ひそやかな筈の会話はその笑ひ声といつしよに三村の上気した顔の上に降つて来る。なにを嬉しさうに話してゐるのか? 女は着物をぬぐと、心まで裸にな

  • 小説 太宰 治 待つ 初出年: 1942年

    省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎へにまゐります。誰とも、わからぬ人を迎へに。 市場で買ひ物をして、その帰りには、かならず駅に立ち寄つて駅の冷いベンチに腰をおろし、買ひ物籠を膝に乗せ、ぼんやり改札口を見てゐるのです。上り下りの電車がホームに到着する毎に、たくさんの人が電車の戸口から吐き出され、どやどや改札口にやつて来て、一様に怒つてゐるやうな顔をして、パスを出したり、切符を手渡したり、それから、そそくさと脇目も振らず歩いて、私の坐つてゐるベンチの前を通り駅前の広場に出て、さうして思ひ思ひの方向に散つて行く。私は、ぼんやり坐つてゐます。誰か、ひとり、笑つて私に声を

  • 評論・研究 土屋 文明 旅人憶良餘論 初出年: 1942年

    萬葉集の歌風を考へる者は先づ人麿を標準として見るに慣れて居るのであるが、さてその人麿の萬葉集中に於ける位置はどうであらう。萬葉集の歌風は其の初期から前代の歌風、即ち記紀歌謠の作歌に比べると著しく現實的であり寫實的であることは近頃の評者のやうやく一般的に承認し來つた所ではないかと思ふ。記紀歌謠中にも現實的な作風寫實風が見られないことはないが、-般として民謠的歌謠的のものの方が數も多く、個人作者の寫實的な作品は稀だといふことになると思ふ。勿論それから萬葉集の寫實的歌風に移るには一般歷史の推移と同じく漸進的であるには違ひないが、其の中でも記紀から萬葉集へ移る所では一つの段をなして居る。或は急

  • 評論・研究 遠藤 周作 形而上的神、宗教的神 初出年: 1941年

    形而上學と宗敎と調和は相論ぜられた所にしろ、我々はその點を二箇所に於て認み得る。而して、その一は兩者共に實在感(the sense of reality)より出る事、その二は形而上學の意義が、實在を求める事(もとよりカントに於てこそその意義を異にしたにせよ)にあるとも、形而上學とは形而上學の限界を知り、限界をこへての神秘世界に於て祈る事に他ならぬ。 もとより宗敎と形而上學の出發點が人間心情內部の實在感に於て相共有するとは言へ、宗敎に於ては實在感は對象欲求と相伴つて宗敎的傾向──これはつとにアウグスチヌスに於て明かにされ──を形成し、而して此の宗敎的傾向は啓示と共に宗敎

  • 小説 神西 清 雪の宿り 初出年: 1941年

    文明元年の二月なかばである。朝がたからちらつきだした粉雪は、いつの間にか水気の多い牡丹雪(ぼたんゆき)に変つて、午(ひる)をまはる頃には奈良の町を、ふかぶかとうづめつくした。興福寺の七堂伽藍(しちどうがらん)も、東大寺の仏殿楼塔も、早くからものの音をひそめて、しんしんと眠り入つてゐるやうである。人

  • 小説 岡田 三郎 伸六行状記(抄) 初出年: 1940年

    一 山下さんはことし五十六歳である。体重は十九貫。背のたかさは五尺六寸余。もちろん体格は堂堂としてゐる。 前総理大臣の某氏に、容貌が似てゐると、知人のあひだでいはれてゐるが、なるほど、くちびるの少し厚ぼつたい、大きめの口を、遠慮なしにあけて笑ふときの、ゑくぼでも出来さうな好好爺然(かうかうやぜん)たる淡白な無邪気さは、新

  • 池田 克己 原始(抄) 初出年: 1940年

    《目次》 地 理手 首豚の邊(ほとり)東京(第六番)

  • 随筆・エッセイ 岡本 一平 かの子の栞 岡本かの子追悼 初出年: 1939年

    巴里の植物園の中に白熊が飼つてある。白熊には円い小桶で飲み水が与へられる。夏の事である。白熊は行水したくなつたと見え、この飲み水の小桶へ身体を浸さうとする。桶は小さいので両手を満足に入れるのも覚束ない。 それでも断念しないで白熊はいろいろと試す。小桶は歪んでしまつたが、白熊の入れる道理が無い。すると白熊は両手を小桶の水に浸したまゝ薄く眼を瞑つてしまつた。気持の上では、とつぷりと水に浸つたつもりであらう。 私はいぢらしい事に思ひ伴れのかの女に見せた。それからいつた「カチ坊つちやん(かの女の家庭内の呼名)よ。君がその気質や性格やスケールで世俗に入らうと

  • 杉浦 伊作 半島の歴史(抄) 初出年: 1939年

    目次 半島の歴史ポートレート —PAUL WOLFの作品—峠孤貧 —A Widow— 半島の歴史 半島にひとつの入江がある。山につゝじの咲くころ。若葉 のむげにかほり。水苔のあたりぜ

  • 小説 長谷 健 あさくさの子供 初出年: 1939年

    星子の章 1 江礼(えらい)の手記……その一 いつもなにか告口のたねはないものかと、かぎ廻ってでもいるような零子(れいこ)だが、今朝はそうしたいやみもなく、真剣な面持(おももち)

  • 小説 幸田 露伴 幻談 初出年: 1938年

    斯(か)う暑くなつては皆さん方が或(あるひ)は高い山に行かれたり、或は涼しい海辺に行かれたりしまして、さうしてこの悩ましい日を充実した生活の一部分として送らうとなさるのも御尤(ごもつと)もです。が、もう老い朽ちてしまへば山へも行かれず、海へも出られないでゐますが、その代り小庭<

  • 随筆・エッセイ 高村 光太郎 九代目團十郎の首 初出年: 1938年

    九代目市川團十郎は明治三十六年九月、六十六歳で死んだ。丁度幕末からかけて明治興隆期の文明開化時代を通過し、國運第二の発展期たる日露戦争直前に生を終ったわけである。彼は俳優という職業柄、明治文化の総和をその肉体で示していた。もうあんな顔は無い。之がほんとのところである。明治文化という事からいえば、西園寺公の様な方にも同じ事がいえるけれど、肉体を素材とせらるる方でない上に、現代の教養があまねく深くその風丰(ふうぼう)に浸潤しているので、早く世を去って現代の風にあたる事なく終った團十郎よりは複雑

  • 評論・研究 三枝 博音 日本の文学への眼 初出年: 1938年

    一 考へてみると、日本人のもつ文学の世界の中にずゐぶんと西洋の文学が入つて来たものである。日本人の夢は北欧に飛び南欧に飛んだ。深い霧の夜の中に咽(むせ)ぶスラブ人たちの魂の彷徨にも会へば、中欧の森の中に聞えた清純の乙女たちの歌をも知つたのである。若しヨルダンの河のほとりに結ばれた愛と憧憬であつたら、もう何百年もの昔日本人の詩の世界に一つの綾をつくつたのである。アフリカの熱沙の上に燃えた幻想や南米の野に薫る友情までも

  • 小説 太宰 治 満願 初出年: 1938年

    これは、いまから、四年まへの話である。私が伊豆の三島の知合ひのうちの二階で一夏を暮し、ロマネスクといふ小説を書いてゐたころの話である。或る夜、酔ひながら自転車に乗り、まちを走つて、怪我をした。右足のくるぶしの上のはうを裂いた。疵(きず)は深いものではなかつたが、それでも酒をのんでゐたために、出血がたいへんで、あわててお医者に駈けつけた。まち医者は、三十二歳の、大きくふとり、西郷隆盛に似てゐた。たいへん酔つてゐた。私と同じくらゐにふらふら酔つて診察室に現はれたので、私は、をかしかつた。治療を

  • 評論・研究 戸坂 潤 認識論としての文藝学 初出年: 1937年

    文藝学の対象は云うまでもなく文藝である。尤(もっと)も従来の日本語の習慣によると、文藝は又文学とも呼ばれている。文学という言葉は通俗語として、又文壇的方言として、特別なニュアンスを有(も)つて来ている。単に文藝全般を意味する場合ばかりではなくて、却つて小説とか詩とかいう特定の文藝のジャンルを意味したり、又はそうでなくて、一つの作家的乃至人間的態度を意味したりもしているのである