検索結果 全1030作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 評論・研究 島木 赤彦 萬葉集諸相 初出年: 1923年

    萬葉の歌を原始的であり、素樸であり、端的であるとするはいい。それらの詞を以て、萬葉の歌を言ひ尽し得たと思ふは浅い。萬葉の精髄は、それらの諸要素を具へながらにして、藝術の至上所に到達してゐる所にある。萬葉人のひたすらなる心の集中が、おのづからにして深さと高さの究極を目ざしたのである。今の萬葉を説くものが、この点を遺却してゐるのは、萬葉を遺却して萬葉を説くに等しいのである。 小竹(ささ)の葉はみ山もさやにさわげども我は妹

  • 評論・研究 宮嶋 資夫 第四階級の文學 初出年: 1922年

    去年(大正十年 1921)の暮れにロシヤ飢饉救済会の為めに大阪へ行つて、私達が行く両三日前に出獄した荒畑寒村君と会つた時のことであつた。それは丁度(ちようど)講演会の二日目の会が終つてからのことであつたが、私達の会の第一夜は、官憲の陰険な策略のために、会場を開くことすら出来なかつた揚句なので、私達の話は期せずして警察の横暴な干渉や圧制のことに進んで行つた。 その時、丁度(ちようど)</ru

  • 小説 近松 秋江 黒髪 初出年: 1922年

    一 ……その女は、私の、これまでに数知れぬほど見た女の中で一番気に入つた女であつた。どういふ所が、そんなら、気に入つたかと訊ねられても一々口に出して説明することは、むづかしい。が、何よりも私の気に入つたのは、口のきゝやう、起居振舞(たちゐふるま)ひなどの、わざとらしくなく物静かなことであつた。そして、生まれながら、何処から見ても京の女であつた。尤も京の女と云へば、どこか顔に締りのない感じのするのが多いものだが、その女は眉目の辺が引締つてゐて、口元など

  • 随筆・エッセイ 小山内 薫 千駄木の先生 初出年: 1922年

    鴎外先生は青年を愛した。 先生の愛は狭かつたかも知れない。併し、深かつた。くだいて言へば、「贔屓強い」人だつた。一度贔屓をした以上は、どこまでも、それを持ち続けるといふ風があつた。亡くなつた先生の令弟三木竹二氏も、やはりさういふ人だつた。 先生には、鋭い直覚があつた。人の風貌を一度見るか、人の作物を一遍読むかすると、直ぐその人の歩いてゐる道がはつきり分かつた。 亡くなつた医学士大久保栄も先生に愛せられた青年の一人である。貧しい俳人大塚甲山もその一人であった。吉井勇が「浅草観音堂」を書いた時なども、大変喜ばれた。上田敏や永井荷風に対し

  • 戯曲 小山内 薫 息子 初出年: 1922年

    人 物 火の番の老爺 七十歳 金 次 郎 二十七歳 無頼漢 「手先」と呼ばるる捕吏 三十歳位 時 代 徳川末期 場 所 江戸の入口 舞台にはっきり見えるものは、唯粗末な火の番小屋だけである。雪がさかんに降っているので、右も左も奥も前も、ただ一面に白いだけである。火の番小屋には明かりがついている。障子が一枚明けてあって、襟巻頭

  • 小説 小川 未明 野ばら 初出年: 1922年

    大きな國と、それよりすこし小さな國とがとなりあつていました。當座(とうざ)、その二つの國のあいだには、なにごともおこらず平和でありました。 ここは都(みやこ)から遠い、國境(こつきよう)であります。そこには兩方の國から、ただひとりずつの兵隊(

  • 小説 新井 紀一 怒れる高村軍曹 初出年: 1921年

    一 消灯喇叭(らつぱ)が鳴つて、電灯が消えて了つてからも暫くは、高村軍曹は眼先きをチラチラする新入兵たちの顔や姿に悩まされてゐた。悩まされてゐた――と云ふのは、この場合適当でないかもしれない。いざ、と云ふ時には自分の身代りにもなつて呉れる者、骨を拾つても呉れる者、その愛すべきものを自分は今、これから二ケ年と云ふもの手塩に

  • 随筆・エッセイ 大杉 榮 自叙伝(抄) 初出年: 1921年

    「それぢや歩いて行かうぢやないか」と僕は云ひ出した。「君等の中の一人が真先きに歩くんだ。其の足あとを伝つて僕が真ん中になつて行く。其のあとへ又、君等の一人が殿(しんがり)になつて僕の荷物をかついで行く。そして先頭のものと殿のものとは時々交代するんだ。僕だつて、時には先頭に立つたり、殿になつて荷物を持つたりしたつていゝよ。」 俥夫等は此の提案を喜んだ。 「わしらだつて、うちのお神さんや奥様とお約束して、なあに大丈夫でさあつて引受けて来たんですからね。今更とても

  • 随筆・エッセイ 田山 花袋 私の歩んで来た道 初出年: 1920年

    ○ 過ぎ去った事を考へて、何よりも満足に思ふのは、自分のやりたいと思ふ事をして来た事である。一体私と云ふ人間は余程変なところがあつて、遅鈍で、性急で、才がないものだから、何事でも好い加減のところで止めるわけに行かない。酒にしても、女にしても、どこ迄も徹底しなければ気がすまないのである。それが好い事か悪い事かは別として、兎に角、自分はさう云う風にしてやつて来たのである。それは、社会の為とか、文藝の為とか云ふものでなくて、飽く迄も自分自身の要求から出て来たものである。 自然主義の運動が起つた頃の自分にしても、西欧の文藝の影響をうけた事も重大な原因ではある

  • 小説 永井 荷風 花火 初出年: 1919年

    午飯(ひるめし)の箸(はし)を取らうとした時ポンと何処(どこ)かで花火の音がした。梅雨も漸く明けぢかい曇つた日である。涼しい風が絶えず窓の簾(すだれ)を動かしてゐる。見れば狭い路地裏の家々には軒並に国

  • 小説 葛西 善蔵 青い顔 初出年: 1919年

    またK分署から来いと云つて来たので、行つて見ると、昨日とは別な、若い学校出らしい警部が出てゐた。 『A館から昨日の告訴状を取下げに来てるんだがね、一体これはどうしたと云ふのかね?』と、警部は穏かな調子で訊いた。 『え、それは、実は私はA館に宿料が五六十円滞(とどこほ)つてゐるので、ところが今度急に婆さんが病気になつたので、金に困るところから傍(はた)の人間共が寄

  • 小説 葛西 善蔵 馬糞石 初出年: 1919年

    三造さんのうちの馬が宝物をうんださうな、と云ふ大した村中の評判であつた。「虎は死して皮を残すとかいふが、さすがに三造さんとこの馬だけあつて、えらい物をひり出したもんぢやないか」などと、ヘンに唇をひん歪(ゆが)めて言ふものもあつた。……三造は村中切つてのしたゝか者である。三造はそんな話が耳に入るにつけ、業(ごふ)が煮えてならなかつた。 半月ほど前のことであつた。三造は役場で村の

  • 小説 佐佐木 茂索 おぢいさんとおばあさんの話 初出年: 1919年

    日に一度来る郵便配達が、二三の新聞と一緒に、一通の手紙を投げ入れて行つた。新聞と手紙とは、女中の手で奥の間へ運ばれた。奥の間には、老衰のおばあさんが臥(ね)てゐて、おぢいさんが看病してゐる。 新聞に交つて久振(ひさしぶり)で来た手紙を、おぢいさんは不審相に眺めたが、すぐ手紙の裏を返して差出人の名を見ると、鳥渡(ちよつと<

  • 評論・研究 厨川 白村 小泉(八雲)先生 初出年: 1919年

    一 ラフカディオ・ヘルン 「贈従四位小泉八雲」 とかう書けば、全く知らない人は日本人かと思ふだらうが、小泉先生の血管には日本人の血は一滴も流れてゐなかつた。美しい神秘と空想との世界に生きるケルト民族の愛蘭(アイアランド)人を父とし、むかし欧洲の花やかな藝術と文明とを生み出した希臘(</rp

  • 評論・研究 加藤 一夫 民衆は何処に在りや 初出年: 1918年

    民衆藝術と云ふことが問題になつて居る。 外国ではトルストイ、ケイ、ローラン等をその最も熱心なる主唱者とし、日本に於ては福田正夫、百田宗治、富田砕花等の詩人を初めとして、本間久雄、大杉栄、内藤濯等の評論家が此主張者の尤(ゆう)なるものである。さう云ふ自分も亦田舎の土百姓の息子に生れた真の民衆の一人として、民衆の心を歌ひ、民衆の心を伝へ、民衆そのものを表現せんとする熱心に於ては敢へて人後におちないつもりである。 しかし、民衆藝術とは一体何を意味するのであるか

  • 小説 吉田 絃二郎 淸作の妻 初出年: 1918年

    猫の子一疋死んでも噂の種になるN村では、新田(しんでん)の淸作とお兼とが夫婦になつたといふことは、野良(のら)でも、爐(ゐろり)の傍でも、舟着き場でも人々の口の端(は)に上つた。若い娘たちは村一番の若

  • 小説 宮地 嘉六 煤煙の臭ひ 初出年: 1918年

    一 彼は波止場(はとば)の方へふらふら歩いて行つた。此の土地が最早(もう)いつまでも長くは自分を止まらせまいとしてゐるやうで、それが自分のにぶりがちな日頃の決心よりも寧(む

  • 小説 小川 未明 戦争 初出年: 1918年

    かういふことを私が言つたら、人は私を痴者(たはけ)といふだらう。 さうだ。私は痴者だ。また人は私を懐疑家だ、空想家だといふだらう。しかし、私はかれらからさう言はるべき筈がない。どちらが間違つてゐるか。まあ、私の言ふことをよく聞いてからにしてもらひたい。 海のかなたで、大戦争があるといふが、私はそのことを時々口に出して話すが、実は心の底でそれを疑つてゐるのだ。「戦争があるなんて、それは作り話ぢやないのかしらん。私及び私のやうな人間をだまかそうと思つて、誰か

  • 小説 久米 正雄 受驗生の手記 初出年: 1918年

    一 汽笛ががらんとした構內に響き渡つた。私を乘せた列車は、まだ暗に包まれてゐる、午前三時の若松停車場を離れた。 「ぢや左様なら。おまへも今年卒業なんだから、しつかり勉强しろよ。俺も今年こそはしつかりやるから。」 私は見送りに來てゐた窓外の弟に、感動に滿ちて云つた。襟に五年の記號のついた、中學の制服を着けて、この頃めつきり大人びた弟は、壓搾した元氣を底に湛へたやうな顏付で、むつつり默つて頭を下げた。恐らくは、弟も、この腑甲斐のない兄の再度の首途(かどで</rt

  • 戯曲 菊池 寛 父帰る 初出年: 1917年

    人 物 黒田 賢一郎 二十八歳 その弟 新二郎 二十三歳 その妹 おたね 二十歳 彼等の母おたか 五十一歳 彼等の父宗太郎 時<div align="just