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検索結果 全1055作品
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詩 愛から愛へ
お父さあーん その声は静寂に体当たり 「お父さあーん」 ゆり子さんの夫恋い絶唱 声はうす暗い老人病棟を 日本晴れの朝にする 口を開けること 食べることを忘れたゆり子さん スプーンは持っても 食べることがわからない 階段から落ちて 頭を打ってからというものは 「お父さあーんと呼んでみて」 耳元で看護婦さん <p
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小説 或賣笑婦の話
この話を残して行つた男は、今どこにゐるか行方(ゆくへ)もしれない。しる必要もない。彼は正直な職人であつたが、成績の好(よ)い上等兵として兵営生活から解放されて後、町の料理屋から、或は遊廓から時に附馬(つけうま)を引いて来たりした。これは早朝、そんな場合の金を少しばかり持つて行つた或日の晩、縁日の植
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小説 和解
一 奥の六畳に、私はM―子と火鉢の間に対坐してゐた。晩飯には少し間があるが、晩飯を済したのでは、夜の部の映画を見るのに時間が遅すぎる――ちやうどさう云つた時刻であつた。陽気が春めいて来てから、私は何となく出癖がついてゐた。日に一度くらゐ洋服を著て靴をはいて街へ出てみないと、何か憂鬱であつた。街へ出て見ても別に変つたことはなかつた。どこの町も人と円タクとネオンサインと、それから食糧品、雑貨、出版物、低俗な音楽の氾濫であつた。その日も私は為
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評論・研究 非戦論
戦時に於ける非戦主義者の態度 私共は戦争が始まりたればとて私共の非戦主義を廃(や)めません、否な、戦争其物が非戦主義の最も好き証明者でありますから、私共は面前(まのあたり)戦争を目撃するに方(
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評論・研究 男女同権の女性参政権につき願書
〇 人、髯(ひげ)あるが故に貴(たつ)とからず、才智あるを以て貴しとせん。茲(ここ)に其名も高知立志社へ土曜日毎(ごと)に有志輩の開会せる演説は、多く民権自由のことを説かれ、傍聴人は大概男子なりしが、
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小説 あひゞき
このあひゞきは先年仏蘭西(フランス)で死去した、露国では有名な小説家、ツルゲーネフといふ人の端物(はもの)の作です。今度徳富(蘇峰・国民之友社主)先生の御依頼で訳して見ました。私の訳文は我ながら不思議とソノ何んだが、是れでも原文は極めて面白いです。 秋九月中旬といふころ、一日自分がさる
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随筆・エッセイ 表現と創作
余が言文一致の由来 言文一致に就いての意見、と、そんな大した研究はまだしてないから、寧(むし)ろ一つ懺悔話(ざんげばなし)をしよう。それは、自分が初めて言文一致を書いた由来――も凄まじいが、つまり、文章が書けないから始まつたといふ
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短歌 色なき風
叱りたる児の美しき眸(め)を憎む負けじとわれを見返し来る瞳(め) 一年を飼いし雲雀よ野に放てばわが掌(て)に残るかすかな温み 憂いつねに汝(な)
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短歌 雪後の陽
永久にこんな手わざが続くやうに無月の窓に米を磨ぎゐる 『日常璃璃』 町なかに僅か残りてゐし田圃(たんぼ)稲そよぎゐつ しつかり実れ 病院とふ組織に落ちてひと粒の雨滴のやうなわれなりしかな 「そんなにお利口なら猫なんかしてないね」いひつつ猫の小さき頭を撫づ かの地<
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短歌 猫が見に来る
七十年経たる桜の枝に重く花咲き満てり 手触(たふ)れて褒めつ 千鳥ヶ淵 昼の池亀のめぐりは花筏 亀は悟らずに千年眠る 黄昏(たそがれ)に桜は白く群れ浮かぶ戦没者墓苑につづくこの道 <p
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俳句 芒種(抄)
山深く輪飾のある泉かな 手毬唄むかし戦(いくさ)に勝ちしとふ 極寒に兄を葬(はふ)るやこれも順 いまさらと思ひてゐしが厄詣 河豚(ふく)出でて一座次第にしづ
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評論・研究 闇のパトス
* 希望の裏に不安はひそむ 夜は昼のように長い。それにもかかわらず、人は夜の思想を見きわめようとはしない。夜はあまりに暗いゆえ、人はもはやちょっと先のことですら見えないとでもいうのであろうか。それとも、夜は眠らねばならぬという健康の法則に人はあまりに忠実に従っているのであろうか。夜の思想を愛する人はあるにはある。しかし、彼はあまりに視力が弱すぎて、この夜の中にうごめくあまりに精緻なパトスの諸相を見ようとするよりは、漠然とした夜の「具体性」と「現実性」とを、「実存」とか名づけて賞美しているにすぎないようである。しかし、夜の闇の中に己の存在を失わざるをえ
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戯曲 王様と恐竜
登場人物 「太陽の国」の王トットラー トットラー王妃 トットラー王の娘(七人) カネ 軍隊 武器 軍艦 飛行機 水爆 カラス 正義 大臣 大商人モクスケ 「地球の国」の王 「月の国」の王 「土星の国」の王 恐竜トットラーザウルス ノーヘ
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詩 愛は終了され
母の胸には 無数の血さへにじむ爪の跡! あるひは赤き打撲の傷の跡! 投石された傷の跡! 歯に噛まれたる傷の跡! あゝそれら痛々しい赤き傷は みな愛児達の生存のための傷である! 忘れられぬ乳房はもはや吸ふべきものでない 転居の後の如く荒れすたれ あゝ 愛はすでに終了されたのだ! さるを今 ふたゝび母の胸を蹴る! 新らしき世紀の恋人のため! 新らしき世界に青年たるため あゝ われ
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詩 純情小曲集
自 序 やさしい純情にみちた過去の日を記念するために、このうすい葉つぱのやうな詩集を出すことにした。「愛憐詩篇」の中の詩は、すべて私の少年時代の作であつて、始めて詩といふものをかいたころのなつかしい思ひ出である。この頃の詩風はふしぎに典雅であつて、何となくあやめ香水の匂ひがする。いまの詩壇からみればよほど古風のものであらうが、その頃としては相当に珍らしいすたいる
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詩 青猫(抄)
青猫 序 ○ 私の情緒は、激情(パッション)といふ範疇に属しない。むしろそれはしづかな霊魂ののすたるぢやであり、かの春の夜に聴く横笛のひびきである。 ある人は私の詩を官能的であるといふ。或はさういふものがあるかも知れない。けれども正しい見方はそれに反対する。すべての「官能的なもの」は、決して私の詩のモチーヴでない。それは主音の上にかかる倚音である。もしくは装飾
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小説 大盗マノレスク
一 日比谷公園における英国東洋艦隊の歓迎会は、日本人がこんなにも国際人だという証左(しょうさ)と、そしてまた、明治中葉のいちじるしい徴候であったところの文明開化の思想がようやく絶頂期から退潮期に入ろうとする時にあたって、最後の火芯(かしん)をあわてて掻立てるように、東京市民は、ほとんど手ぐすねひいた恰好で、この国際的儀礼の計画に常軌を逸したほどの熱狂
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小説 左近様おぼえ書
讃岐の国では「だだっ子」のことを「左近(さこん)さん」と呼ぶことがございます。 それは、讃岐十二万石の八代藩主松平頼儀(よりのり)様のご長子左近様が、病弱の故をもって八才で廃嫡、隠居を仰せつけられたのでございますが、左近様は学才人に秀れたお方で、ことあるごとに、封建的な藩政にけちをつけられ老臣を叱咤(しった<r
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随筆・エッセイ 壺井榮二題
手さげ袋 ─新さんのこと─ 香川県で壺井榮先生の追悼展が開かれたのは、没後一週間目の昭和四十二年(1967)七月一日から七月六日までで、主催は香川県立図書館、場所は丸亀町の宮脇書店の二階であった。初日に行って見ると正面に、晩年のひどく浮腫(むく)んだ壺井先生の写真が飾られ、その下に珍しい「手さげ袋」があった。 その袋は先生が十八歳
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寛永十七年(一六四〇)二月のことである。 讃岐の金毘羅大権現に仕える社人蔵太夫は、ある雪の朝、邸のある五条八幡宮の近くで、行き倒れたまま、凍えきっている二人の男を助けた。 白髪の月代(さかやき)もおどろなその男たちは、長い流浪の果か幽鬼のようにやせて、すっかり体を痛めていた。 邸に連れて帰り、薬草を煎じてのませると、気がついたが口をきく気力もなかった。 「ゆっくり養生するがよい。」 ひとり者の蔵太夫は寝