検索結果 全1013作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 評論・研究 平塚 らいてう 元始女性は太陽であつた

    元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつて輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である。 偖(さ)てこゝに「青鞜(せいたふ)」は初声(うぶごゑ)を上げた。 現代の日本の女性の頭脳と手によつて始めて出来た「青鞜」は初

  • 評論・研究 平林 初之輔 政治的價値と藝術的價値 ――マルクス主義文學理論の再吟味――

    一 コペルニクスは地動説をとなえたが、それを統一的理論によつて説明するためにはニュウトンをまたねばならなかつた。ところが今日の小学生は萬有引力の公式を知つている。だからコペルニクスよりも二十世紀の小学生の方がすぐれている! 石造建築は木造建築よりも進んだ建築である。某々洋食店は石造建築である。法隆寺は木造建築である。だから、某々洋食店の建築は法隆寺の建築よりもすぐれている! これ等の論理には矛盾がない。だがこの論理からひき出された判断は、必らずしも私たちを首肯せしめない。その理由は説明するまでもなく、誰で

  • 小説 平林 彪吾 鶏飼いのコムミュニスト

    一 朝といつてもまだ早く竹薮の中はうす暗い、小田切久次は四辺に気を配りながら静かに鋸を挽(ひ)くのであつた。ゴースー、ゴースーとかすかな音がひびく。 半丁ばかり距てた薮の入口には乞食たちが住んでいる。ここに住む恩義から乞食たちはこの竹山の番人の役を買つていたのである。 だが今朝はまだ彼等も菰(こも)の中で夢を見て

  • 随筆・エッセイ 平林 朋紀 北斗七星

    ・サーカスの象 ・ヤンバルクイナ ・象のいない動物園 ・恋の虫=ホタル ・軍の論理 ・母乳の偉力 ・少欲知足 ・ホピの予言 ・ぼけない人</

  • 随筆・エッセイ 米原 万里 或る通訳的な日常

    目次 罵り言葉考 強みは弱みともなる アゼルバイジャン・コニャックの味 モテル作家は短い! ちゃんと洗濯しようよ! 犬猫の仲 <font size=

  • 小説 米川 正夫 白夜

    …それとも彼は束の間なりと そなたの胸に寄り添うために 創られた人であろうか? … ツルゲーネフ 第 1 夜 素晴らしい夜であった。それは、親愛なる読者諸君よ、われらが若き日にのみあり得るような夜だったのである。空には一面に星屑がこぼれて、その明るいことといったら、それを振り仰いだ人は、思わずこう自問しないではいられないほどである──いったいこういう空の下にいろいろな怒りっぽい人や、気まぐれな人間どもが住むことができるのだろうか? これは

  • 評論・研究 米田 利昭 子規の従軍

    一 従軍句など 明治二十八年(1895)は、(正岡)子規を子規たらしめた転換の年であった。その重要さは、以前の初期喀血や小説家志望の挫折以上と思われる。すなわちこの年は、彼にとっては日清戦争従軍と、それに続く悪夢のような発病の年であった。悪夢のようなとは、二ヶ月の間生死の境を彷徨しただけでなしに、それがいったんはなおったように見えながら、実は周知のように以後七年にわたる言語を絶する病床苦のはじまりであったからだ。この二つのことは「寒山落木」巻四、つまりこの年の俳句稿の冒頭にこう書かれている。 </p

  • 短歌 米田 律子 風のいろ

    子等二人帰る気配に闇さやぐ揺らぎて花の近づく如く をみな子を行かせしからに憂ひあり街にあららけき事は起らむ 変革の喚声に血の流れしは昨夜(よべ)なる朝の薄ら雪藉(し)く 春いまだはだれ残りて変革を急(せ)<

  • 評論・研究 片岡 鐵兵 止めのルフレヱン

    1 この二三年来、私は機会ある毎に、現今の文壇の中心勢力を成すが如く見える一種のリアリズム文学を攻撃して来た。私の論議は多くの反感を買つたのみならず、一時は文壇全体が反新感覚派の声で充満したかの感さへあつた。然し、時は経過した。私が絶えず攻撃した一種のリアリズム的文学は次第に凋落(てうらく)せんとする傾きを表はして来た。今や新しい文学として受入れられる作品は、みな何らかの程度で私の主張して来た文学的要素を含有しながら、

  • 小説 片岡 鐵兵 幽霊船

    A 舵手が死ぬるまで 沈んだのは幸華丸といふ大きな帆船である。 遠い岬(みさき)が、乱暴な速さで、此方から手(た)ぐり寄せるやうに、だんだん近づいて来る。やがて、その岬の鼻に、青いペンキ塗の小舎のあるのが船から分る近さになつた。岬の鼻は、浪をかぶりつづけて、風邪をひきさうに見えた。そして、その浪が砕け、

  • 評論・研究 片山 孤村 神経質の文学(抄)

    (承前) 十九世紀末の欧洲思想界は正に群雄割拠の乱世である。政治、宗教、倫理、学術、文藝等何れの範囲に於ても、極端まで発達した思想や、主義や、信仰が互に鎬(しのぎ)を削つて戦つて居つて、而かも孰(いづ)れも天下の人心を支配し、安心立命の地を与へ時代を代表するほどの力は無く、唯渦の如く沸き騰(あが)</rp

  • 小説 穂高 健一 潮流

    タクシー運転手の広瀬哲也は、中年夫婦を乗せて函館空港にむかっていた。夫婦は島巡りが趣味らしく、これから奥尻島の観光に出向くようだ。潮の匂いがたまらなく好きだ、と語り合っていた。哲也はその話題にそれとなく協力するように、啄木小公園にさしかかると、運転席側のガラス窓をおろした。五月の空気には、潮の匂いとともに肌寒い冷気の残りが感じられた。 斜め上空には東京発らしいANAの機体が着陸態勢に入っていた。あの旅客機で到着した客を首尾よくひろえたならば、空港行きと帰りの効率のいい運行になる。ツキのある一日になるだろう。剰な期待は失望を伴

  • 小説 豊田 一郎 やがて、やってくるその日

    一 そこが、かつて、どのような海であったのか、僕は知らない。当初は都会から出る塵芥を処理するための埋め立て地として、東京湾内にせり出して行った陸地が、現代の技術を駆使して整備され、新たな都市が形成されている。東京の旧市街地にも、近代的な高層ビルが林立するようになり、都市景観は大きく変わっているのだが、海上に造成された地域に見る市街は、全く異質な空間を思わせる。 大森の老舗の料亭に生まれた妻は、大森海岸を語り、その辺りで展開されていた海苔の養殖に言及するのだが、その地域でも、海はすでに失われている。これから、僕が赴こうとしてい

  • 小説 豊田 一郎 性と愛

    浴室で、女がシャワーを使っている。扉を閉ざして湯を浴びているのだろうから、その音は聞こえていないのかもしれない。それでも僕には、女がシャワーを使っている様子が浮かぶ。頭から湯を注ぎ、それから首回り、胸、そして、股間にノズルを寄せて、丹念に洗う。そう思うから目覚めるのかどうか、解らない。女が、僕の傍らから離れるのを感じ取って、その時に僕も、眠りから覚めて、意識を取り戻すのだろう。 女が来る夜は何時もそうだった。女は深夜に、つまり、午前0時を過ぎた頃に訪れ、早朝にシャワーを浴びて帰って行く。女が僕の部屋にいるのは、数時間に過ぎない。その間、女は、僕のベッドで僕と交わり、性の快楽に没頭し、

  • 小説 豊田 一郎 夢幻泡影

    (1) 東京府東京市江戸川区平井町二丁目九百九番地。今、この地番はない。もっとも、昭和十七年には、東京府が東京都に変わり、東京市がなくなり、東京都江戸川区になっているのだが、もちろんそれも今はない。しかし、その十七年以降も府の呼称は残っていた。他の箇所でどうであったかは定かではないが、昭和十九年、私が小学校から中学を受験した際にはまだ、中学校は府立一中であり、府立二中があり、府立化工というような学校もあった。 それはともかく、江戸川区平井町二丁目九百九番地は黒茶けた土の道路と幅三メートルほどのどぶ川に区切られた一角を指し、

  • 小説 邦枝 完二 廓の子

    一 『山まゐり』の大羽子板は新ちやんのお祖母(ばあ)さんがまだ若い時分、坂東彦三の似顔――豊国筆――をそのまゝに、馬道の羽子板屋で拵らへさせたものださうです。 それは板も押絵も煤けて、花笠が半(なかば)取れかゝつたまゝ何年となく縁起棚の傍に飾られ、此家(こゝ

  • 望月 苑巳 雪月花

    定家卿の思想 あかざりしかすみの衣たちこめて袖のなかなる花のおもかげ 紅千鳥の枝をゆすって、小弛(おだや)む風の、実をもぎとると明るい午後をめざます斎宮女御の淡い声。春の息をかきわけて庭の水鏡がざわめく。 治承四年二月五日、十九歳。 「明月記」最初のページに墨がとじこめられた。

  • 望月 苑巳 鳥肌のたつ場所(抄)

    目次 ぼくの夏休み論浜千鳥の奥夕方から年の暮れパンプキンな気分になったらつゆしぐれ界隈一茶、神に背を向けて夏、宇宙の芯まで淋しく鳥肌のた

  • 随筆・エッセイ 望月 洋子 江戸後期文人の世界  ──作家中村真一郎を癒したもの

    それまでは招かれても応じなかったフランシュコンテ地方へ、俄かに旅立とうときめたのは、「新潮」に連載の「蠣崎波響」を読んだからであった。 中村真一郎著『蠣崎波響の生涯』の冒頭は、波響の描いたアイヌの酋長たちの肖像画十二枚が、ブザンソンの博物館に発見されたことから書きおこされている。早速ブザンソンに住む友人に、メールで宿泊と美術館への依頼状をたのみ、パリの友人には関連する資料を送ってくれるよう手配した。 長年にわたって私は東洋と西洋の文化交流を追いつづけてきた。誘われて入った幾つかの学会でも、東と西の文化のはざまで右往左往する先人たちの姿をしらべて、知識

  • ノンフィクション 望月 洋子 ヘボン 維新前夜の日本へ

    「生麦事件」を診た人 1862年9月14日(文久二年八月二十一日)、武蔵国橘樹(たちばな)郡の街道で、外国人殺傷事件がおこった。かなり詳しく残されている当事者たちの証言を要約すると、次のようになる。 昼ごろ四人のイギリス人が横浜を出発して、東海道を川崎方面へ向った。ハード商会横浜駐在員ウッドソープ・クラーク、その友人ウィリアム・マーシャル、マーシャルの従妹で香港から遊びに来ていた二十二歳のミセス・ボロディール、上海の商人リチャードソンは