検索結果 全1008作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 短歌 沖 ななも 樹木礼賛

    たちくらむ春の名残りの木下闇かるがるきみの腕にいだかる 『衣裳哲学』 すれちがう人の匂いの微かのこりくろぐろとたつ冬の針葉樹 つかの間の休息ならむ細枝に鳥一羽きて黒くとまれり にんげんら好みて集う陰の部分朴の木のした魂のまうしろ 不穏ともいうべきほどに累々と稔らざる実の無花果樹(いちじく)はあ

  • 随筆・エッセイ 下中 弥三郎 大百科事典の完結に際して思い出を語る

    一 三歳にして父を喪い、母の手一つで育った私は、恥ずかしながら満足に学校教育を受け得なかった。小学校へは十一歳まで通い、十二歳から学業を廃して家業を助けねばならなかった。しかし生れついた知識欲は年と共に成長し、激しい労働に服しながらも夜学などして一日たりとも研学の志は捨てなかった。二十一歳の時、神戸に出て小学校代用教員になり、独学にて小学校教員の免許を得た。私の奉職した小学校は、五十余の学級を有する学校だけに、参考書が豊富であった。私は、小学校尋正の検定試験に合格してからは特に国語に興味を覚え、他の宿直までも引

  • 小説 加賀 乙彦 フランドルの冬

    第一章 病院司祭 1 「さあおいで。子供たち(メ・ザンフアン)!」鋭い張りのあるバリトンである。ロベール・エニヨンは、ぼってりした腕を力まかせに振った。 「さあ、さあ!」 黄色い歓声をあげて、我先にと腋の下をすりぬけていく子供たちにロベールは目を細めた。こそばゆい快感だ。が、一人足りない。 「スザンヌ。フランソワはどうした?」 </

  • 評論・研究 加藤 一夫 民衆は何処に在りや

    民衆藝術と云ふことが問題になつて居る。 外国ではトルストイ、ケイ、ローラン等をその最も熱心なる主唱者とし、日本に於ては福田正夫、百田宗治、富田砕花等の詩人を初めとして、本間久雄、大杉栄、内藤濯等の評論家が此主張者の尤(ゆう)なるものである。さう云ふ自分も亦田舎の土百姓の息子に生れた真の民衆の一人として、民衆の心を歌ひ、民衆の心を伝へ、民衆そのものを表現せんとする熱心に於ては敢へて人後におちないつもりである。 しかし、民衆藝術とは一体何を意味するのであるか

  • 評論・研究 加藤 一夫 民衆藝術の主張

    一 民本主義もしくは民主々義の論議が社会の各方面に行はるゝと共に文壇にも亦民衆藝術に就て語る者が多くなつた。そしてその何れも皆民衆藝術そのものに対して異論を挿まうとするのでない様であるが、今の民衆藝術家若(もし)くは民主藝術の主張者の大部分が民主々義若(も)しくは

  • 評論・研究 加藤 弘一 コスモスの知慧 石川淳論

    ――どの花がお好きですか? ――たとえば、コスモス。 1. 石川淳の小説には「気」が氾濫している。「けはひ」「けしき」「氣合」といった漠然とした情趣をあらわす言葉はもとより、「いぶき」「ふぜい」「かをり」「いきほひ」「血氣」「殺氣」「元氣」「妖氣」「陰氣」「粛殺の氣」と「気」に係る語彙は枚挙にいとまがない。しかも、ただ頻用されるだけではなく、叙述のここぞという勘所、決め所は「……けはひであつた」、「……け

  • 短歌 加藤 克巳 ひとりのわれは

    緑蔭(ミドリノカゲ)夢かたむけてのそりのそり風のながれへ白猫(ハクベウ)のあゆみ 『螺旋階段』 旗ばかり人ばかりの駅高い雲に弾丸(たま)の速度を見送っ

  • 小説 加能 作次郎 乳の匂ひ

    ……その頃、伯父は四條の大橋際に宿屋と薬屋とをやつてゐた。祇園の方から鴨川を西に渡つて、右へ先斗町(ぽんとちやう)へ入らうとする向ひ角の三階家で、二階と三階を宿屋に使ひ、下の、四條通りに面した方に薬屋を開いてゐたのだつた。そして宿屋の方を浪華亭といひ、薬屋の方を浪華堂と呼んでゐた。 私は十三歳の夏、この伯父を頼つて京都へ行つたのだつた。中学へでも入れて貰ふつもりで行つたのだが、それは夢で、着いた晩、伯父はお雪さんといふ妾上(

  • 小説 嘉村 礒多 七月二十二日の夜

    歳月の経つのは早いもので、小説家S氏が物故してから、あわたゞしく三年が過ぎた。明七月二十三日は銀座裏の日本料理屋「丹頂」で三周忌の小宴が知友の間だけで催されるといふ、つまり祥月(しやうつき)命日の前の日、私は世田谷(せたがや)太子堂に遺族を訪ねることにした。私は世間からはS氏門下とまで言はれるほど死者の晩年は側近に侍(じ

  • 小説 夏目 漱石 吾輩は猫である 第一

    第一 吾輩は猫である。名前はまだ無い。 どこで生れたか頓(とん)と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いて居た事丈(だけ)は記憶して居る。吾輩はこゝで始めて人間といふものを見た。然(しか)もあとで聞くとそれは書生といふ

  • 評論・研究 夏目 漱石 私の個人主義

    私は今日初めてこの学習院というものの中に這入(はい)りました。尤(もっと)も以前から学習院は多分この見当だろう位に考えていたには相違ありませんが、判然(はっきり)とは存じませんでした。中へ這入ったのは無論今日が初めてで御座います。 先程岡田(

  • 戯曲 河竹 黙阿弥 島鵆月白浪 全五幕の序幕

    しまちどりつきのしらなみ 口上 若葉の闇に奥山から西と東へ別れたる千太(せんた)は親の世になきを白川宿(じゆく)で伯父に逢ひ聞(きい)て泪(なみだ)</rub

  • 評論・研究 河東 碧梧桐 季感に就いて

    季感、季語、季題等について、以前いろいろに考へ、研め、悩みもしたことがあり、又たそれを書いたこともあります。それ以上、今日新たに会得したこともなければ、是非書いて見たいと思ふこともありません。強ひて書けば、以前のおさらひをするに過ぎないのであります。 以前西洋を旅行してゐる時、或人が独逸(ドイツ)の何処かで、丁度名月の夜、二三の同胞と酒肴を携へて月を観に郊外の丘に出掛けた、すると下宿の女主人が怪しんで、あなた達は何しに行くのか、へーあの月をどうして、と言つて、結局日木人の

  • 随筆・エッセイ 河野 仁昭 天野忠さんの生と詩

    1 上野瞭先生は高名な児童文学者ですが、ある日、同志社女子大学の講師控室にいましたらやってこられて、「ぼくたちは晩年学というのをやっているんですが、一度講演をお願いできませんか」といわれるんです。「晩年学て、なんですか」とたずねましたら、「老人問題をみんなで考える会なんです。老人学じゃパッとしませんので、晩年学ということで……」。 哲学者の片山寿昭先生と上野先生が主催しておられることもそのとき知ったのですが、児童文学と晩年学、どこでどう結びついているのかと思いましたら、「ぼくも、もう年寄りの仲間でしょう。だから」と、大変明快なお

  • 花森 安治 見よぼくら一銭五厘の旗

    美しい夜であった もう 二度と 誰も あんな夜に会う ことは ないのではないか 空は よくみがいたガラスのように 透きとおっていた 空気は なにかが焼けているような 香ばしいにおいがしていた どの家も どの建物も つけられるだけの電灯をつけていた それが 焼け跡をとおして 一面にちりばめられていた 昭和20年8月15日 あの夜 もう空襲はなかった もう戦争は すんだ

  • 随筆・エッセイ 芥川 龍之介 或旧友へ送る手記

    誰まだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであらう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はつきりこの心理を伝へたいと思つてゐる。尤(もつと)も僕の自殺する動機は特に君に伝へずとも善(い)い。レニエは彼の短編の中に或自殺者を描いてゐる。この短篇の主人公は何の為に自殺するかを彼自身も知ってゐない。君は新聞の三面記事などに生活難

  • 小説 芥川 龍之介 一塊の土

    お住(すみ)の伜に死別れたのは茶摘みのはじまる時候だつた。伜(せがれ)の仁太郎は足かけ八年、腰ぬけ同様に床に就いてゐた。かう云ふ伜の死んだことは「後生(ごしやう)よし」と云はれるお住にも、悲しいとばかりは限らなかつた。お住は仁太郎の棺の前へ一本線香を手向けた時には、兎に角朝比奈の切通しか何かをやつ

  • 小説 開高 健 玉、砕ける

    ある朝遅く、どこかの首都で眼がさめると、栄光の頂上にもいず、大きな褐色のカブト虫にもなっていないけれど、帰国の決心がついているのを発見する。一時間ほどシーツのなかでもぞもぞしながら物思いにふけり、あちらこちらから眺めてみるけれどその決心は変らないとわかり、ベッドからぬけだす。焼きたてのパンの香りが漂い、飾窓の燦(きらめ)きにみたされた大通りへでかけ、いきあたりばったりの航空会社の支店へ入っていき、東京行きの南回りの便をさがして予約する。香港で一日か二日すごしたいからどうしても南回りの便でな

  • 評論・研究 角田 勝彦 ニュールネサンス クラブ 創設マニフェスト 2006年6月

    創設パートナー(川口健一、寒河江正、田原茂行、角田勝彦、野崎茂) 1. われわれは、第二次世界大戦後の日本と世界で生じている大変容が、解放と発展の反面、人々に不安と閉塞、不満と抗争をもたらしていると認識する。われわれは、いま、混迷の漂流に抗する確固たる碇を必要としている。 (説明) 二十世紀は、戦争と激動の世紀であった。とくに第二次世界大戦後の世界で生じている政治、経済、科学技術、社会、文化など各面で

  • 評論・研究 笠 信太郎 ものの見方について(抄)

    日 本 似て非なるもの さて、このあたりで私は、問題を少しばかり我々の身近くに引つけて見てみたいと思うが、それにしても、これまで見てきたヨーロッパ諸国の人々の考え方や、ものの見方を、我々のそれと比較して、その異同を考えてみないわけにはゆくまい。 日本人の今日までの頭の動かし方は、以上にのべた三つの国民(注 イギリス・ドイツ・フランス)のどれかに似ているであろうか。まず、こういう問題が出てくるに違いない。やかましく論じ立てれば、これもま