検索結果 全1055作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 評論・研究 川桐 信彦 世界状況と芸術の啓示性

    序 1919年に『文化の神学の理念について』を発表したティリッヒは、次いで1926年に『今日の宗教的状況』を、更に1945年に『世界状況』を発表している。いわゆる時代批評としては、他に16篇を数えるが、いずれも「文化の神学」の成果(1)を適用し、具体的、具象的次元での議論の展開ではこれらの二論文はその代表的なものであろう。ティリッヒの弁証神学の根幹にあるのは、人間の本質主義的要素から疎外された実存主義的要素を指摘し、そこから生じる問いに答えるという方法論である。しからばその指摘する実存的状況の分析の妥当性が問われ

  • 小説 川口 松太郎 弁天小僧

    私は文士劇で弁天小僧を二回やった。はじめは歌舞伎座で稲瀬川の勢揃(せいぞろ)い。二回目は帝劇で浜松屋。勢揃いが好評だったので、二度目は逆に浜松屋をやったが、素人芝居にはむずかしい役柄だった。最初が女で、途中から男に変る。その変り場が見せ場で、うまく行けばやりばえがある。日本駄右衛門が久保田万太郎。南郷力丸が中野実。浜松屋幸兵衛が宮田重雄。倅宗之助(せがれそうのすけ)が岩田専太郎。番頭与十郎が永

  • 小説 川上 眉山 ゆふだすき

    一 いや、驚いたよ君、何ものほほんで歩いて居た訳ぢやなかツたが、不意に横ツ手から、 「あら、まア、梅原さんぢやアありませんの。」 と甲(かん)の高い、調子の走ツた、化生(けしやう)の者の叫び声だ。何者と振返ツて見ると、銀鼠(ぎんねず

  • 評論・研究 川端 康成 新進作家の新傾向解説

    一 新文藝勃興 文藝に興味を持つてゐる総ての人々が、今日注目しなければならない第一の目標は、今日の新進作家である。新進作家が持つてゐる「新しさ」である。この新しさを理解すると云ふことばかりが、新しい時代の文藝の王国へ入国を許されるために必要な、唯一つの旅行券である。これがない人々は、明日の文藝界に於て、創作家であることも観賞家であることも、拒まれるにちがひない。 祖母の腹から孫は生れない。孫にも母がなければならない。祖母が子と呼ぶ者を、孫は母と呼ぶ。これと同じやうに、将来の文藝の世界に生きよう

  • 小説 川端 康成 片腕

    「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」と娘は言った。そして右腕を肩からはずすと、それを左手に持って私の膝(ひざ)においた。「ありがとう。」と私は膝を見た。娘の右腕のあたたかさが膝に伝わった。「あ、指輪をはめておきますわ。あたしの腕ですというしるしにね。」と娘は笑顔で左手を私の胸の前にあげた。「おねがい……。」<div align="justify

  • ノンフィクション 川島 民親 スズメバチの死闘

    第一話 スズメバチの眼 百年バチ 真夏の午さがり、村は死んでしまったように静かだ。セミの鳴き声だけが夏を呼吸している。村の屋並のむこうには観音寺山、明神山とふたつの頂きを持つ繖山(きぬがさやま)の稜線が、暑い空に圧しつけられながらデンとがんばっている。乳白色にかすんだ空高く、オニヤンマが山の方へ一直線にするどく翅(と)</

  • ノンフィクション 川島 民親 ぼくの動物記 1

    第一話 漆黒の流線――ツバメ トンネル 五月雨に村里は明るくかがやいていた。篠突く雨の音のなか、ものが静かに動いている。蓑笠(みのかさ)を着けたお百姓が黙々と田植えを急いでいる。あふれる水に早苗は溺れそうになっているが、それでもけんめいに背伸びをして水面にかわいらしい二枚の葉を浮かべている。水面をたたいた雨粒が早苗の上に小さな水玉をピョコンとのせる。水玉は銀色に光りかがやく。雨の波紋に、葉は水玉

  • 小説 川浪 春香 源吉むかし語り

    へぇ、源吉はあたしです。駄目ですよ、昔のことなんかきれいさっぱり忘れちまった。さかさにしても鼻血も出ねえや。さア、天保九年の生まれだから、今年でいくつになるかね、六十七か八か、そんなところでしょう。この歳で夜店を出しているのは珍しいって? はン、お客にもよく言われますよ。けど、ごらんのとおりの古道具を商って、おまんまをいただくしか能がねえから仕方がない。それでもまア、かかあとふたアり、こうやって無事に生きのびてこられたんだから、神仏に手を合わせなきゃいけませんかね。子ども? ハハ、そういや昔いたんですよ。こんな小せえ子どもがね。今頃どうしているでしょう。しかし、こっち

  • 小説 川浪 春香 妖妄譚

    女は仁和寺の門前に立っている。 椋鳥(むくどり)が赤松の梢でひとしきり啼いた。もう陽が山の端に傾きかかっている。うるんだような眸の中を、西日が赫々と照らしている。女は左右を見つめ、背伸びをしながら街道を見はるかした。 さっきから、いくたび彼方此方を見つめたことだろう。牛車(ぎっしゃ)も通った。<rb

  • 評論・研究 扇谷 正造 雑誌編集のコツ

    1 雑誌の種類とその特色 わたくしが「週刊朝日」の扇谷であります。 わたくしのほうの雑誌は、大衆雑誌ということになっております。 雑誌の種類をわれわれは、(一)総合雑誌、(二)婦人雑誌、(三)大衆雑誌、それに(四)少年少女雑誌、(五)文学雑誌、(六)その他と分けております。また一括してこういう雑誌を一般に商業雑誌とも申しております。というのはこの種の雑誌は、その発行によって利潤をあげているからであります。雑誌発行の少

  • 戯曲 泉 鏡花 海神別荘

    時 現代 場所 海底の琅玕(らうかん)殿。 人物 公子。 沖の僧都(年老いたる海坊主)。 美女。 博士。 女房。侍女(七人)。黑潮騎士(多數)。 <di

  • 小説 泉 鏡花 龍潭譚

    《目次》 躑躅か丘 鎮守の社 かくれあそび あふ魔が時 大 沼 五位鷺 九ツ谺 渡 船

  • 浅井 十三郎 越後山脈(抄)

    《目次》 吹雪の中にうたふ生命贐(はなむけ)風の中の風にうたふ風の風景越後山脈愛情の書 <

  • 随筆・エッセイ 浅田 康夫 横浜市会の新選組生き残り

    風雲急を告げる幕末のころ、天然理心流の剣豪、近藤勇が率いる「新選組」が会津京都守護職の信任も厚く「誠」の旗風堂々と一剣をもって王城の治安を守り、特に池田屋事変で勇名をとどろかせた話は良く知られよう。 翻って一世紀後のこんにちに至り、横浜政界の草分け「川村三郎」が元新選組伍長「近藤芳助」の変身とわかった。 「この話題の主こそ、あなたのおじいさんですよ」 作家の釣洋一氏から突然そう名指しされたのが、筆者の義母中田芳江であった。 事実は小説より奇なりという。 新選組研究者は偽名説をたてるが、近藤は養家、川

  • 小説 浅田 次郎 月島慕情

    親から貰ったミノという名は、好きではなかった。 明治二十六年の巳年の生れだからミノと名付けられた。ふるさとの村には同い年のミノが何人もいたが、一回り上にも大勢いたはずの同じ名前の娘たちは、ミノが物心ついたときにはみな姿を消していた。ひとつ年上のタツも、ふたつ年上のウノの場合もそれは同様だから、世代を超えた同じ名の娘はいなかった。 雪がとけるころ何人もの人買いがやってきて、小学校をおえた娘たちを連れてゆくのだった。 行先のほとんどは上州か諏訪の製糸工場だったが、とりわけ器量の良い娘は東京へと買われた。そういう娘は値がちがうから、果報だ

  • 小説 浅田 次郎 スターダスト・レヴュー

    その日の演目はウェーバーの序曲とシューベルトの弦楽四重奏、二十分の休憩をはさんでメンデルスゾーンの交響曲という内容だった。 オーケストラを聴くのは何年ぶりだろうと、飯村圭二(いいむらけいじ)は休憩時間のロビーでワインを飲みながら考えた。 土曜日の午後たまたま通りすがったホールの玄関に「小谷直樹(こたになおき)凱旋記念コンサート」の看板を見つけ、矢も楯もたまら

  • 船木 倶子 あなたとおなじ風に吹かれた

    夏 夜 夕涼みに と わたしたちは夜を歩いた 淡い満月が出ていた 道の端には待宵草が あのひとが手折ってくれたとき あ この甘さだわ 昏れていく山道に黄いろい灯りを 競って咲いた 行く手を照らした あのころ なにもかもがはじまりだった 歳月さえも 花ははんなりと小ぶりで 月とまるで

  • 短歌 前田 夕暮 夕暮秀歌百首

    秋の夜の沈黙(しゞま)ふるはす鐘のおとにふと誦(ず)し得たり人のよのうた 菜の花の相模の国に鐘のなるあしたを夢はゆきてかへりぬ 草山をすべりて雲の真白きが汝(な)を奪(と<

  • 小説 前田河 廣一郎 三等船客

    一 「あれ、擽(くすぐ)つたい。」 はねのけるように癇高(かんだか)な、鼻のひくい、中年期の女のみが発し得る声が、総体にゆらゆらと傾いた船室の一隅からひびいた。女の姿は何かの蔭になつて見えなかつたが、男は前のめりに動いた姿だけ、汚

  • 随筆・エッセイ 倉橋 羊村 八一と白鳥 ─魅力ある文人たち(抄)

    山鳩 ――会津八一と紀伊子―― 山鳩の声で、目がさめる。いつものことだが、夢の中にまで谺(こだま)する声だった。 快い目ざめではない。からだの調子も、心も、安らかでいられることは、これからさき、もうあるまいと思う。少しずつ、毎日悪くなってくるのがわかる。 「すみませんね、いつも申しわけなくて」 紀伊子は、会津八