検索結果 全1000作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 小説 小田 実 玉砕(ぎょくさい)

    龍ならばや雲にも乗らむ —方丈記— 一 「分隊長。」 金(こん)が突然声をかけて来た。 陣地築城の作業の途中、中村が分隊全員をそれまで作業をして来た洞窟の外へ出して小休止させていたときだ。そう声をかけて来て、洞窟の入口の泥で一面に濡れて光る地面にどっかり腰を落ちつけるようにして坐った分隊付下士官は、横の泥だらけの石に腰をおろした中村軍曹をゆっくり見上げた。 <p

  • 小田 実 南京虐殺

    ――小田実に―― ジェローム・ローシェンバーグ 作 小田実 訳 THE NANKING MASSACRE for Oda Makoto by Jerome Rothenberg 獲物を求めて徘徊する軍隊 現実は切れ目なく いくさのさまをむき出しにする 殺人 はるか彼方の花ではない 刀は振り下される 千度 千 筋肉は筋肉にぶち当てられ 肉体は肉体の上に さらには

  • 随筆・エッセイ 小田 実 反戦ドラマ『GYOKUSAI』のメッセージ

    今年五月の本欄(「西雷東騒」)で、私は私の小説「玉砕」(新潮社・一九九八)を原作として、直接的にはそのドナルド・キーン氏の英訳(Donald Keene "The Breaking Jewel" Columbia Univ. Press. 2003)を土台に使ってのラジオ・ドラマをイギリスのBBC・ワールド・サービスが八月六日の「ヒロシマの日」(とBBCはその日のことを名づけている)に全世界むけに放送すると書いた。実際、ドラマは「GYOKUSAI」と題してその日に放送された。「ワールド・サービス」は短波放送なので、「全世界向け」というのは誇張ではない。全世界で聞いているのは千四百万

  • 随筆・エッセイ 小田 実 友人への手紙

    同封してお送りするのは、この3月、私が jury(=審判員)のひとりとして参加した「恒久民族民衆法廷」(Permanent Peoples' Tribunal──「PPT」)のフィリピンの怖るべき事態にかかわっての「判決文」のコピーです。現在のフィリピンの事態について、日本では、また世界では、あまりにも知られていないので、お送りします。 「PPT」は、日本ではまったくと言っていいほど知られていませんが、ヨーロッパ、「第三世界」ではよく知られた民衆の国際的組織ですが、私は、イタリアの思想家、レリオ・バッソによって設立され、現在ローマに本拠をおいて活動をつづけているこの組

  • 小説 小田 実 八 百二十八頁の新聞 (承前)

    父が、ワシントンのその大きな集会とデモ行進に参加したことを、久美子は、彼自身の口から聞いて知っていた。父が亡くなる二、三年まえのことだ。久美子が学校で教える教材にワシントンのことが出て来て、自分はワシントンには行ったことがないが、教えるにはそこに行った、そこを見たという実感がないとやはり駄目、という話を父としていたときに、ことのついでのようにして、お父さんは行かれたことがありますか、と訊ねた。訊ねてから、もちろん行かれているでしょうけど、と奇妙に慌ててつけ加えた。「もちろん行かれているよ」と、久美子の言い方をそのまま引き取って父は笑いながら答えた。「ただし、一度きりだがね。あんな、役人

  • 小説 小田 淳 岩魚

    一 清沢の光景を早瀬村の信助に知らせたのは、猟師の佐次郎である。 佐次郎は、早瀬村に隣接する湯元温泉町役場の農林水産課に勤務している頃から、早瀬村の西北に聳える塔ヶ峯山腹一帯を猟場にしていた。数年前、定年退職してからは、年金生活者の気楽さもあって、本格的に狩猟をはじめ、仲間と組んで塔ヶ峯に連なる聖岳へかけて、猪狩りに出かけるほどであった。 佐次郎の説明によると、村の北面を流れる早瀬川上流の清沢流域は

  • 小説 小島 勗 地平に現れるもの

    時計は掌の中に白く光つてゐた。十一時五十八分。作業は終りに近づいてゐた。小牧はいまでもその時の感情を忘れることが出來ない。 突然、獄舎が、獄舎の裏手の仕事場が、建物全体が、うおつ、うおーう、といふ物凄い叫声をあげた。茶畑にゐた囚徒達が一斉に仕事を抛(はふ)り投げて、彼の方を向いて立つてゐる。小牧はその囚徒達の、無数の、そして無限に拡がつた眼孔の前に、測り知られない深淵の前に、直面して立つた。極く短い、ほんの一瞬の間であつた。が、小牧の心臓は、その威嚇の深淵に対する限りない

  • 評論・研究 小林 一郎 吉岡実の長篇詩

    一 支那から中央アジアへ こと吉岡実の詩に関するかぎり一五行の詩だからわかりやすくて、百数十行の詩だから難解だということは、まったくない。ただ、読めば理解できる長い詩が一篇ある。それは〈波よ永遠に止れ〉(《ユリイカ》一九六〇年六月号)という吉岡最長の二五七行の作品で、私の〈吉岡実年譜〉の一九六〇年には「NHKラジオの放送詩集〈波よ永遠に止れ〉(雑誌掲載稿から八○行を削徐して〔五月〕一一日に放送)の本番録音に立ちあう」(平出隆監修《現代詩読本——特装版 吉岡実》、思潮社、1991、二九四ページ)とある。この詩は

  • 小説 小林 多喜二 一九二八年三月十五日

    一 お恵には、それはそう仲々慣れきることの出来ない事だった。何度も——何度やってきても、お恵は初めてのように驚かされたし、ビクビクしたし、周章(あわ)てた。そして、又その度(たび)に夫の竜吉に云われもした。然し女には、それはどうしても強過ぎる打撃だった。 ――組合の人達が集って、議題

  • 小説 小林 多喜二 級長の願い

    先生。 私は今日から休ませてもらいます。みんながイジめるし、馬鹿にするし、じゅ業料もおさめられないし、それに前から出すことにしてあった戦争のお金も出せないからです。先生も知っているように、私は誰よりもウンと勉強して偉くなりたいと思っていましたが、吉本さんや平賀さんまで、戦争のお金も出さないようなものはモウ友だちにはしてやらないと云うんです。――吉本さんや平賀さんまで遊んでくれなかったら、学校はじごくみたいなものです。 先生。私はどんなに戦争のお金を出

  • 小林 尹夫 方舟の光景(抄)

    目次 虫 あらいぐま たまご ある母と子 笑い 便り 読経 <div class="poetry"

  • 評論・研究 庄司 肇 純文学と文芸誌

    坂本忠雄 様 「文芸誌とは何か、何だったのか」のコピーをいただき、拝見しました。その感想を手紙のお返事として書くよりも、評論風に別仕立てにしたほうが、自分の言いたいことがはっきりすると思われましたので、次のようなものを書いてみました。ご笑覧下さい。 『文芸誌とは何か、何だったのか』を一気に読了する。聞き手の斎藤美奈子さんの質問の仕方が悪い、というほどではないのかも知れないが、腰が座っていないような感じがする

  • 評論・研究 昭和天皇 敗戦翌年元旦の詔書<1946年>

    一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ 一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸(けいりん)ヲ行フベシ 一、官武一途庶民ニ至ルマデ各(おのおの)其(その)志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦(う)</ru

  • 評論・研究 昭和天皇 明治天皇と昭和天皇

    一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ 一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸(けいりん)ヲ行フベシ 一、官武一途庶民ニ至ルマデ各(おのおの)

  • 随筆・エッセイ 松 たか子 松のひとりごと

    目次鏡越しの顔勝利の人街と人と劇場マスクの心心のやりとり苦行と歓び『嵐が丘』の幕開け写ったものに映るもの</l

  • 評論・研究 松浦 喜一 日本国憲法を護る ――生き残った特攻隊員、八十一歳の遺書

    主権在民の平和憲法 今や戦後六十年、日本は戦前とは全く違った姿になってしまい、戦前のことを想像できない人が多くなりました。戦争前から生き、戦争を体験した者にとっては、戦争は遥か六十年前の歴史の一コマとも思えるし、身近な昨日の出来事とも思えるのです。 飛行服姿の私は飛行場の愛機の側で、これから搭乗する映画の一コマが眼に映るような気がいたします。共に話をしていた友はいない。これが現実の私なのです。 <

  • 小説 松永 延造 ラ氏の笛

    一 横浜外人居留地の近くに生れ、又、其処で成育した事が何よりの理由となつて、私は支那人、印度人、時には埃及(エジプト)人などとさヘ、深い友誼を取り交した経験を持つてゐる。そして彼れ等の一人一人が私に示した幾つかの逸事は、何れも温い記憶となつて、今尚ほ私の胸底に生き残り、為す事もない病臥の身(それが現在に於ける私の運命)ヘ向つて、限りない慰めの源を提供するのである。 時は大正×年、秋の初め、場所はB全科病

  • 松岡 荒村 三つの声

    一 虚栄の声 飲めや友歌へ手嫋(たおやめ) 歓楽の数をつくして 山海の珍味を尽さん 夜も昼もわれら飽くまで 善も来よ悪も群れ 浮世をば只我まゝに 我まゝに大手ふりつゝ 渡りゆく身こそ大(えら<rp

  • 短歌 松坂 弘 言葉の自画像

    暗澹と菜の花の黄に降りそそぎ音なき昼の時はすぎゆく 『輝く時は』 干網は白く芝生にうたれつつ輝く時のいまは過ぎゆく 心いまとがり秋陽のひびわれの草薙ぐ風に刀(たち)となりゆく 手を下げている明るさのひろびろとがんじがらめの白鳥の羽 青春はなおそれぞれに痛ましくいま抱きおこす一束の薔薇 暖かく日は照りながらかたわら

  • 評論・研究 松村 辨治郎 国会開設の儀

    布衣(ふい)(官位のない私民)松村辨治郎、謹(つつしみ)テ大日本帝国廟堂(べうだう)ノ有司諸彦閣下(いうし・しよげん・かつか)ニ白(まう</rt