検索結果 全1042作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 小説 永井 荷風 花火 初出年: 1919年

    午飯(ひるめし)の箸(はし)を取らうとした時ポンと何処(どこ)かで花火の音がした。梅雨も漸く明けぢかい曇つた日である。涼しい風が絶えず窓の簾(すだれ)を動かしてゐる。見れば狭い路地裏の家々には軒並に国

  • 小説 葛西 善蔵 青い顔 初出年: 1919年

    またK分署から来いと云つて来たので、行つて見ると、昨日とは別な、若い学校出らしい警部が出てゐた。 『A館から昨日の告訴状を取下げに来てるんだがね、一体これはどうしたと云ふのかね?』と、警部は穏かな調子で訊いた。 『え、それは、実は私はA館に宿料が五六十円滞(とどこほ)つてゐるので、ところが今度急に婆さんが病気になつたので、金に困るところから傍(はた)の人間共が寄

  • 小説 葛西 善蔵 馬糞石 初出年: 1919年

    三造さんのうちの馬が宝物をうんださうな、と云ふ大した村中の評判であつた。「虎は死して皮を残すとかいふが、さすがに三造さんとこの馬だけあつて、えらい物をひり出したもんぢやないか」などと、ヘンに唇をひん歪(ゆが)めて言ふものもあつた。……三造は村中切つてのしたゝか者である。三造はそんな話が耳に入るにつけ、業(ごふ)が煮えてならなかつた。 半月ほど前のことであつた。三造は役場で村の

  • 小説 佐佐木 茂索 おぢいさんとおばあさんの話 初出年: 1919年

    日に一度来る郵便配達が、二三の新聞と一緒に、一通の手紙を投げ入れて行つた。新聞と手紙とは、女中の手で奥の間へ運ばれた。奥の間には、老衰のおばあさんが臥(ね)てゐて、おぢいさんが看病してゐる。 新聞に交つて久振(ひさしぶり)で来た手紙を、おぢいさんは不審相に眺めたが、すぐ手紙の裏を返して差出人の名を見ると、鳥渡(ちよつと<

  • 評論・研究 厨川 白村 小泉(八雲)先生 初出年: 1919年

    一 ラフカディオ・ヘルン 「贈従四位小泉八雲」 とかう書けば、全く知らない人は日本人かと思ふだらうが、小泉先生の血管には日本人の血は一滴も流れてゐなかつた。美しい神秘と空想との世界に生きるケルト民族の愛蘭(アイアランド)人を父とし、むかし欧洲の花やかな藝術と文明とを生み出した希臘(</rp

  • 評論・研究 加藤 一夫 民衆は何処に在りや 初出年: 1918年

    民衆藝術と云ふことが問題になつて居る。 外国ではトルストイ、ケイ、ローラン等をその最も熱心なる主唱者とし、日本に於ては福田正夫、百田宗治、富田砕花等の詩人を初めとして、本間久雄、大杉栄、内藤濯等の評論家が此主張者の尤(ゆう)なるものである。さう云ふ自分も亦田舎の土百姓の息子に生れた真の民衆の一人として、民衆の心を歌ひ、民衆の心を伝へ、民衆そのものを表現せんとする熱心に於ては敢へて人後におちないつもりである。 しかし、民衆藝術とは一体何を意味するのであるか

  • 小説 吉田 絃二郎 淸作の妻 初出年: 1918年

    猫の子一疋死んでも噂の種になるN村では、新田(しんでん)の淸作とお兼とが夫婦になつたといふことは、野良(のら)でも、爐(ゐろり)の傍でも、舟着き場でも人々の口の端(は)に上つた。若い娘たちは村一番の若

  • 小説 宮地 嘉六 煤煙の臭ひ 初出年: 1918年

    一 彼は波止場(はとば)の方へふらふら歩いて行つた。此の土地が最早(もう)いつまでも長くは自分を止まらせまいとしてゐるやうで、それが自分のにぶりがちな日頃の決心よりも寧(む

  • 小説 小川 未明 戦争 初出年: 1918年

    かういふことを私が言つたら、人は私を痴者(たはけ)といふだらう。 さうだ。私は痴者だ。また人は私を懐疑家だ、空想家だといふだらう。しかし、私はかれらからさう言はるべき筈がない。どちらが間違つてゐるか。まあ、私の言ふことをよく聞いてからにしてもらひたい。 海のかなたで、大戦争があるといふが、私はそのことを時々口に出して話すが、実は心の底でそれを疑つてゐるのだ。「戦争があるなんて、それは作り話ぢやないのかしらん。私及び私のやうな人間をだまかそうと思つて、誰か

  • 小説 久米 正雄 受驗生の手記 初出年: 1918年

    一 汽笛ががらんとした構內に響き渡つた。私を乘せた列車は、まだ暗に包まれてゐる、午前三時の若松停車場を離れた。 「ぢや左様なら。おまへも今年卒業なんだから、しつかり勉强しろよ。俺も今年こそはしつかりやるから。」 私は見送りに來てゐた窓外の弟に、感動に滿ちて云つた。襟に五年の記號のついた、中學の制服を着けて、この頃めつきり大人びた弟は、壓搾した元氣を底に湛へたやうな顏付で、むつつり默つて頭を下げた。恐らくは、弟も、この腑甲斐のない兄の再度の首途(かどで</rt

  • 戯曲 菊池 寛 父帰る 初出年: 1917年

    人 物 黒田 賢一郎 二十八歳 その弟 新二郎 二十三歳 その妹 おたね 二十歳 彼等の母おたか 五十一歳 彼等の父宗太郎 時<div align="just

  • 小説 吉田 絃二郎 島の秋 初出年: 1917年

    「清(せい)さん一時(いつとき)俺が持たう。」 でつぷりと肥つた五十恰好の日焦けのした男は前に歩いてゐる色の青白い若者に声をかけた。 「なあに、親方、重くも何ともありませんから……」 清さんと呼ばれた若者はかう言つて肩にしてゐる振り分けの荷物をもう一方の肩にかへた。前の方の荷は四角な木の箱を白い布で巻いて、さらにその上を人目に立たないやうに<r

  • 評論・研究 有島 武郎 惜しみなく愛は奪ふ 初出年: 1917年

    概念的に物を考へる事に慣らされた我等は、「愛」と云ふ重大な問題を考察する時にも、極(ごく)習俗的な概念に捕へられて、正当な本能からは全く対角線的にかけへだたつた結論を構出してゐる事があるのではないか。「惜しみなく与へ」とポーロの云つた言葉は愛する者の為す所を的確に云ひ穿(うが)つた言葉だ。実際愛する者の行為の第一の特徴は与へる事だ。放射する事だ。我等はこの現象から出発して愛の本質を帰納しやうと

  • 評論・研究 赤木 桁平 「遊蕩文學」の撲滅 初出年: 1916年

    一 精神的文明の頽廃と糜爛(びらん)とに促されて、徳川幕府の中葉以後現れ初めた文学上の一傾向であるが、我国の文壇には、予の自ら呼んで以て「遊蕩文学」となすところのものが、久しい間非常な勢力を揮(ふる)つてゐた。現に明治期の事実に照して見ても、<ruby

  • 添田 啞蟬坊 新流行歌集(抄) 初出年: 1916年

    目次あゝわからないあゝ金の世 ○あゝわからない ○あゝわからない/\。今の浮世はわからない。 文明開化といふけれど。表面(うはべ)ばかりじやわからない。 瓦斯(<

  • 福田 正夫 農民の言葉 初出年: 1916年

    目次 序 Ⅰ 四十男の縊死 しちめん様のまつり 加瀬の山から 低能児 御会式のだいもく 四十男の縊死 Ⅱ 農村より 村祭の酒宴から 偉大なる農民 農村より 仮装行列 霧の朝 畦路から 姉さんの死 恐しいそして無智な女 Ⅲ 農民の言葉

  • 評論・研究 宮武 外骨 政教文藝の起原は悉く猥褻なり 初出年: 1915年

    進化説を骨子とせる新科学の上より見れば、道徳観念は原人が社会を組織する必要上発生せし思想の習性たること明かなり、而(しか)して其(その)道徳観念の一たる羞恥の感の如きも、生存競争の一事象より起りしものたること論なき所とす、裸体にして恥(はぢ)ざりしは原始時代の常態にあらずや、後世の政治家は其道徳観念

  • 山村 暮鳥 赤い林檎 初出年: 1915年

    手 みきはしろがね ちる葉のきん かなしみの手をのべ 木を揺(ゆす)る 一本の天(そら)の手 にくしんの秋の手 青空に

  • 随筆・エッセイ 辻村 伊助 スウィス日記(抄) 初出年: 1915年

    序 忘却は人間の有する最大の幸福である。私達の目まぐるしい生活が、あらゆる感情の綯い交じったその日その日が、有りの儘に私達の在る限り、胸の中にたたまれてあるとしたら、それを負うて歩まねばならぬ人の運命はいかに悲惨なものだろうか。 雑然たる生活の断片を紙に残すのは、この意味に於て明らかに矛盾である。しかもそれを敢えてするのは私の過去に於てアルプスの雪の間に送った月日が、そのいずれの瞬間を思い出しても何の悔ゆることのない、白日に露すとも何等不安を感じない生活であったのを確かめているからである。 山に対する時私は云い知

  • 評論・研究 夏目 漱石 私の個人主義 初出年: 1914年

    私は今日初めてこの学習院というものの中に這入(はい)りました。尤(もっと)も以前から学習院は多分この見当だろう位に考えていたには相違ありませんが、判然(はっきり)とは存じませんでした。中へ這入ったのは無論今日が初めてで御座います。 先程岡田(