検索結果 全1058作品 公開年逆順 公開年順 作家名逆順 作家名順 作品名逆順 作品名順

  • 俳句 鈴木 六林男 荒天(Rough Weather)

    Ⅰ 大陸荒涼 Bleak Continent出発Departure 送る歌産院の高き窓よりも A song to see me off from the

  • 小説 鈴木 榮 軽気球

    ラーゲルレーブ (Selma Lagerlˆf 1858~1940)はスェーデンの女流作家である。北方神話をうたった『イェスタ・ベルリング物語』によって彼女の名声は一躍世界的になり、1909年にはノーベル文学賞を受け、更に1914年にはスエーデンアカデミーの会員に推挙された。「イエスタ・ベルリング物語』と並んで広く親しまれているのは『ニルスの素晴らしいスェーデンの旅』であるが、そのほかにも彼女の作品はかなり多く、そのドイツ語訳全集は12巻からなっている。故郷の自然に対する優しい感情や、人間的愛、宗教的神秘性、道徳的

  • 小説 魯迅 藤野先生

    東京も格別のことはなかつた。上野の櫻が満開のころは、眺めはいかにも紅(くれない)の薄雲のようではあつたが、花の下にはきまつて、隊を組んだ「清国留学生」の速成組がいた。頭のてつぺんに辮髪をぐるぐる巻きにし、そのため学生帽が高くそびえて、富士山の恰好をしている。なかには辮髪を解いて平たく巻いたのもあり、帽子を脱ぐと、油でテカテカして、少女の髪にそつくりである。これで首でもひねつてみせれば、色気は満点だ。 中国留学生会館の入口の部屋では、本を若干売つていたので、たまには立寄つて

  • 評論・研究 露国社会党に与ふる書 露国社会党に与ふる書  (『平民新聞』社説・1904.3)

    「嗚呼(あゝ)露国に於ける我等の同志よ、兄弟姉妹よ、我等諸君と天涯地角、未だ手を一堂の上に取て快談するの機を得ざりしと雖(いへど)も、而(しか)も我等の諸君を知り諸君を想うことや久し。 一千八百八十四年、諸君が虚無党以外、テロリスト以外、別に社会民主党の旗幟</

  • 評論・研究 蝋山 政道 よみがえる日本 占領下の民主化過程

    民主主義をはばむ六つの制度 ポツダム宣言第十項には、「日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スルー切ノ障礙ヲ除去スベシ 言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」とある。 ここにいう民主主義的傾向の復活強化にたいして障礙となっているものとは何か。それは、いうまでもなく極端な国家主義や軍国主義の基盤となっていたもので、旧い封建時代に根をもち、明治時代に強化されたものとして考えられる六つの制度である。すなわち華族制度・地主制度・地方制度・官僚制度・教育制度・雇用制度これである。 <p

  • 短歌 和泉 鮎子 果物のやうに

    鬼もゐむ忠信狐もひそみゐむ吉野は峯も尾上も櫻 花に埋る谷の底ひに蹲へば身すがら冷えてわれは鬼(もの)の裔 銀箔のふるへるやうにひかるはな黒髪を籠めし塚に降り来て 亡きひとの歩みて来るや地(つち)の上の櫻落花がほろほろ転(まろ

  • 随筆・エッセイ 和泉 鮎子 二人の時頼

    のちに人口に膾炙されることになった、「人生は不可解なり」の一節を含む「巌頭之感」を遺して、日光の華厳の滝に投身自殺をした旧一高生藤村操のもうひとつの絶筆のことを知ったとき、わたしはつよい衝撃を受けた。それは、死の直前に、ある女性に贈った高山樗牛著『瀧口入道』に書きこまれたものであった。そして、『瀧口入道』は、十六歳でやはり死を選んだ弟が、最後まで手にしていた本であった。 本の虫などと叱られ、濫読癖のあったわたしと違い、二つ年下の弟は小さい時から、本を読むことよりも機械いじりが好きで、殊に時計には目がなく、次々とこわしては母を困らせていた。中学生のころは音楽に興味をもち

  • 評論・研究 和辻 哲郎 偶像崇拝の心理

    私がここに観察しようとするのは、「偶像破壊」の運動が破壊の目的物とした、「固定観念」の尊崇についてではない。文字通りに「偶像」を跪拝する心理についてである。しかしそれも、庶物崇拝(フェティシズム)の高い階段としての偶像崇拝全般にわたつてではない。ただ、優れた藝術的作品を宗教的礼拝の対象とする狭い範囲にのみ限られている。特に私は今、千数百年以前の我々の祖先の心境を心中に描きつつ、この問題を考察するのである。 まず私は、人間の心のあらゆる領域、すなわち科学

  • 小説 和田 傳 村の次男

    一 信平の生涯の希望を賭けたやうな甲種合格が、籤(くじ)のがれでふいになつてしまつたのだから、彼はその日からふてて三日も寝込んでしまつた。 耕地では陽炎(かげろふ)が燃えだし、百姓は泡をくつて野良を始める時だつたが、信平がさうしてふて寝をきめても、兄の清一は何も言はず<rub

  • 小説 假名垣 魯文 安愚楽鍋

    初編自序 世界各国の諺に。仏蘭西の着倒れ。英吉利の食(くひ)だふれと。食台(ていぶる)に並べて譜(いへ)ど。衣は肌を覆ふの器(うつわ)</rp

  • 随筆・エッセイ 會津 八一 南京新唱(抄)

    明治四十一年八月より大正十三年に至る 南京・なんきやう。ここにては奈良を指していへり。「南都」といふに等し。これに対して京都を「北京」といふこと行はれたり。鹿持雅澄(カモチマサズミ)の『南京遺響』佐佐木信綱氏の『南京遺文』などいふ書あり。みな奈良を意味せり。ともに「ナンキン」とは読むべきにあらず。 春日野にて かすがの に おしてる

  • 評論・研究 嚶鳴社憲法草案 嚶鳴社憲法草案<明治12年~13年(1879~80)に起草>

    第一篇 皇 帝 第一款 帝位相続 第一条 日本国ノ帝位ハ、神武天皇ノ正統タル今上皇帝陛下ノ皇裔ニ世伝ス。其相続スル順次ハ必ズ左ノ条款ニ従フ。 第二条 今上皇帝ノ皇位ハ、嫡皇子及ビ其男統ニ世伝シ、其男統ナキ時ハ嫡衆子及ビ其男統ニ世伝シ、其男統ナキ時ハ庶皇子及ビ其男統ニ世伝ス。 第三条

  • 短歌 櫟原 聰 歌の渚

    りんごひとつ手にもつ時に空深く果実に降るは果実の時間 『光響』抄 拒みつつ青年となるわがそばに火のごとく澄む青空ありき 樹に寄りて空を見てゐる人たちのかなしみとしてしづかな未来 はるかなる祈りはきこゆ近寄れば樫ひとしきり葉を降らせたり しづかなる生命恋しき樫の木の艶ある葉こそ青空の霊 <

  • 短歌 櫟原 聰 火と樹と

    あかつきの夏野を走る鹿あれば太き腕に抱きしめられむ (火謡) 空と風のレストラン森に開店す木の実を摘みに森へ行かうよ この街のしづかなる空に流れたる青き時間よ子や樹を目守(まも)れよ ゆく雲よ夏の終はりのはぐれ雲いま少しわれに時間をたまへ

  • 評論・研究 淺見 淵 「細雪」の世界

    谷崎潤一郎が太平洋戦争を中に挾んで足掛け七年の歳月を費して完成したという「細雪(ささめゆき)」について、下巻が去年の暮れに上梓(じようし)されるに及んで、ぼつぼつその批評があちらこちらに散見されるようになった。 今までの

  • 評論・研究 淺見 淵 藝術主義の頽廃について

    福田清人の新著「十五人の作家との対話」の志賀直哉のところを読むと、志賀文学に陶磁器や絵画についての記述が多いことが指摘されている。 これに関聨して憶(おも)い出すことは、自然主義文学全盛時代、反自然主義文学に対してジレッタント呼ばわりしたことである。ところが、今日になつて顧みてみると、案外、自然主義作品が残つていないで、ジレッタント呼ばわりされた反自然主義作品のほうが残つている。また、今日残つている自然主義作品の作者にしても、田山花袋は桂園派の和歌を嗜

  • 評論・研究 澤辺 正修 國約憲法見込案(明治13年(1880)11月以前に起草したと推定)

    大日本国憲法 第一篇 第一条 大日本ハ、立憲君主政体ニシテ天照大御神ノ皇統ノ知(しろ)シ召ス国ナリ。皇統ニアラザレバ天ツ日嗣(ひつぎ)ヲ継(つが)セ給フ可カラ

  • 随筆・エッセイ 濱 幸子 日本の文様

    1.文様のいろいろ 格別の暑さだった今夏、若い人の彩色豊かなゆかた姿を多くみかけました。それなりに可愛らしく目を楽しまてくれましたが、やはりゆかたは藍の匂う古典柄をすっきりと着てほしいと思ったのは私だけでしょうか。そこで「日本の文様」とは、と考えたのです。 「ねェ、日本の文様といったら先ず何を思う?」と私。「うーん、麻の葉かしら」と友人。 「麻の葉」といってもピンとこない人もありましょう。戦前、赤ちゃんの産着(うぶぎ)や

  • 評論・研究 眞有 澄香 〈毒婦〉という教育

    はじめに ここでいう〈毒婦〉とは、明治五人毒婦の一人に数えられる一方で、〈貴婦人〉とも謳われた〈島津お政〉を指す。志賀直哉『暗夜行路』(大正10年から昭和12年まで「改造」に断続発表。「前編」は大正11年7月に新潮社から刊行)の「前編第二、十二」には、「祇園の八坂神社の場末の寄席といつたやうな小屋」で「懺悔する意味で自身、一代記を演」じていた、「長いマントを着、坊主頭に所謂宗匠帽を被」る女性が描かれているが、「暗夜行路前編」が主として大正元年から3年頃までの取材によるものであり、松山巌『うわさの遠近法』(講談社学術文庫,1997年,p.72)には〈

  • コラム 眞有 澄香 「文学」の力 ~「生(バース)」が「人生(ライフ)」になるとき~

    高等学校教諭の職を辞し、本格的な文学研究を志して大学院に入学した時、私は研究対象として泉鏡花を選んだ。なぜなら、泉鏡花は「天才」「日本語の魔術師」と称される偉大な作家だから、という至極単純な理由による。それから私は、当時、明治文学研究の第一人者と目されていた故岡保生先生に師事し、仲間たちと共に鏡花文学に親しみ、自分なりに考えたり、調べたりする、充実した日々を過ごした。それだけではない。泉鏡花と出会ったことで、私は「私」にも出会うことができたのである。いま、あらためて、そのことを振り返ってみたい。 泉鏡花を賞賛した作家を挙げれば、枚挙にいとまがない。夏目漱石、谷崎潤一郎