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病む足

   一

 菊山加奈恵は、闇の中で目覚めた。枕元に近い雨戸を十糎(センチ)ばかり透かしてある。そのガラス戸越しに、(とひ)を流れる雨水の音が聞こえる。耳をすますと、庭土へ降りしきる雨足の音も混じっていた。

 近ごろ、夜の眠りが浅くなった。夜光塗料を付けた時計の針が、午前三時半を指していた。そろそろ入梅か。夜明けまでには、まだ二時間はある。この雨では、山()いにあるこの町の夜明けは、遅いだろう。

 雨戸を閉めているのを幸いに、暗闇の中で、もうひと眠りしようと、目を閉じている。

 頭のしんに、鉛の塊りが居座っていて、耳の奥でいつもの地虫(じむし)が鳴きだした。雨水が体の中に溜まってくる。手指の先が、丸く太って、じんとしびれている。これではボールペンを握ることも難儀だ。じっとしていると、雨水が掌から手首へ、ひじから二の腕へと浸水してきて、泥濘(でいねい)に埋まっていくように重くなった。

 諦らめて、体を起こし、ベッドから足を踏み出す。足指とふくらはぎ、もものあたりまでがしびれている。いやに重い。体が重い。古くなった(なめ)し革のように、皮膚が厚く重いのだ。無理もない。昨夜、十二時前までテレビを見ながら麦焼酎の水割りをコップに一杯飲んだのが、下腹に溜っているに違いない。

 十二時をまわっても眠れないので、誘眠剤を一錠のんでようやくうとうとしてから、まだ三時間しかたっていない。

 加奈恵は、ベッドを離れて立ち上がった。体が宙に浮いていた。雨戸を一枚だけ繰ってみた。が、室内の闇は一層深くなった。

 家中で一番居心地のよい南向きのこの和室には、宗平の母親がよく泊まっていた。京都の西山にある古い借家とこの家を、宗平の妹を連れて往ったり来たりしながら老いていき、二年間寝たきりになって、亡くなった。

 姑のあとは、組み立て式のベッドを置いて、長男の恭平が使っていたが、そのあとは娘の遥子が二人の孫を連れて里帰りした時の宿になっていた。

 宗平が去年の春に亡くなってから、加奈恵はまたベッドを置いて、自分の寝室にしてしまった。押入れには、姑だけが使っていた厚い絹夜具が一組残っている。その上へ、今では加奈恵の毛布と羽毛布団をのせている。

 彼女は立っていって、ホームごたつの上へ脱ぎ棄てていた手編みのカーディガンを肩へ羽織った。部屋を出て、踊り場を階下へ向かった。手擦りへ体を傾けて、一段一段と階段をおりる。片足をおろす度に、小さくきしむ段梯子の音が、加奈恵の足のきしむ音に聞こえる。

 この足が痛み始めたのは、五月の初めだったか。いやもっと古い、古傷のような根を持っているのかもしれない。

 来年は七十歳になる加奈恵は、長いあいだなだめなだめ使ってきた足の病歴を、ずいぶん忘れてしまっている。分かっているのは、宗平を亡くしてから、一日の暮らしのリズムが、たがをゆるめたように、でたらめになってきたことであった。

 楽しみに通っていた俳画や野草の会も、女性団体の世話役や薬科大学の同窓会さえも、宗平の法事を理由にして、疎遠になってしまっていた。

 今年六月に、思いきって出かけた藤枝市の叔母と家族との出会いは、加奈恵の気持を明るくしてくれて楽しかったのだが、戻ってみると空巣に襲われて家の中は散散だった。

 あれ以来、加奈恵は不眠に悩まされて、風呂場の窓へ綱を張ったり、雨戸をアルミサッシに取り換えたりした。

 七月の下旬にようやく梅雨があけると、去年よりもっと苛酷に、太陽が照りはじめた。彼女は、冷房をきかした薬局のいつもの場所にぽつんと坐っていた。

 老人が六割にもなってしまったこの住宅団地では、日中の炎天に買い物に出てくる人もいない。かといって、日が落ちてから、向いのヤマト屋へ食品の買い出しに来る客も減っている。

 町の人達は、一体どこに行ってしまったのだろう。何をしているのだろう、と思う。

 その上、一日冷房をつけて座っていると、訳もなく胸苦しくなったり、心臓がこまかく早や鐘を打ってきて、思わず立ち上がって、薬の棚をハタキで払ってみたり、ガラス戸の外へ出て、手ぼうきで舗道を掃いている。

 どうも、近ごろは尿の出が悪いのである。それに、午後になると、右足の甲が腫れてくる。靴下をおろしてみると、足首に深いくびれができていて、左足に比べて膝から上まで全体がむくんでいるのだった。      

 夕方、加奈恵は、早いめに店を閉めて、バスで駅前の整形外科医院へ出かけていった。

 もう十年以上も前のこと、左足の変形性膝関節症という病名をもらって、この医院に通院したことがあった。また、外反母指が悪化して、皮靴をはけなくなって、相談に行ったこともある。

 どれも、一・二年で八分どうりは快復して、日常の暮らしには困らない程度になっていた。

 近ごろの右足の腫れも、運動不足とか、間食の取りすぎとか、いつもの注意ですむとは思ったが、早めに治療を受けようと考えたのである。

 しかし、医師は、加奈恵の右足をひと目見るなり、

「これは、念のために、くわしい検査を受けた方がよろしい。市民病院を紹介しましょう」

 と、紹介状を書いてくれた。その行く先が循環器外科となっていたのであった。

 そして、足の甲から造影剤を注入してCT倹査をした結果、血液の循環をよくする薬を飲むことになった。

「右足の上部で、静脈が詰まっているのです。」

 と、四十代の初めと見える、そのがっしりとした医師は、こともなげに云った。

 「もう少し早ければ、別の治療もありますが、菊山さんの場合は、詰まった血管が回復するかどうかは難かしいですね。ただ、静脈の場合はまわりの血管が補助的に働いて、機能を果たすようになります。それまでには、かなりの時間がかかります」

「どのぐらいかかるのですか、先生」

 と、加奈恵は、長男の恭平と同じ年ごろの、スポーツ選手のように逞しい体格の医師に、ほっとして尋ねた。手術でなく、投薬だけですむのなら、一年、二年かかっても、怖くはなかった。

「さあ、一年ですぐに戻る人もいますよ」

 と、彼は軽く云った。

「けど、五年たっても、ずうっと腫れたままの人もいます。薬の効き目もまちまちですからね」

 とりあえず、二週間分の循環器の薬をもらって、指示の通りに飲み、二週間したら効き目を調べる血液検査をして、その結果によって、薬の量を増やさねばならない、という説明にも納得した。

 この日の朝、百七十あった血圧も、薬を飲みはじめて三日目には百三十五に下った。薬の量は二週間後には二倍に増やされたが、何よりも、足の浮腫が半分ほどにひいてきて、ショッピングカーを引いていけば、一キロぐらい先の店へ歩いて買い出しにいけるようになったことで、満足していた。

 あとは、毎日規則的に歩き、朝晩軽く手足を動かして家事をやり、日が落ちてから裏の畑を打ち、日常を取り戻していった。

 八月の十日から大文字山の送り火の夜まで、犬山市に住んでいる娘の遥子が二人の孫を連れて里帰りした。食事は遥子にまかせたものの、小学生の二人の孫の相手にさすがに疲れて、みんなが、迎えに来た婿さんといっしょに帰っていった夜は、早々と店を閉めて床へ入った。

 しかし、お盆あけに市民病院で検査を受けてみると、血圧は百三十一と七四、血液の数値もすべて正常で、うっ血して時折赤く変色していた右足も、もとの肌色にもどっていた。孫と一緒に、近くの山林へ蝉取りに行ったり、公園ヘブランコやシーソーに乗りに行くのに付き添っていったりして、店を遥子にまかして、汗まみれになって歩いていたのが、良い結果になったようであった。

 空はいつの間にか青味を増して、薄いいわし雲が流れていた。夕方の涼風がたてば、夜の眠りももう少し深くなるだろう。ようやく夏を乗り切ることができそうだ。そして右足も、これからは、きっと快方へ向かうだろう。

 日吉大社の紅葉狩りに、俳画のグループと一しょに出かけることができるかもしれない。

 こんなふうに、加奈恵の気分は、明るくなっていた。

   二

 

 八月二十二日、地蔵盆の日の午後に、恭平から電話が来た。

 今夜から、いよいよ〈火星〉の大接近が始まるので、マサルと彦根市の近郊まで観測に出かけるのだと云う。

「座席が空いてるけど、一しょに行くかね」

「おお、いいね、行きますよ」

 と、加奈恵は思わずはしゃいで云った。

 そういえば、今朝の新聞に火星接近のニュースが出ていた。今日から四日間ほどが、もっともよく見えるという。

 恭平が行く先は、百五十キロほど北にある彦根市の多賀大社の奥の小山に数年前に完成した天究館という天体観測所で、屋上に三基の大型望遠鏡が据えられたという。

「五時に迎えに行くから、かるく夕飯食べて待っていてくれ。もっと遅うてもええんやけど、道が混むと思うから早いめに出発します」

 加奈恵は、小学五年生のマサルのためにどんな軽食とおやつを用意しようかと頭の中で思案している。それに、天体望遠鏡で星の観測とは、二十数年ぶりのことではないか。

 野洲町の山の中、希望が丘に天体望遠鏡が完成して、宗平の車で四人で観測に行ったことがあった。それも、やっぱり八月の地蔵盆のころだった、と加奈恵は懐かしかった。

 五時過ぎに車が来た。低学年の下の娘は、母親と町の地蔵盆に出かけたという。

 高速道路は料金が高いから、国道を走るという。恭平は、この国道を三十キロほど先の会社へ毎日車で通っている。勝手知った道だから、信号のない農道へ迂回して快調に飛ばしていく。七時ちょうどに天究館のある林の中の駐車場へ着いた。丘の裾を開いただけの広場である。車を出て、さらに十分ほど坂を登る。目の前に、胸を衝くような険しい小山が現れた。

 間伐材を並べた階段が、はるかに上へ伸びている。階段は段差が三十糎はある。それが左の方へカーブしながら、どこまでも続いている。

「百段はあるよ、きっと」

 しかし、久し振りの山登りに、加奈恵は足のことも忘れて浮かれていた。

 加奈恵の両脇を、若者の足が軽々と追い越していく。次第に太ももから膝、ふくらはぎが固く張ってくる。心臓も飛び出しそうに打っている。あと三十段というところで立ち止まって、ぜいぜいと喘いでいると、とっくに上り切っていたマサルが、駆け降りてきて、手を引いてくれた。この子の優しい手をしっかりと握りしめた。マサルの気持に答えようとして、残りの階段を夢中で駆けるように上がった。これが、加奈恵の体力にはこたえたかもしれなかった。

 建物の二階へ上って、人の目もかまわず紺色の絨緞の上へ足を投げ出した。七十人ばかりが、床へ座って、館員から火星がどのように接近しているかを、スライドを見ながらお話を聞く。今年は、一九八八年以来、十五年ぶりの大接近であるという。現在は、表面のガスは薄くて、生物が存在するとは考えられていないが、かつて洪水のように水が流れたと思われている。一八七七年の大接近の折にイタリアの学者が幾筋かの溝のような筋を発見して「運河」と名付けた。運河あるいは水路と呼ばれる。この溝を、一九五六年の大接近では、写真に撮影されて、存在が確認されている。十五年から十七年の周期で起こる大接近の度に、新しい発見がある、といった話に、皆しんと耳を傾けていた。

 その間、加奈恵は足を伸ばして背中を壁にもたせてぐったりと目を閉じていた。

 それから、いよいよ三階に据えられた大型望遠鏡へと導かれた。ようやく闇は濃くなり、足元の小さい明りを頼りに、ハシゴを登る。加奈恵は、館員に抱えられて、接眼部へ目を近づけた。それは、不思議な光景であった。

 人差指と親指をつないで丸くしたほどもないオレンジ色のふわふわした球体が、まっくらな闇の中に、ぽつんと浮いている。その闇が、怖ろしいほどに濃く深い。球体の表面の、綿毛をまぶしたような膜が、たえずかすかに形を変えて、こまかくふるえているように見えた。そうだ、これが、火星から投げかけてくる光なのだ。球体の微かなゆらめきと見えるものは、こちらの体の震えなのだろう。

 危うい、はかない鬼火のように見える小さな玉は、七千万キロの彼方から、天体の摂理に従って、夜毎、この地球に、光芒を投げかけている。

 天究館の屋上へ上がると、そこにも六十倍から八十倍といった三基の望遠鏡が据えられていて、長い行列ができていた。

 今夜は、土曜日とあって、二百人以上の見学者が詰めかけているという。屋上の手摺りから見下ろすと、周囲は暗い杉木立に取り巻かれている。天究館は小さなお城のように高く、まだ階段を登ってくる若者らがいる。手をつないだりふざけ合ったりしながら、軽軽と登ってくる。

 加奈恵は、溜め息をついてから、恭平に近寄っていって、

「そろそろ帰ろうか」

 と、云った。

   三

 

 加奈恵は車の中でうとうとと眠ってしまった。

「着きましたよ」

 という恭平の声に、我に返った。

(おやすみ)を云って家へ入ってから、ざっと汗を流して、床へ入ったが、体は疲れ果てているのに、眼が冴えて、寝返りばかりくり返している。

 右足の付け根からつま先まで、だるく重い。右足の下ヘ薄い座布団を敷いている。もう一枚増やしてみる。膝の下ヘバスタオルを巻いて差し込む。

 右足を左足の上へ乗せた。

 左足を右足へ乗せてみた。

 心臓が切なくなってきた。

 起き出して階下へいき、救急箱から、消炎鎮痛剤の軟膏を取り出して足全体へ塗りつけた。痛み止めの錠剤も飲む。もう一度ベッドヘ横たわってじっとしていると、ようやく痛みが遠くなり、うとうとと眠った。

 目覚めると、雨戸の透き間から、朝陽が射し込んでいた。

 起き上がろうとすると、右足が丸太のように固く腫れていた。膝も曲らなかった。足全体がしびれて、感覚を失っていた。

 そろそろと、パジャマのズボンを下ろしてみた。右足の付け根から、もも、膝、すね、足首、甲、そして指先までが、赤紫色に変っていた。うっ血しているのだ。

 ゆっくりと足をなでてみる。厚い皮を張った上から触れているようだ。うっかり針の先でも当てようものなら、スイカがはじけるように、皮が破れて、肉がむき出しになってしまいそうだ。

 左足もズボンを下げて調べてみた。急にしわしわに(しな)びて、十年も年を取ったように見える。膝の関節が骨の形を顕わにしている。

 加奈恵は、這うようにして階下へ降りて行き、洋式便所へ腰掛けてようやく用を足した。

 洗面所で歯を磨きながら、鏡に映った顔をつくづくと眺めた。顔が青黒くむくんでいた。目の下と唇の両脇に、深いしわができている。我がものとは思えない。陰気なお面のようであった。

 冷蔵庫から、冷たい牛乳を出してコップヘ三分の一ほど注いだ。食パンを千切って口へ押し込んだが、まるで味がなかった。

 加奈恵は、居間の長椅子に、音を立てて転がった。今日は日曜日であった。昨夜の天究館の険しい階段が、右足を悪化させたことは間違いない。階段は急傾斜で長かったが、天究館へ入ってからは、お話のあいだ、人目も構わず両足を投げ出し、壁へもたれて体を休めていた。

 帰途は、車の助手席で眠っていた。それ程、無理をしたとは思えなかった。

 これからは本気で減食して、体重を減らすことにも取り組もう、と加奈恵は思った。ジュースやケーキ、好物の大福やおはぎは、もう買うまい。秋の果物も制限する。

 頭の中が目覚めてくるにつれて、ひとりで生きねばならない自分に、見えない鞭がまたしても降ってきたような不安に襲われていた。

 先週、血液検査に行った血管外科で、医師に云われた言葉を復習した。

「菊山さんは、肝臓の働きがいいから、薬の効果がまだ十分出てこないんですよ。もう少し使いたいが、使い過ぎても別の副作用が出ることがありますからね」

「では、これ以上増やさず、生活に気をつけて暮らします、先生」

「もちろんです。血液の循環をよくする方がいいので、適当に動いて、適当に休んで下さい」

「で、どれぐらいで、薬をやめられますか」

「さあ、それもはっきりとは決められません。長く飲む薬ではないが、十分効かないうちにやめれば、また起こります。くり返し起これば、だんだん治りが悪くなります。それに、血管はデリケートです。誰だって、わたしだって、明日(あした)何が起こるか分かりません。もう大丈夫ということは、誰にもないのですよ」

 この禅問答のような会話を加奈恵はきちんと考えてはいなかった。脳や心臓には、髪の毛より細い血管が張りめぐらされていると聞いたことがある。指先をわずかに切っても、掌を擦りむいても、まっ赤な血がにじんでくる。ということは、皮膚の隅々まで、血管が張りめぐらされていて、その中を、血液は体に必要なものを運んでいき、不用のものを運んで戻ってくる。この血液の循環こそが、生きているということなのだ。右足の付け根で静脈が詰まったということは、別の血管で同じことが起こるかもしれないのだ。

 たまたま、右足にはっきりと現れたこの現象は、そのな危険信号を発信していることになる。医師が、あした何が起こるか分からない、わたしにだって、と云ったのは、そういう意味ではないだろうか。

 ともかく今から、救急センターへ行ってみよう、と加奈恵苗は思った。このまま夜になるまで待っている訳にはいかない。

 彼女は四つん這いになって、そろそろと二階へ引き返した。

 保険証と総合病院の診察券、財布、念のため印鑑。普段の手さげの中味を調べてから、タオルと薄い毛糸のショールを加えた。二階の戸締まりを終って下へ降りた。二十キロばかり離れた町の郊外に住む恭平へ電話かけた。

 家族で買い出しにでも出かけたのか、いくら待っても誰も出なかった。

 加奈恵は、なぜか、今夜この家へ戻ってくることができないような気がした。

   四

 

 病院へ着いたとき、加奈恵はタクシーのシートから動けなくなっていた。

 運転手が、救急用の入口にあった車椅子を運んできて、加奈恵を座らせてくれた。

 看護師が出てきて、べそをかいたように座っている加奈恵を、慣れた仕ぐさで引き取って受付の脇まで押してきてから、

「ここで待っていてください」

 と、云ったまま、どこかへ駆けて行ってしまった。

 受付のカウンターには、事務員が二人忙しく動きまわっていて、その前に列ができていた。

 三十分余りも、じっと待っていた。患者らは、二つの診察室の入口へ振り分けられて順に入っていった。

 奧の入口から、看護師が加奈恵の名を呼びながら近付いてきて、車椅子を押してくれた。

「こちらが外科です。今日は、M先生が来ていられてよかったですよ」

「やあ」

 と、医師が立ち上がってきた。右足をひと目見て、顔を上げた。

「今日はとりあえず、このまま入院してもらいます。今からすぐ検査しますから」

 医師はてきぱきと看護師へ指示を出した。加奈恵の車椅子は、廊下の奥へ押されていった。加奈恵は戸惑いながら、ほっとしていた。(助かった――)と思っていた。

 危うく溺れかかっていた海から、ともかくも救助されたのだ。加奈恵は、そんなふうに思った。M医師が救急センターの当直医だったことがありがたかった。これから自分の足がどうなるのかを尋ねるまでもなかった。足が動いてくれるまでは、医師に身をまかすしかないのだった。軽率だったゆうべのことも、一言も云ってはいない。今さら、愚痴を云ってもはじまらない。加奈恵の足に触れてみて、

「血管はデリケートですからねえ」

 と、ひと言いっただけである。

 なるほど、本来人間の体は、その程度にもろいのだ。軽率というよりは、厳しい時代を経て今日まで働いてきた五体のどこを考えても、危うい綱渡りのようにして動いてきたのだ。加奈恵は、今日まで、人の助けなし生きてくることができたことを、奇跡かもしれないと思った。今は、つくづくと自分の体を労わってやりたかった。自分の体を立ち直らせるためにこそ、生きたかった。

 車椅子に乗せられて、奥の処置室へ運ばれていき、狭いベッドヘ移された。間もなく検査技師が機械を押してきて、採血をした。続いて、心電図をとった。

 それから、エレベーターで三階へ運ばれた。そこは、救急患者の待機室らしかった。カーテンで半ばかくれてはいるが、簡易ベッドに寝かされて点滴を受けているのは、五十代の男性のようだった。

 加奈恵は目をつぶって、入院に必要なもののことを考えた。恭平に頼まねばならないことも、幾つかあった。

 正午を過ぎてから、新館の外科病棟へ移った。五十代六十代の女ばかりの四人部屋で、奥の窓寄りに二人、入口寄りに二人、中央に通路があった。すべて水色のカーテンで仕切られている。

 加奈恵の部屋は、入口を入ってすぐ左で、枕頭台の上には小型のテレビもあった。

 看護師が来て、救急入院の診療計画書が手渡された。

「心臓血管外科、右下肢腫脹、深部静脈血栓症。基礎疾患高脂血症、検査・治療の見通し十日間前後。安静度病棟内歩行まで、食事可能(病院食)」とある。

 検温、三十七度八分、血圧百七十。コオリ枕があてがわれ、うっ血を戻すためにベッドの足の方が十糎ばかりアーチ型に上げられた。移動用点滴棒に五〇〇ccの薬液が掛けられ、右腕の静脈へ管が固定された。左手首には、菊山加奈恵の名前と年齢、性別、今日の日付けの書き込まれたプラスチックの腕輪がはめられた。

 それから、遅い昼食が運ばれてきた。朝からほとんど食べていなかった上に、20CCほども採血されて、和食の献立をかなり食べた。

 三時過ぎ、恭平が下の娘を連れてやってきた。頼んだ品物が大型のカバンと紙袋に入っている。弁当箱ほどの透明な容器に、缶切りや栓抜き、果物ナイフ、スプーン、裁縫セツト、爪切りまで入っている。

 点滴の器具をつけて横たわっている祖母に脅えているハナエを見て、

「だいじょうぶ。すぐよくなって、おうちへもどるからね」

 と、小さな手を握りしめた。恭平が枕頭台へ置いた袋から、夏みかんと白桃の缶詰めを出してハナエに手渡した。

「これから、体重をもうすこし減らすことにしたから、これは持って帰ってちょうだい。しばらく、ここで養生させてもらうわ」

「新聞と牛乳はことわっといたよ」

「悪いけど、配達物を、ときどき届けてちょうだい」

 手渡された診療計画書を恭平に示した。入院期間、十日前後というところで、ほっとしているのがわかった。

「これからは、気を付けて暮らします。心配かけて悪かったけど、食事も普通食を、おいしくいただいているし、トイレも歩いていけるから」

 五時過ぎに、M医師がカーテンを開けて入ってきた。

「やあ落ち着きましたね」

「よろしくお願いします。明るくて、いいお部屋ですね」

「今夜は、よく眠れるように、痛み止めを出しておきましょう。明日は、CT検査をしますから、朝食は抜いてください」

「先生、血管が詰まったのは、どのあたりですか」

「七月の検査では二か所ありました。上部の血栓は骨盤の中です。だから、足だけでなく、下腹もしめつけない方がいいでしょう。できれば、パジャマでなく、ガウンのようなゆったりしたものを着てください。下着もゆるくして。二・三日は安静です」

「手術はしないのですね」

「やりません。初期の場合なら、血管の中を吸引したり、血管を広げるステント(綱)を入れたりすることもあります。人工の血管を挿入する場合もありますが、菊山さんの場合は、やりません」

「わたしが、気がつくのが遅すぎたんですね」

「まあ、そうです。しかし、人にもよります。まわりの血管がカバーしてくれるのを待ちます。時間がかかります。また同じことをくり返すと、回復はもっと難しくなります。血管はデリケートですから、無理をせずいきましょう」

 加奈恵の年齢と、もう無理をしなくてもよい境遇になっていることが、考慮されていると思った。

 医師は、腕っぷしの強そうな体格をしていて、黒々した髪を短くカットしていた。大きな目玉、太い鼻梁(びりょう)と厚い唇をしていた。簡潔に、あまり深刻にはならず、一言ずつ加奈恵の理解を確かめながら、話していた。誠実で飾らない人柄にみえた。

 彼は、加奈恵の足に、マジックペンで印をつけて、ポケットからメジャーを出して足の太さを計った。

 この日から、医師の回診は、足の定位置の計測と、浮腫のようすを調べることに終始した。

   五

 

 廊下へ出て、斜め前へ進むと、洗面所と炊事場が並んでいて、炊事場には熱い番茶と個人用冷蔵庫があった。

 加奈恵は、毎朝、廊下を廻ってくる販売員から、ヨーグルトを二個買って、冷蔵庫へ入れた。

 M医師が出ていくと、加奈恵はまた体を起こして、床へ足をおろして、そろそろと立ち上がった。点滴棒につかまって、床をするようにして前へ踏み出した。右足に体重をのせる度に、痛みが走る。

(右、左、右、左)

 と、足に向かって号令をかける。高貴な車が動いていくように、しずしずと廊下へ出る。右手に点滴棒をしっかりと握って、押していく。足と手と点滴棒の動きが、ようやく一つになって、加奈恵の体は、ぎこちなく前へ移動している。炊事場へ入る。

 恭平が持ってきてくれたきゅうすへ、熱い番茶を入れて、左手にさげて、こぼさないように廊下を戻ってくる。

 廊下の向こうに、配膳車が動いているのが見えた。病室へお膳を持って入っていく看護師の姿も見えた。

 病室へ戻ると、加奈恵は、そのまま中央の通路を窓へ向かって歩いてみた。

 病棟は、南東のびわ湖岸へ向かって、城砦のように、町の灯を見おろしていた。街並みのあいだを、JRの電車が縫うように動いていく。駅舎とみえる建物の陰へ入っていく。

 太陽は、病棟の背後の山へ落ちていき、まだほのかに夕焼けている空に、星がまたたき始めていた。

 左のカーテンの陰に人の気配がして、顔が覗いた。五十代の女性にみえた。

「菊山です。よろしくお願いします」

 と、加奈恵は云った。

「右足が動かなくて、今日、緊急入院なんです。手術はしないんですが」

「わたしも手術はしないんよ。糖尿があるから。先にそれを治してから、胆のうの手術をせんといかんの。血糖値が下って、退院すると、また上がってしまうん。それでまた入院」

 彼女は、色白のふくよかな体をゆすって、くすくすと笑った。

「けど、今度こそ、ひと月先には手術します。先生に、そう云われてます」

 彼女は、近づいてきて、加奈恵の足元をじろじろと見た。

「おたく、足の血栓でしょう。うちの母とおんなじやね。母は五年前にそんなんなって、入院したんですよ。けど、今はきれいに治ってますよ」

「皮靴もはけますか」

「ええ、ええ。七十六やけど、海外旅行だって行ってます。伊吹山にも、一緒に登りましたよ。すっかり元通りですよ」

 加奈恵は、この会話を、退院して後も、くり返し思い出した。彼女は、一週間後には退院していったが、加奈恵が動けないあいだ、空になった食器を配膳車まで返しに行ってくれたり、三日後には、加奈恵がはじめて九階の洗濯場へ行って、コインを入れて洗濯するやり方を教れてくれたりした。

 夕食はカレーライスと野菜サラダであったが、半分しか、食べられなかった。

 談話室の販売機でテレビ用カードを買ってあった。テレビへ差し込んでベッドに横になってから、リモコンスイッチを押す。枕元のマイクから、音声が流れてきた。

 七時の、NHKのニュースを聞く。イラクの自爆テロのことが、報じられていた。加奈恵が小学校へ上がった年に、日本は戦争を始めた。その頃、「肉弾三勇士」の話が、絵本にも教科書にも載っていた。自爆テロというのは、目的は違うが、行為は同じだ。人間魚雷、特攻隊、撃チテシヤマム。若者らが、自分の生命を犠牲にして、敵と信じる人々を殺生する。

 加奈恵の幼いころに真剣に植えつけられたあのような行為が、今も、現実に行われている。若いころ、死ぬことは、大してこわいことではなかった。七十年近く生きてきた今ごろになって、加奈恵には、誰の世話にもならずに生きられることが、どれ程うれしく、ありがたいことかと思うのだ。ハナエの柔らかな冷たい手を握りしめて、(ありがとうね)と云った時に、今日まで、このように生きられて良かったと、心から思ったのだ。

 加奈恵と足合わせになって、通路の向こうに横になっている村山さんは、七十八歳と云った。加奈恵とは十歳年上だった。彼女は、六時少し前になって、車椅子で談話室から戻ってきた。日曜日なので、幾組も見舞い客が来て、午後はほとんどベッドにいなかった。談話室で、面会の人の差し入れを食べたらしくて、夕飯には手をつけていなかった。カレーではなくて、甘ダイの塩焼とほうれん草のゴマあえが載っている。汁碗も蓋をしたままになっている。

 看護師が来て、しきりに勧めたり(なだ)めたりしているが、手をつけようとしない。

「やつぱり、二時間だけ、点滴しますね」

 と、器具が運ばれてきた。

 加奈恵は、さっきから、右足の痛みに耐えている。通路の向こうの村山さんのうめき声がする。看護師が来て、

「どうしたの。どこが痛いの」

 と尋ねている。しばらくすると、当直の医師の声がする。村山さんのかん高い声が混じっている。

「お腹が痛い。あいたた、あいたた」

 鼻水をすする音がする。

「どこ、この辺? こっち?」

 医師が調べているようだが、村山さんは、ただうめいている。医師が去り、女性の看護師が残って、体を撫でているようだ。

「お腹を暖めてみようか」

 と、年輩の看護師が来て云う。暖めた袋を載せているらしい。

「どう……」

「ああ、楽になった。気持ちよい。ああ、ええわ」

「寝られる?」

「うん、寝られる」

 カーテンが締められて、しばらくすると、大きな鼾が聞こえはじめた。喉の奥を締めつけられるような、うめきとも悲鳴ともつかない声が混じる。

 加奈恵の右足の痛みも、一向に和らいではこない。ふくらはぎが張っている。寝がえりができない腰骨の両脇も痛い。心臓のドキドキが早くなる。思わずうめき出しそうだ。

 加奈恵は、ベッドの上へ体を起こした。枕頭台へ置いた時計が、十一時を指している。家にいれば、ワインでも飲んで床へ入る時間だが、とても眠れそうにない。

 右足は立たないが、点滴棒を頼りに廊下へ出て、壁の手摺りを左手で掴みながら進む。トイレの通路へ入る。通路は広々として、昼間と同じ電灯が煌煌とついていた。洗面所の鏡に、急に白髪が増えて、山姥(やまんば)のように目ばかり光った見知らぬ顔が映っていた。

 用をすませて廊下へ出た。思い切って左へ曲がり、さらに左へ曲がった。看護師詰所の奥に、大型のシャーカステンに二枚の写真を差し込んで、身動きもせずにじっと睨んでいる医師の背中が見えた。一枚は正面の写真、一枚は横から背骨と腰骨のあたりを映したもののように見えた。

 看護師が立ってきたので、血圧を計ってもらう。百三十と七十六、上々だ。

「一人で、もどれますか」

「大丈夫、戻れます」

 加奈恵は、そのまま、また、点滴バーを押して歩きはじめた。医師は、微動だにしないで、シャーカステンの写真と向かい合っていた。明日の手術に備えて、骨格の位置を頭の中へ叩き込んでいるのだろうか。

 心臓の鼓動が鎮まってきた。右足が次第にリズミカルに進むようになった。痛みが、遠くなっていた。病室へ帰って、昼間もらった痛み止めを飲んだ。すこし疲れた。眠りが、ようやく訪れてきそうだった。

   六

 

 午前五時、中央の通路をいく足音で目覚めた。窓際に、昨夜七時を過ぎて戻ってきた人である。その足音が遠くなってから、加奈恵はゆっくりと体を起こした。ベッドから、足をおろした。やっぱり腫れている。昨夜とかわらない。立ち上がって、右、左、右、と頭の中で命令しながら左右の足を前へ出す。トイレと洗面をすまして戻る。通路に立って、窓の方を見ると、ガラス戸の向うの空が白んでいる。遠くの比叡山の山裾のあたりに、紅色の雲が浮いている。琵琶湖の水面が、鈍い藍の色に光って見える。

 七時、採血三本、レントゲン技師が入ってきて、背中へ感光板を差し入れ、仰向けのまま上から写す。足合わせで寝ている村山さんの苦しそうな息遣いが、また聞こえてきた。昨夜、お腹が痛いと泣き声で訴えていた人だ。

 レントゲン車が、技師と一緒に出て行った。と思うと、突然大きな物音がして、人が床へ倒れ、うめき声が聞こえ出した。

「村山さん、村山さん」

 と、加奈恵は、半身を起こして呼んだ。仕切りのカーテンを、思いきりひき開けた。車椅子が倒れていて、ベッドの床に、彼女が座り込んでいた。

「ちょっと待って、看護婦さんを呼びますから、そのまま、じっとしていてください」

 加奈恵は、ナースコールを押した。看護師が二人で馳けてきて、彼女を車椅子へ乗せ、廊下へ出ていった。十分ばかりして、戻ってきた。

「村山さん、用事があったら、これを押してね。ほら、このボタン。わかるでしょ」

 看護師が、幾度も念を押している。

 朝のテレビニュースをつけてみる。朝食はないので熱い番茶をすする。

 検温、三七・五度。血圧百四十六と九十五。

「今朝も熱がありますけど、どうして」

 と、加奈恵は、尋ねた。

「右足が炎症を起こしているのでしょうね。痛みますか」

「ええ、ゆうべは、痛み止めを飲んで、すこしだけ眠れましたよ。腰も痛いのよ」

 と、加奈恵は、ちょっと甘えた。

「コオリ枕と、痛み止めをあとで持ってきます。腰にも、温湿布をしましょうか」

 八時、M医師が回診してくれた。足周りを計って、

「まだ、腫れてますね」

 と云って出ていく。

 入れかわりに、車椅子を持って、男性の看護師が入ってくる。この病棟には、いつも、二人ばかり男性の看護師がいて、女性に混じって働いていた。

「今年入ったばかりです。よろしくお願いします」

 と、彼は頭をさげた。まだ、二十を過ぎたばかりのように見えた。ベテランの女性達に混じって働くせいか、私語もせず、短く用件を云って、あとは黙々と働く。緊張している。

「看護婦さん達、こわいでしょ。女の子はきついこと云うでしょう」

 と、加奈恵が、笑ってからかうと、

「ええ」

 と云って、はにかんだ。

「足、腫れてますか」

「ええ、見たい?」

 加奈恵は、膝の上まで上げてみせた。彼は加奈恵の右足を庇いながら、車椅子へ乗せて、静かに押した。

 談話室の前を通り、エレベーターに乗って、一階へ降りた。放射線科の病棟へ出る。

「終ったら、この前で待っててください。迎えに来ます」

 彼が去って、検査技師の女性が、中へと車椅子を入れてから、細いベッドの上へ手伝って乗せてくれた。手首に点滴の針を入れて、黄色い造影剤が注入された。体が熱くなる。口腔に薬液の臭気が広がってきて、唇が軽くしびれる。ドームの中へ、体がゆっくりと入っていく。胸から横隔膜を経て腹部へ、さらに下肢へ。息を吸って、止めて。吸って、止めて。

 加奈恵は、万歳(ばんざい)の形に腕を上げたままで、人間が焼かれて、骨だけになる時の形に似ている、と考えていた。彼女はかなり疲れた。

 正午きっかりに配膳車がやってきた。

 小鉢に七分目ほどの白い御飯、サワラ塩焼、厚揚げとぜんまいの煮付、人参ゴボウこんにゃくのキンピラ。浅漬けのタクアン二片。

 ようやく味がわかった。空っぽの胃の腑へ落ちていく。一箸ずつ噛みしめている。

 村山さんに、五十代の主婦が来て、食事の世話をしていた。長男のお嫁さんという。竹輪と大根の煮付けを容器から出して、小皿へのせている。

「おばあさん、これ、食べてみて」

「うん、おいしい」

 と、彼女は、素直にうなずく。

 昨夜、彼女は淋しかったのだろうか。

 二週間前に、ある朝、洗濯機の前で倒れていたのを、近所の親しいおばさんが発見してくれて、大騒ぎになったのだという。小さい町の総合病院では難しく、三つめにこの病院へたどりついて、仮死状態から助かったのだという。脳梗塞。長男夫婦の努力と、幸運と、この人の強い体質と生命力のお陰だろう。

「なあんにも、覚えてない。目を覚ましたら、ここに居た」

 と、彼女は人のことのように、けろりとしている。甲賀から来たという。

「ここの御飯は、おいしいないわ。うちへ早う帰りたいわ。早う帰りたいわ」

 泣き声になっている。

「おばあさん、先生にこれから頼んでみるよ。わたしらも、近くの病院へ入ってくれた方が助かるしなあ。ここへ来てると、一日がかりですねん。家のことが、なあんもでけへん」

 大きな米作農家のようである。お嫁さんは、陽に焼けて逞しい腕を組んだ。

 しかし、洗濯物を持ってお嫁さんが帰っていくと、村山さんは布団も掛けず、ごろりと寝そべっている。むき出しの(すね)が絹のようにきめ細かくて、長い。足も足指も、大きくて長い。

 六時、夕飯が来たが、彼女は食べず。

「おなかが痛い。味がない」

 看護婦が二人で、点滴を運んでくる。ベッドの側で、しきりに話しかけている。

 七時、窓の外が夕焼けている。加奈恵は点滴棒を引きずって、窓際へ行ってみた。

「その椅子へ腰掛けて、ゆっくり見てください。朝陽もきれいですよ」

 と、右のベッドの松崎さんが云った。

 加奈恵は、壁へ寄せかけてあった折りたたみのパイプ椅子を開いて、窓の外へ向けて腰をおろした。左手に低い丘があり、丘のあいだから、灰色の煙突が天へ伸びていた。白い煙が、まっすぐに昇っている。

「あれは、遺骨を焼くけむりですか」

 と、思わず尋ねた。背筋に戦慄が走った。

「いいえ、市の焼却炉だそうですよ」

 と彼女が笑って云った。六十代、加奈恵より四・五歳若いように見えた。入口のプレートの名札を見て、名前は知っていたが、加奈恵が昨日入院した時は、娘さんに付き添われて帰宅していた。

 言葉を交わすのは、今日が初めてだった。

「一週間前に、この大部屋へ入ったとこどす」

 と、彼女は、ベッドに仰向けに寝たままで云った。入口の、村山さんのカーテンの仕切りを、目で差した。

「お見舞いが多すぎるのよ。持って()らったお菓子やらお餅やら食べて、病院の御飯を食べんと、おなか壊してらるんよ」

「友達が一ぱいいて、みんなに心配してもろて、幸せな人やわ」

「ま、田舎は、みんなあれよ。退院したら、またみんな来らるよ」

 松崎さんは、健康診断で、たまたま発見された動脈瘤を切除して、五日間ほどCCUの個室で、介護を受けていた、と云った。手術のあとは、順調に治っている。

「おじいさんの世話もせんならんし、娘と中学生の孫の弁当も作らんなんのに。家族の洗濯物やら掃除やら、御飯ごしらえやら、ぜーんぶわたしがやらんなんのに」

 あと一週間リハビリをして、退院するという。彼女の夫は、三年前に亡くなったが、彼女を頼りに働く家族が待っている。

 太陽が沈んで、闇の中に、街の灯がきらめいている。ブラインドを下ろして、加奈恵はベッドヘ戻った。

 今夜も三十七度五分の熱、コオリ枕をたのむ。九時消灯。十二時まで、転々として眠れず。十二時半、右足はまだ痛む。見廻りにきた看護婦さんに、ベッドの足の下をまた少し上げてもらう。ピンク色の痛み止めを飲む。松崎さんと同じ錠剤を飲んでいると知った。この錠剤は、神経科の薬だという。間もなく、眠りが訪れてくる。加奈恵は、じっと待っている。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2005/01/05

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伊吹 知佐子

イブキ チサコ
いぶき ちさこ 作家 1934・10・10~2006・3・21 滋賀県木之本町に生まれる。1963(昭和38年)静岡県藝術祭文学部門県知事賞受賞。

掲載作は、2004(平成16)年6月「滋賀作家」93号初出。

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