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夢浮遊

   夢

 小学生のころ、同じような夢を、何度も何度も繰り返し見た。

 私は、よく夜の空中を浮遊した。まず初めは、平泳ぎで低空を飛行し、表通りのバス停から北へ、見知った道沿いに市の北側にある山の方へと向かった。平手に空気の抵抗が薄く、力を抜けばすぐに地面に落ちてしまう恐れがあった。山の裾に火葬場があり、その手前を暗く川が不気味な水音を立てながら流れ、私は、水面すれすれを、流れに落ちないように背筋に力を込め、腕と脚で必死になって空気の水を掻いた。水音が冷たく耳に響く。それから火葬場の屋根の上に浮き、裏山の斜面に沿って上昇して行き、鉄塔の辺りから、今度は真っすぐ暗黒の天に向かって上昇し始める。次第に速度が上がって行き、スピードにコントロールが効かなくなってくる。もう平泳ぎではなかった。五体は感じても、身体は見えず、ただ眼だけの世界となっていた。山の尾根を渡る送電線が気になり、上昇しても上昇しても、次から次へと白い送電線が上方から下方へと通過して行く。しかし一度も送電線に触れたことは無かった。そして、真っ暗闇の中をひたすら上昇して行くうちに、恐怖を覚え、心の中でブレーキをかけると、瞬時に下界へ戻され、私は、杉皮の葺かれた私の家の屋根の上にいた。いつもここに戻される。杉皮を押さえる板の剥がれ、歪み、クギの曲がったまま打ち付けられた跡、杉皮の間にカラスの羽が挟まり、てっぺんの端の方には鳥の糞が固まっていた。屋根は、私が中学へ入学すると同時に、杉皮の上にトタンが張られ、杉皮葺きからトタン屋根へと変わって、小学生の私は一度も、足元の危うい杉皮の屋根に上がったことが無い。中学生のとき初めて、ペンキ塗りの手伝いに屋根へ上り、私は夢のことを思いだし、トタンの下が妙に気になった覚えがある。この自分の家の屋根の上が、私の夜遊びの基点となり、屋根から見える周囲二、三キロの範囲が、私の浮遊空間となった。その範囲は私の見知った土地であり、普段歩いて、あるいは自転車で走り回る地域内でもあった。知らない土地は怖かった。小学校、中学校、高校の校舎、市の南を流れる大きい河、製紙工場のエントツ、それらの上空を自由に飛翔し、上昇も下降も心が念ずるままに自由自在となった。ただし上昇し過ぎると、途中からコントロールを失い、上へ上へと暗黒の天に向かって吸い上げられ、恐怖のために身体が硬直し、夢から覚めてしまうときがあった。また、空を飛んでいる自分が信じられず、自意識が高まってしまうと、このまま地面に叩きつけられるのではと恐怖を覚え、身体が硬直し、自由が利かなくなってしまうときもあった。だから上昇し過ぎぬよう、空を飛べる自分を疑わぬよう、心掛ける必要があった。夢の中にいながら、これは夢であると自覚しているようなところがあった。

 ある夜、一度だけ、飛行中に弟の功史と会ったことがある。いや、正確には弟の気配を感じたことがある。

 満天の星空だった。上空から俯瞰すると、川幅一キロもある河は星明かりを薄白く反射し、堤防の内側はほとんど闇につつまれて、ところどころ街灯や民家の明かりが赤く小さく散らばっていた。田畑や住宅地、小学校、中学校、高校の校舎などは、目を凝らして見てもその輪郭は見えて来なかった。しかし、市の南にある製紙工場の一画だけは明るかった。深夜の仕事に汗を流している人達がいたのだろう。弟の気配を感じたのは、私がその工場の、数十メートルもある高い煙突の周りを旋回し、そろそろ家へ戻ろうかな、と思ったときだった。

 ・・・・そろそろ、もう寝ろよ。

 背後から弟の声がした。驚いて振り返ったが、後ろには誰もいず、煙突と、その煙の向こうに星空が見えるだけだった。気のせいか、と思い直したが、しかし確かに弟は背後にいた。そう感じたのだ。私は、後を気にしながら、もう一周、煙突の周りを回ることにした。

 ・・・・もう帰ろう!

 と弟は、強い調子でそう言うと、私の横に並んできた。でも姿は見えない。声も音として聴こえたわけではない。私の頭が、直接意味を聞き取ったようなのだ。弟は心配しながら、私の一、二メートルとなりを、私を導くように飛行している。夢の中の私は、その不可思議を素直に受け入れた。しかし、家へと帰る途中、その弟が私よりはるかに年上であることを発見し、奇妙に感じ、「いま、ここ」の現実を疑う自意識が高まった。と同時に、私の体は硬直し始め、浮揚力を減じ、私は次第に下降して行った。私は焦った。

 ・・・・力を抜け、考えるな!

 弟が命令した。弟のくせに、と私は思った。しかし、ここは力を抜くしかなく、弟に反発を覚えながら上昇をはかった。しばらく持ち直した。でも、この現実は衝撃的すぎた。反発を忘れるほど奇妙な状況だった。五才年下の弟は、そのときせいぜい小学一年生か、まだ幼稚園児のはずで、私に対してこんな大人びた口の利き方はしなかった。出来なかった。弟はちょうど父清一郎と同年輩ぐらい。でも清一郎ではなく、たしかに弟だった。私はまた下降し始めた。焦った。すると、私の下に、弟がもぐりこみ、私を背中に乗せて上昇した。弟の肉塊を感じた。たくましい大人の背中だった。と同時に、弟にしがみつく自分の胸、腹部、手足の感触を自覚した。しかし弟の姿も自分の身体も見えず、視界にあるのは相変わらずの暗闇の世界のみだった。墜落の心配は消え、私の飛行も安定した。体の力も抜け、同時に弟の気配も消えた。そして私は自分の家の屋根に舞い戻っていた。

   お通夜

 東京から三時間、降りる駅が近づくにつれ、私の胸に妙な緊張が迫ってきた。恐れ。畏縮。こんな気持ちで実家へ向かうのは、もちろん初めてのことだった。私はここ二、三年、実家へは帰っていない。遊子の家族がいる田舎が疎ましく、それに加えて今回は、弟の亡骸が怖かった。車窓を流れる景色がぼっと霞んだ。込み上げてくるものがあったのだ。

 真夏の日差しが家々の屋根を灼き、田畑を照りつけ、外は焦げるように眩しい光の世界となっている。

 夏というのに、左足がひどく痛む。あの事故以来、私はまともな歩行ができず、左足を多少引きずりながら歩くようになった。冬になると、左足、左手、左半身が冷気に刺されるように疼き、しかし暖かくなると、その痛みから解放されていた。この時期、こんな痛みは初めてだった。冷房のせいだ。私は無理にそう思い込もうとした。

 昨夜は、いつものように会社の帰り新宿で呑み、近所の行きつけのスナックに寄り、アパートへ戻ったときはもう十二時を過ぎていた。ドアに大家のオバさんの張り紙があり、

――帰られましたら、横浜の弟さんのところへ行って下さい――  

 わざわざ行かなくても、用事なら電話で済むのに、と思いながら部屋へ入ると、すぐ電話が鳴り、従弟から弟の死を知らされた。

 自殺か、とまず私はそう思った。しかし弟は出張先のホテルで、クモ膜下出血で倒れたという。電話中、おえつが襲い、さまざまな思いが頭の中を駆け巡った。弟はまだ三十一だった。私との確執が、命を縮めたように思えてならなかった。

 昼前に実家に着くことが出来た。タクシーを降りると、開け放れた玄関のガラス戸に、「忌中」の張り紙があり、簾の向こうに、玄関脇の座敷に座る父清一郎の背中が映っていた。小机に向かってなにか書き物をしている。十二、三年前に建て替えられたこの家構えには、私は帰郷するたびに違和感を覚える。東京で見る実家の夢は、いまだに、中学に入学したとき杉皮からトタン屋根に葺き替えられた昔の家なのだ。無言で玄関にカバンを置くと、廊下の突き当たりのキッチンから女たちの話し声が聞こえてきた。清一郎が私に気付いて、おう、と声を漏らし、私は奥の六畳間に置かれている柩に気がついた。他には誰もいなかった。柩に恐れを覚えながら、私は、正座の組めぬ左足を投げ出して座り、線香を上げて合掌し、それから、怖じ気を肉親の情で奮い立たせながら立ち上がって、弟の顔の見える小扉を開けた。鼻に綿が詰まり、顔面が焼け焦げていた。私の全身に冷ややかな震えが走った。眼の閉じ方が寝顔とは明らかに異なり、表情が無く、弟は無機的なモノとなって、周りのすべてを排斥し、自らも排斥していた。しかし、そのモノに私は威圧されていた。魂の抜け殻に魂を感じていた。

 キッチンから母房江と義妹の久美子が現れ、

 ――おにいさん・・・・。

 ――ねえ、コウジがねえ・・・・。

 二人の涙声に、私は顔を背け、私の頬に涙が一筋流れた。涙というものはこんなに都合よく流れるものなのか、と私は掌で涙を拭いながら、なにか自分の制御の及ばない、より上位の、私を征服している何物かの意識によって突き動かされているような気がした。

 弟は、横浜の大手コンピューター会社で、携帯電話のソフトの開発に携わっていた。仕事人間だった。夜中の二時三時に家に帰り、七時には起床し八時には出勤して、月百時間以上の残業をこなしていたという。最近三十才の若さで係長となり、ますます仕事に熱中していた。

 前々日、弟功史は部下二名を連れ、来春発売する新製品の説明に栃木の工場へ出張していた。会議の後の宴会を終え、ほろ酔い加減でホテルへ戻り、寝る前に自室の個室サウナに入り、中で倒れ、翌朝、部下の二人に発見された。七、八時間、サウナの熱気に焼かれ続け、全身黒焦げの状態だったという。すぐ横浜の妻久美子へ連絡が入り、久美子は取るものも取り敢えず二人の子供を連れ、会社の迎えの車に乗り、二、三時間後、検死を終えた夫に対面した。茫然自失の若い妻は、葬儀の段取りなどに頭を巡らす余裕がなく、夫の実家の両親を頼りに思い、栃木から遠路静岡まで遺体を搬送することとなった。

 以前の私は、弟をただただ嫌っていた。弟は、理科系の大学を出、銀縁メガネをはめてクラシックを聴き、神経質そうな痩身で、酒を飲むとよく私に突っ掛かってきた。酒を飲み、感情的にならないと私と話が出来ず、アルコールの抜けてる昼間は、これはお互い様だが、視線が合うことを互いに避けあっていた。盆と正月、年に一、二度しか顔を合わすことは無く、私が横浜の弟のアパートに行ったのも、弟が盲腸に腹膜炎を併発し入院したとき一度きりだった。私は呑み友達によく、弟が弟でなかったら、とても付き合う気のしない人種だと、そう言っていた。いまだに好意的に思うまでには至らぬものがあった。しかし、あの体外への浮遊を経験し、弟の内情を窺い知ってからは、弟に対する見方が私の中で随分と違ってきていた。

 弟と最後に会ったのは、一年半前の冬、横浜に住む義理の伯父の葬式のときだった。弟は、式の途中であわただしく現れ、遺体の火葬中も頻繁に携帯電話を使用し、弟の頭の中は仕事のことで一杯の様子だった。ただ、自分の家族のことは気掛かりにしている様子で、携帯を耳に当てているとき以外は、四才になる優香を可愛がり、幼児の優太を抱く久美子のそばを離れなかった。もちろん私との会話は無く、視線を合わすことすらなかった。そして葬式が終わり、田舎の父も母も帰り、親戚がみんないなくなった後、従兄が、明日は休日でもあり、久しぶりに従兄弟同士で話をしようと、我々兄弟を家に泊まって行くよう誘ってくれた。どうも従兄は、近くに住みながら疎遠で不仲な兄弟を気遣ったらしい。私はめったに横浜の家に寄ることはなかったが、近所に住む弟夫婦はよく行き来していたという。弟と言葉を交わすのは、事故後私が病院のベッドに寝ていたとき以来で、その後も、帰省したとき実家で顔を合わすことはあったが、一言も言葉を交わしてはいなかった。

 そして夜、酒を飲みながら、また例のように兄弟ゲンカとなった。

 このときはもう、私の弟への見方が改まっていて、弟の激しやすい感情を受け流す余裕が私にはあった。しかし弟は、日頃から従兄夫婦に私の愚痴をこぼしているらしく、その日の弟は従兄夫婦を後ろ盾に思い、私への攻撃に躊躇がなかった。

 ――兄貴に五千円貸したけど、返ってこなかった。

 弟が千葉の大学に入り、そのころ私はまだ大学留年を繰り返し、金に困って、千葉の弟のところに金を借りに行ったことがあった。

 弟は、もうその十年近くも前の話を持ち出し、兄のルーズな金銭感覚を嘆き、それから、いまだに定職に就かず、結婚もせず、東京で好き勝手な生活を続けている兄の節度の無さ、いい加減さをなじった。

 私はこのとき奇妙な思いに駆られていた。弟は遊子との事を忘れているかのようだったのだ。まるであのことは無かったかのように、弟は私を否定してきた。帰省したとき、会話もなく視線さえ避けていた弟に、私は弟の私への負い目、気まずさを感じ取っていた。素直な反応だった。その素直さに、私自身癒されてもいた。しかし酒が入ってくるに従い、いつものように弟は人が変わったように感情的になり、私への嫌悪が露骨となってきた。

 ――田舎の家はお前のものにしてもいいんだぞ、オレは何もいらないから。と私が寛容なつもりでいうと、

 弟が顔を真っ赤にして怒り出した。

 ――バカヤロウ! 兄貴は、親父お袋を大事には思わないのかァ・・・・・・お前は勝手すぎる!

 弟は、私の、我がままを寛容にすり替えた誤魔化しを突いてきた。

 妹は地元の旅館に女将として嫁ぎ、近くにはいたが、実家は清一郎と房江の二人暮らし。二人はまだ老いてはいないが、いずれは誰かの世話を受ける時期が来、その誰かが長男である私に期待がかかっていた。しかしその義務のいくらかは弟も負っていた。だからこそ弟も感情的になった。

 ――まあまあ、落ち着けよォ。

 ――うるさい!

 ――・・・・感情的になったら、話ができないだろうよ。

 弟は敵意を剥き出しに、眼を丸くして私をにらみつけた。従兄夫婦は、一言も口を挟めず、緊迫した視線で兄弟ゲンカを見守っていた。私も弟をにらみ返して、興奮してきた。

 ――やめよう、もう感情的になったら話はできない。と私が視線を避けると、

 ――兄貴はァ、トウちゃんカアちゃんにあやまれェ!

 親父お袋ではなく、トウちゃんカアちゃん、と弟は言った。

 ――・・・・なんのことだ?

 ――トウちゃんカアちゃんは、兄ちゃんを怖がってたんだぞォ、部屋へ閉じこもって口も利かないし・・・・トウちゃんカアちゃんがかわいそうだった、トウちゃんカアちゃんにあやまれェ!

 怒った弟の眼に涙があった。

 ――お前、それはァ・・・・

 弟は、これもまた、もう十数年も前の、私がまだ高校生の頃のことを言い出した。わがままな高校生だった私は、家族のだんらんが煩わしく、勉強部屋に閉じこもって家族から離れ、食事も部屋で独りでした。父、母、弟の三人は、そんな私に過剰な遠慮で距離を取っていた。弟が小学五、六年生から中学生にかけての頃だった。

 ――オレはお前が嫌いだ! はっきり言って、オレはお前が嫌いなんだ! こんなことを言うやつはそうはいないだろう、フフッ・・・・。と弟は、薄ら笑いを浮かべた。

 弟は、完全に酔っ払っていた。

 夕方のお通夜まではまだまだ時間があった。私は二階の洋間で仮眠を取ろうと、東と南の窓を開け、ドアを開け放ってソファに寝転がった。冷房がなくても、風通しがよく心地よかった。あれからほとんど寝ていなかったのだ。

 部屋のドアを開けていると、階下の声が聴こえてくる。遠来の親戚たちが、集まり出した。私は、ドアを閉め窓を閉めて、クーラーを入れて洋間に閉じこもった。階段を、今朝未明の電話の従弟とその弟の声が上がってきた。ドアの向こうを通り、隣の六畳間に荷物を置き、そしてまた二人は階段を降りて行った。

 真夜中のあの従弟からの電話の後、受話器の赤い点滅ボタンを押すと、朝八時ちょっと過ぎから十七件のメッセージが入っていた。もう私は出勤した後だった。父清一郎が、田舎なまりで淡々と弟の死を告げ、母房江、妹の美恵子が泣き、従兄弟や東京の友人の声が続いた。みんな怒っていた。半年前に新しい会社に入ったばかりで、まだ実家にも親しい友人にも、会社の電話番号を知らせてなかった。この会社にも長くいるつもりはなかったからだ。

 電話での従弟は神妙に弟の死を告げたが、留守電の従弟は、連絡の取れない無責任な私の迂闊さに憤っていた。東京郊外に住むこの二人の従弟は、二人とも実母の実家であるこの家で生まれ、子供のころからよく夏休みになると遊びに来ていた。以前の二人は、真面目で堅い弟の功史よりも、いい加減な性格の私の方になついていた。それが二人の母みつ子の死後あたりから、功史の方と心安くなり、私を敬遠するようになってきた。二人の態度の変化に私は戸惑った。二人とも功史と同種のコンピューター関係の仕事に就き、それで話が合うのだろう、とそう思ったが、どうやら他にも理由があるようだった。

 三年前、二人の父誠一が亡くなり、その葬儀の後、親族が集まった酒の場で兄の宏之が、

 ――功史さんが、このまま横浜に住んで、もしミッちゃんが家に帰らないんだったら、ボクが田舎の家を継いでもいいんだ。

 ふた親を亡くし、二人の子供の父となった彼の言葉は、半ば本気だった。彼は田舎をほしがっていた。

 弟の淳二も、田舎の寿司屋のカウンターで、

 ――ミッちゃんが帰るのを、みんな期待してるんだ。

 と十才以上も年上の私に、説教したことがある。彼も本気で田舎へ移り住みたがっていた。通勤に一時間以上も満員電車に煩う東京よりも、車が足の田舎ののどかさにあこがれていた。

 田舎に帰ってこようかな、とふとそう思った。そんなことを思う自分に驚いた。近くにいる弟の魂が、私の思考に侵入してきているように思え、私はソファから身体を起こし、神妙な気持ちになった。たしかに弟もそうなのだが、父、母、妹、親戚たちのほとんどが、私が田舎へ帰ってくることを当たり前と思い、半ば強い、そして自分一人が、そんな人達の思いのエネルギーに逆らい、気ままな一人暮らしにかじりついていた。昔からの日本の家族の慣習に反発もあった。拘束からの逃げもあった。自由にもあこがれていた。都会には何かが私を待っていると思い、都会に運命を任せ、なるようになると受け身な構えで、何かを探し、何かを求めていた。定職にも就かず、金が貯まればインド、ネパール、パキスタン辺りを旅行し、砂漠を歩き、海辺を歩き、ガンジス河のほとりで一日中褐色の流れを眺めていた。何かとは、自分で作り出すものだと、最近ようやくそう思うようになった。では自分は、何を作ろうとしているのか・・・・。何も無かった。自分が求めるもの、好きなこと、それはただのんびりと、怠惰な時間をむさぼることぐらいなものだった。田舎へ帰り、みんなの期待する長男としての務めを果たし、近所付き合いのしがらみの中で生を送るのも、それはそれでなるようになる、ということなのかもしれなかった。

 しかし田舎は、遊子の影が強すぎた。

 ドアがいきなり開き、

 ――呼んでるよォ。

 ドアを半開きにし、弟の子供の優香が、背の低い位置から私を見つめていた。私は笑顔を返したが、優香はすぐに顔を引っ込めた。階段の上に立つと、優香はまだ階段の途中にいて、手摺りに掴まりながら、一段一段苦労しながら降りていた。優香を抱き抱え、階下へ降ろすと、優香は廊下を走ってキッチンの隣の六畳間へ入って行った。私が部屋に入ると、畳の上で久美子が泣き崩れ、その久美子を神戸の実姉が気遣っていた。そしてその姉が、部屋に突然現れた私を振り返り、いぶかしげな視線を私に投げ付けてきて、私は、私を呼んだのが久美子でも久美子の姉でもないことを知った。では誰が、と思うと同時に私は、あることを思い出した。この場面はたしか、あの臨死体験の時のものだ。幼い優太が畳の上でおもちゃで遊び、優香は、優香はもう部屋にはいなかった。とすると、私を呼んだのは・・・・。

 葬儀屋が来て、今夜のお通夜と明日の告別式の打ち合わせをし、二階の洋間には、隣組の人達が集まって、式の手伝いの相談が始まった。そして夕方になると、弟の会社関係の人が次々と弔問に現れ、道路や近所の空き地まで車でいっぱいとなり、狭い家の中は、キッチンにも脱衣場にも人が立って、あふれた数十人の会社関係者は、お通夜が始まるまで外で待機することとなった。

 会社関係者の数の多さに驚かされた。出張中の社員のこんな死に方に、会社側の困惑もあるだろうが、弟は確かにこの組織の一員として受け入れられていて、煩わしい人間関係をこなしている弟の日常がそこに窺われた。それは私の知らない弟だった。成人してからは、年に一、二度会うか会わないかの弟は、私にとっては近しくも遠い人間だった。ほとんど言葉を交わさず、酒に酔えば感情的になる弟しか私は知らない。仕事で酒の付き合いもあるだろう。私にからむように人にからんでいたのでは、仕事の付き合いは成り立たない。酒癖が悪かったのは、私に対してだけだったのだろうか・・・・。

 坊さんが来て、お通夜が始まった。久美子が柩のそばに目を腫らして座り、親族は六畳ふた間の片隅にひざを詰め寄せて弔問客の道を空け、私は玄関を入って真正面の位置に不自由な脚を無理に畳んで正座した。私は親族の代表のような位置に座ってしまった。知らせを聞き付けた近隣の人が焼香に来て、ミッちゃん、わたし覚えてる? ミッちゃん、お久しぶりです、と小声を掛けてきて、私はそのつど愛想を返し、両手をついて頭を下げていた。そして頭を上げると、私の前に、遊子の両親の竜三さんミサコさんが頭を下げていた。私はあわてて、また深々と頭を下げた。

 事故後のお二人は、決して私を責めることはなかった。逆に私のケガを心配し、心の傷を思い遣ってくれさえしてくれた。人に傷つけられても人を傷つけまいとする優しさ、お二人のひたすら寛い許しの姿勢に、私はいくら感謝しても感謝しきれず、一生お詫び続けなければならないものを感じていた。

 坊さんのお経が終わっても、弔問の列は玄関の外にまだまだ続いていた。不自由な左足関節が痛みだし、全体重がのしかかっていた右足は、もう足のある感覚すら無くなっていた。それでも、遠くから来られた会社関係の人に、兄としての礼儀を尽くそうと、私は頑張った。そしてようやく焼香の列が絶え、妹の美恵子に、にいちゃん、外へ出て会社の人達に挨拶して、と促されたが、私はその場から動くことさえできなかった。小学生中学生の親戚の子供らが、おもしろがって私の脚を踏んづけたり蹴ったりし、久美子の神戸の姉までも笑って脚を踏んづけていた。

   回 想

 幼稚園から帰り、重いガラス戸を開けて土間に入ると、家の中の様子がいつもと違っていた。昼間はいつも開いている、奥の六畳間の障子が閉まっていて、祖父がこちら側の座敷で一人、火鉢に手をかざして黙り込んでいる。障子の向こうに、何人かが慌ただしくする気配があり、誰かが呻き、苦しがっていた。私は、目の高さにある框に手を掛けながら、ズックを脱ぎ、座敷に上がろうかどうしようか迷っていた。そのとき障子の向こうから産声が聴こえてきた。

 

 布団に仰向けになった赤ん坊は、母の乳房の匂いがした。頬で頬に触れた。唇で鼻を挟んだ。紅い唇を嘗めた。

 

 遊子と遙子が、乳母車の中で眠っている。近所の大人達が、覗き込む私の頭の上から、可愛い可愛いと見下ろす。乳母車を押しているミサコさんの、嬉しそうなピンクの頬。

 しかしその数日後、双子の一方の遙子が死んでしまったと聞かされた。事故なのか、病気なのか、大人たちは口をつぐんで、険しい顔をする。

 

 弟が便所に入る。便所に落ちて、死んだ子供らの話を何度も聞いていた。私は耳をそば立て、時間を気にした。家の裏へ回り、くみ取りの板を外す自分を、頭の中で何度も何度も繰り返した。

 

 私と妹、そして弟は、よく三人で一緒に風呂に入った。妹は、私にとっては女だった。妹の体はだから、私にはけむたかった。だが弟は、男でも女でもなく、私は弟の体を自由に出来た。でも私の体は自由にはさせなかった。妹と弟は、互いに互いの体を自由にしあっていた。

 

 弟が、幼稚園のうわっぱりを着て、玄関の前で遊んでいる。地面に何か書いている。それを白髪の坊主頭の祖父が、弟と同じ視線になってしゃがみ、覗いていた。私は物陰に隠れ、地面にめり込んでいた大きな石を掘り起こし、片手でようやく持ち抱えると、それを弟に向かって投げ付けた。石が弟に当たったかどうか分からない。私は逃げた。祖父が追っ掛けてきた。

 私は、家の中でもよく妹や弟を泣かした。すると火鉢に当たっていた祖父は、チェッと舌打ちをするが早いか立ち上がり、私に向かって襲い掛かってきた。私はするりと身をかわし、裸足のまま、土間へ飛び降り、玄関のガラス戸を開けっ放して、逃げ去った。逃げ足は速かった。祖父も年だった。外までは追って来なかった。そんなとき私は、夕方過ぎまで、麦畑の穂陰に寝そべっていたり、木工所の板干し場に隠れていたりして、祖母、叔父、叔母、父母らが、私の名を呼び、捜し回るのをやり過ごした。そして暗くなってからこっそり、裏の台所から侵入し、服を脱ぎ、風呂に入り、風呂の蓋を頭から被って眼の高さまでお湯に浸かりながら、もうほとぼりの冷めただろう家の中の物音にじっと耳をすませていた。一番最後の湯は、ぬるく、とろっと粘り気があり、生臭かった。

 しかしそのときの祖父は、どこかが違っていた。私は、狭い路地をねずみのように走り抜け、橋を渡り、表の大通りへと出ると、走る足にちょっと力を抜いた。背後から、橋を掛け渡る音。振り返ると、もう七十近い祖父が、私を睨みつけながら、通りへと走り出てきた。私は顔をしかめて、全速力で黄土の道を蹴った。足には自信があった。祖父より遥かに速いはずだった。振り返ると、しかし祖父はどんどん近付いてくる。驚いた。私は息切れし始めていた。砂利石の交じった道路から、橋を渡り、槇で囲われた屋敷の裏庭へと逃げ込んだ。祖父はもう、私のすぐ背後にいた。お稲荷さんの祠があり、銀杏の大木があり、辺りは薄暗かった。私は銀杏の木の下で、祖父に捕まり、思いっきり往復びんたを食らった。

 

 祖母が竃に火をくべ、ご飯を炊いている。私は、勝手口の柱に背を凭れ、夕日を顔に浴びながら、川の土手に並ぶ猫柳の木のあたりを、ぼんやりと眺めていた。

 みんなも、こんなんなのだろうか?

 

 父が、川の土手まで、二人を見送りに来てくれた。

 むかし、その小高い土手からの眺めは、一面に碧々と稲田が広がっていて、農家が一、二軒、林に囲われて遠くに見えた。ところが、その緑の土地すべてが掘り起こされ、レンゲ畑も、くねった畦道も、臭いクソ溜もみんな消えて、代わりに、ブルドーザー、トラックなどが動き回り、おびただしい建築機材があちこちに置かれ、剥き出しの鉄筋や白いコンクリートブロックが高く高く積み上げられて行った。翌年わたしが通う、中学校の校舎が建築中だった。

 私は弟の手を引きながら、建築機材の上を歩き、埃っぽく盛り上がったトラックの轍の跡を、稲田の向こうに見える小学校へといそいだ。面倒臭かった。テレがあった。弟の入学式の翌日の記憶だった。

 

 ちゃぶ台のまわりに、われわれ家族の他に遊子が、当然のごとくご飯を食べ散らかしていた。昼間、家で遊び、そのまま妹弟の布団の中で寝てしまうことも、たびたびだった。

 

 土手の向こうに四階建ての校舎が聳え、みすぼらしい私の家を見下ろした。私の家の屋根は杉皮で葺かれていた。中学校への入学が近付き、私は父に、杉皮はみっともない、と訴えた。屋根は、杉皮の上からトタンに張り替えられた。

 

 中学の同級生と一緒の下校途中、木工所の板干し場のところで、弟と擦れ違った。同級生が言った。

 ――おまえら兄弟は変わってるよな、ふつう兄弟なら、ヨウ! とかなんとか、言うもんだけど、おまえらぜんぜん他人みたいだもんなァ。

 

 叔母が他県へ嫁ぎ、叔父が所帯を持って家を出、そして私が高校に入る前、祖父が他界した。家に怖い人がいなくなった。

 屋根はトタン、強い風が吹くと板壁がヒューヒュー鳴る家の、その南側の角に、私は父に三畳の勉強部屋を造ってもらった。窓はサッシ。一人は快適だった。食事も家族から離れ、その部屋で一人でした。勉強の途中、祖母は勝手に入って来て、陽当たりの良い部屋で編み物をした。気にならなかった。妹はノックして部屋を自由に行き来した。気にならなかった。しかし父母弟の三人は部屋に入ることにこだわりがあった。そのこだわりが、私には疎ましかった。

 弟は、直接私に口を利くことが出来なかった。私の自転車を借りたいとき、間に母をおいて伝えてきた。

 

 大学受験に失敗し、アルバイトをし、親にちょっと借金した金で数カ月、インドを旅行した。秋になって家に戻って来ると、弟の背が数センチ伸び、声も太く変声していた。中学二年生だった。でも、私よりまだまだ華奢で、子供だった。

 ――兄ちゃんはなあ、兄ちゃんはなあ・・・・。

 薄暗い、もう寝床の敷いてある奥の六畳間から、弟が、他の家族と一緒にテレビを見ていた私に、声を掛けてきた。弟の方から声を掛けてきたことに、私は驚いた。

 声を震わせながら、私を睨みつけている。

 ――なんだァ。

 私の低い太い声に、弟は泣き出した。泣き出しながらもしかし弟は、私に何かを訴えようとしていた。でも涙で声がむせ、しゃくり上げ、何を言わんとしているのかさっぱり解らなかった。

 

 私は二浪で自宅でうらぶれていた。弟の担任が家庭訪問にやって来た。私も彼女に、中学で英語を教わったことがある。

 ――彼は、あんたを目標に勉強しているらしいのよ。

 

 東京の空気は排気ガスの臭いがした。私は、生まれて初めて鼻炎に罹り、喘息の発作にも悩まされるようになった。

 音が、耳を襲って来た。階下の下宿のおやじさんと奥さんとの会話。となりの部屋の学生の喘ぎ声。このときは、下宿の建物も一緒に、小刻みに揺れた。電車の音。車のクラクション。すずめ。どこかの蛇口から、水が勢いよく噴き出ている。門扉が開く。クツが地面を踏む。下宿の息子の鼻息。私には、音との距離が測りかねた。すべての音が、皆等しい音量で、私の部屋の外から聴こえて来た。また、音そのものにも私は脅えていた。机の引き出しを開け閉めする音に躊躇した。紙袋は布団の中でまるめ、消音し、それからゴミ箱に捨てた。となりの部屋、階下の人に聴こえるのではないかと思ったのだ。外へ出ても、見知った人との挨拶のタイミングを測りかねた。タバコ屋のオバさんが、いつもバス通りに面して座っていた。それが苦痛だった。外へ出ようと思った瞬間から、オバさんの顔が浮かび、私はときどき裏通りへと迂回して、タバコ屋の前を避けていた。

 学生の私は、真面目に真理について考えた。真理など無いと思いながら、真理について考えた。

 感情的になる自分を戒めた。傷付けられても傷付けまい、と思った。

 性格は演技だと思った。世間を知り、大人になり、世渡り上手となることは、熟練の役者になるということだった。

 夜、散歩するのが好きだった。というより、それが唯一自分に許した娯楽のようなものだった。タバコも酒も呑まず、部屋にはテレビもラジオも置かないで、朝起きてから暗くなるまで一日中、座椅子にもたれながら、考え、感じ、思いを巡らし、ひたすら時間を見詰めていた。苦を紛らそうとする自分にさえ、罪を覚えた。高校時代に野球で鍛え上げた体は、筋肉をすっかり落とし、激痩せして、一日にパンひときれ、カップラーメン一個の食事。夜の睡眠も浅かった。わずかな物音で覚醒し、夢うつつの区別も希薄となり、起きてからも次元の複雑な難解な夢の展開を、ストーリーを逆さからさかのぼりながら、隅々まで明瞭に思い出すことが出来た。

 

 私の部屋は弟のものとなり、弟は受験勉強で閉じこもっている。めったに家族のいる居間には出て来ない。食事も自分の部屋でする。昔の私とおんなじだ。沈黙のドアが怖かった。弟に脅えている自分を自覚した。

 

 弟の下宿さがしに、千葉まで来た。

 車窓を、赤や白の梅の花が流れ、電車はのどかな田園風景の中を走っていた。風が、心地良く頬にあたる。どこかで窓が、開いているのだろう。

 車内は、吊革につかまる人はほとんど無く、入り口付近に学生が二、三人はしゃいでいた。が他の乗客は静かに、こちら側とあちら側の座席に背をもたれ、向かい合って座っている。

 向かい合っていることが苦痛だった。落ち着かず、息苦しく、私は、あといくつあといくつと、目的地までの駅を数えていた。

 私のとなりに、幼い女の子が二人並んで座っていた。四本の足が、床につかず、ぶらぶら宙に浮いている。その女の子の片方が、私の腿に、指で何か書き始めた。私は無視した。隣の母が覗き込み、あちら側に座る妹も弟も笑い、乗客のみんながこちらに注目した。金歯とモンペの二人のおばさんと目が合い、二人の笑顔が強張った。私の眼が怒っていたのだ。

 私は笑った。

 ――ミエちゃん、いけませんよ!

 どこからか声がした。

 ――どこまで行くの? 私は台詞のように訊いた。

 ――つぎのつぎのつぎの駅。

 自分の額が、熱くなった。車内にいる人間全員の視線を浴びている。

 苦痛だった。

 

 夏休み、私と弟と遊子と三人で、バスに乗り汽車に乗り、県庁所在地まで遊びに出掛けた。ケーブルカーに乗り、山頂で食事をし、写真を撮った。遊子は、私と弟と、代わる代わる並んで被写体になった。暗くなる前に家に戻り、家族と一緒に食事をし、遊子が帰るときは、外はもう真っ暗になっていた。

 遊子が視線を送って来た。遊子が、玄関に降りると、私も、当然のように靴を履き、遊子が挨拶をしようとして家族と向き合ったとき、「オレも送って行こう」と、弟も玄関に降りてきた。

 商店は明かりを消し、電柱の街灯が点々と続く。遊子を真ん中にして歩き、三人は、昼間食べたタイ焼きのアンコの話をした。

 遊子と手が触れ、遊子の勘違いか、遊子の方から手を握って来た。

 ――ワァー!

 と弟が、笑って驚き、そのまま数十メートル並んで歩くと、遊子が、私の手をきっぱりと離し、

 ――ありがとう、一人で帰るからァ。と頬を紅らめて走り出し、真っ暗闇の中へ消えて行った。

 数日後、扇風機に首を振らせて本を読んでいると、庭に自転車のブレーキの音がして、

 ――ミッちゃん、いるゥ?・・・・。

 遊子が、すだれ越しに家の中を覗いている。

 家には、祖母、母、妹がいて、弟も部屋にいた。ドアは開いていて、ヴィヴァルディの「四季」が聴こえていた。

 つば広の帽子を、畳の上に置くと、遊子は扇風機の前に屈み、胸の中に風を送った。誰も二人の回りには近付いて来なかった。

 葦、潅木、背の高い夏草、川面がキラキラと夕陽を照り返す。遊子を送ってくる、と言って自転車を走らせ、二人は、川幅一キロ以上もある河川敷の土手にいた。

 青草の味の唾液。口臭。遊子が泣き出した。コンクリートの階段を走り降り、川の水を顔に浴び、振り返って両手で顔を拭いながら笑い、そしてまた私の胸で泣いた。陽が対岸の向こうの山に隠れ、暗くなった夏草の茂みの中で、遊子は、ぐったりと身体を火照らした。

 

 弟は、母が昔お世話になったお宅の子供の家庭教師をしていた。しかしこの夏、弟は用事で、帰省するのに一ヶ月ほど遅れ、それまで代わりに私が、子供の勉強を見ることになった。

 休憩時間のカルピス、かき氷。ごくろうさま、と奥さんが、屈みながらテーブルに置く。ノースリーブの腕が伸び、胸のたわみが襟の奥にのぞく。馴染んでくると、長い世間話をして行った。妙な沈黙もあった。ときどき夕食を食べていくよう、引き留められたり、車で送り迎えしてくれることも何度かあった。

 帰って来た弟は、もう家庭教師は辞める、と怒ったらしい。

 

 冷蔵庫を買ってくれ、掃除機を買ってくれ、スキーの合宿の費用を出して欲しい、と弟は、親の愛情を確かめるかのように、ねだった。

 

 4tトラックを運転し、つるはしを振り降ろし、汗を流して日銭を稼いだ。毎晩呑み歩き、煩わしいことは考えず、布団の上に倒れれば、数秒のうちに熟睡の世界に入り込めた。大学は中退した。

 

 弟は、食事のとき、むかし祖父が座った家長の位置に、仏頂面してあぐらをかくようになり、家族みんなでテレビを見るときも、横柄に家長の位置に座って勝手気ままにチャンネルを自由にした。弟には、家に恐い人間がいなくなった。兄ちゃん負けちゃったねえ、と母は笑った。でもときどきは、兄を立てるよう、弟をたしなめもした。

 

 家に爪きりが二つあった。大きいやつと小さいやつ。その二つの爪きりを、弟が、プラモデルのプラスチックを切り取るために使っていた。私はそのことが、一、二時間前から気に障っていた。

 ――爪きりをそんなもんに使うんじゃねえよォ! 歯が欠けて、あと、使えないだろうがァ・・・・。

 私は、そう言い放つと、玄関へ降り、自転車を出し、全身を震わせながらペダルを漕いでいた。

 震えは、怒りからか、それとも、恐かったのか・・・・。

 

 バス・トイレ付きのアパートに引っ越すこととなった。東京の大学生となった遊子が、かいがいしく、まるで私の女房にでもなったかのように、私の手伝いに来てくれた友達を、テキパキと仕切ってくれた。私もその気になっていた。怖かった。でも、なるようにしかならない。なるようになる。

 

 雪が降っていた。

 水位を下げた人造湖の真ん中で、私は、胸のあたりまである長いゴム長を履き、湖の底に溜まったヘドロを、ボートの上に掬い上げていた。ボートはヘドロで一杯になると、のそりのそりと水面を引っ張られ、湖の縁に待機しているバキュームに吸い上げられるのだ。

 ――寒くてやってられねえだろう。

 社長がわざわざ湖の中に入って来て、我々に熱燗の酒を振る舞ってくれた。

 我々は、酔っ払いながら仕事をした。

 意地の悪い従業員がいて、私に無礼なことを言った。いつものことだ。彼は、どうも学歴にコンプレックスを持っていたらしい。殴ってやろうかな、と私は思った。「あっ、ごめん」と彼が言って、わざと私の体に当たって来た。私は足を滑らせ、ドロ水の中へ・・・・。私も、水中から彼の手を引っ張って、「あっ、ごめん」と彼をドロの中へと連れ込んだ。彼は、いったん水中に消え、慌てて浮かび上がると、顔色変えて私にパンチを飛ばして来た。顎の辺りをちょっとかすった。私は、彼の怒りに血走った顔面を、思いっきり殴り飛ばしてやった。彼はまた水没した。と思ったら私もドロの中へ。彼が水中から私の脚を引いたのだ。私の顔面に、彼のパンチが何発か命中した。ドロ水も呑み込んだ。アルバイトの学生らが、我々の間に割って入る。私は、クラクラと、痛いような心地良いような中で、彼をたたき潰すことのみに夢中になっていた。殺してやろうと思った。視界が赤色に変貌した。ボートの腹に赤いしぶき、アルバイトの連中の衣服や顔にも赤い飛沫が付着している。水面にも赤いものが・・・・。彼の額がぱっくりと開いていた。私は、手にスコップを握っていた。

 

 弟が、横浜のある大手コンピューター会社に就職が決まったという。父の退職金で、家が新築されるらしい。私は、弟は田舎へ帰るとばかり思っていた。

 

 暮れに田舎へ帰ると、弟が彼女を連れて帰省していた。彼女のアパートが、私の住んでいる近くにあるらしく、二人は何度か、灯りの点いている私の二階の窓の下を通ったことがあるという。

 三人で街へ飲みに出た。弟とは、初めて一緒に飲む。居酒屋で一杯やり、私の友達がやっているスナックへ行った。どういう訳か、弟が怒り出した。私は、弟が怒ったことに怒った。私が弟の胸ぐらを掴むと、友達が中に割って入り、その場はなんとか収まった。そして家に戻り、二階の洋間でまた飲み直そうと、私は二人を誘った。ケンカ出来たことが嬉しかった。弟の、胸ぐらを掴んだ自分に満足していた。しかし事は、私の想い描いた美しい筋書どおりには展開しなかった。どういう訳か、また弟が突っ掛かって来た。私の右手が、弟の左頬を張った。私は身構えた。が、弟は反撃して来なかった。ワァーワァーと彼女が泣き出し、わたしィ帰るゥ! と大声を出すと、階下でもう布団に潜っていた父、母、妹が、慌てて階段を上がって来た。

 

 アルバイトの学生の中に、偶然にも、弟の同級生がいた。兄は陽、弟は陰、と彼は言った。

 弟は、高校時代、毎朝クラスで一番早く登校していたらしい。その日の当番の来る三十分前に教室に入り、窓のカーテンを開け、黒板をきれいに拭いて黒板拭きをたたき、机に教科書とノートを出して、ひとり今日の授業の予習をしていたという。

 私はよく遅刻した。二時間目から出席して、午後からの授業が面白そうでなく、弁当を食べて帰って来たこともある。

 

 ――新宿でコウちゃんに会ったのよォ。と遊子からの電話。

 サンダルをつっ掛け、改札口で待っていると、二人は、仲良く肩を並べて高架橋を降りて来た。弟は紺のスーツを着ている。私を見付けると、遊子も弟も、嬉しそうに手を振った。遊子は、本当に嬉しそうに、人を信じ切ったように笑う。でも弟の笑顔には、どこか無理があり、身体の細胞から笑うのではなく、頭で笑い、快活さを繕っているようなところがあった。

 生来のものなのか、相手が私だからなのか。

 赤ちょうちんで一杯やり、スナックでカラオケを唄った。弟の歌は、お世辞にも上手いとはいえなかった。そういえば、弟の字も、歌と同じような調子の崩れ方をしていた。

 ――クミちゃんは、どうしてるんだ?

 私のこの一言が引金だった。

 ――うるさい!

 弟の顔が青ざめ、眼が座っている。

 ――どうしたんだよ。

 ――・・・・・・。

 眉間に皺を寄せ、俯いた。

 私は、弟を殴ったときのことを思い出していた。もしかしたら、あれが原因で二人は・・・・。

 ――クミちゃんとは会ってないのか?

 ――う・る・さ・いィ! と血走った眼で私を睨む。

 弟の大声に、困ります、とママが眉をしかめる。

 ――ねえ、どうしたのよコウちゃん。と遊子。

 遊子がなだめ、私が黙っていると、弟は落ち着いたかのようにみえた。が、私が、踊ろう! と遊子の手を取ると、弟はソファを蹴散らし立ち上がり、カウンターの客の背中にぶつかりながら、外へ出て行ってしまった。

 久美子は近くのアパートから引っ越したはずだった。もう午前二時、電車はなく、タクシーで横浜まで帰ったのだろうか。

 シャワーを浴び、私はベッドに腰掛け、タバコを吸っていた。先にシャワーを浴びた遊子が、ネグリジェ姿でキッチンに立っている。

 ――コウちゃん!

 遊子が叫んだ。

 ――いま窓の外にいたの!

 私は裸足のまま、パジャマ姿で弟を追った。二階の通路を走り、階段の手擦りにつかまりながら、路地を走り去って行く弟の後ろ姿を、ちらっと見た。階段を走り降り、アスファルトを全力で追った。が、街灯が並ぶ無人の路地のどこかに、弟は消えた。私は部屋に戻り、着替えて、今度は自転車で弟を探しに出た。早く追い付こう、と私は必死にペダルを蹴った。でもどこかの建物の陰に隠れているかもしれず、スピードを落としながら、注意深く隈なく路地を回った。大通りへ出た。人影は無く、タクシーがときどき走り抜ける。胸に突き上げて来るものがあった。街灯が揺れ、ぼやけた。鼻水をすすり上げ、ペッと植込みに吐き捨てた。弟に対する初めての感情だった。この通りを行けば、久美子の住んでいたアパートがあった。いや、まだ彼女はそこにいるかもしれない。私は、ペダルを漕ぐ脚に力を込めた。が、かりに彼女がまだそこ住んでいて、弟がそこへ行ったとしても、それはそれで構わないことであり、自分が追う必要もないことだった。汗が顎を伝い、ポタポタと腿に落ちた。もう一、二時間もすれば、始発電車が出る。駅のベンチに座る弟の姿が浮かんだ。私は来た道を引っ返し、駅へ向かった。踏切を渡りながら、駅のホームを見ると、明かりが落ち、ホームの屋根の下は真っ暗闇になっていた。改札口に自転車を停め、駅の中へ入り、暗いホームを歩いてみた。やはりいなかった。もしかしたら、アパートに戻っているのかもしれない。私は自転車にまたがり、額の汗を袖で拭った。それでもどこかに潜んでいるかもしれず、私は辺りに目を走らせながら、走って帰った。部屋の電気はまだ点いていた。と思ったら、消えた。自転車を置き、階段を上がり、ドアのノブに手をかけようとすると、内側から先にドアが開き、

 ――いまコウちゃんが来て、またミッちゃんを探しに出たのよォ、まだその辺にいるんじゃないかしら。

 遊子は身体にシーツを巻いていた。

 ――おう、そうかァ。

 と言って私は、走り、階段を降り、また自転車にまたがったが、弟を探す意志を持っていなかった。遊子はじっと私を見詰め、セリフのようにしゃべった。眼が赤く、濡れていた。あれは確か、弟のクツだった。

 もう東の空が明るくなっていた。新聞配達がせわしなくブレーキを掛ける。朝の早い老人が、家の前をのんびり掃いている。

 自分がどこをどう走っているのか分からなかった。

 いますぐには帰れないな、と私は強がっていた。

 

 遊子は東京のOLを辞め、田舎へ帰ってしまった。

 車は、ガードレールもない河の土手の路を走っていた。足元にヒーターからの温風。FMラジオではモダンジャズ特集。むかしこの河川敷の夏草の茂みで、私は初めて遊子の熟れつつある肌に触れた。

 当たり障りのない会話を続けていた。

 しかし助手席の遊子は、冬空の車窓の外、河に懸かる鉄橋の方を眺めて、右頬に懸かる黒髪で私の視線を避けていた。

 私は「結婚」という言葉を胸に準備していた。積極的に言葉にするには躊躇があったが、成り行き次第では言葉にしたい、という決意はあった。出版社のアルバイトで、校正、作家の原稿の受け取り、書店回りの手伝いをしていた。編集長が、いずれ正社員に、と言ってくれ、遊子と一緒になろう、という気になった。

 しかし、この決意も、遊子が私から遠ざかって初めて目覚めたものであり、いまだ感情の渦はそのままに、弟への拘りは解消出来ているはずがなかった。

 ――コウジとは、いつからなんだ?

 遊子は黒髪を振りながら、私の方を見、何か言いたげに息を吸い込み、しかし私を見る眼の力が次第に萎み、息をゆっくり抜きながら、また車窓の河原へと視線を流して行った。

 いやな質問だった。しかし、このまま拘りには触れず、偽物の寛容を維持し続けても、決意の言葉を発せられるはずもなかった。膿は出す必要があった。もしかしたら、もう手遅れかもしれなかった。私は、なるようになれ、と感情的に開き直った。

 バイパスに入ると、スピードメーターは時速百キロ辺りをウロウロした。橋の下の河川敷の野球場、河原が続き、本流が蛇行する。対岸に隣町の建物が密集し、その向こうに台地がこんもりと隆起して、その中腹を斜めにハイウェイが上昇している。

 いつから? は穿った発想かもしれなかった。本当は、コウジとはあの時が初めてなのではないか、という思いの方が強かった。しかし、遊子は否定しなかった。できれば、初めて、も否定してほしかった。あの日の傷がよみがえって来た。この傷は、もう決意でねじ伏せたはずだった。初めてでもそうでなくても、そんなのどうでもいいのだった。しかし・・・・いつからなのだろう? 疑惑の過去が頭の中を駆け巡った。高校生の遊子は、東京にいる私に何通か手紙を寄越した。私が東京の大学にいたころ、二人は田舎で一学年違いの高校生だった。夏休み、三人でバスや汽車を乗り継ぎ、ケーブルカーに乗って山頂で食事し写真を撮り合い、その帰り二人で遊子を送り、遊子の方から私の手を握ってきた。あれは遊子の私への意思表示ではなく、もしかしたら弟の嫉妬を煽り、遊子は私と弟の両方の間を泳いでいたのかもしれなかった。遊子が東京で、大学、OLと過ごした数年間、弟も千葉、横浜と近くにいた。新宿でコウちゃんに会ったのよォ、と遊子が電話をよこし、改札口で待っていると、二人は仲良く高架橋を降りてきた。新宿で会ったのではなく、二人は新宿で待ち合わせたのかもしれなかった。しかし、これらの疑惑は、あのとき以来、私の頭の中で何度も何度も繰り返されていた。疑えば、いくらでも疑えた。確証など得られるはずのないものだった。やはり弟はあのとき初めて遊子を奪ったのかもしれなかった。あのときの、身体にシーツを巻きつけながらの遊子の涙の意味も、いろんな解釈が想像された。しかし弟には久美子がいた。久美子とはうまく行ってないのかもしれなかった。あの日スナックで、私が久美子のことに触れると弟は怒り出し、私が遊子と踊り出すと、弟はソファを蹴散らし店を出て行ってしまった。弟の憤怒は、久美子と遊子のどちらに比重が懸かっていたのだろう。しかしいずれにしても事は起き、私と遊子の間に溝ができ、もしかしたら弟に遊子を奪われたままでいるのかもしれなかった。不安と嫉妬がまた胸を締め付けてきた。あの後、遊子と弟との間で話し合いがあり、その何らかの結果が遊子の田舎への引きこもりとなったのかもしれなかった。

 いや、もしかしたらあの時は、別に何もなかったのかもしれない・・・・。

 車は、山の中腹をゆるやかに上がる直線道路を、百キロ近いスピードで走っていた。車窓の外は、どんよりとした冬の曇り空。左手眼下に、隣町の田畑が見え、街並が見え、広い河原の中を流れがいく筋かくねり、その向こうに我々の生まれ育った街が見えて、子供のころ夢でよくその回りを旋回した製紙工場の煙突が一本際立って聳えていた。

 ――コウジとは・・・・ほんとのところ、どうなの?

 遊子は黒髪で私を避けたまま、返事をしない。私は、速いスピードに、前方を注視していた。その時だった。私の軽く握ったハンドルに、白い物が侵入し、ハンドルが左へ回った。左の路肩には土手が盛り上がり、そこだけガードレールが途切れていた。反射的に私の両手に力がこもり、ブレーキを踏み、慌ててハンドルを右に切ろうとした。車の左側面がガードレールに当たり、しっかり握っていた遊子の右手がハンドルから離れ、その弾みで、私は思いっきりハンドルを右に回転させていた。それからがスローモーションの世界となった。対向車線のトラックが近づいてくる。そのフロントボディに、こちらは確実に吸い込まれて行く。その時、私の頭の中で映像が駆け巡った。自分がまだ物心つく以前の幼児の頃から今までの人生が、瞬時に、永遠の長さで、映し出された。そしてその場面場面で、自分が何を考え何を思ったか、事細かく確実に理解し感受でき、森羅万象の真理さえも把握出来て、自分自身が宇宙そのもののようにさえ感ずることができた。神とはこんなものか、と悠長なことも考えた。車は、左前部からトラックに衝突し、トラックに蹴散らされ、元の車線上に戻ってクルクルと回転した。私の身体は、車体の外へ振り飛ばされ、ガードレールの白い杭に止まっていた。私は、作り物の人形のように回転して空を舞ったが、視線はすべてを明確に捕らえ、意識もしっかり保たれていた。意外にも外はそれほど寒くはなかった。後続車は、車間距離を置いていて、急ブレーキで難を逃れ、私の車は私の前方で、車輪を仰向けにして、ガードレールを凹ませていた。車があとからあとから停まって渋滞した。トラックから運転手が降り、後続の車のドアが次々と開き、人が降り、事故車の回りに集まってきた。私は大丈夫だった。私は起き上がり、転倒している車の方にゆっくり近づいて行った。遊子が心配、というよりも、どうなっているのだろう、という好奇心の方が強かった。覗き込むと、遊子が逆さまとなり、下となった天井に首をよじらせ、小さな声で唸っている。こってりとしたどす黒い血がポタポタと落ち、遊子の顔にも血の筋が流れていた。男たちが白い息を吐きながら、掛け声を掛け合って車を起こそうとした。私も一緒になって車体を返そうと手を貸した。が、どういうわけか、私の手が車体に引っ掛からない。何度掴もうとしても、手が車体を素通りする。わけが解らなかった。隣の男の腕が私の身体に食い込み、そのまま肩まで侵入してくる。誰かが後ろから、私の中を通り抜け、私の眼の前から人の後頭部が遠のいて行く。男たちの吐く息は白かったが、私一人吐く息が白くない。

 パトカーが来て、救急車が来た。私はやじ馬の中に遊子を見た。

 ――オイ!

 と大きな声が聴こえ、眩しい光が眼の前でチラチラする。ヘルメットを被った救急隊員が、懐中電灯で私の瞳孔を窺っていた。私はガードレールの下に転がっていた。と気が付くと同時に、全身から激痛が襲って来た。アスファルトの冷たさを感じた。何人かが私の身体を抱え上げ、ストレッチャーに載せようとする。そのとき自分の心臓が停まるのが分かった。

 私は、いつのまにか真っ暗闇の中にいた。そして上昇している。子供のころ見た夢の世界に似ていた。ただ送電線は無い。恐怖を覚えるが、ブレーキも掛からない。その時、頭上に何物かの意志を感じ、見上げると、明るい光の円が遠くに見え、その光の円がみるみるうちに近づいて来て、私は眩しい光の世界に突入した。実に穏やかで、ゆったりと居心地が良い。太陽を見つめるより、遥かに眩しい光芒に晒されていたが、私の眼に苦痛は無かった。私は何物かの意識の中にいた。何故かそう感じた。この光の世界そのものが意志を持ち、情を持ち、私に何か語りかけているかのように思えた。そしてその気配に覚えがあった。弟だ、と思った。夢の中で煙突の周りを旋回する私を見守ってくれた、あの気配だった。が、弟のように私に対する敵意はなく、逆に優しさと、許しと、慈愛に満ちた思いで私を包み込んでくれていた。なぜ弟と、思うのだろう。いつの間にか、光が、灰色の霧の世界に変わっていた。しかし相変わらず私は、見えない光に付き添われていた。灰色の霧が薄れ、夥しい数の石ころが現れ、水面が見え、葦が繁茂する中に櫓付きの木船が小波に揺れていた。川幅はそれほど広くない。対岸にも葦が茂り、その向こうが明るい黄色の丘となっていて、空は透き通るように青かった。私は、あちら側に行きたがっていた。が木船に乗り込むと、見えない光が私に語りかけてきた。言葉でではなく、思いが直接私の中に入り込んで来た。

 ・・・・大丈夫か?

 と、いうようなニュアンスで、命令ではなく、私の意思は尊重されて、ひたすら私を気遣ってくれていた。

 川がゆるやかに流れ、私は、流れに斜めに逆らいながら舳先を向け、櫓を漕ぎ、同時に私は、救急車の天井にもいた。事故のことを思い出し、自分は死んだのだな、とこのとき初めて思った。無念も後悔も無く、すべてを受け入れて安定していた。心地よかった。川面が揺れ、葦が風にそよぎ、二重写しとなっているもう一つの映像に、横たわる私の肉体が見えた。隊員が心臓マッサージを繰り返し、もう一人が止血し、私の折れた左手と左足を矯正していた。もういいのに、と思った。壊れた助手席に挟まった遊子のことも思い出したが、まるで他人事のように、心が動かなかった。

 弟はやはり近くにいた。葦や川面と、救急車の内部の映像の向こうに三重写しに、元気無く俯いている弟の背中が、ぼんやりと映っていた。弟の前に二人の女の影があり、よちよち歩きの幼児が近くにいて、一方の女が泣いていた。久美子だった。少し老けて見える。そして弟が、その泣いてる久美子の肩を抱こうとするが、腕が彼女の身体を空しく素通りする。そこへもう一人、子供がはしゃぎながら部屋に入って来た。そしてその後から私が、部屋へ入ってきた。部屋の隅に、見覚えのある旧式の大きなテレビが見える。実家のキッチンの隣の六畳間だった。みんな薄着の夏服だった。

 対岸で船を降りると、焚き火をしている人達がいた。焚き火を囲んだコの字型の長椅子に腰掛け、みんな白一色か黒一色かのどちらかの服装をしていた。全員が私の方を注目していた。見知らぬ人ばかり、と思っていた中に、死んだ祖父と祖母の顔を私は発見した。私を見て微笑んでいる。うれしかった。私は歓迎されていた。しかし、

 ・・・・なぜ来たのだ?

 祖父が口を動かさずに語りかけてきた。こわい顔になって。

 生前、祖父は厳しい人だった。子供のころ、ご飯をちゃぶ台の下に落とすと、拾って食べろ! と叱責し、私が聞かないと、箸の先端を持ち、私の手の甲をピシャリッと打った。だから私は緊張し、言葉を失った。それを察知した祖父が頬をゆるめた。こわい顔は私の勘違いのようだった。祖母が慈しむような笑いを浮かべる。と思ううちに、祖父母の顔が変化し始めた。笑い顔が、悲しむ表情に、それから無表情に、そしてまた怒り、眠り、驚き、若返り、幼児になり、輪郭さえボケ、影となり、消え失せ、そしてまた元通りの祖父母となった。他の人も同様に変化した。あるいは変化出来た。たき火の炎も自在に変化出来た。私は遊び気を出した。火を消したり燃やしたり、後退りするほど天空高く火柱を上げたり、川も、山間を流れる激流にしたり、干上げたり、向こう岸の見えぬほどの大河に変えたりした。私の思うがままに形は変容した。でも確かに祖父母はそこにいた。他の人達も、火も、川もそこに在った。そして祖父母は、私が生前慣れ親しんでいた容貌が一番落ち着き、安定していた。

 私は、祖父母との久しぶりの邂逅を懐かしもうとはしなかった。弟が、いや見えない光が、私を丘の方へと導こうとするのだ。私は促されるままに丘を上がった。黄色の丘は、菜の花だった。丘一面にぎっしりと咲き乱れていたが、匂いも、足に触れる花の感触も無かった。黄色い菜の花も、色とりどりのチューリップに替えたり、丘一面を満開の桜の木にも替えてみた。でも菜の花が一番落ち着いた。丘の頂上に立つと、向こう側は、なだらかな斜面に赤、青、黄色の名の知らぬ花々が咲き満ち、遠くに川が蛇行し、山の尾根が幾重にも重なって、高い山々は白く雪を頂いていた。足元の斜面を伝わって、心地よい風が吹き上がってくる。風に触れる皮膚を、私は確かに意識した。そのときだった。背後が妙に気になった。光が私を促したのかもしれない。振り返ると、私は川の流れの上に浮いていて、女が一人河原に佇んでいた。どういうわけか女の腹部にぽっかりと穴が空き、背後の砂利石が見えていた。遊子だった。その瞬間、後悔、自戒、自己嫌悪、あらゆる否定的な感情が自分を責め上げて来た。そしてまた私は、真っ暗闇の中に舞い戻っていた。

 ――あっ、兄ちゃん! と妹の声が聴こえた。

 眼を開けると、私は病院のベッドの上にいた。ベッドの周りに父、母、妹と妹の旦那の顔があり、私は起き上がろうとした。が、全身に痛みが走り、身体がいうことを利かない。左足が包帯されて固定され、左手は石膏で固められて吊り下げられていた。

 ――どうしたんだ?

 自分が何故ここにいるのか解らなかった。事故のことも、遊子も、臨死体験のことも忘れ、私は完璧に記憶を無くしていた。見知らぬ男たちが入れかわり立ちかわり病室に現れた。むさ苦しい作業着を着た男がトラックの運転手で、白衣の医師に連れられて来た二人は刑事だったという。記憶を失っているという自分が信じられなかった。

 弟が久美子を連れ、横浜から見舞いに来たが、私は確実に数分間、弟が誰であるのか解らないでいた。

 記憶を取り戻すまでに一週間程かかった。

 私は、何故自分が田舎にいるのか解らず、遊子をドライブに誘ったことも忘れ、東京のアパートでの出来事さえも記憶から飛んでいた。まず思い出したのは、菜の花の黄色の丘、その時の解放感と心地良さだった。それから丘の向こうの色とりどりの花々、川の蛇行、雪を被った山、白装束黒装束の人達、祖父祖母の笑顔、船と川、そして眩しい光の世界と真っ暗闇。次々と映像が溯って見えてきたが、それ以前がなかなか思い出せない。しかし、その現実とも思えぬ映像を、頭の中で何度も何度も繰り返すうちに、川面に二重写しになった救急車の内部を思い出し、懐中電灯を私の眼の前で振る隊員の顔、ガードレールの下に横たわる自分、心臓が停まった瞬間を思い出し、トラックにぶつかるスローモーションの世界を思い出すことが出来た。そのとき急に吐き気を催し、私はベッドのシーツを汚した。褐色がかった透明な液体が、酸っぱく喉を焦がした。どうしようもない不快に胃が痙攣した。スローモーションの世界。あのときの半生回顧には全知全能感があり、あらゆる映像、その時々のあらゆる自分の思いも、漏れなく明確に感得出来ていたように思えた。快感だった。覚醒後の回顧にはしかし、全能感も勿論なく、映像も自分の思いもあの時の百分の一、いや千分の一の記憶も残ってはいなかった。ただ、小学校の登校途中、羽根にケガした雀が畦道でバタバタ喘いでいたこと、私がウソ泣きして母親に甘えようとしたら本当に泣いたと思って弟が喜んだこと、等など、もう忘れていてどうでもいいような記憶がいくつも残った。そして私は、そんな残滓をつまらなく思い出して行くうちに、最近のアパートでの出来事を思い出し、不快の根源に気が付いた。ジワジワと記憶が戻り、私はパニックに陥った。

 ここ一週間、枕元に付き添っていた妹も、母も、身内の誰ひとり遊子のことに触れようとしなかった。問いただすまでもないことのように思えた。半日悩んだ。

 ――遊子は?

 付き添っていた妹が、驚いたように私を見つめ、それから眼から涙をこぼして俯いた。

   金縛り

 その夜、私は久しぶりに身体を抜け出した。それは、いつものように金縛りから始まった。

 通夜の後、朝まで線香の火を絶やさぬよう、私と叔母の春子と二人で交替で線香の番をすることになった。私が午前三時まで、それ以降朝までが春子の番となった。長男としての仕事を探しても、要領が分からず、すべてが父や伯父に任せられ、それで私は自分に何かの負担を課したく、自らその役を買って出たのだ。アルコールが入ると、いつもの習慣で眠りに陥る恐れがあった。私はしらふのまま、クーラーを効かせた二階でテレビをつけて、三十分ごとに階下の線香を見に行くことにした。真夜中、柩の周りでごろ寝する父、母、叔母ら、親戚たちの寝息を気にしながら、三、四回線香に火を点け、階段を上り下りした後だろうか、二階に戻った私は、ソファに寝転がってついウトウトとなり、久しくなかったあの金縛りに襲われた。アルコールを抜いたせいだな、と思った。アルコールが入ると金縛りになりにくい。これは経験的に分かっていた。私はここ二、三年、ほとんど毎晩酒を欠かしたことがなく、したがって金縛りとも、あの浮遊の世界とも、久しくご無沙汰していた。べつにあの世界に入り込まぬよう戒めていたわけではない。もう過去は過去、という思いがあった。でも、逃げもあったかもしれない。もしかしたら毎晩の飲酒は、その逃げの気持ちのせいかもしれなかった。などと考えているうちに私は、次第にあの重苦しくも心地よい麻痺感に支配されていった。躊躇を捨てると、縛られているという拘束感がなくなってくる。呪縛を解く方法も心得ていた。現実へ戻ろうという強い意識を持って身体を半回転させれば、簡単にこちらの世界へと戻れるし、呪縛感に身をゆだねたまま身体を半回転させれば、自分の身体から抜け出てあちらの世界へ行くことが出来た。自在に自分を操れた。どうしようか、と思った。でも、はからずもこんな日に、この世界に陥り、何かの意志が私を強いているように思えてならなかった。私は、半ば義務感に背中を押されながら、身体の力を抜き、半回転した。私は、自分の頭の方から抜け出、天井まで浮上し、ソファに横たわる私を久しぶりに見た。ちょっとフケていた。テレビがつけっ放しで、ザーッと砂嵐になっていた。蛍光灯が消えている。いつ消したのだろう。壁にかかる時計、本棚の本、妹が残していった小芥子や土偶やガラス製の小さな人形が、棚の上にぎっしりと並んでいる。クーラーの振動音。たしかに二階の洋間だった。私は今、現実の肉体の、もう一つの付随物のような身体の中にいた。しかし身体自体は見えず、私は眼だけの生き物になっている。この身体世界は空間移動可能のみの世界といえた。といっても、物体も容易く通り抜けが出来、ときどき他の霊らしきものにも出会うことはあった。しかし霊は気配のみで、視覚に捕らえることは出来なかった。子供のころの夢の浮遊は、多分この世界のことであったように思う。そしてこの殻を抜け出たところに、空間移動ばかりでなく時間移動も可能な世界が待っていた。そこは霊たちが人間の風貌をして出没する世界で、薄気味悪く、人見知りする私は敬遠気味に、一度も彼らと関わりを持ったことはない。しかしそこでの私は、時間空間を思いのままに移動出来るばかりでなく、現実の世界の人間が思い浮かべる言語や映像を通じて、ある程度その場の人の心の内も読み取ることが出来るのだ。神に一歩近づき、死にも限りなく近づいたような世界だった。久しぶりだった。緊張が走った。私は意を決してまた半回転した。と同時に私は、天井を抜け、屋根を抜け、真っ暗闇の中をものすごいスピードで上昇し、やがて天空に光の輪が見え、あっという間にその光の中へと吸い込まれて行った。

 気のせいか、光の中がいつもと違っているように思えた。この光は私なのか、それとも弟か、もしかしたら遊子かもしれない・・・・と思ううちに私は、キッチンの隣の六畳間の上方にいた。うつむく弟の背中が見えた。弟の前に二人の女がいて、幼児が畳の上で遊んでいる。これは今日の昼間の場面であり、私があの事故の臨死体験中に見た川面に映った場面でもあった。

 ――ママァ! パパァ!

 優香が部屋に入ってきた。その後から私が来るはずだった。私は私を待った。しかし私はなかなか現れず、気が付くと、優香が私を不思議そうに見つめ、それからほほ笑んだ。優香には私が見えているようだった。その優香の頭の中に映像が浮かんでいる。その映像の中で私が大写しになっていた。そしてその背景に、喪服を着た人達が広い食堂のようなところに集まっているのが映っていた。よく見ると、その人達の中にも喪服を着たもう一人の私がいた。見覚えがあった。これは一年半前の横浜の斎場の場面だった。優香は嬉しそうに私に愛想笑いをし、部屋を出て行った。弟は、私に気づかず、神戸の姉に重なりながら、ただただ泣いている妻を心配していた。肩を抱こうとしても、腕が空しく妻の身体を素通りする。弟は、妻と優太の回りをうろうろし、そしてようやく私に気が付いた。私は弟の言葉を待った。しかし弟は、現実の私がそこにいると思ったらしく、いつものように視線をそらし、私を無視し、さかんに泣く妻を励ましていた。こう声を掛けながら・・・・。

 ・・・・どうして泣くんだ? オレはここにいるじゃないかァ。

 優香がまた部屋に入ってきた。そしてその後から私が現れ、久美子の姉が何事かと振り返り、私は、とすると自分を呼んだのは・・・・と訝っていた。

 私は少々戸惑っていた。いつもは金縛りの後、行ってみたい過去を頭に念じ、それから初めて思いどおりの過去の場面へと行き着くことが出来た。まず私の意思が先行していた。ところが今回は、私には何の意志も無く、この場面へと連れてこられた。何かに操られているかのようだった。・・・・いや、さっき、優香が、ママァ! パパァ! と叫びながらこの部屋に入ってきたとき、たしか私は、優香のあとから私が現れるはずと、私を待った。だから優香は二階にいる私を呼びに行ったのだ。私を呼んだのは私だったのだ。いま浮遊する未来の私が、過去の私の行動を規定し、因果が廻っていた。よくあることだった。対外への浮遊の中で、何度か経験していることだった。つまり、いつかは私は必然的に、私が私を呼ぶこの場面へと導かれる定めとなっていたのだ。

 この世もあの世も、すべては重重無尽の縁起の網の目の世界の中で、空間ばかりでなく時間軸においてさえ、偶然はなく必然の現象として、すでに定められているかのように存在しているようなのである。

 私は、死ぬ間際の弟の心理世界を覗いてみたかった。と思うと同時に私は、横浜の斎場にいる私の中にいた。火葬を待つ控室に私はいて、弟の家族が室の隅のテーブルにかたまっていた。本当は私は、ホテルの自室のサウナにいる、その死ぬ間際の弟のところに行ってみたかった。しかしそれは、経験的に、かなり難しいことであると私は承知していた。基本的には、この過去への浮遊は、私がその場にいなくては可能とならなかった。まず、その場の私の身体の中にいるところから、ほとんどの浮遊が始まっていた。私が弟に最後に会ったのが、この一年半前の斎場だった。

 私は喪服の私から抜け出、テーブル、椅子、会葬者たちの身体の中を通り抜けて、まっすぐ弟たちの方へ近づいて行った。優香が不思議そうに私を見ていた。このとき優香が見た私が、さきほど優香の頭の中に映像となった私だったに違いない。生まれて数カ月の優太が久美子の腕の中にいた。弟は、優太の産毛の頬を指で突っつきながら、この子はオレの子だ、と思い、あわてて思考を止め、自分の膝に小さな手を乗せている優香の肩を抱き、頭をなでた。弟の頭の中に、彼の友人であるあの藤村の髭面が浮かび、血液型のA、B、Oが見えて、すぐ消えた。弟は眉をしかめ、優香の頭をなでた手をテーブルのコップに伸ばし、ビールを一気に飲み干した。優香が私に触れようとして、手が空振りし、そのうちおもしろがって、何度も私の身体の中を素通りし、そしてもう一人の喪服の私を見つけ、二人の私の顔を見比べながら近づいてきて、椅子に座る私の背中を何度も押して不思議がっていた。私は、久美子の頭の中も覗いてみた。久美子は、優太のおむつ、優香の子供服の丈の短さ、家の戸締まり、財布の中身などなどを心配し、見知らぬ親戚を訝ったり、夫の遅い帰宅にちょっと不満をもっていたりした。ようするに現在の日常雑事に満ち、過去のことなど一度も振り返っていなかった。弟も、だいたいにおいて現在の日常を追い、この斎場にいても仕事が頭を離れていなかった。しかし弟には、現在のかかわり事に意識的にこだわろうとする姿勢が見え、思考が何かに追われているような切迫感があった。弟の頭はかなり疲れていた。その上その思考の疲労から逃げようとせず、疲労をさらに深めたい欲望のようなものに囚われていた。それは死への衝動にも似ていた。そして弟は、頭の片隅で私を意識していた。ビールを飲みながら親戚たちと雑談する私の方を、見まいとする意志が仄めいていた。

 その晩のケンカの場にも行ってみた。弟は、私と一緒に泊まりたくはなかった。しかし、従兄に強く勧められ、仕方なく覚悟すると、弟は急に私に対して攻撃的になった。ただし表面的には平静だった。従兄夫婦には冷静に気を配り、私には愛想笑いをして穏やかだったが、心の内は乱れていた。私を否定したい気持ちが強すぎ、抑えが利かず空回りして、感情が思考を奪ってしまっていた。それは何度も浮遊の中でかいま見た、いつもの弟だった。子供の頃からさほど変わってはいない。そして酒が入ると、弟は、もう完璧に子供の頃に退行してしまっていた。そしてやはり、遊子のことはひとかけらも、弟の頭蓋から漏れてはこない。いや、漏れて来ないのではなく、漏れないよう、必死なエネルギーで内部に閉じ込めていよう、としているかのように思えてならなかった。もう、ほとんど狂気に近かった。

 線香が気になった。そろそろ肉体へ戻ろうと思った。と思うと同時に、ケンカの場面が歪み出し、私も弟も従兄夫婦もその輪郭がとろけ、そして瞬時に、室内の映像が膨張したのか、あるいは逆に縮小して行ったのか、とにかく私は空間の中心にいて、空間が私をビッグバンの起点に置いて拡散したのか、あるいは私が宇宙空間そのものになって周りの空間が私の中に吸い込まれて来たのか、私は、微小なクォークやレプトンの間を彷徨うように、はたまた宇宙空間に放り出されたかのように、真っ暗闇の中に閉じ込められ、そして永遠の、瞬時の、時の流れを覚えるうちに、私は二階の洋間の天井辺りにいた。いつもの帰還パターンだった。これまでは言わば、時空間移動可能な多機能車から、空間移動のみの普通車への乗り換え過程といえた。今度はこの普通車のまま、自分の肉体の中へ巧く入り込まなければならない。気を付けなければいけなかった。理由はいまだに分からないのだが、私は一度、右腕が肩のあたりで引っ掛かり、なかなか肉体に収まらなく、数十分間悪戦苦闘の冷や汗をかいたことがある。私は慎重に、足の方から、といっても足は見えないのだが、私は神経を集中し、くるぶし、膝、腰、と各チェックポイントを確認しながら、肉体の中に収まった。やはりテレビがつけっ放しで砂嵐になっていた。クーラーの振動音。蛍光灯も消えていた。浮遊前の金縛り状態で見た室内と同じだった。

   体外への浮遊

 私は、弟との不仲の源を知りたかった。それから・・・・もちろん遊子との関係も。

 この過去への浮遊は、いくつかの例外はあったが、基本的にはまず私が過去の私の中にいて始まっていた。

 私は泣いていた。トイレから戻ってくると、車庫にあったバスが消え、辺りには園児も先生も誰一人いなかったのだ。初めて幼稚園に登園した日だった。私は帰りの通園バスに乗り遅れ、そして園長先生にスクーターに乗せられ送られた。バスから降りてこない私を心配した祖父が、幼稚園へと自転車を必死に漕ぎ、その途中ですれ違った。あっ、ジイジ、と私が叫び、スクーターを停めた先生が、知ってる人か? と尋ねると、祖父はお礼を言うのも忘れ、必死の形相でスクーターから私をぶんどり、自転車に乗せた。祖父の手が震えていた。祖父の私への、全身全霊の慈しみ。私の小さな胸に暖かい感動があった。

 その祖父が、火鉢の脇で、赤ん坊をひざに抱いて頬ずりをしている。火鉢の周りには祖母と幼い妹がいて、叔母が四畳間で洋裁の仕事をしていた。父、母、叔父は仕事に出、昼間はこの大人三人が子供の面倒を見ていた。私は、練炭のコタツに足を突っ込みながら、行き場のない切ない思いに駆られていた。

 杉皮屋根の昔の実家が見える。家の前にちょっとした広い空き地があり、子供の頃よくここでビー玉や缶蹴りをして遊んだ。幼稚園のうわっぱりを着た弟が、手に石を持ち、地面に何か書いている。それを坊主頭の祖父が、しゃがみながら覗き込んでいる。私は空き地の上空二、三メートル辺りにいた。小学生の私が、隣の家の庭を掘っている。私は、子供の私の思いを窺った。私は大きな石を掘り起こそうとしながら、嫉妬と憎悪に満ちていた。その激しい感情は祖父と弟の両方に向けられていた。私は、大きな石を片手でようやく抱えると、それを弟の方に投げ付けた。と同時に私は逃げ出した。石は、弟の背後から、弟の肩をかすめてドスンと祖父の前に転がった。弟はよろけて倒れ、祖父は驚き、弟の肩をさすり、そして眼を剥いて私のあとを追っかけた。弟は、何が起こったのか訳が分からなかったが、祖父に肩をさすられながら声を張り上げて泣き出し、眼の前の大きな石を見て事態を把握した。裏の台所にいた祖母の耳にも弟の泣き声は聴こえたが、炊事の手を休めようとはしなかった。何事にも無頓着な祖母だった。隣の上田さんのお嫁さんが出てきて、コウちゃん、どうしたの? と弟を抱き起こすと、弟は唇を震わせ、しゃくり上げて泣き続けた。弟は石に恐怖し、私に脅えていた。そのころ私は銀杏の大木の下で、祖父に往復ビンタを食らっていた。

 石には、殺意がこもっていた。弟の頭の半分ほどもある大きなもので、当たりどころが悪かったら大変なことになっていた。しかし、赤ん坊だった弟の唇を嘗めていた私にとって、母の乳房の匂いの生き物は、食べてはならない御馳走のようだった。二才違いの妹の赤ん坊だった記憶は無く、弟が初めての私の愛玩物だった。私の弟への思いも、祖父の私への思いも、同じようだったに違いない。そして私の、弟への思いに挫折は無かったが、祖父の私への思いに、私は挫折を覚えた。しかし石は弟へ投げ付けられた。初孫だった私は、家族の大人たちみんなから大事にされ可愛がられた。だから甘やかされ、我がままに育った。どうも私の我がままが挫折を覚え、その苛立ちが祖父を裏切り者と思い、弟を抹殺しようという衝動に駆り立てたようだった。

 私は小学二、三年生の弟の中にいた。弟の手には十円玉が数枚握られ、頭にはキャラメルのおまけがあった。弟はミニチュアモデルのおまけを集めていた。おまけが頭から消え、突然緊張が走った。倉庫の向こうから学帽を被った二人の中学生が現れたのだ。その一人が私だった。私はときどき体育館の裏から、溝を飛び越え、小川の土手を越え、木工場の板干し場の中を通って家へ帰っていた。弟は私の出現に思考を奪われていた。小学校に入ったばかりの頃、最上級生の兄の私は、廊下ですれ違ったときなど、はじめ友達とはしゃいでいても、弟を見かけると急に顔をしかめ、怒ったように表情を変えた。弟はそんな時、石を投げ付けてきたときの兄を思い出し、怖がっていた。しかし一方、そのときの私の内なる思いの方を窺ってみると、私には、廊下でも板干し場でも、石を投げたときの嫉妬も憎悪もない。どちらかと言えば弟へのいくらかの好意があった。私の、弟を見て怒ったようにしかめた顔は、テレと、甘えるのも甘えられるのも嫌う私の生来の性向からだった。それは晩年、私に厳しかった祖父の態度に似ていた。板干し場の中で、私の同級生が弟に笑いかけたが、弟は笑いを返すのを躊躇した。すれ違う背の高い兄たちは、弟の視界の遥か上方を通過して行った。同級生が言った。

 ――おまえら兄弟は変わってるよな、ふつう兄弟なら、ヨウ! とかなんとか、言うもんだけど、おまえらぜんぜん他人みたいだもんなァ。

 祖父も、私と道で会っても同じようだった。おまけに、チェッ、と舌を鳴らし、

 ――だらしねえなァ、図体ばかりデカくなって・・・・。の一言が加わった。

 私はこの過去への旅を通じ、初めて祖父の私への慈しみ溢れる思いを知った。祖父が末期ガンで入院しても、私は一度しか見舞わなかった。それも親に促され、しぶしぶ出掛けた。祖父が煙たく、中学生の私は明らかに祖父を嫌っていた。父と一緒に病室へ入ると、祖父は付き添いの祖母に手伝わせ、ベッドから痩せ細った上半身を起こした。頬がげっそりとこけ、眼光鋭く、一言もしゃべらず私に威厳の横顔を見せつけた。怖かった。死ぬ間際、祖父が私を心配していた、と言った身内の言葉を私は信じられなかった。だから祖父が死んだと聞かされても、私にはいくらかの動揺も無く、かえって解放感さえ覚えた。

 弟も同じように私を嫌っていた。

 一浪し、インドから帰ってしばらくして、遊子が私に会いに来た。

 勉強部屋のドアが、コンコンとノックされ、

 ――ミッちゃん、いるゥ?・・・・。と満面笑みの遊子が入ってきた。

 まだ中学一年生の子供だった。インドの話を聞きたくて、と顔を赤らめた恥じらいは、初々しい恋心に溢れていた。もちろんまだ女としては幼過ぎ、色気は醸し出されていなかった。が、真っすぐに向かってくる圧力に、私は気圧されていた。それから、窓を紅く夕陽が射すころまで話し込み、玄関まで見送ろうとドアを開けると、四畳間で弟が机に向かっていた。私と遊子は自分たちのことで一杯だった。しかし弟の背中は熱を帯び、烈しい思いに沸騰していた。それは恋であり、嫉妬であり、憎しみだった。

 その晩だった。

  ――兄ちゃんはなァ、兄ちゃんはなァ。

 テレビを見ていると、弟が奥の六畳間から、声を震わせながら私に何か訴えてきた。

 私が、家のことも考えず、高い学費の私立を受験しようとしていること。いい気にインド旅行をして来たこと。これが弟の言いたいことだった。そして頭の中の映像に、父母が私のこれからかかる学費について相談し、その二人を弟が凝視し、頭の中に昼間の私と遊子のことがこびりついていた。しかし弟の訴えは建前と本音の二重構造になっていた。父母が私を大事と思い、骨身を惜しまぬ父母の姿勢を、弟は妬んでいた。しかし嫉妬は押さえ付けられ、すべては兄の我がまま、そのための親の苦労に解釈されていた。

 弟は私を妬んでいた。子供のころ私が弟に嫉妬したように、いやそれよりも遥かに根強く永続的に、弟の妬みは心に染み込んでいた。私の嫉妬は弟が幼児の間だけであったが、弟は、物心ついてからずっと、自分と比較して長男の私が、大人たちに大事にされるのを肌に感じ続けて育ってきた。そして、いつもひがんでいた。弟はそのためか、或いは元々の遺伝子のせいか、大人たちに甘えるのに躊躇する癖があった。自分が大事にされたり、慈しみの視線を浴びせられると、弟は一瞬間を置き、相手を忖度する視線を投げる。それからぎごちなく笑うと、もう相手との間に距離が生じてしまい、相手の気持ちも弟も気持ちも滑らかな流れが損なわれてしまっていた。その卑屈さが、私のせいかどうかは解らない。しかし私の投げた石が、弟を脅えさせ、私を強く意識し始めた根にあり、もしかしたら弟の性格に大きな影響を与えたのかもしれなかった。

 私には相手を忖度する習慣がなかった。相手が自分をどう思うか、と思うより先に、気ままに我がままに自己中心的に行動していた。それで何の支障も覚えなかった。幼稚園のころの自分を見て、私は驚いた。私は黄1組の園室で、スケッチブックを拡げて絵を描くことに集中していた。そこへ同じ組の男の園児が数人、血相を変えて室に入ってきて、ミッちゃん! ちょっと来てやァ。用向きは分かっていた。私にケンカの助っ人を頼みに来たのだ。私は面倒臭がっていた。絵を描いていたかったのだ。それから彼らの後に続いて室を出、靴を履き、向かいの棟の黄4組へ入ると、園児同士がケンカの真っ最中だった。しかし私が入口に現れた途端、ケンカは収まった。そればかりではない。黄4組の連中は、私の姿を眼にするやいなや、慌てて先を争って逃げ、逃げ遅れた園児が机の下に隠れて泣き声を上げていた。私は遅生まれの四月生まれで、がっしりと身体が大きく、チビが何人いようが相手にならなかった。私はつまらなそうに引っ返し、また自分の組に戻って絵に熱中した。小学校でも中学校でも高校でも、私はケンカをした覚えはない。またケンカを売ってくる奴もいなかった。でも小学校の入学式のとき、南幼稚園の番長とかいう奴が私の前に現れ、中央幼稚園の西城というのはお前か? と言ったかと思うと、私の頬にパチッと平手を飛ばして来た。怒りも興奮も沸かなかった。意味が解らなかった。どうしたんだろう? と私はただ彼の背中を追っていた。その彼もしばらくすると私の家来になっていた。中学校高校の番長も私の前では卑屈だった。私はどうも、我がままで図太く押しの強い印象を与えていたらしいのだ。正直、自分で当時の自分を見てもそう思った。弟が怖がるのも無理はなかった。

 自分自身では、そんな印象を相手に与えていたとは思ってもいなかった。ただ気ままに、他人の意識世界などには全く無頓着に、天上天下唯我独尊の保育器の中で育ったようなものだった。その反動が、家族から、住み慣れた田舎から離れ、東京で一人暮らしを始めた私の精神に、緊迫と錯乱を与えたようなのだ。

 弟が、元は私のものだった部屋で受験勉強を始め、私がその部屋のドアを怖がり、弟に脅え始めたのは、そのころのそんな私の脆弱した神経のせいだった。そしてその後、一人暮らしに慣れ、東京の生活をこのまま続けたく思った私は、身勝手にも弟に家の方を任せたく、弟を立て、一目置いて控えめにしていた。

 弟にとっては、生まれて初めて味わう我がままな家庭環境だった。しかし弟には、まだまだ私への妬みが根強くあった。趣味のプラモデルを組み立てながらも、弟は、家族の私への気遣い、気の許し方を、観察し、常に自分へのものと比較していた。加えて、遊子のことへのコンプレックスもあった。私の関心は薄れていたが、弟の遊子への思いは、静かに潜行しながらもますます執着を加えていた。

 弟の恋の発芽は中二の時だったが、高二の時、遊子が同じ高校に入学して来て、遠慮がちなアプローチが始まった。ときどき遊びに来る遊子の中に、家にいる弟への気遣いと戸惑いがあり、弟の稚拙な文字の並ぶラブレターらしきものが映り、そして二人の頭に、同じ革製の小銭入れが映っていた。どうやら誕生日のプレゼントらしい。三人でケーブルカーに乗り写真を撮ったりした帰り、遊子が私の手を握って来た意味は、私への意思表示であり弟へ諦めを促していたと、そう推測された。二人から、私に秘密の付き合いがあるという確かなイメージは伝わってこなかったのだ。それから、二人が同じ関東内に住んでいた数年間、私は、遊子とはよく会っていたが、弟とはめったに会わず、三人が一緒だったのはあの時が初めてで最後であり、遊子と弟の付き合いを窺い知れる場面資料が乏しかった。疑えばいくらでも疑えた、しかし何一つ確信に至れるものは無かった。

 確信にまで至れないのは、私の浮遊出来る時空範囲にも、人の思いを了解出来る度合いにも、限度があったからだ。自分の過去の肉体が存在する同じ時空間内であったなら、私は空間的に、確かに自由に行動が出来、その場の人の、言語的思考も心情も感受出来て、その人が思い描く映像も伝わって来た。しかし、映像は私の主観的な解釈であり、そして、私の過去のその時の、思いの延長上に無い場を探るのは難しかった。例えば、私が、都内のある定食屋で野菜炒めライスを独りで食べている自分を窺っていて、その同じ過去の時空間にいる弟や遊子を捜し出すことは殆ど不可能なことだった。関東平野にあまたいる人々に、弟も遊子も同化してしまっていて、大海の上空から水面を漂うプランクトン二匹を捜し出すようなものだった。ただ、定食屋で食事しながら、気になる客が食事を終えて店を出て行く後を追うことは出来た。また、遊子からの電話を受けている自分から、電話をしている遊子の方へと飛ぶことも出来た。そして、高校生の遊子が東京の私に手紙を書いている場面も観察することも出来た。私に思いを馳せ、強い念を発する場には、私は行き着くことが出来、それは時空を越えて可能なことだった。もちろんこれも、私のコンタクトの意志があって初めて可能なことだった。

 私は、リアルタイムであったのなら、つまり金縛りから体外へ抜け出た時空であったのなら、私の思い定めた地球上のすべての人の思いに触れ得、地球を一周し、月の裏側を旋回して、太陽系の外へ行くことも可能なはずだった。ただ、私が体の外へ抜け出るのは夜中の二時か三時、知人はもちろん、日本中がほとんど寝静まり、地球の裏側に興味ある人もいず、それに肉体から離れて宇宙を彷徨うのも恐ろしく、それ程そそられるものもなかった。でも、ただ一度、ユングのように、地球から遠ざかりながら地球を眺めたことがあった。海は紺に近く碧かった。白い渦となって流れる雲間から、大陸と海との稜線がぼんやりと刻まれ、白雲が陽光に照らされて銀色に輝き、地球を含めた全視界が鮮やかなスカイブルーの膜に覆われていた。私は、ロケットの残骸や、役目を終えた人工衛星などのデブリが高速で飛び交う帯を、突き抜けて上昇し、さらに上昇し、地球の青がますます深まって、地球の輪郭そのものが薄青色のリングとして残り、そしてさらにさらに遠ざかって行くと、地球は白雲の流れ模様も鮮やかに、暗黒の星空の中にぽっかりと浮かび上がってくるのだった。

 ユングは、自身の臨死体験の最中、宇宙空間を彷徨いながらある奇妙な境地を経験したという。

(・・・・不思議なことが起こった。つまり、私はすべてが脱落して行くのを感じた。私が目標としたもの、希望したもの、思考したもののすべて、また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった。この過程はきわめて苦痛であった。しかし、残ったものもいくらかはあった。それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで起こったすべてで、それらのすべてがまるでいま私とともにあるような実感であった。それらは私とともにあり、私がそれらそのものだといえるかもしれない。いいかえれば、私という人間はそうしたあらゆる出来事から成り立っていた。私は私自身の歴史の上に成り立っているということを強く感じた。これこそが私なのだ。『私は存在したもの、成就したものの束である』)

 この境地は、私があの事故直後味わったものと、同質のものであったように思う。物心付いて以来培ってきたものの見方、構築されてきた自我、自我に影響される感情、欲望、そんなもの一切が抜け落ち、あの時私は、自分が路傍の石の思いと同等の存在のように思えたのだ。木や土やガードレールや路面、回りのすべての無機物有機物が、私と同じように静謐の中で息づき、協調の意志なくして協調していた。みな「いま、ここ」の瞬間のみに存在し、そしてそれぞれが、いまに至った歴史を持っていた。山の木は、種子から自生し、道路工事から免れたが、二酸化炭素に晒され汚染され続けて来た。土は、数億年の平穏から人間に掘り起こされ、えぐられ、舗装道路とされた。ガードレールや路面は、元はもっと遠くの場所に分散していて、人の手によって加工され、ここに移動させられて来た。みな、過去の歴史を背負いながら、いまこの瞬間に生かされていて、気負いも、恨みも、諦めも、正義も悪も、希望も無く、ただひたすら受け身の中で、未来はなるようになると、潔く在ったのだ。あのとき私は遊子を忘れていた。いや、忘れていた訳ではなく、遊子への思いも、心配も、執着も、拘りも、私の中から抜け落ち、初めての不思議な世界の中の一対象として遊子を捕らえていた。死は、生と同価のものだったのだ。しかし一方、事故車に群がる人間だけは、耳障りな感情の騒音を発しながら、慌ただしく不規則に蠢き、時間を持ち、空間に縛られていた。生は、時空を歪めることによって成立しているようであり、そして、肉体という殻が、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れるという情報を得る五感を備えているが故に、人は迷っているのだというふうに思えた。

 私の体外への浮遊は、臨死体験とは違い、健全なる肉体をベッドの上に残していた。だからなのだろうか、事故時の悟りのような境地とは縁遠く、遊子への思い、嫉妬という、恣意な感情に眩惑されていた。そしてその感情は、夢うつつの中で弟と遊子の後を追わずにはいられなかった。

 

 私がサンダルを突っかけ、改札口の前で二人を待っている。もちろん二人への疑惑など微塵もない。弟とは、弟の左頬に平手を食らわした以来であり、弟が久しぶりに自分を見て、どういう表情をするか気にかかっていた。遊子は私のところに泊まるつもりで来ているだろうし、弟も泊まるとなると、弟は私と遊子との仲を察するだろう、などと考えていた。二人が高架橋を降りて来て、私を見つけて二人とも手を振った。弟が手を振ったことに、私は弟の無理な愛想を思い、弟の方も、殴られた以来であり、過剰な笑みで、気まずさを払拭しようと無理をしていた。そして改札口を出ると、遊子が、

 ――新宿でコウちゃんに、偶然会ってェ。とさっき掛けてきた電話と同じようなことを言った。

 ウソだった。遊子の思考から、本当は待ち合わせたのに・・・・とウソをつく自分にこだわりが見えた。遊子は私の視線に自意識を高めていた。その場の私は、ちょっと弁解がましいな、と引っ掛かったが、すぐに忘れ、弟は、なぜ遊子はウソを、と思い、遊子の兄への気遣いと解釈して、不快になっていた。

 ウソであってほしくなかった。このまま観察し続けることに息苦しさを覚え、肉体へ引っ返そうかと思った。わざわざ嫌なことを知ることもなく、知らなかったことは知らなかったことそのままでよく、解らないことは解らないことそのままでも構わないことだった。しかし、疑問は疑問のままでは矢張り苛立ち、落ち着かなかった。疑問を晴らし、秘密を知ることは、ある種の解放と安定とをもたらした。それに好奇心は押さえ付けられようもなかった。嫌な現実でもなんでもかんでも受け入れてやろう、と半ば自虐的な気持ちも手伝っていた。

 弟はすでに、私と遊子との仲を知っている様子だった。三人で歩くうち、弟の不快は、嫉妬へと上昇し、憤りへと代わって行った。弟は、兄を否定する意味付けを頭の中で組み立てようとし、なかなかうまく組み立てられずにイライラと、作り笑いしながら会話に入って来た。私が遊子とそういう関係になりながら、なぜ定職にも就かず、身を固めて責任を取ろうとしないのか、と弟は怒っていたのだ。

 駅前の路地をしばらく入ったところで、妙な気配を感じた。懐かしいような親しいような、妙な生き物の波動があった。私は、この体外への浮遊体験の中で、何度も何人も霊のような影に出会っていた。消え入りそうな薄い影もあれば、明瞭な輪郭の霊もいた。明瞭な霊は、その時空の人間とほとんど区別がつかなかった。でも霊は、空中にいたり、地中に脚をめり込ませていたり、壁や建物などを自由に通り抜けていた。そしてどの霊もみな表情が暗く無表情に近く、私は、温和な楽しそうな表情の霊にまだ一度も出会ったことはない。君子は危うきに近寄らず。こちらが無視していれば、あちらから近づいてくることもなかった。しかしこの霊は、どこか違っていた。輪郭も無く、影すら見えず、ただ気配のみの存在だった。でもやはり、君子は危うきに近寄らず。私はいつものように無視してやり過ごすことにした。

 赤ちょうちんでは、遊子を挟んでカウンターに三人並んだ。弟の、話を合わせようとする作り笑いは、その裏に苛烈な炎を隠していた。私は無頓着だった。ただなんとなく弟が煙たく、私は直接弟には話し掛けず、しかし気にせずにはいられず、ときどき遊子を介して弟を会話に引っ張り込んでいた。弟も直接私には話し掛けてこなかった。遊子は二人の間で一生懸命気を遣っていた。遊子の頭の中で、新宿で待ち合わせた喫茶店での会話が、断片的にポッ、ポッ、と浮かんでは消え浮かんでは消えしていた。弟は、久美子とは終わったんだ、と遊子に告白していた。そして遊子は、功史が自分に求愛してくる気配を危惧し、あわてて私との仲を告白してしまった。遊子は弟に申し訳なく思った。子供の頃からのひたむきな、控えめな自分へのアプローチ。けれど、自分の中にはいつも充史がいた。そして今度も、傷付いた功史に優しくすることも出来ず、充史のことを告白して更に傷付けてしまった・・・・。一方、弟の内をいくら根気強く覗いていても、久美子の映像は出てこなかった。そこには破裂を堪える圧力があった。久美子への思いを遮断し、かたくなに頭を閉じようとする力が働いていた。

 しかしスナックに入ると、アルコールのせいか、弟の気力のたがが次第に緩み出し、頭蓋の隙間から久美子のことが漏れ始めて来た。弟は必死に引き締めていた。弟は脳内に二つの憤りのマグマを抱えていた。久美子への憤りのマグマと、私への憤りのマグマ。久美子へのマグマは、私へのマグマのエネルギーを利用して封じ込め、私へのマグマは作り笑いで押さえ付けられていた。

 弟が「なごり雪」を唄った。のっぺりと、感情移入も無く、お世辞にも上手いとはいえず、私は、そういえば弟の字も、同じような調子の崩れ方をしていたな、などと考えていた。弟と交替に、遊子がマイクを持って立ち上がった。ボックス席に私と弟が残り、二人で画面を見上げながら、窮屈に意識しあった。

 ――クミちゃんは、どうしてるんだ?

 ――うるさい!

 弟の作り笑いが吹っ飛び、火口が開き、私へのマグマのみが噴き出した。しかし私を否定する言葉が出てこない。あまりにも久美子のマグマが勢いよく膨れ上がってきて、頭蓋の内圧を堪えるのに精一杯だった。

 私は、弟を殴ったときの、泣き叫んでいた久美子のことを気に掛けていた。

 ――ねえ、どうしたのよコウちゃん。

 遊子の言葉が弟の熱くなった頭蓋を鎮め、弟は遊子に甘え掛かった。がその遊子の手を、私が「踊ろう」と引っ張り、連れ去った。グゥアーンと弟の思考が破裂し、弟は私を殺したく思った。殺意がソファを蹴散らし、立ち上がり、カウンターの客の背中に肩をぶつけながら、弟は、だれかオレを殺してくれ、と心の内で叫びながら店を出て行った。

 空中を浮遊する私は弟を追った。店を出、しかし階段を降りると、弟の興奮は急激に冷め、歩道に降り立つと、もう私と遊子のことはすっかり忘れてしまっていた。久美子を閉じ込めていた堅い殻が粘り気のある膜へと融け、ヌルッと皮膜が剥けて、久美子への想いがムクムクと膨れ上がって来た。弟は、今度は落ち込み始めた。足が勝手に歩いていた。

 ――わたし、藤村くんと結婚する。

 と弟の頭の中で、久美子の涙声が、何度も何度も、反響していた。その涙声は、受話器を通して聴こえて来るような音声だった。弟は焦っていた。怒っていた。そして、ヒゲ面の藤村らしき男の輪郭が、弟の頭に映し出され、弟の怒りはその藤村という男の方へと突き進んで行った。

 ――久美ちゃんをもらっていいんだな? と弟の声。

 弟の頭の中に、鮮明な場面が映し出された。久美子はいなかった。部屋に藤村が一人。そしてその藤村が、こちらを睨んでいる。どうも藤村が弟を睨んでいるようだった。その部屋には藤村と弟の二人がいるようだった。

私は、初めてであったが、トライしてみようと思った。と思った瞬間、それは容易く実現した。私は弟が描く映像の中に入り込み、初め、藤村の視線を受ける弟の中にいて、それから弟を抜け出し、二人を俯瞰する位置に浮くことが出来た。つまり私は、弟の回想の中に入り込むことが出来たのだ。

 弟はスーツを着ていて、藤村はパジャマ姿。どうも藤村の部屋らしい。本棚には理数系の参考書が並んでいたが、車の雑誌やカタログの方が多く、壁にはF1のセナの大きなポスターが貼られていた。

 ――そんな女の尻ばかり追っかけて、久美ちゃんとも遊びなのか? と弟。

 テーブルには、コンビニで買ってきたらしい粗末だが品数多い馳走が並び、オールドのボトルがあり、弟はストレートで、藤村は水で割っていた。

 弟は、遊びであってほしくない、と主張する裏で、遊びであってほしい、と期待し、期待する自分を押さえ付け否定していた。そして更に弟は、藤村が卒業も考えず、経済的に自立する姿勢もなく、久美子を大事に思う情に欠けているところを突こうと考えていた。弟は久美子にホレ込んでいた。

 藤村も功史の久美子への気持は知っていた。功史から電話をもらい、こちらから就職祝いをしよう、と誘ったが、わざわざ千葉の自分のアパートまで訪ねてきた弟の目的を、藤村は初めて悟ったようだった。そしてタバコの煙を吐きながら、

 ――おまえと一緒になったほうが、久美子も幸せかもしれないな。

 弟は怒った。

 ――そんな無責任なことを言うな! もっと久美ちゃんを大事にしてやれよォ・・・・久美ちゃんはお前が好きなんだからァ・・・・。

 怒って藤村を睨みつけた眼が、あやふやに避けられた。

 藤村は感情的になりやすい功史の性格も承知している様子だった。藤村は冷静に考えていた。吸い殻で一杯になった灰皿を持ちながら立ち上がり、キッチンの流しに捨て、タバコをくわえたまま冷蔵庫を開けて、

 ――珍しいものを食わせてやろうか。

 と言って、まな板の上で包丁を使い出した。

 ――これ、知ってるか? 旨いぞォ。と言ってテーブルに置かれた皿に、生のゴウヤが輪切りにされ鰹節がまぶされていた。

 藤村は、久美子を譲ろうと思った。女遊びに惚け、久美子を大事にしない自分。惚れているのは久美子の方。自分に溺れる久美子の惨め。功史の生真面目。久美子のため。功史のため。そんなことを考えながら藤村は、冷蔵庫からゴウヤを出し、包丁を使っていたが、もう久美子の身体には飽きた、と隠れた本音も漏れていた。そして、

 ――久美子を大事にしてやってくれ・・・・乾杯!

 さて、困った。この場はこの辺で切り上げたく、もう一度弟を追っている自分に戻りたかったが、その方法が解らない。確か、弟の映像の中に入ったのは、シャッターを降ろした文房具店の自動販売機の前だった。と思うと同時に私は、自動販売機の前にいた。しかし自動販売機が違っていた。私は、文房具店から百メートルほど離れた駅前路地のタバコの自動販売機の前にいた。それに、先程の人通りの殆どない夜中ではなく、狭い路地を電車から降りてきた人達がせわしなく犇めいている。と、戸惑っているうちに、向こうから私と弟と久美子の三人が歩いて来るのが見えた。そして三人が私の前を通り過ぎるとき、そのわずか上空に三人を追う、なぜか親しい、弟の気配に似た何かがいるのを感じ取った。その気配が私を見て訝っている。これはつい数時間前の場面だった。二人が電車から降りてきて、私と三人で呑み屋の暖簾をくぐる前の場面だった。あの時の気配はこの私だったのだ。私は、子供の頃よく見た夢を思い出した。エントツの周りを旋回し、子供だった私を心配してくれた弟の気配は、するとあれは私自身だったのか・・・・などと思っているうちに私は、シャッターの降りた文房具店の前にいた。ネオンも少なく、人通りも殆どない。しかし弟もいなかった。果たしてあの日であるのか、あの時間であるかも解らない。私は時間の中に迷い込んでしまったのか。しかし不安は無かった。思い浮かべれば、いつでも自分の肉体に戻れる自信があった。カラオケスナックへ行ってみようと思った。我々がいるかもしれなかった。階段の下の看板はまだ明かりを落としていなかった。面倒臭いので、階段は上がらず、歩道から直接二階の店の中へとビルのコンクリートを通り抜けた。我々はいなかった。しかし弟が肩をぶつけた客たちがまだカウンターに並んでいた。この時間に間違いなかった。私は瞬時に文房具店の前に舞い戻り、臭いを嗅ぐ警察犬のように思念を頼りに弟を追った。ネオンのまばらな路地を突き進み、もう明かりを落とした駅舎の前へ出、駅の向こう側へ渡ろうとしたとき、激しい思念の騒音に襲われ、切符の自動販売機の前の暗がりに弟を発見した。弟はバッグを抱え、携帯電話を手に持って呆然と壁にもたれ掛かっていた。肩を震わせ慟哭している。

 ――わたしのことは諦めてェ。と弟の頭から漏れる、切なく響く久美子の涙声。

 弟は、藤村への怒りを呼び戻し、その怒りのエネルギーで必死になって久美子の涙声を抑え鎮めようとした。そしてまた、携帯電話のボタンを押し始めた。藤村へ掛けようとしていた。しかし何度呼び出しても出てこない。駅前の交番から明かりが漏れていたが、人ひとり歩いていない。全身の力が抜け、弟は袖で涙を拭いながら、歩き出した。あのスナックのある方向だった。私のアパートのある方向でもあった。足元が危うく、躓きながら歩いた。アルコールのせいではない。思考が疲れ、弟は私と遊子を頼っていた。それでもときどき、さきほどの久美子の声が過ったが、こだわる力もなく素通りして行った。弟は、消えた看板の明かりも確かめず、階段を上がって行った。二人がまだスナックにいるものと思い込んでいたのだ。

 ――もう、お帰りになりましたよ。とママ。

 まだカウンターに客がいた。弟は肩をぶつけた客など気にしていなかった。そんな奴などどうでもよかった。弟は、階段を下りながら、疲れた頭の中で私のアパートへの路を探していた。面倒臭そうに。

 いよいよだな、と私は見たいような見たくないような気持ちになった。と同時に、肉体が自分を必要としているのが意識された。これから向かうアパートのベッドに横たわる、未来にいる現在の私の肉体が私を呼んでいたのだ。どうせ尿意か、掛け布団がベッドからずり落ちているか何かの、たいしたことでないのに違いなかった。ここからが大事なところだった。この場面を見るには心の準備が要ったのだ。これまでの過去への旅は、この場面のための下準備であったともいえたのだ。尿意なんか堪えないで、寝小便したって構わなかった。布団がはがれて風邪を引いても構わなかった。それに、僅かな我慢だった。過去への浮遊の数時間は、ベッドに寝ている数分間の出来事であったのだ。

 二人はもうベッドの中かもしれなかった。アパートが近づくにつれ、弟の中で私と藤村が混交し始めた。藤村と久美子がベッドの上に・・・・そんな連想がちらっと弟の頭をかすめ、顔をしかめて振り払った。ベッドにいるのは兄と遊子なのだ。遊子が兄とそういう関係にいるとは、今日まで知らなかった。弟はまた顔をしかめた。兄の優柔不断。藤村の不節操。いや、もしかしたら遊子はタクシーで帰ったかも・・・・。

 二階の窓に、まだ明かりがあった。アパートのほかの窓はみな、暗く寝静まっている。外階段を音を気にしながら上がり、通路に出ると、明るくなっている窓が、半開きになっている。ガラスの向こうで誰かが動き、流しの音が漏れていた。のぞき込むと、やはり遊子だった。そして目が合い、

 ――コウちゃん!

 遊子が叫び、弟は逃げ出した。ネグリジェ姿の遊子。階段を走り降りながら弟は、不幸が一遍に襲ってきたような気持ちになった。遊子の自分を気遣う眼。遊子が追ってきた、と思ったら兄だった。意外な展開に緊張し、弟は力いっぱいアスファルトを蹴った。路地を曲がり、また曲がり、弟は息が切れ、ブロック塀の陰から逃げてきた路地を窺った。兄が自分を追ってくる。弾む息が鎮まるにつれ、弟は兄に甘え出してきた。二人のところへ引っ返そうと思った。そうして弟は、眠るように思考を停止したまま歩き出した。静かだった。弟の靴の音、遠くの方で救急車のサイレンが鳴っている。路地を曲がろうとしたとき、誰かが階段を駆け降りる音が聴こえ、あわてたように自転車が軋み、こちらへ向かってくる。兄だと思った。弟は民家の門の陰に隠れ、兄は弟の潜む路地にちらりと視線を送り、そのまま真っすぐ走り抜けた。兄の走り去る背中を見送り、そしてこれからアパートへ戻ろうとする弟に、遊子を抱こうという意志は窺えなかった。母親の体内へと向かうようだった。

 ――ミッちゃん今さがしに行ったのよ。会わなかった?

 そんなのどうでもよかった。弟は駄々をこねるように靴を脱ぎ散らし、しかし遊子からのセッケンの臭い、部屋の兄の臭いを嗅ぎ取り、甘えは失せて部屋の中を見回した。むさ苦しい一人暮らしの空気。二人で住んでいる様子ではなかった。

 ――そこに座って。

 と遊子は促し、キッチンテーブルの前に腰掛ける弟の動きを、心配そうに目で追い、それから三和土に散らかった弟の靴を揃え直した。弟の眼がピンクのネグリジェに止まり、眩しそうに避けられた。遊子は、弟の視線に自意識が高まり、奥の寝室へ入って明かりを消し、青のカーディガンを上に着た。弟は下着の透けるネグリジェに、女の肉塊を思ったが、すぐに肉は消え、小さなバッグひとつだった今日の遊子を思い浮かべ、ネグリジェをわざわざ持ってきた様子はなく、ネグリジェはこの部屋に置いてあったのだろうか、と訝った。兄と遊子。藤村と久美子。弟はまた、一人取り残されたような気持ちになった。

 ネグリジェは、私が買った。二人で近所の商店街をぶらついていて、女性用下着専門店でふざけて遊子にプレゼントしたものだった。

 ――お茶でも、飲む?

 弟は黙って頷き、遊子は流しで、弟に背中を向けてお茶を入れながら、次になんて言葉を掛けようか迷っていた。功史は傷付き過ぎていた。久美子に傷付き、自分の告白に傷付けられ、目の前で充史との踊りを見せつけられて、功史はいたたまれずに店を出て行った。思えば、子供のときからずっと、自分は功史を傷付け続けてきた。

 弟は頭を空っぽにして、眼で、ネグリジェに透けて動く遊子の脚を追っていた。

 遊子が弟の前に湯飲み茶碗を置きながら、

 ――もう一度、久美子さんと話し合うことは出来ないの?

 遊子の言葉を遮るように弟は、

 ――オレは子供のころからずっと、ユウちゃんのことが好きだった。

 と怒ったように言い放ち、うつむき、肩を震わせて泣き出した。

 遊子は狼狽えた。椅子に腰掛けようとして立ち上がり、自分もお茶を飲もう、と流しの急須に手を伸ばし、湯飲みを探し、急須を持ちながら食器棚のガラスを開け、見つからず、流しの水きりにあるのを思い出して、また流しに戻った。遊子は流しに立ったまま、両掌で湯飲みを包みながら、弟に背を向けていた。

 ――兄貴に結婚する気がないのなら、オレと一緒になってくれ!

 遊子の背中がピクリと動いた。振り返ると、功史が眼を赤く充血させて、自分を見つめている。遊子はまた背中を向け、

 ――だめだめ、だ、だめよ、だめだめ、そんなこと言わないでよコウちゃん、お願い、ね、コウちゃん今日は疲れてんのよ・・・・。

 背中の功史が静かになり、ゆっくり振り返ると、弟はテーブルに顔を突っ伏せて眼を瞑っていた。男の人に求婚されたのは初めて、と遊子は揺れていた。そしてテーブルに湯飲みを置きながら、弟の正面に座り、

 ――コウちゃん今日は疲れてんのよ。と言いながら、そろそろ私が戻って来るころだと思った。

 ――・・・・・・・・。

 ――コウちゃん、お風呂入る? シャワーだけでも浴びたら。

 弟の思考エネルギーは消え掛かっていた。伏せていたテーブルから、ぼんやりと顔を上げると、

 ――入る?・・・・そこ。

 と遊子が指さし促すままに、弟は立ち上がり、浴室の前で紺の背広を脱ぎ、床に落とした。遊子が椅子を軋ませて立ち上がり、背広を拾い、奥の薄暗い寝室へ入ってハンガーを探した。

 ネクタイを解こうとしながら、弟の眠っていた脳が、覚醒し始めた。その位置からベッドが見えた。無防備な遊子の肢体。その一瞬、嫉妬、情欲、自暴自棄、死にたくなるような甘い感情が弟を煽り、私は思わず弟の前に立ちはだかっていたが、弟はなんなく私を通り抜け、遊子の身体に飛び掛かっていた。

 見ていて心地良いはずのものではなかった。しかしもう過去の出来事であり、否定しようもなく、自分はただ傍観して現実を受け入れて行くしかなかった。私は本棚の前辺りでやきもきしながら、自分は今どの辺を自転車で走っているのだろう、と思い、あわてて思いを打ち消し、自転車に乗る自分のところへ行ってしまうのを恐れ、この場にいてしっかり事の成り行きを見届けなければ、と自分に言い聞かせながら横目で観察した。

 遊子は激しく抵抗した。弟は一心不乱に女体を求めた。

 さきほどから執拗に、同じベッドに横たわっているだろう未来の私の身体が、私に戻って来てほしがっていた。一大事かもしれなかった。アパートが火事なのかもしれない。でも火事で焼かれて死んでも構わないと思った。もう少しなのだ。どうせ肉体が焼かれたところで、このまま時空を浮遊していればよく、或いは事故で一度経験した時のように、あの穏やかな至福感、全能感を味わえる世界が待っているか、なのだから・・・・。しかし考えてみると、この今の浮遊世界は、あまり心地良い世界とは言えなかった。死んでいた世界のように、生前構築されて来た自我も抜け落ちていず、感情も消えず、至福感も全能感も全く無かった。やはりこのままでは怖かった。だからこそ、今も鼓動し呼吸する私の故郷の肉体が私を呼んでいるのだ。肉体へ帰りたかった。でも、もう少し・・・・

 ――ね、やめて、ね、お願い、お願いだからやめて、ねえコウちゃん・・・・ミッちゃん、もう来るわよォ! 抵抗しながら遊子が唸った。

 弟から女体の像が消えた。今度は遊子を憎く思った。遊子を壊したく、兄を壊したく、自分をも壊してすべてを壊したく、弟はまた女体へと突き進んで行った。カーディガン、ネグリジェが剥ぎ取られ、ブラジャーが外され、パンティが太腿に落ちたところで、遊子が泣き出した。遊子から抵抗の力が抜けた。弟は我に返ったように、手を止めた。まだズボンもワイシャツも着たままで、ネクタイが首の回りに引っ掛かっていた。これでは兄や藤村と同じだった。弟は呆然と、下の裸体から身体を起こし、裸体を見つめ、アアーッと叫んで、ベッドの端に身体を投げた。遊子はシーツを身体に巻き付け、涙を手の平でさかんに拭い、しかし弟を見つめながら、また自分は功史を傷付けてしまった、と自分を責めた。そのとき、静かな外から自転車の音が聴こえて来た。遊子の頭が無秩序に回転した。遊子は急いでベッドから降り、ダイニングのスイッチを切った。暗闇に佇みながら、いま私に部屋に入ってこられては困る、と思った。弟の靴に気が付いた。しかし、靴を、と思いながら隠すのをやめた。靴を私に見せたい気持ちが動いていた。階段を上がる音。通路の足音。遊子はノブを回してドアを開け、

 ――いまコウちゃんが来て、またミッちゃんを探しに出たのよォ、まだその辺にいるんじゃないかしら。

 ――おう、そうかァ。

 私は、外灯の薄明かりが射した狭い玄関の三和土に、私のものでない革靴を見た。遊子も、私の視線が靴に落ちるのを見た。しかし充史はまた行ってしまった。靴を見たなら、部屋に入って来てほしかった。階段を下りる音が聴こえ、戻って来るかも、と思っているうちに、自転車の音が聴こえ、そのまま音は遠のいて行ってしまった。遊子は、失望に似た怒りを覚えた。功史へ傾こうとする意志が動いた。充史は当分帰って来ないに違いない・・・・でも、帰って来たってかまわない。功史の方が心配だった。遊子は薄暗い中を、白いシーツに包まりながらベッドへ戻って腰掛けた。弟はベッドの端に俯せっている。遊子は、じっと弟の背中を見つめ、弟がベッドから身体を起こすと、抵抗する意志を捨てた。しかし弟は、ぐったりとベッドに腰を降ろし、

 ――わるかったな。

 としばらく涙眼で遊子を見つめ、それから、シーツの割れ目に覗いている女の白い腿に、軽く手の平を乗せ、立ち上がり、鴨居に吊るしてあった背広を手にすると、肩を落としながら靴を突っかけ、

 ――じゃ。

 ドアが閉まり、弟は部屋を出て行った。

 結局、遊子と弟とは何もなかった。予想外の結末に、私の頭は混乱した。

 私の肉体が執拗に呼んでいた。暗がりの室内が歪み出し、そしていつもの帰還の世界を通過して、私はまた、暗い自分の部屋の天井辺りにいた。私は動揺し、しばらく天井の隅にいたまま肉体へ戻るのを忘れていた。しかし思考の混乱の方はまずは置き、肉体へ戻らなければならない。私は肉体へ入り込むことに集中した。火事ではなかった。電話が鳴っていた。掛け布団もベッドからずり落ちていない。私は慎重に肉体へ侵入し、自分の肉体を感じ取った。尿意でもなかった。呼んでいたのは電話のベルだった。スナックで酔っ払った呑み友達が、私を誘って来たのだ。それどころではなかった。電話を切ると、私は、いま見た浮遊の世界を何度も何度も反すうした。身体の方は疲れきっていたが、頭の方は覚醒し、煮え立つように乱れ廻っていた。

 弟と遊子が何もなかったとは思わなかった。もしかしたらそういうことも、と思ったことはある。がしかしそれは、いつも思考の外に弾かれ、発芽のしない種のままとなっていた。私は自分を恥じた。私は、私に隠れた二人の仲を疑ったり、弟が強引に関係を持ったかもしれないとも思い、遊子を死に向かわせた主原因は、この夜弟と関係を持ってしまったが故とばかり思い込んでいた。遊子は弟の子種を宿してしまい、それで悩んでいたとも考えていた。私の大きな勘違いだった。ではなぜ、遊子はハンドルを握ったのか。やはり私の責任は大きいような気がしてきた。私の優柔不断。弟の真っすぐな遊子への想い。プロポーズ。遊子の弟への傾き。弟は、事故の数カ月後、少しおなかの膨らんだ久美子と結婚式を挙げた。あのあと間もなく、弟と久美子のよりが戻ったようだった。そのことで、遊子と弟との間で何かの話し合いがあったのか。遊子はどんな悩み方をしたのだろう。それとも、そんなことなど関係なく、遊子は何か他の悩み事を抱えていたのか、やはり私のことで悩んでいたのだろうか。定職にも就かない私の子供を身ごもったとか、降ろしたとか、或いは、ただ単にあえて私から身を引いて、ぐずぐずしている私の決断を煽ったのか、もしかしたら私に見切りを付けただけなのかもしれなかった。そもそも遊子は本気で自殺を考えていたのだろうか。私と一緒に死にたかったのだろうか。もしかしたら、本当は死ぬつもりなどなかったのではないだろうか。あの後しばらくして事故現場にも行ってみた。遊子が助手席からハンドルを握って左へ切った先は、土手が盛り上がり、ガードレールがそこだけ途切れていた。走行中の車から見るとその土手は、せいぜい人の背の高さぐらいにしか見えなかったが、実際車から降りて近づいてみると、四、五メートルの仰ぎ見るほどの高さがあり、とても車がその土手を乗り越えて崖下へ転落するようには思えなかった。またたとえ運よく? ガードレールと土手の間に車が入ったとしても、隙間が狭く斜面が迫り、車体を傾けながらそこを通り抜けるのはほとんど不可能のように思えた。本気で死ぬつもりなら、ハンドルを切るのはガードレール側ではなく、対向車線側だった。そして、実際対向車線にハンドルを切ったのは、私の腕だった。私が遊子を殺したようなものだったのだ。

 あのとき私が、弟のことなどにこだわらず、もっと強い決意で「結婚」という言葉を口にしていたならば、遊子を死なせずにすんだかもしれなかったのだ。

 

 私が遊子をドライブに誘ったとき、電話の向こうの遊子は「死」なんて考えていなかった。私に会いたいとさえ思っていた。

 私は、この過去へはなかなか来る気にはなれなかった。ひとつには、そこには見苦しく感情的になっている自分がいたからだ。遊子を疑い、弟を憎み、遊子を思い遣るふうでいながら、その実自分のことばかりを考えていた嫌な自分がそこにはいた。「結婚」に強い決意が込められなかったのは、それが遊子を大事と思うよりも、「結婚」を弟から遊子を取り戻す手段としてのみ考えている自分があり、できれば「結婚」という切り札は出したくないという気持ちがどこかに働いていたからなのだ。一緒になってもうまく行かないだろう、という思いが隠れていた。私はただ単に嫉妬に狂っていただけなのだ。嫌な自分だった。見たくもなかった。そしてやはり何よりも、あの事故は刺激的すぎた。事故後に記憶を失うほどの死の恐怖、遊子の死の凄惨さは、生きてる自分の自我に、意識下にも無意識下にも過剰な傷を負わせていたようだった。しかし、懴悔があった。好奇心もあった。この決行の勇気を奮い立たせるのに、私は二年あまりの月日を要したのだ。

 近所の人目をはばかって、JRの駅前で遊子と待ち合わせた。遊子はやはり私に会いたがっていた。しかし遊子は、私がロータリーに車を停め、フロントガラス越しに私の顔を見た途端、笑顔を凍らせ、頭を閉じた。寒さのせいではない。私の顔が怒っていたのだ。私は大人げなくも拗ねていた。これではいけない、と私は思い返して、表情を繕ったが、遊子はまったく別のことを考え始めていた。遊子は、駅前にある黄ばんだ葉のほとんど落ちた大きな銀杏の古木を見つめ、ある映像を浮かび上がらせていた。遊子の視界の映像から、遊子は、青々と葉の茂る銀杏の太い幹の下のベンチに腰掛けているらしい。そして隣に座った母ミサコさんが、

 ――これ、アパートの大家さんにあげてね。

 と田舎の名物の和菓子を遊子に手渡し、遊子が、後ろの樹の幹に寄りかかっている父竜三さんを振り返ると、気の優しい竜三さんが、眼を真っ赤にして遊子を見つめていて、照れ笑いで視線をごまかした。

 どうも遊子が東京へ出てくる時らしい。ご夫婦には、遊子のほかに高校生の男の子と中学生の女の子の子供がいたが、遊子が初めて親元を離れる子供だったのだ。

 運転席の私は「結婚」にこだわっていた。しかし遊子は、銀杏の樹の下の場面から画用紙を思い浮かべていた。画用紙には駅舎の水彩画が描かれ、駅の周辺に白い帽子を被った小学生たちが、たくさん散らばって写生していた。それから教壇に立つ先生らしき人。先生の太い眉毛。

 ――いつこっちへ来たんだ? と私。

 ――・・・・一カ月ぐらい前。

 遊子は、運転席にぶら下がる交通安全のお守りを見、近くの神社を連想し、おみくじ、玉砂利、欄干、と思い浮かべ、

 ――電話してもいないからさ、どうしたのかと思って。

 と言う私の言葉に、笑顔を返し、吉祥寺で買った西洋風のアンティークな受話器を思い出し、住んでいた自分の部屋の中を見回し、モネの絵柄のランチョンマット、ソファの縦縞の間隔、窓ガラスのかすり傷、と次々と執拗に確認して行った。

 遊子からは思考が漏れてこなかった。というより、思考する自分から逃げ、次々と興味の対象を移して行こうとする意志が見て取れた。病的なエネルギーだった。驚きだった。遊子はあまりにも傷付き過ぎていた。遊子は、私の知らない何か、私の想像を越えた何かを抱え込んでいるように思えた。

 それに引きかえ運転席の私は、当たり障りのない会話、当たり障りのない会話と、自分のことばかりを考えていた。

 車は、河の堤へのゆるやかなスロープを上がり、左側に広い河川敷、右側に民家の屋根を見下ろしながら、堤防の上の路を走った。FMラジオからはモダンジャズ。遊子は、河川敷に眼をやりながら、むかし夏草の茂みの中で、私と初めて触れ合ったときのことを思い出した。が、あわてて息を飲み込み打ち消して、視線を鉄橋の方へと移し、何か他のことを思い出そうと必死になっていた。

 ――コウジとは、いつからなんだ?

 遊子は黒髪を振りながら、運転席の私を見、違う! やめてよ! と心のうちで悲鳴を上げた。そして堰を切るように、頭の中でさまざまな映像が飛び交い、その中に、

 ――久美子とオレ・・・・結婚することになった。

 と弟の声が漏れ、受話器を握る指が見え、遊子の部屋の中が映っていた。

 私は、その遊子の部屋へ入り込もうとした。あのあと遊子と弟の間でどんなやり取りがあったのか知りたかった。でも、そんな気は吹っ飛んだ。錯綜する映像、錯乱した意識の中で、遊子は自分の腹部にいる小さな命を思ったのだ。そして目まぐるしく乱れ映る映像の中に、私の部屋の本棚が暗く映り、天井、ベッドのシーツ、そこへ黒い影が被さってきた。弟だ・・・・いや、私の顔だったかも・・・・。私はもう一度見ようと焦ったが、遊子は、表情をあっけらかんと明るく変えながら、しかし、頭の方はしっかりと閉じてしまった。

 私の子供ではないはずだった。第一私の子供だったら、これほど遊子が悩むはずがない。やはり弟に違いなかった。とすると・・・・

 私はあることを思い出した。あの時あの部屋に、途中からもう一人の私がいたような気がしたのだ。

 ――コウジとは・・・・ほんとのところ、どうなの?

 遊子は黒髪で遮蔽して私を避け、返事をしない。車窓の向こう、眼下に広がる隣街の民家の屋根々々。このとき初めて遊子は「死」へと向かった。そしてハンドルに手を伸ばし、思いっきり左へ切った。

 

 弟がベッドから身体を起こすと、遊子は抵抗する意志を捨てた。

 ――わるかったな。

 しかし弟の方は、遊子を求める意志を捨てていた。遊子は弟の気持ちを推し量り、弟の掌が自分の腿に触れると、身体を硬直させ、弟が鴨居のハンガーから背広を手に取ると、遊子は引き留める言葉を探していた。しかし弟は、背中を見せて帰ろうとする。遊子はベッドから、身体に巻いたシーツを押さえながら後を追った。もう一人の私が嫉妬を覚えていた。弟は、暗がりに屈んで靴を探し、遊子は自分の気持ちを伝えたく、焦ったが、これでいいのかも、と思い直し、久美子に去られ自分にも傷付けられて帰る弟を想った。そして弟が、ドアを開け、外の薄明かりが射し込んで、

 ――じゃ。

 遊子は返事をせず、求められたら受け入れるつもりで弟を見つめたが、ドアは閉められた。

 そこでもう一人の私が、予想外の結果、と頭を混乱させながら肉体へと戻って行った。

 通路を行く足音、階段を降りる音。遊子は、身体のほてりが後を引く中で、寂しそうに肩を落とす弟の背中を想い、なにもしてやれない自分をまた責めた。キッチンの窓から漏れる薄明かり。遊子は、テーブルに置き忘れた弟のバッグに気が付いた。功史はまだすぐ近くにいる。急いでバッグを手にしたが、しかし自分はシーツに巻かれていた。功史が取りに戻ってくるかもしれない。遊子はバッグを両手で掴みながら、自分は寝室にいようと思った。功史を想うよりも、遊子は自分を傷付け、私を傷付けたがっていた。やがて階段を上がる足音が聴こえ、ドアが開き、

 ――ユウちゃん、バッグなかった?

 と弟は、テーブルの上を見回した。返事がない。奥の寝室に、白いシーツの端と遊子の足先が見えていた。暗い中で、じっと動かない。ドアを閉め、靴を脱ぎ、明かりを点けてバッグを探そうと思ったが、奥の遊子の様子が気に掛かった。

 ――ユウちゃん。

 と寝室へ入ると、遊子が立ち上がり、シーツがはらりと床に落ちた。

   火 葬

 子供の頃よく夢の中に出て来た木造の古びた火葬場は今はなく、その裏山の、もう一つ西隣の尾根の上に、新しく火葬室、式場、控室の完備した立派な斎場が出来上がっていた。むかし火葬場があった裏山の上に、夏の陽射しを浴びた鉄塔が聳えていた。送電線が、その鉄塔から小さな谷を渡り、こちら側の斎場のある尾根の上の方へと伸びている。鉄塔、送電線は、子供のころ見た夢のままの位置にある。もっともその頃の私は、夢ばかりでなく実際にも、この近辺の地理は殆ど熟知していた。尾根の間の沢径を登って、上級生のメジロ取りに付き合ったり、祖父に連れられ山芋を掘りに行ったり、正月用のしめ飾りを作るため、町内の子供会で、北側の薄暗い斜面に繁茂する羊歯を摘みにいったりしていた。火葬場の煙が染み付いた山肌は、夢の中でもうつつの世界でも、子供の私の脳内にしっかりと染み付いていたのだ。

 弟の亡骸の収まった柩は、今朝家で親族によってクギを打たれ、霊柩車に乗せられてこの斎場へ上がる丘の路をくねってきた。霊柩車の後に、親族の乗ったバスが続き、そのバスの中に遊子の両親竜三さんミサコさんもいた。遊子の家は、母方の遠い親戚筋にあったのだ。

 弟の柩は霊柩車から降ろされると、そのまま火葬室へと運ばれた。この地方では、遺体は告別式の前に荼毘に付される。薄暗い火葬室のホールは、ひやりとクーラーが効いていた。東側の壁に、五つの釜室の扉が並び、弟の柩はその真ん中の扉の前に安置された。ほかの四つの扉の前は空いていた。今日の葬儀はウチの西城家だけらしい。

 遊子の両親とは、会釈は交わしたものの、視線が合わず、ゆうべのお通夜のときも、今朝の出棺のときからも一言の言葉も交わせなかった。こちらが視線を送っても、私を避けているようなところがあった。もう過ぎた事、と、お二人の私を気遣う優しさかもしれなかった。あるいは、いまだに心の傷は疼き、私に対する恨みが心の奥底に根強く巣くっているのかもしれなかった。私の不自由な左足、左手、左顔面に多少残っている傷は、お二人にとっては、恨みの感情を吐露できぬ目障りなものであるに違いなく、また私にとっては、罪に対する罰であり、同時に罪の責め苦からいくらか逃れている都合のよい免罪符のようなものになっていた。近所に住む親戚筋のお二人には、言いたくても言えない部分もあるのに違いないのだ。気がつくと私は、お二人の眼の前では、不自由な足をことさら強調するように足を引き擦って歩いていた。いやらしかった。お二人の気持ちを思い遣らず、己の保身のみを考えていた。こんな日に、お二人が私を責める気持ちになるはずがないのだった。

 しかし私には、お二人の視線ばかりでなく、田舎の人達みんなの私を見る眼が気になっていた。田舎に帰るたびに私は、そんな窮屈な自意識にとらわれ、人目につく昼間はなるべく外に出ないようにしていた。事故で生き残った当事者の私には、家族でさえ気兼ねして、人の噂はなかなか私の耳には入ってこないのだ。

 あの事故の後、私の記憶の戻った病室に、事情聴取のために私服と制服の二人の警察官が入ってきた。私は、遊子の自殺をほのめかすのは、周囲に余計な憶測を引き起こすかもしれないと思い、事故の原因を自分の居眠りか脇見運転のせいにしてしまおうと思った。が警察官に、そうなると業務上過失致死ということになる、と言われ、私は仕方なく、ありのままに遊子がハンドルを切った事実を告白した。そして、では自殺しようとした動機は、と聞かれ、私はさすがに弟との確執まで晒すのははばかられ、遊子が何を悩んでいたのか、それは本人にしか解らないことであり、もしかしたら思うようにならない自分との仲を悩んでいたかも知れない、と話し、そうして遊子との付き合で優柔不断だった自分を責め、後悔し、警察官の前で涙さえ流して、なんとか穏便な取り計らいをしてもらうことになった。

 事故の顛末が、遊子の両親に、田舎の人達に、どのように伝わっているのか分からなかった。しかし、事故によって私と遊子との仲が人に知れるところとなり、遊子の自殺は、男としての私の不誠実を匂わせていることは確かなことだった。それでも私は、遊子の四十九日、一周忌、三周忌、と参列した。周囲の人の好奇や責めの視線に晒されるのが、私の罪の償いであり、逆に気の癒しにもなると思ったのだ。四十九日には誰も私に話し掛けてこなかった。しかし一周忌、法要の終わった宴席で、酒に酔った二つ上の幼なじみがこんなことを漏らした。あれは遊子の自殺なんかじゃないんだろ? と。それは私への慰めとも受け取れたが、同時に私への非難をも含んでいた。事故の原因は私のわき見運転かなんかであり、遊子の自殺は、その過失を逃れるための口実ではないかと思われていたようだった。自殺者は検死が施される可能性があったが、どうやらあの事故は当初から私の運転ミスが原因とされていたようで、遊子は単なる交通事故死者として扱われ、詳細な検視もなく、私が病院のベッドに寝ている間に既に荼毘に付されてしまっていた。

 遊子のおなかの子供は生きながら火葬されてしまっていたのだ。この事実を知っているのは、たぶん私一人だろう。父親である弟も知らないはずだった。いや、もしかしたら弟は知っていたのかも・・・・。

 釜の前で、坊さんの送り経が始まった。柩と坊さんの周りを囲んで、親族たちが頭をたれて手を合わす。私は読経を聴きながら、めまいを覚えた。ゆうべの浮遊のあと朝までほとんど眠れなかったのだ。目の前の久美子の背中が震え、こらえきれずに嗚咽の声を挙げた。となりで優太を抱いていた久美子の姉が、心配そうに久美子を見る。母房江が久美子の肩を抱いた。そこかしこからすすり泣きが聴こえ、私の眼にも涙があふれてきた。優香が不思議そうな眼で大人たちを見上げている。

 弟は家族を大事にし、仕事に熱中し、そして引きずっている過去に、人知れず苦しんでいたに違いなかった。あるいは逆に、苦しみを忘れるために仕事に打ち込み、家族を生きがいとしていたようにも思えた。優香の出生の疑惑。遊子のおなかの子供は生きていれば優香と同じ歳であったに違いなく、遊子の死にも自分自身が深くかかわっていたことは十分承知していたはずだった。弟は肉体的にも精神的にも、疲弊しきっていた。しかし弟は逃げなかった。また逃げようがなかった。弟は己の欲望に素直に、精一杯求め、そして遊子を得、久美子を得、そのどちらを選んでも苦悩は待っていたのだ。

 やはり田舎へ帰って来よう、と思った。事故を起こしながら、私は東京へ逃げていた。田舎の人の目は、私が東京へ逃げていたその分、父母妹たちへと向かっていたに違いなかった。本来は私が一身に受けるべきものなのだ。罪には罰があり、償いが必要だった。田舎で生活することは、遊子への、弟への、償いのようにも思えた。自分自身の浄化にもなるように思えた。

 ――最後のお別れです。

 白い手袋の斎場の職員が、柩の小窓を開けた。私は久美子の家族の次に弟の顔を覗き込んだ。鼻に綿が詰まってはいたが、気のせいか頬に紅みが差しているように思えた。私は、まためまいを覚えた。目を閉じ、目を開けると、眼に映る映像が二重になっていた。そしてその二つの映像が分裂し始めた。どういうわけか、私自身の身体が二つに分裂し始めたのだ。一人の私は、まだ棺の中を覗き込んでいた。そしてその棺を覗く私から、もう一人の私が抜け出、後退りし、棺を覗こうとする他の親戚たちに場を譲っていた。昼日中、こんなことは初めてだった。しかも、いつもの体外への浮遊とは少し様子が違っていた。意識は一つなのに、身体はしっかりと二つ同時に感じ取れるのだ。妙な感覚だった。後退りした私は、まだ棺のそばにいる私の背中を見ていた。その背中の、棺の弟を見ていた私の眼にも、自分自身の背中が映った。驚き、棺のそばの私が振り返ると、私と私が見つめ合った。棺のそばの私の身体の中を、親族たちが嗚咽を漏らしながら弟を覗いて次々と通り抜けて行く。棺の方の私は、他の人からは見えないようだった。しかしただ一人優香だけが、下方から、二人の私たちの顔を交互に見て笑っていた。我々二人も笑みを返した。そして棺の方にいる私が、ホールの中空にふわりと浮かび上がった。自在に辺りを浮遊してみたかったのだ。眼下には、もう一度最後の別れをしようとする父、母、私、妹が、弟の棺を取り囲み、久美子が棺に額を当てて泣き崩れていた。

 それは、釜の扉が開き、柩が釜の中に収められようとする時だった。弟が、柩の中から抜け出てきた。そして、真っすぐ私の中に飛び込んできて、そのまま私もろとも急浮上して、天井を突き抜け、眼下に真昼の斎場、鉄塔、緑の山が見えたかと思うと、辺りはいつの間にか真っ暗闇になっていた。弟は確かに私の中にいた。そのはずだ、と思うと同時に、私の中にいる弟が下方に見えた。夥しい数の石ころが見え、川が見え、岸辺に繁茂する葦の中に櫓付きの木船が小波に揺れ、弟は、呆然と河原に立ちすくみ対岸を眺めていた。対岸にも葦が茂り、その向こうが黄色の菜の花の丘となっていた。私の臨死体験の時とまったく同じ風景だった。

 弟は、多少うろたえながらも、木船に乗り、川を渡ってあちら側に行こうとしていた。そして、

 ――大丈夫かな? と私は心配した。

 と、その思いに弟が反応し、辺りを見回し私を探していた。

 驚いた。思い出した。この状況は、あまりにもあの時と似ていた。臨死体験のあの時、私も多少うろたえながらも川のあちら側へと行きたがり、近くに光の存在を覚え、その光が自分を気遣ってくれていた。そしてその時その光を私は、弟の気配、と思った。しかし今、私は光となって浮遊して、私と弟は、あの時と全く逆の立場になっていた。いや、あの時の光が弟であったとは言いきれなかった。私はあの時勝手にそう思い込んでいたのだ。実際、あの光が誰であったのか何物であったのか、それは分からないことだった。あの光は弟かもしれず、遊子かもしれず、もしかしたらもう一人の私だったかもしれず、あるいは我々の感知し得ないより上位の何物かであったかもしれなかった・・・・もう一人の私?・・・・あの時の光がもう一人の私だったとすると、いま眼下にいる弟を私に変えれば、あの時と全く同じということになる。川を渡ろうとした私は、あの時、風景を自分の思いどおりに変えられた。川を激流にしたり、干し上げたり、向こう岸の見えぬほどの大河に変えたり、菜の花の丘もチューリップや桜の木に変えることが出来た。などと考えているうちに、目の前の弟が私の姿に変貌し、私の姿の弟が船の上で櫓を漕いでいた。私が光となり、櫓を漕ぐ私を見つめているのだ・・・・訳が分からなくなってきた・・・・では、弟はどこへ行ったというのだろう?・・・・私と弟が入れ替わり、「いま、ここ」に意識のある私自身が弟になっているというのだろうか? となると、死んだのは私ということになる。いや、そんなことはなかった。私はまだ肉体を現実世界に残していた。火葬場にいる私の肉体を、私はしっかりと感じている。

 川面に、火葬室内の様子が映っていた。柩が釜に入り、扉が閉められ、ボイラーが点火され、久美子が大声で泣き崩れて、喪服の皆がもらい泣きをしている。現実世界の私の視界からの映像だった。映像がボケ、私も泣いていた。優香が一人、冷めた視線で回りの大人たちを不思議がっていた。

 弟が、いや私の姿をしている者が、対岸で船を降りると、やはりあの時と同じように焚き火をしている人達がいて、その中に祖父祖母もいた。あのとき祖父は、

 ・・・・なぜ来たのだ?

 と私に語りかけてきたが、今度は、

 ・・・・よく来たな。

 というニュアンスで語りかけてきた。

 今度の眼下の私は、遊び気を出さず、焚き火を消したり火柱を上げたり、川を激流に変えたり干し上げたりもしなかった。そして浮遊する光の私も、あの時の光のようには、下の私を丘の方へと導こうとはしていなかった。ただ下の私が、私を頼って道案内を乞うていて、私は下方の私を導きながら丘を上る恰好となっていた。その時、光の私は遊子のことを思い出し、あわてて後ろを振り返った。あの時、遊子は対岸の河原にいた。しかし川原を見渡しても、どこにも遊子の姿は無かった。当たり前だった。遊子はもうとっくに、丘の向こうの、あちらの世界に行ってしまっていた。しかし丘の頂上に差しかかると、光の私はいくら焦っても、もうそれ以上先へ進むことが出来なかった。何かが私を後方へと引っ張っていた。そう感じた。心地よい風が丘の斜面を吹き上げてくる。下の私は、さわやかな風に逆らいながら、斜面を下って行く。いや、あれは私ではない。やはり弟の背中だった。弟は、なんのためらいもなく、丘の斜面を下ってあちらの世界へと行ってしまった。

 光の私は、背後から自分を引っ張りとどめる、何者かの気配を想った。振り返ると、やはり遊子が陽炎のように河原に佇んでいた。私は川面の上に浮かび、間近に遊子を見つめることが出来た。

 遊子の腹部に、ぽっかりと穴が空き、背後の砂利石がその穴の中に透けて見えていた。そして遊子が、せつなそうに訴えてきた。

 ・・・・ごめんなさい、おなかの子は、ミッちゃんの子だったのかもしれないの。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2008/08/21

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稲上 説雄

イナガミ セツオ
いながみ せつお 小説家。1951年 静岡県島田市生まれ、在住。主な著作『鼻毛を伸ばした赤ん坊』(審美社)など。

掲載作は、短編集『夢浮遊』(2003年9月審美社刊)に所収。

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