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あくる朝の蟬

 汽車を降りたのはふたりだけだった。

 シャツの襟が汗で汚れるのを防ぐためだろう、頸から手拭いを垂した年配の駅員が柱に(もた)れて改札口の番をしていた。その駅員の手に押しつけるようにして切符を二枚渡し、待合室をほんの四、五歩で横切ってぼくは外へ出た。すぐ目の前を、荷車を曳いた老馬が尻尾で蠅を追いながら通り過ぎ、馬糞のまじった土埃りと汗で湿った革馬具の()えた匂いを置いていった。

 土埃りと革馬具の饐えた匂いを深々と吸い込んでいると、弟が、追いついてきて横に並んだ。弟は口を尖らせていた。ぼくがひとりでさっさと改札口を通り抜けたことが、自分が置いてきぼりにされたことが不満なのだろう。

「思い切り息をしてごらんよ」

 弟にぼくは言った。

「空気が馬くさいだろう。これがぼくらの生れたところの匂いなんだ」

 弟はボストンバッグを地面におろし、顔をあげて深く息を吸い込んだ。

「どうだ、この匂いを憶えているだろう?」

「ぜんぜん」

 孤児院のカナダ人修道士がよくやるように弟は肩を(すく)めてみせた。

「べつにどうってことのない田舎の匂いじゃないか」

 弟がこの町を出たときはまだ小さかった。この匂いが記憶にないのは当然かもしれない。でもぼくにはこの馬の匂いと生れ故郷の町とを切り離して考えることは出来なかった。町は米作で成り立っていた。冬、雪に覆われた田に堆肥(たいひ)を運ぶのも、春、雪の下から顕われた田の黒土を耕すのも、夏、重い鉄の爪を引いて田の草を除くのも、そして秋、稲束を納屋(なや)まで運ぶのも、みんな馬の仕事だった。ぼくが此処を離れたのは三年前の春だったが、そのとき町にあった自動車は十数台の乗合バスと、それとほぼ同数のトラックだけで、運搬の仕事もそのほとんどを馬たちが引き受けていた。とくに冬季は深い雪のために自動車はものの役に立たず、そのときの町は橇を曳いた馬たちの天下になった。そんなわけで馬糞と革馬具の匂いはこの町そのものなのだ。ぼくはもういちど馬くさい空気を胸いっぱい吸い込んだ。

 ぼくと弟を乗せてきた汽車が背後で発車の汽笛を鳴らした。駅前の桜並木で鳴いていた蟬たちが汽笛に愕いてすこしの間黙り込んだ。汽笛にうながされて、ぼくは並木の下の日蔭を拾いながら歩き始めた。

 薬売りの行商人や馬商人たちの泊まる食堂を兼ねた旅館、本棚にだいぶ隙間のある書店、昼はラーメン屋だがあたりが黄昏(たそが)れてくると軒に赤提灯をさげる二足草鞋(わらじ)の店、海から遠いのでいつも干魚ばかり並べている魚屋、農耕機具と肥料を扱う一方で生命保険会社の出張所もつとめている店、軒先の縁台で氷水をたべさせる菓子屋など街並みは三年前とほとんど変っていない。真夏の午後の炎暑を避けて桜並木の通りには人影もなかった。四周を山で囲まれているために暑気の抜ける隙間がなく、北国なのにこの町の夏は妙に蒸し暑いのである。

「待ってよゥ」

 ぼくの足を追い切れず、はるかうしろで弟が()をあげた。細紐で縛ったトランクを地面に置き、その上に腰をおろしてぼくは弟が追いつくのを待った。トランクは死んだ父親が学生時代に使っていたという年代物で、角かどに打った補強の金具はひとつ残らずとれており、錠もばかになっていた。細紐は錠のかわりだった。

 桜並木はあと十数米で尽きようとしていた。そして尽きたところで旧街道とぶっつかる。旧街道を右に曲って三町ほど行くともう祖母の家のはずだった。ぼくと弟は夏休みの後半をその祖母の(もと)で過すために、仙台の孤児院から故郷の町へ着いたところだった。

 ぼくが高校一年、弟が小学四年のときのことである。

「もうすこし、もうひと息」

 追いついてきた弟に調子をとるように声をかけながらぼくはまた歩き出した。弟は両手で持ったボストンバッグの重さと釣り合いをとるために(からだ)をうしろに()らせよたよたついてきた。旧街道はかなり大きな川に沿って続いているはずだった。川からの風はきっと涼しいだろう。川風が荷物の重さをすこしは忘れさせてくれるにちがいない。

「もうちょっと行くと楽になるよ」

 額の汗を手の甲で払って、ぼくは弟にまた声をかけた。ぼくが祖母の許へ来ることを思いついたのは、夏休みが始まって十日ばかり()ってからだった。孤児院の夏休みはひどい重労働だったのでどこかへ逃げ出す手はないかと必死で思案をめぐらせ、祖母のことを思い出したというわけである。孤児院の夏休みがなぜ重労働かというと、この期間に市民の善意や心づくしがどっと集中するからだった。

 夏休み第一日は市の青年商工会議所有志の招待による海水浴、第二日は市の福祉団体連合会の主催する『よい子の夏まつり』への参加、第三日は孤児院の近くの商店街の招きでお化け屋敷と花火大会の見学、第四日は米軍キャンプのGIたちの肝煎(きもいり)でアメリカン・スクールの少年たちとの対抗運動会、第五日第六日は市のボーイスカウト支部の招きで河畔キャンプ、第七日第八日はガールスカウト支部の誘いで高原キャンプ、第九日は市の婦人団体共催の『一日母子(おやこ)の会』への参加……というような具合で善意と心づくしで揉みくちゃにされてしまう。なにしろこれらの善意の人たちは自分たちの施す心づくしがぼくらにどれだけ喜ばれているかをとても知りたがっていた。だからぼくらは心づくしへのお返しに必要以上に嬉しがり、はしゃぎ、甘えてみせなくてはならなかった。そうするよりお返しのしようがなかったわけだが、これはずいぶん芯の疲れることだった。

 第九日の『一日母子の会』から帰ったぼくは、孤児院の事務室の黒板に、

「第十日、市内高校演劇部共催・夏の人形劇大会。第十一日、市営プール主催・市内養護施設対抗水泳大会。第十二日、地元有力紙主催・親のない子と子のない親たちの七夕まつり……」

 と書いてあるのを読み、このままでは夏休みの終らぬうちに過労のために(たお)れてしまうのではないかと(おび)え、祖母にあてて手紙をしたためた。

「故郷を後にしてから早いもので三年たちました。驚かないでください。ぼくと弟はいま孤児院にいます」

 たしかこんな書き出しだった。これに続けてぼくはたぶん次のように書いたはずだ。

「ぼくらが孤児院に入ったわけは、母の商売がうまく行かないからです。母は、男と同じように女にも意地というものがある。たとえどんなに困っても、またどんなに辛くても、祖母(ばっちゃ)に泣きついてくれるな、手紙を出すのもいけないよ、と言っています。でも、ぼくらはつくづく孤児院にいるのに疲れました。かと言って母のところへは帰れません。母は旅館の住込みの女中さんをしているのです。祖母(ばっちゃ)、突然のお願いですみませんが、ぼくらを祖母(ばっちゃ)のところへ置いてくれませんか」

 夏休みの間だけでもいい、と書かなかったのは、ひょっとしたら祖母がぼくらを夏休みの間だけではなくずうっと孤児院から引き取ってくれるかもしれないという期待があったからだ。

 祖母からの返事はなかなか届かなかった。祖母は母のことを相当ひどく怒っている、祖母と母はぼくらが想像する以上に憎み合っているらしい。そう思って諦めかけたところへ書留が舞い込んだ。

「とにかく帰っておいで」

 千円札を二枚、飯粒で丁寧に貼りつけた便箋に電文のような一行が書きつけてあった。

 川の音が聞えてきた。桜並木を通り抜けて旧街道へ出たのだ。ぼくは橋の欄干(らんかん)に腰をおろし、今度もぼくの足に追いつかないでいる弟を待つことにした。橋を渡って左に曲れば三町ほどで祖母の家である。右に折れて五町ばかり川に沿って上流へさかのぼれば三年前までぼくらの住んでいた家があるはずだ。もうその家は人手に渡っている。かつて自分たちが寝起きしていた家にいまは赤の他人が生活している、そんなことはあまり信じたくなかった。そこでぼくは川の下流に沿って並んでいる店を眺めていた。まず目の前が地方銀行の支店、次が郵便局、ふたつとも石造り、木造でない建物は町でこの二軒だけだ。それから洋品屋、酒造店、時計屋……。店屋(みせや)の並ぶ順に視線を移動させているうちに、どこかが変だぞ、と思いはじめた。前とはなにかがちがっている。ぼくは眼をつむり三年前のそのあたりの様子を頭に(うか)べてみた。

 地方銀行の支店と郵便局、ここまでは問題がない。右や左の木造家屋を脾睨(へいげい)しつつでんとおさまりかえった有様は三年前と変っていない。引っ掛かるのは郵便局の隣りである。前はたしか空地で、酒造店が酒を仕込むときに使う大樽がいくつも並べてあったはずだ。するとぼくらが町を出てからその空地に洋品屋が建ったのだろう。だがそれにしては洋品屋の造りが古びていた。近寄って眼を凝すと材木にも年代があらわれ、黒味がかっている。

 旧街道に並ぶ店屋はいずれも明治あたりに建ったもので、それぞれの造作にはどこか共通したところがあった。なによりも間口が広い。小店でも四間(よんけん)はある。大店ともなれば八間(はっけん)を超えていた。店の戸はだから大店になると十四、五枚にもなる。戸はすべて硝子戸で、風や雪の日を除いては一枚残らず戸袋に仕舞い込み店先を開けはなすのが作法のようになっていた。どの店屋も二階建てだった。二階の窓は大きく仕切ってあるが、どの窓にも櫺子(れんじ)(はま)っていた。表廻りに壁土を用いないことも共通している。壁のかわりに厚い頑丈な杉板が張りつめてあった。二階だけ眺めると、昔の武芸者の道場(どうじょう)か、尋常小学校の雨天体操場といった趣がある。

 洋品屋もこれと同じ造りがしてある。新しく建ったにしてはそこが変だった。どうして新開地の桜並木通りの店屋のように今風の建て方をしなかったのだろう。それよりも、どこからこのように古びた材木や板を手に入れたのだろう。それがなんだかとても気にかかってぼくはしばらく洋品屋を睨んでいた。

「どうしたの、あんなに急いでいたくせに」

 弟がいつの間にか追いついていた。

「なに眺めてんの」

「先に行っていろよ」

 とぼくは弟の背中を押した。

「すぐ追いつくからな」

 弟はあいかわらず躯を()らせながらボストンバッグを支え、よたよたと先へ歩いていった。

 五分も行けば祖母の家に着けるというのに、どうしてこの間口四間にも足らない小さな店の前から離れることができないでいるのだろう。いらいらしながら洋品屋の店先や二階の窓や板壁を眺め廻しているうちに、ぼくの視線は板壁の或る個所に貼りついたまま動かなくなってしまった。板壁の上に釘の先で「聖戦と疎開は永遠に続くのである」と長ったらしい文字が刻んであったが、この文字通りの金釘流(かなくぎりゅう)悪戯(いたずら)書きにぼくははっきりと憶えがあったからだ。

 戦争中、たしか小学四年の秋から五年の夏ごろまで、ぼくは母の(もと)を離れ祖母の家で暮していたことがある。祖母のところで暮すようになったわけは、隣りにきれいな女の子が東京から疎開してきたからで、できるだけ彼女の近くに住みたいものだと子どもながらも思いつめ、「祖母(ばっちゃ)のところへどうしても行くというなら、もう母子の縁は切るから」と母が止めるのもきかず、祖母の許へ転がり込んだのだ。そのときに、戦争がこのままいつまでも続いてくれればその女の子も東京へ帰ることができないだろう、ぜひ戦争よ続いてほしい、と祈るような思いで店の二階の板壁に釘で彫りつけたのが、「聖戦と疎開は……」の十五文字だった。母とは犬猿以上の仲だったが、祖母はぼくらには優しかった。その悪戯書きが見付かったときも、腹を立てている祖父にあれこれとりなしてくれたのは祖母だった……。

 しかし祖母の家の一部がどうしたわけでこんなところにあるのだろうか。

 新しい疑問がぼくの胸をきりきりと締め付けはじめた。祖母の家は「アカマツ」と呼ばれていた。(まるなか)という屋号があるのだが、十間の間口の店のすぐ左に赤松が立っていたので、それがいつの間にか屋号の代りになってしまったのである。戦前は本業の薬種商(やくしゅしょう)のほかに本屋や文房具店も兼ね、その郡の小学校の教科書の取次ぎもしていた。戦後は農地改革で田畑を手離し、本屋や文房具店もやめ、すこし落ち目になっていたが、それでも薬は商っているはずで、家屋の一部を切り売りするほど困っているとはとうてい信じられない。いったいなにが起ったのだろう。胸を締めあげていた疑問がいやな予感に変っていった。

「どうしたの」

 一町ほど先で弟が手を振っていた。それに応えて手を挙げてみせてからトランクを持ちあげたが、トランクはぼくの心が重くなった分だけ重さを増したようだった。ぼくは弟と同じように躯を()らせてその重さと釣り合いをとりながらゆっくり足を運びはじめた。

 しばらく行くと川の音が高くなった。川が左に大きく折れ、その折れ口のところが瀬になっているのである。川に合わせて街道も左に曲っている。その曲り角に立てば祖母の家の赤松が見えるはずである。ぼくらは首を伸ばして向うをのぞきこむようにして角を曲った。

 赤松が見えた。見た瞬間、ぼくは軽い狼狽(ろうばい)を覚えた。記憶のなかの赤松と較べると現実の赤松がいやに雑然としていたからだ。前は秋風の立つごとに植木職人がやってきて、赤松の姿づくりに小半日はかけていた。その丹念な葉刈りと整枝や剪定(せんてい)のおかげで赤松はいつもすっきりした姿で立っていた。だが、すこしずつ近づいてくる三年振りの赤松は、小枝を四方へ漫然と伸ばしているだけで、かつての凛凛(りり)しさには欠けていた。

 十間あった間口が半分ほどになっているのも寂しい感じだった。やはり来る途中に見かけた洋品屋は祖母の家の半分だったのだ。切り口はむろん新しい杉板できっちりと張ってあるが、全体の黒ずんだ色合いのなかに新しい杉板の部分だけはなにやら赤味を帯びていて、まっぷたつに断ち切られた(まぐろ)の胴体の切り口を見るような心持がした。

 店の硝子戸はこの町の商家のならわしに従って一枚残らず開かれていた。店先に浴衣(ゆかた)を着た若い男が正座して、膝の上に置いた本の上に目を落としている。

「あ、叔父さん……」

 ぼくが小さく叫んだのが聞こえたようだ。叔父が顔をあげた。薄暗い店の中に叔父の白っぽい浴衣と蒼白い顔がくっきりと浮かび上って見える。

「ご厄介になります」

 ぼくは店の中にトランクをさし入れるように置き、叔父に軽く会釈(えしゃく)した。弟もぼくを真似てお辞儀をした。

「……やぁ」

 叔父は微かに笑ったようだが、すぐに目を膝の上の本へ戻した。

「昨日、ばっちゃから書留をもらったんです」

 ぼくは開襟シャツのポケットからふたつに折った封筒を抜き出して、叔父の目の前に掲げた。シャツの生地を透してしみ出した汗で封筒は湿(しめ)っぽくなっていた。表書のインクが汗で滲んでいる。

「……とにかく帰っておいでッて書いてあったものだから、今朝早く孤児院を()ってきたんです」

 叔父はしばらく封筒を見つめていた。見つめていたというより睨みつけていたといった方がいいかも知れない。ぼくは気圧(けお)されてのろのろした仕草で封筒を胸におさめた。

「叔父ちゃ、ばっちゃは?」

「裏じゃないかな。畑にいるだろう」

 はじめて叔父は声らしい声を発し、言葉らしい言葉を喋った。ぼくはそれが嬉しくて(ほっ)とした。店の中に入りながらぼくは訊いた。

「叔父さんも夏休みですか」

 三年前ぼくらが町を出るすこし前、叔父は東京の私大に入学した。順調に行っているならもう四年のはずだった。

「……来年は卒業でしょう」

「大学は二年でやめたよ」

 吐き捨てるような口調だった。弟はびくりとしてぼくのうしろに隠れた。叔父は再び膝の上の本に目を落し、大きな音をさせて頁をめくった。

「畑へ行ってみます」

 ぼくと弟は足音を殺して横の通用門へ歩きだした。

「店先に荷物を置かれちゃ困るな」

 本を睨んだままで叔父が言った。ぼくはすみませんを何回も連発しながら、トランクと、ボストンバッグを両手にさげて通用門へまわった。

 通用門をくぐり抜けると庭になる。庭に向い合って長い縁側がのびている。その縁側に荷物を置くと、ぼくらは裏へ走り出た。このあたりの商家は家屋の裏に二百坪から三百坪の畑を持っている。野菜は自給自足なのだ。そのためかどうか、町に八百屋は少なかった。

 畑は荒れ果てていた。雑草だけがはびこっている。ただ、敷地の中を流れる小川に沿って、トマトの赤や茄子の紫やさやえんどうや胡瓜(きゅうり)の緑が見えていた。ぱちんぱちんと鋏を使う音がそのあたりでしていた。

「……ばっちゃ!」

 ぼくらが叫ぶと、鋏の音がやんだ。

「どこ?」

 トマトの植えてあるあたりで白いものが動いた。ぼくと弟はそこを目がけて走っていった。

「ばっちゃ、来たよ」

「おお、来たか」

 叔父と同じように白っぽい色の浴衣を着た祖母が(たすき)を外しながら何度も頷いている。足許に置いた籠の中に大粒のトマトが光っていた。

「よく来たねえ」

「お金、ありがとう」

「足りなかったろう、あれっぽっちじゃ……」

「二千円そっくり残ってる」

 ぼくは胸のポケットを左手で抑えてみせた。

「交通費は孤児院の先生から貰ったんだ」

「ありがたい先生がただねえ」

 小虫が眼に入ったと言い訳をしながら祖母は(たもと)で眼頭をそっと拭った。

「ばっちゃ、来る途中に洋品屋があったけど、あれはばっちゃの家だよね」

「おまえたちが町を出ていったころだと思うけど、じっちゃが死んでねえ」

 そのことはぼくも知っていた。葬式へ行くというぼくと、あんな鬼爺の葬式になど出る必要がないと言い張る母との間で喧嘩になってしまったものだ。結局、ぼくが言い負かされて葬式には出ないでしまったが。

「……じっちゃが死んでから、うちにだいぶ借金があったことがわかったのだよ。それで店を半分、人手に渡したわけ……」

 祖母はぽんぽんと浴衣の前を手で叩いた。

「三年振りじゃないか。陰気な話はよそうね。風呂を沸してあげるからまず汗をお流し……」

 ぼくと弟は祖母の後について家の方へ歩き出した。陽はだいぶ西に傾いていた。雑草の上を涼しい風が渡ってくる。断髪にした祖母の髪が四、五本はらはらと風にそよいだ。後から見ると祖母はずいぶん小さく見えた。本当に祖母が小さくなったのか、あるいはぼくらの背が伸びたせいでそう見えるのか、それはわからなかった。

 

 ぼくと弟はきっかり十分間で風呂場から出た。弟の着る浴衣の揚げをしていた祖母が老眼鏡の奥で目を(みは)った。

「昔の同級生とでも逢う予定があるの」

「同級生たちと逢うのは明日からのことにするよ」

 ぼくは浴衣を羽織りながら答えた。弟は丸裸のまま祖母の横にしゃがみこみ、祖母の運針に見とれている。

「でもばっちゃ、どうしてそんなことを聞くのさ」

「ずんぶん早風呂だからだよ。烏の行水(ぎょうずい)だっておまえたちのようには早くないよ」

「だって、(あと)がつかえると困るもの」

 弟が言った。

「みんなの迷惑になるよ」

「だれも迷惑なんかしないじゃないの」

 祖母は糸切歯でぷつんと糸を切った。

「前の人が上ってから入る、それでいいんだから」

 祖母は弟に浴衣を着せながら、

「おまえたちったら何を慌てているんだろ」

 と小首を(かし)げている。

 ぼくは笑い出した。ぼくらがどうやら孤児院の規則をここまで引きずってきているらしいと気がついたからである。

「孤児院の風呂は畳一帖分もあるんだ。でも一度に五人以上は入れない。ところがぼくらの数は四十人。四人ずつ組にして十組。一組三十分ずつ入ったとしても五時間かかる。それでね、一組十分間と決められているのさ」

 ぼくのこの説明に弟がさらにつけ加えた。

「十分経っても出てこないとね、先生が長い竹竿でお風呂のお湯をぴしゃぴしゃ叩くんだ。それでもお湯に漬かっていたいと思うときは(もぐ)るんだよ、深くね。おもしろいよ」

「妙なことをおもしろがる子だねえ」

 また首を(ひね)りながら、祖母は弟の兵児(へこ)帯を締め終った。

「さあ、夕餉(ゆうげ)の支度が出来るまで縁側ででも涼んでいなさい」

 祖母に背中を軽く叩かれて、ぼくと弟は縁側へ出た。

 縁側に腰を下し、足をぶらぶらさせながらぼくと弟はいろんな音を聞いていた。表を通り過ぎて行く馬の(ひづめ)の音、その馬の曳く荷車の鉄輪(かなわ)が小石をきしきしと砕く音、道の向うの川で啼く河鹿の声、軒に揺れる風鈴の可憐な音色、ときおり通り抜けて行く夕風にさやさやと鳴る松の枝、台所で祖母の使う包丁の音、それから、赤松の幹にしがみついてもの悲しく啼くカナカナ。

 弟は庭下駄を突っかけて赤松の方へそっと近づいて行く。彼は昆虫を捕えるのが好きなのだ。(……いまごろ孤児院ではなにをしているだろう)

 ぼくは縁側の板の間の上に寝そべって肘枕(ひじまくら)をついた。

(……六時。お聖堂(みどう)で夕ベの祈をしているころだな。お祈は六時二十五分まで、六時半から六時四十五分までが夕食。七時から一時間はハーモニカバンドの練習。八時から四十五分間は公教要理。八時四十五分から十五分間は就寝のお祈……)

 孤児院の日課を暗誦しているうちに、ぼくはだんだん落ち着かなくなっていった。しみじみとして優しい田舎のさまざまな音に囲まれているのだからのんびりできそうなものなのに、かえっていらいらしてくるのだった。生れたときから(おり)の中で育ったライオンかなにかがいきなり外に放たれてかえってうろたえるように、ぼくも時間の檻の中から急に外へ連れ出され戸惑っていたのだ。

 立ってみたり坐ってみたり、表へ出たり裏へまわったりしながら、夕餉の出来あがるのを待った。

 店の網戸を引く音がして、それと同時に蚊やりの匂いが家中に漂いだした。

「さあ、台所のお膳の前に坐って」

 祖母がぼくらに声をかけながら店の方へ歩いて行った。叔父にも食事を知らせに行ったのだろう。店と台所はぼくの歩幅にしてたっぷり三十歩は離れている。しかも店と台所との間には、茶の間に仏間に座敷に納戸(なんど)といくつも部屋があって台所から店を見通すことはできない。だから叔父は食事のときは一旦店を閉めなければならなかった。

 店を閉めるのに三分や四分はかかりそうだった。ぼくと弟は台所の囲炉裏の横の板の間に並べられた箱膳の前に坐って叔父のくるのを待っていた。蚊やりの匂いが(きつ)くなった。見ると囲炉裏に蚊やりがくべてある。

 すぐに祖母が戻ってきた。

「叔父さんを待たなくてもいいよ」

 祖母が茶碗に御飯をよそいだした。

「叔父さんは後でたべるっていっているから」

「どうかしたの?」

「どうもしないよ。店をいちいち閉めたり開けたりするのが面倒なんだろうねえ。それにいまはあんまりたべたくないそうだよ」

 お菜は冷し汁だった。凍豆腐(しみどうふ)や青豆や茄子などの澄し汁を常時穴倉に貯蔵してある氷で冷した食物で町の名物だった。

「おや、変な茶碗の持ち方だこと」

 しばらく弟の手許を見ていた祖母が言った。弟は茶碗を左手の親指、人さし指、中指の三本で摘むように持っていた。もっと詳しくいうと、親指の先と中指の先で茶碗を挾み、人さし指の先を茶碗の内側に引っかけて、内と外から茶碗を支えているわけである。

「それも孤児院流なんだ」

 忙しく口を動かしている弟に代ってぼくが説明した。

「孤児院では御飯茶碗もお汁茶碗も、それからお菜を盛る皿も、とにかく食器はみんな金物なんだ。だから熱い御飯やお汁を盛ると、食器も熱くなって持てなくなる。でも、弟のようにすればなんとか持てる。つまり生活の智恵……」

「どうして食器は金物なの」

「瀬戸物はこわれるからだよ」

 祖母はしばらく箸を宙に止めたまま、なにか考えていた。それから溜息をひとつついて、

「孤児院の先生方もご苦労さまだけど、子どもたちも大変だねえ」

 と漬物の小茄子を噛んだ。

「……ごちそうさま」

 弟がお(ひつ)を横目で睨みながら小声で箸を置いた。

「もうおしまい? お腹がいっぱいになったの」

 弟は黙ったままである。ぼくは時間の(たが)が外れたので面喰ったが、弟は孤児院の箍を外せないで困っているようだった。ぼくは弟に手本を示すつもりで大声で、おかわりと言い、茶碗を祖母に差し出した。弟は一度置いた箸をまた取って、小声で、ぼくもと言った。孤児院の飯は盛切りだった。弟はその流儀が祖母のところでも行われていると考えて一膳だけで箸を置いたのにちがいなかった。食事の後に西瓜が出た。そのときも弟は孤児院流を使った。どの一切が最も容積のある一切れか、一瞬のうちに見較べ判断しそれを手で掴むのがあそこでの流儀なのだ。

 弟の素早い手の動きを見ていた祖母が悲しそうな声で言った。

「ばっちゃのところは薬屋さんなんだよ。腹痛(はらいた)の薬は山ほどある。だからお腹の痛くなるほどたべてごらん」

 弟はその通りにした。そしてお腹が痛くなって仏間の隣りの座敷に横になった。祖母は弟に蚊帳をかぶせ、吊手を四隅の鉤に掛けていった。ぼくは蚊帳をひろげるのを手伝った。蚊帳の、ナフタリンと線香と蚊やりの混ったような匂いを嗅いだとき、ぼくは不意に、ああ、これは孤児院にない匂いだ、これが家庭の匂いだったのだな、と思った。思ったときから、夕方以来の妙にいらついていた気分が消え失せて、どこか知らないがおさまるべきところへ気持が無事におさまったという感じがした。

 前の川の河鹿の啼き声がふっと跡切れた。夜突(よづ)きに出ている子どもがいるらしい。(やす)で眠っている魚を突いて()るのだ。河鹿と申し合せでもしたように、すぐ後を引き継いでドドンコドンドコドンと太鼓の音が聞えてきた。途中のどこかで風の渡るところがあるのか、太鼓の音はときどき震えたり弱くなったりしていた。

 ぼくは座敷の隅の机の前にどっかりと坐ってトランクを縛っていた細紐をほどいた。持ってきた本を机に並べて、座敷を自分の部屋らしくしようと思ったのだ。

「そのトランクは死んだ父さんのだろう」

 祖母がトランクの横に坐った。

「よく憶えているんだなあ」

「わたしが買ってやったんだもの」

 祖母はトランクを指で撫でていた。

「死んだ父さんが東京の学校へ出かけて行ったときだから、三十年ぐらい前のことかしらね」

 トランクを撫でていた指を、祖母はこんどは折りはじめた。

「正しくは三十一年前だねえ」

「もうすぐお祭だね」

 ぼくは太鼓の聞えてくる方を指さした。

「あれは獅子舞いの太鼓だな」

「そう、あと七日でお祭」

「ぼくたち、祭まで居ていい?」

 ほんの僅かの間だが祖母は返事をためらっていた。

「駄目かな、やっぱり」

「いいよ」

 返事をためらったことを恥じているような強い口調だった。

「おまえたちはわたしの長男の子どもたちだもの、本当ならおまえがこの家を継ぐべきなのだよ。大威張りでいていいよ」

 この祖母の言葉で勇気がついて、当分言わないでおこうと思っていたあのことを口に出す決心が出た。

「ばっちゃ、お願いがあります」

 急にぼくが正坐したので祖母が愕いた眼をした。

「母が立ち直ってぼくと弟を引き取ることが出来るようになるまで、ぼくたちをここへ置いてください」

「……でも高校はどうするの」

「この町の農業高校でいいんだ。店の手伝いでもなんでもするから」

 祖母はぼくと弟をかわるがわる眺め、やがて膝に腕を乗せて前屈みになった。

「孤児院はいやなのかね、やはり」

「あそこに居るしかないと思えばちっともいやなところじゃないよ。先生もよくしてくれるし、学校へも行けるし、友だちもいるしね」

「そりゃそうだねぇ。文句言ったら罰が当るものねぇ」

「で、でも、他に行くあてが少しでもあったら一秒でも我慢できるようなところでもないんだ。ばっちゃ、考えといてください。お願いします」

 店で戸締りをする音がしはじめた。祖母はトランクの傍から腰を上げた。

「叔父さんの食事の支度をしなくっちゃ。今のおまえの話はよく考えておくよ」

 祖母が出て行った後、ぼくはしばらく机の前に、ぼんやり坐っていた。この話をいつ切り出そうかとじつはぼくは迷っていたのに、それが思いがけなくすらすらと口から出たので自分でも驚いてしまったのだ。気が軽くなって、ひとりで笑い出したくなった。ぼくはその場に仰向けに寝転んで、ひょっとしたらぼくと弟が長い間寝起きすることになるかもしれない部屋をぐるりと眺め廻した。そして何日ぐらいで、弟の孤児院流の茶碗の持ち方が直るだろうかと考えた。弟は蚊帳の中で規則正しい寝息を立てている……。ぼくは蚊帳の中に這っていって、出来るだけ大きく手足を伸ばして、あくびをした。

 縁側から小さな光がひとつ入ってきて、蚊帳の上に停った。それは蛍だった。

 

  行手(ゆくて)示す 明けの星

  船路(ふなじ)示す 愛の星

  空の彼方で 我等守る……

 

 孤児院で習った聖歌を呟いているうちに、光が暗くなって行き、ぼくは眠ってしまった。

 

 どれくらい()ってからかわからないが、叔父の声で目を覚ました。螢がまだ蚊帳の上で光っていたから、どっちにしてもそう長い間ではなかったことはたしかだった。

「……いいかい、母さん、おれは母さんが、親父が借金を残して死んだから学資が送れない、と言うから学校を中途で止してここへ戻ってきたんだ……」

 叔父の声は震えていた。

「店を継いでくれないと食べては行かれないと母さんが頼むから薬種業の試験を受けて店も継いだ。借金をどうにかしておくれと母さんが泣きつくから必死で働いている。これだけ言うことをきけば充分じゃないか。これ以上おれにどうしろというんだよ」

「大きな声を出さないでおくれ。あの子たちに聞えるよ」

「とにかく母さんの頼みはもう願いさげだよ」

 叔父の声がすこし低まった。

「今年の暮は裏の畑を手離さなくちゃ年が越せそうもないっていうのに、どうしてあの二人を引き取る余裕なんかあるんだ」

 祖父はだいぶ大きな借金を残したらしかった。それにしても裏の畑を手離すことになったら祖母の冷し汁の味もずいぶん落ちるにちがいないと思った。冷し汁に入れる野菜はもぎたてでないと美味しくないからだ。

「子ども二人の喰い扶持ぐらいどうにかなると思うんだけどねぇ」

「そんなことを言うんなら母さんが店をやるんだな。薬九層倍なんていうけど、この商売、どれだけ儲けが薄いか母さんだって知ってるはずだよ。とくにこんな田舎じゃ売れるのはマーキロか正露丸だ。母さんと二人で喰って行くのがかっつかつだぜ」

「でも、長い間とはいわない。あの子たちの母親が立ち直るまででいいんだから」

「それがじつは一番腹が立つんだ」

 叔父の声は前よりも高くなった。

「あの二人の母親は親父の、舅の葬式にも顔を出さなかったような冷血じゃないか。そりゃあの二人の母親は親父や母さんに苛められたかも知れない。でも相手がこの世から消えちまったんだ。それ以上恨んでもはじまらないだろ。線香の一本もあげにくればいいじゃないか。向うが親父を許さないのなら、そのことを今度はおれが許さない。おれはいやだよ。あの女の子どもの面倒など死んでも見ないよ」

「でもあの子たちはおまえの甥だろうが……」

 箱膳のひっくり返る音がした。

「そんなにいうんなら、なにもかも叩き売って借金を払い、余った金で母さんが養老院にでも入って、そこへあの二人を引き取ればいいんだ。おれはおれでひとりで勉強をやり直す」

 叔父の廊下を蹴る音が近づき、座敷の前を通ってその足音は店の二階へ消えた。叔父は赤松が目の前に見える、店の二階の一番端の部屋で寝起きしているのだろう。

 いまの話を弟が聞いていなければいいな、と思いながら、弟の様子を窺うと、彼は大きく目を見開いて天井を睨んでいた。

「……ぼくたちは孤児院に慣れてるけど、ばっちゃは養老院は初めてだよね」

 弟はぼそぼそと口を動かした。

「そんなら慣れてる方が孤児院に戻ったほうがいいよ」

「そうだな」

 とぼくも答えた。

「他に行くあてがないとわかれば、あそこはいいところなんだ」

 蚊帳に貼りついていた蛍はいつの間にか見えなくなっていた。つい今し方の叔父の荒い足音に驚いて逃げだしたのだろうとぼくは思った。

 ぼくはそれから朝方まで天井を眺めて過した。これからは祖母がきっと一番辛いだろう。「じつはそろそろ帰ってもらわなくちゃ……」といういやな言葉をいつ口に出したらいいかとそればかり考えていなくてはならないからだ。店の大時計が五時を打つのをしおに起き上って、ぼくは祖母あてに書き置きを記した。ごく簡単な文面だった。

「大事なことを忘れていました。今夜、ぼくら孤児院のハーモニカバンドは米軍キャンプで慰問演奏をしなくてはならないのです。そのために急いで出発することになりました。ばっちゃ、お元気で」

 書き置きを机の上にのせてから、ぼくは弟を揺り起した。

「これから孤児院に帰るんだ」

 弟は頷いた。

「ばっちゃや叔父さんが目を覚すとまずい。どんなことがあっても大声を出すなよ」

「いいよ」

 弟は小声で言って起き上った。

 ぼくらはトランクとボストンバッグを持って裏口から外へ出た。裏の畑にはもう朝日がかっと照りつけていた。足音を忍ばせて庭先へ廻った。

 ギーッ! ギーッ!

 と大きな声で蟬が鳴いている。あまり大きな声なので思わず足が停まった。蟬の声は赤松の幹のあたりでしていた。近づいて見ると、透明なハネを持った赤褐色の大蟬だった。幹に頭を下に向けてしがみついている。

「でかいなあ」

 弟が嘆声をあげた。

「あんなにでかいのは油蟬かな。ちがう、熊蟬だ……」

「大きな声を出すんじゃない」

 ぼくは唇に右の人さし指を当ててみせて、

「それからあいつは油蟬でも熊蟬でもないぜ」

「じゃなに?」

「エゾ蟬。とんまな蟬さ」

「とんま? どうして?」

「いきなり大声を出すとびっくりして飛び出す。そこまではいいけど、さかさにとまっているから、地面に衝突してしまうんだ」

「……それで?」

「脳震盪(しんとう)を起して気絶しているところを捕える。それだけのことさ。ぼくなんか前にずいぶん捕えたな。おまえにもずいぶん呉れてやったじゃないか」

「憶えてないや」

「たいてい山の松林にいるんだけどね、あいつ珍しく山から降りてきたんだぜ」

 弟は、ボストンバッグを地面に置いた。

「よし、捕えちゃおう。大きな声をあげればいいんだね?」

 そうさ、と頷きかけて、ぼくは慌てて弟の口を手で塞いだ。

「ばっちゃや叔父さんが目を覚しちまう」

 弟はなにかもごもごと口を動かした。きっと不平を言っているのにちがいなかった。そこでぼくは弟の耳に口を寄せて囁いた。

「たしか今度の日曜日に、市の昆虫採集同好会とかいうところの小父さんたちが孤児院に慰問に来ることになってたろう。あの小父さんたちがきっとこのとんまな蟬のいるところへ連れてってくれると思うよ。だからこいつは見逃してやろう」

 弟がかすかにうんと首を振ったのでぼくは彼の口から手を離した。それからぼくらはエゾ蟬の鳴き声にせきたてられるようにして通用門の方へ歩いて行った。

――昭和四十八年八月――

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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井上 ひさし

イノウエ ヒサシ
いのうえ ひさし 小説家・劇作家 1934・11・17~2010・4・9 山形県に生まれる。第14代日本ペンクラブ会長 直木賞受賞。

掲載作は、1973(昭和48)年9月「別冊文藝春秋」初出。