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自分は見た(抄)

  創作家の喜び

 

見えて来る時の喜び

それを知ら無い奴は創作家では無い

平常は生きてゐても、本当ではない

自分の内のものが生きる喜びだ。

自分の内の自然、或は人類が生きる喜びだ。

創作家は、その喜びの使ひだ。

 

  初めて子供を

 

初めて子供を

草原で地の上に下ろして立たした時

子供は下(ばか)り向いて、

立つたり、しやがんだりして

一歩も動かず

笑つて笑つて笑ひぬいた、

恐さうに立つては嬉しくなり、そうつとしやがんで笑ひ

その可笑しかつた事

自分と子供は顔を見合はしては笑つた。

可笑しな奴と自分はあたりを見廻して笑ふと

子供はそつとしやがんで笑ひ

いつまでもいつまでも一つ所で

悠々と立つたりしやがんだり

小さな身をふるはして

喜んで居た。

 

  白鳥の悲しみ

 

美しく晴れた日、

動物園の雑鳥の大きな金網の中へ

園丁が忍び入り、

白鳥の大きな白い玉子を二つ奪つて戸口から出ようとする時

気がついた白鳥の母は細長い首を延して朱色の嘴で

園丁の黒い靴をねらつてついて行つた。

卑しい園丁は玉子を洋服のポケツトに入れて

どんどん行つてしまつた。

白鳥の母は玉子の置いてあつた木の堂へ黙つて引返へし

それから入口に出て来て立止つて悲しい声で鳴いた。

二三羽の白鳥がそれの側へ首を延ばして近寄り

彼女をとりまいて慰めた。

白鳥の母は悲しく大きな声で二つ三つ泣いた。

大粒な涙がこぼれる様に

滑らかな純白な張り切つた圓い胸は

内部から一杯に揺れ動き、

血が溢れ出はしまいかと思はれる程

動悸を打つて悶えるのが外からありあり見えた。

啼かなくなつてもその胸は痙攣を起して居た。

その悲しみは深くその失望は長くつゞいた。

(しか)しやがて白鳥の母は水の中へ躍り込んだ。

()うして涙を洗ふやうに、悲しみを紛らすやうに

その純白の胸も首も水の中へひたし、水煙をあげて悶えた。

然しそれはとり乱したやうには見えなかつた。

然うして晴々した日の中で悲しみを空に発散した。

 

その単純な悲しみは美くしく痛切で偉大な感じがした。

その滑かな純白の胸のふくらみのゆれ動くのは実に立派であつた。

まことにあんな美くしいものを見た事はない気がした。

威厳のある感じがした。

金網の周囲には多くの女や吾れ吾れが立つて見てゐた。

自分達は均しく感動した。

自分はその悲しみを見るのが白鳥にすまない気がした。

吾々の誤つてゐる事を卑しめられた

白鳥に知らしてやれないのを悲しく思つた。

自分はその悲しみを早く忘れてくれるやうに願つた。

 

 自分は見た

 

自分は見た。

朝の美くしい巣鴨通りの雑踏の中で

都会から田舎へ帰る肥車(こえぐるま)

三四台続いて静かに音も無く(とほ)り過ぎるのを

同じ姿勢、同じ歩調、同じ間隔をもつて

同じ方向に同じ目的に急ぐのを

自分がぴつたり立止つてその過ぎ行くのを見た時

同じ姿勢で、ぴつたりとまつたやうに見えた。

小さく、小さく、町の隅、此世の隅に形づけられて。

自分はそれから眼を離した時、

自分の側を過ぎ行く人、

左へ右へ急ぐ人が皆んな

同じ方則に支配されて居るのを感じた。

彼等は美くしく整然と一糸乱れ無い他界の者のやうに見えた。

人形のやうに見えた。

 

自分は見た

夜の更けた電車の中に

偶然乗り合はした人々が

おとなしく整然と相向つて並んで居た。

窓の外は真暗で

電車の中は火の燃えるかと思ふ迄明るかつた。

自分は一つの目的、一つの正しい法則が

此世を支配して居るやうに思ふ

人は皆んな美くしく人形のやうに

他界の力で支配されて居るのだ。

狂ひは無いのだ。つくられたまゝの気がする。

一つの目的、一つの正しい法則があるのだと思ふ。

自分はその力で働くのだ。

 

  自分は見た

 

自分は見た。

とある場末の貧しき往来に平行した下駄屋の店で

夫は仕事場の木屑の中に坐り

妻は赤子を抱いて座敷に通るあがりかまちに腰をかけ

老いたる父は板の間に立ち

(なべ)ての人は運動を停止し

同じ思ひに顔を曇らせ茫然として眼を見合してゐるのを

その顔に現はれた深い痛苦、

中央にありて思案に(むせ)ぶ如き痛ましき妻の顔

妻を頼りに思ふ如く片手に削りかけの下駄をもちて

その顔を仰いだる弱々しき夫の顔、

二人を見下ろして老いの愛情に輝く父の顔

無心に母の乳に食ひつく赤児の顔

その暗き茫然として自失したる如き光景を自分は忘れない。

それを思ふ度びに涙が出て来る。

何事のありしかは知らず

されど自分は未だかゝる痛苦に迫つた顔を見し事なし

かゝる暗き光景を見し事なし

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/09/30

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千家 元麿

センケ モトマロ
せんけ もとまろ 詩人 1888・6・8~1948・3・14 東京麹町に生まれる。武者小路実篤ら白樺派の影響下に詩作をはじめ、1918(大正7)年玄文社刊の処女詩集『自分は見た』に平明で自在な口語詩風を確立、以降の活躍で白樺派文学の一極致を成した。

掲載作は『自分は見た』の抄録である。

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