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月島慕情

 親から貰ったミノという名は、好きではなかった。

 明治二十六年の巳年の生れだからミノと名付けられた。ふるさとの村には同い年のミノが何人もいたが、一回り上にも大勢いたはずの同じ名前の娘たちは、ミノが物心ついたときにはみな姿を消していた。ひとつ年上のタツも、ふたつ年上のウノの場合もそれは同様だから、世代を超えた同じ名の娘はいなかった。

 雪がとけるころ何人もの人買いがやってきて、小学校をおえた娘たちを連れてゆくのだった。

 行先のほとんどは上州か諏訪の製糸工場だったが、とりわけ器量の良い娘は東京へと買われた。そういう娘は値がちがうから、果報だと噂された。

 人買いがやってくると、同い年の娘たちは村役場に集められ、素裸にされて体を(あらた)められた。男より何年も早い徴兵検査のようなものだった。だから買われる先が東京だと知ったとき、ミノは嬉しくてならなかった。兵隊でいうなら甲種合格のような果報者だと思った。いや、工場に買われてゆく仲間たちとはちがい、毎日おいしいものを腹いっぱい食べ、きれいな着物を着て暮らせるというのだから、将校になるようなものだろうと思った。

 生れ育った家を去るとき、父は野良に出ており、母は蚕屋にこもったままだった。人買いにせかされながら、ミノは弟たちの頭を撫で、まだ藁床に寝たままの妹に頬ずりをした。

 そのときふと思ったのだ。ミノという名前は、牛や馬のそれと同じなのだろうと。

 六年の下働きの間はずっとミノと呼ばれた。掃除や洗濯ばかりをしているときならまだしも、いくらか齢が行って稽古事を始めたり、とりわけ太夫のかたわらでちんまりと座る禿(かむろ)になると、ミノという名を呼ばれるのはたまらなかった。

生駒(いこま)」は吉原亀清楼(きせいろう)に元禄の昔から伝えられる源氏名だった。

 その名を楼主から授かったとき、ミノは有難さに涙をこぼした。やっと牛や馬ではない人間になれたような気がしたからだった。

 (かぞ)え十七の齢を二十歳(はたち)と偽ってミノが初見世に出たのは、明治四十二年の春の吉日だった。

 

 午前二時の大引けを報せる()が鳴ると、廓の灯はいっせいに消える。

 時間の客を送り出し、部屋に戻って化粧を解いているところに、禿が廊下からミノを呼んだ。

 楼主に(とが)められるような粗忽はしていないと思う。裲襠(うちかけ)を羽織って廊下に出ると、四畳半の襖のあちこちから、床入りの気配が聞こえていた。

 明治四十四年の大火で丸焼けになったあと、亀清楼は三階建の石造りに生れ変わった。しかし内装は昔と変わらぬ、金銀朱黒の廓構えである。中庭をめぐって曇り硝子の常夜灯がともるさまは、舷灯をつらねた外国航路の客船のようだった。

 ミノは豪華だが冷ややかな、この大籬(おおまがき)の構えがあまり好きではなかった。禿の時分に親しんだ古い木造りの廓が、今さら懐かしくてならない。

 緋色の羅紗を敷いた梯子段を降りると広い引き付けで、楼主一家が住まうご内証(ないしょう)はその奥にあった。

「一の酉から火鉢に手焙りなんぞして、じじむさいったらありゃしない」

 ミノの声に顔をもたげて、楼主は苦笑した。どうやら咎めごとではないらしい。

「あいにく風邪っぴきでな。それに、じじむさいんじゃあなくって、本物のじじいだよ」

 たしかにおかみさんに先立たれてから、楼主は急に老いた。このごろでは叱言さえ少なくなったような気がする。

「そういう太夫はいくつにおなりだい」

「大引けのあとに人を呼んどいて、いきなり何を言うかと思や――」

 ミノは火鉢の向こう前に座って茶を()れた。初顔の客には二十六で通しているが、その齢はかれこれ五年も止まったままだった。

「三十の坂を越えたって、生駒太夫は金看板の御職(おしょく)でござりんす。わちきにかわって華魁(おいらん)道中を務める太夫がいるんなら、連れてきておくんなまし」

 お道化た廓言葉でミノは答えた。ミノが亀清楼に買われてきたころの太夫は、みな江戸以来の廓言葉を話していたものだったが、大正の今では、そんなものは酒席の声色か華魁道中の口上に使われるばかりである。

 ひとしきり笑ったあとで、楼主は中分けに撫でつけた白髪頭を煙管で叩きながら言った。

「そうかい。三十を越えちまったのか。だとすると太夫は果報者だの」

 湯呑を掌にくるみこんだまま、ミノは楼主の顔色を窺った。どういう意味なのだろうか。

「茶化すのもたいがいにしておくんなさい。怒りますよ」

 妙な予感がした。今さらそんなことはあるはずもないとは思っても、思うそばから胸が高鳴った。

「二度あることは三度あるとかいうが、太夫は三度目の正直てえことになる」

 気を鎮めようと、ミノは熱い茶を啜った。楼主の言葉をいきなり問い質す勇気はなかった。

 一度目の身請け話は、初見世から二年も経たぬころだった。

 相方(あいかた)は横浜の貿易商で、妾話としても玉の輿にはちがいなかったのだが、まとまらぬうちに吉原の大火に見舞われ、話までもが立ち消えになってしまった。

 二度目の相方は大戦景気で大儲けをした海運業者だった。沖仲仕から成り上がって、船大尽と呼ばれるほどに出世した男だったが、大正九年の大暴落(ガラ)で身上をつぶし、お女郎の身請けどころではなくなった。ミノが算えの二十八のときだった。

 いかに楼中第一等の御職太夫とはいえ、貫禄に物を言わせた揚代の番付にすぎない。三十を過ぎた年増女郎に、このさき身請け話などあるはずはなかった。

「おとうさん、そいつは本当(マブ)ですか」

 きっかりと目を据えて、ミノは楼主に訊ねた。

「こんなことが冗談で言えるもんかね」

「で、どなたさんなんです」

 なじみの客の誰からも、そんな話は聞いていなかった。

「おや、太夫にァ思い当たるふしがねえのかい。なるほどなあ、敵娼(あいかた)はおくびにも出さず、いきなりご内証にいらして、生駒太夫を引かしておくんなさいとは、いかにもあの人らしい。てえしたいなせっぷりだの」

 楼主の物言いで、たちまち相手は知れた。夢ではなかろうかと、ミノはご内証の壁や天井や神棚を見回した。それから湯呑を吹きさまして、一息に茶を(あお)った。

 年寄りのお大尽ばかりのなじみ客の中にあって、いなせな男というなら時次郎しか考えつかなかった。

「それはもしや、駒形の――」

「おうよ。駒形一家の平松さんだ。三度目の正直も正直。果報も果報。よかったな、太夫」

「でも、時さんに私を引くようなお足は」

 あるはずはないと言いかけて、ミノは口を(つぐ)んだ。そんな言いぐさはいくら何でも失敬だと思った。

 借金はまだ二千円に余る。それは郊外に立派な二階家が建つほどの大金だった。四十まで身を粉にして、それでも返しきれぬのならば、太夫の名を返上して借金ぐるみ洲崎の安店か玉の井の私娼窟に売り飛ばされる。その奈落への道程に助け舟を出してくれるのならば、相方が誰であろうと文句はない。

 しんそこ惚れた男に身請けされるなどという話が、芝居小屋の外にあるものだろうか。嫌な客にも惚れたと言うのは女郎の常だが、時次郎に向けた言葉にだけは嘘はなかった。

 そう口にすることが嬉しくてならず、ミノは時次郎の耳元に、活動写真の外国女優のような愛の言葉を並べ続けた。

「銭なら駒形のお貸元が用立てて下さるんだそうだ。平松さんは身内千人といわれる駒形一家の中でも、常盆(じょうぼん)の壷を振るほどの達者な中盆さ。いずれ深川か月島あたりのシマを預るか、へたをすりゃ駒形の跡目にだって立つかもしれねえ若い()だよ。それも妾なんかじゃねえおかみさんに、ってえんだから、この上の玉の輿なんざ考えもつかねえだろう」

 体の震えは引き付けから吹いてくるすきま風のせいではなかった。生駒太夫は亀清楼の御職なのだから、どんなときでも平気のへいざでいなければならないと思うそばから、ミノの背は丸くしおたれた。

 時次郎は無口な男だった。背中には派手な彫物のかわりに、南無妙法蓮華経という一行のお題目が書かれていて、渡世の二ツ名を「題目の時」と呼ばれていた。

 いちどその彫物の由縁を訊ねたことがあったが、ひどく悲しい顔をしただけで答えてはくれなかった。そのかわり、言うにつくせぬ(ごう)を呪うように、荒々しい力でミノを抱いた。

「太夫がいくつか齢に鯖を読んでるってことは伝えておいた。平松さんのほうが二つ三つは下だろうし、のちのち悶着の種になっても何だと思ってな」

 ミノはひやりと身をすくめた。

「それで、時さんは」

「べつだん驚きゃしなかったな。ああ、さいですかって、いつもと(おんな)し面白くもおかしくもねえ顔をしていなすったよ。きょうびの若い者に、あれほど肚の据わった男はまずいねえなあ」

 楼主はけっしてお愛想を言っているわけではなかった。時次郎は前髪をいくらか立てて刈り上げた頭のてっぺんから、足袋の足裏のふしぎなくらい真白な爪先まで、筋金入りの侠客だった。酒を飲むときでも軒端の月を眺めるときでも、いつも尻の穴から芯棒でも通したように背筋を伸ばしていた。金で買った敵娼を生駒と呼び捨てにはせず、床の中ですら敬意をこめて、太夫と呼んでくれた。

 時次郎を多少なりとも知って、惚れぬ女はいないと思う。そんな男が、一言も口に出さずに身請けの覚悟を決めていてくれたのだから、思いもよらぬ上に身に余る果報というほかなかった。

「ところで、こんな大引けの後に太夫を呼びつけたのにァわけがある。まあ聞きない」

 楼主は煙管に火を入れ、さんざミノの気を持たせてから言った。

「ついさっき、平松さんがおいでになって、手金の百円を置いていきなすった。証文に判はついちゃいねえが、手金を受け取ったからにァこのさき太夫に客を取らせるわけにァいくめえ」

 はい、とミノは肯いた。そして、十七の齢から盆も正月もなく続いた女郎稼業が、突然終わってしまったことを知った。

「今晩は夜通しの一の酉での。平松さんは鳥越(とりごえ)の市で太夫を待っておいでになる。表に(くるま)を待たしてあるから、一ッ走り行っといで」

 楼主は札入れから一円札を何枚か選り出すと、ミノの手に握らせた。

 

 いつだったか、太夫は素顔がいいと時次郎が言っていたのを思い出して、唇に浅い色の紅だけを引いた。

 着るものにはずいぶん迷った末、木綿の白いシャツに紺色のセーターを着合わせて、(ひだ)のスカートをはいた。髪もうなじで束ねた。厚い毛の襟巻を巻くと、いかにも堅気の許婚(いいなずけ)らしい女ができ上がった。これなら時さんより齢下に見えると、ミノは鏡の中で得心した。

 顔見知りの俥夫は玄関に出てきたミノを、梶棒に腰を預けたままあんぐりと見つめた。

「あれえ、誰かと思や生駒太夫じゃござんせんか。湯屋(ゆうや)にでも出かけるようななりですねえ」

 女が大門を出るときには、必ず付け馬の牛太郎(ぎゅうたろう)が伴をするものだが、姿は見えなかった。

「それじゃあ、行かしていただきます」

 ミノはご内証の灯りに向かって言った。はいよ、と楼主の気の抜けた声が返ってきた。

「幌は開けておくれな」

「へえ。風が(さぶ)いですけど」

 いくらか痩せた上弦の月が、西空に傾いていた。角海老(かどえび)楼の大時計は真夜中の三時をさしていた。

「鳥越神社までやっとくれ」

 大門を抜けて日本堤を右に折れ、隅田川ぞいに電車通りを下れば、鳥越までわけはない。

 梶棒が上がって俥が動き出す。頬をなぶる夜風を、ミノは胸いっぱいに吸いこんだ。二十年ぶりに吸う自由の風だった。信州の里にも、こんなにおいしい風はなかったと思った。

 いまだに信じられないけれども、疑いようはあるまい。人買いに連れられて大門を潜ってから、ずっと夢に見続けてきた自由が、あっけなく手に入ったのだった。

 大門のとっつきの土居自動車の前に、上客の送迎をおえたフォードが並んでいる。禿頭の社長がミノに気付いて呼び止めた。

「何だい生駒さん。伴も連れずに大門を乗り打ちするつもりかい」

 まさか俥で堂々と足抜けするわけではあるまいと、社長は肥えた首をかしげた。

「私、お嫁さんに行くの」

 フォードを洗っていた運転手たちは、いっせいにエエッと声を上げて振り返った。

「手金を入れていただいたからね、もうお伴はいらないんだって」

 大門のきわで、夜番の牛太郎が提灯を振った。楼主から話は通じているらしい。

「そうかい。そいつはめでてえや。出て行くときはフォードかパッカードで送らせてもらうよ」

「ありがとう。約束よ、おじさん」

「ああ、約束だ。そうかね、へえ、生駒太夫が身請けたァ知らなかった」

 苦界にはちがいないけれど、吉原はミノのふるさとだった。生れ故郷を捨てたときには泣いたが、ここを去るときには笑って出て行こう。

 

 真夜中にもかかわらず、電車通りには大小の熊手を担いだ人々が行き交っていた。

 幌を開いた星空に、吉原での思い出が映し出された。太夫としての出世は誰よりも早かった。十七の水揚げをおえると、またたくうちに三番太夫の(かみ)を張った。三十人に余る亀清楼のお女郎の中で三番を張るのは、引きも切らさずに上客がついたからだった。そのかわり、ずいぶんいじめられもした。

 二十三で二番太夫となり、金看板の御職に押し上げられたのは二十六の齢だった。そしてそのときから、問われて答える年齢を止めた。三越が仕立てた絢爛(けんらん)たる大裲襠を着て、華魁道中の太夫を務めるようになったのもそのころのことだった。

 しかしふしぎなことに、一夜の揚代が三十円という途方もない値にはね上がったにもかかわらず、借金はいっこうに減らなかった。三十円の揚代は大学を出た会社員の初任給にも匹敵するほどの金だった。

 御職を張るためには、上客の敵娼としてふさわしい見栄も張らねばならないからだった。豪華な裲襠も真綿の蒲団も、外出をするときのモダンな洋服も、毎日通わねばならぬ髪結代も、御職太夫の栄光にまつろうすべての贅沢は、借金の上に積み上げられていった。要するに出世を果たしたお女郎は、身請け話がまとまるまで、飼い殺されているほかはないのだった。

 そう思えば、三十を過ぎて天から降り落ちてきたような身請け話は、強運というほかはない。

 惚れた男に添うことよりも、その運の強さが嬉しくて、ミノは俥夫が怪しむほどの大声をあげて笑った。

「急いでおくれよ。駄賃ははずむからさ」

 俥夫の草履が闇に(ひるがえ)る。俥は夜風を切り裂いて、奇蹟の幸せに続く電車道を、まっしぐらにつっ走った。

 笑いながらふとミノは、おのれのうちに年増女郎のしたたかさを感じた。

 人の情けに涙することはないのに、おのれの強運は手放しで嬉しい。こらえようにも、笑い声は反吐(へど)のように腹の底からこみ上げた。

 とうとう思いもせぬ声が出た。

「ざまァみやがれってんだ!」

 吹きすぎる夜風に晒されて、大裲襠のように太夫の身を(よろ)っていた体面の殻が、ようやく割れたのだった。

「どいつもこいつも、寄ってたかって人をおもちゃにしァがって。ざまァみやがれ!」

 ミノは振り返る舗道の通行人に唾を吐いた。

 恋しいどころか呪わしい親の顔は、思い出そうにもとうに忘れた。いちいち善人ぶった楼主の顔。守銭奴としか思えなかったおかみさん。出世を(ねた)んでいじめの限りをつくした女郎たち。そして、夜ごと体を(もてあそ)んだ数知れぬ男ども。

 とりわけ悪魔のようなひとりの男の顔を、ミノはありありと思いうかべた。

 それは深川のお不動様のきわに住む、卯吉という腕利きの女衒(ぜげん)だ。信州の里でミノを買い、亀清楼に売り飛ばす前の晩に、幼い体を犯した。

 このことを口にすれァ、おめえの里にくれてやった銭ァ水になると思え。いいな、ミノ――。

 そんな(らち)もない話があるはずはないのだが、世の中の右も左もわからぬ娘は呪縛された。

 なあに、水揚げまでにはまだ五、六年もあろうがい。こんなもん、傷をつけたうちにもへえらね――。

 男に組み敷かれたとき、長屋の裏路地の向こうにお不動様の屋根が見えた。(あらが)うこともかなわぬ小さな掌を合わせて、そのときミノは不動明王に念じたのだった。もうこれ以上、怖い目に遭わさないで下さい、と。

 卯吉の顔を思いうかべれば、さすがに笑い声も詰まった。いまだに吉原の町なかで行き合うと、卯吉は親しげに声をかけてくる。恨みこそあれ何の義理もないから、むろんミノはそっぽうを向く。

「ざまあみやがれってんだ……」

 いまわしい記憶を罵るように、ミノは呟いた。

 もしかしたらこの幸せは、あのときに念じたお不動様の功徳かもしれない。それにしてはずいぶんと日がたってしまったけれど。

 深川のお不動様と相生橋(あいおいばし)を隔てた向こう岸は、時次郎の住む月島だった。

 こんな女に命がけの大金をはたいてくれる男がこの世にいるということよりも、二十年がかりのお不動様の功徳のほうが、ミノにはまだしも信じられた。

 厩橋の十文字を過ぎ、御蔵前を右に折れると、木立ちの中にアーク灯の白い光が盛り上がった。酉の市の喧躁が伝ってきた。あの耀(かがよ)いのどこかに、時次郎がいる。

 足を緩めて歩き出した俥夫の背に向かってミノは訊ねた。

「ねえ俥屋さん。お不動さんのお題目は、南無妙法蓮華経かい」

 思いも寄らぬことをいきなり訊かれて、俥夫は梶棒を下ろしながら少し考えた。

「さあて、そうじゃあありますめえ。お不動さんの御真言なら、南無遍照金剛でござんしょう」

 丁の目にありったけの駒を張ったものが、半の目に出てしまったようないやな気がした。

 

 鳥越神社の境内には、熊手を(ひさ)ぐ小屋が所狭しと(ひしめ)いていた。

 裸電球とアーク灯の光が()ぜかえるそれぞれの店先に、縁起物の値を達引(たてひき)する威勢のいい声が響く。客はまけろと言い、売り手は勘弁せえと言い返し、ようやく折り合ったところで見物客もろともに手を締める。

「混み合っております。懐中物にはご用心」

 揃いの半纏を着た的屋(てきや)の若い衆があちこちで声をかけていた。こういう役目を巡査がしないのも、東京の習慣だった。庶民の祭に制服姿がしゃしゃり出ては不粋だということなのだろう。

 いちど吉原の華魁道中を、日本堤署の若い巡査が覗きにきて、牛太郎に叩き出されたことがあった。そのときは巡査が大怪我をしたとかで公務妨害がどうのという悶着になったのだが、町衆は一歩も譲らずに、結局は署長と頭を丸めた(くだん)の巡査が廓を一軒ずつ回って詫びを入れた。

 ミノはそうした東京の気風が大好きだった。しかし二十年も東京に住まっているとはいえ、その間はずっとおはぐろどぶの内側に囲われていたのだから、まさか江戸ッ子とは言えまい。

 ミノは行きかう人々の顔を見つめた。

 これからこの人たちに混じって、下衆(げす)だの不粋だのと蔭口を叩かれぬよう、江戸前の暮らしになじんでいくことができるだろうか。

 時次郎は社殿のかたわらで立話をしていた。話の相手は立派な(つむぎ)を着た大貫禄で、きっとどこぞのお貸元か的屋の親分にちがいなかった。

 堅気の許婚のようななりの自分を、時次郎に見つけてほしくて、ミノは人混みの中に立ち止まった。

 時さん、とミノは胸の中で呼んだ。声には出さなくても、その名を十ぺんも唱えただけで、乳のあたりがかっと熱くなった。

 身丈は五尺の上はあると思う。小柄なミノとは頭ひとつもちがった。

 何かの拍子に座敷で並んで立ったとき、太夫はあんがい小せえんだな、と驚いていた。

 背筋をぴんと伸ばして身丈を大きく見せるのは華魁の習い性だった。これからはいくらか背を丸めて、目立たぬようにしなければならないとミノは思った。

 時次郎はホームスパンの三ツ揃いの背広を着て、形の良い鍔広(つばひろ)のソフトを冠っていた。博徒らしい着流しも好きだが、まるで銀行員のような洋服姿も、ミノは大好きだった。

 着物の仕立ては広小路の松坂屋、洋服は日本橋の三越で調えると決めているそうだ。この人と銀座を歩くときは、よほどの身なりをしないと釣り合わない。

 人並みに自由な買物こそできないが、幸いしばしば上客に借り出されて、高価な着物や洋服を贈られているミノは衣裳持ちだつた。買って貰うばかりで着る機会のないそれらにも、ようやく出番がやってくる。

「時さん」

 いっこうに気付く様子のない時次郎に向かって、ミノは手を振った。

 時次郎は目を射るアーク灯に眉庇(まゆびさし)をかざして声の主を探した。

「ここよ、時さん」

 白い歯を見せて、時次郎はにっこりと笑い返してくれた。

 どうしてだろう。時さんの笑顔を、初めて見たような気がする。

「なんでえ太夫、そのなりは。わからなかったぜ」

 ポケットに手を入れて、少しはにかみながら時次郎は歩み寄った。

「おかしい?」

「いんや。ランデヴーみてえでいいや。お伴はいねえのかい」

 ミノは力いっぱい顎を振った。厄介な付け馬がいないのは、時次郎とランデヴーをするのと同じくらい嬉しいことだった。もちろんそのどちらも、夢のようだけれど。

「待った?」

「待つにァ待ったがの」

 時さんは言葉が足らない。だがミノには、時次郎の言いきらぬことがよくわかる。待つにァ待ったが、俺ァ挨拶せにゃならねえ人が大勢いるから退屈はしなかったぜ――まあ、そんなところだろう。

「いやな、俺っちの熊手を買わにゃならねえと思ってよ」

 いなせな男だと思う。改った感謝の言葉を時次郎は聞きたくないのだ。

 俺達の熊手。あくる年の幸せを掻きこむ縁起物。時次郎はミノと所帯を持つ覚悟を、そんなふうに口にしてくれたのだった。

 やっぱり夢ではないのだとミノは思った。南無妙法蓮華経も南無遍照金剛も、そんなことはどうでもいい。心の底から惚れた男が、自分を迎えにきてくれた。

 ミノはたまらずに時次郎の腕を掴むと、他目(はため)に触れぬ社殿の脇に引きこんだ。

 この人のいやがることを言うのはよそう。ありがとうは言わない。

「いつまで待てばいいの?」

 時次郎は、それだけはいかにも博徒らしい朝日を取り出して、喫い口を奥歯に噛みしめた。マッチの火が彫刻めいた横顔を染める。

「そうさな。二の酉までとは言えねえが、三の酉までにはどうにか格好をつける」

 暦は知らない。だがお酉様はそう間を置かないから、十一月の月のうちか、遅くとも十二月のかかりだろうとミノは思った。だとすると、ほんのひとつき足らずの辛抱だ。

「まちがったって客はとるなよ」

 はい、とミノは答えた。ひとりの男のものになったのだと思った。

「所帯は、どこに?」

「周旋屋に頼んである。俺ァ生れも育ちも月島だから、離れたかねえんだ。親分から月島の盆も預ってるしの」

「時さんは、月島の親分になるんだね」

「さあな。そいつァお貸元の決めるこった。だがそう思やこそ、月島を離れるわけにゃいかねえのさ」

 相生橋の向こうにあるという月島を、ミノは知らなかった。美しい名だと思う。東京湾のただなかにぽっかりと浮かぶその美しい島で、この人と生きてゆくのだとミノは思った。

 思ったとたん、ばね仕掛けの人間のように体が跳ねて、時次郎の胸にしがみついていた。そうでもしなければ、時さんも熊手も月島も、みんな消えてなくなりそうな気がした。

「よせやい、太夫」

 ありがとうを百万遍言うかわりに、ミノは時次郎のネクタイを前歯でかじった。

「この話が水になったら、あたしァ、死んじまう」

 ひどい言い方だが、それがミノの本音だった。

 堅気の女はこんなことするはずがあるまい。だがミノは、獣のように時次郎に食らいついた。

 本音を洩らしてしまったからには、心の中を洗いざらい言うほかはなかった。

「汚れちまってる。ありがとうが言えないんだ。嬉しくたって涙も出やしない」

「聞きたかねえ。やめとけ」

「今まで、男に惚れたことなんてなかった。ほんとだよ。惚れたのは時さんひとりだ。だから堪忍して」

「やめとけって。人が見てるぜ」

 堪忍してほしいと思った。体が(けが)れている分だけ、心も汚れているのだ。肚の中は打算ばかりで、時次郎の幸せなどこれっぽっちも考えてはいなかった。自分の夢は惚れた男に添うことではなく、苦界から這い出ることなのだった。

 しんそこ惚れているのはたしかだ。だがそのことが、打算の免罪符になるかというと、それとこれとは別の話の気がしてならなかった。惚れてもいない男の妾に引かれるのならば、悩みごとは何もなかった。

 身請けしてくれと頼んだ覚えはない。しかし逢瀬のたびにくどくどと愛の呪文を並べつらねて、とうとうこの人を押し倒してしまった。

「太夫。おめえさん、何か了簡ちげえをしてやしねえか」

 やさしく(つよ)い声で、時次郎はミノを叱ってくれた。

「俺ァ、惚れた腫れたを口にするほど野暮天じゃあねえ。言わねえからって、妙な勘ちげえをするな」

 ばかやろうが、と微笑みかけながら、時次郎はミノの顔を抱き起こした。

 腕を組んで、境内を歩いた。銀座の町なかにはこんなことをする男と女はいるが、下町では見かけない。知り合いにひやかされても、時次郎はミノの手をふりほどこうとはしなかった。

 ひときわ華やかな小屋の前で時次郎は立ち止まった。

「いらっしゃいまし、題目の時兄ィじゃござんせんか。ランデヴーたァお安くねえが、どっこい熊手は安くしときますぜ」

 青竹組みに葭簀(よしず)がけの小屋には緋毛氈を敷いた雛段がしつらえられ、華やかに飾られた大小の熊手に埋もれるようにして、法被(はっぴ)姿の親方が座っていた。

「一段高えところからご免なさいよ。へい、どれにしときましょう」

 ()れ潰れたなりによく通る江戸前の声で、親方はもういちど呼んだ。

「そうさな。よし、その右っかしの、おかめとひょっとこに(まとい)のおっ立ったやつ」

 時次郎が指さしたものは、女の肩にも担げるほどの中ぶりの熊手だった。

「もうちょいと大っきいほうが良かないかい」

 と、ミノは文句を言った。

「熊手は年々でっかくせにゃならねえ。あれぐらいから始めようぜ」

 これから毎年、年の瀬にはこうして酉の市を二人で訪ねるのだろうか。時次郎の言葉のいちいちに、ミノは心臓をつままれる思いだった。

「はい、ようござんしょう。おかめひょっとこ金銀小判、夫婦円満、商売繁盛、ガキも産まれりゃ蔵も建つてえ代物だ。三円と五十銭!」

 親方は熊手の柄を首に挟んで両手を突き出し、三と五の数を指で示した。

「高え、高え。店はいくらでもあるんだぜ」

「そんなら、よし、三円と四十!」

 値の掛け引きが始まると、野次馬が小屋の周りに集まってきた。酉の市の楽しみは、もともと値などあってない熊手をめぐって、客と売り手が粋な意地の張り合いをすることだった。

 この人はどんないなせっぷりを見せてくれるんだろうと、ミノの胸は高鳴った。

 背中で囁く声がする。

「へえ……あれァ駒形一家の中盆じゃねえか」

「ああ、ほんとだ。題目の時ってえ、若えが盆の良く見える……」

「こいつァ見ものだぜ。稼業ちげえたァ言え、的屋の高市(たかまち)で安目は売れめえ」

「それにしちゃあ熊手が小せえがの……」

 時次郎はソフトの庇をつまみ上げると、ミノの手からすり抜けて(しゃ)に構えた。

「四十銭だとォ。四の五のとみみっちい下げ方はするない。さあ、もう一声」

「よっしゃ、なら、三円でどうでえ。こっちこそ四の五のは言わせねえ!」

「もう一声!」

「二円と五十銭!」

「二円にしとけ。きりのいいところで貰ってく」

 三円と五十銭の熊手は、あっという間に二円に下がってしまった。

「やれやれ……はいいっ、三両五十の熊手が下げも下げたり二両こっきり。釣りはいらねえ、持ってけ泥棒。それじゃあ二円てえことで、お客人もみなみなさんもお手を拝借——よおォ!」

 親方の音頭取りで、寄り集まった客たちは三本締めの手を揃えた。

 時次郎はポケットから札入れを取り出すと、ひい、ふう、みい、と算えて一円札を五枚、親方の手に握らせた。

「釣りは若え()の祝儀にしとくんな」

 おおっと沸き立つ人々を尻目に、時次郎は熊手を背広の肩に担ぐと、愛想もなく店の前を立ち去った。

 ミノはあわてて時次郎の後を追った。

 人々を唸らせたいなせっぷりが嬉しくて仕様がなかった。嬉しいわけは、この人が他人ではないからだ。

 落葉の舞い踊る市電通りに出て、ミノはようやく時次郎に並びかけた。

「なあ、太夫――」

「はい、何でしょう」

「ところでおめえさん、本名は何てんだい」

 ミノは立ちすくんでしまった。本名を名乗るのは、肌を見せるよりも恥ずかしかった。

「どうしたい。どのみち二人して役場に行くときにゃ、わかるこっちゃねえか」

 親から貰った名前は好きではなかった。巳年生れのミノは、牛や馬の名と同じだった。そんなぞんざいな名前を、時次郎がこれからつねづね呼ぶのだと思うとたまらなかった。

「ミノ、です……」

「ミノ、か。平松ミノ。悪かねえ」

 平松ミノという名は思いもつかなかった。当たり前のことだけれど、結婚をすれば佐藤ミノは平松ミノに変わる。

 悪かないな、とミノも思った。ミノという嫌いな名前を、この人は平松という幸せでくるんでくれるのだ。まるで黒一色の花札の松の滓札(かすふだ)の空に、丹頂鶴が巨きな羽を拡げたような気がした。

「もう、わけのわからねえことは、言いっこなしだぜ」

 時次郎はミノの胸に熊手を押しつけると、手を挙げて俥を呼んだ。

 梶棒が上がったとき、ミノは思い切ってお願いをした。

「時さん」

「何だい」

「これからは、ミノって呼んで下さい。お願いします」

 蔵前の空が白みがかっていた。枯葉を毛布とともに襟元まで巻きこんで、ミノは舗道に佇む時次郎を見つめた。

「ああ。わかったよ、ミノ」

 嬉し泣きをしたのは、楼主から生駒の名を貰ったときだけだった。もとの名に戻るのが嬉しくてもういちど泣く自分が、わがままだと思った。

 時次郎は俯いたひっつめ髪の頭を、大きな掌で撫でてくれた。

「いやになったら、うっちゃってもいいからね。売り飛ばしたって、いいから」

 本心からそう思った。

「ばかやろう」

「ばかやろうでいいです。時さんのためになることなら、何でもするから。汚れちまったものも、なるたけきれいにするから。借金が大変なら、いつでも言って下さい。お金はいつだって作れるから」

「ばっかやろう」

 時次郎の手が頭を揺すぶった。

 東京に出たとき、江戸ッ子たちがやたらに使う「ばかやろう」が、耳に障って仕様がなかった。でも、ようやくわかった。江戸ッ子のばかやろうは、愛の言葉と同じだった。

「好きだよ、時さん」

「ばかやろう」

 ミノは顔をもたげた。ばかやろう、ばかやろうと言いながら、時次郎はミノの頭を撫でてくれた。

 二千円の大金を親分に無心するのに、無口で一本気なこの人はどれほど辛い思いをしたのだろう。

 自分が無理に押しきったのではなく、時次郎が愛してくれたのだと、ミノは思った。

「あばよ」

「ありがとね、時さん」

 時次郎は(きびす)を返して歩き出すと、けっして振り向こうとはしかなった。

 

 痩せていた月がまんまるになるまで、所在ない日々が続いた。一日がこんなに長いものだとは知らなかった。

 吉原はおはぐろどぶを隔てた異界だが、南北百五十間、東西二百間に及ぶ広大な敷地の中には、お女郎たちの生活に必要なものは何でも揃っていた。魚屋もあり豆腐屋もあり、カフェも汁粉屋も、洋食屋も歯医者も郵便局もあった。だから、さしあたってすることのない長い一日も、退屈するわけではなかった。

 二十年の知己を訪ねて歩けば、簡単な暇乞いの挨拶だけでも三の酉までに終わりそうもなかった。

 牛鍋屋の店主はわがことのように喜んでごちそうしてくれたし、清元のお師匠さんは娘を嫁に出すようだと泣いてくれた。

 昔は太夫の身請けとなれば、廓を上げての祝事をしたそうだが、時次郎の借金が嵩むにちがいないそうしたことは、いっさい断った。

 いかに金看板の御職太夫でも、年増女郎のひとりにはちがいなかった。齢を偽って働いている大勢の仲間たちの手前、これみよがしに幸福をひけらかすわけにはいかなかった。その日がくれば、人目につかぬ朝のうちにひっそりと出て行こうと思っていた。

 なじみの客には引き付けで頭を下げた。がっかりする者も喜んでくれる者もさまざまだったが、さすがに御職太夫の客ともなると心得があって、誰もが一夜の揚代をそっくり祝儀に包んで、二階には上がろうとしなかった。

 夜は早くに寝て、朝起きをすることにした。時次郎は夜っぴいて盆を仕切る博徒だけれど、月島ではご近所の付き合いも他目もあるだろうし、まさかおかみさんが朝寝をしているわけにもいくまい。

 長い習慣で夜はなかなか寝つけず、朝は朝で幽霊のような有様だったが、それでも大きな音のする目覚まし時計を買ってきて、六時には床を上げることにした。

 月島に行ったらそうそう髪結に通うわけにもいかないと思い、髪は短かく詰めて、耳隠しに結った。自分でも結えるように、鏡の中で髪結の手を覚えた。

 初見世の時分からずっとかかりつけの髪結は物知りだった。手と一緒に鉄漿(かね)を入れた口を忙しく動かしながら、こんなことを教えてくれた。

「へえ。太夫は月島に嫁に行くのかえ。あすこはね、あたしが子供の時分には影も形もなかったんだよ。海を埋め立てて、大きな島をこしらえたのが明治二十五年。だから最初は、築地のツキの築島だった。築の字は建築の築だから、築地だって埋め立てた土地なのさ。新しくこしらえた島は築島さね。ところがその島の上にぽっかり昇る月があんまり見事なもんで、いっの間にかお月様の島になっちまった。いいねえ、太夫は十五夜のお月さんを月島から眺めて暮らすんだ」

 月島はミノの生れる前の年にでき上がった、人造の島だったのだ。そして、できたての月島に生れた時次郎と、そこで月を見ながら暮らす。

 何だかお伽話のようだ。

「深川からの相生橋が一本じゃ、不便には不便だがね。築地へは渡しのポンポン蒸気しかないけど、近いうちに銀座の尾張町からまっつぐに延びる道に橋を架けて、ぐるりと市電も通すんだそうだよ。そしたらあんた、銀座も浅草もちょいの間で、東京で一等便利なとこになる」

 夢が開かれてゆく。三十一年の間、頑なに蕾んでいた幸せが、ひとひらずつ花を開いてゆくような気がした。

「それからね、太夫。ここだけのとっておきの話、(おせ)えてやる。築地と月島の間に架かる橘は、船が通るたんびにまんまん中でぱっくり割れて、こう、万歳をするみたいに空に向かってはね上がるんだって。大東京名物の横綱さ」

 夢の蕾は、ミノの想像を超えてしまった。月島の所帯の窓からはお月様が見える。ご飯の仕度をおえたら、海に向いた手すりに寄り添ってあの人の帰りを待とう。尾張町の十文字から築地を抜けて、市電がやってくる。鋼鉄のはね橋をごとごとと渡って。

 ただいま、という時次郎の声を、ミノははっきりと聞いたように思った。

 まるで竹久夢二の絵のようだ。

「はい、一丁あがり。どうだね、今はやりの耳隠し。どこから見ても堅気の若奥様だよ」

 月島に行こう。まだ袖を通してもいない縞の洋服にギャバジンのコートを着て、ハイヒールもおろそう。

 どうしても、時次郎に会いたかった。

 

 自由な風に吹かれるのは、一の酉のあの晩以来だった。

 時さんに会いに行くと言うと、楼主は快く許してくれた。市電で行くには乗換が面倒だから、吾妻橋の下から蒸気船に乗って隅田川を下ればいいと言う。

 ミノにとっては生れて初めての一人旅だった。しかし船に乗ってしまうと、遥かな場所のような気がしていた月島は思いがけなく近かった。

 永代橋をくぐると、河口は石川島の造船所を境にして左右に分かれた。船は左の流れに沿って相生橋の下を抜け、佃島をぐるりと巡った。

 ずっと船べりに立っていたので、手がかじかんでしまった。乗り合わせた老婆に、月島のありかを訊ねた。洋装のモダンガールに物を訊かれて、江戸時代の生れにちがいない老婆はいくらか怖じ気づくように行く手を指さした。

 時次郎の生れ育った月島は、軍艦の船腹のように切り立ったコンクリの壁に、さざ波を踊らせていた。海の涯てまで定木で引いたような堤防が続く、美しく大きな人造の島だった。

 蒸気船は器用に(へさき)を回して、佃島と月島に挟まれた掘割に滑りこんだ。小橋の下の桟橋で、ミノは船を降りた。

 西陽が(あか)い薄絹を一面に敷きつめた、静かな町だった。海に向いた東の空は藍染の色に昏れかかっていた。

 はき慣れぬハイヒールの踵を鳴らして、ミノは歩き出した。

 時次郎の家のありかは知らない。だが生れ育った土地なのだから、人に訊ねれば平松という珍しい苗字は、じきにわかるだろう。もし時次郎が不在でも、それはそれでかまわなかった。夢に見続けた月島の土を踏み、胸いつぱいに風を吸ってみたかった。つまみ食いをするようで、少しお行儀が悪い気もするけれど。

 堀ぞいの道を少し歩くと古いお堂があり、その向かいから柳並木の商店街が延びていた。夕方の買物と工場をひけた職工たちで町は賑わっていた。どの店も間口は狭いがたいそう活気があって、庶民の住まう東京の町を知らぬミノは、いちいち人垣ごしに店先を覗きこんだ。もし時次郎が家にいたら、帽子を脱いで干日ばきでも借りて、夕飯のおかずを買いにこようと思った。

 女として恥ずかしいことだが、三十を過ぎても満足な煮炊きは知らない。だが禿の時分にご内証の賄仕事をさんざ手伝ったから、何とかなると思う。目刺を焦がしても、味噌汁が塩辛くても、先刻承知の時次郎は許してくれるだろう。一所懸命に勉強して、そのうち近所のおかみさんに負けないご飯をこしらえよう。ひとつひとつ、けっしてあわてずに、女の人生を取り返してやる。

 商店街をうきうきと歩きながら、もうひとつ気に入ったことがあった。

 この町には難しい字がないのだ。吉原の町なかはやたらと漢字が多くて、読み書きの苦手なミノは往生している。廓の看板ひとつにしても、二十年住んでいまだに読めぬものが多かった。

 この町は仮名ばかりだ。きっと自分と同じように、小学校を出たきりの職工さんやおかみさんばかりが住んでいるのだろうと思うと、ミノは嬉しくなった。

 落ちついたら、少しずつ手習いを始めよう。字引を買って、新聞を読んで、けっしてあわてずに。

 読み書きができなければ、子供を満足に育てられない。時次郎と自分との子供はかけがえのない宝物だから、きちんと育てなければいけない。男の子でも女の子でも、お天道様の下をまっつぐに歩けるようにしなければ。

 齢が齢なのだから、一人ッ子でもいいとミノは思った。でも、苦労はさせない。

 南北に通る商店街からは、細い路地が網の目のように延びていて、その奥にはみっしりと二階建の長屋が並んでいた。時次郎はどこに住んでいるのだろう。

 商店街の中ほどの辻に、洒落た石造りの交番があった。詰襟の制服にサーベルを吊った巡査が、物珍しげにミノを見ていた。

「あの、少々物をお訊ねします」

 ミノは帽子の鍔に指を当てて、時次郎の家のありかを訊ねた。

「ああ、平松ってえと、駒形のお貸元んところの時兄ィのことだね」

 親しげな受け応えに、ミノはほっと胸を撫でおろした。やさしげな顔立ちの巡査に思わず訊ねてしまってからひやりとしたのだが、やはり駒形のお貸元は警察だって一目置く立派な親分なのだった。

 一丁先の肉屋の角を右に曲がって、と巡査は商店街の先に白い手套を向けた。

 ていねいに頭を下げてから、ミノは巡査に詫びた。

「お上に不粋なことを訊いちまって、相済みません」

 少し考えるふうをしてから、巡査は苦笑した。

「べつに凶状持ちじゃあないんだから、そんなふうに言うもんじゃないよ」

 いつしか陽が沈み、月島の町は鼠色にたそがれていた。

 巡査が口にした「凶状持ち」という古めかしい文句が、ミノの胸に残っていた。自分が凶状持ちなのだと思った。貧しいなりにまっとうに暮らしている月島の人々から見れば、体を売って生きてきた自分は、罪深い女にちがいなかった。

 どんなに過去を隠そうとしても、たぶん人の口に戸はたてられまい。時さんの嫁は吉原のお女郎だったという井戸端の騒きが、今にも聞こえてくるような気がした。

 商店街に風が吹き抜けて、ミノはギャバのコートの襟を立てた。

 でも、口は悪いがはらわたのない江戸ッ子たちは、噂にいじけるミノをきっと慰めてくれる。べつに凶状持ちじゃあないんだから、と。

 自分自身の卑屈さと戦って行くのだとミノは思った。こんな女に手をさしのべて、奈落の底から引きずり上げてくれる時次郎の情に応える方法は、それしかなかった。

 この町の風は汚れきった体を元通りに戻してくれるだろう。相生橋の向こうの、お不動様の路地裏の長屋で、初めて男に穢されたあの日さえも、きっとなかったことにしてくれる。

 しばらく歩くと肉屋の看板が見えた。その角を曲がれば、時次郎の生れ育った長屋がある。ミノは風に乱れた耳隠しの、(びん)のほつれを指で(ととの)えて、大きく息をついた。

 痩せた柳の下に幼い子供が蹲っていた。妹は掌の甲を目がしらにあてて泣いており、そのかたわらで兄らしい子が半ズボンの膝を抱えている。肉屋の裸電球が、ふたつの小さな背を冷たく照らしていた。

 お使いに出て、金を落としでもしたのだろうか。粗末な身なりの兄は、薄闇の路上に失った硬貨を探しているように見えた。

「どうしたの、ぼく」

 ミノは二人の間に屈みこんで訊ねた。

「どうもしてねえよ」

 兄はちらりとミノの横顔を見て、気丈に答えた。

 汚れてはいても、子供の匂いは甘い。ふとミノは、遠い昔に信州の里に置き去ったきりの弟や妹を思い出した。別れたあの日、弟たちは事情も知らずに遊んでいた。さよなら、と呟いて撫でた坊主頭の感触を、掌が覚えていた。藁床に眠ったままの妹に頬ずりをし、口を吸って、ミノは家を出たのだった。畑の(あぜ)にはまだ雪の残る、寒い朝だった。

「モダンガールなんざ、関係ねえや」

 こまっしゃくれた物言いで、兄はぷいと横を向いた。

「ナマをお言いでないよ」

 ミノは微笑みながら、兄の坊主頭に手を置いた。

「お金、落っことしたんだろう」

「ちがわい」

「なら、どうしたんだい。妹が泣いてるじゃないか」

 ミノの力に抗わず、振り返った兄の目も潤んでいた。

「肉屋さんがよ、豚コマは五銭じゃ売れねえって。十銭からじゃなきゃ、秤に乗せようもねえんだと」

 豚肉がいくらぐらいするものなのか、ミノは知らなかった。だが吉原の洋食屋のトンカツが二十銭なのだから、五銭の豚コマというのはたしかに秤に乗らぬほどわずかなものなのだろう。

 ミノは買物客で賑わう店先を振り返った。いかにも肉屋らしい肥えた店主は、意地が悪そうには見えない。夕方のかきいれどきで、面倒なことを言う子供は後回しにされたのだろう。

「毎度のこったから、おっかちゃんには十銭くれろって言ったんだけど、うちは銭がねえから」

「ああ、そうかね。だったら泣くほどのこっちゃない。おばちゃんが五銭を足してやる」

 妹は泣きやんでミノの顔を見つめた。大きな二皮目の、器量のよい子供だった。

 里の妹はどこに売られたのだろうと思った。できれば諏訪か富岡の工場に行っていればいい。でも自分の妹なのだから、きっと器量を買われてしまっただろうと思う。

 人買いの卯吉は知っているかもしれない。落ちついたらお不動様の長屋を訪ねて、行方を訊ねてみようか。

 ミノは兄妹の手を引いて立ち上がった。光の中に歩みこんで、蟇口(がまぐち)を開く。

「豚コマ、十銭くださいな」

 あいよ、と快く返事をして、店主は秤に肉を盛った。

「あら、それじゃあ少ないやね。二十銭にしといて下さい」

 いいよおばちゃん、と兄がミノの袖を引いた。

「俺んちにそんな銭はねえから。おっかちゃんに叱られる」

「心配しなさんな。おばちゃんのおごりだ。特売だったって言やいいじゃないか」

 ひとかたまりの豚肉が経木にくるまれ、古新聞に包みこまれるさまを、兄妹は背伸びをして見つめていた。

 弟たちは兵隊に取られただろうか。春になると軍服に勲章をたくさん懸け並べて村にやってくる在郷軍人は、人買いと同じだった。役場に子供らを集め、平壌会戦や威海衛占領の手柄話を聞かせて、大きくなったらひとり残らず陸軍に志願をしろと宣伝した。ミノが村を出たのはロシアとの戦がたけなわのころで、多くの若者たちが兵隊にかり出され、骨箱に納まって帰ってきた。

 もし兵隊に取られたとしても、世界大戦の青島(チンタオ)攻略は勝ち戦だったから、命を落とすことはなかったろうと思う。

 東京の繁栄を目にするにつけ、ミノにはどうしても百姓の子供らだけが割を食っているような気がしてならなかった。

「はい。うちに帰って、おっかちゃんにおいしいものをこしらえてもらいな」

 兄はとまどいながら、なかなか包みを受け取ろうとしなかった、人目につかぬ路地に歩みこんで、ミノはもういちど兄の胸元に包みを押しつけた。

「知らない人に物をもらったら、おとっちゃんに(はた)かれる」

「だから、特売だったって言やいいじゃないか」

 やりとりの間に掌の中で(ぬく)まってゆく肉の感触はたまらなかった。豚の肉も人の肉も、温まれば手触りは同じなのだった。それは夜ごと抱いた男たちの、尻や背の手触りを思い起こさせた。

 男たちにとっても、自分は豚と同じ肉のかたまりだったのだろうと思った。亀清楼の生駒太夫という、吉原で一番上等の肉だった。

 時次郎と所帯を持ってからも、肉屋に行くたびにこんなことを考えてしまうのだろうか。

「じゃあ、こうしよう。おっかちゃんやおとっちゃんに嘘をつくのがいやなんなら、おばちゃんが一緒に行って話してやる」

 これがご近所づきあいの始まりになればいいとミノは思った。

「おうちはどこだい?」

「ここの奥だよ」

 ミノは路地を見渡した。肉屋の角を右に曲がった路地——。

 一間ほどの狭い小路の両側には、二階建ての長屋がみっしりと軒をつらねている。夕餉の煙が窓まどの光に洗われて、(しゃ)をかけたような白い闇が続いていた。

 ミノは二人の手を引いて、路地の奥に向かって歩き出した。軒端に切られた細長い空には、夕星が瞬き始めていた。

 ここがあの人の生れた場所。あの人の遊んだ路地。湿ったコンクリの道から靴裏を通してはい上がる冷気さえ、ミノには愛しくてならなかった。

 近所のおかみさんに、内職を周旋してもらおうとミノは思った。

 一日に五銭か十銭の手間でもいい。時次郎は笑うかもしれないが、そのお足は、一夜で稼いだ三十円よりもずっときれいだ。金の多寡ではなく、真心で稼いだきれいなお足を時次郎の懐に返したかった。

 あの人はきっと笑いながら、「ばっかやろう」と言うに決まっているけれど。

「おばちゃん、べっぴんさん」

 妹がミノを見上げて言った。

 どの家の前にも、木箱で大切に育てた秋の花が咲いていた。

「あ、おっかちゃん」

 軒灯(のきび)の下に、赤ん坊をねんねこにおぶった女が佇んでこちらを見ている。

 子供らは路地のまん中に切られたどぶを左右に跳びはねながら、母に向かって駆け出した。

 恐ろしい闇がミノの上にのしかかったのはそのときだった。たとえば濡れたゴムの合羽を、頭から被せられたような気がした。

「あのおばちゃんがね――」

 子供らの声がうつろに耳を過ぎた。(こうべ)を垂れる母の肩ごしに、ミノは玄関先の表札を見つめた。

 平松時次郎。あの人の家だ。

「豚コマを二十銭もおごってくれたんだよ」

 軒灯に照らし出された兄の顔には、時次郎の(おもかげ)が濃かった。

「おまい、知らん人にまさかおねだりをしたわけじゃなかろうね」

「ちがわい。おいら、おもらいなんざしてねえもん」

 ハイヒールの踵の震えを、ミノはかろうじて踏み耐えた。ほんの少しでも力を脱けば、その場に(くずれ)れてしまいそうだった。

 疲れ果ててはいるが、母はミノよりいくつか若いのだろう。背中の子をあやしながら語る声に、年増女のしたたかさは少しも感じられなかった。

「よんどころない事情があって、ちょいと物入りなもんですから、育ちざかりにまともな物も食べさせられなくって」

 母の涙声を、兄が補った。

「おっかちゃんのお里に引越すんだ。新潟までは汽車賃もかかるから、うちにはお足がねえんだよ」

 母は兄の饒舌を、小さな声で叱った。

「他人様につまらんことをお言いでないよ――まあ、そんなわけで。お足はお返しいたします。申しわけございません」

 頭を下げ続ける母から目をそらして、ミノは二階を見上げた。

「ぼく、おとっちゃんは?」

「仕事でいねえよ」

「新潟には、みんな一緒に?」

「おとっちゃんは行かねえんだ」

 こら、と母が叱った。しかし兄は胸に嵩んだ毒を吐くように言った。

「おとっちゃんはひとでなしだ。おっかちゃんもおいらも、みんな離縁されるんだ。よそに女ができたんだぜ。だからおっかちゃんも、おいらたちも、みんなはなっからいなかったことにしちまうんだ」

 母は叱ることも忘れて、痩せた体を溜息とともにしぼませた。

 ミノは震える足を踏み出して、子供の腕を引き寄せた。そして(あかぎ)れた頬を力まかせに叩いた。

「あんたのおとっちゃんは、ひとでなしなんかじゃない。女が悪いんだ。性悪の女が、あんたのおとっちゃんをたぶらかしたのさ」

 母はとっさに息子を抱きすくめた。

 肉の包みをねんねこの襟に押しこんで、ミノは怯える母親の顔を()めつけた。

「あんた、あたしが誰だかわかったろうが」

 大きな目を(みは)ったまま、母は答えなかった。

「お察しの通り、あたしがあんたの亭主をたぶらかした吉原の生駒さ。十銭の豚肉も買えねえあんたの亭主は、週に一度は三十円の揚代を払ってあたしを買いにきた」

 三十円、とひとこえ呟いたなり、母はつなぐ一言葉を失った。

「おうよ。そのうえあたしの借金を二千円も肩替わりして、かみさんにしてくれるってんだ。果報な話じゃないか。その二千円の金だって、廓への心づけの、女郎仲間への祝儀のとあれこれ合わせりゃ、三千両はくだるまい。たかだか二十銭の豚コマをおごったって、罰は当たるまいよ」

 母は膝が(くだ)けて、どぶ板の上に横座ってしまった。赤ん坊は火のついたように泣きわめき、子供らは母の肩にしがみついた。

「新潟のお里はさぞ寒かろう。行き倒れにならないように、肉はたらふく食っときな」

 足元に唾を吐いて、ミノは路地を歩き出した。

 やっぱり世の中には、きれいごとなんてひとっつもなかったのだ、と思った。

 商店街を抜けたあたりで足の痛みに耐えかね、ミノはハイヒールを脱いだ。

 

「まあ、話はわからんでもねえ」

 相生橋の欄干にもたれて煙草を吹かしながら、人買いの卯吉は鼻で(わら)った。

「嗤いごとじゃあなかろう。まじめに聞いていなさるのかい」

「ああ、大まじめだぜ。人を食ったこの面ァ、あいにく俺の地顔だ。しかし何だ、身請けの決まった生駒太夫が血相変えて乗りこんできたときにァ、昔の意趣返しで刺し殺されるんじゃねえかと肝を冷やしたぜ」

 卯吉の横顔はめっきり年老いていた。なるほどこの年寄りなら、包丁ひとつで意趣返しもできるだろうと思う。

 お不動様の長屋には買われてきた娘がいた。事情を聞かせるわけにはいかないと思い、卯吉を相生橋まで連れ出したのだった。

 月島の空に、大きな満月がかかっていた。

「で、力になってくれるのかい」

「そうさなあ」と、卯吉は白い無精髭をわさわさとこすりながら、しばらく考えるふうをした。

「頼むよ、卯吉さん。あたしァあの時次郎って男が、むしずが走るほど嫌いなんだ。そうかといって、話ァどんどん進んじまうし、こっちは引っこみがつかなくなるし、こうなりゃあんたに一肌脱いでもらうしかないんだよ」

 一気にまくし立てながら、ミノはなるたけ伝法なしぐさで煙草を喫った。卯吉は嗤い続けている。ふと、この男は人の心が読めるのかと思った。

 悪党は踏んできた悪事の数だけ賢いのだろう。神様も仏様もお不動様も、この願いばかりはどうとも仕様がないだろうけれど、悪魔ならきっと聞き届けてくれる。

宿替(やどが)えってったっておめえ、近場じゃ意味がなかろう。関西にでも落ちるか」

「いいよ、それで。ともかく探してもわからんとこまで売り飛ばしとくれ」

「てえした覚悟だの。吉原の遊廓で御職を張ったほどの太夫なら、二千が三千だって売れる」

「二千の上はあんたの手間でいいよ」

 卯吉は鋼の欄干に額を寄せて、悪魔のような高笑いをした。

「あいにく俺ァ、女心の上前をはねるほど野暮じゃねえ」

「できるのかい」

「俺を安く見るな。女の売り買いにかけちゃあ、できねえことは何もねえよ。もう吉原(ナカ)(けえ)ることはねえ。この足で俺の(やさ)に戻って大人しくしてな。楼主との話はつけてくる」

 卯吉はミノの肩をひとつ叩くと、雪駄の踵をちゃらちゃらと鳴らして去って行った。

「卯吉さん」

 ミノは呼び止めた。心の中は読み切られているのだろうけれど、真心のほんの少しでも、誰かに聞いてほしかった。

「あたしね、この世にきれいごとなんてひとっつもないんだって、よくわかったの。だったら、あたしがそのきれいごとをこしらえるってのも、悪かないなって思ったのよ」

 卯吉は老いた顔を首だけ振り向けて言った。

「ばかだな、おめえは」

「それァ承知さ」

「ばかだが、いい女だぜ」

 (あだ)を忘れて、ミノは去って行く卯吉の後ろ姿に頭を下げた。

 卯吉は必ず願いごとを叶えてくれる。時次郎も駒形のお貸元も気付かぬうちに、自分を関西の見知らぬ廓へと送り届けてくれるだろう。

 ミノは欄干に身をもたせかけて、大きな満月の中に浮かぶ月島の甍を見つめた。

 あそこにさえ行かなければ、幸せを掴めた。でも、(まが)いものの幸せはいらない。だからとことん意地悪なお不動様にも、文句を言ってはならない。

 自分にふさわしい幸せは、奈落の中の幸せなのだとミノは思った。

 時さんは、あのおかみさんと子供らと、もういっぺんやり直してくれるだろうか。あの人らしいまっとうな幸せを、取り戻してくれるだろうか。

 手を合わせてお月様に祈ると、涙がこぼれた。

 ありがとね、時さん。

 あたし、あんたのおかげで、やっとこさ人間になれたよ。豚でも狐でもない人間になることができた。

 大好きだよ、時さん。

 あたしにお似合いなのはあんたじゃなくって、あんたの思い出です。

 アイ・ラブ・ユー、時さん。

 あたし、生駒の名前は吉原に置いてくけど、次の源氏名はちゃんと考えてあるんだ。

 ミノ。美濃の国の美濃だよ。あんたが一の酉の晩にそう呼んでくれたとき、いい名前だって思ったから。時さんが名付け親だと思って、一生死ぬまで大切にします。

 あんたに惚れてる。毎晩毎晩、あんたの顔を思いうかべるだけで、頭がどうかなっちまいそうだった。

 ごめんね、時さん。

 もう何も思いつかない。愛の言葉は、品切れになっちまいました。これで堪忍して下さい。

「ばかやろう!」

 ミノは手にぶら下げたハイヒールの片方を、暗い水面に向かって投げた。

「ばっかやろう!」

 最後の愛の言葉をもう片方の靴とともに月島の月に投げつけて、ミノは声をかぎりに泣いた。

 泣きながら、亀清楼の四畳半に忘れられた一の酉の熊手を惜しんだ。荷物は何もいらないが、それだけは持って吉原を出たかった。

 香具師の口上が耳に甦る。

 おかめひょっとこ金銀小判、夫婦円満、商売繁盛、ガキも産まれりゃ蔵も建つ——。

 誰かが気をきかせて時さんに渡しちゃくれまいかと、ミノは心から思った。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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浅田 次郎

アサダ ジロウ
あさだ じろう 小説家 1951年 東京生まれ。「鉄道員(ぽっぽや)」で第117回直木賞受賞。「中原の虹(全4巻)」で、2008年、第42回吉川英治文学賞受賞。第16代日本ペンクラブ会長。

掲載作は「別冊文藝春秋」平成14年1月号初出、『平成15年度 代表作時代小説』(光風社出版 平成15年5月)に収載。