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弁天小僧

 私は文士劇で弁天小僧を二回やった。はじめは歌舞伎座で稲瀬川の勢揃(せいぞろ)い。二回目は帝劇で浜松屋。勢揃いが好評だったので、二度目は逆に浜松屋をやったが、素人芝居にはむずかしい役柄だった。最初が女で、途中から男に変る。その変り場が見せ場で、うまく行けばやりばえがある。日本駄右衛門が久保田万太郎。南郷力丸が中野実。浜松屋幸兵衛が宮田重雄。倅宗之助(せがれそうのすけ)が岩田専太郎。番頭与十郎が永井龍男。鳶頭(とびがしら)と忠信利平が今日出海。赤星十三が久生十蘭というような配役であった。私は普段の行動が乱暴で、女くさいところがなく、二枚目とか女形(おやま)は出来そうにもなく、又やりたくもなかったが、浜松屋の弁天小僧は前半の女形を我慢すれば男になってから、啖呵(たんか)には自信があるので、割合に神妙にやったが、然し決して気持の好いものではない。女形には別の神経と心構えがいるもので、(かつら)や衣裳で形を作るばかりではなく、気持をじっくり引締めていないと女らしいしおらしさが出て来ない。引締めるという事は、感情を押し殺して女体のやさしさを作る意味で、本職になれば、自然に自分を殺せるのであろうが、たまたま舞台へ出る者に取っては、こんな厭な努力はないと思う。見あらわしの、

「もう化けちゃいられねえ。俺ア尻尾を出しちゃうぜ」

 と、初めて男の声でいって、窮屈な衣裳を脱ぎかかる瞬間の気持は、重罪人が許されて、監獄の外へ出たようにほっとする。全く女になるという事は大変な仕事だ。それでも歌舞伎には形と約束があって、姿の美しさが中心になるが、新派の女形は現代女性にも扮しなければならず、形の外の気持の表現が一通りの努力ではあるまい……と、僅か数分(ふん)しただけでも思った。喜多村緑郎や花柳章太郎なぞは、演劇史的な価値は別としても、世界に比類のない独特の芸だと思う。が、新派の女形も、花柳を最後としてあとは女優に変り行く事も疑いない。近代生活の中では、男の女装なぞ性慾倒錯症(とうさくしょう)以外には考えられないが、明治初期以前の風俗の中では、女装男子も珍しくはなかったらしい。男でも結髪をした時代であるから、髪をのばす事も簡単で、歌舞伎の色子など公然と職業になっていたし、女装して生活を持ってもさのみ怪しまれぬ世態人情であった。殊に江戸の末期は人心が頽廃して、強い刺戟を求める傾向がひどくなり、女装男子も非常に増え、性慾倒錯患者が多かったに違いない。弁天小僧の芝居が始めて上演されたのもこんな風潮のはげしい文久二年であった。最初の外題(げだい)は「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」といい、作者は二世河竹新七、後年の黙阿弥が四十七歳の、油の乗った盛りの作で、数々の名作を次ぎ次ぎに書いた時代だ。この作の最初の思いつきは歌川豊国の見立絵(みたてえ)に暗示を得たもので、歌舞伎役者の人気が盛んな時代であったから、役者の見立絵も数多く売り出され、三代目歌川豊国は、見立絵の天才であったともいわれる。住居が亀戸にあったから一口に亀戸豊国といい、徳川末期の錦絵の人気を一人占めにした大作家で、三世豊国ほど多くの作品を残した大画人もなく、今でもその遺作は、万を以って数えられている。

 

「この見立は何だ」

 と、黙阿弥の新七が、絵草紙屋の前に立って見上げた三枚続きも豊国の役者絵で、市村羽左衛門が緋縮緬(ひぢりめん)長襦袢(ながじゅばん)を着て、島田髷が横に崩れ、解き荷に腰をおろし、抜身の刀を畳につき刺し、銚子で酒を飲んでいる––その珍らしい構図が彼の目に止ったのだ。

「何だか判りませんが、若太夫(わかたゆう)の似顔ですね」

 と、弟子の新作も、絵草紙屋の店先に立って、風にゆれる新摺(しんず)りを見上げた。が、やがてその一枚を新作に買わせると、足を返して亀戸の香蝶楼(こうちょうろう)を訪ねて行った。豊国の住居には、入口の軒に、自筆で香蝶楼としたためてある。妙見堂の地続きの風雅な構えで、庭先に流れを取り込み、落ち水の響きの絶えまもなく、家の後の雑木林には野鳥が巣をかけて啼き、当代一流の画人にふさわしい風流な住居だ。新七とももう長年の馴染みで、案内も乞わずに庭先から、

「おいでですか師匠!」

 と、鞍馬の踏石に立って呼んだ。七十を過ぎた豊国は、目も耳も遠くなって、働き盛りの新七を羨しそうに、

「こりゃあ河竹さん。何と思ってこんな所へ。天神様へお(まい)りの帰り道か」

「いやいや、そんなのん気な話じゃありません」

 と、買ったばかりの錦絵を示して、

「こりゃあ師匠の新作でしょう」

 と、ずかずか座敷へ上り込む。豊国は細い目をしょぼつかせて、

流石(さすが)は河竹さん。矢張りこの見立が気に入りましたね」

 と、満足そうに微笑する。

「緋縮緬の片肌を脱ぎ、桜の彫物を(のぞ)かせるこの絵は、女なのか男なのか、先ず其奴(そいつ)から聞かしておくんなさい」

「本当は男なんだ」

 と、豊国も膝を乗り出して、

「この見立絵は、机の上の筆先の仕わざじゃあない。この絵のままの人間が、橋村の床几(しょうぎ)に坐っていたんですよ」

「へーえ、面白い男がいたもんですね」

「頭は文金の高島田。根ががっくりと曲ったのを、豆絞(まめしぼり)の手拭で包み、長襦袢の上から大名縞の羽織を引っかけ、湯呑みで冷酒を飲んでいる。その顔の色の白い事。目はぱっちりとして鼻筋も綺麗に通り、口元に色気があってその(あだ)っぽさは何とも彼ともいわれない。あんたに一目見せたかった」

「一体其奴は何者なんです」

「まあまあ()かずにゆっくりお聞きなさい。私だってこの見立絵には自信がある。誰かが目を止めて、舞台に生かしてくれるだろうと思っていたが、新七さんの目に止ったのは何よりも有難い。残らずお話し申しますから、今日は一つ、ゆっくり遊んで行っておくんなさい」

 と、豊国は目を細めて喜び、老妻を呼んで酒の支度を命じ、見立絵を正面に飾って不思議な物語りを始めた。

「ちょうどそれは去年の秋で、そろそろ名物の空っ風が、妙見様の森の梢を渡り出した時分です。仕事に草疲(くたび)れるとお詣りに行くのも毎日の事で、この晩も、時刻は四つ(午後十時)に近かったでしょう。家の者はみんな寝ていましたが、絵筆を置いて庭伝いに妙見様の境内へ出て顔馴染みの橋村へ立寄ると、床几の上にこの男が、ぽつんと冷酒を飲んでいる。はじめは女だか男だか判らなかった。目の()めるような緋縮緬の裾をはしょって、野暮な羽織を引っかけた恰好は、若太夫が舞台から、其のまま抜け出したような美しさ、私の足は店口ヘ釘づけになって、じっと姿を見ていると、相手も私を見返して、笑いながらこういうのです。

『豊国先生ですね。おかしな恰好をしているからお目に止まったんでしょうが、怪しい者じゃありません。わたしゃこう見えても男です』

 そういう声が、成程男には違いない。度胆を抜かれてまごついていると、

『こんな恰好も今日限りで、明日からは前髪を落し、男になり切るつもりなんで、女は今日がお名残りです。もし好かったら、書きとめて置いては下さいませんか』

 と、先方からいい出すじゃありませんか。此方(こっち)は元より渡りに舟、書きたくってうずうずしていただけに、有り合せの筆を借り、あらましの姿を写し取りましたが、それを土台にしてこの見立絵を書き上げました。()(しょう)の新七さんが目をつけてくれたのは本当に有難い。こっちからお礼をいいたいくらいだ」

「それじゃア師匠。この見立絵を拝借して、狂言を仕組んでも好うござんすか」

 と、新七が目を輝やかせていえば、

「いいどころじゃない。是非書いて下さいと此方からお願いしたいくらいだ。若太夫がこんな姿で舞台へ出たら、見物はきっと()きますぜ」

「そうして、この男はそれからどうしました」

「其奴がね。実は私も探しているのだが、何処へ行ったか未だに行方が判りません。然しその晩は橋村の冷酒を飲みながらとっくりと身の上話を聞いてやりました」

「男の癖に女の恰好をしているのは、大方芳町の蔭間(かげま)でしょう」

「いいや違う。れっきとした大店(おおだな)の若旦那で、芝口の浜崎屋という呉服商の息子でした」

「浜崎屋なら、今でも繁昌しているじゃありませんか」

薩摩(さつま)様の御出入りで、表向きは呉服屋だが、御用品納入の株を持ち、芝切っての大商人の総領に生れた方なんです」

「そんな人がどうして又、女の姿をして居たんです」

「よくある奴だ。大店の御総領で、あんまり大事にしすぎたせいか、どうも体が弱くって、医者にばかりかかっている。芝口の三交堂という易者が、この子を無事に育てようとするなら男にして置いてはいけない。男でいると十歳までに剣難で死ぬ。十五歳まで女で置けば、必ず無事に育つだろうといわれて、父親の幸右衛門さんは、可愛い坊やの髪をのばし、亀戸の萩寺裏の寮へ連れて来て、女姿に育てたんです」

「成程」

「それが生涯の不幸になるとも知らず、子供可愛さの一念で総領息子の菊之助を、綺麗なお嬢さんにしてしまいました」

「菊之助とは、いい名前ですね」

「十五になっても男にはならず、十八九の水の出花(でばな)、萩寺の浜崎のお嬢さんといえば、亀戸界隈で誰知らぬ者もないほどで、浜松町の本家へは、降るように縁談があったというから、男と知っている者もなかったんじゃありませんか」

「面白い話ですね」

「あんまり噂が五月蝿(うるさ)いので男に戻そうとなすったが、菊之助さんがどうしても承知しない。仕方がないので浜崎屋は次男坊の幸次郎を家督に立て、菊之助を亀戸へ住わせて本家の出入りを禁じました。ところが、萩寺の寮の隣には芸州浅野家のお留守居役、伊丹源之丞というお侍のお控え家があったんです」

 お控えとは今でいう、二号の妾宅。大名ならば下屋敷、陪臣(ばいしん)たちは控え家といった。浅野家は四十二万石の大身で、江戸のお留守居といえば、羽振りのきいた役むきで、いわば大名の外交官だ。国持ち大名は一カ年間を領国におくり、その留守を護るのが江戸家老。配下に数名のお留守居がいて、留守屋敷の雑事を処理する。主として諸藩とのおつきあいで、殿様に代って宴会へ出る。何処の藩でもお留守居役は芸達者な風流人で世馴れた人物が多かったものだ。伊丹源之丞も典型的なお留守居武士で、亀戸の萩寺裏に小ぢんまりとした控え宅を持ち、柳橋の一琴という芸者を落籍(ひか)し、世間に隠して住わせて置いた。この伊丹の控え家と、浜崎屋とが隣同志で、庭先から双方の家が見えるほどに極く近い。この近所一帯は古くから萩の名所で、浜崎屋の庭先にも、伊丹の庭にも、萩の古株が生い茂り、夏から秋へかけては、庭中が萩にうずまって美しい花が一面に咲く。ふだんは見えている家々が萩の蔭に見えなくなり、庭の境目が判らなくなると、野鳥のさえずりも激しくなる。女姿の菊之助が、萩の中に(おとり)をしかけて、小鳥をとらえようとしていると、地続きの萩むらの中にも、人の姿がちらりと見えた。やっと花を持ち出した萩の間から、人の顔が見えたので、びくりとして目を据えると、相手も同じように驚いて、花の中に立ちつくした。この日の菊之助は、宝づくしの友禅の小袖に加賀紋の帯を締め錦絵から抜け出したように、萩の小枝をかき分けてすっきりと立っている。その美しさに目を見はった相手は、伊丹のお妾の一琴で、江戸褄(えどづま)模様の地味な着付に、京織の帯を締め、みずみずしい大丸髷。お菊は大家のお嬢様ならお琴は新婚間もない若女房。どちらをどちらとも分ち難い美しさを、お互いに見つめ合いながら、

「これはまアお菊様ではありませんか。こんなところで何をなすっていらっしゃいます」

 と、お琴が口を切れば、お菊もにっこりと(えみ)を返して、

「小鳥ですのよ」

 と、萩むらの中にひそませた囮籠を示していった。

「それで、小鳥がつかまりますか」

「ええ、いろいろな鳥が来て、一日に三羽もかかる時がありますよ」

「ちょっと見せて下さいまし」

 と、萩を分けて地境から、浜崎屋の庭へ入り込み、啼いている囮の頬白を面白そうに眺め出す。

「お茶でございますお嬢様!」

 と、女中が濡床几(ぬれしょうぎ)に茶を運んで、

「おや、お隣りの御新造様。よくお出で遊ばしました。どうぞこちらへ……」

「いえもうお構い下さいますな。直ぐにお暇いたします」

「まあ、そうおっしゃらず、どうぞ少しはお遊びにお出で下すって。お菊様もお一人で淋しがっていらっしゃいますし、時折りはお訪ねいたそうかと、思う事もございますくらいで、お隣り同志ですから、御懇意にお願い申上げとうございます」

 と、世馴れた女中の扱いに、

「それはもう願ってもない倖せです。お嬢様のような好いお友達が出来れば、どんなに嬉しいか判りません」

 と、お琴も嬉しげに、

「ちょうどよいお近付きの糸口が出来ました。是非これからはよろしく」

 と、お菊が手を取って、床几へ行き、女中の出す茶をすすりながら囮に集まる小鳥を眺めて日の暮れ方まで遊んで行った。隣同志の顔見知りで、会えば挨拶を交しているが、さ程親しくもなかった二人が、こんな事から糸口がついて、お菊も伊丹家へ遊びに行けば、お琴も浜崎屋を訪ねて来る。萩むらをかき分ければ自然に出られる心安さに若いお妾と町娘とは、不思議なつながりの友達になった。お琴はもと麻布市兵衛町の駕舁(かごか)きの娘で、十六の時芸者に売られ、十八歳で源之丞に落籍され、今年はまだやっと十九、お菊の菊之助も同年であった。表向きには世間づきあいのないお妾の肩身の狭さと、女姿をしていながら、その実は男だというお菊とが、何処かに通じ合う気持ちがあって、急に親しさが深くなり、お琴がお菊をいとしがれば、お菊もお琴をなつかしんで、姉妹のような(まじわ)りが、半年余りも続いて行った。主人の伊丹源之丞は五日に一度の割合で戻るが、浜崎屋の娘と聞いて疑いもせず、お琴もお菊を女と信じ、よい友達を喜んで、親しさはいよいよ深まったが、仲が良くなるにつれてお菊の(からだ)に、不思議な変化が起り出した。子供の時から女で育って、男ではないと思いながらも、男性の不思議な自覚に、時々激しい疑いを感じた。こんな不具の躰では、人との交りも出来ないものと、早くから思いを決め、友達さえも持たなかったのが、ひょっこりお琴と付合いが出来た。年は同じ十九だが、浮世の試練を経て来たお琴と、苦労を知らぬお菊とは、人を見る目が違っていて、年よりも地味なお琴に引きかえ、派手なお菊の娘姿が、姉妹のように見えている。お琴が姉のようにお菊を可愛がれば、お菊も妹になり切って、甘えるようになつかしむ。源之丞の留守中は、夜遅くまで伊丹家に遊んで、

「そろそろお迎えが来るでしょう」

 と、淋しげにお琴が、

「今夜は旦那様がお留守だから泊って行って下されば好いのに」

「いくらでも泊って行きますよ」

 と、お菊は嬉しそうに寄り添って、

「女中を使いに出し、戸締りするようにいって下さい。そして今夜は遅くまで遊びましょう。私はまだ芸者を見た事がないし、姉さんが柳橋にいた頃はどんなに美しかったか、一度は見たいと思っていたから、もしその頃の衣裳があったら着て見せて下さいな」

「おや、お菊ちゃんはまだ芸者を見た事ないの」

「だから、お姉さんが芸者になり、私がお客になって遊びましょう」

「それならば、少しはお酒も飲み、三味線も弾きましょうよ」

 と、子供のように浮き浮きとはしゃぎ、柳橋へ出ていた頃の、仇めいた衣裳を着て、美しい(すそ)を長く引き、お菊の膝に手をかけながら、

「さ、お酒を一つ上れ。お酌しましょう」

 と、盃をとって酌をする。そして、

「お菊ちゃんは好い声だからきっと唄も上手でしょう」

「あい、先日憶えた淀の川瀬なら唄えます」

「もう遅いから爪弾きで弾きますよ」

 とお琴が三味線を取って弾き、綺麗な声でお菊が唄う。萩寺の寮の外へは出た事もなく、世の中を知らぬお菊には、こんな遊びが楽しくてたまらない。お琴にしても、年上の源之丞に引かされ、まだ十九の若い盛りを、籠の鳥同様に閉じ込められ、淋しくてならない矢先へ願ってもない友達に、すっかり心を許し切って、

「まあ、何という好い声でしょう。綺麗だけではなく、女には出来ない渋さがあって、何ともいえなく情が深い」

 と、うっとりと目を閉じながら、

「もう一つ唄って下さい」

 と、又もや三味線を取上げて同じ曲を二度弾いた。女にはない渋さ––といわれた声に胸が狂って不思議な動揺を感じながら、

「もう唄えない。胸が少しどきどきして」

 と、苦しそうに片手を突いた。お琴は驚いて三味線を置き、お菊にすり寄って肩を抱いて、

「苦しければ帯を解いて」

 と、帯上げの紐を解こうとした。お菊は慌ててさえぎって、

「いいえ、大丈夫。苦しくなる程お酒を飲んではいない。唄を唄い出したら胸がつまって来て」

「それならいっそ、もう少し飲んでごらん。その方が却って気持ちが落着くかも知れない。さお酌をしましよう」

「でも、この上飲んだらもっと酔うのではないでしょうか」

「いくら酔っても好いではないか。どうせ今夜は此処へ泊るのだし、一晩中介抱をするから、さあ、もっとお飲み。盃を持って––姉さんのいう事をきかないと許しませんよ」

 と、なまめいた躰を寄せ、盃を持ち添えて無理に酒を飲ませようとする。年の違う主人を持って、何か心の満されないお琴が、お菊に寄せる気持ちには、奇妙な情愛の深さがあった。満たされぬ心の穴をお菊の中に求めて寄り添えば、ふんわりとしたお琴の胸へ、お菊の躰が沈んで行く。飲んだ盃を返しながら、

「私ばかりでは厭ですよ。姉さんも飲まなければ」

「ええ戴きますとも。お菊ちゃんの酌ならいくらでも喜んで飲む。正体もなく酔い潰れて、一晩中お菊ちゃんをいじめてやりたい」

 と、両腕の中へ抱きすくめて、せつなそうな溜息をつく。お菊も、(かつ)ておぼえた事のない心の(ふる)えを感じながら、

「お酌をしますからもっとお飲みなさい」

 と、抱かれた手を離そうともせず、躰の中にみなぎる変化を必死になって押えている。それは今までのお菊にはなかった不思議な情感で、女であるのか、男であるのか、判らぬ心の迷いだった。一箇所の不具を怪しみながらも、それほどの疑いも持たなかったのが、今夜のお琴の、艶めいた躰に抱きすくめられると、女の気持ちが少しずつ消え、男の意識が()いよって来る。女でいるよりは、男に戻った方がもっと倖せになれそうな気がする。女である事の無理が、却って自分を悲しくさせる。

「一体、私は何なのだろう」

 と、お琴に抱かれて考えた。女の嘘と造り事には、辛抱が出来なくなりそうだ。

「飲みましたよ。今度はお菊ちゃんですよ」

 と、盃を返してなみなみとつぐ。酔が深くなるにつれて、男の意識の強くなるのを感じながらもう避けようとはしなかった。つがれる酒をぐいぐい飲み、動悸のたかまりにも気をとめず、

「何だか目がまわって、家中がぐるぐる廻り出しました」

「何が廻ろうとも好い。女中ももう寝てしまって、起きている者は誰もいない。何をしようとも気兼ねはないのだから、心を許して遊びましょう。さあ、もっと飲んで、私の躰をしっかり抱いて」

「お姉さんを抱くの」

「今までは私が抱いて上げたから、今度はお菊ちゃんが抱く番よ」

 いわれてお菊は、両手を拡げてお琴の躰を、腕の中へすっぽり包んだ。ふくよかな躰がゴムのようにはずんで寄りかかると、押え切れぬ男の意識が、むらむらと湧き上って、

「姉さん。私は本当に女でしょうか」

 と、あえぐような声でいった。

「本当の女とは、何の事」

 と、盃を持ったお琴の目がうっとり見上げる。お菊は隠すのが厭になった。酒に乱れた目と心が、長い疑いを払うように、

「私、自分の躰が不思議なんです」

「どう不思議なの」

「本当は女ではないのです」

「お菊ちゃんが女でなかったら、命を投げ出してしまっても惜しくはない」

 と、酔にもつれた口元で、

「本当に男であったらどんなに嬉しかろう。私は麻布の駕屋の娘で、貧乏な親を助けようとして芸者になり、若い盛りを苦労にもまれて、楽しい思いなぞした事もない。少しは芸も憶え、これからは好きな岡惚れの一人も出来るかと楽しみにしていたところを、旦那様に身受けされてこの家へ閉じ込められて、外へ出る事も出来ない躰になり、暫らくは、世の風にあたる事も出来ないでしょう。お菊ちゃんとお友達になれたのは、全く地獄に仏で、逢う事が出来なかったら、人恋しさに狂ったかも知れない。こうして抱かれていて、これがもし男だったらどんなに嬉しかろうと思う時もありますよ。お菊ちゃんが男になる筈はないのに……」

「いいえ。私は半分男です」

「嘘にもそんな事をいってはいけない。お菊ちゃんが男と聞いただけでも躰中が慄えるじゃないか」

「私だってこんなに慄えている」

 と、お琴の手をとって胸に乗せた。誰にも打ちあけた事のない心の秘密を、初めて口にする怖しさに、躰中を慄わせながら、

「本当なのよ。本当は男なの。私が生れた時、芝口の占者が、この子には剣難の相があって、十歳までは育たない。無事に成長させようとするならば娘姿にするがよい。女になれば剣難の相も消え、立派に成人するでしょう。と、いわれ、芝の本宅から亀戸の寮へ移され女になって育ちました。子供のうちは女と思い込んでいたけれど、姉さんを知るようになってからは、だんだん男の気持ちに返るのです。姉さんを抱きながら、胸の動悸(どうき)の鎮らないのは、女でいた方がよいのか、男の方がよいのかと迷っているのです。嘘ではありません。本当に男です。男に違いないのです」

 と、お琴の胸を抱き締めていった。

「本当なんですか」

「こんな事をいうのも今が初めてです。姉さんと遊ぶようになってから、女でいるのが苦しくなり出したのです」

「それがもし本当なら」

 と、振り向いた目がきらきら光って、緋鹿子(ひかのこ)(ひも)に手をかけると、

「本当に男なら、男であったら」

 と、狂ったようにいいながら、するすると紐をとき、ゆるんだ襟元に手をさし入れた。

「あれッ」

 と、身を縮めても避けようとはしない。くつろげた襟元の女で育った優しさの底に、男の躰の骨組みが、お琴の指にちくりと触れた。

「あれ、あれ」

 と、身を揉んで、畳の上に崩れ伏す、お菊の躰を見つめながらお琴は行燈を吹っ消した。

 

 萩が散って空が高く澄み、逃げ水が庭の後を走り出す秋になった。浜崎の寮も、伊丹の控え家も表は変った事もなく、秋日の中に穏かであり、お菊は美しい娘姿、お琴はつつましやかな御新造で、花を生けたり、三味線を弾いたり、誰の目にも仲がよく怪しまれる事がなかったが、心の底のもの思いは昔と全く変っていた。夜になればお菊は必ず伊丹家へ行き、奥まった座敷の中に、深か深かと屏風を立てめぐらし、家人の目を避けながら、ひそひそと(ささや)き交し、夜の更けるまで遊んで帰る。十日に一度は泊って行くが(とが)める者は誰もいない。お菊の男を知る使用人もとっくになく、真実を知る女中さえいない。続けて泊る日があっても、

「何というお仲の良いことでしょう」

 と感心する者はいても、非難めいた蔭口は一つもない。

 が、人目を避けた奥座敷の、ほんのりと暗い行燈の影に、夜更けて向い合うお琴とお菊は、女同志の遊びではなかった。禁断の(おきて)を破ったお菊も、破らせたお琴も、秘密の底に人目を避け、

「女でいるのがだんだん辛くなり出した」

 と、お菊は悲しげな溜息をつく。初めて知った喜びの一夜は、埋もれていたお菊の胸に、激しい炎を燃えあがらせ、消えて行く日がなくなってしまった。

「さりとて、男と知れたら逢うことが出来なくなります」

 と、お琴は今にも泣き出しそうに、

「そうなったら、私は死んでしまいます」

「それは私も同じで、姉さんに逢えぬ程なら生きている甲斐もない」

 と、お菊の声が何時とはなく、男の響きに変り出して、

「此頃では、紅白粉(べにおしろい)をつけるのも悲しく、袖の長い着物にも嫌な気持が起るのです。こんな嘘の何時(いつ)まで続く筈もなし、やがては男に戻る日が来るでしょう」

「その日が来たら私も此処を出て行きます」

「然し、早まってはいけません。相手はお侍なのだから、もしも知れたら、どんな事になるかも判らない」

「出来るだけ知れぬようにして行くけれど、幸抱が続かなくなったらどうしよう」

 こんな繰りごとも一夜でなかった。逢う瀬が重なれば重なるほど、心の思いがまさるばかりで、誰の目にも気付かれぬ愛情は、日とともに強くなり、知れまいと思う女中達も、何となく怪しみ出して、

「このごろのお琴様とお菊様は、ただ事と思われませぬ」

 なぞと、いい出す声も耳につき、やがては源之丞の耳へも入った。彼が亀戸へ来る日にはお菊も傍へ近寄らぬが、留守になると入りびたって、泊って行く夜も次第に多く、お琴の態度も少しずつ変って、源之丞の帰りをば喜んで迎えた昔はなく、

「お帰りなさいまし」

 と、言葉だけで、態度は何となくよそよそしい。くつろいで酒を飲もうとしても、気持ちが沈んで明るさが見えない、

「躰でも悪いのか」

 と()くと、

「いいえ」

 と、答えて打ちしおれている。お琴には源之丞が堪えられない。同じ部屋に眠るのかと思うと肌に粟を生ずる思いだ。その思いが顔へ浮ぶと気附かれぬ筈はなく、

「お前は少し人間が変ったようだ。私の顔を見ると何時もふさぎ込んで、嬉しげな色を見せたことがない。躰の具合が悪いのであれば、医者を呼んで見せてはどうだ」

「そのようにおっしゃるのなら一度見て頂く事に致しますが、何処も悪いとは思いません」

「それならば、心に悩んでいる事でもあるのか」

「いえ、何もございません」

「何もないのなら、今少し気持ちを明るく持ち、くよくよと悲しげな顔をするな。気持ちが暗いと卑屈になって、やがては人にうとまれるぞ」

 と、戒められ、済まぬとは思いながらも、沈む心をどうしようもなく、源之丞が出て行けば直ぐにお菊を呼びにやる。お菊も待ち兼ねたように走り寄って、

「昨夜はさぞ嬉しかったであろう」

 とか、

「思いのまま可愛がって頂いたのであろう。どのような事をして楽しんだか教えておくれ。私はまだ何も知らぬゆえ教えて貰わねばならぬ事がたんとある」

 なぞと恨みがましくいう声に、男とも女ともない不思議な執念がからみついて、源之丞の帰った朝は、昼のうちから閉じこもって、部屋の外へは一足も出ない。

 浅野家の上屋敷は、霞が関にあり、源之丞の住居も屋敷うちにあって五日に一度ずつ亀戸へ行く。行く度毎に疑いを持って、それとなく女中達にもいい含め、平素の生活を問いただすと、

「外へ出た事もなく、訪ねて来るお客様もありません。お出でになるのは隣家のお菊様只お一人で、一晩中奥の間に入り、むつまじそうにお遊びになっていらっしゃいます」

 と、いうばかりで怪しい事もない様子だ。が、只一人のお菊と、夜更けるまでむつまじく語り合うというのが、何となく()に落ち兼ね、霞が関へ戻っても疑いは去らず、隣家のお菊と、どんな遊びを楽しんでいるのか、確かめてみたい気持ちにもなって、亀戸から戻ったその夜、再び萩寺へ引返して、わざと勝手からそっと入った。

「あれ、旦那様、どう遊しました?」

 と、驚く女中を押えながら、

「声をたてるな、お琴に知らせてはならぬ」

「でも、お知らせ申さないと叱られます」

「いや好い、棄て置け」

 と、小声で叱って、

「浜崎のお菊がいるであろう」

「はい、いらっしゃいます」

「奥の間か」

「はい」

「声を立てるな。廊下へも出るな」

 と、女中部屋に押し込めると、足音を忍ばせて奥へ行った。が、部屋の中には物音もなく、たまさか聞える(きぬ)ずれの音に、(かす)かな囁きがひっそりと聞える。聞きとれぬ程の小声を、暗い廊下にたたずんで、襖に耳をおしつけると、

「いやだ。私はもういやだ」

 と、お菊ではない別の声が、まぎれもなく男の響きだ。

「この上嘘を続けたくない。私はもう男になる」

「今更そのようにいっても困るではありませんか」

「いや。芝の本宅へ戻って元服し、男になって夫婦になる」

 と、廊下へ洩れる男の声を押えるお琴の泣き声が(なま)めかしく聞えて来る。聞きながら源之丞はかっとなった。長い疑いも虚事ではなかった。こみあげる怒りを押えながら、襖を引きあけて刀をぬいた。屏風の影の行燈の下に、昨夜のままの夜具が見え、抱き合ったお菊とお琴が、物音に驚いて目を上げている。見てはならぬものを見たような気がして「がっ」と突き上げる息と一緒に、力任せに振りおろした。が、手ごたえは何もなく、

「あれっ」

 と叫ぶお琴の悲鳴。

 行燈が倒れて真暗になった。引き戻して二度目を横に払ったが、屏風の角を少し斬った。その間にお琴とお菊とは、次の間へ転び出た。追いかけて刀を持ち替えるはずみに、油さしが足に触れると、つるりと辷って手をついた。途端に刀が廊下へ飛んだ。ころがる一刀を拾いあげると片手をついた源之丞へ、躰と一緒にぶっかった。何のたしなみもないお琴の、躰当りの一突きが、脇腹の急所深く刺した。

「うむ」

 と、うめいただけで声もなく、片手をついたそのままの姿で、へたへたと畳に崩れ落ちる。

「お菊ちゃん、お菊ちゃん」

「菊之助とお呼び」

 暗い中できっぱりいった。男になりきって這いよりながら、

「突いたんだね」

「一突きで息が止ってしまったんです。みんなはずみです。旦那が斬ろうとなさるから、逃げるはずみにこんな事になってしまったんです」

「もう息の根が止ったのか」

「夢中で突いたのが急所へ当ってしまいました」

「逃げよう。今の物音で女中たちも起きて来る。見つかったら命はない。今の間に外へ出よう」

「逃げてもつかまります。私は此処で死にますから貴方一人で行って下さい。私はどうなろうと構いはしない。お前の身に間違いがあったら、それこそ死んでも死にきれない。どうか一人で逃げておくれ」

「馬鹿な事をいえ。今更お前を殺す程なら、こんな苦労をするものか。今までと違って私も男だ。お前一人の罪にはさせぬ」

 と、気強い声でお琴を起し、あり合う男羽織を引かけて外へ出た。秋も末の十一月、曇った空には星影もなく、枯れ萩を踏みしだいて萩寺裏の小道へ出た。

「まあお前。長襦袢(ながじゅばん)一枚ではないか」

「野暮な羽織を着ているから見えなかろう」

「その頭では怪しまれる。手拭いで隠して行って……」

 と、頭を包んで土手を上って、妙見様の表まで来ると、夜風にパラパラと雨がまじった。

「こりゃいけない。降り出して来た」

「何処かで一休みして下さい。その間に(かご)を頼んで来るから……あ、あそこに灯が見えるじゃありませんか」

 と、指さした境内の、木がくれに見える灯が茶屋橋村の行燈だった。菊之助を店先へ突き入れて、

「駕の来るまで此処を離れちゃいけませんよ」

 と、小雨のぱらつく境内を、小走りに駈け出して行った。

 

「お琴が駕を呼びに行った後、息つぎの冷酒を飲んでいるところへ、私が入って行ったんです。亀戸に長くいる者で、浜崎のお嬢さんを知らない者はありゃアしない。その美しさは亀戸中に響いていたから、この物語りを聞いた時には、私も全く(きも)を消し、何といって好いか判らなかった。がお菊さんの菊之助は、悪びれた顔もせず、

『どうせ私達も長い命ではありません。たとえ今夜は逃げのびても、何日(いつ)かは必ず捕まって、三尺高い木の空でお仕置きを受けるに違いない。どうか師匠。その時には、私の姿を絵にかいて、この世へ残しちゃ下さいませんか』

 と、こういうのです。好いとも好いとも、噂のほとぼりのさめるのを待って今夜のお前の不思議な姿を、必ず描いて上げますと、約束をしてやると、さも嬉しそうにうなずきながら、

『三代目の大師匠に描いて頂ければ、この上思い残す事はありません。今日が女の別れかと思うと、何だか名残りが惜しくって、何処かで頭の毛を斬る時には悲しい心持ちがするでしょう。女と男の真中に居て、どっちつかずの人間だったのが、飛んだ間違いをし出来(でか)してしまいました』

 と、淋しそうに笑った時、お琴が外から声をかけて、

『お前さん、駕が来ましたよ』

 と、暖簾の蔭からいいましたが、その声はもう全く菊之助の女房になり切って居りましたよ」

「面白い話だねえ」

 腕を組んで聞いていた新七が、小さな溜息(ためいき)と一緒にいった。

「面白いでしょう。そのまま芝居になるような話じゃありませんか」

「然し、女と思って惚れ込んだ相手が、男であった嬉しさは、こいつは師匠、芝居じゃ書けません」

 と、謹厳な新七が、苦笑いを洩しながら、

「そうして、お琴と菊之助さんは、それからどうしたんです」

「それが皆目判らない。まさか浜崎屋へ聞くわけにもいかず、それとなく様子を捜って聞いて見るが、未だに手がかりは何にもない」

「殺された伊丹さんの方はどうなりました」

「そいつがね。浅野家のお留守居が、妾の家で殺されては、それこそ家名に(きず)がつくので、とうとう表の沙汰にはせず、こっそり死骸を本宅へ運んで、病死の(てい)にこしらえて表面を無事に済ませたそうです」

「それじゃア只の殺され損か」

「娘のお美加さんが養子を取って後目を継いだという噂だが、病気で事を済ませた上は、菊之助さんもお琴さんも、何の罪にもならないそうだ」

「私が仕組んで舞台へのせても、お二人のお身上に疵のつくような事はないでしょうね」

「さあ、そいつは何ともいえません」

 と、首を捻って豊国も、何やら少し不安そうだ。が、

「まさか菊之助さんを、そのままに書くわけでもありますまい。どうせ面白く作るのだから、思い切ってやってごらんなさい。何か事が起ったら、又その時の話にしようじゃありませんか」

 と、(ようや)く心を定めながら、冷えた湯呑みを取りあげた。文久二年の春の初めで、いそいそと帰った新七が、豊国に聞いた浮世話を、仕組んで書き上げた狂言が「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」五人男の書下しで、羽左衛門の弁天小僧、中村芝翫(しかん)の南郷力丸、関三十郎の日本駄右衛門。浜松屋のゆすり場が大評判で、羽左衛門の弁天小僧は、彼の出世芸であるばかりか、五代目菊五郎を襲名後も、何回となく上演しその生涯の当り芸になった。文久二年の初演には、老豊国も見物に来て、

「菊之助という名前をそのまま使ったのは乱暴じゃないか」

 といったが、新七はむしろ首を振って、

「本名を書いて置けば、御当人が見に来やアしないかと思い、わざと名前を使いました。今じゃア男でいるだろうが、会えたら話が訊きたいと思い、内々楽しみにもしているんです」

 と、大当りの見物席を見渡して、

「お蔭でこんな大当りを取る事が出来ました。みんな師匠のお力で、有難うございます」

 と、後年の黙阿弥が両手をついて礼をいった。市村座の弁天小僧は四十数日を打ちつづけ、近年にない当りであったが、そのモデルの菊之助は、豊国の香蝶楼へも、市村座の新七にも遂に姿を見せなかった。

 こうして数年の月日が流れて、元治元年十二月には歌川豊国が世を去った。間もなく徳川が瓦解(がかい)して明治政府が成功し世の有様が一変した。

 十三代目の羽左衛門は尾上菊五郎を襲名して明治三年の正月に、二丁目の森田座で二度目の弁天小僧を上演した。この時に新七は五十五歳、初日の桟敷に坐りながら、亡き豊国の面影を偲び、すぎ去った昔をなつかしんでいると、芝居茶屋の小女が、

「お師匠さんにお目に掛りたいといって、尾張屋の二階にお客様が待っておいでなさいます」と知らせに来た。

 気軽く尾張屋の二階へ行くと、見知らぬ美しい青年が新七の来るのを待っている。

誰方(どなた)さんです」

 と、問いかける声も待たずに、

「弁天小僧菊之助です」

 と、笑いながら青年はいった。その一言に新七は、さっと顔色を変えながら、

「それじゃア亀戸にいた浜崎屋の菊之助さんじゃありませんか」

「はい、お初にお目にかかります」

「そりゃアまアよく来ておくんなすった。是非一度はお目に掛りたいと思って居りましたのに……」

「私も是非御礼を申上げたいと思って居りました」

「飛んでもない。お礼は私がいわなきゃアなりません。亀戸の師匠の見立絵から、貴方の身の上を聞かせて頂き、そのお蔭でこの狂言が出来ました」

「お師匠さんも惜しい事を致しました。もう一度お目にかかりたいと思いながら、お会いする時もなく、未だに心に残っています」

「そうして、今はどちらにお住いです」

「芝の愛宕下(あたごした)で、小商(こあきな)いをしていますが、今日は河竹のお師匠さんにお願いがあって来たのです」

「ええええ、何なりともおっしゃって下さい。私に出来る事ならば、弁天小僧のお礼代り、どんな事でもいたしましょう」

 と、話しながら姿を見れば、素性の好さに品があって、女で育った昔の影がどこかに薄く残っている。

「河竹さんのお住いの近くの矢大臣門に、伊丹屋という酒屋がございます」

「へーえ。その酒屋がどうしました」

「ご存じでもございましょう。萩寺の控え家で、命を落した伊丹源之丞の娘さんが御一新になりましてから、商人になって酒屋を始めたのです」

「そりゃ又、思い切った事をしましたね」

「亀戸の師匠からお聞き及びになった通り、お気の毒な末路を遂げて、お琴も私も未だに気になって堪りません。殺された伊丹様に悪い事は一つもなく、罪は私達にございますのに、何の報いも受けないばかりか、のめのめ生きておりますと、気が(とが)めて仕方がありません。伊丹様の御遺族がどうお暮しになっていらっしゃるか、そればかりが気に掛って、心にかけては居りますが、表だってはお力になる事は出来ません。御一新になりましてから、浅草へ店をお持ちなさいましたので、どなたに御願い申すよりも、事情を残らずご存じの、師匠にお願いしたいと思って、実は此処に、百両持って参りました。お住いのお近く故、お知合いになって頂いて、何彼の時にこの金を、伊丹様の御遺族に役に立てては下さいませんか」

 と、旧幕時代の小判百両を、膝の前に置いて言った。

「成程ね。考えて見ればお前さん方が悪いので、伊丹さんには何の罪もなかった筈だ」

「それだけに、何だか世の中へ申し開きの立たない気がして、気持ちが悪くってならなかったのです」

「然し、私もまだ伊丹さんには、会った事もなければ顔も知らない。金を預かるのも気になるが、折角(せっかく)お前さんのお志、その綺麗な気持ちが嬉しいから引受けてあげましょう」

「有難う存じます。どうぞお願いいたします」

「そうして、お琴さんはどうなさいました」

「はい。実は、今日の芝居をこっそりと拝見して居ります」

「そりゃ丁度好い。一寸会わせて頂こうか」

「いいえ師匠、会わずに置いてやって下さい。お目にかかって昔を思うと罪の深さが辛いのです」

「成程。それじゃアお目にかかるまいが、どうぞ二人が末長く、仲よく暮して下さいましよ」

「有難う存じます。お師匠様もどうぞ御健勝に」

 と、慇懃(いんぎん)に手をつかえて、名残り惜しそうに帰って行く。百両の金を預った新七は、馬道を捜して伊丹屋を突きとめ、源之丞の娘お美加とその婿の利彦が、馴れぬ商いに苦しむのを、気長に近づいて援助を与え、菊之助に預った百両で伊丹の店を立派に作った。お蔭で士族の商法もどうやら一筋の商人になり、家業も栄えて夫婦仲よく、次第に店を大きく拡げた。

 そして又、長い月日がゆっくり流れて、明治二十六年の一月に、河竹新七の黙阿弥は、七十八歳の生涯を終った。葬儀はその月の二十四日、浅草清島町の源通寺に一族だけの密葬だったが、密葬とはいっても、一代の大作家を送る人の数は少くない。その葬列の人に混って、黙阿弥の親族や、芝居の関係者にも縁のない二組の夫婦が、源通寺の本堂の、はずれの畳に坐っていた。一人は芝愛宕下の呉服商中浜菊之助と妻のお琴、それに並んだ一組は浅草馬道の酒商人伊丹利彦と妻のお美加だ。菊之助夫婦も早や五十に近く、白毛の混る髪の毛に昔の名残りをとどめながら、宿縁の伊丹遺族と並んで坐って黙阿弥の霊を送った。が、二組の夫婦は、お互いの身の上を知り合う筈もなく、一月の末の寺の畳に、肩を並べて坐りながら、一言の言葉も交さずに、やがて又、別れ別れに帰って行った。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2006/12/12

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川口 松太郎

カワグチ マツタロウ
かわぐち まつたろう 小説家 1899・10・1~1985・6・9 東京、浅草生まれ。文化功労者。16歳で久保田万太郎に師事し、のちに小山内薫の門下となる。雑誌編集者を経て、本格的な執筆活動に入る。

菊池寛にその筆力を認められ、昭和10年、「鶴八鶴次郎」、「風流深川唄」などで第1回直木賞を受賞。大衆文学のほか、多くの脚本を書き、映画、演劇の発展にも尽力した。女優の三益愛子は妻。掲載作は「オール読物」昭和29年4月号初出、『楊貴妃』(河出書房 河出新書 昭和31年)より。河竹黙阿弥「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」の弁天小僧誕生秘話を、「浮世巷談」として描いたものである。

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