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海神別荘

 現代
場所  海底の琅玕(らうかん)殿。
人物  公子。 沖の僧都(年老いたる海坊主)。 美女。 博士。

 女房。侍女(七人)。黑潮騎士(多數)。

森嚴藍碧なる琅玕(らうかん)殿裡(でんり)黑影(こくえい)あり。──沖の僧都。

 僧都  お腰元衆。

 侍女一 (薄色の洋裝したるが扉より出づ)はい、はい。これは御僧(おそう)

 僧都  や、目覺しく、美しい、(かは)つた扮裝(いでたち)でおいでなさる。

 侍女一 御挨拶でございます。美しいか()うかは存じませんけれど、(かは)つた支度(したく)には違ひないのでございます。若樣、(かね)てのお望みが叶ひまして、今夜お輿入(こしいれ)のございます。若奥樣が、島田のお(ぐし)、お振袖と承りましたから、私どもは、餘計其のお姿のお目立ち遊ばすやうに、皆して、()やうに申合せましたのでございます。

 僧都  はあ、()てもお似合ひなされたが、何處(いづこ)の浦の風俗ぢやらうな。

 侍女一 度々(たびたび)海の上へお出でなさいますもの、よく御存じでおあんなさいませうのに。

 僧都  いや、荒海を切つて影を(あらは)すのは暴風雨(あらし)の折から。如法(によほふ)大抵暗夜(やみ)ぢやに()つて、見えるのは墓の船に、死骸の(うごめ)裸體(はだか)ばかり。色ある女性(によしやう)(きぬ)などは睫毛(まつげ)にも掛りませぬ。さりとも小僧のみぎりはの、蒼い炎の息を吹いても、素奴(しやつ)色の白いはないか、袖の紅いはないか、と胴の間、狹間(はざま)、帆柱の根、錨綱の下までも、あなぐり(さが)いたものなれども、孫子(まごこ)()け、僧都(そうづ)に於ては、久しく心にも掛けませいで、一向に不案内ぢや。

 侍女一 (笑ふ)精進(しやうじん)でおいで遊ばします。もし、これは、櫻貝、蘇芳貝(すはうがひ)、いろいろの貝を(しべ)にして、花の波が白く咲きます、其の渚を、靑い山、綠の小松に包まれて、大陸の(をんな)たちが、夏の頃、百合、桔梗、月見草、夕顏の雪の(よそほひ)などして、(あさひ)の光、月影に、(はるか)(高濶なる碧瑠璃(へきるり)の天井を、髮艶やかに打仰ぐ)姿を映します。あゝ、風情な。美しいと(なが)めましたものでございますから、私ども皆が、今夜は此の服裝(なり)に揃へました。

 僧都  一段とお見事ぢや。が、朝ほど御機嫌伺ひに出ました節は、御殿、お腰元衆、いづれも不斷の服裝(なり)でおいでなされた。其の節は、今宵、あの美女が(これ)輿入(こしいれ)の儀はまだ(きま)らなんだ。地體(ぢたい)人間は決斷が遲いに()つてな。……(それ)ぢやに、(かね)てのお心掛(こゝろがけ)か。弥疾(いやと)(なり)が間に合うたものなう。

 侍女一 まあ、貴老(あなた)は。私たち此の玉のやうな(みんな)の膚は、白い尾花の穗を散らした、山々の秋の錦が水に映ると(おんな)じに、()うと思へば、つい其れなりに、思ふまゝ、身の(よそほひ)の出來ます體で居りますものを。貴老(あなた)はお忘れなさいましたか。

貴老は。……貴老だとて違ひはしません。緋の法衣(ころも)を召さうと思へば、お思ひなさいます、と右左、峯に、一本(ひともと)燃立つやうな。

 僧都  ま、ま、分つた。(腰を(かゞ)めつゝ、(おさ)ふるが如く(たなそこ)を擧げて制す)何とも相済まぬ儀ぢや。海の住居(すまひ)難有(ありがた)さに馴れて、蔭日向(かげひなた)、雲の往來(ゆきき)に、(うしほ)の色の變ると同樣。如意(によい)自在心のまゝ、立處(たちどころ)に身の(よそほひ)の成る事を忘れて居ました。

 なれども、僧都(そうづ)が身は、()うした墨染の暗夜(やみ)こそ()けれ、(なまじ)緋の(ころも)など(まと)はうなら、づぶ(ぬれ)提灯(ちやうちん)ぢや、戶惑(とまどひ)をした鱏の魚ぢやなどと申さう。(おし)も石も利く事ではない。(細く丈長き(くろがね)の錨を(さかしま)にして(たづさ)へたる杖を、(かろ)く突直す。)

いや、又忘れては成らぬ。忘れぬ前に申上げたい儀で罷出(まかりで)た。若樣へお取次を賴みましよ。

 侍女一 (かしこま)りました。唯今。……あの、(ちやう)()い折に存じます。

右の方闥(かたドア)(はい)して行く。
 僧都  (謹みたる(てい)にて室内を(みまは)す。)はあ、爭はれぬ。法衣(ころも)の袖に春がそよぐ。(錨の杖を抱きて(たゝず)む。)

 公子  ()と押す、(ドア)(ひら)きて、性急に登場す。(おも)玉の如く臈丈(らふた)けたり。黑髮を背に(さば)く。靑地錦の直垂(ひたゝれ)黃金(こがね)づくりの(つるぎ)()く。上段、一階高き(ゆか)の端に、端然として立つ。)()い、見えたか。

侍女五人、以前の一人を眞先に、すらすらと從ひ出づ。いづれも洋裝。第五の侍女、年最も(わか)し。二人は床の上、公子の背後(うしろ)に。二人は床を下りて僧都の前に。第一の侍女は其の(うしろ)に立つ。
 僧都  は。大床(おほゆか)(ひざまづ)く。控へたる侍女一、(くだん)の錨の杖を預る)これはこれは、御休息の處を恐入りましてござります。

 公子  (親しげに)爺い、用か。

 僧都  紺靑(こんじやう)、群靑、白群(びやくぐん)、朱、(へき)御藏(おくら)の中より、此の(たび)の儀に就きまして、先方へお遣はしに成りました、品々の(たぐひ)と、數々を、念のために申上げたうござりまして。

 公子  (立ちたるまゝ) おゝ、あの女の父親に()つた、陸で結納(ゆひなふ)とか云ふものの事か。

 僧都  はあ、いや、御聡明なる若樣。若樣にはお覺違(おぼえちが)ひでござります。彼等夥間(なかま)に結納と申すは、親々が縁を結び、媒酌人(なかうど)の手を以ち、婚約の祝儀、目録を贈りますでござります。然るに此度(このたび)は、先方の父親が、若樣の御支配遊ばす、わたつみの財寶に望を掛け、もし此の念願の届くに於ては、眉目(みめ)容色(きりやう)、世に(たぐひ)なき一人の娘を、海底へ捧げ奉る段、しかと誓ひました。即ち、彼が望みの寶をお(つかは)しに成りましたに()つて、是非に及ばず、誓言(せいごん)の通り、娘を浪に沈めましたのでござります。されば、お送り遊ばされた數の寶は、彼等が結納と申さうより、俗に女の身代(みのしろ)と云ふものにござりますので。

 公子  (輕く頷く)(よし)(なん)にしろ些少(すこし)ばかりの事を、別に知らせるには及ばんのに。

 僧都  いやいや、鱗一枚、一草(ひとくさ)空貝(うつせがひ)とは申せ、僧都が(うけたまは)りました上は、活達なる若樣、()やうな事はお氣煩(きむづ)かしうおいでなさりませうなれども、(おい)のしやうがに、お耳に入れねば成りませぬ。お腰元衆もお執成(とりなし)(五人の侍女に目遣す)平にお聞取りを願はしう。

 侍女三 若樣、お座へ。

 公子  (顧みて)椅子を此方(こちら)へ。

侍女三、四、兩人して白き枝珊瑚の椅子を捧げ、床の端近に据う。大楕圓形の白き琅玕(らうかん)の、沈みたる光澤を帶べる卓子(たくし)、上段の中央にあり。枝のまゝなる見事なる珊瑚の椅子、紅白二脚、紅きは花の如く、白きは霞の如きを、相對して置く。侍女等が捧出(さゝげい)でて位置を變へて据ゑたるは、其の白き(かた)一脚なり。
 僧都  眞鯛大小八千枚。(ぶり)(まぐろ)、ともに二萬疋。鰹、眞那鰹、(おのおの)一萬本。大比目魚(おほひらめ)五千枚。(きす)魴鮄(ほうぼう)(こち)鰷身魚(あいなめ)目張魚(めばる)藻魚(もうを)、合せて七百(かご)若布(わかめ)の其の幅六丈、長さ十五(ひろ)のもの、百枚一卷九千聨。鮟鱇(あんかう)五十袋。虎河豚(とらふぐ)一頭。大の(たこ)一番(ひとつがひ)。さて、別に又、月の灘の桃色の枝珊瑚一株、丈八尺。(此の(ぶん)、手にて仕方す)

周圍(まはり)三抱(みかゝへ)の分にござりまして。えゝ、月の眞珠、花の眞珠、雪の眞珠、いづれも一寸の珠三十三(りふ)、八分の珠百五粒、(こう)寶玉三十(くわ)(おほき)さ鶴の卵、粒を揃へて、此は(あを)瑪瑙の盆に(かざ)り、(りよく)寶玉、三百顆、孔雀の尾の渦卷の數に合せ、紫の瑠璃の臺、五色に透いて輝きまする鰐の皮三十六枚、沙金(さきん)の七十包袋(たい)量目(はかりめ)約百萬兩。閻浮檀金(えんぶだごん)十斤也。緞子(どんす)縮緬(ちりめん)、綾、錦、牡丹、芍藥、菊の花、黃金色(こんじき)(すみれ)銀覆輪(ぎんぷくりん)の、月草、露草。

 侍女一 もしもし、唯今の(それ)は、あの、殘らず、其のお娘御の身の(しろ)とかにお遣はしの分なのでございますか。

 僧都  殘らず身の代と? ……はあ、如何さまな。(心付く)

不重寶(ぶちようはう)。これはこれは海松(みる)ふさの袖に記して覺えのまゝ、(うしほ)に乘つて、(さつ)と讀流しました。はて、何から申した事やら、品目の多い處へ、數々のゆゑに。えゝえゝ、眞鯛大小八千枚。

 侍女一 鰤、鮪ともに二萬疋。鰹、眞那鰹各一萬本。

 侍女二 (僧都の前にあり) 大比目魚五千枚。鱚、魴鮄、鯒、あいなめ、目ばる、藻魚の(たぐひ)合せて七百籠。

 侍女三 (公子の背後にあり) 若布の其の幅六丈、長さ十五尋のもの百枚一卷き九千聨。

 侍女四 (同じく公子の背後に) 鮟鱇五十袋、虎河豚一頭、大の鮹一番(ひとつがひ)。まあ……(笑ふ。侍女皆笑ふ)

 僧都  (額の汗を拭く)それそれ()やう、然やう。

 公子  (微笑しつゝ)笑ふな、老人は眞面目で居る。

 侍女五 (最も(わか)し。(ひと)しく公子の背後に附添ふ。派手に(うるは)しき聲す)月の灘の桃色の枝珊瑚樹、(つゐ)の一株、丈八尺、周圍(まはり)三抱(みかゝへ)の分。一寸の玉三十三(りふ)……雪の眞珠、花の眞珠。

 侍女一 月の眞珠。

 僧都  少時(しばらく)。までじやまでじや、までにござる。……桃色の枝珊瑚樹、丈八尺、周圍(まはり)三抱の分までにござつた。(公子に)鶴の卵ほどの(こう)寶玉、孔雀の渦卷の綠寶玉、靑瑪瑙の盆、紫の瑠璃の臺。此の分は、天なる(仰いで禮拜す)月宮殿に(みつぎ)のものにござりました。

 公子  (わたし)()うらしく思つて聞いた。僧都、それから(のち)に言はれた、其の菫、露草などは、金銀寶玉の(るゐ)は云ふまでもない、魚類ほどにも、人間が珍重しないものと聞く。が、同じく、あの(かた)(つか)はしたものか。

 僧都  綾、錦、牡丹、芍藥、(もつ)れも散りもいたしませぬを、老人の申条(まをしでう)、はや、又海松(みる)のやうに亂れました。えゝえゝ、其の菫、露草は、若樣、此の度の御旅行につき、白雪(はくせつ)龍馬(りうめ)にめされ、渚を掛けて浦づたひ、朝夕の、茜、紫、雲の上を山の峰へお(しの)びにてお出まの節、珍しくお手に()りましたを、(おん)姉君、乙姫樣へ御進物(ごしんもつ)の分でござりました。

 侍女一 姫樣は、閻浮檀金(えんぶだごん)の一輪挿に、眞珠の露でお()け遊ばし、お手許をお離しなさいませぬさうにございます。

 公子  度々(たびたび)は手に()らない。(わたし)も大方、姉上に()げた其の事であらうと思つた。

 僧都  御意(ぎよい)。娘の親へ遣はしましたは、眞鯛より數へまして、珊瑚一對……までに止まりました。

 侍女二 海では何ほどの事でもございませんが、受取ります(をか)の人には、鯛も比目魚(ひらめ)も千と萬、少ない數ではございますまいに、僅な日の()に、ようお手廻し、お遣はしに成りましてございます。

 僧都  ()れば其の事。一國、一島、津や浦の(はて)から果を一網にもせい、人間夥間(なかま)が、大海原(おほうなばら)から取入れます()ものと云ふは、貝に溜つた雫ほどに聊少(いさゝか)なものでござつての、お腰元衆など思うても見られまい、(はり)(さき)に蟲を附けて雜魚(ざこ)一筋を釣ると云ふ仙人業(せんにんわざ)をしまするよ。此の度の娘の父は、()までにもなけれども、小船一つで網を打つが、海月(くらげ)ほどにしよぼりと擴げて、泡にも足らぬ小魚(こうを)(しやく)ふ。入れものが小さき故に、(それ)希望(のぞみ)を滿しますに、手間の入ること、何ともまだるい。鰯を育てて鯨にするより齒痒い段の行止り。(公子に向ふ)若樣は御性急ぢや。早く彼が(ねがひ)滿()たいて、(ちかひ)の美女を取れ、と御意ある。よつて、黑潮、赤潮の御手兵(ごしゆへい)()とばかり動かしましたわ。赤潮の(つるぎ)は、炎の稻妻、黑潮の黑い旗は、黑雲の峰を()いて、沖から摚と浴びせたほどに、一浦の津波と成つて、田畑も家も山へ流いた。片隅の美女の家へ、門背戶(かどせど)かけて、疊天井、一齋(いちどき)に、屋根の上の丘の腹まで運込みました儀でござつたよ。

 侍女三 まあ、お勇ましい。

 公子  (少し俯向く)勇ましいではない。家畑を押流して、浦のもの等は迷惑をしはしないか。

 僧都  (いや)、否、黑潮と赤潮が、()と爪彈きしましたばかり。人命を斷つほどではござりませなんだ。尤も迷惑を()ば、いたせ、娘の親が人間同士の(なか)でさへ、自分ばかりは、思ひ()けない海の幸を、黃金(こがね)の山ほど(つか)みましたに因つて、他の人々の難澁如きは(いさゝか)か氣にも留めませぬに、海のお世子(よとり)であらせられます若樣。人間界の迷惑など、お心に掛けさせますには毛頭當りませぬ儀でございます。

 公子  (頷く)そんなら(よし)――僧都。

 僧都  はゝ。(あらた)めて手を()く。)

 公子  (あれ)の親は、此方(こちら)から遣はした、娘の身の代とか云ふものに滿足をしたであらうか。

 僧都  御意、滿足いたしましたればこそ、當御殿、お求めに從ひ、美女を沈めました儀にござります。尤も、眞鯛、鰹、眞那鰹、其の金銀の魚類のみでは、滿足をしませなんだが、續いて、三抱へ一對の枝珊瑚を、夜の渚に差置きますると、山の端出()づる月の光に、眞紫に輝きまするを夢のやうに抱きました時、(あれ)の父親は白砂に領伏(ひれふ)し、波の(すそ)を吸ひました。あはれ龍神、一命を捧げ奉ると、御恩のほどを難有(ありがた)がりましたのでござります。

 公子  (微笑す)親仁(おやぢ)の命などは御免だな。そんな魂を引取ると、海月(くらげ)が殖えて、迷惑をするよ。

 侍女五 あんな事をおつしやいます。

一同笑ふ。
 公子  けれども僧都、そんな事で滿足した、人間の慾は淺いものだね。

 僧都  まだまだ、(あれ)は深い方でござります。一人娘の身に代へて、海の寶を望みましたは、慾念の(たくまし)い故でござりまして。……たかだかは人間同士、夥間(なかま)うちで、白い(やはらか)膩身(あぶらみ)を、炎の燃立つ絹に包んで蒸しながら賣り渡すのが、峠の關所かと心得ます。

 公子  馬鹿だな。(珊瑚の椅子をすッと立つ)戀しい女よ。望めば生命でも遣らうものを。……はゝ、はゝ。

微笑す。
 侍女四 お思はれ遊ばした娘御は、天地(あめつち)かけて、お仕合せでおいで遊ばします。

 侍女一 早くお著き遊せば()うございます。私どももお待遠に存じ上げます。

 公子  道中の樣子を見よう、旅の樣子を見よう。(ドア)の外に向つて呼ぶ)おいおい、居間の鏡を寄越せ。(闥開く。侍女六、七、二人、赤地の錦の(おほひ)を掛けたる大なる姿見を捧げ出づ。)僧都も御覽。

 僧都  失禮ながら。(膝行して進む。侍女等、姿見を卓子(たくし)の上に据ゑ、錦の蔽を(ひら)く。侍女等、卓子の端の一方に集る。)

 公子  (姿見の面を指し、僧都を見返る)(あれ)だ、彼だ。あの一點の光が(それ)だ。お前たちも見ないか。

舞臺轉ず。少時(しばし)暗黑、寂寞(せきばく)として波濤の音聞ゆ。やがて一個(ひとつ)、花白く葉の靑き蓮華燈籠、漂々として波に(たゞよ)へるが如く(あらは)る。續いて花の赤き同じ燈籠、中空(なかぞら)の如き高處(かうしよ)に出づ。又出づ、やゝ低し。尚ほ見ゆ、少しく高し。其の(すう)五個(いつゝ)に成る時、累々(るゐるゐ)たる波の舞臺を(あらは)す。美女。毛卷島田に結ふ。白の振袖、綾の帶、(くれなゐ)の長襦袢、胸に水晶の數珠をかけ、襟に兩袖を占めて、波の上に、雪の如き龍馬(りうめ)に乘せらる。凡そ手綱の丈を隔てて、下髮(さげがみ)の女房。旅扮裝(いでたち)。素足、小袿(こうちぎ)(つま)端折(はしを)りて、片手に市女笠(いちめがさ)を携へ、片手に蓮華燈籠を()ぐ。第一點の(ともしび)の影は此なり。黑潮(こくてう)騎士、美女の白龍馬(はくりうめ)犇々(ひしひし)と圍んで兩側二列を造る。(およそ)十人。皆崑崙奴(くろんぼ)形相(ぎやうさう)。手に手に、すくすくと槍を立つ。穗先白く晃々(きらきら)として、氷柱(つらゝ)(さかしま)に黑髮を縫ふ。或ものは燈籠を槍に結ぶ、灯の高きは此なり。或ものは手にし、或ものは腰にす。
 女房  貴女、お草臥(くたびれ)でございませう。一息、お休息(やすみ)なさいますか。

 美女  (夢見るやうに其の瞳を(みひら)く)あゝ、(嘆息す)もし、誰方(どなた)ですか。……私の身體は足を空に、(馬の背に(もすそ)搔緊(かいし)む)(さかさま)に落ちて落ちて、波に沈んで居るのでせうか。

 女房  (いゝえ)、お美しいお(ぐし)一筋、風にも波にもお(もつ)れはなさいません。何でお身體が倒などと、そんな事がございませう。

 美女  何時(いつ)か、何時ですか、昨夜(ゆうべ)か、今夜か、(さき)の世ですか。私が一人、(かぢ)()もない、舟に、(むしろ)に乘せられて、波に流されました時、父親の約束で、海の中へ()られて行く、私へ供養のためだと云つて、船の左右へ、前後(あとさき)に、波のまにまに散つて浮く……蓮華燈籠が流れました。

 女房  水に目のお馴れなさいません、貴女には道しるべ、また土產にもと存じまして、此が、(手に翳す)其の灯籠でございます。

 美女  まあ、(あかり)も消えずに……

 女房  燃えた火の消えますのは、油の盡きる、風の吹く、(をか)ばかりの事でございます。一度此の國へ受取りますと、こゝには風が吹きません。たゞ花の香の、ほんのりと通ふばかりでございます。紙の細工も珠に替つて、葉の靑いのは、翡翠の琅玕(らうかん)花片(はなびら)の紅白は、眞玉(まだま)、白珠、紅寶玉。燃ゆる()も、またゝきながら消えない星でございます。御覽遊ばせ、貴女。お召ものが濡れましたか。お髮も亂れはしますまい。何で、お身體が倒でございませう。

 美女  最後に一目、故郷(ふるさと)の浦の近い峰に、月を見たと思ひました。其切(それぎり)、底へ引くやうに船が沈んで、私は波に落ちたのです。唯幻に、其の燈籠の樣な蒼い影を見て、胸を離れて遠くへ行く、自分の身の魂か、導く鬼火かと思ひましたが、ふと見ますと、前途(ゆくて)も、あれあれ、遙の下と思ふ處に、月が一輪、おなじ光で見えますもの。

 女房  あゝ、(望む)あの光は。(いえ)。月影ではございません。

 美女  でも、貴方、雲が見えます、雪のやうな、空が見えます、瑠璃色の。そして、眞白な絹絲のやうな光が射します。

 女房  其の雲は波、空は水。一輪の月と見えますのは、此から貴女がお(いで)遊ばす、海の御殿でございます。あれへ、お迎へ申すのです。

 美女  そして、參つて、私の身體、()う成るのでございませうねえ。

 女房  ほゝゝ、(笑ふ)何事も申しますまい。唯お嬉しい事なのです。おめでたう存じます。

 美女  あの、(すて)小舟に流されて、海の(にへ)に取られて行く、あの、(みまは)す)これが、嬉しい事なのでせうか。めでたい事なのでせうかねえ。

 女房  (再び笑ふ)お國では如何(いかゞ)でございませうか。私たちが故郷(ふるさと)では、()う此の上ない嬉しい、めでたい事なのでございますもの。

 美女  彼處(あすこ)まで、道程(みちのり)は?

 女房  お國でたとへは(むづ)かしい。……おゝ、五十三次と(うけたまは)ります、東海道を十度(とたび)づゝ、三百(たび)往還(ゆきかへ)りを繰返して、三千(たび)いたしますほどでございませう。

 美女  えゝ、そんなに。

 女房  めした龍馬(りうめ)は風よりも早し、お道筋は黃金(こがね)の欄干、白銀(しろがね)の波のお廊下、たゞ花の香りの中を、やがてお著きなさいます。

 美女  潮風、磯の香、海松(みる)海藻(かじめ)の、咽喉(のど)を刺す硫黃(いわう)臭氣(にほひ)と思ひのほか、眞個(ほん)に、(すゞ)しい、佳い薫、(柔に袖を動かす)……ですが、時々、悚然(ぞつと)する、(なまぐさ)い香のしますのは?……

 女房  人間の魂が、貴女を慕ふのでございます。海月(くらげ)が寄るのでございます。

 美女  人の魂が、海月(くらげ)と云つて?

 女房  海に參ります醜い人間の魂は、皆、海月に成つて、ふはふはさまようて步行(ある)きますのでございます。

 黑潮騎士  (口々に)――(うるさ)い。叱々(しつしつ)。――(と、ものなき龍馬の周圍を()す。)

 美女  まあ、情ない、お恥しい。(袖を以て(おもて)を蔽ふ。)

 女房  (いえ)、貴女は、あの御殿の若樣の、新夫人(にひおくさま)でいらつしやいます、もはや人間ではありません。

 美女  えゝ。(袖を落す。――舞臺轉ず。眞暗に成る。)――

 女房  (聲のみして)急ぎませう。美しい方を見ると、黑鰐、赤鮫が襲ひます。騎馬が前後を守護しました。お憂慮(きづかひ)はありませんが、いざ參ると、斬合ひ攻合ふ、修羅の巷をお目に懸けねば成りません。――騎馬の方々、急いで下さい。

燈籠一つ行き、續いて一つ行く。漂蕩(へうたう)する趣して、高く低く奥の(かた)深く行く。

舞臺燦然(さんぜん)として明るし、前の琅玕(らうかん)殿(あらは)る。

 公子、椅子の位置を卓子()に正しく直して掛けて、姿見の(かたはら)にあり。向つて右の上座(かみざ)。左の方に赤き枝珊瑚の椅子、人なくしてたゞ据ゑらる。其の椅子を斜に(さが)りて、沖の僧都、此の度は腰掛けてあり。黑き珊瑚、小形なる椅子を用ゐる。おなじ小形の椅子に、向つて正面に一人、(ほゞ)唐代の(じゆ)の服裝したる、(ひげ)黑き一人あり。博士なり。

 侍女七人、花の如く其の間を(よそほ)ひ立つ。

 公子  博士、お呼び立てしました。

 博士  (敬禮す。)

 公子  此を御覽なさい。(姿見の面を示す。)千仭(せんじん)(がけ)(かさ)ねた、漆のやうな波の間を、(かすか)に蒼い(ともしび)に照らされて、白馬の背に手綱(たづな)したは、此の(たび)迎へ取るおもひものなんです。陸に獅子、虎の狙ふと同一(おなじ)に、入道鰐(にふだうわに)坊主鮫(ばうずざめ)の一類が、美女と見れば、途中に襲撃(おそひう)つて、黑髮を吸ひ、白き乳を裂き、美しい血を吞まうとするから、守備のために、旅行さきで、手にあり合せただけ、少數の黑潮(こくてう)騎士を附添はせた、渠等(かれら)白刃(しらは)を揃へて居る。

 博士  至極のお計ひに心得まするが。

 公子  處が、敵に備ふる此處(こゝ)の守備を出拂はしたから不用心ぢや、危險であらう、と僧都が言はれる。……其は恐れん、私が居れば仔細ない。けれども、又、僧都の言はれるには、白衣(びやくえ)に緋の(かさね)した女子(をなご)を馬に乘せて、黑髮を槍尖(やりさき)で縫つたのは、彼の國で引廻しとか(とな)へた罪人の姿に似て居る、私の手許に迎入(むかへい)るゝものを、不祥(ふしやう)ぢや、忌はしいと言ふのです。

事實不祥なれば、途中の保護は他に幾干(いくら)も手段があります。其は構はないが、私は(いさゝか)かも不祥と思はん、忌はしいと思はない。

此を見ないか。私の領分に入つた女の顏は、白い玉が月の光に包まれたと同一(おなじ)に、愈々(いよいよ)淸い。眉は美しく、瞳は澄み、唇の(べに)は冴えて、聊かも(やつ)れない。憂へて居らん。淸らかな(きもの)を著、(あらた)(くしけづ)つて、花に露の點滴(したゝ)(よそほひ)して、馬に()した姿は、かの國の花野の(たけ)を、錦の山の懐に()く……步行(あるく)より、車より、駕籠に乘つたより、一層鮮麗(あざやか)なものだと思ふ。其の上、選拔した慓悍(へうかん)黑潮(こくてう)騎士の精鋭等(ども)に、長槍(ながやり)を以て四邊(あたり)を拂はせて通るのです。得意思ふべしではないのですか。

 僧都  (しきり)(つむり)を傾く。)

 公子  引廻しと聞けば、恥を見せるのでせう、苦痛を與へるのであらう。槍で圍み、旗を立て、淡く淸く裝つた得意の人を馬に乘せて(いち)を練つて、やがて刑場に送つて殺した處で、――殺されるものは平凡に疾病(やまひ)で死するより愉快でせう。――其が何の刑罰に成るのですか。陸と海と、國が違ひ、人情が違つても、まさか、そんな刑罰はあるまいと想ふ。僧都は、うろ覺えながら確に記憶に殘ると言はれる。……貴下(あなた)をお呼立した次第です。一寸お(しら)べを願ひませうか。

 博士  仰聞(おほせき)けの記憶は私にもありますで。しかし、念のために驗べまするで。えゝ、陸上一切の刑法の記録でありませうか、それとも。

 公子  面倒です、あとは()うでも()い。たゞ女子(をなご)を馬に乘せ、槍を立てて引廻したと云ふ、そんな事があつたかと云ふ、それだけです。

 博士  正史でなく、小説、淨瑠璃の中を見ませうで。時の人情と風俗とは、史書よりも(むし)ろ此の方が適當でありますので。(金光燦爛たる洋綴(やうとぢ)の書を展く。)

 公子  卓子(たくし)に腰を掛く)大相氣の利いた書物ですね。

 博士  此は、佛國(ふつこく)の大帝奈翁(ナポレオン)が、西暦千八百八年、西班牙(スペイン)遠征の途に(のぼ)りました時、(かね)て世界有數の讀書家。必要によつて當時の圖書館長バルビールに命じて(つく)らせました、函入新裝の、一千卷、一架(ひとたな)の内容は、宗教四十卷、敍事詩四十卷、戲曲四十卷、其の他の詩篇六十卷。曆史六十卷、小説百卷、と申しまするデユオデシモ形と申す有名な版本の事を……お聞及びなさいまして、御姉君、乙姫樣が御工夫を遊ばしました。蓮の絲、一筋を、凡そ枚數千頁に薄く織擴げて、一萬枚が一折、一百二十折を合せて一册に綴ぢましたものでありまして、此の國の微妙なる光に展きますると、森羅萬象、人類をはじめ、動植物、鑛物、一切の元素が、一々(ひとつひとつ)づゝ微細なる活字と成つて、然も、各々五色の輝きを放ち、名詞、代名詞、動詞、助動詞、主客、句讀(くとう)、いづれも個々別々、七彩に照つて、()く開きました眞白な(ページ)の上へ、自然と、染め出さるゝのでありまして。

 公子  姉上が、其を。――(さぞ)、御祕藏のものでせう。

 博士  御祕藏ながら、若樣の御書物藏へも、整然(ちやん)と姫樣がお備へつけでありますので。

 公子  では、私の所有ですか。

 博士  若樣は此の册子と同じものを、瑪瑙(めなう)に靑貝の蒔繪の書棚、五百架(たな)、御所有で()らせられまする次第であります。

 公子  姉があつて幸幅(しあはせ)です。どれ、(取つて(ひら)く)此は……唯白紙だね。

 博士  は、恐れながら、それぞれの豫備の知識がありませんでは、自然の其の色彩ある活宇は、ペエジの上には寫り兼ねるのでございます。

 公子  恥入るね。

 博士  いやいや、若樣は御勇武で居らせられます。入道鰐、黑鮫の襲ひまする節は、御訓練の黑潮(こくてう)赤潮(せきてう)騎士、御手(おて)(つるぎ)でなうては御退けに成りまする次第には參らぬのでありまして。雖然(けれども)、姉姫樣の御心づくし、節々(せつせつ)は御閲讀の儀をお勸め申まするので。

 僧都  もろともに、お勸め申上げますでござります。

 公子  (頷く)まあ、今の引廻しの事を見て下さい。

 博士  確に。(書を披く)手近に淨瑠璃にありました。あゝ、(これ)にあります。……若樣、此は大日本浪華の町人、大經師以春(いしゆん)の年若き女房、名だたる美女のおさん。手代(てだい)茂右衛門と不義顯(あらは)れ、即ち引廻し(はりつけ)に成りまする處を、記したのでありまして。

 公子  お讀み。

 博士  (朗讀す)――紅蓮(ぐれん)の井戶堀、焦熱の、地獄のかま塗りよしなやと、急がぬ道をいつのまに、越ゆる我身の死出の山、死出の田長(たをさ)の田がりよし、野邊より先を見渡せば、過ぎし冬至の冬枯れの、()の間木の間にちらちらと、ぬき身の槍の恐しや、――

 公子  (姿見を覗きつゝ、且つ聽きつゝ)あゝ、幾干(いくら)か似て居る。

 博士  ――また冷返る夕嵐、雪の松原、此の世から、(かゝ)苦患(くげん)にわう亡日(まうにち)、島田亂れてはらはらはら、顏にはいつもはんげしやう、縛られし手の冷たさは、我身一つの(かん)(いり)、涙ぞ指の爪とりよし、袖に氷を結びけり。……

侍女等、傾聽す。
 公子  唯、いゝ姿です、美しい形です。世間は其で其の女の罪を責めたと思ふのだらうか。

 博士  (まづ)、ト見えまするので。

 僧都  ()やうでございます。

 公子  馬に()つた女は、殺されても戀が叶ひ、思ひが届いて、(さぞ)本望であらうがね。

 僧都  ――袖に氷を結びけり。涙などと、嘆き悲しんだやうにござります。

 公子  其は、其の引廻しを見る、見物の心ではないのか。私には分らん。(頭を()る。)博士――まだ(ほか)に例があるのですか。

 博士  (朗讀す)……世の(あはれ)とぞなりにける。今日は神田のくづれ橋に恥をさらし、又は四谷、芝、淺草、日本橋に人こぞりて、見るに惜まぬはなし。是を思ふに、かりにも人は(あし)き事をせまじきものなり。天是を許し給はぬなり。……

 公子  (眉を(ひそ)む。――侍女等(ひと)しく不審の面色(おもゝち)す。)

 博士  ……此女思込みし事なれば、身の(やつ)るゝ事なくて、每日ありし昔の如く、黑髮を()はせて(うる)はしき風情。……

 公子  (色解く。侍女等、眉をひらく。)

 博士  中畧をいたします。……聞く人(ひと)しほいたはしく、其姿を見おくりけるに、限ある命のうち、入相(いりあひ)の鐘つく(ころ)(しな)かはりたる道芝の(ほとり)にして、其身は憂き煙となりぬ。人皆いづれの道にも煙はのがれず、殊に不便は是にぞありける。――此で、鈴ヶ森で火刑(ひあぶり)に處せられまするまでを、確か江戶中棄札(すてふだ)に槍を立てて引廻した筈と心得まするので。

 公子  分りました。其はお七と云ふ娘でせう。私は大すきな女なんです。御覽なさい。何處(どこ)に當人が歎き悲みなぞしたのですか。人に惜しまれ可哀(あはれ)がられて、女それ自身は大滿足で、自若として火に燒かれた。得意想ふべしではないのですか。何故其が刑罰なんだね。もし刑罰とすれば、(めぐみ)(しもと)(なさけ)の鞭だ。實際其の罪を罰しようとするには、其のまゝ無事に置いて、平凡に愚圖愚圖に生存(いきなが)らへさせて、皺だらけの婆にして、其の娘を終らせるが可いと、私は思ふ。……分けて、現在、殊に其のお七の如きは、姉上が海へお引取りに成つた。刑場の鈴ヶ森は自然海に近かつた。姉上は御覽に成つた。鐵の鎖は手足を繫いだ、燃草は夕霜を置殘して其の肩を包んだ。煙は雪の振袖をふすべた。炎は緋鹿子(ひがのこ)を燃え拔いた。緋の牡丹が崩れるより、虹が燃えるより美しかつた。戀の火の白熱は、凝つて白玉(はくぎよく)と成る、其の(はだえ)を、氷つた雛芥子(ひなげし)の花に包んだ。姉の手の甘露が沖を曇らして(そゝ)いだのだつた。其のまゝ海の底へお引取りに成つて、現に、姉上の宮殿に、今も十七で、(くれなゐ)の珊瑚の中に、結綿(ゆひわた)の花を咲かせて居るのではないか。

男は死ななかつた。存命(ながら)へて坊主に成つて老い朽ちた。娘のために、姉上は其さへお引取りに成つた。けれども、其の魂は、途中で(をす)海月(くらげ)に成つた。――時々未練に娘を覗いて、赤潮に追拂はれて、醜く、ふらふらと生白く(たゞよ)うて()する。あはれなものだ。

娘は幸福(しあはせ)ではないのですか。火も水も、火は虹と成り、水は瀧と成つて、彼の生命を飾つたのです。拔身の槍の刑罰が馬の左右に、其の(ほまれ)を輝かすと同一(おんなじ)に。――博士如何(いかゞ)ですか。僧都。

 博士  しかし、しかし若樣、私は愼重にお答へをいたしまする。身は此の職にありながら、事實、人間界の心も(じやう)も、まだ(いさゝか)かも分らぬのでありまして。若樣、唯今の仰せは、其は、すべて海の中にのみ留まりまするが。

 公子  (穩和に頷く)姉上も、以前お分りに成らぬと言はれた。其の上、貴下(あなた)がお分りにならなければ此は誰にも分らないのです。私にも分らない。しかし事情も違ふ。彼を迎へる、道中の此の(又姿見を指す)馬上の姿は、別に不祥ではあるまいと思ふ。

 僧都  唯今、仰せ聞けられ承りまする内に、条理(すぢみち)(わきま)へず、僧都にも分らぬことのみではござりますが、唯、黑潮の拔身で圍みました段は、別に忌はしい事ではござりませんやうに、老人にも、其の合點參りましてござります。

 公子  (よし)、しかし僧都、こゝに蓮華燈籠の意味も分つた。が、一つ見馴れないものが見えるぞ。女が、黑髮と、あの雪の襟との間に――胸に珠を掛けた、(あれ)は何かね。

 僧都  はあ。卓子(たくし)に伸上る)はゝ、いかさま、いや、若樣。あれは水晶の數珠(じゆず)にございます。海に沈みまする覺悟につき、冥土(めいど)に參る心得のため、檀那寺(だんなでら)の和尚が授けましたのでござります。

 公子  冥土とは?……其こそ不埒(ふらち)だ。そして仇光(あだびか)りがする、あれは……水晶か。

 博士  水晶とは申す条、近頃は專ら硝子(ビイドロ)を用ゐますので。

 公子  (一笑す)私の戀人ともあらうものが、無ければ()い。が、硝子(ビイドロ)とは何事ですか。金剛石、また眞珠の揃うたのが可い。……博士、贈つて然るべき頸飾(えりかざり)をお(しら)べ下さい。

 博士  (かしこま)りました。

 公子  そして指環の珠の色も怪しい、お前たち()う見たか。

 侍女一 近頃は、かんてらの灯の露店(ほしみせ)に、紅寶玉(ルビイ)綠寶玉(エメラルド)と申して、貝を(ひさ)ぐと承ります。

 公子  お前たちの化粧の泡が、波に流れて渚に散つた、あの貝が寶石か。

 侍女二 錦襴(きんらん)の服を著けて、靑い頭巾を被りました、立派な玉商人(たまあきんど)の賣りますものも、(にせ)が多いさうにございます。

 公子  博士、次手(ついで)に指環を贈らう。僧都、すぐに出向(でむか)うて、遠路であるが、途中、早速、硝子(ビイドロ)と其の(まが)(だま)を取棄てさして下さい。お老寄(としより)に、御苦勞ながら。

 僧都  (苦笑す)若樣には、新夫人(にひおくさま)の、まだ、海にお馴れなさらず、御到著の遲いばかり氣になされて、老人が、こゝに形を消せば、瞬く間もなう、お姿見の中の御馬の前に映りまする神通(じんづう)を、お忘れなされて、老寄に苦勞などと、心外な御意を(かうむ)りまするわ。

 公子  はゝは、(無邪氣に笑ふ)失禮をしました。

博士、僧都、一揖(いちいふ)して廻廊より退場す。侍女等慇懃に見送る。
 公子  少し窮屈であつたげな。
侍女等親しげに皆其の前後に齋眉(かしづ)き寄る。
 公子  性急な私だ。――女を待つ間の心遣(こゝろやり)にしたい。誰か、あの國の歌を知つて()らんか。

 侍女三 存じて居ります。浪花津(なにはづ)に咲くや此花(このはな)冬籠(ふゆごもり)、今を春へと咲くや此花。

 侍女四 若樣、私も存じて居ります。淺香山を。

 公子  いや、そんなのではない。(博士がおきたる書を(ひら)きつゝ)女の國の東海道、道中の唄だ。何とか云ふのだつた。此の書はいくらか覺えがないと、文字が見えないのださうだ。(呟く)姉上は貴重な、しかし、少しあてつこすりの書をお(こしら)へに成つたよ。あゝ、何とか云つた、東海道の。

 侍女五 五十三次のでございませう、私が少し存じて居ります。

 公子  歌うて見ないか。

 侍女五 はい。(朗かに優しくあはれに唄ふ。)

     都路は五十路(いそぢ)あまりの三つの宿、……

 公子  おゝ、其だ、字書(じしよ)のやうに、江戶紫で、都路と標目(みだし)が出た。(展く)あとを。

 侍女五 ……時得て咲くや江戶の花、浪靜なる品川や、やがて越來る川崎の、軒端ならぶる神奈川は、早や程ケ谷に程もなく、暮れて戶塚に宿るらむ。紫匂ふ藤澤の、野面(のおも)に續く平塚も、もとのあはれは大磯か。(かはづ)鳴くなる小田原は。……(きまり)惡げに)……もうあとは忘れました。

 公子  (よし)、こゝに綠の活字が、白い雲の(ペエジ)に出た。――箱根を越えて伊豆の海、三島の里の神垣や――さあ、忘れた所は教へて遣らう。此の歌で、五十三次の宿(しゆく)を覺えて、お前たち、あの道中雙六(すごろく)と云ふものを遊んで見ないか。(あが)りは京都だ。姉の御殿に近い。誰か一人(あが)つて、雙六の済む時分、丁度、此の女は(姿見を見つゝ)著くであらう。一番上りのものには、瑪瑙(めなう)(さや)に、紅寶玉の實を(かざ)つた、あの造りものの吉祥果(きつしやうくわ)を遣る。繪は直ぐに間に(あは)ぬ。此の(へや)を五十三に割つて雙六の目に合せて、一人づゝ身體を進めるが可からう。……賽が要る、持つて來い。(侍女六七、うつむいてともに微笑す)――何うした。

 侍女六  姿見をお取寄せ遊ばしました時。

 侍女七  二人して盤の雙六をして居りましたので、賽は持つて居りますのでございます。

 公子  おもしろい。向うの廻廊の端へ集まれ。そして順に成つて始めるが可い。

 侍女七  (ゆか)へ振りませうでございますか。

 公子  心あつて招かないのに來た、賽にも魂がある、寄越せ。(受取る)卓子(たくし)の上へ私が投げよう。お前たち一から七まで、目に從うて順に動くが可い。さあ、集れ。(侍女七人、いそいそと、續いて廻廊のはづれに集り、貴女は一。私は二。()う口々に樂しげに取定め、勇みて賽を待つ。)可いか、(片手に書を持ち、片手に賽を投ぐ)――一は三、かな川へ。(侍女一人進む)二は一、品川まで。(侍女一人また進む)三は五だ、戶塚へ行け。()くして順々に繰返し次第に進む。第五の侍女、年最も少きが一人衆を離れて賽の目に乘り、正面突當りなる窓際に進み、他と、(あはひ)隔る。公子。これより(さき)、姿見を見詰めて、賽の目と宿の數を算へ淀む。……此の時、うかとしたる(てい)に書を落す。)まだ、誰も上らないか。

 侍女一 (やつ)と一人天龍川まで參りました。

 公子  あゝ、まだるつこい。賽を二つ一所に振らうか。(手にしながら姿見に見入る。侍女等、等く其方(そなた)を凝視す。)

 侍女五 きやつ。(叫ぶ。(ひま)なし。其の姿、窓の外へ(もすそ)を引いて(さつ)と消ゆ)あゝれえ。

侍女等、口々に、あれ、あれ、鮫が、鮫が、入道鮫が、と立亂れ騒ぎ狂ふ。
 公子  入道鮫が、何、(窓に()と寄る。)

 侍女一 あゝ、黑鮫が三百ばかり。

 侍女二 取卷いて、群りかゝつて。

 侍女三 あれ、入道が口に(くは)へた。

 公子  外道(げだう)、外道、其の女を返せ、外道。(叱咤しつゝ、窓より出でんとす。)

侍女等(すが)り留む。
 侍女四 輕々しい、若樣。

 公子  放せ。あれ見い。外道の口の間から、女の髮が(こぼ)れて落ちる。やあ、胸へ、乳へ、牙が喰入る。えゝ、油斷した。……骨も筋も()れような。あゝ、手を悶える、(もすそ)(あふ)る。

 侍女六  (いゝえ)、若樣、私たち御殿の女は、(からだ)は綿よりも柔かです。

 侍女七  蓮の絲を(つか)ねましたやうですから、鰐の牙が、背筋と鳩尾(みづおち)へ嚙合ひましても、薄紙一重透きます内は、血にも肉にも障りません。

 侍女三 入道も、一類も、色を漁るのでございます。生命(いのち)頃刻(しばらく)助りませう。

 侍女四 其の(うち)に、其の中に。まあ、お靜まり遊ばして。

 公子  いや、俺の力は弱いもののためだ。生命(いのち)に掛けて取返す。――(よろひ)を寄越せ。

侍女二人()と出で、引返して、二人して、一領の鎧を捧げ、背後(うしろ)より(さつ)と肩に投掛く。

公子、上へ引いて、(うなじ)よりつらなりたる兜を頂く。(つの)ある毒龍、(すさま)じき(かしら)と成る。其の頭を頂く時に、侍女等、鎧の裾を(さば)く。外套の如く背より垂れて、紫の鱗、金色(こんじき)の斑點聨り輝く。

公子、又袖を取つて肩よりして自ら(のど)に結ぶ、此の結びめ、左右一雙の毒龍の爪なり。迅速に一縮(いつしゆく)す。立直るや否や、劍を拔いて、頭上に(かざ)し、ハタと窓外を(にら)む。

侍女六人、齋しく其の左右に折敷き、手に手に匕首(あひくち)を拔聨れて、晃々(きらきら)と敵に構ふ。

 公子  外道、退()くな。(じつ)と視て、(つるぎ)の刃を下に引く)(とりこ)を離した。受取れ。

 侍女一 鎧をめしたばつかりで、御威德(ごゐとく)を恐れて引きました。

 侍女二 長う太く、數百の鮫のかさなつて、蜈蚣(むかで)のやうに見えたのか、あゝ、ちりぢりに、ちりぢりに。

 侍女三 めだか(ヽヽヽ)のやうに遁げて行きます。

 公子  おゝ、丁度黑潮等が歸つて來た、歸つた。

 侍女四 眞個(ほん)に、おつかひ歸りの姉さんが、とりこを抱取つて下すつた。

 公子  介抱してやれ。お前たちは出迎へ。

侍女三人づゝ、一方は(とびら)のうちへ。一方は廻廊に退場。

公子、眞中に、すつくと立ち、靜かに劍を納めて、右手(めて)なる白珊瑚の椅子に()る。騎士五人廻廊まで登場。

 騎士一同  (槍を伏せて、(うづくま)り、同音に呼ぶ)若樣。

 公子  おゝ、歸つたか。

 騎士一  以ての外な、今ほどは。

 公子  何でもない、(わたし)は無事だ、皆御苦勞だつたな。

 騎士一同  はッ。

 公子  途中まで出向つたらう、僧都は()うしたか。

 騎士一  あとの我ら夥間(なかま)(ひき)ゐて、入道鮫を追掛けて參りました。

 公子  よい相手だ、戰鬪は觀ものであらう。――皆は休むが可い。

 騎士  槍は鞘に納めますまい、此のまゝ御門を堅めまするわ。

 公子  ()までにせずとも大事ない、休め。

騎士等、禮拜して退場。侍女一、登場。
 侍女一 御安心遊ばしまし、(きず)を受けましたほどでもございません。唯、(ひど)く驚きまして。

 公子  可愛相に、よく介抱して遣れ。

 侍女一 二人が附添つて居ります、(廻廊を見込む)あゝ、()う御廊下まで。(公子のさしづにより、姿見に錦の(おほひ)を掛け、(とびら)()る。)

美女。先達の女房に、片手、手を曳かれて登場。姿を(しづか)に、深く差俯向(さしうつむ)き、面影やゝやつれたれども、()まで惡怯(わるび)れざる態度、(おもむろ)に廻廊を進みて、(ゆか)を上段に昇る。昇る時も、裾捌き靜なり。

侍女三人、灯籠二個(ふたつ)づゝ二人、一つを一人、五個(いつゝ)を提げて附添ひ出で、一人一人、廻廊の(ひさし)に架け、其のまゝ引返す。燈籠を侍女等の差置き果つるまでに、女房は、美女を其の上段、紅き枝珊瑚の椅子まで導く順にてありたし。女房、謹んで公子に禮して、美女に椅子を教ふ。

 女房  お掛け遊ばしまし。

美女、据置かるゝ(さま)に椅子に掛く。女房は其の(もすそ)跪居(ついゐ)る。

美女、うつむきたるまゝ少時(しばし)、皆無言。やがて顏を上げて、正しく公子と見向ふ。瞳を据ゑて瞬きせず。――()

 公子  よく見えた。(無造作に、座を立つて、卓子(たくし)周圍(まはり)に近づき、手を取らんと()(かひな)を伸ばす。美女、崩るゝが如くに椅子をはづれ、(ゆか)に伏す。)

 女房  何うなさいました、貴女、何うなさいました。

 美女  (聲細く、()れども判然)はい、……覺悟しては來ましたけれど、餘りと言へば、可恐(おそろし)うございますもの。

 女房  (心付く)おゝ、若樣。其の鎧をお解き遊ばせ。お驚きなさいますのも御尤もでございます。

 公子  解いても可い、(結び目に手を掛け、思慮す)が、解かんでも()からう。……最初に見た目は何處までも附絡(つきまと)ふ。(美女に)貴女(あなた)、おい、貴女、(これ)を恐れては不可(いか)ん、(わたし)は此あるがために、強い。此あるがために力があり威がある。今も旣に此に因つて、めしつかふ女の、入道鮫に嚙まれたのを助けたのです。

 美女  (やゝ(おもて)を上ぐ)お召使が鮫の口に、矢張り、そんな可恐(おそろし)い處なんでございますか。

 公子  はゝはゝ、(笑ふ)貴女、敵のない國が、世界の何處にあるんですか。(あだ)は至る處に滿ちて居る――唯一人(いちにん)の娘を捧ぐ、……海の(さち)を賜はれ――貴女の親は、旣に貴女の(あだ)なのではないか。唯其敵に勝てば可いのだ。私は、此の強さ、力、威あるがために勝つ。(ねや)に唯二人ある時でも私は此を脱ぐまいと思ふ。私の心は貴女を愛して、私の鎧は、敵から、(あだ)から、世界から貴女を守護する。弱いものの爲に強いんです。毒龍の鱗は(まと)ひ、爪は(いだ)き、角は枕しても(いさゝか)も貴女の身は傷けない。ともに此の鎧に包まるゝ内は、貴女は海の女王なんだ。放縱(はうじう)に大膽に、不羈(ふき)專横(せんわう)に、心のまゝにして差支へない。鱗に、爪に、角に、一絲掛けない白身(はくしん)(いだ)かれ包まれて、渡津海(わたつみ)の廣さを散步しても、敢て世に憚る事はない。誰の目にも觸れない。人は(ゆびさし)をせん。時として見るものは、沖の其の影を、眞珠の光と見る。(ゆびさ)すものは、喜見城(きけんじやう)幻景(まぼろし)に迷ふのです。

女の身として、優しいもの、(こび)あるもの、從ふものに慕はれて、(それ)が何の本懐です。私は鱗を以て、角を以て、爪を以て愛するんだ。……鎧は脱ぐまい、と思ふ。從容(しようよう)として椅子に戾る。)

 美女  (起直り、會釋す)……父へ、海の幸をお授け下さいました、津波のお強さ、船を(くつがへ)して、此處へ、遠い海の中をお聨れなすつた、お力。道すがらは又お使者(つかひ)で、金剛石の此の襟飾、寶玉の此の指環、(嬉しげに見ゆ)貴方の御威德はよく分りましたのでございます。

 公子  津波(しき)、家來どもが些細(ささい)な事を。さあ、其處へお掛け。

女房、介抱して、美女、椅子に直る。
 公子  頸飾(くびかざり)なんぞ、珠なんぞ。貴女の腰掛けて居る、其は珊瑚だ。

 美女  まあ、父に下さいました枝よりは、幾倍とも。

 公子  あれは草です。較ぶれば此處のは大樹だ。椅子の丈は(くが)の山よりも高い。()うして居る貴女の姿は、夕日影の峰に、雪の消殘つたやうであらう。少しく離れた私の兜の龍頭(たつがしら)は、城の天守の棟に飾つた黃金の(しやち)ほどに見えようと思ふ。

 美女  あの、人の目に、それが、貴方?

 公子  譬喩(たとへ)です、人間の目には何にも見えん。

 美女  あゝ、見えはいたしますまい。お恥かしい、人間の小さな心には、此處に、見ますれば私が(すそ)を曳きます(ゆか)も、琅玕(らうかん)の一枚石。()うした御殿のある事は、夢にも知らないのでございますもの、情なう存じます。

 公子  (いや)、そんなに謙遜をするには當らん。(くが)には名山、佳水(かすゐ)がある。峻嶽、大河がある。

 美女  でも、こんな御殿はないのです。

 公子  あるのを知らないのです。海底の琅玕(らうかん)の宮殿に、寶藏の珠玉金銀が、虹に透いて見えるのに、更科(さらしな)の秋の月、錦を染めた木曽の山々は劣りはしない。……峰には、其の錦葉(もみぢ)を織る龍田姫がおいでなんだ。人間は知らんのか、知つても知らないふりをするのだらう。知らない振をして見ないんだらう。――(くが)は尊い、景色は得難い。今も、道中雙六をして遊ぶのに、五十三次の一枚繪さへ手許にはなかつたのだ。繪も貴い。

 美女  あんな事をおつしやつて、繪には活きたものは住んで居りませんではありませんか。

 公子  いや、住居(すまひ)をして居る。色彩は皆活きて動く。けれども、人は知らないのだ。人は見ないのだ。見ても見ない振をして居るんだから、決して人間の凡てを貴いとは言はない、美いとは言はない。唯(くが)は貴い。けれども、我が海は、此の水は、一畝(ひとうね)りの波を起して、其の陸を浸す事が出來るんだ。たゞ貴く、(うつくし)いものは亡びない。……中にも貴女は美しい。だから、陸の一浦を亡ぼして、こゝへ迎へ取つたのです。亡ぼす力のあるものが、亡びないものを迎へ入れて、且つ愛し且つ守護するのです。貴女は、喜ばねば不可(いけな)い、嬉しがらなければならない、悲しんでは成りません。

 女房  貴女、おつしやる通りでございます。途中でも私が、お喜ばしい、おめでたい儀と申しました。決してお歎きなさいます事はありません。

 美女  (いゝえ)、歎きはいたしません。悲しみはいたしません。唯歎きますもの、悲しみますものに、私の、此の容子(ようす)を見せて遣りたいと思ふのです。

 女房  人間の目には見えません。

 美女  故郷(ふるさと)の人たちには。

 公子  見えるものか。

 美女  (やゝ意氣ぐむ)あの、私の親には。

 公子  貴女は見えると思ふのか。

 美女  ()うして、活きて居りますもの。

 公子  (きつ)としたる音調)無論、活きて居る。しかし、船から沈む時、此處へ來るに()う云ふ決心を()たのですか。

 美女  それは死ぬ事と思ひました。故郷(ふるさと)の人も皆然()う思つて、分けて親は歎き悲しみました。

 公子  貴女の親は悲しむ事は少しもなからう。はじめから其のつもりで、約束の財を得た。然も滿足だと云つた。其の代りに娘を波に沈めるのに、少しも歎くことはないではないか。

 美女  けれども、父娘(おやこ)の情愛でございます。

 公子  勝手な情愛だね。人間の、そんな情愛は私には分らん。(かぶり)()る)が、まあ、情愛として置く、(それ)で。

 美女  父は涙にくれました。小船が波に放たれます時、渚の砂に、父の倒伏(たふれふ)しました處は、あの、(ちやう)ど夕月に紫の枝珊瑚を抱きました處なのです。そして、(あと)(なげき)は、前の喜びにくらべまして、幾十層倍だつたでございませう。

 公子  ぢや、其の枝珊瑚を波に返して、約束を戾せば()かつた。

 美女  (いゝえ)、ですが、()う、海の幸も、枝珊瑚も、金銀に代り、家藏(いへくら)に代つて居たのでございます。

 公子  (よし)、其の金銀を散らし、施し、棄て、藏を(こぼ)ち、家を燒いて、もとの破蓑(やれみの)一領、網一具の漁民と成つて、娘の命乞(いのちごひ)をすれば可かつた。

 美女  それでも、約束の女を寄越せと、海坊主のやうな黑い人が、夜ごと夜ごと天井を覗き、屛風を見越し、壁襖に立つて、責めたり、催促をなさいます。今更、家藏に替へましたッて、と然う思つたのでございます。

 公子  貴女の父は、もとの貧民になり(さが)るから娘を許して下さい、と、其の海坊主に掛合つて見たのですか。見はしなからう。そして、貴女を船に送出す時、磯に倒れて悲しまうが、新しい白壁、(つや)ある(いらか)を、山際の月に照らさして、夥多(あまた)奴婢(ぬひ)に取卷かせて、近頃呼入れた、若い妾に介抱されて居たではないのか。何故(なぜ)、其が情愛なんです。

 美女  はい。……(恥ぢて首低(うなだ)る。)

 公子  貴女を(せむ)るのではない。よし其が人間の情愛なれば情愛で可い、私とは何の係はりもないから。(ちつ)とも構はん。が、私の愛する、この宮殿にある貴女が、そんな故郷(ふるさと)を思うて、歎いては不可(いか)ん。悲しんでは不可んと云ふのです。

 美女  貴方。(向直る。聲に力を帶ぶ)私は始めから、決して歎いては居ないのです。父は悲しみました。浦人は可哀(あはれ)がりました。ですが私は――約束に應じて寶を與へ、其の約束を責めて女を取る、――それが夢なれば、船に乘つても沈みはしまい。もし事實として、浪に引入るゝものがあれば、(それ)(しやう)あるもの、形あるもの、云ふまでもありません、心あり魂あり、聲あるものに違ひない。其の上、威があり力があり、(さかえ)と光とあるものに違ひないと思ひました。ですから、人は然うして歎いても、私は小船で流されますのを、()まで、(あわて)騒ぎも、泣悲しみも、落著過ぎもしなかつたんです。もしか、船が沈まなければ無事なんです。生命はあるんですもの。(くつがへ)す手があれば、それは活きて居る手なんです。其の手に(すが)つて、海の中に活きられると思つたのです。

 公子  (聞きつゝ莞爾(くわんじ)とす)やあ、(女房に)……此の女は(えら)いぞ! はじめから歎いて居らん、慰め(すか)す要はない。私はしをらしい、あはれな花を手活(ていけ)にしてながめようと思つた。違ふ! 此は樂く歌ふ鳥だ、面白い。それも愉快だ。おい、酒を寄越せ。

手を擧ぐ。忽ち(ドア)開けて、三人の侍女、二罎の酒と、白金(はくきん)の皿に一對の玉盞(たまのさかづき)を捧げて出づ。女房(さかづき)を取つて、公子と美女の前に置く。侍女退場す。女房酒を兩方に()ぐ。
 女房  めし上りまし。

 美女  (辭宜す)私は、(ちつ)とも。

 公子  (品よく盞を含みながら)貴女、少しも(から)うない。

 女房  貴女の薄紅(うすべに)なは桃の露、あちらは菊花の雫です。お國では御存じありませんか。海には最上の飲料(のみしろ)です。お氣が(すゞ)しくなります、召あがれ。

 美女  あの、桃の露、(見物席の方へ、半ば片袖を蔽うて、うつむき飲む)は。(と小さき呼吸す)何と云ふ涼しい、(さわ)やいだ――蘇生(よみがへ)つたやうな氣がします。

 公子  蘇生つたのではないでせう。更に新しい生命(いのち)を得たんだ。

 美女  嬉しい、嬉しい、嬉しい、貴方。私が()うして活きて居ますのを、見せて遣りたう存じます。

 公子  別に見せる要はありますまい。

 美女  でも、人は私が死んだと思つて居ります。

 公子  勝手に思はせて置いて可いではないか。

 美女  ですけれども、ですけれども。

 公子  其の情愛、とかで、貴女の親に見せたいのか。

 美女  えゝ、父をはじめ、浦のもの、それから(みんな)に知らせなければ殘念です。

 公子  卓子(たくし)に胸を凭出(よせいだ)歸りたいか、故郷(こきやう)へ。

 美女  (いゝえ)、此の宮殿、此の寶玉、此の指環、此の酒、此の榮華、私は故郷(こきやう)へなぞ歸りたくはないのです。

 公子  では、何が知らせたいのです。

 美女  だつて、貴方、人に知られないで活きて居るのは、活きて居るのぢやないんですもの。

 公子  (色はじめて鬱す)むゝ。

 美女  (微醉の瞼花やかに)誰も知らない命は、生命(いのち)ではありません。此の寶玉も、此の指環も、人が見ないでは、(ちつ)とも價値(ねうち)がないのです。

 公子  それは不可(いか)ん。(卓子を輕く打つて立つ)貴女は榮耀(ええう)が見せびらかしたいんだな。そりや不可ん。人は自己、自分で滿足をせねばならん。人に價値(ねうち)をつけさせて、其に從ふべきものぢやない。(近寄る)人は自分で活きれば可い、生命(いのち)を保てば可い。(しか)も愛するものとともに活きれば、少しも不足はなからうと思ふ。寶玉とても其の通り、手箱に此を藏すれば、寶玉其のものだけの價値を保つ。人に與ふる時、十倍の光を放つ。唯、人に見せびらかす時、其の艶は黑く成り、其の質は醜く成る。

 美女  えゝ、ですから……來るお庭にも敷詰めてありました、あの寶玉一つも、此の上お許し下さいますなら、(きつ)と慈善に(ほどこ)して參ります。

 公子  こゝに、用意の寶藏(はうざう)がある。皆、貴女のものです。施すは可い。が、人知れずでなければ出來ない、貴女の名を(あらは)し、姿を見せては施すことはならないんです。

 美女  それでは何にもなりません。何の(かひ)もありません。

 公子  (色やゝ嶮し)隨分、勝手を云ふ。が、貴女の美しさに免じて許す。歌ふ鳥が囀るんだ、雲雀は星を(しの)ぐ。星は蹴落さない。聲が可愛らしいからなんです。(女房に)おい、注げ。

女房酌す。
 美女  (おく)れたる内輪な態度)もうもう、決して、虚飾(みえ)榮耀(ええう)を見せようと思ひません。あの、唯活きて居る事だけを知らせたう存じます。

 公子  (冷かに)止したが可からう。

 美女  (いゝえ)、唯今も申します通り、故郷(くに)へ歸つて、其處に留まります氣は露ほどもないのです。一寸(ちよつと)お許しを受けまして生命(いのち)のあります事だけを。

公子、無言にして(かぶり)()る。美女、縋るが如くす。
 美女  あの、お許しは下さいませんか。(ちつ)との外出(そとで)もなりませんか。

 公子  (さわやか)に)獄屋(ごくや)ではない、大自由、大自在な領分だ。歎くもの悲しむものは無論の事、僅少(きんせう)(うれひ)あり、不平あるものさへ一日も一個(ひとり)たりとも國に置かない。が、貴女には旣に心を許して、祕藏の酒を飲ませた。海の(はて)、陸の(をはり)、思つて行かれない處はない。故郷(ふるさと)如きは唯一飛、瞬きをする()に行かれる。(あはれ)む如く染々(しみじみ)と顏を覗る)が、氣の毒です。

 貴女に、其の(おごり)と、虚飾(みえ)の心さへなかつたら、一生聞かなくとも済む、また聞かせたくない事だつた。貴女、これ。

(美女顏を上ぐ。其の肩に手を掛く)こゝに來た、貴女は()う人間ではない。

 美女  えゝ。(驚く。)

 公子  蛇身に成つた、美しい蛇に成つたんだ。

美女、瞳を(みは)る。
 公子  其の貴女の身に輝く、寶玉も、指環も、紅、紫の鱗の光と、人間の目に輝くのみです。

 美女  あれ。(椅子を落つ。侍女の膝にて、袖を見、背を見、手を見つゝ、わなゝき震ふ。雪の指尖(ゆびさき)、思はず鬢を取つて()と立ちつゝ)(いゝえ)、否、否。何處も(じや)には成りません。()、一枚も鱗はない。

 公子  一枚も鱗はない、無論何處も蛇には成らない。貴女は美しい女です。けれども、人間の(まなこ)だ。人の見る目だ。故郷に姿を(あらは)す時、貴女の父、貴女の友、貴女の村、浦、貴女の全國の、貴女を見る目は、誰も殘らず大蛇と見る。ものを云ふ聲はたゞ、炎の舌が(ひらめ)く。()く息は煙を渦卷く。悲歎の涙は、硫黃を流して草を(たゞ)らす。長い袖は、(なまぐさ)い風を起して樹を枯らす。悶ゆる膚は鱗を鳴してのたうち(うね)る。不圖(ふと)、肉身のものの目に、其の丈より長い黑髮の、三筋、五筋(いつすぢ)、筋を透して、大蛇の背に黑く引くのを見る、それがなごりと思ふが可い。

 美女  (髮みだるゝまでかぶりを()る)噓です、噓です。人を(のろ)つて、人を(のろ)つて、貴方こそ、其の毒蛇です。親のために沈んだ身が蛇體に成らう筈がない。()つて下さい。故郷(くに)へ歸して下さい。親の、人の、友だちの目を借りて、尾のない鱗のない(わたし)の身が(ため)したい。遣つて下さい。故郷へ歸して下さい。

 公子  大自在の國だ。勝手に行くが可い、そして(ため)すが可からう。

 美女  何處に、故郷(ふるさと)の浦は……何處に。

 女房  あれ彼處(あすこ)に。(廻廊の燈籠を(ゆびさ)す。)

 美女  おゝ、(身震す)船の沈んだ浦が見える。飜然(ひらり)と飛ぶ。……亂るゝ(くれなゐ)、炎の如く、トンと(ゆか)を下りるや、(さつ)と廻廊を突切る。途端に、五個の燈籠齋(ひと)しく消ゆ。廻廊暗し。美女、其の暗中に消ゆ。舞臺の上段のみ、やゝ明く殘る。)

 公子  おい、其の姿見の(おほひ)を取れ。(くが)を見よう。

 女房  困つた御婦人です。しかしお可哀相なものでございます。(立つ。舞臺暗く成る。――やがて明く成る時、花やかに侍女皆あり。)

公子。椅子に()る。――其足許に、美女倒れ伏す――()く旣に歸り(きた)れる趣。髮すべて亂れ、(たもと)裂け帶崩る。
 公子  玉盞(ぎょくさん)を含みつゝ悠然として)故郷は()うでした。……何うした、私が云つた通だらう。貴女の父の(わか)(めかけ)は、貴女の其の恐しい蛇の姿を見て氣絶した。貴女の父は、下男とともに、鐵砲を以つて其の蛇を狙つたではありませんか。渠等(かれら)は第一、私を見てさへ蛇體だと思ふ。人間の目は然う云ふものだ。そんな處に用はあるまい。泣いて居ては不可(いか)ん。
美女悲泣す。
 公子  不可(いか)ん、おい、泣くのは不可ん。(眉を顰む。)

 女房  (背を(さす)る)若樣は、歎悲(かなし)むのがお(きらひ)です。御性急で()らつしやいますから、御機嫌に障ると惡い。こゝは、樂しむ處、歌ふ處、舞ふ處、喜び、遊ぶ處ですよ。

 美女  えゝ、貴女方は樂しいでせう、嬉しいでせう、お舞ひなさい、お唄ひなさい、(わたし)、私は泣死(なきじに)に死ぬんです。

 公子  死ぬまで泣かれて堪るものか。あんな故郷(くに)に何の未練がある。さあ、機嫌を直せ。こゝには悲哀のあることを許さんぞ。

 美女  お許しなくば、何うなりと。えゝ、故郷(ふるさと)の事も、私の身體(からだ)も、(みんな)、貴方の魔法です。

 公子  何處まで疑ふ。忿怒(ふんぬ)の形相)お前を蛇體と思ふのは、人間の目だと云ふに。俺の……魔……法。許さんぞ。女、悲しむものは殺す。

 美女  えゝ、えゝ、お殺しなさいまし。活きられる身體ではないのです。

 公子  (憤然として立つ)黑潮等は居らんか。此の女を處置しろ。

言下に、床板を跳ね、其穴より黑潮(こくてう)騎士、大錨をかついで(あらは)る。騎士二三、續いて飛出づ。美女を引立て、一の騎士が(さかしま)に押立てたる錨に(いまし)む。錨の刃越に、黑髮の亂るゝを搔摑(かいつか)んで、押仰向(おしあをむ)かす。長槍(ながやり)の刃、鋭く其の(あぎと)に臨む。
 女房  あゝ、若樣。

 公子  止めるのか。

 女房  お(ゆか)が血に汚れはいたしませんか。

 公子  美しい女だ。花を挘るも同じ事よ、花片(はなびら)(しべ)と、ばらばらに分れるばかりだ。あとは手箱に藏つて置かう。――殺せ。(騎士、槍を取直す。)

 美女  貴方、こんな惡魚の牙は可厭(いや)です。御卑怯(おひけふ)な。見て居ないで、御自分でお殺しなさいまし。(公子、頷き、無言にてつかつかと寄り、猶豫(ためら)はず(つるぎ)を拔き、颯と目に(かざ)し、()と引いて斜に構ふ。(おもて)を見合す。)

 あゝ、貴方。私を斬る、私を殺す、其の、顏のお綺麗さ、氣高さ、美しさ、目の(すゞ)しさ、眉の勇ましさ。はじめて見ました、位の高さ、品の可さ。()う、故郷も何も忘れました。早く殺して。あゝ、嬉しい。莞爾(につこり)する。)

 公子  解け。

騎士等、美女を助けて、片隅に退()く。公子、(つるぎ)(ひつさ)げたるまゝ、
 公子  此方(こちら)へおいで。(美女、手を曳かる。ともに(ゆか)に上る。公子劍を輕く取る。)終生を(ちか)はう。手を出せ。(手首を取つて刃を(かひな)に引く、一線の紅血、玉盞(ぎよくさん)(したゝ)る。公子返す切尖(きつさき)に自から腕を引く、紫の血、玉盞に滴る。)飲め、吞まう。
(さかづき)をかはして、仰いで飲む。廻廊の燈籠一齋に(とも)り輝く。
 公子  あれ見い、血を取かはして、飲んだと思ふと、お前の故郷(くに)の、浦の磯に、岩に、紫と(あか)の花が咲いた。それとも、星か。(一同打見る。)(あれ)は何だ。

 美女  見覺えました花ですが、私はもう忘れました。

 公子  (書を見つゝ)博士、博士。

 博士  (登場)……お召。

 公子  (指す)あの花は何ですか。(書を渡さむとす。)

 博士  存じて居ります。竜膽(りんだう)撫子(とこなつ)でございます。新夫人(にひおくさま)の、お心が通ひまして、折からの霜に、一際(ひときは)色が冴えました。若樣と奥樣の血の(おもかげ)でございます。

 公子  人間に(それ)が分るか。

 博士  心ないものには知れますまい。詩人、畫家が、しかし認めますでございませう。

 公子  お前、私の惡意ある呪誼(のろひ)でないのが知れたらう。

 美女  (うなだる)お見棄なう、幾久しく。

 一同  ――萬歳を申上げます。――

 公子  皆、休息をなさい。(一同退場。)

公子、美女と手を(たづさ)へて一步す。美しき花降る。二步す、フト立停まる。三步を動かす時、音樂聞ゆ。
 美女  一步(ひとあし)に花が降り、二步(ふたあし)には微妙の(かをり)、いま三あしめに、ひとりでに、樂しい音樂の聞えます。此處は極樂でございますか。

 公子  はゝゝ、そんな處と一所にされて堪るものか。おい、女の行く極樂に男は居らんぞ。(鎧の結目を解きかけて、音樂につれて(おもむ)ろに、やゝ、なゝめに立ちつゝ、其の龍の爪を美女の背にかく。雪の振袖、紫の鱗の端に(ほのか)に見ゆ)男の行く極樂に女は居ない。

――幕――

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2003/10/24

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泉 鏡花

イズミ キョウカ
いずみ きょうか 小説家。1873(明治6)年~1939(昭和14)年。石川県金沢市生まれ。帝国藝術院会員。大正時代から昭和初期までに活躍した小説家。『高野聖』で人気作家となる。他の主な作品に『照葉狂言』、『婦系図』、『歌行燈』などがある。  江戸文芸の影響を深くうけた怪奇趣味と特有のロマンティシズムで知られ、日本語表現の魔術と賞賛された天才の一人と言われ、近代における幻想文学の先駆者としても評価される。古今独歩の美しい幻想境を歩む一方、愛憎の念とともに日本社会の虚栄虚飾に批評の視線を鋭く刺しこみ、自ら弱者との共同歩調を生涯堅持した。その思想と姿勢とを象徴的に打ち出した世界は「海=水」、その主たる龍・蛇は生涯の作品に隠見して優れた主題性を示している。

掲載作は、1913(大正2)年「中央公論」に発表。尖鋭な寓喩的批評を通じて鏡花のかかえた多彩で深い課題を集約した傑作である。関連作品:「龍潭譚」

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