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ぼくの動物記 1

第一話 漆黒の流線――ツバメ

 

  トンネル

 

 五月雨に村里は明るくかがやいていた。篠突く雨の音のなか、ものが静かに動いている。蓑笠(みのかさ)を着けたお百姓が黙々と田植えを急いでいる。あふれる水に早苗は溺れそうになっているが、それでもけんめいに背伸びをして水面にかわいらしい二枚の葉を浮かべている。水面をたたいた雨粒が早苗の上に小さな水玉をピョコンとのせる。水玉は銀色に光りかがやく。雨の波紋に、葉は水玉をのせたまま静かに揺れる。と、雨が直接ピンとはじけ、葉はふるえ、水玉は消えてしまう。アメンボが水の上を軽やかにすべり、波紋と出会うとひょいとジャンプして乗り越えてしまう。

 里には水があふれている。どこもかしこも水だ。この季節になると、雨に煙る山すそから集落までの幾枚もの田んぼは、まるで小さな湖のようになってしまう。重い鈍色(にびいろ)の雨雲がその水面に明るく映える。

 とつぜん漆黒(しっこく)の流線がぼくの目の前を横切った。「ペキーッ」とするどいひと声をあげ、反るようにぐーんと高度をあげた。そして、あざやかな白い腹部を見せながら翻るや、真っ逆さまに水面めがけて落ちるように下降すると、また元のように空間を切るカミソリのような飛翔を続ける。数羽のツバメが広い田んぼの上を翔びかっていた。

 ぼくは仏さまを拝むような姿勢で、雨傘を両手にずっとたたずんでいた。こんな雨の日がぼくはたまらなく好きだ。田の水があふれ溝に落ち、小川はにごり、水かさを増し、ボコッ、ボコッと音をたてながら流れる。そんな小川が急に神秘的に見えてくる。にごった水底を大きなフナやナマズが泳ぎまわっている気配がする。

 ぼくの家のツバメはどれだろうか。分かるはずもないのだが、ぼんやりとそんなことを考えながらツバメの動きを目で追っていた。虫を捕えたツバメはつぎつぎと田んぼを離れ、村の屋並の方へ姿を消す。傘をたたく雨の音が強くなる。ぼくは体をすぼめる。寒さにぶるっとふるえる。すると急に家が恋しくなる。が、はげしい雨にかえってこのままたたずんでいたい気もする。「ペキーッ」とぼくの前を一羽が横切った。ぼくはそのツバメをぼくの家に巣を懸けた奴だと決めた。低空飛行のままぐんぐんぼくから離れていく。雨にかすんで見えなくなるかなあ、と思った瞬間、雨空高く翻った。そしてそのまますーっと村の屋並へと流れるように下降する。ぼくはそれと同時に走った。家には巣立ち間ぢかのかわいい雛が待っているのだ。

 

 ツバメは大切に扱われる。害虫を捕食するので農家では特にありがたい鳥だ。村の家々にはたいてい巣がある。それも軒先などではなく、玄関をくぐった三和土(たたき)の上の梁に巣を懸ける。毎年同じ場所に営巣するよう梁の下に四角い板を準備してやるのだ。目も眩むばかりの陽光に翻ったツバメが、ぐーんと大きな弧をえがき、薄暗い玄関の奥へ翔び込んでいく姿はどこの家でも見られた。

 ところが、ぼくの家ではなぜかツバメが巣を懸けなかった。春先になると幾羽かのツバメが入れかわり翔び込んで来るのだが、いつの間にかいなくなる。用意された板に翼を休めることもあり、今年こそはと、ツバメの真っ白い胸のように期待をふくらませるのだが、とうしても巣を懸けない。そしていつの間にか板は取り除かれた。それでも春先になると、ツバメは営巣の場を探しているのか、四、五日だけはやって来る。

 毎年そんな思わせぶりなことをツバメはくり返していたが、なぜか今年は二羽のツバメが巣の材料にする泥土まで嘴にくわえ、こともあろうに居間の電灯の笠の上にそれを積みはじめた。が、さすがにそこは都合が悪いので追い払われた。泥までくわえて来るのだから、ツバメはこの家に巣を作るつもりにちがいない。そんなぼくの期待通り電灯の笠の上を追われてしまったのにもめげず、ツバメの出入りは続いた。ぼくは家の人にせがんで板を取り付けてもらった。そして、きっとそこに巣を作りはじめるだろうと思っていた。

 ところが、ツバメは用意された板には見向きもしないで、もうひとつ奥の、カマドのある三和土(たたき)にまで入り込んだ。そして上框(あがりがまち)の上の太い鴨居に本格的な巣作りを開始したのだった。鴨居の上は、暗くて高い屋根裏まで続く分厚い砂壁だった。その砂壁と鴨居の接するわずかな引っかかりのような部分を、ツバメは利用したのだ。本格的な巣作りの開始はツバメの様子ですぐに分かった。にぎやかにさえずりながら、三和土の上をあちこち翔びまわることもなく、泥をくわえたまま玄関からさっと一直線に翔び込んでくると、ふわっと翼をあおり、目的の場所にとまる。家の中での無駄な飛翔やさえずりは一切なくなり、作業は黙々と続けられる。

 玄関の障子戸の一枡(ひとます)がカミソリで切り抜かれた。朝の早いツバメは、そのわずかな枡目を、翔ぶスピードを変えることなく一瞬に通過する。早朝や夕暮れどきなど、カマドから立ちのぼる煙が三和土に漂い、ぼくなどけむくてたまらないのにツバメはせっせと巣作りにはげむのだ。時折、家のそばの電線に翼を休め、羽づくろいをしたり、「ツチクテムシクテクチシブーイ、ツチクテムシクテクチシブーイ」とさえずったりしている。

 やがて抱卵が始まった。常に一羽のツバメがすり鉢形の巣の中にいる。尾羽が黒くするどい刃物のように巣からはみ出している。出入りの回数も減り静かだ。ときどき他の一羽がやって来ると、互いに「ツェッ、ツェッ」と短く鳴きかわす。生まれ出ずる生命の安否を気づかい、あたため合う静かな緊張が三和土に漂う。ぼくにもその緊張感が伝わってくる。学校へ行くときなど、そっと上框から降り、巣を見上げながら、

「ほんじゃ行ってくるぞ」と手を振る。巣の中のツバメはごそごそと動き、首をかしげ、真っ黒ですこし腫れぼったい目でぼくの方を見下ろし、「ツェッ」とするどく鳴く。「早く行ってくれ」と言っているようだ。

 雛がかえった。小さな卵のぬけがらが、上框に落ちていた。

 雛はとても小さいらしく、最初は見えない。が、三日もすると親ツバメが餌を運んで来るたびに、「チー、チー、チー」と虫の鳴くような声がかすかに聞こえてくる。そしてまだ羽毛の生えそろっていない頭部と、まっすぐに伸ばす裸同然の首が巣の外からようやく見えるようになる。この時期の雛はすこしもかわいらしくない。むしろグロテスクで、それがかえって痛々しい感じをあたえる。

 こうしてぼくの家にもついにツバメが雛をかえしたのだ。

 ぼくは古くて広い家に佐喜蔵おじさんと松江おばさんと三人で暮らしている。家族は一年ほど前東京へ行ってしまった。父はぼくが三歳のとき他界し、大戦などが重なって家が傾きはじめたからだ。大人たちの会話の中に「ボツラク」という言葉が使われるのを、ぼくはよく耳にした。それでぼくは佐喜蔵おじさん夫婦に育てられることになったのだ。おじさんといっても、祖母の兄にあたる人だから、もう六十を過ぎた老人だ。

 佐喜蔵おじさんは背が高く、いかにも厳格な人のように見えたが、その実とても穏やかでやさしい人だ。それが証拠に、ニワトリ小舎のニワトリたちはぼくが近づくと警戒し小舎のすみの方へ逃げて行くのに、おじさんが姿を見せると、「クオー、クオー」と鳴き交わしながら近寄って来るのだ。 

 松江おばさんは佐喜蔵おじさんとはまるで反対だ。背は低く、プリマウスロック種のニワトリのようにずんぐりと太っている。そしていつも厳格そうなおじさんのあとからおどおどし、つまずきながら従っているように見える。不思議なことに、そんなおじさんやおばさんといっしょに暮らすようになったとたん、ツバメがぼくの家に巣を懸けたのだ。

 

 巣立ち間ぢかの、真っ白い胸をふくらませたかわいい五羽の雛が待っている。

 ぼくは雨の中を走った。大雨だ。小川があふれる。道の上をドジョウがはしる。鈍色の光はどこから射してくるのか。村里は妙に明るい。雨が鉛色に光る。小川の濁流が赤茶けて光る。あふれた水が道路を洗い、その浅い流れが灰色に光る。べっとりと動かない雨空が光る。山の端ちかくは薄紅色に、村の上は白濁色に。ものみな雨の中に明るく光る。

 こんな大雨になるとぼくの頭はこんぐらかってくる。畦道の雨の中にいつまでもたたずんでいたい。魚獲りもしたい。が、むしょうに家が恋しくもなる。ぼくは走る。こんぐらかる頭といっしょに走る。さっきの親ツバメはもうとっくに家に戻っているにちがいない。ツバメは速い。あれは翔んでいるのではなく(ひらめ)いているのだ。

「ペキーッ」

 ぼくが玄関におどり込んだとき、雨空から弓なりに翔び込もうとしたツバメがするどく鳴き、逆戻りしようとした。ぼくは玄関の障子戸のかげに身を寄せる。

「ペキーッ」ともうひと声、入り口でひらひらと翔んでいたツバメは勢いをつけ奥へとはいる。雛たちのさわがしい声が聞こえる。

「ひどい雨やなあ」

 松江おばさんが太った体をもたもたと運びながら出て来た。

「ツバメは?」

 ぼくはこれという答えを期待するつもりはむろんなく、ただ習慣的に尋いてみたくなる。「雑巾で足を拭かんとあかんで」

 おばさんは上框へ急ぐぼくのあとから、ぼくの無作法をあらかじめ封じようとする。

「ほんなもんかまへん」

 上框に腰かけながら言うと、

「あかん」と、おばさんは真剣になる。それがとてもおかしくて、ぼくは笑いながら雑巾を取る。足を拭きながら見上げる。数をかぞえる。五羽の雛が巣のふちに沿って、ぐるりと仲良く白い胸を突き出し、餌を待っている。

「ツバメが何やらおかしいんやで」

 不意におばさんが言った。

「何で?」

 ぼくはおばさんの方を見る。おばさんはちょっと怪訝そうな面持で巣を見上げながら、

「親がしょっちゅう様子を見に来よるんやで」と言う。

「餌を持たんとか?」

「ほうよ」

 そのとき、「ペキーッ」と親ツバメが翔び込んで来た。雛たちはいっせいに嘴をあけ、「チェーッ、チェーッ」と鳴きながら、親ツバメの方へ身を乗り出す。が、親ツバメは、「ペキーッ、ペキーッ、ペキーッ」と鳴きながら、ぐるっ、ぐるっと三和土の周囲を翔びまわったり、高く薄暗い上の方へ翔け上がったかと思うと、ストンと落ちるように下降し、「ペキーッ」と鳴き、外へ翔び出した。

「ほやろ」

 おばさんがぼくを見る。

「二人もおるさかい警戒しとるんや」

 すこし変だなあと思ったが、こういうことはよくある。

「巣立ちやろかな」と、おばさんは巣を見上げた。一羽の雛が巣のふちまで出て来ると、さかんに羽ばたきをする。親ツバメに較べれば尾羽も短く、どこか危なっかしい。それでもずいぶん大きくなったものだ。おばさんの言う通り、巣立ちも間ぢかになったのかも知れない。

 しばらく観察してみた。

 親ツバメはせっせと餌を運ぶ。が、たしかに普段と異なり、餌をあたえ、戸外に翔び出したかと思うと、すぐまた戻って来たり、どことなく落ち着かない。そんな親ツバメや、羽ばたく練習をさかんにくり返す子ツバメの様子を見ながら、ぼくはふと思った。きっと親ツバメが雛の巣立ちをうながしているのだ。もうそれ以外は考えられなかった。

 ツバメは二度育雛(いくすう)する。一番雛は今日みたいな篠突く雨が続くころ、巣立ちする。巣立ち直後の子ツバメが、雨にぬれながら電線に並び、親が餌を運んでくるのをじっと待っている光景はよく見かける。時には空中で餌をもらっていることだってある。

 雛が巣立つ。ぼくの家から巣立っていく。ぼくはその日が近づいたことを感じた。

 

 夕餉の仕度をする煙が家の中に立ちこめた。空気は動かず雨はまっすぐに降り続けた。夕闇になお親ツバメは三和土の煙の中へ翔び込んで来た。

 夜になると雨はさらにはげしくなった。山から山へ、ぐるりと巻くようにはしる遠雷が聞こえてくる。戸の外のはげしい気候の変化に、ぼくは家の中にいる安堵感をあたためる。そしてさまざまなことを想像する。

 この季節のこの雨。魚は活発に動きまわる。大河から、湖沼から、細流へ、細流へと魚はさかのぼる。濁流の小川の水底を、両手でもつかみきれないほどの大きなフナが泳ぎまわる。こぶしをすっぽり飲み込んでしまいそうな大ナマズが、夜の小川の大王のようにゆうゆうとくねり、さかのぼる。小さなフナやタモロコが群れをなして濁流に力いっぱいあらがう。川辺の草を洗う急流をカエルが必死に泳ぎ渡ろうとする。ガバッと水底の大ナマズが跳ねてカエルを飲み込んでしまう。

 こんなひどい雨の夜に、親ツバメはどこで眠っているのだろうか。家の中に姿は見当たらない。雛たちは互いにからだを寄せ合い、寝息に白い胸をふくらませながら、巣立ちの夢を見ていることだろう。雨の音がふーっととぎれそうになる。五羽の雛の白い胸がおぼろにかすむ。「チーッ、チーッ」と鳴く声がかすかに聞こえてくるような気がする。ぼくは遠のいていくすべてを必死に引き戻そうとする。雨の一日のすべてを。しかし枕を当てがっている後頭部から、瞳の奥から、睡魔がぼくを闇の底へ引きずり込んでいく。もはやぼくは愉しい想像を続けることができない。ぼくは微笑む。微笑みながら深い眠りに落ちていく。

 

「目を覚ましたか」

 松江おばさんの声がした。

「雨は?」 

「降ったるが」

 おばさんの声と同時に、雨の音が聞こえてきた。

「いま何時?」

 いつもより早いと思った。雨の外の気配はまだ夜が明けたばかりのように思われた。おばさんはぼくの枕元に突っ立ている。

「六時よ、まだ」

 そう言うおばさんの声も様子もすこし変だ。

 その時、「ペキーッ」とツバメの鳴く声が三和土の方から聞こえてきた。ぼくはふとんを勢いよく跳ねながら、

「巣立ちか?」と尋いた。おばさんはあわてたように、

「ほれがなあ」と、ぼくの方を気の毒そうな様子で見下ろす。

「どうしたんや?」

「朝からいよらへんのよ。子ツバメが全部」

 おばさんは明らかにうろたえている。

「いよらへんて・・・・。巣立ちしてしまいよったんか?」

 ぼくの言葉に、

「ほやないのやが。ヘビかなんぞに飲まれてしまいよったらしいんや」と、もうおばさんは今にも泣き出しそうな声で言う。おばさんのその様子からぼくはすべてを察知した。ぼくは跳び起き、階段を駈け下りた。三和土には佐喜蔵おじさんが厳しい顔つきで突っ立っていた。

 二羽の親ツバメが、「ペキーッ、ペキーッ」と鳴きかわしながら三和土の間をぐるぐる回ったり、玄関から出たかと思うと、すぐ戻ってきたりしている。そのあわただしい様子から、明らかに異常事態が発生したのだということが分かった。巣を見上げた。一羽の雛もいない。ぼくは上框に突っ立ったまま、しばらく身じろぎもしなかった。

「おじさん・・・」と、何か問いかけようと思ったが、こういうときのおじさんの周囲は厳しい雰囲気が張りつめており、怖い。

「いや、目が覚めましたかな? え?」

 突っ立っているぼくにやっと気づいたように、おじさんは穏やかに言った。そして微笑み、両目をさかんにしばたたいた。ぼくはうんとうなずいた。おじさんはうつむきかげんに三和土を往き来しながら、

「えらいことですなあ、これは・・・。えらいことですなあ」と呟き、ふと足を止めると、雨の朝を確かめるように玄関の外をじっと見つめた。

「ヘビですやろか」

 ぼくの横でおばさんがそっと尋いた。おじさんは外を見つめたまま、

「さあ、ヘビですかな・・・」とひとり言のように呟き、ちょっと首をかしげ、

「イタチかネズミかも知れませんな。壁に穴をあけときよるでな」と、巣の方を見るでもなく、それとなく言った。

 ぼくはふたたび巣を見上げた。が、ほとんど真下から見上げているようなものだから、もちろん壁に穿(うが)たれた穴は見えない。ぼくは三和土に下り、カマドの焚き口の方へまわり、背伸びをしながら見た。何ということだろう。ぼくは思わず身ぶるいしていた。すり鉢形の巣のくぼみのところを中心に、まるで測ったようにポッカリと穴があいていた。穴は明らかに分厚い砂壁の向こう側から穿たれてたものだ。ちょうどネズミ一匹か、太いアオダイショウが通り抜けられるぐらいの大きさだ。穴の奥は暗くて何も見えない。が、あの暗い奥へ子ツバメたちが一羽、また一羽と引きずり込まれていったのだと思うと、ぼくのこころは恐ろしさとやるせない憤りに破裂しそうだった。

 ぼくは何度も背伸びをして魔のトンネルを確かめた。おばさんは眉間にしわを寄せ、情けない顔つきで朝餉の仕度に取りかかった。おじさんはニワトリに餌をやるため出て行った。紫色の煙が昨日の夕暮れと同じように三和土に漂いはじめた。

 親ツバメが交互に、あるいは二羽いっしょに翔び込んで来ては、鋭い鳴き声をあげる。ぼくは上框に腰掛け、ときどき巣の方を見上げながら考えていた。いったい何ものが雛を襲ったのか。ツバメはけっしていい加減な場所に巣を懸けたわけではない。家の中でもっとも安全なところを幾日もかけ選び出したにちがいないのだ。おじさんが板を準備してくれた場所も、村の他の家々と同じように確かに安全な場所だ。ヘビもイタチも近づけるものではない。しかし、親ツバメがその板に見向きもせず、鴨居の上に巣作りを始めたとき、誰しも弱いツバメのより賢明な本能におどろいていたのである。

 上框に接する敷居から上は、板の戸、太い鴨居、普段は見上げることすらない分厚い砂壁が薄暗い屋根裏あたりまで続いている。いかにヘビがうろこを逆立てようとも、利口なイタチがいかに巧妙な手段を考えようとも、ネコが爪を逆立て登ろうとしたとて、とても届くものではない。ネズミなどはおはなしにならない。水屋の井戸の上の太い梁を渡るときですら、あわててボチャンと水音高く墜落してしまうぐらいなのだから。あのツバメの巣まで行き着くことができるとすれば、ナメクジかカタツムリかヤモリぐらいなものだ。

 親ツバメの場所の選択はけっしていい加減なものではなく、間違っていなかった。が、しかし、誰がいったいあの分厚くかたい砂壁を破る動物(もの)が、この家にひそんでいることを想像しただろうか。どんな想像をめぐらせてみても思いあたらない。おそらく幾日もかかり穿たれたにちがいないおそろしいトンネル。自然はいつもこうしてぼくの想像を越えたところで動いているのだ。

「何やろな」

 ぼくはぽつりと呟いた。

「何やろな」

 火吹き竹を吹くのをやめ、おばさんが呟く。そして、

「きのうからツバメの様子がおかしかったなあ」と、恨めしそうに言う。

「壁の裏から掘ってきとるのを知っとったんやわ、きっと」

 ぼくは助けてやれなかったことを、また親ツバメの異常な行動に気づかなかったことを悔やんだ。雛たちの背後から刻々と迫る魔の気配に、親ツバメはどんな気持ちで餌を運んでいたのだろう。餌を運び、気も狂わんばかりに、ぐるっ、ぐるっと三和土に空中回転しながら、

「ペキーッ、ペキーッ、助けてくれ」と、鳴き叫んでいたにちがいないのだ。

「学校から帰ったら魚つかみに行くか」

 (まき)をくべながらおばさんがふと言う。ぼくはすぐに返事をしなかったが、

「あかん、網がやぶれてしもたるもん」と、力なく言った。

「こんな雨の日は大きな(やつ)がつかめるで」

 おばさんは立ちあがり、両手をいっぱいに拡げ、おどけた素ぶりで言う。ぼくは申しわけ程度に微笑んだ。松江おばさんはいつも剽軽(ひょうきん)で大袈裟だ。すくない獲物にがっかりして帰って来ても大袈裟な素ぶりで驚いてみせ、めちゃくちゃ褒め、そしてぼくを村一番の魚獲りの名人にしてしまったりするのだ。

「ほんな大きな魚、網ですくえへんが」

 ぼくが笑いながら、気のない返事をすると、

「ほうか、行かへんのかあ」と、まるで自分が魚獲りに行けなくなったかのようにがっかりした顔つきで、ぼくの方を見る。そしてふたたびしゃがみ込んで火吹き竹を焚き口に向け、ふーっ、ふーっと吹いた。ぼくは顔を洗いに、そっと井戸端の方へ向かった。「ペキーッ」と背後でツバメが鳴いた。

 もう二度とぼくの家には巣を懸けないだろうと思った。

 

 雨の中をぼくは走った。明るい里を田んぼの方へと走った。新しい網とビクを持ち、水の里を走った。学校から帰ると真新しい網が上框に上に置いてあった。ニワトリが追われるように、ぼくは松江おばさんに追い出されてしまった。

「行ってき。早う行ってき。こんな雨の日に魚獲りにいかん子は阿呆や。大きい(やつ)やないとあかんで」

 田んぼはあふれる。溝に落ち込む水は音をたてる。そっと近づき、溝から小川への決壊点をバサッと網でふさぐ。同時にぼくは足元から溝へすべり入る。あわてずゆっくりと、水の落ち込むところまで網で追い込んで行く。濁る水底には想像と越える大きなナマズ。その確かな気配。

「ペキーッ」

 ぼくの目の前を漆黒の流線が横切る。どこまでも明るい雨の空。

 ぼくは見て見ぬふりをしていた。

 

  空気銃

 

 ぼくは小学校五年生のときから東京に住むようになった。しかし、冬休み、春休み、そして夏休みと、その大半を郷里の家で送った。休みにはいるその日に、ぼくはもう汽車に乗っていた。汽車が郷里に近づくにつれ、くり返す懐かしさの只中で、ぼくの胸は高鳴った。世界の輪郭がくっきりとあらわれてくるような気がした。はっきりとした空気、風、土の香り。季節は幾重にもかさなりながら、なお微妙な変化をはっきりと示しつつ移っていく。ぼくはその中で遊び呆けた。遊び過ぎて高熱を出し、休暇の終わるその日の夜汽車に乗り、混雑した通路にぐったりと坐り込んで郷里を離れることもあった。隣家(となり)のアキラとかすみ網で捕えたアオジやカシラダカを小さなボール箱に入れ、そっと小脇に抱えながら・・・・。小鳥を持ち帰るには夜の方がいいと思った。

 

「アキちゃん」

 ぼくは裏の垣根をくぐり、アキラの家の屋敷へとはいって行った。アキラは縁側に坐り、空気銃を解体していた。ぼくはそばに腰掛け、

(ひる)から愛知川(えちがわ)へシャクリに行こけ」と言った。二メートルほどの竿の先に針をつけ、アユを引っかける漁法だ。アキラは返事の代わりに、

「飯島君は?」と尋く。

「知らん」と、ぼくは生返事をし、空気銃の解体作業を見ながら、

「どっかへ行きよった」と突き放すように言った。

「飯島君は行きたいと言うとるのか」

 アキラはドライバーでネジを締めた。ぼくは口を噤んだ。また飯島か、と思った。一人で帰ってくればよかったと言い切る勇気はなかったが、こころのわだかまりをふっきることができない。ぼくはぼんやりと夏空を見上げた。目の前の柿の木でヤブキリが、「キチッ」と一度だけ鳴いた。翅を整えていたら、音が出てしまったというような鳴き方だった。青く堅い柿の実が幾つもぶら下がっていた。

 この夏休み、ぼくは一人の友達といっしょに帰郷した。飯島は同じクラスで生物班だった。帰郷するたびに、あれこれと土産ばなしをしたり、郷里での奔放な遊びぶりをすこしばかり自慢げに説明したり、持ち帰ったアオジやカシラダカを譲ったりしていた。話ばかりでは、と誘ってみた。彼は二つ返事に喜んだ。

 日が経つにつれ、ぼくたちは互いに知らなかった部分に気づくようになった。アキラと三人で愛知川へシャクリに行った。アユの背や腹、ときには頭に針がくい込み血が流れる。

「かわいそうだなあ」

 名人級のアキラが次々と引っかけ、ぼくもぼつぼつとシャクルのを見ながら、飯島が言う。

「やれよ」と勧めても、

「かわいそうだよ」とうなじを横にふる。

「見ていや飯島君、こうやるんや」

 アキラは遠来の客をもてなす親切をもって教える。すこし興味を示すのだが、しばらくすると、

「やはりいいよ」と、箱メガネをアキラに返してしまう。

「飯島、じっと待たなきゃだめだよ。ねらいをつけた石に必ず戻って来るから。アユが落ち着いたところをさっとシャクルんだよ」

 河原の焼けた石に腰を下ろし励ますのだが、

「いいよ」と不満そうに言うのだ。それでも生物班かよ、とぼくも口を噤んでしまう。

「飯島君は慣れてへんからや。慣れたらすぐシャクれるようになるわ。タミィかて、初めはぜんぜんあかなんだのやで」

 アキラはぼくをけなすことによって、遠来の客の不機嫌を取りなそうとする。

 ハチの巣を採るときも、魚を素手で獲えるウロンタさぐりをやるときも、飯島はいつも一歩退いた。そのうち彼は村はずれの寺の息子と仲良くなり出した。彼はぼくと同年だったが、子供の頃からアキラやぼくとちがっていた。いずれは僧籍を継ぐことになるのだから、乱暴な遊びや派手な殺生は慎むように育てられているのか、在家の腕白小僧というわけにはいかなかったらしい。ぼくたちは小さい頃から、「小坊(こぼん)さん」と呼んでいた。その小坊さんのところへ飯島はよく行くようになった。

「小坊さん()にはきれいなお姉さんがいるんだよ」

 帰って来た飯島は変に目を輝かせ、すこし卑屈な態度で言う。ぼくは今まで知らなかった彼の新しい面にちょっとおどろき、いやな気分に陥ったが、

「もっと真面目に遊ぼうぜ」とふてくされながら言った。

「また小坊さんとこけ」

 アキラはなおし終えた空気銃を布切れでふきながら言う。ぼくはそれには答えず庭を見つめていた。アキラは照準を合わせるため柿の木に向かって銃を構え、片目を閉じた。

()うたるか?」

 ぼんやりとぼくは言った。アキラは、

「一回試してみるわ」と銃を折り、鉛玉をこめる。そしてもう一度柿の木の方へ銃口を向けた。何を標的にしているのか、ぼくには分からない。パスッと音がして、柿の葉一枚、かすかにゆれた。

「何を狙ろたん」

「やっぱりあかん。柿の実を狙ろたんや」

 アキラはあきらめたように銃を置き、さあ今日一日、何をして遊んでやろうかという具合に辺りを見回した。

「飯島君は行きよらへんのか」

 ぼそりとアキラが呟いた。

「愛知川か?」

「シャクリよ」

「さあ、どや分からん」

 ぼくは気のない返事をした。ヤブキリがまた「キチッ」とひと鳴き、翅を整えた。かすかな風が分厚い柿の葉むらの上を渡った。

 飯島がいっしょに行かなければアキラも行かないのだ。ぼくはそう思った。アキラのこころはいつも彼を中心に動いている。それはアキラばかりではない。飯島を歓待する小坊さんやその家族にしても形は異なるものの、どこかに共通するものがある。

 彼は東京の少年()

 ではいったいこのぼくはどこの誰なのか。

 ぼくは急に何か乱暴なことをしたくなった。

「アキちゃん、空気銃貸してくれ」

 ぼくはアキラの方を見ながら言った。

「ほんなもん照準が狂たるでよ」

 アキラはちょっと銃を持ち上げながら言う。

「かまへん」

 ぼくは自分の声がふるえているような気がした。

「何にもいよらへんでよ」

 アキラはそう言いながら、銃をぼくに手渡した。銃の重さがぼくのこころを鎮めた。何もかも解決してくれるような重さだった。

「ほんなもん何にもいよらへんでよ。家のアオダイショウを撃ったろと思て、なおしてたんやさかい」

 アキラは数発の鉛玉をぼくに握らせ、もう一度言った。アキラの言う通り、いかにも空気銃は冬のものだ。冬ならば家の周囲に、スズメ、ヒヨドリ、ムクドリ、ホオジロ、カシラダカ、アオジ、ツグミと狙う小鳥はいくらでも発見できる。

「何でもええさかい、ちょっと撃ってくるわ」

 ぼくはそう言って、鉛玉をこめた。アキラはその空気銃の特徴を説明した。

「ちょっと左にズラして撃たんとあかんで」

 アキラの声をうしろに、ぼくは垣根をくぐろうとした。そのとき、

「午からシャクリに行こけ」とアキラがぼくを呼び止めるように言う。ぼくは振り返り、「飯島は行きよらんぞ」と言った。アキラはちょっと戸惑ったような顔つきをしていたが、

「飯島君は気がないであかん。都会の少年()や」と、柿の木の方を見ながらぼんやりと言う。ぼくは何と答えていいか分からなかった。が、

「すぐ戻って来るわ」と大きな声を出すと、そのまま垣根をくぐった。

 ぼくは村の少年()。山や野面や川べりにいつも好奇の目をぎらぎら輝かせ、アユをシャクリ、ナマズをとらえ、ハチの巣を突っつき、石垣を崩してウナギを獲り、時にはすこし乱暴だが、ヘビをとらえて振るまわし、カマキリをつぶして針金虫を引きずり出し、日がな一日遊んでいる。

 ぼくは空気銃を片手に屋敷の中をうろついた。いま、ぼくはぼく自身の証しが是非ほしいと思った。しかしスズメ一羽見当たらない。仕方なく長小屋の前の大きな柿の木の実でもと思ったとき、電線に五羽のツバメが翼を休めているのが目にはいった。

 神さまあつかいのツバメをまさか。が、ぼくの足は無意識のままそっと近づいていたのだ。いまの季節、ツバメ以外いったいどんな小鳥が撃てるというのだ。

 柿の木のそばまで歩を進めた。土塀を兼ねた長小屋のすぐ向こう側だから、ぼくは五羽のツバメのほとんど真下に位置することになった。他の小鳥ならば完全に翔び立ってしまうだろう。空気銃は命を奪う危険なものであることを知りつくしているように、冬の小鳥たちは逃げる。しかし人をまるでおそれないツバメはのんびりと羽づくろいをしている。

 ぼくは構えた。銃身も照準も狂っているような空気銃なのだ。まぐれにも命中しないだろう。息を詰めるが、照準は右に左にゆらゆらと揺れる。しかしぼくは狙っている。神さまあつかいにされている村のツバメを。

「左にズラして撃たんとあかん」——— 照準が右の方へぶれた瞬間、ぼくは引き金を引いた。乳白色の暑い夏空に向け、パスッと短い音がした。と同時に、左から二番目のツバメが真っ逆さまに落下した。翼をたたんだまま、まるでツバメの剥製が落下していくように。

 ぼくは茫然とその場にたちつくしていた。体は硬直したまま動かない。確かにツバメは落ちた。自分のしでかしたことがいかに重大でおそろしいことなのか。静かな村が、なお静かにぼくに迫ってきた。

 そしてその瞬間、ぼくは塀の向こう側の道路上に起こった現実を、一刻も早く取り除かなければいけないと思った。もし村の人が通りかかりでもしたならば・・・・。が、ぼくは夢中で逆の方向に走っていた。猟犬のような勢いで垣根をくぐり、

「アキちゃん」と、大声でアキラを呼んだ。縁側のところにアキラの姿はない。

「アキちゃん」

 もう一度、大きな声で呼んだ。

「おー、ここや」

 表玄関の方で声がする。アキラの家屋敷も広い。勝手を知っているぼくは、裏口から水屋を突き抜け、表玄関へ跳び出した。

「何や」

 アキラはシャクリの準備をしていたのか、箱メガネと竿をもってぼくの横あいから声をかけた。

「えらいことをしてしもたんや」

 ぼくはもう泣き出さんばかりだった。

「どうしよう」 

 騒ぎに家の中からアキラの弟のマコトも駈けつけた。

「何したんや」

 アキラが言った。

「ツバメを落としてしもた」

「ツバメ?」

 マコトが横あいから素頓狂な声を出し笑った。

「マコ、笑いごとやないのや」

 ぼくはマコトの方を見て、真剣に言った。それでもマコトはツバメを撃ち落したことがよほどおもしろいらしい。

「何でツバメみたいなもん撃ったんや」

 アキラが呆れたように言う。ぼくは何と答えていいか分からない。アキラの問いかけにすぐ答えられるのだったら、ツバメなど撃ちはしなかったろう。

「どうしたらええやろ」

 ぼくは落下したツバメのことばかり気になった。アキラは、

「顔が(あお)いで」と笑い、そして「何がや」と怪訝そうな顔つきでぼくを見る。

「落としたツバメよ」

 ぼくは自分の声がふるえているのが、よく分かった。

「ほんなもん、ほっといたらええが」

「ほやけど・・・・。ツバメやろ、村の人が通ったら・・・」

 そう言いいながら、ぼくは自分で落ちたツバメの様子を見に行こうかと思ったが、怖くてどうしても足が向かない。ツバメがいかなる目で人びとから崇められているか、アキラもよく知っている。アキラは、

「ほんまに落ちよったんか」と、ちょっと考えるような様子で言う。

「ほんまや」

 ぼくはごくりと唾を飲みこみながら言った。

「あんな空気銃でよう落ちよったね」

 アキラは苦笑しながら、

「マコ、見て来い」と、とつぜんマコトに命令した。マコトはちょっと戸惑いながらぼくの方を見る。すかさずぼくは、

「マコ、頼むわ」と、思わず彼の顔に向かって両手を合わせた。そんな自分を、ぼくは一瞬ずるいと思った。が、ぼくのこころと体は凍てついてしまったように動かなかった。

「行ってきたるわ」

 人の好い笑顔をあとにマコトは門口の方へ走って行く。ツバメが落下した場所は間違いなく道の真ん中だ。マコトが誰にも会わないように祈っていた。

「ほんなもん平気よ」 

 心配するな、とアキラが目で言う。一刻一刻と、暑さの加わる静かで長い時間を、ぼくは耐えていた。アキラの家の前栽の百日紅(さるすべり)があざやかに夏を咲いていた。

 門口から跳び込んで来たのはマコトひとりではなかった。飯島もいっしょだった。ぼくはびっくりした。

「帰って来たら、マコちゃんに会ってさ」

 飯島はこれから何かおもしろいことでも起こるのを待つかのように言った。マコトは右手に握ったツバメをアキラの方へ突き出し、

「落ちとった。まだ生きとるかも知れんで」と言う。

「マコ、すまん」

 ぼくはマコトをもう一度拝むと、ツバメの方へそっと近づいた。アキラは掌にのせ、こころもち持ち上げるようにして様子を見る。

「アキちゃん、ちょっと貸して」と、ぼくはアキラからそっとツバメを手渡してもらった。小鳥特有のぬくもりが掌に伝わってくる。真っ白い胸はまだ大きく息づいている。黒い目もまだ開いている。が、その目はときどき苦しそうに、また眠そうに瞼を閉じるのだ。ぼくは瀕死のツバメを掌に、なぜか強烈な夏を感じた。そしてその夏をみずから殺そうとしている自分がみじめだった。

「あーあ、かわいそうだなあ、ツバメなんか撃つんだからなあ」

 横あいから、飯島がとつぜん言った。

「ちょっと貸してみ」

 すぐにアキラはそう言うと、ぼくの掌からふたたびツバメを彼の掌に移し、しばらく見つめていた。が、

「もうあかん」と言うが早いか、とつぜん地面にたたきつけた。

「あっ」とぼくは小さな声を出した。飯島は目をまるくし、地面のツバメを見ていた。ツバメは幾日も前からそこに転がっているかのように硬直したまま動かない。

 しばらく誰も口をきかなかった。

 アキラの顔面はこころなしか蒼ざめていた。みんなの視線を強く否定するように、アキラは、

「こうせんと、いつまでも苦しみよるだけや」と言った。

 夏空にあざやかにちりばめられた百日紅の花をぼくはもう一度まぶしく見上げた。

 

  白い肩羽

 

 雨が降る。篠突く雨が二日、三日と降り続く。やわらかく萌える若葉の季節は過ぎ、木々の葉は硬質の緑に強い雨粒を受け、ふるえる。近くの観音寺山や明神山の頂きは重い雨雲に覆われる。その雨雲はときどき谷を伝って下りてくる。すると雨は一層はげしくなる。それほど高い山でもないのに、山容は雲突く高山のように一変してしまう。大雨になると山は大きくなる。時おり南風(みなみ)が吹く。大粒の雨はそれでもまっすぐに地をたたく。

 長い年月、ぼくの家にツバメは近寄らなかった。今日のような雨の日の魔のトンネルの出来事いらい、飛来はパタリと止んだ。一夜のうちに五羽までの雛を奪われてしまったり、電線の仲間を撃ち落す悪童が住んでいたりする家に巣を懸けることなど、ツバメにとっては敬遠せざるを得なかったことだろう。

 その間、村の様子もずいぶん変わった。多くの家が現代風に建て替えられ改修された。そして何よりも土と人との関わり方が大きく変わった。いずれにしてもツバメには棲みにくくなった。新築の家から追い出されたり、ヘリコプターからの農薬散布を避けて、村の電線にずらりと並ばなければならなくなったりした。

 そんな状況の中、ぼくはあまり期待もせず、三和土の天井の部分に板を取り付けてみた。すると意外にも、すぐに巣作りを開始したのだ。ツバメの住宅事情はよほど悪くなっているらしい。泥土を運びながら、

「ツチクテムシクテクチシブーイ」とさかんにさえずる。そしてついに雛が孵化するまでになった。何年ぶりのことだろう。ぼくは懐かしい想いと共に静かに見まもることにした。

 巣は二階のぼくの部屋の真下になる。だから障子を開けると、玄関の軒先を隔ててはいるものの、ツバメの出入りを真っ正面から見ることができる。その軒先から電話線が道路の電柱に向かって斜めにはしっている。ツバメはいつもその電話線に翼を休めるのだ。目と鼻の先だ。

 雛に餌を運び続けるツバメは寡黙だ。時おり「ツェッ」と短く鳴きかわす程度で、巣作り前の、あの「ツチクテムシクテクチシブーイ」はもうほとんど聞かれない。そして今日のような雨の日にはよけい寡黙になるように思える。雨をついて勢いよく玄関を翔び出すと、まっすぐ雨空めがけて翔けあがっていく。ところが、強い雨にたたかれ、湿気をたっぷり含んだ空気に翼も重いのか、翔けあがる途中から、ひらひら、ひらひらと懸命に羽ばたきはじめる。それはいつもの漆黒の流線のイメージからはほど遠く、空間をするどく切るためにのみあると思っていた翼を、必死に羽ばたいている。

「大変なんやなあ」

 はじめて気づいたそんなツバメの姿を目で追いながら、ぼくは思わず呟いていた。それでもさすがにツバメである。二度、三度と鋭角的に身を翻す。虫を見つけたのだろう。雨空の彼方に真っ白い胸が見える。と、今度は滑るように一気にぼくの家を目がけて翔け降りて来る。ほとんど羽ばたくことはない。そのままぐんぐん高度を下げると、わが家の柿の木の上空あたりで大きく反りを加える。拡げた翼は、猛烈なスピードで落下するからだの平衡を保つためにのみ使われるのか。まるで人工の物体が家の中へ飛び込んでいくような勢いで目の前の軒先から消える。餌をせがむ雛たちのさわがしい鳴き声が聞こえてくる。親ツバメは何度も同じことをくり返す。他の一羽は玄関から翔び出すや、主屋の屋根を越え、山裾の田んぼの方へ出かけるらしい。

 ひらひら、ひらひらと雨雲をついて翔け上がる。この親ツバメたちはいつ自分の餌を食べるのだろうか。翻り餌を採ったかと思うと、すぐ翔け降りてくる。この大雨に翅ぶ虫とてすくないはずだ。空腹に思わず飲み込んでしまいたいのをぎりぎり辛抱しながら、一刻も早く雛のもとへと翔ける。

 ぼくは「チェー、チェー」と飽くことなく餌を求めつづけるさわがしい雛たちが、何だか憎らしく思えてきた。順番というものがあるのだから、何もいっせいに嘴を開けることはないではないか。それではまるで親を不必要に急かせているだけではないか。雨に濡れる心配のないぬくぬくとした巣からは、雨空に羽ばたく親の姿が見えないのか。ぼくはまるで人間の親子をみるような思いに陥っている自分に苦笑した。

 親ツバメは時おり電話線にとまり、翼を休める。ぼくはなぜかほっとする。一羽が休んでいると、もう一方のツバメもいっしょに休憩することが多いようだ。雨の降りそそぐ中で、ていねいに羽づくろいをしている。

「大変やなあ」と思わず声をかけると、「ツェッ」とひと鳴き、頭をかしげ、ぼくの方を見る。目が合う。ぼくはアキラの掌にうずくまっていたツバメの空ろな目を想い出す。南風が吹き、電話線が揺れる。二羽のツバメは揺れるにまかせ、じっと雨を見つめているようだ。

 そんなツバメの、手前に休んでいる一羽を見ながら、ぼくはおやっと思った。風に羽毛が逆立ったのかと思い、もう一度よく見てみた。肩羽と呼ばれる羽の中の一枚が白いのだ。そんなはずはない。翔んでいるうちにその羽がめくれてしまい、裏面の白い部分が見えているのではないかと目を疑った。しかし、よくよく見ても確かにその羽だけは真っ白なのだ。背面から見れば、ツバクロと呼ばれるにふさわしく、黒一色なのだからよく分かる。他の一羽に較べると尾羽がわずかながら長い。多分雄なのだろう。

 白いカラスとか白いツバメは時おり発見される。アルビノと呼ばれる色素を欠いたものだが、そういう現象が起こり得るならば、肩羽のわずか一枚が白色化していても何の不思議もない。ぼくはツバメが電話線に止まるたびに確かめてみた。間違いなく他の一羽と見分けることができた。ぼくはすぐに、来年もまたこのツバメが忘れずにぼくの家を訪れて来るだろうかと思った。言い伝えられるように、もしそうだとすれば絶好の標識になる。

「ツェッ」と一声、向こう側の一羽が翔び去った。

「ツェッ、ツェッ」

 白い標識のツバメは翔び去った配偶者(つれあい)の方へ呼びかけるように鳴いた。それはまるで、「おい、もう少し休もうよ」と言っているようでおかしかった。が、やがてそのツバメも雨空に向け、()け上がっていった。

 こうして一番雛は無事巣立っていった。巣作りもずいぶん遅れていたから、今年は一番雛だけでおしまいだろうと思っていた。ところが間もなく、あれほど寡黙だったツバメが、巣作りをはじめた時のように、またさかんにさえずりはじめた。

「ツチクテムシクテクチシブーイ、ツチクテムシクテクチシブーイ」

 夜が明けるや、一羽のツバメがどこからともなくやって来ると、部屋の前の電話線には止まらず、まず道路の高い電線に止まり、からだを南の方へ乗り出しながら、さえずるのである。夏の朝の、いかにもさわやかなさえずりである。夜明けの静かな空気にどこまでも遠く伝わっていくような大きなさえずりだ。けんめいにさえずる。と、ほどなく、「ツェッ、ツェッ」と短音の声と共に、南の方からさーっともう一羽のツバメが現れる。雌であろう。そのツバメは電話線の方に止まる。道路の上の雄はもう大変だ。左右にからだを振りながら下のツバメに向かってはげしくさえずるのだ。どうやら二羽のツバメは別のところで夜を明かすらしい。そのさえずりは朝のあいさつであり、また出会いのよろこびを咽喉(のど)に、白い胸に精いっぱいふくらませているようでもある。

 こうしてツバメは夏の朝をさわやかに謳いあげるのだ。

 予想すらしなかった。二羽のツバメは二番雛を育てはじめたのだ。ツバメの抱卵日数は十五日前後、孵化してから巣立ちまで二十二、三日はかかる。大急ぎで育てあげなければならぬ。巣立ちしてから飛翔の訓練の日数も十分見ておかなければいけないのだ。十月には遠い南洋の国々まで渡らなければならない。ふたたび寡黙になった親ツバメは育雛に余念がない。せっせと餌を運ぶツバメの姿は、おそらく村でもいちばん遅い子育てを知ってか知らぬか、急いでいるように見える。

 そんなとき、とつぜん、親ツバメとは別のツバメが二羽三羽と入り乱れて翔び込んで来るときがあった。ぼくは最初、それは他の家のツバメたちが、育雛に遅れているわが家のツバメに同情し、子育ての手伝いにか、それともはげましにやって来たのだと思った。

 というのは、こどもの頃、ぼくは一度スズメの同胞愛らしき現象に出会ったことがあるからだ。

 秋から冬にかけて村のスズメたちは集団化する。村スズメと同時に群スズメとなるのだ。ところが初夏の繁殖期にスズメの群れが村の真ん中で大騒ぎをしていたのだ。五十羽近くもいただろうか。さかんに騒ぎたてている。

 ふわりと大きな影が一軒の屋根の上に下りた。トビだった。そのあとを追うようにスズメたちは群れ翔び、大きなトビを遠巻きにして屋根や木の枝に止まり、トビに向かってけたたましく鳴き立てている。見ると、するどいトビの嘴の先に、おそらくスズメの雛だろう、一羽の小鳥が無惨な姿でぶら下がっていた。

 多分、村中のスズメが集まっていたにちがいない。災難にあった仲間のため、集団でトビを威嚇していたのだ。さすがのトビも、そのすさまじい勢いにおそれをなしたのか、その場で獲物を食べず、ふわりと翼を拡げるや、田んぼの方へ翔び去った。そのあとをさらに追い続けようとする勇ましいスズメも数羽いた。ぼくはそれ以来スズメの同胞愛を信じていたから、ツバメも相応の同胞愛を持っているにちがいないと想像したのだ。

 ところがそれはとんでもない見当ちがいだった。つぎつぎにツバメが現われ五羽になった。玄関の近くや巣の周囲を鳴きかわしながら翔び乱れるツバメは、一向に雛たちに餌をあたえようとしないのだ。雛たちも嘴をいっぱいに開け、餌を催促することはなく、目をまるくしながら、いったい何事が起こったのだと興味を示しているようだ。

「ペキーッ」

「ペキーッ」

 とつぜん、するどい鳴き声と共に二羽のツバメが加わった。そして、おそろしい勢いで他の五羽を追いまわしはじめたのだ。五羽は逃げまどいながら、なお玄関や巣の方へ戻ろうとするが、あとから加わった二羽の猛烈な攻撃にたじたじだ。自分たちの雛はたとえ遅れていようとも、自分たちの力でりっぱに育てあげたいのだ。邪魔しないでくれ。

「ペキーッ」

 やってくれるなあ、とぼくは追いかけっこを眺めていた。やがて五羽は追い散らされ、いずこともなく姿を消した。追い払った二羽はしばらく電話線に休んだあと、またせっせと何事もなかったように育雛に余念がない。しかし、騒ぎは一度だけではなかった。しばしばもちあがった。そのたびに同じようなことがくり返される。ふと気がついてみると、やって来るのはいつも五羽なのだ。そしてよく見ると、五羽の尾羽は他の二羽に較べ、こころなしか短く、どことなく快活ではなやいだ雰囲気がある。一番雛だったのだ。巣立ちはしたものの、まだ完全に巣離れができず、帰巣本能にさそわれやって来るのだ。その甘えを二羽の親ツバメが必死に防いでいたのだ。激しく追い払いながら若鳥のすみやかな自主独立をうながしていたのだった。

 真夏日にとつじょ空が澄みわたる日がある。前栽の樹々の先端にアキアカネの姿がぼつぼつ見られるようになる。このトンボは平地で羽化したあと集団移動し、夏のあいだを山で過ごす。ぼくは一度、七月の下旬、鈴鹿山脈の高原でアキアカネの大群に出会ったことがある。まるで日本中のアキアカネが集合したようなすさまじい光景だった。おそらくぼくたちには感じることのできない微妙な初秋の気配と風に乗って、このトンボはふたたび里に下りて来たのだろう。親ツバメの運ぶ餌の中にアキアカネが多くなった。このアキアカネは南洋への長旅をひかえたツバメたちが体力をつけるのに、恰好の餌になっているにちがいない。ヘリコプターからの農薬散布の時期とも若干ズレているのもツバメたちには幸いしているかも知れない。

 八月半ば、無事二番雛も巣立った。

 空になった巣をぼくは見上げていた。ぼくの家にあれほど居着くことを拒否しつづけてきたツバメが、ついに巣を懸けたばかりか、二番雛まで育てあげたのだ。肩羽のところにしゃれた白いアクセサリーをつけたツバメは、また来年もきっと戻って来ることだろう。そう思いながら、玄関から南のはての空を見た。さわやかな初秋の気配だけは、昔とすこしも変わりなかった。

 

  雷雲の彼方へ

 

 それは賑やかで騒がしい帰還だった。

「ペキーッ」とひと声、戻って来てやったぞ、と言わぬばかりに勇ましく、何の戸惑いもなく玄関へ翔び込んでいく。ぼくは二階からその様子を見ていた。春のよろこびが漆黒の翼にあふれているようだ。

 一羽に続いて二羽、そして何と三羽まで翔び込んでいく。と、すぐさま、互いに鋭い声で鳴きかわしながら翔び出したかと思うと、玄関の前庭をぐるぐると旋回しはじめる。追いかけっこを楽しんでいるようだ。そしてまた玄関に翔び込み、けたたましい声を張りあげている。翔んでいるツバメの翼を注意して見るのだが、白い肩羽の目印は分からない。それはほんとうにわずかなものだから、なかなか目にとまらないのだ。すぐ真下の電話線に頭部を北の方角に向け止まったときにだけはっきりすることは知っていたが、何せ半年ぶりの再開なのだ。しかし、そのツバメにちがいないということは、最初に翔び込んで来た気配で分かった。ぼくは階下まで出迎えに行った。

 ところが、ぼくの出迎えをよろこぶどころか、玄関の三和土と次の間は大変な騒ぎだった。一羽は営巣用の板切れに、他の一羽は次の間の電灯の笠に、そしてもう一羽は、カマドのある奥の三和土の鴨居から突き出ている電灯の鉛管の上に、それぞれちょうど正三角形の頂点に位置をとり、互いに鋭い声で鳴きかわしていたのだ。鳴きかわしているというより、まるで口汚くののしり合っているようだ。板切れの一羽は特に勇ましく、ぼくの方を見ながら、

「うるさい、邪魔だ、いま忙しいのだ」と言わぬばかりだ。他の二羽は、ぼくの姿に翔び立とうかとからだを水平に身構えるのだが、よほどののしり合うことに執着しているのか、一向に持ち場を離れようとしない。しばらくそんな状態が続いたかと思うと、板切れの一羽がパッと翔び立ち、猛然と鴨居の一羽に突っかかっていった。「ペキーッ、ペキーッ」と鴨居は悲鳴をあげながら電灯のもう一羽の方へ逃げる。板切れはついでに電灯の一羽にも突っかかり、三羽は縦に並んで外へ翔び出す。外に出ると先ほどと同じように追いかけっこをやっている。

 そのうちぼくはこのツバメたちの騒ぎの原因に気づいた。営巣場所の争奪戦をやっているのだ。目標とする営巣場所はどうやら板切れらしい。追いかけられている一羽が、そのまま玄関から翔び込むと板切れに止まる。すると最後尾の一羽が猛烈な勢いで追い払い、そこに陣取る。また三羽を頂点とする三角形のようなものができ、互いにはげしくののしり合う。こんなことをくり返しながら、いつの間にかもう一羽が加わり四羽になってしまった。

 板切れに二羽のツバメが向かい合うように止まる。「ツェッ、ツェッ」と短い合図のような鳴き声をかわすや、一羽は鴨居に、そしてもう一羽は電灯の笠に向かい、猛烈な攻撃を仕かける。

 飛翔そのものを生命としているような小鳥だから、その空中戦は見事なものだ。狭い三和土の上や部屋の中を自由自在に翻るや、さっと明るい外へ翔び出す。今度は一羽対一羽だから攻撃も先鋭化する。戸外と屋内を交互に二度ばかり往復する。相手が屋内にとどまる余裕をあたえず執拗に追い続ける。そしてついに、四羽ともどこか遠くへ翔び去ってしまった。

 が、ものの一分ほど経つと二羽だけ戻って来た。そして板切れに向かい合って止まり、賑やかに鳴きかわしている。しばらくすると一羽が、

「ツチクテムシクテクチシブーイ、ツチクテムシクテクチシブーイ」と謳い出した。恋の歌らしい。晴れやかにさえずっている。

 二羽のツバメは明くる日からもう土くれを運びはじめた。電話線に止まったところを確かめた。やはり去年と同じツバメだった。肩羽の一枚が白い。そしてすっかりぼくの家になじんでいるようだ。はじめて翔び込んできた去年と異なり、どこか余裕もある。巣作り、育雛と順調にすすみ、どんよりと曇った梅雨空に子ツバメたちは巣立っていった。

 夏の夜は短い。短いうえに枕元のすぐ近くで、夜が明けるや賑やかにさえずるのだから、いやでも目を覚ます。二番雛を育てる前の恋の歌は、やはり去年と同じようにはじまった。

「ツェッ」と短く鳴きながら南の方から雌があらわれるのも、去年と同じだ。ぼくはその雌の声を聞き終えると、またうつらうつらと寝入ってしまうのが、すっかり習慣になってしまった。

「またやってるな」

 その日、ぼくは寝床の中で呟いた。ものの五分と経たぬうちに「ツェッ」とやってくるのを、朦朧とした、しかし、どこかしっかりとした神経を耳に集中させて待っていた。だがいつものように眠れない。「ツェッ」という鳴き声が聞こえてこないのだ。雄の方はさえずり続けているが、末尾の「シブーイ」を鳴き終えると、しばらく様子をうかがうように中止する。が、やはりあらわれない。

 ぼくは目をさまし、障子の外の様子にそれとなく神経を集中させた。

 五分経ち、十分経つ。来ないのだ。雄のさえずりも、「ツチクテムシクテ、ツチクテムシクテ」と中途半端に二度ばかり続け、末尾の力強い「シブーイ」を省略してしまう。そればかりか、様子が変だということに気づいたらしく、その鳴き声も徐々に力がなくなっている。「クチュル、クチュル」と消え入るように小さく鳴き、しばらく様子をうかがう。

 やはり雌はあらわれない。

 こんなことがあるものか。思い直すようにまた、「ツチクテムシクテクチシブーイ」と張り上げるのだが、長くは続かない。

 ぼくはそっと障子を開けた。電線のツバメはまるでぼくのことなど眼中になく、ちょっと首をかしげ、からだを左右に振り、朝やけの空のあちこちに目を凝らしている様子だ。そして、からだを水平に、気の狂ったようにさえずった。異変が起こったことは明らかだった。

 いつもなら朝のあいさつも終り、二羽で仲良く田んぼの方へ朝食を採りに翔び去っている時刻なのだ。息づまるような三十分が過ぎ、ついに四十分も経ってしまった。はるか遠くの鈴鹿の嶺から朝陽がのぼりはじめた。

 南の空からもう一羽のツバメはついにあらわれなかった。

 電線のツバメはすっかり元気をなくし、さえずることも止め、翼をすぼめるような恰好でじっとしている。時おり、「クチュル、クチュル」と小さく複雑に鳴いた。それは鳴いていると言うより、泣いていると言った方が適切かも知れない。あきらめ切れないのを、それでもやっとあきらめたのか、「ツェッ」とひと声、お主屋の屋根を越えて翔び去った。

 いったい何が起こったのか。

 不気味なほど静かに夏の朝陽があたりを領しはじめていた。

 電線のツバメはあきらめたわけではなかった。その日一日、何度もやって来てはさえずりをくり返した。咽喉から血を吐き出さんばかりにさえずり、配偶者(つれあい)を呼んだ。しかしあらわれない。ときどき巣に戻り、そこでも呼んだ。いつも相手がやって来て止まる電話線の上でも必死だった。配偶者が「ツェッ」と鳴いてあらわれる南の空に向かって叫ぶようにさえずった。

「ツチクテムシクテクチシブーイ、ツチクテムシクテクチシブーイ」

 鳴き終えると頭部を斜めにかしげ、夏空にそれらしき影を捜す。しかし空しかった。夕暮れちかく、もういちど呼んだ。そして、「クチュル、クチュル」と消え入るように鳴くと、どこをねぐらとしているのか、北の方へ翔び去った。

 明くる日も同じことがくり返された。

 どの小鳥たちよりも早くツバメはやって来た。夏の夜明けを切り裂くように鳴いた、五分十分と。今日は「ツェッ」とひと声、やって来るにちがいない。

 次の日も同じだった。今日こそは、と張りあげた。

 ぼくはもうその鳴き声を聞いていられなかった。

 五日目の朝、ついにそのツバメは電線の上にあらわれなかった。呼べども空しいその場所が(いま)わしく、また辛かったのだろうか。静かな朝はことの騒ぎをよそに音もなくその日一日の灼ける暑さに退いていった。

 気がついてみると玄関のあたりが、すっかり静かになってしまった。主を失った巣だけがひっそりとあった。

 

 隈なく照る日が幾日も続いた。屋根瓦も道も畑も白く灼けた。ものみな夕立のひと雨を待っていた。ツクツクホウシが投げるような声で鳴きはじめた。前栽の木陰にアキアカネの姿が見られるようになった。

 南の果ての空に入道雲が立ちのぼった。思わせぶりな入道雲は、あらわれてはいつの間にか消えた。しかしその日はちがった。白銀に輝く分厚い雲はみるみる空を覆いはじめた。

「今日はひと雨くるな」

 二階から確かな雲の広がりを眺めていた。暑気を払うように一陣の突風がはしった。柿の葉裏がいっせいに白く輝いた。天を二分して明と暗が攻めぎ合った。どこからかあわててとび出して来たコガネムシが大きく旋回すると、コツンと軒先の垂木にぶち当たり失速しそうになる。オニヤンマは迫り来る暗雲から遁れようとするのか、鋭い角度で空を切りながら逃げまどう。そんな空の様子を眺めながら、ぼくはふと一羽のツバメが電線に止まっているのに気がついた。

 鳴くこともなく、さりとて羽づくろいするわけでもなく、ただじっと動かず荒れはじめた自然にわが身をさらすように止まっていたのだ。あのツバメだということはすぐに分かった。さえずり続けた場所からすこし離れた電柱のそばの一番高いところから黒い南の空を見ていた。

 強い風が巻きはじめた。遠雷が鈴鹿の嶺から嶺へと轟いた。それでもツバメは動かなかった。深く沈み、どこまでも静かなその姿は、崇高なまでに端正だった。風が真っ白い羽毛を逆撫でた。ツバメは声もなく、さっと電線を離れるや、まっすぐ雷雲めがけて翔び立った。

 南へ、南へ、暗雲を突き抜けるような勢いで翔び去っていく。遠雷が轟き、風が晩夏を引きちぎる。ツバメは風に奪われそうになるバランスを、漆黒の翼で立て直し、ぐんぐん南をさす。ひらりと翻り高度を上げた。一瞬、暗雲の中に白い胸が逆光をうけ白銀に輝いた。と同時に稲妻が鋭く雲を切ってはしった。

 乾いた軒の瓦に大粒の雨がポツリと落ちた。

 

第二話 野面――キツネとフクロウ

 

  ウナギ釣り

 

 村のほぼ中央部に西から東へ一本のドブ川が流れている。それとは別にもう一本南から北の方へ、つまり村の上手から下手へと流れる小川の水は美しく、特に広場のすこし下手の井戸を水源に、村を縫う掘割の水は飲めるほどきれいだ。

 一年を通して水温はほぼ摂氏十五度。水底の石をそっとひっくり返すとサワガニがうずくまっていたり、わけてもハリンサバと呼んでいたハリヨは、村の仲間たちのあいだで多少蔑視され(うと)んじられていたものの、幼いころから最も親しい生きものだった。

 しかしなぜか西から東への一本だけが、泥ぶかい、いわゆるドブ川で、水の流れは浅く、夏になると、ところどころからプクッとあぶくが浮きあがっては消えたりする。が、ハリヨやサワガニの代わりにドジョウが簡単にすくえた。

 暑い午さがりアキラとふたり、足音をしのばせそっと近づく。いると思った瞬間、パッと小さな泥煙があがり、ゆっくりと流れに消えていく。もうドジョウのすがたはない。もぐり込んだあたりをすばやく網で泥ごとすくいあげ、白く灼けた道端にベタッとひっくり返す。

 熱いフライパンの上に放り投げられたように猛烈な勢いで跳ねまわるやつもいれば、黒い泥土にまぎれじっと動かないやつもいる。跳ねるやつを捕まえるのはたやすいが、じっとしているのはなかなかむずかしい。両手の小指のあいだにドジョウをはさむようにして手の中に取りこむのだが、スルリと抜けられたり、二度三度そんな失敗をくり返しているうちに、いつの間にか川べりの方へ追い込んでいる結果になってしまい、あわててしまう。

 あわてるとなおいけない。ポチャと音をたて、「さいなら」となる。失敗ばかりしていると、「またさいならけ?」と、網を持つアキラが不機嫌になる。だから気をつかい、神経を使う。そして、うまくなっていく。

「いま何匹や」

 アキラの声に、古い鍋の底を見る。

「十匹ぐらいやな」

「交替や」

 ぼくはアキラから網を受け取る。泥をすくってはぶちまける。こうして夏の午さがりに静かな作業が続く。

「何してるんや」

 村のオッサンが通りかかった。ご覧のとおり見れば分かりそうなものだが、尋ねるところにこのオッサンの興味があるらしい。

「ドンジョや」

 アキラは跳ねとぶやつをつかまえながら、答えた。アキラもぼくもちょっと気をつかう。

 というのは、まるでドブさらいをしているようなものだから、漁ってきた川筋に沿って汚い泥土が道端に点々と散在しているのだ。一時間もすれば強い太陽に泥土は乾き、雨でも降ればそのまま流れ落ち、跡かたもなくなるのだが、何せ作業途中の現場だ。悪臭もする。アキラもぼくも、後始末などするつもりはハナからない。オッサンの足元に泥をぶちまけるわけにもいかないので仕方なくぼくは作業を中止した。このあたりのタイミングはアキラもよく心得ているから、

「あかん、ちっとも捕れんわ」と立ちあがり、顔についた泥の飛沫を汗といっしょに腕でぬぐっている。

「この川はあかんね」

 ぼくは網を所在なげに扱い、独り言のように呟く。弱みを披露しながらオッサンの興味を収穫の方へと誘導する。オッサンは自転車を曳きながら鍋に近づきのぞき込む。

「結構やないけ」

 オッサンの言葉に、

「ほんでもあかん、すくない」とアキラはうまく引きずる。

「何にするんや、蒲焼きか」

 オッサンはちょっと励ますような口調になった。

「ちがう、こんな細いの蒲焼きにならへんが」とアキラは泥の手を振る。

「ウナギや」

 ぼくは横あいから言った。

「ウナギ?」

 オッサンは怪訝そうにぼくたちの顔を見る。

「釣るんや」

 アキラはすこし恥ずかしそうな顔をした。

「ドンジョでウナギをけ?」

 オッサンは呆れたように言い、しげしげと鍋の中のドジョウを見た。そして、

「ほんなもん釣れるのけ」とペダルに足を掛け、笑った。アキラは、

「一晩でドンジョが太長うなりよるだけや」と同じように笑う。

「阿呆言うていよ・・・・。まあやってさい」

 オッサンは笑いながらペダルを踏んだ。ぼくたちはうまく切り抜けたのでホッとする。

「早いことやろまいけ」

 アキラはそう言うと、ぼくから網を受け取り、慎重にすくう。そしてペチャッと道端へ。

「二匹や、二匹や」

 ぼくは急いで捕まえる。

「三十匹は要るでな。今度は三匹いくぞ」

 静かな午さがり、こうしてぼくたちはドジョウすくいにいそしんでいた。

 仕掛けは簡単なものだ。幅三センチ、長さ二十センチほどの竹べらを三十本ばかり用意する。その先端に錐で穴をあけ、丈夫な凧糸を通す。栗の実ぐらいの石を(おもり)に使い、糸の先にはもちろん頑丈なウナギ針をつける。仕掛けを下ろす場所でドジョウを針に通せばいいだけだ。 

 アキラは仕掛けのはいった竹籠を持ち、ぼくはドジョウがくねり、あぶくを吹いている鍋を抱え、夕暮れどき出かけた。

 ウナギは夜行性のうえ数もすくないから、めったに見られない。川の中の石垣のすき間に手を突っこみ、魚を素手で捕まえるぼくたちの得意なウロンタさぐりでも捕まえたことは一度もない。ヌルッと手先に触れる感触は違わずナマズだ。

 稲の葉を分けて渡るそよ風が涼しい。アキラとぼくは、村はずれからまっすぐ明神山の方へ向かう。野道をまっすぐ、途中で北に折れ、しばらく行くと三田と呼んでいる場所に着く。そこは細い溝や小川の水をあつめながら野面を縫うように流れてきた川が大きく蛇行しているところで、川幅はさほど広くはないが、釣りにもよければ網にもよい、ウロンタさぐりも面白い、魚の宝庫みたいなところだ。

 大きく蛇行したところを頂点に、その上手と下手、一キロほどが漁場だ。川のふちに沿ってウナギの出没しそうなところを探りながら仕掛けを下ろして行く。

「このあたりがええやろか」

 流れがゆるやかによじれ、その流れにゆったりとセキショウモがたゆたい、岸辺に寄り、かつ離れる深みをのぞき込みながら、ぼくはアキラに尋ねる。

「ええ場所や。もうちょっと上の藻の切れ目のところがええぞ」とアキラがそっと小声で答える。その声音は、夜を待ちかねたウナギがもうウロンタから顔を出して見えるぞ、とでも言っているようだ。

 餌をつけ仕掛けを静かに下ろす。水底に消えていく仕掛けのすぐそばに、ウナギの棲家がありそうな気がしてくる。こうしてぼくたちは、静かに、そして川の流れに沿うすべての気配を聴き取ることに、おどる神経を鎮めつつ集中させながら、ぼくたちの作業を続けた。

 ゆるやかな流れの深場、岸から突き出した大きな石に流れがさえぎられ、くるっくるっと小さな渦を巻いている下手、田んぼから流れ出る溝が落ち込んでいるところなど、次から次へと置いて行く。

 ぼくたちはこの川のすべてを知りつくしている。季節、天候、水の増減によって、どこの石垣にはどんな魚がひそんでいるか、どこの流れの藻の切れ目にはどんな魚が身を寄せ合い群れ集まっているかを知っている。だから、どこに仕掛けを下ろしたかということも、もちろん忘れることはない。

「最後の一本や。どこにしようか」

 三十本ばかり置いたあと、アキラが言った。

「あっこがええでよ」

 ぼくはすかざず言う。

「やっぱりあっこやな」

 アキラはしたり顔に微笑む。川面の見えない気配を共有して、ぼくたちはほくそ笑む。こういう時なのだ。この川筋の世界のすべてが、ぼくたち二人だけのものになるのは。

 少しにごった水の流れ、水面にたゆたうセキショウモの上に群れるハグロトンボ、夕暮れを待ちかねたように飛び跳ねるハヤの銀鱗、その音、稲の葉を分けるそよ風。暮れなずむ川辺は誰のものでもなく、ぼくたちのものだ。

「急がんとあかん」

 ぼくたちは走った。最後の一本の仕掛けを下ろす場所はあそこ以外にはない。川が大きく蛇行するすこし上流の、川幅が狭くなっている所だ。流れは強く他の場所より深い。流れに底をえぐられたのか、石垣がくずれそうになっており、それがかえって奥深いウロンタを作っているのだ。最初の一本はまずそこに沈めたのだ。そして五メートルほどの間隔をおいてもう一本沈めようとして、アキラは決しかね、ぼくも躊躇した場所だ。

「やっぱりここやで」

 アキラはドジョウを針に通す。

()よりそうやね」

 ぼくはそっとのぞき込む。流れは夕暮れの空を包んで鈍色にひかり、時おりボコッ、ボコッと音をたて、夜が水底から静かに拡がってくるかのように感ぜられる。いずこからともなく現れたウナギが、石垣に沿って溯上する気配が伝わってくる。川は様相を一変して夜も生き続ける。

 山寺の鐘が鳴った。

「このあたりやね」

 アキラは仕掛けを慎重に下ろし、竹べらを岸辺の草むらにさし込む。山寺の鐘がまた鳴った。

「あれなんや?」

 鐘の音と共に聞こえてくる妙な鳴き声に、ぼくは一瞬山の方を見た。

「キツネや」

 こともなげにアキラは言う。

「キツネ?」

 そう言いながら、ぼくは耳を澄ました。鐘が鳴る。響きの余韻が静かに消える。と、「コーン、コーン」と、独特に含みのある、だがよく透る鳴き声がするのだ。はじめて聞くキツネの声だった。

「おい、帰ろまいけ」

 山の方を向き、ぼんやりと突っ立ているぼくに、アキラが声をかけた。アキラはキツネの声にあまり興味がなさそうだ。ぼくはそれがすこし不服だった。不服な分だけアキラにあれこれと尋ねてみる。

「わしも声を聞いたの始めてや」と、野道を歩きながら言う。興味がないのかと尋ねてみると、

「あんなもん、なかなか姿を見せよらへんがな」と、もっともなことを口に、空になった竹籠をぐるっと一回大きく振りまわした。と、そのはるか彼方の鈴鹿の嶺にまんまるい夕月が浮かんでいた。

「今夜は満月やで」

 ぼくも空になった古い鍋を腕ごと振りまわす。生臭い臭いが鼻先をかすめる。

 仕掛けを下ろした。キツネの鳴き声をはじめて聞いた。夏の暮れなずむ里の野面にきれいな夕月。

「こんな奴が釣れるでよ」

 アキラが大袈裟に両手を拡げる。

 ぼくたちはまんまるい大きな月が中天にかかる夜更けに、一度仕掛けを調べに来るのだ。

 

  葦原の怪

 

 月が中天に明るかった。ねばっこい月の光が田うらにべっとりと張り付いていた。等間隔に植えられたハンノキが、夜更けて現れる巨人のように、畦道や川辺に沿って影をおとしていた。川のほとりの草むらの上を幾匹ものホタルが団子状になって群れ翅んでいる。月あかりに幾つもの可憐な光が舞い乱れる。それはまるでホタルの小さなことばが光となり、互いに呼びかけているようだ。

交尾(さか)っとるでよ」

 アキラがホタルの群れを見ながら、言っておかなければいけない言葉のように言う。

「きれいやね、月夜のホタルは」

 ぼくは呟いた。

 八月になるとぼくたちはホタル狩りをしない。病ホタルと呼ばれ、この時期に狩ると病にかかると言い伝えられているからだ。

「そっと交尾(さか)らしといたれ」

 アキラがちょっと笑いながら言う。

「うん」とぼくはうなずいた。まるでホタルをいっぱい入れた透明なホタル籠が川辺の草むらの上に浮いているようだ。

「あかんなあ」

 その近くに下ろした一本を引き上げながらアキラが呟く。そして餌の具合を確かめてまた下ろす。次から次へと同じように調べていく。

「やっぱり朝まで置いとかんとあかんのやで」

 夜更けの川面の重い流れに懐中電灯を照らしながら、ぼくは言う。

「何せウナギやでなあ」

 月光の下でアキラが微笑む。と、仕掛けがすーっと川の中央部に向かって張った。「おっ」とアキラとぼくは同時に声を出す。アキラの手元が緊張しているのが分かる。糸は流れにさからう。

「あかん、これはナマズや」

 水底にあばれる獲物の正体をアキラは早くも手の感触で察知する。あばれすぎる。アキラの手元を見ながら、ぼくにも分かった。はたして手ぐり寄せられ、水面にすがたを現わしたのは大きなナマズだった。川辺の草むらで針をはずし、アキラは足でナマズを蹴った。ポチャンと大きな音がして、ナマズは川底に消える。

「やっぱりあっこやで」

 ぼくはナマズの消えた川面を見つめたまま言った。

「あっこだけを上げて帰ろまいけ」

 アキラは餌をとられてしまった仕掛けを巻きながら言う。

 急流の脇に下ろした二本。あそこだけは何やらウナギが上がって来そうな気がする。他の仕掛けはそのままに、ぼくたちは戻りはじめた。と、そのとき、

「ゴロスケホー」とフクロウの大きな鳴き声がした。

「フクロウけ?」

「フクロウやな」

 ぼくたちは月明かりに顔を見合った。

「明日は天気やね」

 ぼくは言った。フクロウが鳴くと、その翌日は晴れると言われている。ぼくたちの村ではフクロウを「ノリツケホーセ」と聞きなすのだ。明日は晴れるから洗濯物に糊をつけて干せ、ということだ。

 フクロウが鳴いたところは、川に沿った野良道から五十メートルほどへだてた、田んぼの真ん中の葦の群生している場所だ。里のところどころに、そういう場所がある。塚のようになっていたり、ちょっと近づき難いところだ。そういうところには、きれいな湧水がこんこんと湧いていたりする。冷たい水が噴出しているため、稲田には適さず放置されているのだ。中央部はたいてい深い池になっており、底では噴き出る湧水に砂が渦を巻いていたりしている。そしてハリヨなどが棲んでいて、まるでお伽噺に出てくる世界のようだ。

 数本のハンノキも生えている。フクロウはどうやらそのハンノキに止まって鳴いているらしい。ぼくたちは走るのをやめて歩き出した。

「ゴロスケホー」

 月明かりに目を凝らせば見えるほど近くに聞こえる。と、その時、

「コーン、コーン」と、とつぜんキツネの鳴き声がした。アキラとぼくはギョッとして歩を止めた。あまりにも近くで鳴いたからだ。

「キツネけ?」

 ぼくはそっとアキラを見た。 

「キツネやで」

 アキラは声を圧し殺した。鳴いた方を見る彼の目は、異様に光って見えた。と、次の瞬間、「ゴロスケホー」とフクロウが鳴いた。そして鳴き終えた途端、そのあとを追うように、「コーン、コーン」と今度はキツネが鳴いたのだ。

 キツネとフクロウは、葦が茂り、巨大な人影のようなハンノキが数本突っ立っている同じ場所で鳴いている。いかにもキツネにだまされそうな場所だ。キツネにだまされる話はしばしば耳にしている。その場所は奥深い山路などでなく、なぜか里の近くの、ちょうどいまぼくたちが鳴き声に足をすくませている塚のある近くが多いのだ。それだけにぼくたちは緊張した。

「フクロウといっしょか」

 アキラが平然を装うように呟いた。と、

「ゴロスケホー」とまた鳴いた。そしてすぐ誘われるように、

「コーン、コーン」とキツネが鳴く。まるで示し合わせてでもいるように鳴き合うのだ。

 ぼくたちは改めてお互いを確認するように顔を見合わせた。まるで相手がキツネではないかと疑うように。

「おかしいね」

 ぼくは呟いた。

「あっこやな」

 アキラは葦原の方を見て言う。

「ゴロスケホー」

 鳴いた。

「今度はキツネやぞ」

 アキラがそっと言い終えるや、

「コーン、コーン」と月夜の野面に鳴く。

 もうこうなれば最初の怖さを通りこし、あまりの調子良さにおかしくなってくる。

「いったいどないなっとるんや」

 ウナギどころではないと言うように、アキラが笑う。笑う目が細くなり、月光に異様に輝く。

「おいアキちゃん、キツネとちがうけ。何やらいつもより目が細いでよ」

「ほんなもんちがう、わしはわしや」

 アキラは顔の前で手を振る。そして、

「タミちゃんかてキツネみたいに体が細うなってきたるで」とぼくの体の上から下まで舐めるように見る。

「何やら自分でも分からんようになってきたわ」

 ぼくはそう言いながら、葦原の方を見た。

 月の光が隈なく照らす広い野面に、ぼくたちはそのままたたずんでいた。観音寺山から明神山へと連なる繖山(きぬがさやま)の山なみがおぼろにくろずみ、その山の端の暗く濃い蒼天がどこまでも深い。稲の葉むらが鈍い黄金色に輝いている。月の光———このすこし冷やかで動かない光。これはいったい光なのだろうか。

「極楽浄土てこんなとこやろか」

 ふとぼくは呟いた。

「何でや」

 アキラが怪訝そうな顔をしてぼくを見る。と、

「ゴロスケホー」と鳴いた。ぼくはハッと衝かれたように月の光の不思議から自分を取り戻し、

「今度はキツネやで」と言った。

「極楽にキツネなんかいよらん」とアキラは笑いながらも、

「次はキツネや」と言う。はたしてキツネが鳴く。

「見えるけ?」

「見えん。お月さんは明るいようで暗い」

 そう言ってぼくは頭をふる。

「行ってみよけ」

 アキラが声を沈め、葦原の方を示した。

「行こ、行こまいけ」

 ぼくはささやくように答えた。

 キツネとフクロウ。この変な取り合わせは大いに興味を起こさせる。いや、本当にキツネとフクロウなのか。もしかしたらキツネが二通りの声で鳴いているのではないか。この月明かり、近づけばきっと正体も分かるはずだ。

「わしらは科学的にならんとあかん」

 葦原へまっすぐ延びている細い畦道に一歩踏み出しながら、アキラが言う。あとに続きながら、ぼくはうなずく。ぼくたちはすぐ科学的になる。遊んでいると、なぜかそうならざるを得ないことに出会ってしまうのだ。

 キツネが鳴いた。ぼくたちはフクロウの声を待つように足を止めた。すぐフクロウが続いた。アキラは細い畦道に無理をしながら、半身だけ振り返り笑いをこらえている。

「くっ、笑えてくるね」

 もうぼくは吹き出したくなった。シーッとアキラが人差指を口に当てがう。稲葉を分けるように忍び足で進む。

 ぼくたちにとって、キツネはけっして身近な動物ではなかった。よく見かけるイタチなどに較べると、はるかに野生の香りが強かった。姿などめったに見られるものではない。それゆえか、キツネにまつわる話題はいつもどこか虚実相半ばするものが多い。そして里の人々はキツネを神格化する。

 寒の入りの凍てつく夜、「施行(せんぎょう)、施行」と呼びかけるような大きな声をふるわせ、村の人びとが山裾を巡る。そしてキツネの現われそうな所を選んで、赤飯のおにぎりと油揚げを置いていったりするのだ。

 そんなキツネの声をぼくたちはこんな近くで聞いている。仕掛けを下ろしに来た夕暮れ、明神山の中腹で鳴いていたのが、夜になって里に下りて来たのだろうか。あのときはすこし含みのあるまろやかな声で、「コーン、コーン」と鳴いていた。だが、こんなにも近くで耳にすると、そのコーンというのがもっと金属的で、ともすれば「キーン、キーン」と聞きとれる。まるで冷やかな月光に合わせているように思われてくる。

 アキラが進むのをやめ、

「おい、鳴きよらんで」とささやくように言った。

「もっと行こまいけ」

 ぼくは小声で返す。アキラは黙ってうなずく。ぼくの想像はふくらんでいく。科学的であらねばいけないのに、なぜかお伽噺の世界に誘われていくような気がする。キツネの背中にフクロウがちょこんと乗っていて、交互に鳴いているのではないか。そんなことを想像してしまう。

 いよいよ近づいた。アキラの進むすぐ前は葦が群生しており、その中へ突き進んで行くことは無理だ。アキラが止まった。ぼくたちは目を凝らし、葦原やその周囲のハンノキをうかがう。

 と、そのとき、ぼくたちの想像もつかないことが起こった。背後でとつぜん、

「ゴロスケホー」とフクロウが鳴いたのだ。

「あーん?」

 アキラが変な声を出した。すぐ鳴き声の方へ体をまわした。と、

「コーン、コーン」とキツネが鳴いた。ぼくたちは仰天した。フクロウとキツネがいま鳴いた場所は、つい先ほど、ぼくたちがたたずんでいた場所なのだ。

「あっこで鳴きよったね」

 アキラが確かめるように訊く。

「さっきわしらがいたとこや」

「いつの間に移りよったんや」

「分からん」

 ささやき合いながら、今度はぼくが先になり、細い畦道を戻りはじめた。目をそれとなく凝らすが何も見えない。月の光は明るいようで、そのくせ物が見えないまどろっこしさがある。またキツネとフクロウが鳴いた。川のほとりのハンノキとその下の野道だ。そこまで視界をさえぎるものは何もないのだから見えそうなものだが、それらしき動物はどうしても見えない。

「あたりを見もって戻ろまいけ」

 アキラの言葉を聞くまでもなく、ぼくは畦道の周辺や、時おり月の浮かぶ深い空を見上げながら、抜き足、差し足で戻る。畦道は細いが、ぼくたちはこういうところを渡ることに慣れている。しかし一向にそれらしき気配もなく、ぼくたちは元の場所に戻ってしまった。

「何にもいよらんでよ」

「おかしいね」

「こんなに明るいのに何にも見えんとはどういうこっちゃ」

 アキラが不思議そうに言う。

「何やら気味悪いね」

 静かだ。見渡す里のすべての物や物音を月の光の薄い幕で覆ってしまっているようだ。ただ、水脈杭(みおぐい)に流れをさえぎられた水音がボコッ、ボコッとするだけだ。

 これはいったいどうしたことなのだろう。

 次の瞬間、アキラとぼくはただ茫然と月夜の野面に突っ立っていた。そして二種類の動物の鳴き声を聞いていたのだ。

「コーン、コーン」

「ゴロスケホー」

 まちがいなく葦原で鳴いている。鳴き終えたとたん、今までにもまして深い静寂があたりを領した。月夜の野面が一転、異様な世界に変幻してしまった。ぼくたちは黙したまま身じろぎもしなかった。

 鳴いた。キツネとフクロウがゼンマイ仕掛けの機械のように鳴く。

「キツネにつままれているみたいやんけ」

 やっと口を開いたぼくにアキラは、

「もうつままれてしもてるで」と、クスッと笑った。つられてぼくも笑った。笑うことによってぼくたちは野面の世界をぐるっともう一転、元に戻した。

 作戦を練った。

 アキラは左右の稲田に注意しながら進む。キツネが走れば稲葉が二手に分かれるか、それとも大きく揺れるはずだ。ぼくは空に注意する。足もとが不安定なので十分とは言えないまでも、月夜のフクロウならば見落すことはまずない。フクロウは羽音を出さない。が、月夜に翔ぶすがたは何度か見ている。

「行こ」

「行こまいけ」

 ぞくっと悪寒のはしる体が笑っている。中ほどまで進むと鳴き声も、またその気配もピタリとやむ。

「これからやぞ」

 アキラが注意をうながす。さぐり合う気配と気配がぶつかり緊張する。吹く風に割れてなびく稲葉のようにキツネが走る光景を想像する。月夜の空を、ずんぐりとまるい頭のフクロウが音もなく翔ぶのを想像する。

「動かへんで・・・・。そよともせんわ」

 アキラが言う。

「おっ月さんと空だけや」

 吸い込まれそうな深い空。そして夏の夜のひとつの表情。横切ればスズメでも分かる。

「あかん」

「こっちもや」

 葦原はもう目の前だ。

「ここまでや」

 アキラがとまった。

「何にも翔んでいきよらなんだで」

 ハンノキを見上げながらぼくは言った。

 葦の葉を動かす風はそよともない。耳鳴りのするような静寂の中でぼくたちはまるで魂を抜かれてしまったようにつくねんと立っていた。耳鳴りはやがて地虫(けら)の鳴き声に変わっていく。

「入って行こか」

 アキラの肩越しに葦原を示しながら言った。アキラは顔を横に振り、

「あかん、無理や」と言い、

「もう向こうの方へ逃げよったんとちがうか」と葦原の裏の方を指さした。

「ほやな、逃げよったかも知れんね」

 山の裾まで広がる月夜の野面。キツネとフクロウは音もなく稲田を分け、音もなく羽ばたき、黒々とそびえる懐の深い山へ急いでいるにちがいない。

「コーン、コーン」

 ぼくたちの想像をあざけるように鳴いた。アキラは小さなうめき声をたてた。

「ゴロスケホー」

 いかにもぼくたちを呼び寄せからかっているように聞こえてくる。いったいこの現象にどう対処すればいいのか。ぼくたちはただ呆然としていた。

「待てよ」

 アキラは真剣に考えている様子だ。ぼくにはもうその余裕はなかった。

「科学的になるって、何やら怖いね」

 ぼくの声はこころなしかふるえていた。アキラといっしょに科学的になると、ロクなことがない。手ひどくスズメバチに刺されたり、こうしてキツネにつままれてしまったり。もうこれはこの世に起こる現象ではない。キツネばかりでなく、フクロウにまでつままれ、見えるものも見えなくなり、不思議の世界にいるのではないか。一晩でドジョウがウナギに化けてしまうような世界。

「コーン、コーン」

「ゴロスケホー」

 青白い月の光に、ものみな微動だにしない。

「見えんけ?」

 アキラはつい先ほどまでぼくたちが立っていた野道の方に目を光らせて言う。アキラにならい、ぼくもそれこそフクロウのように両目をまんまるに見開き、それらしきもの、それらしき動きをとらえようとするのだが、何もいない。動かない。

「相手もわしらをじっと見とるんやね」

 ぼくは声をふるわせた。四つの野生の目にぼくたちの挙動はすべて見られている。

「おっかしいなあ、見えんとあかんのやけんど・・・」

 アキラが呟く。その目はぼくたちの動きを見ている四つの目に負けまいと異様に光って見える。

「懐中電灯で照らしてみようか」

 無性に別の光が欲しくなった。

「あかん」とアキラは強く拒否し、

「怖がったらあかん、だまされる」と諭すように言う。もっともだと思った。気を取り直さなければ負けてしまう。好奇と探索。科学的になるには、何より勇気がいるのだ。

「行こか」

「シーッ」

 勇気をふるい起こしたぼくの大きな声をアキラは制しながら、

「わしは空の方や、そやで・・・・」と稲田を指さす。ぼくはうなずいた。ぼくたちは戻りはじめる。今度こそよもや見のがすまい。見えるのだ。十分に見えるのだ。周囲の稲の葉むらの一葉一葉が、月の光をうけて鈍く光っているのまで。ぼくたちは今、キツネとフクロウの生態を科学的に調査しているのだ。

『月夜における夜行性異種動物の協調行動とその生態』という画期的発見を実証するために。

 

  だまされた!

 

 ぼくたちはもうくたくたになっていた。空しく野道に立っているよりほかに、どうすることもできなかった。

「こんな阿呆な」

 こんな阿呆なことがあってたまるかい、と舌打ちするように、アキラが言った。

「なめられてるのやで」

 ぼくは野道にしゃがんでしまった。アキラは田のふちに生えているエノコログサを一本引き抜き、茎を噛みながら恨めしそうに葦原の方を見た。ぼくはしゃがんだままアキラにならい、月影の穂を引き抜き噛んだ。そして雑草の葉陰から広い野面を透かし眺めていた。

「また鳴きよるでよ」

 アキラは冷やかな笑みを浮かべた。

「もうこうなったらトコトンやろけ」

 疲労と恐怖を突き抜け、妙な勇気が湧いてきた。

「トコトンやけどな・・・・」

 もとよりアキラはそのつもりだったらしい、が、

「何かもっとええ方法を考えんとあかんで」と、エノコログサを真横にくわえ直し、相変わらず葦原の方をじっと見つめている。

 約束されたもののように鳴いた。

「どないなっとるんや」

 アキラはエノコログサをぷいと飛ばし吹き出した。ぼくは立ちあがりながら笑い浮かれた。ぼくたちの浮かれるこころを鎮めるように、また鳴く。

「ゴロスケホー」

「コーン、コーン」

 ぼくは野面の夜空を仰いだ。

「お月さんが笑ってござるでよ」

「そろそろほんまにだまされそうやな」

「もうこれはだまされてるのと、おんなじやで」

「実は、なあ」

 アキラは太く低く声音を落とし、ぼくの方をうつろな眼差しで見つめながら、

「ほんまのことを言うとなあ、わしはアキラやないのやでェー」とからかう。からかうアキラの姿が、何となくキツネみたいに見えてきそうになったとき、

「あっ、ほやっ」と、アキラが急にアキラに戻った。

「何や」

「ええこと思いついたで」

「また行くのけ」

「ちがうがな、一人だけ向こうへ行くのよ」

 ぼくはアキラの言うことをすぐ了解した。うんとアキラがうなずく。

「はさみ討ちみたいなもんやな」

 ぼくが言った。

「おかしなはさみ討ちやけんどな」

 アキラは笑い、しかしすぐに、

「ほんならわしが行くでな。ここで待っててくれよ」と慎重になる。

「分かった」

 独りになることの心細さみたいなものをすこし感じたが、いさぎよくぼくは同意する。なぜこんな単純なことを思いつかなかったのだろうか。葦原へとまっすぐ延びる畦道のところでアキラは立ちどまり、

「ちょっと待てよ」となおも慎重だ。そして、

「もう一回鳴きよるまで待とう。向こうにいよるのを確かめてからや」と言う。ぼくたちは身もこころも夜の野面に溶け込むように鎮め、待った。待っているのを知っているかのように鳴いた。

「コーン、コーン」

 澄んだ鳴き声は広い野面の空間に気高く響きわたる。

「ゴロスケホー」

 (しわが)れた含みのある深い鳴き声は、月夜の野面に闇を吐く。

「行くでェ」

 アキラはうなずき、笑みで合図した。

「だまされんとけよ」

 アキラはそう言うと、丸木橋を渡る要領で、トン、トンと足を送る。五、六歩も進んだときだった。

「あーっ」とアキラが圧し殺したように叫んだ。と、彼の影はぐらっとよろめき右側の田んぼの方へ傾き、そのまま細い畦道を腹に抱えるような形で、バサーッと倒れてしまったのだ。

「おい、アキちゃん」

 身の軽い彼ともあろうものが・・・・。ぼくは急ぎ、トトト、と足を送った。アキラは腹這いの恰好で稲田から頭だけを出し、もがいている。

「手がなかなか抜けんのやが・・・・」

 泥田に両手を深々と突っ込んでしまったらしい。

「何をしてるんや」

 アキラのぶざまな恰好を笑った。手を貸そうにも足場が悪い。

「だ、だまされたんや」

 アキラはようやく右手を抜き、自分の不覚を打ち消すように苦笑いを浮かべながら言った。抜いた右手にぼくの手を貸そうとしたときだ。

「コーン、コーン」

 鼓膜がふるえた。

 何という澄んだきれいな声か。月の光を飲み、飲んだ光を青白く夜空に返しているキツネの姿が目に浮かんだ。

 そのとき、葦原の黒い影がすーっと音もなく迫ってきた。そして月の光をさえぎり、ぼくの体を頭からすっぽり包んだ。

 くらーっと目まいがした。足元の大地が大きく揺れたのと同時に、ぼくは両手をぐるぐるとまわしながら、体ごと悲鳴をあげていた。何とか平衡を保とうとしたが、逆に勢いよくバサーッと仰向けざま、稲田に倒れてしまった。最初にお尻、そして腰、背中と、水の冷たさが伝わってくる。空には蒼白いお月さま。

「ゴロスケホー」

 もはやいかんともしがたいこのありさまに、ぼくは腹の底から笑った。畦道をはさんでアキラは向こう側。

「何してるんや」と身を起こそうと踏んばっているらしい。そして、

「笑えて力がはいらへんがな」

 アキラは体を支え切れず、またも四つん這いになったらしい。ぼくは稲株の弾力をうまく利用してゴロリと半転し、泥田に両手を奪われぬように一株一株に手を置き、畦道にかろうじて残った足を中心に、時計の針のように体を巡らせやっと身を起こした。アキラもふたたび右手を抜いたのか、ぼくの方へ突き出し、

「おい、たのむ・・・・」

 くくっ、くくっ、と、苦しそうに笑いをこらえている不恰好なその姿に、畦道に尻餅をついたままのぼくも、ふたたび大笑いする。アキラの右手にこびりついた泥土が月光に照らされ、油を塗ったように見える。

「完全にだまされたんや」

 やっと体勢を立て直したアキラが、みずから納得するように言う。

「だまされてる」

 ぼくは笑いをこらえ、神妙に、そしてすこし厳かな気持をこめて言った。

「帰ろ」

 アキラが言った。とつぜんの弱音に、

「帰るのけ?」と、ぼくは背中の生ぬるい感触と泥の匂いに気を取り直そうとする。

「あかん、もう帰ろ。何せわしらはだまされてるんやさかい」

 アキラは笑みを含み、首を振り、戻るように合図した。ぼくは仕方なく、そして幾分ほっとした気持で応じた。畦道を戻りながら、

「アキちゃん、どないなったんや、すべったんか」

「ちがう。途中で畦道がすーっと消えて見えんようになってしもた」と真面目に言う。そしてアキラはぼくに同じように尋いた。

「葦原が動いたんや。ほんで目の前がまっ暗になってしもた」

「やっぱりだまされたんやな」

「だまされたんや」

 ぼくたちは、このまぎれもない科学的事実をしっかりと確認し合うように呟いた。

 野道に出た。と、アキラは、

「早う帰ろ。ほやないとまただまされるぞ」と言うが早いか、とつぜん駆け出した。

「だまされる。だまされる。」

 ぼくは呪文を唱えるように口走りながら、アキラのあとを追う。ぼくたちは息せき切って走った。川に落ち込む溝を飛び越え、柳の下枝をくぐり、口々に「だまされた」「だまされる」と、うわ言のように言いながら走った。すると、キツネがピタリとぼくの背中にくっついてくるような気がしてくる。背中が冷たい。

「おい、アキちゃん、早う、早う行ってくれ」

「ほんなこと言うても・・・・」

 アキラの払う柳の枝がぼくの顔面をしばく。

「キツネに()かれそうや。ひえーっ」

 背中が冷やかで寒いのだ。音もなく見えないキツネがついて来ている。そう思い込むと、前を走るアキラを飛び越してでも逃げたくなる。

 ようやく川が大きく蛇行しているところの広い道に出た。アキラが川べりの草むらにへたり込んだ。転がるようにぼくも続いた。しばらくのあいだ互いの息を聴いていた。自然に笑みがこぼれてくる。

「ふふっ」

「へへっ」

「だまされたね」

「うん、だまされた」

 ぼくたちは是が非でもだまされたことにしておかねばならない。でなければ、科学的にどうしても説明がつかないのだ。

「コーン、コーン」

 遠くになった葦原で鳴いている。すぐ傍で聞くよりやわらかな鳴き声だ。フクロウも鳴いた。

「まだ鳴いとるでよ」

 アキラが半身を起こしながら呆れたように言う。

「ええ声やなあ」

 草むらに背中をあたためながらぼくはふと呟いた。

 いつまでもこの月夜の野面に遊んでいたかった。

 

  オッサンが来た

 

「キツネ様々やで」

 アキラは川べりを往ったり来たり、落ち着かない。

「フクロウ様々。へへ・・・・」

 ぼくは石垣の奥深くから出ている仕掛けの糸を軽く張りながら、ほくそ笑む。

 昨夜、ぼくたちはキツネとフクロウ騒動の果て、もっとも感触のある場所に仕掛けた二本を調べなかった。今朝は今朝とて、その二本は最後の楽しみに、他の二十数本はすべて空しかった。ウナギはそう簡単に釣れるものではないと、諦めも早かった。が、流れの早い場所の一本を上げてみると、ググッと手応えがあり、セキショウモのあいだからぬるりとあらわれた。ぼくたちは有頂天になった。ウナギ一匹。これでもう十分なのだが、最後の一本にもどうやら掛かっているらしいのだ。

「あんまり引っ張るな。わしが調べてくるさかい」

 アキラはそう言うや、ざぶりと足もとから川に入った。流れはアキラの胸のあたりまである。

「ウナギけ?」

「いや、分からん。待てよ」

 アキラは糸を静かに引っ張る。出て来ない。

「ウナギやな」

「ウナギや。ナマズやったら出て来よる」

 アキラはおもむろに力を加え、糸を引く。やはり出て来る気配はない。

「切れてしまうで」

 せっかくのウナギだ。糸が切れたり、掛かった針がはずれたりしたらおしまいだ。しかしそのあたりは、アキラもよく心得ている。

「あかん。さぐってみるわ」

 アキラはそう言うと、糸が引き込まれているウロンタへ右手を突っ込んだ。

「深いわ」

 アキラの右手はすっぽりとウロンタの中へ入ってしまった。半身に構え、肩ぐちあたりまで突っ込んでいる。首をひねり顔面を上流に向け、その顎は流れに浸っている。

「うっ、まてよ、あかん・・・・」

 うめきながらアキラは懸命にさぐっている。ぼくは地面に腹這いになり、糸を持ち応援する。

「ふーっ」

 アキラは手を引き抜き大きく息をすると、

「深いわあ、届かへんが」と言い、ペッと流れに唾を吐いた。

「よし、こんどはわしがさぐってみるわ」

 ぼくはそう言うとアキラの立っている横へすべり下りた。アキラは糸を手繰り寄せ、下手へ移動し、

「わしより手が小さいで、奥までさぐれるで」と言う。

「まかしとけ」

 ぼくは手を入れる。入口に較べ、奥へいくほど狭くなっている。

「どうや?」

 アキラの声に、

「うーっ、もう、ちょ・・・・」

 ウロンタさぐりのときは、うめくより口の利きようがないのだ。息を詰め、流れに踏んばり、神経を指先に集中させているのだ。ひん曲げる口もとを流れが洗う。拇指と人差指で糸をつまみ、それを辿るように五ミリ、一センチと腕を伸ばす。

「ウナギやわ」

 やっとの思いで言った。

「ウナギけ」

 アキラが下手から流れにさからい上手へと移った。とたんに流れがアキラの体にさえぎられ、大きく盛りあがる。

「うっ、うっ・・・・」

 口もとに水が押し寄せる。左手でアキラに除けてくれと合図する。アキラは苦笑しながら、「すまん、すまん」と、ぼくの顔面よりわずか下手へと移動する。ウナギ以外の魚ではこれほど狭いところまで潜り込めない。指先の感触で、ぼぼ行き止りだということが分かる。が、その行き止まりからさらに奥へ細く続いているらしい。そこへウナギは潜り込んでしまっているのだ。腕の長さがもう二センチ欲しい。そうすればウナギに触れることが可能だ。

「交替しよけ?」

「ぐっ、うっ・・・・。ちくしょ」

 しびれるような指先がふわっとわずかにあおられた。錯覚かも知れないが、待て、確かに何かに触れた。アキラもぼくもこういうことに関しては誇りを持っているのだ。だから、引き継ぎ、交替する時は、次のメドをきちんとたてておかなければいけない。ぼくは押し寄せる流れを見つめ、目を剥き、早朝の川面の空気を思い切り吸い込むや、ずずずっと口から鼻へと、流れに顔面を沈ませた。

「どうや」

 アキラの声にぼくは息を詰めたままうなずく。尾びれらしき部分に指が触れた。触れるのみで、つかむことはできない。腕、手、指と限界まで伸び切っているのだ。ぷわあーっと水面に鼻孔と口を出し、腕を引き抜いた。

「いよる」

 むせびながら口走った。体の力が抜け、流れに抗しきれず、ざざーっと二歩ほど後退した。

「ウナギやな」

「ウナギや。間違いない」

 岸辺の草を握り体を支えた。イトトンボが音もなく翅んできて水面に垂れる草の葉にとまった。

「アキちゃんやったら握れるわ」

 実際、アキラはウロンタさぐりの名人だ。指に触れる魚はのがさず(とら)える。アキラの拇指と人差指のつかむ力は特別強いのだ。だから、ほんのわずか尾びれに触れるだけでつかみ出してくるのだ。

 アキラがふたたび試みた。

 瑠璃色に輝く尾をまっすぐに、空中に仕掛けられた小さく精巧なおもちゃのように、イトトンボが翅び去った。

「このう・・・・。もう、ちょっとや。うぐ・・・・」

 アキラは苦しそうに顔をしかめている。指が尾びれに触れているのが分かる。口を、そして鼻を水面下に沈ませた。今度はつかんで引きずり出してくると思った。ざざあと音をたて、立ちあがったアキラは上流の方へ体を倒し、二、三歩よろめき、あわてて岸辺の草を握り、

「ふわあー、あかん」と大きく息を吐きながら叫んだ。

「いよるやろが」

 追うようにぼくが言うと、うんと大きくうなずき、

「いよるけんどな、こういう具合にもぐり込んどるのや」と、状況をアキラなりに想像しながら説明する。

 ウナギは針を口にしたまま、ウロンタにもぐり込んだ。そのウロンタが細く長く奥深かったので、細長いからだの許容範囲ぎりぎりまでもぐり込んでしまったのだ。糸を強く手繰り寄せればウナギはくるりと反転しそうなものだが、その反転する空間のまったくない狭いところまではいり込んでしまい、身動きすらできなくなってしまったらしい。

「やっぱりウナギはしぶとい」

 アキラは岸辺の草を引きちぎり、流れに投げつける。もちろんウナギ本来の粘り強い力あってこそ、糸を手繰り寄せられない面もあるのだ。

「突いてみたけ?」

 ぼくはイトトンボのとまっていた草をちぎり、口にしながら尋いた。アキラは頭を横に振る。

 ウロンタさぐりには一種のコツのようなものがある。網も持たず、素手のみで獲える方法は、(えら)の周囲、つまり魚の頭の部分を鷲掴みするのだ。尾のあたりを握っても、うまくやらないと、するりと抜けられてしまう。だからいかにうまく頭の部分をこちら側へ向けさせるかということだ。尾はつかめるが、それ以上の届かないところまでもぐり込んでいる場合、指先で逆にグイと突いてやる。すると魚はくるりと反転し、頭の部分をこちら側に向ける場合がしばしばある。

 ナマズなどはこの方法以外、まず逃げられてしまう。ナマズの場合、人差指か拇指を大きな口の中へ突っ込めばしめたものである。鰓の方にも指を入れつかむようにするのだ。それでも三十センチを越すような大きな奴は力もあるから、ウロンタから引きずり出す前にもう一方の手も添え、ばーっと岸に放り上げてしまうのだ。

「こうなったらやることは決まったるようなもんやね」

 ぼくたちは、これからの作業はじっくり腰を据えて取りかかるのだと言わぬばかりに落ち着いている。

「ウナギやでね」

「ほうよ、何せウナギやでね」

 アキラはにたりと笑い、小さくうなずく。

 稲田に結ぶ朝露もまだ乾かぬ野面を、アキラとぼくは申し合わせたように、すばやく見渡した。誰もいない。ぼくたちは大きくうなずき合った。

「こっちからやな」

「この石からや」

 ぼくたちは寡黙になり、まるで職人のように黙々と石垣を崩しはじめていた。重くてやむなく川底へ沈めてしまう石、野良道の方へめくる石。作業は思いの外、困難を極めた。それでもぼくたちは黙々と続ける。

「ふえーっ、こんなところに入り込んどったんやぞ」

 竹筒のように狭くなった隙間に、ウナギは白い腹部を横にぐったりとなっていた。糸を持ち上げ、アキラは高々とウナギをかかげて見せる。鈴鹿の峰にのぼりはじめた朝陽が黄金色にやわらかく輝いた。重く疲れた体を岸にあげた。ぶるっと寒さが思い出したように体を走る。

「何ということをしてくれるやい」

 アキラが崩した石垣を見ながら、どこかのオッサンの声音をまね、笑った。

「しょうがない奴らやな」

 野良道に転がったひとつを、ゴロンと元の位置らしき場所へ据えてみる。復元されるべくもない。こういうときのぼくたちには良心がない。あるとすれば、獲物を確実にせしめることが、ほかならぬ良心になってしまうのだ。

「帰ろ」

「早う帰ろまいけ」

 獲物を籠に、ぼくたちは家路を急いだ。朝陽のぬくもりがやさしい。

「おい、野良犬や」

 ぼくは畦道をトボトボと歩いている一匹の動物を見つけて叫んだ。

「ちがう、キツネや」

 アキラがすぐに言った。そして、

「尻尾を見てみ」と指差した。だらりと地をはうように垂れた尾は、なるほどふさふさと太く、胴の長さほどもある。

「へーェ、あれがキツネけ?」

 ぼくはあらためて見た。

「キツネや」

 アキラは確信をもって言う。

「夕んべの奴やね」

「そや」

 明神山の方へ向かっている。それにしても何と見すぼらしい姿だろうか。幾日も餌にありつけず、やせ細った体を重くだるそうに引きずっているような印象をあたえるのだ。あれが昨夜、月に向け澄んだ声を発し、ぼくたちをだましてドロンコにさせた野生の姿なのだろうか。ぼくには信じられなかった。黄金色のやわらかい朝陽にも、艶やかであるはずの毛並は薄汚れてさえ見える。フクロウを背に乗せる体力など、とてもないだろう。

「フクロウがいよらんね」

 アキラが笑いながら言った。その時、ぼくたちの気配に気づいたのか、キツネは歩をとめ、振り向いた。頭部だけをきりっとぼくたちの方に向けた姿に、ぼくは思わず、「キツネや」と呟いた。犬にはけっしてない、まごうかたなき野生の瞬間の姿だった。と、次の瞬間、キツネはさーっと走り出した。細くしなやかな野生の走りが明神山の裾野の方へ遠ざかっていく。ぼくはなぜか、ふーっと安堵の吐息をついていた。

「あれーっ。なんや」

 アキラがとつぜん手にした籠を見ながら叫ぶように言った。

「どうしたんや」

 ぼくは籠をのぞいて、「あれーっ」と叫んでいた。二匹のはずのウナギが一匹しかいないのだ。しかも太い方のやつ、石垣を崩してやっとせしめたのがいないのだ。

「なんでやあ」

 アキラがあたりを見まわしながら言う。

「ほんな阿呆な。ウナギ一匹やぞ」

 ぼくはもう一度籠の中を確かめる。やはり一匹だ。抜け出る隙間などあるはずもない。ふとアキラと顔が合った。そしてどちらからともなく、

「またけー」

「だまされたんやろか」

 同時に逃げたキツネの行方を確かめた。もう姿はない。代わりに山裾の土手道から一台の自転車が下りて来る。肩に(すき)を担いだどこかのオッサンだ。

「おい、走ろう」

 アキラが言う。

「ウナギは?」

 戻って捜そうと思っていたので、そう言った。

「あかん、オッサンに見つかったら、えらいこっちゃ」

 アキラの言う通りだ。ドジョウすくいの泥土を道端にぶちまけたどころではないのだ。

「もうどないなっとるんや」

 アキラは笑いながら走り出した。

「消えよったウナギはフクロウやったかも知れんで」と、ぼくはアキラを追い越す。

「キツネが連れて行きよったんやぞ」

 ぼくたちは走った。朝陽のやわらかい野面を、きゃっきゃっとはしゃぎながら走った。キツネにだまされたことが、まるでぼくたちの誇りと名誉でもあるかのように。

 

第五話 廃屋の主――アナグマ

 

  屋敷の野生

 

 屋敷内に真に野生と呼ぶに価する動物がひそかに棲みついていることを、こどもの頃から知っていた。はたして真の犯人かどうかは明らかでなかったが、それはきわめて残忍な光景の陰にかくれて、最初にぼくの前にあらわれた。

 夜を通して生暖かい春の嵐が吹き荒れていた。翌朝早く、ぼくは佐喜蔵おじさんのうしろにかくれるように、その光景を見つめていた。隣家(となり)のアキラもその父親も来ていた。

「イタチやわ」

 アキラがぽつりと言った。

「イタチやろな」

 アキラの父親が続いて言った。そして、

「ひどいことしよるもんやな」と、ぐったり横たわっている一羽のニワトリの、べっとりと血のりの付着している首筋あたりを調べながら付け加えた。嵐のなごりの曇天から、時おり強い南風(みなみ)が吹きつけ、横たわるニワトリの周囲に散乱した羽毛を舞い上げた。一羽ではなかった。四羽までも犠牲になった。

「イタチは血を吸いよるのや」

 アキラがそっとぼくに告げた。

 長小屋を利用して作られたニワトリ小舎のタマゴは、よくイタチに掠め盗られれた。佐喜蔵おじさんはいろいろ工夫して根気よく小舎を改造するのだが、ちょっとした隙間でもあろうものなら、すぐに闖入されてしまうのだ。

「イタチとちがいますやろな、これは」

 佐喜蔵おじさんはうろたえる様子もなく落ち着いている。

「ちがうやろかなあ。それにしてもひどいことしよるもんや」

 しゃがんでいたアキラの父親が立ちあがり、頭を振った。

「アナグマじゃな、これは」

 おじさんは付け加えるように呟いた。

「アナグマかも知れんな、こんなことしくさるんわ」

 アキラの父親はおどろきを通り越して、

「なんとなあ」としきりに感心したように、小舎を見まわしていた。

 ぼくがはじめてアナグマという動物の名を耳にしたのは、このときだった。

 

 年を経るとともに、ぼくの家は荒れ果てていった。屋敷の南側に隣接するアキラの家屋敷も同じような傾向にあった。風を通さなければ家の中の空気は一週間で腐ると言われている。前栽を五年も放置しておけば、苔のかわりに下草が生え、樹々は自由に枝をのばし、確実に小さな森となってしまう。

 アキラの家のさらに南側に大きな造り酒屋があった。アキラやぼくが生まれた頃にはすでに酒造りを止めてしまったらしいが、酒蔵の屋根をこんもりと覆ってしまうムクの巨木は残っていた。もちろん近在でもとびぬけた巨木で、春のおぼろ月夜によくフクロウが鳴いた。

 が、間もなくその巨木もろとも酒蔵も、昔ながらのりっぱな主屋も、すべて取り壊されてしまった。そして広い屋敷跡はそのまま放置された。たちまち草が覆い潅木が茂った。なかば廃屋同然のぼくの家から南へ、徐々に荒れてゆくアキラの家、そして酒屋の屋敷跡へと、野生を誘い込むに恰好の二千坪余の土地が出現したのだ。

 ありとあらゆる秋の虫が鳴いた。ヤブキリ、ヒメギス、ウマオイ、ツユムシ、スズムシ、マツムシ、そして山裾あたりまで行かないと聞くことのできないカンタンの深く美しい鳴き声まで耳にすることができた。キジが翔び立つようになり、ついにはノウサギまで棲みはじめたらしく、地続きのわが家の大裏に糞まで見出されるようになった。

 荒れていく家屋敷に寄せる大人たちの困惑をよそに、アキラやぼくは近くなった野生の匂いを嗅ぎまわった。

 春休みのある日、アキラは誇らしげにトラバサミを掲げて見せた。

「憶えてるけ?」

 ぼくは微笑みながらうなずいた。

 数年前、野面の小川をのぞき込んだとき、とつぜんバチッとぼくの拇指の付け根をはさんだものを、アキラが持ち帰り、保管しておいたのだ。

「ムジナを捕ろとまいけ」

「ムジナ?」

「アナグマのことよ。出よるんや」

 アキラはそう言いながらトラバサミを開き、真ん中にぽんと大根を落とした。バネが勢いよく撥ね、大根は真っ二つにちぎれた。アキラはニヤリと笑った。ぼくはあのとき、偶然にも草を巻き込んではさまれたので、けがをすることはなかったが、その威力の強さにあらためて驚いた。

 アナグマはムジナとも呼ばれている。タヌキもムジナと呼ばれる。それならばアナグマとタヌキはどういうちがいがあるのか。ぼくたちはさっそく科学的になった。ぼくたちの科学的態度は、トラバサミを横に図鑑を開くまでに、進歩成長を遂げていた。やはりムジナと呼ばれる俗名を軸に、タヌキとアナグマは混同されることが多いらしい。

「タヌキは食肉目イヌ科でアナグマはイタチ科やて・・・・」

 アキラの家ののどかな縁側でアキラは呟くように読んだ。

「イヌとイタチのちがいけ?」

 ぼくはぼんやりと二種の動物を想像し、独り言のように言った。タヌキがイヌによく似ていることは容易に想像できる。ぼくはアナグマを見たことがない。

「ほんなもんイタチとぜんぜんちがうで」

 図鑑を閉じながらアキラが言う。

「見たんけ? アナグマ」

 ぼくは尋いた。アキラはうなずいた。

「イタチよりずっと大きいしな・・・・」

 そう言いながら目を輝かせ、アキラはアナグマを見た時のことを物語ってくれた。

 ある日、ふとした気配にふり返ると、アナグマがのこのこと部屋の中を歩いていたというのだ。しかも昼間である。

 アキラと父親は急いで家中の障子を閉めまわった。アナグマを封じこめ捕獲しようとしたのだ。広い家の中は大騒動となった。アナグマはずんぐりと太く、イヌやネコ、ましてイタチなどの敏捷さはない。が、何と言っても野生である。追いかけまわしたり、はさみ討ちしたりするものの、なかなかうまくいかない。

 そのうちアナグマの方でも、もはや逃げ場を失ったことに気づいたのだろう。とつぜん前栽に面した座敷の障子に猛烈な勢いで体ごと突進した。バリッと音がして、たちまち障子は桟もろとも破られ、アナグマはまんまと逃げ失せてしまったという。

「ものすごい力やで」

 アキラはアナグマの底力を強調した。そして他の人たちから聞いたことも付け加えた。

 戸や障子を開けることなど苦もないらしい。頑丈な米びつの蓋の上に載せてある重い石を、なんなくひっくり返し、中の米を食べてしまったりもするらしい。野生は敏捷さを欠く代わりに、ちゃんと力をあたえているのだろうか。

「それがどうやらあっこから出入りしよるらしいんや」

 語り終えたアキラは、坪庭を囲んでいる南に面した板塀を指で示した。板塀は古く、かなりくたびれている。そしてその下の方に子犬一匹出入りできる程度の破れ目があった。

「アナグマか?」

 ぼくは確かめるように尋ねた。アキラは自信ありげにうなずき、

「塀の裏にまわってみようか」とたちあがった。裏側はすぐ造り酒屋の屋敷跡に続いている。

「ほれ見い」

 アキラは、人も踏み込めないほどの藪になってしまった屋敷跡の奥へと続いている一本の獣道を示した。それはいかにも野生の獣が、人の寝しずまった夜陰にまぎれて通う匂いがした。アキラはさらに板塀の破れを丹念に調べはじめた。そして一本の細い毛をつまみ、ぼくに見せ、

「ほやろ、アナグマの通り道に間違いない」と誇らしげに笑ってみせた。

 それからぼくたちのアナグマ狩りがはじまった。夕暮れになるとトラバサミを破れ目のすぐそばに仕掛けた。塀の破れ目からヌッと顔を出し、右の前肢を踏み出すや、バチンと掛かることになっていた。しかし明くる朝、期待は見事に裏切られた。二日目も同じだった。

「おかしいなあ」

 ぼくたちは周りを丹念に調べてみた。通った気配のようなものが何となく感じられる。アキラは四つん這いになり、犬のようにクンクンと獣道の枯草を嗅いでまわった。ぼくも同じようにまねた。

「通っとる」

 確信をもってアキラが言う。

「・・・・・・・」

 微かに、ぼくはうなずいた。

「人間の匂いがするんとちがうけ」

 起きあがりながら言った。アキラはすでにそのことに気づいていたらしく、

「茶ガラを焚いてみよまいけ」と言い出した。ぼくは何のことだか分からず、きょとんとしていた。そんなぼくに構わず、アキラは茶ガラを用意すると、細い枯枝を集め、火をつけた。そしてその上へ湿った茶ガラをバサッと投げ入れ()べた。たちのぼる煙の中へトラバサミをぶら下げ、ていねいにあぶったのである。

 こうすれば人の匂いが消えるのだそうだ。その日は茶ガラで匂いを消したばかりか、鶏肉の切身までトラバサミの上にそっと置いたのだ。

 明くる日、アキラとぼくは竹ざおや棒切れをふりかざし一匹の動物を虐待していた。トラバサミに見事にはさまれていたのは野良猫だった。ニャンとも鳴かず、グウーッとうなり、牙をむいた。

「一丁前に牙をむきくさって」

 アキラはあざけるように笑った。

「一丁前にうなってくさる」

 けらけら笑いながらぼくは棒切れで突いた。ぼくたちの努力は空しかった。やがてアキラは竹ざおでトラバサミをこじ開けた。ネコはフギャンと一声、妙な鳴き方をして獣道を逃げて行った。

 アナグマは依然としてぼくたちの前に現れなかった。

 

  ムジナの腹鼓

 

 かつてのぼくはどこへ行ってしまったのだろうか。ぼくはぼくの内から突きあげてくるような、ぼく自身の大きな変化に気づきはじめていた。それは一瞬のうちにぼくにおそいかかった。ぼくはどこか遠い世界から聞こえてくる声に耳をそば立てるようになっていた。そして、内面ということばに、ぼくの日常は完全に囚われていった。

 ぼくは生きることの意味のようなものを問いはじめるようになっていたのだ。そしてそれと同時に、もう無邪気に科学的になることもなかった。小鳥や虫たちに興味は示すものの、もはや真に科学的に見ているのではないことを、誰よりも知っていた。それらの図鑑や本の並んでいる棚をぼんやりと見つめている時間が多くなった。ぼくとそれらの本のあいだに冷たい風が吹いていた。

 生きるとはいったいどういうことだろう。

 暗い気配をひしひしと感じながら、自然に太陽から遠ざかり、眠れない夜に独りきりになることが多かった。夜更けて離れの部屋の床につくと、背中に地の底から湧き起こってくるような寂寥を覚えた。すべてが怖かった。背中に悪寒が走った。ずずーっと大地に引き込まれるような気がした。

 幽かに大地の音が響いてくるような気がした。ぼくはいつの間にか眠っていた。しかし、いつものように眠りは浅かった。どこからともなく不思議な音が聞こえてくる。

 ボン、ボン、ボン、ボンボンボン、ボボボボ・・・・・・・。

 その音は大木の洞を何かでたたいているように、あるいは、すこし皮のたるんだ小さな太鼓をたたいているように聞こえてくる。

 最初はゆっくり、ボン、ボンとはじまり、だんだんたたく速度が早くなり、最後にボボボボ・・・・と消え入るように聞こえなくなるのだ。眠りながら、ぼくは何度かこの音を聴いていたにちがいない。

 眠りの底からやってきて、ぼくが目を覚ました時に音はやんでいた。南に面した障子は月光をうけ、冷やかに輝いており、障子の中ほどを蔵の屋根の影がくっきりと一線を画して鮮やかだった。その影から推しはかって、月は中天にかかっていることはすぐ分かった。ぼくは仰向けのまま頭だけを横に、障子の幾何学模様をじっと見つめていた。月の光が静かだった。

 ボン、ボン、ボン、ボンボンボン、ボボボボ・・・・・・・。

 やはり夢ではなかった。音は確かに聞こえてくる。いったい何の音なのか。ぼくはありとあらゆる想像を巡らせてみた。そしてその音はどのあたりから聞こえてくるのか。どのように想像しても、それは人工的な音でないことは確かだと思った。そして、いかなる楽器も思い当たらない。あれだけ等間隔のリズミカルな音を出すことは人工の手では不可能だ。木の幹をドラミングするキツツキのまねを人工的にできないのと同様に。

 ボン、ボン、ボン、ボンボンボン、ボボボボ・・・・・・。

 蔵のすぐ裏の方から聞こえてくるような気がする。それともずーっと南の、アキラの家屋敷も通り越し、造り酒屋の屋敷跡あたりか。大木の洞を何ものかがたたいているにしても、そんな木は周りにはもうない。かつてキイロスズメバチが巣を作っていた蔵の横の松の大木は枯れてしまい、今はもうない。

 ボン、ボン、ボン、ボンボンボン、ボボボボ・・・・・・。

 ぼくはそっと上半身を起こした。あの音は動物が出している音にちがいない。とすれば、タヌキの腹鼓なのだろうか。

『もうそんなこと、どうでもいいではないか。おれが生きていくことと、関係ないではないか』

 冷やかな風がこころに吹いた。障子に影をおとす月光の美しさに、ぞくっと身をふるわせた。

 ボン、ボン、ボン、ボンボンボン、ボボボボ・・・・・・。

 これがぼくの生きているこの世なのか。気の遠くなるような不思議の世界にいるような気がしてきた。月夜にキツネとかタヌキとかムジナなどの影がぼくの周囲をうろつくと、いつもこんな気持になる。ぼくはキツネにだまされた夜の野面のことを思い出し、独り苦笑した。

 呼びかけるような音は一定の間隔をおいて、なおも続いた。ぼくは耳を傾けながら、ふと、これがタヌキの腹鼓というものだなとふたたび思った。

 タヌキの恋の季節なのだろうか。とすれば、異性に合図を送る方法として、まさか腹はたたかなくとも、尾とか足で何かよく響く空洞のある物を連続的に打つのではなかろうか。

 そのように想像すれば、音はずっと身近に感じられる。タヌキでなくともアナグマの仕業ならば、なおのこと納得がいくような気がした。

 ボン、ボン、ボン、ボンボンボン、ボボボボ・・・・・・。

 そっと障子を開ければ、ぼくの想像を越えるような現象に出会い、どんな生物学者も知らないアナグマの新しい生態を発見するかも知れない。

『だからと言ってどうなのだ。タヌキやアナグマの腹鼓の正体を知ったからとて、いったい何になるのだ。おれには考えなければならないもっと重要なことがあるはずだ』

 ボン、ボン、ボン、ボンボンボン、ボボボボ・・・・・・・。

 ぼくは静かに仰向けになった。

 ぼくはこころが病むことを知りはじめていた。

 

  現われたアナグマ

 

 すこしの物音にも目を覚ましたり、不眠の毎日に慣れるにしたがって、ぼくは今まで知らなかったさまざまな現象に気づくようになった。

 夜更けや暁方ちかくホトトギスがするどく鳴きながら翔び去る。二羽か三羽、ケッケッケッケッと甲高く鳴きかわすケリの鳴き声もする。五月雨のころ、村はずれの田んぼの方から、ポォッ、ポォッ、ポォッ、ポッ、ポッ、ポポポ・・・・・と、もの哀しいヒクイナの鳴き声もしてくる。しかしぼくはもう動こうとしない。懐中電灯を持ち、その鳴き声を尋ね、村はずれまで赴こうともせず、ただ聴いている。あの鳴き声は人間のあらゆる哀れ、感傷、淋しさを越えてなお胸を衝く。それだけを聞きとれば、もう十分だ。

 カアー、カアー、カアー、カアー。

 雪がやみ、夜空に凍てついた月光が雪に埋もれた里に明るい。とつぜんカラスが鳴き出す。月の光が雪に反射して昼間のように明るいから、浮かれて出て来たにちがいないのだ。寒さの張りつめたこの夜更けに、カラスの翼は凍てついてしまうのではないかと思う。東から西へ、中天の月を横切るようにカアー、カアーと鳴き声が移動する。青白い月の光に姿は見えない。

 こうしてぼくは日を追うごとに夜更けのさまざまな現象に出会うようになった。ぼくはこれまでと同じように新鮮なおどろきを感じることに変わりはなかった。しかし、以前のそれとはどこか異なっていた。

 以前、ぼくはそういうものに直接的に反応した。それは多分、自分が生きているということを意識しなくとも生きていられたからであろう。でなければ、スズメバチの頭をハサミでちょん切ったりできるはずもない。

 ホトトギスやヒクイナも、真冬の月夜のカラスの鳴き声も、みずからの生を意識しはじめたぼくのこころにまずストンと落下した。そして空ろなこころにさまざまな響きが起こった。それは、言ってみれば世界の響きとでも言うべきものだった。そしてその世界はさまざまな表情や感情を持っているということに気づきはじめた。

 腹鼓は世界の神秘、ホトトギスのひと声は世界のはげしさ、ヒクイナの声は嘆きと哀しさ、凍てつく夜空のカラスの声は世界の狂気というふうに。世界は生きていると気づきはじめたぼくは、なぜか同時にみずからが生きる意味を問い続けることの重要さに気づきはじめていた。こころは軋むような音をたてていながらも、それはけっして暗いものではなかった。

 そんな時、皮肉にもアナグマがとつぜん、ぼくの前に姿を現わした。

 一晩中台風が吹き荒れた。明くる日は文字通り台風一過の晴天で、急にくっきりと近くなった観音寺山や明神山から、木の実やキノコの香りが吹き下りてくるようだった。

 しかしぼくの家は無残だった。大裏へ出る板塀の開き戸は倒れてしまうし、前栽と大裏を隔てている板塀は朽ち果てている上に強い風を受け、ところどころ破れてしまった。外から見れば、もはや廃屋同然に見えた。

 その日の夜は満月だった。居間の机の前に坐って本を開いていた。開いたまま、月夜の前栽と破れた板塀からもれる月の光をぼんやりと眺めていた。そして、ぼくはこの古い家の後始末をするために生まれてきたのかなあ、とふと思った。その時、コトッと音がした。坐っている床の下だった。おやっと思い、縁側に目をやると同時に、ヌッとにぎりこぶし大の小さな頭が現われた。続いて太い首、そしてまるまると太った胴体が出てきた。

 ぼくはとっさにアナグマだと思った。科学的になるもならぬも、そんなことを考える余裕はなかった。すぐ目の前、ほんの二メートルほど先に現われたのだから。相手はまったくぼくに気づかないらしい。全身をあらわした。あまりとつぜんだったので、つぶさに観察する余裕もない。が、小犬よりも大きい。イタチやネズミのような小動物といった感じはまったくなく、まさしく野生のけものという感じがする。

 そいつはのそのそと歩き出した。ぼくは、相手にぼくの存在を気づかせようと咳ばらいをした。ピクッと全身の筋肉を緊張させるようにアナグマは構え、ぼくに対し半身になった。そしてじっと動かず、ぼくの方を見ているらしい。見ているらしいと言うのは、半身の構えを崩さず、斜め下からぼくの存在を全身で受け止めているような感じがしたからだ。体は黄褐色で、短い脚の部分が黒い。頭は胴体に比べ極端に小さく、色も他の部分より淡い。 

 不気味だ。そして薄気味悪い。 

 それがぼくの第一印象だった。キツネやタヌキならば、人の気配を感じるや、さっと走り出し、まず安全圏を確保するにちがいない。そこに何となく野生のさわやかさみたいなものを感じるのだが、アナグマは動かない。じっと動かないまま、うらめしそうな眼つきで、こちらの様子を窺っているようだ。夜行性の穴居動物なので、暗い印象をあたえるのだろうが、どこかに床下の霊でも引きずっているような感じがする。

 やがてアナグマはのそのそと大裏の方へ歩き出した。そのうしろ姿は顔つきとは逆に、いかにも剽軽だ。まるまる太った体でお尻をふりふり、出来の悪いぬいぐるみが歩いていくみたいだ。野生の敏捷性からはほど遠い。荒れた前栽の月光の下を通り抜け、破れた板塀のあいだから、ススキや秋の千草が繁茂する大裏へと姿を消した。ぼくはそれを見送りながら、冷やかな笑みを浮かべていた。

 アナグマはいかにも廃屋にふさわしい動物だと思えた。

 

  餌付け

 

 その存在を確認するまでは容易でないが、一度知ってしまえば、その存在特有の気配をすばやく察知することができるようになる。それが自然との触れ合いではないだろうかと思うときがある。

 その夜以来、ぼくはたびたびアナグマに出会うようになった。それにつれ、アナグマの性格のようなものまで分かるようになった。と言うより、性格が表面に色濃くあらわれる動物だと言った方が適切かも知れない。

 棲む場所は荒れた古い家の床下や土蔵の下で、やはりどことなく陰気である。ぼくの家からアキラの家、そして酒屋の屋敷跡はしたがってアナグマの棲みつく恰好の場所だ。

 昼間、屋敷のあちこちに直径十センチ、深さ五センチほどのすり鉢状の穴がほじられているのに気づいた。どうやらアナグマがミミズをほじくり出した跡らしい。

 いつも夜更けの荒地の地面を嗅ぎながらさまよっているせいか、頭部は常に(うつぶ)せかげんだ。食性はかならずしも肉食ではなく、どちらかと言えば雑食性で、鳥に喩えれば、カラスに似ている。米も食べる。ざるの中に入れておいた柿を、一晩のうちに十数個食べられたこともある。

 ぼくは最初、陰気な動物だと思っていたが、慣れるにしたがい、思いのほか剽軽で、あまり人をおそれず、時には大胆ですらあることも分かった。そしてなかなか気が強い頑固ものだ。野良猫などアナグマの前にはたじたじである。そして大胆な気の強い性格を裏づける特徴は、おそろしく力が強いことだ。障子や板戸など苦もなく開けてしまうし、古い板塀などすこしでも隙間があればバリバリと破り、まんまと自分の通り道を作ってしまうのだ。

 ある夜、ぼくは二階の部屋にいた。柿の実の熟れる頃だった。ぼんやりと秋の気配を嗅いでいた。ガラッと裏の木戸が開く音がした。ぼくは一瞬イヤだなあ、と思った。

『もうアナグマなんてどうでもいいではないか』そう思い切ろうとする自分に苦笑した。が、なぜかぼくのこころは落ち着かない。

「ちぇっ、もう現われるなよ、しょうがないなあ」と呟きながら、ぼくは立ちあがり、いつの間にか懐中電灯を持っていた。

 案の定、アナグマが通れるぐらい木戸が開いている。照らしてみた。大裏の方へお尻をふりふり逃げていく。そのうしろ姿がいかにも、

「ざまあみろ、呼び出してやった」とぼくをからかっているようだ。

「おい、こら、逃げるな」

 ぼくは思わず声をかけた。ところが、まるで期待もしなかったのに、アナグマはとまったのだ。そして半身に構え、ぼくの方をじっと見ている。ぼくはさらに近づいた。

「おい、逃げるなよ」

 しかしそれ以上は無理だった。すぐ横の蔵の床下へ姿を消した。なぜかほっとして戻りはじめたが、ふと、そのこころとは反対に餌付けしてみようかと思い立った。それはかってのような熾烈なものでなく、ぼくの過去の残り火がポッと炎をあげたようなものだった。

 ぼくは台所に戻り、二枚の食パンを用意した。そして蔵の床下に向け、口笛を吹き、「おい、ここへ置くぞ。食べておけよ」と声をかけ、二枚の食パンを近くに置いた。

 明くる朝、はたして食パンは影も形もなかった。

 それから毎晩、ぼくは食パンの位置を家の方へ移動させながら、アナグマを誘導したのだ。十日ばかり経ち、ぼくは三和土まで誘導することに成功した。

 次の日からアナグマは台所の床下から現われるようになった。ぼくは餌をあたえる前、床下に向かって必ず合図の口笛と、二言三言ことばをかけることを忘れなかった。

 それから三日ほど経つと、アナグマはぼくの目の前で食パンを食べるようになった。そのとき、ぼくはアナグマのある特徴的な仕草に気づいた。餌をくわえるとき、ぼくの存在が気になるのか、クイッと頭を斜め上方に振るのだ。胴体に較べ頭部が極端に小さいので、そう見えるのかも知れないが、その仕草はまるでムチ打ち症にかかっているようなのだ。

 クイッ、クイッとぼくの方に向け、二度三度同じ仕草をする。それがいかにも、ぼくに向かって、

「あっちへ行け、うるさいなあ」と言っているようなのだ。

 餌付けに成功したものの、ぼくはふと食パンだけでは物足りないのではないかと思った。何と言っても食肉目の動物なのだ。そう思いついたぼくは、使い古した鍋に食パン二枚を適当にちぎり牛乳で浸してやった。

 アナグマはすっかりぼくに慣れた。毎夜九時過ぎに台所の床下に向け、口笛を吹く。そしてカマドの前に餌を置くのだ。五分もすると顔を見せるようになった。クイッと頭を振り、例によって「あっちへ行け」とやるのだが、

「いいから食え」というぼくの声にもおどろく様子もなく、クチャクチャと大きな音をたてながら、ゆうゆうと食べる。

 こうしてぼくは思いもよらぬことに、アナグマを餌付けしてしまった。しかし以前と異なり、それがおそろしくこころに重かった。

 

  さよなら

 

 澄んだ空気の中に秋はぐんぐん落ちていった。日溜りにアキアカネが最後の力をふりしぼり、乾いた翅をふるわせた。夜になると、もはや使うこともなくなったカマドの奥でミツカドコオロギがリリッ、リリッと鳴いた。あと幾日か、かすれて弱々しい。

 木枯しが吹き荒んだ。

「しょうがないなあ、毎晩毎晩」

 ぼくは小言を呟きながら、アナグマに手ずから餌をあたえていた。そして、

「おい、おまえ昨夜(ゆうべ)鳴いてたか」とアゴを撫でてやった。アナグマはそんなことに構うことなく手の上の餌を食べている。アナグマはすっかりぼくに慣れてしまい、口笛を吹くとすぐにやって来た。そして食べ終えるとそそくさと引きあげていく。

 その間、ぼくはアナグマについていろいろなことを知った。やわらかく見える毛は意外にも剛毛であること、そして爪の長いことにも驚いた。

 一度、これがまさしく野生の特質だと思ったことがある。餌をあたえながらアゴを撫でてやる時には平気でいるのだが、一度、左手でイヌの頭を撫でるようにアナグマの小さな頭部をひと撫でしてやったのだ。するととつぜん、長い爪をもつ前肢で、「イヤだ」と言わぬばかりに、ぼくの右手を思い切り引っかいた。野生は上から圧さえつけられることを、いかに嫌悪するものなのか、あらためて知ったのである。

 日ごとに慣れ親しむのと同時に、アナグマの方は傍若無人のふるまいをしはじめた。真っ昼間、台所の下で土くれを引っ掻く大きな音がする。あの長く頑丈な爪で、まるでがむしゃらに穴を掘っている様子が、それとなく窺える。土くれや小石が跳ねとばされ、床板にぶつかる大きな音がする。それから二日ほど経つと、同じ場所から、今度は大きないびきがきこえてくるようになったのだ。これにはぼくも仰天した。

「グーッ、グーッ」

 音も、その間隔も、人間とそっくりなのだ。あの大きくまるい体をさらにまるめ、悠々と眠っている姿を目に浮かべることは愉快だった。しかし、アナグマとこんなに親しくなっても、ひとつだけ不思議なことがあった。それは一度もその鳴き声を聞いたことがないのだ。ところが、昨夜、その鳴き声をはじめて耳にしたような気がした。

 餌を食べ終えると、アナグマはいつもさっさと引きあげてしまう。あっけない。ところが昨夜、夜更けに上框のあたりで何やらゴトゴトと音がしているのを夢うつつに聴いたような気がした。ガタンと戸の外れるような音もした。満腹になったアナグマが遊んでいるのだなと思った。すると、

「クーン、クーン」とかすかに獣の鳴く声がしたのだ。それは鳴くと言うより鼻を鳴らしていると言った方が適切かも知れない。ぼくを呼んでいるような気がした。遊びに来いと呼んでいるように聞こえた。しかしぼくはそのまま眠ってしまった。

 あくる朝、アナグマのあばれまわった跡は歴然としていた。上框には足跡があり、重い戸は外されていた。

「おい、もう一度鳴いてみろ」

 餌を食べさせながら言ってみるが、平然としている。そして食べ終えると、いつものように愛想もなく引きあげていくだろうと思った。ところが、なぜかアナグマは立ち去ろうとしない。大きなあくびのようなものをひとつすると、じっとぼくの方を見ている。

「ほれ、もう空っぽやろが」

 ぼくは鍋の底をアナグマの方へ向けて見せた。だが動こうとしない。

「どうしたんや。わしと遊ぶんか」

 ぼくはそう言うや、アナグマはいつもとは反対の方へ歩き出した。そしてぼくの背後の三和土の上をうろうろと歩きまわる。ぼくは立ちあがろうかと思ったが、おどろかしてはいけないと、そのまま椅子に腰掛けていた。

「おいどうした」

 ぼくは背後を振り向き言う。ふたたびアナグマはぼくの前の方に来た。そしてもう一度ぼくの方を見ると、引きあげはじめた。 

「また明日やぞ、バイバイ」

 ぼくの声に、アナグマは敷居のところで振り向き、クイッと頭を振った。

「あっちへ行けか」

 ぼくは笑いながら言う。アナグマはゆっくりと敷居をまたいで床下へ消えた。コトッといつもの音がした。

 あくる日、ぼくは何度も口笛を吹いた。吹き終えると何度も呼んだ。アナグマは出て来なかった。今か今かと待った。ぼくは二時間あまり同じことをくり返した。しかし空しかった。ぼくはそっといつもの場所に鍋を置いた。あくる朝、鍋の中身は何の変化もなかった。アナグマは現われなかったのだ。その夜も次の日も口笛を吹き、呼び、そして待った。しかし空しかった。

 初雪が舞いはじめた。

 アナグマはついに姿を現わさなかった。

「さよなら、やね」

 ぼくは静かに呟き、三和土に立っていた。

 

 数日後、ぼくは街へ出た。大きなカバンに図鑑などの本がいっぱい詰まっていた。古本屋を訪ねた。

 見知らぬ遠い世界に誘われていくぼくの心は、なぜかきりっと引きしまっていた。

                    —了—

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/08/13

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川島 民親

カワシマ タミチカ
かわしま たみちか 作家 1942年 東京都に生まれる。

掲載作三話は、他の二話とともに『スズメバチの死闘』として1988(昭和63)年、筑摩書房より書下し刊行。

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