最初へ

越後山脈(抄)

《目次》

   吹雪の中にうたふ

このごうごうの

ふぶきの 荒れやうの

太古の神のつきまくる怒の輪の

痛さのあたりだ

よこなぐり

おいら 世に もろもろのおもひを嗣ぎ

つみかさなり つかみかかる

このごうごうの

吹きまくり吹きまくる吹雪の

吹雪わくふぶきの輪の

息もつまるを

まつしやう生死のさかひを生きぬくよろこびに生き

おいら いま雪とたたかふ

光のつながりの

身一つがなんの過去であらうず

ふきまくり

ふきまくる吹雪の中の神たちと

眼もくらやむ北方をさして

はためきひらめきごうごうの荒れ 身にみち

つきまくり

死ぬで世に生き 子らに生き

孫めに生きて

ねがひ尽すに くるしみのこるな ふぶき

せめて はるまつこころ

屋上にたち

しづもればたたへもしよう

新年の

松もかざり

空の暗さの おくのおく きらら光るはなにやつだ

来る日 行く日と 年重ね

平時を知らぬ血の流れの もんぺ はんばき 土百姓

いのちつくり 土まもつて このごうごうの荒れだ

ふきまくりふきまくる 億年の歴史

()つて還らぬ子等の名を呼び

つかみかさなり 吹きまくる

ふぶき喚く吹雪の輪に

木鍬、ぼたらし

鼻水たらし

蓑笠ともに 横なぐり

ほんに おいら

おせじひとつが言へない筈だ。

         ――原野最高降雪量一六四一糎

   生命(はなむけ)

このかなしみはどこからくる わたしは わたしを信じる

だけであらうか 夢またたくうちに歳月は流れ せめてこ

の貧しさを支へよといまも一人の少女をゆめみてゐる 城

門かたく閉ざされ 礫とびくるにちにちであらうともつね

に対立するこの世故なれば すべて生あるものの弱く は

たまたその強きをおもひ ひとたびは膝くづしても 少女

をまねかうとおもふ いのちたたへて神代のごとく 貧し

さに耐へ かなしみに耐へ 底津岩根に背を向けて 愛情

たしかにまもります。

   風の中の風にうたふ

ばうとしてくろずみ 山山たかく

ひでりつづきの

夜空を叩き。

すでに隔たる遠い距離。

わたしはかなしみの向ふにゐる。

いとしい奴には憎まれ口を

悔なく叩いて雨となり

流れた裂けた層の襞へ ひとつこころの息の根を 泣かしもしないせきたてる

咽喉(のんど)も割れる 限りない (いかり)けはしく

文明の

悪食の ひとときを暗く

またと<科學を悪用しませんやうに>したたか燃えた鉄の花を

冷めたくきしむ

星の下側

午前〇時を風が行く

報道(アンテナ)禁止の "時" を深く

まつさか落しに

日日、飢ゑ。

――なんの構へだ 地べたを叩き吹く。

腹匍へ渇き。地図裏返し<わたしは鬼だ>草ばうばうの野に来て立つた。

   風の風景

たしかに けものの唸りをきく うなりです

暗いなんぞの言葉もでない

おそろしく 速い

雲足で

たたきつけてくる 風です。

ひとたまりもなく ねぢ伏せられてしまふ 草木たちに

わたしは一片の愛情も感じません

ケタタマシク鳴ル警戒報を 腹底に

この渇き果てた大地の亀裂をおもひます

雨はそのやうにしてやつてくるでせう

わたしは 山山の 街にない 草木たちの 大きな呼吸を感じます。

空はますます 暗く

風は どこかほのあかりのする

一方を吹き

泣かない子になります と

大勢の中の一人が書いた報告を

強くします。鬱憤だらけの掌底を割り。

風の中の 風を

叩き伏せて

雨だ。

   越後山脈

なんと変哲もない

鉛の空だ

山なみ重なり 天もせまく

めつぽふ冷めたく吼えまはる空の

どこにそのきれめがのこるのだ

列島の背骨 ぐいと張り 三千年の繁りだ

愚痴つくものには怖くも見え

ふぶくが侭に

悲しみなんぞは鷲摑み

この世の規律もいかめしく

今、なにを喰ひ何を生きてのおもひだらう

谷間谷間の底ふかく

巣籠る民のてつぺんを 龍巻きすぎた 大吹雪

くるひ高鳴り 腹底鳴らし

貧しいものには愛情を

一家一門 雪の深さに輝うた 息もつかせず踏みしめた

列島の背骨

みわたす限り白一面の連りだ

突兀(とつこつ)と重なり 風吼えひどく

実に鈍重の(みなもと)は 青空かくした鉛の空だ

その鉛の空のどこからだ

ぶつ克ちがたいを突つ走り

腹もたしかに

木の根も裸

すでに雪崩の土塊(つちくれ)

大きさみせた

山肌だ

なんとほうもない重量よ 歴史よ

あふげばぶつかる山脈だ。

   愛情の書

それは昨日のことであつたでせうか

私は名も知らぬ一軒の家を手にしました

そして数多くの友を涙もせずに送つたのを憶へてゐます

それは風々強く

ものおもふことの絶点(ぜつてん)であつたでせう。

私、一人の私でない

こころきびしく 多くをとらへた

手には手の 足には足の

あんなせつない(ねがひ)

泥にせられ

言葉の裏だけで話すこの日日の吹雪

僅か一本のマッチも日本列島を貫き流れる渦巻きです

村々に牛馬の声もとだえ

米がない 炭がない

その勿体ぶつた身振りもなくなり かき消え

死ぬことばかりが重大だと言はない

雪崩の深さに沈む

雪雪

そいつはたしかに億万の私に来た。

列島の絶点。

思惟(おもひ)を越えて

この御時勢の片田舎

医者もなく

妻が病み

こころただならず 吹雪を馳ける。

三月の

声声 いまだに荒らく

奪れて行くのはなんでありませう

ひととこ

きりなく(ひたひ)を吹きます。

響いてくるのは祖国の名です。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2009/06/25

背景色の色

フォントの変更

  • 目に優しいモード
  • 標準モード

浅井 十三郎

アサイ ジュウザブロウ
あさい じゅうざぶろう 詩人。1908(明治41)年~1956(昭和31)年。新潟県生まれ。教員・逓信官吏・工場経営・新聞雑誌記者などを遍歴した。1925(大正14)年に詩誌「無果樹」発行。その後は「黒旗」「戦旗」に加わり、「アナキズム文学」を発行、「宣言」「詩生活」などにも参加した。詩誌「詩と詩人」「現代詩」を編集発行し、1956(昭和31)年に詩と詩人社を設立。主な詩集に1931年に発禁となった『其一族』のほか、『断層』(1938(昭和13)年刊)、『越後山脈』(1940(昭和15)年刊)、『火刑台の眼』(1949(昭和24)年刊)などがある。

掲載作は、開戦前に刊行された『越後山脈』の抄録であるが、迫り来る開戦の予感を吹雪、風のうなりなどの自然の猛威、そして覆いかぶさるような巨魁な山並みに例え、それに対する悲観的なニヒリズムを詠いながらも、その中に光りを見いだそうとする意思を感じ取ることができるだろう。底本は『日本現代詩大系』(1951〈昭和26〉年 河出書房刊)第10巻に依った。なお、差別的な表現も見受けられるが、歴史的な作品なのでママとした。

著者のその他の作品