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検索結果 全1058作品
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小説 本の話
一 私の義兄(あに)、白石淳之介はその年の二月一日、静かな晩、神戸市外のK病院の一室で五十八歳の生涯を閉じた。喉頭結核であった。病名は喉頭結核であったが、事実は栄養失調死であった。自ら自身の肉を削り血を涸(か)らしてずかずか死の方へ向って歩いて行くという死に方であった。戦災でそれ一着しかない、教壇に立つにも炊事をするにも買い
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君死にたまふこと勿れ (旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて) あゝをとうとよ君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生れし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せとをしへしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや
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詩 そぞろごと
○ 山の動く日来(きた)る。 かく云へども人われを信ぜじ。 山は姑(しばら)く眠りしのみ。 その昔に於て 山は皆火に燃えて動きしものを。 されど、そは信ぜずともよし。 人よ、ああ、唯これを信ぜよ。 すべて眠りし女<r
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『乱れ髪』 その子二十(はたち)櫛(くし)に流るる黒髪のおごりの春の美しきかな 清水(きよみづ)へ
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詩 誠之助の死
大石誠之助は死にました、 いい気味な、 機械に挟まれて死にました。 人の名前に誠之助は沢山ある、 然し、然し、 わたしの友達の誠之助は唯一人。 わたしはもうその誠之助に逢はれない、 なんの、構ふもんか、 機械に挟まれて死ぬやうな、 馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。 それでも誠之助は死にました、 おお、死にました。 日本人で無かつた誠之助、 立派な気ち
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評論・研究 テロと文学
1 テロや文学を語るにおいて、資格もしくは資格めいたものが必要かどうか、私には皆目解らないが、もしそんなものが必要だとしたなら、若干手前みそであっても、私にはそれがあると、やや声を落として断言できる。 文学の素人でも大いに文学を語るべきだとの見解を、妥当とみる論者は、その語ったことによって、いや語る前後の己れの勉学と精進によって、大文学者になるかもしれないではないかとの、甘い可能性をおそらく、その理屈の裏に秘めている。 あるいは、頭のかたいことを言わず、表現の自由なのだから、誰が
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小説 暗愁
1 なまぬるい不吉な風が彼の心に吹きはじめている。気づいたときにはもう抵抗する力は失せていた。 ただ得体のしれぬ風に翻弄される。嘲笑される。 なす術もなく彷徨(さまよ)う。あるいは立ちつくしているのだった。 ごったがえす駅の改札で。うるさいだけの街の雑踏のなかで。 にぎわうショッピング・センターのフロアで。たむろする映画館のロビーで。 <
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詩 ひらよしみつ詩集
四角い宇宙 月 心がキレイになる時がある 一年に一度 いや十年に一度 そんなとき死にそこなって 四十歳になった THE MOON There will be the time for my heart to be pure and tender; Once a
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随筆・エッセイ 私の万博体験~モノとヒトの出会いのドラマ~
目 次 序 章 博覧会の起源 西洋と日本の原点第1章 戦後日本民族の大移動 共通体験の場・博覧会第2章 沖縄返還記念 海洋型博覧会の開催第3章 学園、研究都市構想 科学する心の醸成第4章 再び大阪へ 我が国初の「環境博」第5章 2度の開催中止
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評論・研究 「日本」創刊
「日本」創刊の趣旨 新聞紙たるものは政権を争ふの機関にあらざれば則ち私利を射るの商品たり。機関を以て自ら任ずるものは党義に偏するの謗(そしり)を免れ難く商品を以て自(みづか)ら居(を</
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小説 冬のかたみに
第一章 幼年時代 父が無量寺から十日ぶりに下山してきた早春のある日の夕食のときだった。父と母は、春から私を黙渓書院に通わせるか、それとも無量寺の老師のもとに通わせるかで話しあっていた。私は父と同じ膳にむかい、母はつぎの間で弟と膳にむかっていた。父が下山してきたので食膳には牛の骨つき肋肉(カルビ)が出ており、下女(げじょ)が炭火で焼きあげた肋肉を順次に
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SONATINE No.1 はじめてのものに ささやかな地異は そのかたみに 灰を降らした この村に ひとしきり 灰はかなしい追憶のやうに 音立てて 樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた その夜 月は明(あか)かつたが 私はひとと 窓に凭れて語りあつた (この窓からは山の姿が見えた)
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小説 道場
根拠はないのだが、何となく悪い予感がないわけではなかった。いや、根拠がないということはない。彦さんが東京の築地にある癌センターに入院して闘病生活をし、退院して家に帰っていることは知っていた。私にとっては敬愛してやまない先輩なのだが、奥さんと二人の娘さんと最後の団欒をしているのだからと、私は会いにいくのを遠慮していたのだ。そんな日がつづき、留守番電話を聞くスイッチをいれるのが恐かった。何件かの取るに足らない用件の声のあと、いつもの陽気さとは違う高橋公の暗鬱な声が響いてきた。 「おい、彦が死んだぞ」 それだけだった。土曜日だったので、さっそく高橋公の自宅に
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小説 山へ帰る
したたるほどの緑に溺れそうだった。濃密な緑が波しぶきになって窓の外を猛然と流れていく。緑の波をくぐって突き進む潜水艦みたいだ。静一は緑の波に直接頬や掌を触れさせてみたかった。だがガラスを下げると、ハンドルを握っている父親に、クーラーがきかないじゃないかと、大声をだされた。すでに二度も同じことをくりかえしたのだった。つづら折りの登りの山道になり、父が腕を忙しく交差させてハンドルを回転させ、前方の景色が右に左にとすべった。もっともっとスピードを上げてと思ったが、静一は黙っていた。エンジンの苦しそうなあえぎが背中のほうから響いてきた。 「お父さん、本当に大丈夫なの」
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小説 放浪時代
一 ギルフイラン、ラヂオ商会の飾窓(シヨウウインドウ)の飾りを終へて、――金を受取つて、いつもの様に曾我(そが)たちと、彼等の仕事場で落合ふために、上野行の電車へ僕が飛乗つたのは、かれこれ九時を廻つた時分だつた。暮れがた暫く振りで快よい夕立が東京の半天を襲うて、それがわづかの
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評論・研究 作家として
一 ぼくは心をきめた。ぼくは文学のために一生をかける。 文学の仕事は高くそして大きい。それは男の一生をかけるにあたひする。いな、一生をかけないかぎり、文学は――およそ文学の名にあたひしうるものは、けつして生まれない。 (ここでぼくは、はでな宣言文章をかかうとしてゐるのではない。作家としての再出発を行ふにあたつて、小さなおぼえ書をつくらうとしてゐるにすぎない。だから、いふことはおのづから単純である。それ
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小説 林檎
十二月一日――小樽。 此の前の手紙にも林檎の話を書いたね。海峡を渡つて、函館から小樽に来る汽車の窓から、新鮮な雪を着た林檎の林を見た――その雪と林檎の配合が、どんなに美しかつたか、てなことを長々とね。 今日もその林檎の話だ。 昨日の午後のことだつた。その北海道のすばらしい林檎の一つを、港の石に腰をおろして、がりがりやつていたと思い給え。 降り続いた雪が珍しく晴れた日曜日、空には白い光が満ちて、街が透明な硝子のように美しい。油煙(ゆえん)</r
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評論・研究 太平洋戦争 総力戦と国民生活
総力戦の特徴 真珠湾奇襲で告げられた開戦のニュースと緒戦の勝利は、庶民の抱く不安や気持のしこりを一気に吹きとばし、欝積していたエネルギーを「米英何するものぞ」の気魄にかえていった。「われにもあらぬ激情」(渡辺銕蔵)を抱いた人もいた。詩人高村光太郎は、 詔勅をきいて身ぶるいした。…… 天皇あやうし。 ただこの一語が 私の一切を決定した。…… 身をすてるほか今はない。 陛下をまもろ
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評論・研究 半熟官僚大辞典
・合議: 法律等を作るとき、他の省庁にお伺いを立てることをいう。建前上は、他省庁の反対があっても法案の作成は可能だが、実質的には閣議とその前の事務次官会議は全省庁の合意が原則なので、他省庁の反対は致命的になる。そこで、各省庁の話し合いの場である合議で折り合いがつかないと先に進めないのである。そのため、各省庁とも全力で戦いを挑み、この戦いの勝ち星が多いキャリアほど、霞ヶ関では優秀であるとされる。そのため、自分の主張よりも省益を重視した、屁理屈の言い合いの場になる。もちろん、正論は通用せず、化かし合い、腹芸、浪花節等様々な技が要求される。
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小説 千鳥
千鳥の話は馬喰(ばくらう)の娘のお長で始まる。小春の日の夕方、蒼ざめたお長は軒下へ蓆(むしろ)を敷いてしよんぼりと坐つてゐる。干し列べた平茎(ひらぐき)には、最早絲筋ほどの日影もさゝぬ。洋服で丘を上(あが)</ru