最初へ

誠之助の死

大石誠之助は死にました、 いい気味な、

機械に挟まれて死にました。

人の名前に誠之助は沢山ある、

然し、然し、

わたしの友達の誠之助は唯一人。

わたしはもうその誠之助に逢はれない、

なんの、構ふもんか、

機械に挟まれて死ぬやうな、

馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。

それでも誠之助は死にました、

おお、死にました。

日本人で無かつた誠之助、

立派な気ちがひの誠之助、

有ることか、無いことか、

神様を最初に無視した誠之助、

大逆無道の誠之助。

ほんにまあ、皆さん、いい気味な、

その誠之助は死にました。

誠之助と誠之助の一味が死んだので、

忠良な日本人は之から気楽に寝られます。

おめでたう。

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/04/15

背景色の色

フォントの変更

  • 目に優しいモード
  • 標準モード

ePubダウンロード

与謝野 鐵幹

ヨサノ テッカン
よさの てっかん  詩人 1873・2・26~1935・3・26 京都府に生まれる。

詩歌集「烏と雨」1915(大正4)年刊に収録の掲載作は、1911(明治44)年の大逆事件に絞首刑された大石誠之助を素材の痛切な諷刺詩で作、妻与謝野晶子に「君死にたまふことなかれ」の有ったのを想起させる。

著者のその他の作品