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放浪時代

  一

 

 ギルフイラン、ラヂオ商会の飾窓(シヨウウインドウ)の飾りを終へて、――金を受取つて、いつもの様に曾我(そが)たちと、彼等の仕事場で落合ふために、上野行の電車へ僕が飛乗つたのは、かれこれ九時を廻つた時分だつた。暮れがた暫く振りで快よい夕立が東京の半天を襲うて、それがわづかの間だつたが、銀座の甃路(ペエブメント)をも掠めたので、夜に入つてから、そこらはすつかり不透明な昼間の蒸暑さを消散させてしまつた。停留所で電車を待合はせて居る間、ちよいと気にして空を仰いでみると、乱雲がものものしくまだ頭の上にどよめいて、時々未練がましい電光が隅の方から神経的な光を走らせて居た。それが、――もしかするともう一雨ぐらゐは(しぶ)かせない限りもないと、さう威嚇して居るかの様でもあつた。

 わづかな雲きれが空に浮游して居ても、時にはそれが、――曾我たちの口調を借りれば、――心あつてするかの様に、しつこく仕事の邪魔をして、眼立つた影響をば彼等の収入にも与へる。さう云ふ云はばお天気商売なので、もしかすると仕事を断念して、一足先に駒形へ帰つて居るかも知れない。さう僕は、窓の外を流れる眼まぐるしい光の渦へ焦点のない眼を投げたまゝ考へて、うツかり乗換も貰はないで鷹揚に切符へ鋏を入れさせてしまつた自分の軽はずみを悔いた。――ちよいとした今日の仕事の首尾が、知らず識らず僕を軽率にして居たのだ。

 しかし、ひどい雑鬧(ざつたう)と一緒に電車から吐出されて、広小路のあわたゞしい光の錯綜の真ん中に立つた時、僕は東京の空ではめつたに仰げない様な十五夜過ぎの月が、明るい清浄な鏡面を雲のきれ目から現しかけてゐるのを見た。

 地面はまだ濡れて居た。絶間なく十字街を縫ふ自動車のヘツドライトや、あわたゞしく人波に切られて揺らいで居る店の灯、高いところで忙しく明滅する広告燈、さう云つたものが眼まぐるしい光の交錯を、濡れた甃路(ペエブメント)へ燦然と落として居た。夕立と一処に一時はそこらが白くなるくらゐ地面へ敷いたと云ふ(ひよう)が、そこらの温度を吸つたのだらう。僕は素肌へぢかに着けたよごれたポオラの服地を透して、皮膚の引締まる様な冷気を一時に覚えた。

 曾我はカフエK・の前のいつもの暗い三角地帯へ望遠鏡を据ゑて、ぽつぽつぐるりへ人を集めかけてゐた。「宇宙の謎月世界の観望五分間十銭」と筆太に墨をにじました(さらし)の旗を、肩から背へたらして、電柱の根へ踏ン張らした三脚の一本へ手をかけて、猫背をやゝこゞめ加減にぢツと空を仰いで居た。――白いパナマを薄闇に眼立たせた会社員風の男が、熱心に望遠鏡を覗きながら、彼の説明をきいて居た。

 雲は最早(もはや)弥縫(びほう)の余地なく大きく裂けて、白くきはどく月光に縁取られて、晴れた空を渕の様に黒く大きく抱いてゐた。指ほどの小さな雲きれが月面へかゝつて、軽く光を吸つて消えようとして居た。――さうして静かな眼立たない存在が、きらびやかな眼まぐるしい下界の姿と、恐ろしい奇妙な一種の対照をなして居た。

 熱心に月面の説明を続けて居る曾我と、人の肩越しに軽い眼挨拶を交はして、僕はまばらな人垣から数歩それて、――そこの暗がりに、トロリイの支柱にもたれて、斜に空から落ちる街燈の光の下へ頁を拡げて、落ちつかないあたりの気勢には無関心に、何やら書物に読みふけつて居る魔子のそばへ寄つて行つた。彼女は白い水兵服(セエラア)つばの狭い麦稈と云つた、真夏の夜だが寒々しいみなりをして居た。

「今?」

 彼女は跫音(あしおと)に顔をあげると、最初に軽く微笑んでみせて、それから、持つて居た小さな桃色表紙の本――それは英語のリーダアだつた。――を斜に胸へ抱いた。さうして、鉄の柱から身を離して、

「降られなかつて?」

 と、寄つて来た。

「はじめたばかりだな、こツちも。」

「えゝ。」

 彼女は膨らんだ上衣(うはぎ)の隠しから、小さい赤い乾葡萄(レイズン)の紙箱を出して、僕の手のひらを(あふ)につかまへたまゝ二三度ぶツつけて、中のものを黒く湿ツぽくそこへあけた。さうして、

「儲けちやつた、かみなりさまで。」

 と、曾我の横顔を盗み見て、いたづらいたづらしくさゝやいた。

「なぜ?」

「み、や、こ、座。」

 と、彼女は眼元へ小皺を寄せて笑つた。さうして、落ちたかたかたの靴下を引上げて、僕の手のひらの乾葡萄をちよいとつまんだ。――夕立を機会に活動写真でもおごられたのだらう。

「どうだい。何かおごらうか僕も。」

 さう云ひかけて、ふと、

「寒かアないのか?」

 と、彼女の肩やからだのあたりなどに触つてみた。糊のこはい白い服地の下が冷いやりして居る。――指の先まで魚の様に冷たい。

 僕は彼女に教科書を袋へしまはして、あとについて来る様にと注意をして、濡れた甃路を横切つてとツつきのカフエK・の瀟洒(せうしや)すだれ弾條扉(スブリングドア)を押した。さうして、棕梠竹の鉢のわきへ突ツ立つて、存外客のたてこんで居る客間(サルン)をひとわたり物色してみた。

「どうぞこちらへ。」

 と、給仕女(ウエイトレス)が僕の前へ軽く腰をかゞめた時、ピョンピョンとぬかるみを跳んでついて来た彼女が、僕のわきに立つて、

「空いてるわよあそこが。」

 と、勝手な席を見つけてそツちへ僕の手を引ツ張つた。――僕たちは首振り扇風器が時折金色に灯を映して居るとある壁ぎはの、小さな大理石の卓子(テーブル)を挾んで、斜に籐の腕椅子へかけた。

「何がいゝ?」

 彼女のとつてくれた献立表(メヌウ)にぼんやり眼をさらしながら訊くと、彼女は帽子を脱いでひツくり返しに卓子のはしへ載せて、頬の辺でもつれたおかツぱを邪魔げに掻いて、ひよいとかたかたの脚を僕の椅子のはしへ載せた。――靴下の編目が一箇所のびて孔になつて、そこから男の子の様な肌の荒い(すね)が覗いて居た。

「何でもいゝわ。」

 彼女は無造作にぼんのくぼで云つて、音を立てて靴下の上から臑を掻いた。

「お腹にたまらないものがいゝかい?」

 さう云つて献立表を置きかけると、

「ね、」

 と、彼女は髪を揺すぶつて顔をあげて、

「お魚のフライを喰べない?」と提議をして、それから脚をおろした。

 僕たちは(えび)のフライを註文して、それから果物のサラダと弱い洋酒を二杯とつた。お腹を空かして居たと見える魔子は、蝦を尻ツ(しつぽ)まで喰べて、さうして、湖の様にソオスを湛へたお皿の真ん中へ、レモンの皮をちよツぴりと輪形に残した。――ナプキンペエパアで口のぐるりから顔まで拭きかけたので、僕はポケットから皺んだ手巾(ハンカチ)を出して、卓子の上へ投げてやつた。

「兄さんの景気はどうかな。」

 外の甃路(みち)へ出てからさう僕がひとりごとを云ふと、

「いゝわきつと。」

 と、彼女はだしぬけに大きな声を立てゝ、まるめた手巾を僕のポケットヘ突ツ込んだ。

 曾我の姿は幾重にもとりまいた人の輪の底に埋まつて居た。はげしい街路の騒音を縫つて、時折彼の熱心な演説口調が外まで漏れて来た。――月はさつきとはよほど位置を移して、頭の真上へ近付いて居た。夕立の通つたあとの空には一片の雲影もなく、いつの間にはびこつたのか厚い朧な蒸発気の奥へ一つ二つ星を(ちりば)めて、赤く不確かによどんで居た。大きな赤い仁丹の広告塔が、その濁つた立体の奥で正確な間を置いて明滅して、その反映をこツち側の甃路(いしみち)まで投げて居た。人の輪の肩越しに覗くと、中央の赤くぼやけた月面へ向けられた望遠鏡の真鍮の筒にも、その明滅する赤い光がキラキラと濡れた様に映つて居た。望遠鏡を覗いて居るのは、ごく若い十六七の学生風の男だつた。

「左様、……最高峰はアルプスは四千五百ミータアと云はれて居ますね。総体して月面の山岳は非常に高くて、急峻です。これは重力の関係からですが。……アルプスなんぞはむしろ低い部類です。それから、そのちよいと肩のところに、黒いまるい斑点が見えますね。あれも火山でプラトオ山と呼ばれて居るのですが、御覧の様に火口が非常に暗いので、月面観測の上では一つの謎になつて居るのです。……」

 時折何かの工合で声が高まると、さう云つた彼の説明口調がはツきりこゝまで聞こえて来た。

「盛んだぜ。」

「えゝ。」

 鉄柱の下に立つて、曾我をとりまいた一団を批評的に見ながら、僕たちはそんなことを云ひ合つた。

「五分で十銭、一時間で一円、三時間でざツと、……」

 さう云ひかけると、彼女はこゞんで脚を掻きながら、

「だめよ。」

 と、軽く否定した。

「あたしせんだつて時計でよく時間をはかつてみたのよ。そしたら、平均一人が十分と一寸(ちよつと)よ。そんならさうと初めから看板へ書いといた方がいゝわね。識らないと五分で十銭は高いツて云ふわ。」

 さう云つて、袋の中からまたさつきの本を出して、灯の下で頁を拡げながら、

「弱ツちやつた。have been の使ひかたがわからなくつて、……誰か教へてくんないかなア。」

 と、柱伝ひに濡れた地面へしやがんだ。

  二

 十徳をつけた俳句の宗匠風の年寄が、望遠鏡を覗いたのが最後で、――曾我が機械を畳んだのは、かれこれ十一時に近い頃だつた。その間に僕は晦渋(くわいじふ)なバルザックの短篇小説を十頁ほど読み、魔子はこぼして居た和文英訳の宿題をどうやら片付けたらしかつた。

「お待ちどほ。」

 帽子を脱いで科学者らしい幅の広い冴えた額を、よごれた手巾で拭きながら、曾我は機械をかつぎ上げた。

「どうだい。」

「ふん。」

 曾我は静かに笑つて、「景気は満月のせゐだ。……夕立で宵の口にちよいと邪魔されたんでね。」さうして、「薄ツ腹が()つた。……魔子は?」

 と、妹を顧みた。

「どうだい。熱い珈琲(コオヒイ)でも一杯飲んでこうか。」

「よからう。」

 曾我はすぐに同意した。

「どこにしよう。」

「風月は?」

「いゝだらう。」

 線路を横切る時、自動車に遮られて魔子だけが一人向うへ取残された。電車と自動車とが次ぎ次ぎに僕たちの間を遮つた。

「早くおいで!」

 魔子はきよろきよろ左右を見廻してから、ピョンピョンと細い脚で、線路を跳んで来て、僕たちの間へ挾まつた。

「さア。僕は蒸菓子にしようかな。」

 深い緑色のクッションに腰を落ちつけてから、僕は瀬戸の灰皿を引寄せた。「蒸菓子に珈琲か。変だな少し。……俺はビーフサンドヰッチか何ぞ貰はう。魔子は?」

「あたし?」

 彼女はまたさつきの様に帽子を裏返しに椅子の上へ置いて、それからそばに立つて居る給仕(ウエイタア)を振仰いだ。さうして、自分は菓子も珈琲もいらないから、クリームソオダがいゝと云つて、

「赤いのよ」

 と、附加へた。――給仕は笑つて卓子のそばを去つた。

 気前よく電車をおごつて、僕たちが駒形へ戻つたのは、それから小一時間してだつた。大家のK・タクシイは、まだ煌々と店を電燈で輝かして、車庫には二台とも自動車が出払つて居た。帳場の成瀬さんが禁煙と貼札をした亜鉛(とたん)の壁の前に、のんきにパイプをくゆらして居たので、

「御勉強ですね。」

 と声をかけると、成瀬さんは厚い近眼鏡をキラリと光らせて、いつもの癖の妙に不徹底な笑ひかたをして、

「いや。」

 と、四角い(あご)を撫でた。

 懐中電燈で鍵孔をさぐつて、建てつけ悪く()びた鉄の扉を開けると、真ツ先に鞄をかゝへた魔子がコンクリートの階段を登つて行つた。古い溝板が一枚踏み折られて水に浸かつて居るので、僕たちは懐中電燈で地面を照らし照らし、痛んだのをのけて別なのをあとへ寄せて、ざツとそこを繕つた、と、(ほの)かな灯が階段の上から射して来た。

 表のタクシーがもと(と云つてもつい二三年前のことだが、)油店だつた時分に、油倉だつたと云ふこの陰気なコンクリートの建物は、今でも、――中に居て暫くして慣れるとさうでもないが、――外から帰つて来たてなどには、ぷンと古風な髪油の匂が鼻に触れる。僕たちが借りて居る二階は、畳敷きにすると二十畳ぐらゐの広さだが、震災の折の痛みをそのまゝぶこつに繕つた古びたコンクリートの壁をむき出して、床には古い油のしみが黒く輪を描いて居り、天井の漆喰(しつくひ)は剥げて、埃をかぶつた蜘蛛の巣が隅々へ幕を張つて居た。それでも壁ぎはへ据ゑた雑魚寝(ざこね)用の大きな寝台だの、二三のがらくた家具などと云ふ様なものが、殺風景ながら人の住まひにはまがひのない一種の雰囲気をつくつて居た。

 南向きの厚い狭い窓の下には、不細工な大きな卓が一つ、それをとりまいて古びた椅子が三脚、それが僕たちの勉強机でもあれば食卓でもある。椅子は古道具屋で順々に集めたので、それぞれ形が違つて居た。――炊事場は東の窓ぎはで、金網を張つた四角い蠅帳が一つと、真鍮の新らしい石油焜炉と、その他鍋釜の類や刃物などが、手製の流し台のきはに雑然と置かれて居る。――水は下の路地口の、大家と共同に使つて居る水道の龍頭(りゆうづ)から、一々バケツで汲上げて来るのだ。

 寝台は箱自動車の焼けた鉄骨を利用したので、古い自動車のクッションを三つ並べて、その上を大きな五布(ごの)布団で覆うた。僕たちは四角い大きなその寝台へ、三人でいつも雑魚寝をした。――

 ――続けさま三つ四つくしやみをした魔子が登校服を脱いでつけ紐のある古びたメリンスの単衣(ひとえ)に着換へて居る間に、僕は絵具箱をおろして散らばつた画架の辺をちよいと整理した。さうして、隠しから胡蝶を出して一本(くは)へて、火をつけて、ふとそこへ立つたまゝ、――描きかけてはふつてある画架のパステルへ暫く眼をつけた。絵はつまらない雑誌の口絵の模写で、飾窓の背景画(バック)に頼まれたものなのだ。

 ――曾我が機械をゴツンゴツンと階段へぶツつけながり上がつて来て、ヨーロッパの詩人の様な姿を戸口に見せたのは、それから暫くしてだつた。彼は大股に部屋を突ツ切つて卓子のそばまで来ると、ゴトンとそれを卓子の上へ載せて、

「やれやれ。」

 と、肩のあたりを撫でた。さうして、手を延ばして僕の隠しから莨を出して、一本抜いて指の間で揉みながら、

「どうだつたい今日は。」

 と、椅子を動かした。――二つ三つ仕事の話を仕合つてから、彼は椅子へ落付いて正しく卓子へ向かつて、さうして、懐から自慢の菖蒲革の財布を出して、白銅を一掴みほどザクザクと卓子の上へ積んだ。――僕のと合はせて勘定をすると、十九円と八十二銭あつた。

「剛気だな!」

 さう、僕たちは一つことを一緒に云つた。と、――だまつて口を動かして居た魔子が、袂から銀紙にくるんだチヨコレエトボンボンを一つ出して、財布のわきへもつともらしい顔をし置いた。

「隠しといたな。」

「うゝん。」

 と彼女は頸を振つて、――もつれた髪を掻いて、

「識らない。這入つてたんだ。……」

 と簡単に弁駁した。――曾我が半分喰ツかいて中味をすゝつたあとを、僕はつまんで口ヘ入れた。

「十日こいつが続いたらブルジヨワだなア。」

「どうして! 三日でもだ。……」

「これだけだつてブルジヨワだわ。」

 彼女が白銅を愛撫しながら、まじめに詠歎的な口吻を漏らしたので、一緒に二人は吹出した。

 ――僕たちはそのうち十五円を「予算箱」の中へ入れ、残りを三分して三人で同額ほどづゝ分けた。これは僕たちの小遣ひだ。

多謝(メニサンクス)。」

 と、魔子は分け前の、――彼女にとつては一週間分の小遣ひである一圓五十銭を、ヂャラヂャラと白木綿の軍隊手袋の中へ落とし込むと、丁寧に口をくゝりながら云つた。風変りな彼女の財布は、かうして蛾がとまつた様に、寝台の頭の壁のところへ釘にかゝつて居るのだ。

 夜更けとともに(いくら)づつ気温が高まつたが、それでもいつもとはずつと涼しかつたので、僕たちは寝冷えを恐れて毛布を一枚よけいに寝床へ持込んだ。

「靴下のまゝかい?」

 不作法に伸ばして来た彼女の脚をつかまへてみると、靴下をつけたまゝなので、僕は膝のところで靴下止(ガアタア)の金具をはづして、先へこかしてとつてやつた。と、彼女はくるりと寝返つて、こゞんでもうかたかたを自分でとつた。さうして僕の頸のところへむしやくしやに髪をたわめたまゝ、すぐに無心な寝息を漏らしはじめた。

  三

 美術材料商の審美堂と僕たちとの間に、以前からもくろまれて居た僕の作品の個人展覧会は、店の主人の石原さんとの間に交渉がまとまつて、いよいよ実現する運びになつた。一口に云へば今まで行き悩んで居た店仕切りの問題について、やつと僕たちの間に妥協が成立したのだ。会場として店を提供することは、僕たちの友情を仮りに措いても、美術商の立場として充分に賛成だ。たゞ、それはそれとして、こちらでも商売を持つて居る以上は、会期中とてまるで店を閉めて置くと云ふわけにも行かない。会場の一部でなりと商売が出来る程度でなくては。――さう云ふ尤もな石原さんの意見で、結局店を適当に二分して一時的な店仕切りをすること、それらに関する一切の費用は僕たちが負ふこと、さう云ふ条件のもとに、当分店を僕たちに開放することになつたのだ。

「売れたら割前の多少は戴けますかな。」

 そんなことを、金銭に淡泊なこの友人は云つたりした。

「無論です。」

 売上げの二三割は彼に贈る腹で居た僕は、さう冗談の様に応じた。

 翌る日、僕は店仕切りの設計について最後の決定を与へるために神保町へ出かけた。さうして、商売の暇な石原さんと店の土間に立つて、僕の作つた設計と引合はせて、色々細部の相談をした。それによると、大工の手間の半日ほどと材料の十五六円もかければ、それで充分な予定だつたのだ。

 ざツとその問題が決定すると、僕は彼に便箋と店の名を刷込んだ封筒とを貰つて、その場で三通ほど大阪へ手紙を書いた。幾分自信のある作品は主として大阪に残して来てあるので、いよいよ展覧会を開くとなると、それらを取寄せなければならないのだ。中には話にもならない様な金額を換へられて、ひとの客間に豪奢な額縁にをさまつて居るのなどもあるが、大部分は船場の「菱形ソオス」本舖の主人の中島氏の(もと)にあづけて来てあつた。僕が大阪の放浪時代に描いたもので、大部分は彼の保護のもとに、云はゞ金銭に屈託のない身分でこだはりなく自分をぶツつけた、――きまじめな作品だつたのだ。大阪で展覧会を開らいてくれる筈だつたのが、ある事情から実現を見ないでしまつたのだつた。

 しかし、この問題については、僕自身にも多少の疑惧がないわけではなかつた。こゝ一二年の間に、幾らかは伸びたつもりである僕の眼が、果してそれらの古い作品によつて、過去に満足させられた様に現在も満足させられるかどうか。――ことによるとそれは、折角計画した展覧会に、致命的な結果を与へない限りもないのだ。

「しかし、」

 と、手紙を書き終へて、封の糊を壁のところでピタピタと貼りつけながら、僕はひとりごとを言つた。

「……僕にはまた僕の苦労があるのでしてね。」

「お互ひにね。」

 と、石原さんはあツさりと合槌を打つた。

「ところで、……一体いつ頃になる予定です?」

「さア。……」

「絵は残らず向うから来るんですか?」

「いゝえ。……こツちにも四五枚はあります。」

「それで、〆めて?」

「左様。……二十枚は出まいと思ひますけれどね。」

 さう云つて、もう一遍僕は店のくるりを見廻してみた。

「多過ぎませうかね。」

「絵にもよるが、」

 と石原さんも僕のまねをして、仮の店仕切りを想像して居るらしい眼をしてつぶやいて、

「まア、並べられるだけ並べるんですね。もしかしたら即売をやつて、そのあとへ埋めてもいゝでせうな。」

「さうですね。……へえ、あすこの時計塔の硝子が、こんな方へ反射するんですね。」

 ――陽覆(ひおほひ)の下縁を(かす)める淡い陽が、商品台の脚の一部を明るく蔭から描いて居た。

 パステルの背景画(バック)を一枚仕上げて、昨日のギルフイラン商会へ持つて行くつもりなので、石原さんに別れるとその足で僕は午飯の代りにパンとバタとを買つて、真ッすぐ駒形へ戻つた。

 仕事のまちまちな僕たちは、従つて生活も思ひ思ひで、早い話が三度の食事をすら一緒にとるなどと云ふことは、月のうちに数へるほどもない。――大抵、朝一番早く起出して家を出て行くのは魔子だ。電車にまるまる一時間も乗らなければならないところに学校のある魔子は、感心に朝は誰にも起こされずに一人で起きて、そこらをゴトゴト云はして、紅茶を沸かしてパンぐらゐは噛つて行く。

 その次ぎは大体に於いて僕だが、これはいつもさうとは限つて居ない。仕事が仕合はせと(僕自身には不幸にも、)重なつて居ると、べらぼうな時刻にでも家を飛出して行かなければならない代りには、仕事でも暇だと時間に制限なく寝床にゴロゴロして居ると云ふ風だ。曾我に到つては度はづれな夜更かしをする男なので、朝はいつも思ひ切つた寝坊をして居るが、これは極めて規則的な生活だ。その規則が云はゞ世の常のものと、大分ずれがある云ふだけの話で、いはゆる「四半昼夜のずれ(クオーター スリッピング)と彼が公言して居るところのものだ。

 一体彼は、その科学者的な風貌と詩人風の多血的な性格とが暗示して居る様に、極めて多面な趣味と才能とを持つた男で、これと云つて彼に不得意のものは殆どない。詩を作らせれば詩を作るし、絵を描かせれば絵を描く。自分では運動家(スポーツマン)をもつて任じて居るが、それで居て興に乗ずればカルメンのひとくさりぐらゐは滑らかに喉を(ふる)はせる。自然科学は彼がみづから「系統的に学んだ唯一の」と称するところのもので、この傾向の趣味は彼の近眼をば天空にまで向けさせたのだつた。

 彼の語学はとりわけしツかりしたものだつた。五箇国ぐらゐの原書は難渋なく読んだ。(貧乏で読む書物は生憎(あひにく)となかつたが。)従つて翻訳は彼の定収の一だつた。

「人間にとつて職業がパンぢやない!」

 さう云ふ解釈を生活にくだして居る彼は、そのあらゆる多面な性格を多面のまゝ生かさうといつも試みて居た。その一つでもが彼の実生活から欠けたら、彼は手や脚を一二本落つことしたぐらゐには不足を感ずるのだ。彼の口調を借りれば、つまり「広い薄ツぺらな才能」をもつて「広く薄ツぺら」に世を渡らうと云ふのだ。――生活はいつも窮迫して居たが、それによつて彼は彼の主張にとりたてゝ矛盾も感じないらしかつた。

 要するに彼の放浪性は僕に輪をかけて徹底して居たのだ。――彼はこの二年ほどを天文の研究に没頭した。さうして、渦状星雲の正体はどうのヰンネッケの軌道と木星との関係はどうのと云つた問題で、再々食卓を賑はゝした。

 彼は最初二十円ほどの望遠鏡を臍繰(ポケットマネエ)で買つて、さうして一年ほどの間に六百何円と云ふ精巧なのに拡大してしまつた。あたかも天体をそれによつて拡大する様に。

「宇宙の塵に住む細菌(バクテリヤ)どもよ!」

 などと、彼は土曜の夜の盛餐(僕たちは土曜の晩には経済の許す範囲で、食卓に贅をこらす習慣だつたのだ。)の折に、安ウヰスキーの乾盃で上機嫌になつて、食卓(テエブル)のはしを叩いたりなどした。

 実生活についてそんな寛容な解釈を持つて居る彼は、また妹の魔子に対してもその主張をそのまゝ適用して居た。年頃に近付いた娘をつかまへて、彼は猥談に近い性論をやつたり、――一口に云へば、恐ろしいがさつな兄として彼女に臨んで居たのだ。

「魔子!」

 ある時彼は今述べた様な機嫌で、社会問題から婦人問題に論及してひとしきりしやべつたあとで、妹をつかまへて云つた。

「……お前は幾つだつけな。」

「十七よ。」

 と、彼女は素直に答へた。

「十七?」

 のんきな兄は赤い眼をしばたゝいて、彼女の浅黒い顔を見た。

「はて、……俺は君の年を一つ間違へて居たわい。すると生まれたのは?」

千九百十一年(ナイレヴーン イレヴン)よ。」

 と、彼女はキュラソオのグラスヘレモン汁を絞り込みながら顔をあげた。彼女は皮膚のやゝ荒い肉の締まつた素脚を長々と二本、寛衣(ガウン)の下へむき出した。

「君はもう充分に婦人(レデイ)だ。」

 と云ひかけて、あツはツは! と彼は独りで笑つた。

「何と、大変な脚を出した婦人だな……」

 彼女はまじめに身をねぢつて自分の脚を眺めた。さうして、

「なぜ?」

 と、彼を見た。――そのきまじめさがもう一度彼を笑はせた。

「兄さんはさう思つてるんだぜ。」

 と、彼はグラスをあげて居猛高になつて云つた。

「早く君の恋愛を祝福したいものだとねえ! え?」

 彼女はグラスを鼻の上へ立てゝ、恐ろしい酸ツぱい顔をしてコクリと喉を鳴らして、中で氷をカラカランと鳴らして、それを卓子のはしへ置いた。さうして顔をあげて、

「だから早く恋愛をしたげるわ。」

 と、頬の後へ髪を揺さぶつた。

 僕がコンクリートの階段をコツコツ登つて行くと、この恋愛の讃美論者は今起きたところと見えて、卓子に向かつて今日の新聞の上へ乾いたパンをふぐしかけて居た。這入つて行つた僕の顔を見ると、新聞紙の面へ散らばつたパンの屑をひとところ払つて「張作霖青天白日旗を掲ぐ」と云ふ初號活字のみだしを指して、

「どうだい。」

 と、さもさも嬉しげに云つた。

「……糞まじめで支那を相手にする奴の面が見てえ。」

 と、彼は口をモクモク動かしながら、舌を乾燥させて続けた。

「え? ……と云つて、もろに茶化す奴ァなほ莫迦だが。」

 さうして、

「あの鉢は君、水がからからだぜ。」

 と、不精鬚ののびた頤で窓縁(まどべり)のゼラニュウムを指した。

  

 

「出かけるかい今夜も。」

 ほゞ絵の仕上げをすましてから、窓ぎはで機械の掃除をして居る曾我にさう訊くと、

「うん。」

 と答へて置いて、やゝ暫くして彼は、「行くよ。」

 と、顔をあげた。

「魔ァ公のあいつは昨日ですんだんだつけかな。」

「さァ、もう一()ぐらゐありァしなかつたかなァ。」

 ――彼女はこの三四日銀座のS・化粧品で新らしく売出して居る輸入香水の広告配りを頼まれて、半日九十銭のわりでそこで働いて居たのだ。仕事と云ふのは香水を浸ました広告のカアドを店の前に立つて通る人に配るだけで、彼女は毎日放課後店へ寄つては、暮れがた香水くさくなつて帰つて来るのだつた。「面白いかい商売は。」

 さう訊くと、

「面白い。」

 と大して面白くもなげな顔で、彼女は答へた。さうして、お友だちを見つけるとみんなつかまへて、香水紙を押付けてめいめいに配らしてやるんだなどと、おしの強いことを云つた。しかし、――学校から学校へとしじゆう転々して、よしたりまた這入つたり、十七にもなつてまだ二年で居る彼女に、さう親しい友だちなんぞがある筈もないのだ。それに、(たと)へさうでないまでも、「良家のお嬢さん」とこの放浪性の娘とが、肌の合つたお友だちづきあひなどは出来る筈もないのだつた。

「上野で今夜も待合はせる都合かい?」

「さア、別に約束もしてないが。」

 と、友人は研磨剤(ボンアミ)をコトンと卓子の上に載せて、

「どうかね。やつて来るかも知れない。」

 と、曖昧な口調を洩らした。

「さて、」

 と、僕は絵を大きな紙挾みへ挾んで、簡単に外出の仕度をして、

「僕は出かけるぜ。廻れたら上野へ廻るよ。飾窓(ウインドウ)がとれたら遅くなるほかないが。……」

「往きたまへ。」

 と、彼は恐ろしいまじめな眼で、――指へ挾んだレンズ越しに僕を見た。

 ――尾張町で電車をおりて昨日のギルフイラン商会へ行つて、一寸飾窓の出来栄えを眺めてから、挨拶をして店へ這入つた。背景画の約束が一枚あるのだ。――一週間ほどしたら中の背景画を一度取換へる。飾窓の装飾は廿日に一遍換へればいゝ。――さう云ふのが僕たちの(懐ろ都合から編み出した)主張なのだ。

「いゝ絵だ。」

 と、若い主人の林さんが首を傾げて褒めてくれた。

「もう一枚、月じまひまで描いて来て下さるわけですね。」

「よろしかつたら、」

 と、僕は荷箱の上の拡声器の埃をちよいちよい指で撫でながら云つた。

「絵は要するに誰のでもかまはないのですけれどね。……僕のでよかつたらお易い御用です。」

 さう云つて、

「この受信器(セット)はこれで幾らぐらゐするんです。」

 と、青銅色に著色した木箱を指した。

「それですか?」と、主人は暫くして絵から眼を離して、

「安ものです。そりァ。――しかしよく這入りますよ。どうです、一つお買ひになりませんか。まだお持ちではないんですね。」

「われわれの臍繰(ポケットマネエ)ぢやァ少々ねえ。……」

 主人ははツはツはと笑つて、御冗談でせうと云つた。さうして、もう一遍絵を見て、

「ところで、お幾ら差上げたらいゝでせう。」

「さうですね。……五円ぐらゐ弾んで戴けますか。」

 二円のつもりで描いたのだが、絵は見手と値段とで価値がきまると云ふことを、僕たちは経験から教へられてゐるのだ。――主人の顔を見ると、

「さうですか。」

 と、存外気軽に立つて行つて、帳場へ上がつてよごれた五円紙幣をピラリとざるの上へ載せてくれた。

「どうも御苦芳さま。……ぢやァ、あとのもお願ひします。」

「承知しました。」

 と、僕は汚ないその紙幣をそのまゝズボンのポケットヘ突ツ込んで、

「どうぞまた。……近所へ少し吹聴しておいて下さい。」

 と笑つて店を出た。

(儲けたぞ!)

 店を出ると僕はピョンと甃路(ペエヴメント)の上で踊つてみた。さうして、しきりなし往き交うて居る自動車の間を敏捷(すばし)こく抜けて、向う側の甃路ヘヒラリと跳び載つた時、

(や、忘れた!)

 と、危なく声を立てゝ立止まつた。もう一枚別の絵を挾んだ紙挾みを店へ置いて来たのだ。

 ――商売はいづれにしても同じことだが、飾窓の註文にしろ背景画の売込みにしろ、それぞれそのみちのこつがあるので、上手な釣師が巧みに魚のつぼを探る様に、やはり僕たちも慣れるにつれて自然にその呼吸を会得する。第一に、――店頭の装飾に幾分でも注意を払つて居る店とさうでない店とは、飾窓の板硝子をちよいと見ただけでも大体わかる。いくら念入りに磨き立てた硝子でも、人並みな僕たちの面構へを抓つたり歪めたり、さんざん虐待して映す様だつたらもうおしまひだ、労銀の経済的運用に抜け目のなげな主人公と、気の毒な小僧君たちとに敬意を表しただけで、さつさとそこを素通りすべきだ。

 その代りに多少でも脈のある家へは、一度や二度断られたところで根気よく通ふ。尤も、気のきいた店頭装飾でもやつて居ようと云ふ店には、時には恐ろしい先輩がそれを主宰して居て、とんだ小僧扱ひか何ぞで追ツ払はれない限りもないが。――

「今日は。」

 さう云つて軒をくゞると、大抵最初はお客さまと感違ひをされて、恐ろしい丁寧な扱ひを受ける。――主客が自然と顛倒されるまでは何ともてれること夥しい。

「新らしい飾窓の装飾をしてみたいんですけれどね。」

 そんな調子で口を切る。

「飾窓がやくざでは、何にしても仕様がありませんけれど、うちのぐらゐですと充分骨折り甲斐もありますから。……」

 おだてるんぢやない。これはまじめな口上だ。

「近所を一つあツと云はせる様な、人眼を惹くかう藝術的な奴をやつてみますが、いかゞですか。近所の広告にもなりますから、僕の方でも一肌脱ぎませう。なに、費用はせいぜい、五六円から十二三円どまりです。それに材料は永久に使用出来ますから。……」

 さうして、見本の模型図でも見せるか、幸ひ近所に僕の手でやつたのでもあると、

「向うのX商店、御存知ですね。あれは僕がやつたんです。ちよいとこゝから御覧下さい。……あすこの主人も店頭装飾などにはなかなか頭の進んだかたでしてね。」

 さう云つた調子で段々と説き落として行く。相手が髪でも綺麗に分けて青々と頤を剃り立てた、肉付きのいゝ若主人ででもあると、これでコロリと落とされる。おかみさんと年寄とは絶対にだめだ。店をくゞつて古ぼけた柱時計などが、カタリカタリと頭の上で(おもり)を曳摺つて居る様だつたら、そこらの品物でも物色して、またどうぞとかお生憎さまとか頭を下げさせて、飛出して来る。――時計はしばしば単に「時」を支配して居るばかりではないのだ。

 最近僕が手をかけた飾窓の数は、全市を通じて目抜のところに二十一二箇所あつた。飾窓を飾り終へると大抵簡単な口約束ぐらゐはして置くので、背景画(バック)はそのうちのどれかへ持つて行けば、大抵は難なく引取つてくれる。小半日も潰して一枚仕上げると確実にそれははけるので、曾我の一枚八十銭の翻訳同様、僕には定収と云つてもいゝのだ。

 ――別の一枚の背景画を予定のK・食料品の店へ片付けてから、十軒ばかり新たに飾窓を物色してみたが、思はしくないので、ひとまづ切上げた。新宿まで遠乗りをすれば、二軒は確かなところがあるのだが、昨日の今日だ。懐ろ都合で万事の予定を組むのが、僕たちの生活の方針なのだ!

 S・化粧品店の前を通つたが魔子の姿は見えなかつた。学校がまだ退()けないのだらう。鳶色の陽覆(ひおひ)かツと午後の陽脚がとまつて、蝋石(ろうせき)の青い柱が濡れた様に光つて居た。人々はみな蔭つた方を歩いて居た。陽向(ひなた)を歩く人々は帽子を(かし)げて陽を避けるか、さもなければ歩きながら忙がしく扇を使つて居た。その眩しい白い反映が網膜の裏側へ変なゑがらツぽい残象をとゞめた。

 暮れがた僕は汗だくになつて駒形へ戻つた。さうして、仕事に出かけようと仕度をしかけた曾我と夕食を喰つて、久し振りで寝台の下からギタアを出して、調子を合はせてみた。

「そろそろ出かけるかな。」

「往つて来たまへ。」

 僕はギタアを抱いたまゝ手を延ばして、卓子の上のすぐりをつまんだ。

「僕は今夜は出ない。」

「さうか。」

 曾我は三脚台のサックを肩へかけて、ズックの角鞄をさげて、窓から顔を出して空を仰いだ。

「雲はねえな。よし。……」

 ――コツコツと小さな跫音が階段を登つて来て、乱暴に扉を外から蹴開らいた。さうして、鞄と帽子とを一つに抱いた魔子が、少し伸びたおかツぱをうるさげに揺さぶりながら、

「只今。」

 と、入つて来た。

「くたびれちやつた。……」と、彼女は持つて来た鞄をドサリと卓子のはしへ落とすと、いきなり皿を引寄せて中のすぐりの房を取上げた。――安輸入香水の薬じみた匂が彼女の全身から激しく発散した。

「おでかけ?」

「うん。」

 曾我は扉の隙間へ靴の頭を入れて、

「おい。何かうめえものでもこさへて置け。」

 と云つて、それから、妹に送られて階段をおりて行つた。

「上げようか。」

 彼女は扉を閉めて戻つて来ると、ポケットから一束香水紙を出して、ボサリと卓子のはしへはふつた。さうして、別のポケットから新らしい一円紙幣を二三枚大事さうに出して、卓子の上へ果物皿を(おもし)にして置いて、

「魔子ちやんの儲けだよ。」

 と自慢をして、吊るしたすぐりの房へパクリと喰ひついた。

  

 

 一人の兄のほかに両親もきやうだいもその他肉親らしい肉親を持たない魔子は、さう云ふ境涯にごく小さい時分からはふり出されて育つただけに、かうした生活に浸つて居ても、とりたてゝ不満も淋しさも感じないらしかつた。要するに彼女は、――兄同様身について廻つたあらゆる運命を、至極自然に見て来たのだ。

 幼年時代を兄と伯父の家や叔母の家や、一度などはどう云ふ関係からか、以前に彼等の両親に雇はれて居たと云ふ女中の家などと云ふ風に、転々と宿り先を換へて他人の厄介になつて歩いて、最後にそこが落ちつき場所だと思ひ込んで居た母の実家の、深川のとある廻米問屋が株の失敗で潰滅してからと云ふもの、曾我の口調を借りれば永久の放浪的運命が、彼等の前に開らけたのだつた。たゞ何よりも心強かつたのは、曾我が曲りなりにも自活の自信が出来るだけ大きくなつて居たことだつた。彼は駿河台にアパアトメントの一室を手に入れると、そこへ十一の妹と小さな世帯を持つた。さうして、片手間に翻訳をやりながらF・書房の編輯部へ這入つて、S・博士の監修する家庭百科辞典の編輯の手伝ひをした。彼等はその頃月三十円の定収とその他不定な翻訳の原稿料十五六円とで、その小さな世帯を維持して居た。

 僕が、――僕にとつてたつた一人の肉身である母親の再婚から(それだけが直接の原因ではなかつたが、)家を飛出して、学校をよして、中途はんぱな絵かきのまゝ、危なツかしい世渡りをはじめたのは、丁度その時分だつた。ある手蔓から同じ百科辞典の挿絵かきを頼まれて、色んな打合はせや何かの都合から、S・博士のところで折々落合つたのが、僕たちの間に今日の様な友情が開らける動機になつたわけなのだ。

 その編輯の方の仕事が、片付くか片付かないかに、僕は東京の生活が苦しくなつて、(物質的にもさうだつたが、精神的にも僕は云はゞ半生の懊悩時代にぶツつかつて居た!)そのまゝこツちを飛出して、大阪で暫く自由生活をした。飾窓の装飾などを思ひついたのはそこでなのだが、大分その間に、僕は商売的な世渡りのすべを心得た。

 ところが、そこで僕はまた曾我たち兄妹と、偶然めぐり合つたのだつた。それは曾我たちが僕と同じ様な動機から「あつかましい仕事」をしに大阪へやつて来たからで、僕たちはだしぬけに路傍で会つたのだが、幸ひその時には、僕の方の生活が比較的安定して居たので、彼等にもさうひどい生活の脅威は与へないですんだ。

 その頃僕は箕面(みのお)に近い桜ケ丘の文化住宅地に、一軒家を持つて居た。偶然な機会からある保護者(パトロン)に引ツ立てられて、飛びきりな条件のもとに彼の保護を受けることになつて居たのだ。――それが「菱形ソオス」本舖の主人の中島氏だつた。

 僕たちが大阪を引上げたのはそれからまる一年ほどしてで、ふとした事情から彼の保護を辞したのだが、存外にこの行動は成功した。――建設者の役割の一つとして、震災後の東京はやくざな美術家の一人にも、寛大な抱擁の手を延ばして居たのだ。

 ――魔子はすぐりを残らず征伐すると、流し台のそばへ寄つて行つて、そこらをコトコト云はして、洋皿ヘコオンビーフだの生のキャベツなどを盛つて来て、マヨネエズソオスをかけて、フォークでぐるぐる掻廻した。

 ――自分の夕御飯の仕度だ。

「まだそのソオスは何ともないかい?」

「何ともないわ。」

 と、彼女はもつともらしい顔をして、フォークの先をしやぶつて、

「『哀みの極み』を弾いてよ。」と、窓の僕にねだつた。

 彼女は御大葬の折にラジオで聴いたと云ふ「哀みの極み」を、僕がギタアを抱きさへすれば、一度はせがんで弾かせることにして居た。最初のうちは耳へとまつたきれぎれな断片を、口笛で吹いたりなどして居たが、それ以来それが気になつて仕方がないとしゞゆうこぼして居た。僕も最初の抑揚の浅いあの折返しの部分しか覚えて居ないので、彼女にねだられてもそこだけしか弾けないのだが、それでも彼女は満足で、でたらめな即興的な章末のだらだらとついた「哀みの極み」を、いつも耳を澄ましては聴き入るのだつた。――

「働いてそれから御飯はおいしいだらう。」

「おいしい。」

 と答へて、彼女は(あご)へくツつけた御飯粒を注意されてフォークの先で取つた。「パンもあるぜ今日買つたのが。」

「さうお?」

 と、彼女は気のない眼をして、

「いゝわ。」

 とつぶやいて、小さな梅干の種子をピョイとお皿のはしへ吐出した。

 ――すぐ頭のところへ聳えた福助足袋の大きな広告塔が、眼まぐるしく変転するイルミネエションの反映を地面まで投げるので、僕のからだの半分は絶えずそれに彩られた。深川本所一帯の工場地を包む夕の騒音が、時折隅田川を土下する発動機船のポンポン云ふ音を混ぜて、低く窓へ迫つて来た。――電燈のまはりを廻つて居る灰色の蛾が、彼女の頸や華奢な肩の辺を時折チラと黒く切り、また、非常に大きなぼやけた影を壁へ投げた。

「U・ちやん、」

 と、彼女は一人で食事をすまして椅子から立つと、皿をかたしながら僕を顧みた。

「海へはいつ出かけるのよ。」

「いつでも。」

 僕はギタアに気をとられて迂闊(うくわつ)な返事をした。――予算箱の金が百円になつたら、天幕を持つて沼津へ行かうと云ふ、僕たちの避暑計画なのだ。天幕だのその他の附属品は、もう半歳も前から心掛けてぽつぽつ準備をとゝのへて居たのだつた。

「あと幾らぐらゐ?」

「さうだね。……」

 彼女はお皿の下から紙幣を取ると、

「これも入れていゝ?」

 と顔をあげた。――僕はギタアを膝へ抱へて、たれた髪を掻いた。

「幾ら貰つたんだい?」

「三円とね、……」

 と、彼女は隠しから五十銭銀貨を一枚と十銭の白銅を一枚と出して卓子(テイブル)の上へ並べて、

「六十銭よ。」

「ぢやア紙幣だけ入れてお置き。僕のこの五円も一緒に。」

「これは?」

「半端はとつてお置き、お小遣ひに。兄さんには内緒にしといて上げるから。……まアこゝへおいで。」

「なアに?」

 彼女が窓ぎはへ寄つて、僕に抱かさつて窓縁へ登りついた時、赤い大きな月が河の向うの重なつた(いらか)の上に、光輝のない円板を半分見せかけて居た。広告塔の灯りは今度は彼女のむき出した素脚へ、その赤と白とに変る光の反映を投げた。

 

     (昭和三年四月「改造」)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/06/23

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龍膽寺 雄

リュウタンジ ユウ
りゅうたんじ ゆう 作家 1901・4・~1992・6・3 千葉県佐倉に生まれる。

慶應義塾大学医学部を中退し、1928(昭和3)年「改造」10周年記念の4月号懸賞当選作となった掲載作が、佐藤春夫らにみとめられ、モダンに華やかにデビューした。大都会に係累のない男女の共同生活する風俗的な新しさが一種の明るさと憂愁を帯び、時代の傾斜を淡い光りの中でとらえた。それはまた行きづまりをも暗示していて、モダニズムの浅々しさによる文学的崩落は避けがたかった。雄は、独特の組織力により旺盛に新文学活動をいろいろに立ち上げつつ挫折していった。挫折のかげには文壇の閉鎖的な因習の力も加わっていたかと推測されている。

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