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テロと文学

  1

 テロや文学を語るにおいて、資格もしくは資格めいたものが必要かどうか、私には皆目解らないが、もしそんなものが必要だとしたなら、若干手前みそであっても、私にはそれがあると、やや声を落として断言できる。

 文学の素人でも大いに文学を語るべきだとの見解を、妥当とみる論者は、その語ったことによって、いや語る前後の己れの勉学と精進によって、大文学者になるかもしれないではないかとの、甘い可能性をおそらく、その理屈の裏に秘めている。

 あるいは、頭のかたいことを言わず、表現の自由なのだから、誰が何を語ろうとも、差別用語でも使わない限りは、それなりに認めてあげねばなるまいという、寛容の精神を持っているのかもしれない。

 どちらにしたって、これがことテロの話となると、はたして前者の理屈も後者の寛容も通じるのか、鈍な私には結論が出せないが、出せと言われたら、少なくとも十時間程熟考する時間は欲しい気がする。

 そこで実際十時間ばかり熟考してみたが、ろくでもない結論しか出てこなかったので、ここにあえて書く気も起こらないものの、ただ理屈も寛容も通用しないという気分だけは湧き起こった。

 なぜなら、文学を語る者が文学者になる可能性にくらべれば、テロを語る者がテロリストになったり、逆にテロの被害者になったりすることの確率の方が、極端に低いと思われたからだ。

 しかも、文学の評論家が、特に小説や詩を創ったことのない評論家の評が、ややもすると素頓狂に陥るのに似て、かつてテロリストでもテロの被害者でもなかった者が、ああだこうだと物申しても、どうにも野次馬のぼやきにすら聞こえないのが実状だ。

 それでは、そのレベルにおいては自信が無くとも、三十五年前は自称テロリストであり、一九九五年三月二十日、オウム真理教信者による「地下鉄サリン事件」という名のテロの、哀れな犠牲者の一人である私は、テロを語るに足る人間であるかと己れに問えば、即座に「イエス」と答えざるを得ない。

 と言うよりも、当然のことながら「選ばれし者」などというナルシシズムは皆無であっても、この際ここいらで何か言っておかなければとの、義務とか義理とかぐらい感じても、誰も不思議にも不満にも思われぬだろう。

 二十歳の私が企てて失敗した、国会議事堂爆破と田中角栄暗殺の件に関しては、一九九八年発行の雑誌『視点』掲載の、私小説的短篇『ANNAKA'69』を一読してもらえれば充分で、頭のおかしな結核患者である若造の、暗い心理と思想を、ここでくどくど述べる必要もあるまい。

「地下鉄サリン事件」及びその首謀者麻原彰晃に対する、私のやや倒錯的な感情は、一九九五年発行の雑誌『月刊青島』掲載の、『オカネモチが日本を滅ぼす』に既に記述してあるので、これも重複は避けたい。興味のある方は、各々の雑誌の主宰者である大類秀志と横尾和博に問い合せてもらう他はなく、そんな面倒なことまでして読むべきものかどうかとなると、とても保証はできない。

 ただ、本当にお前はサリンにやられたのかと疑いの目を向けそうな方の為に、現在私は、医学的根拠は知らねども、サリン後遣症(白内障兼緑内障)に悩ませられているという事実のみを報告しておきたい。

 

  2

 今回、自発的な感情のみでペンを執ったのではなく、きっかけは、ごぞんじ二〇〇一年九月十一日の、いわゆる「米首都中枢同時自爆テロ事件」であり、この末曽有の大事件に関して、なぜか慌てたように発言する日本の文化人及び文学者の、そのどれひとつをとっても野次馬的次元という、情けない状況であった。

 わが敬愛する立花隆は、早速『文藝春秋』十一月特別号に、『自爆テロの研究』と題した文章を発表したが、吟味して熟読するほどの内容でもなく、残念ながら初心者向けの解説に終わっている。

 末尾近く、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の、かの有名な「大審問官」のくだりを引用したのは、さすが立花隆と思わせたし、全体として私も少々勉強になった気もしたが、それだけだ。

 舛添要一は、九月十五日付の『スポーツ報知』で、「米国を心理的にサポートすることが大事だ。最大の貢献は経済回復」と、一応提案らしきことを口にしているけれどもアメリカに尻尾をふるだけの提案では、何をか言わんやだ。

 立松和平ら、作家達の発言はもっとひどく、勿論引用するに価しないが、「テロも悪いが報復戦争も悪い」式の発想では、文学者の名が泣く。

(誤解を恐れずに言うなら)〈アル・カーイダ〉のテロは「悪」ではなく、アメリカブッシユ政権の報復戦争も「悪」ではなく、つまり私に言わせれば、「大馬鹿野郎」という次元であって、「悪」の次元ではない、そんな設定をしても意味がない、ということだ。

 なぜなら、「悪」と「正義」の論理で云々しても、アメリカが「正義の戦争」を主張し、〈アル・カーイダ〉が「聖戦」を信じ込んでいる限り、せいぜい堂々めぐりにしかならないと思われるからだ。

 当初考えていた拙文の構成を、あえてここで崩してまで強調したいのは、もし悪いものがあるとするなら、〈血〉であり、〈宗教〉であり、〈民族主義〉であり、つまりは〈国境〉である、ということだ。

「血は争えない」という言い方があるけれども、これは、私なりの解釈では「争いの血は争えない」であり、要するに、人間の肉体の中の、消すに消せない、いにしえの獣の血が、騒ぎまくるのだ。

 まちがいなく人間は、戦いが好きであり、敵をつくるのを好み、敵との戦いに命をかけることをよしとし、理屈の上では、宗教のちがいも、民族のちがいも、国のちがいも度外視せねばと思いつつも、(勿論私自身も含めて)根本がおっちょこちょいだから、そうはとんやがおろさない。

 このことは、何も国家間の戦争の話のみならず、集団と集団、個人と個人、はてさて突拍子もない飛躍だと思われる方もあるやもしれぬが、紳士的なスポーツや、参加することに意義があるはずのオリンピックも例外ではない。

 加えて言うなら、「米首都中枢同時自爆テロ事件」が、キリスト教とイスラム教の「宗教戦争」、もしくは西欧とアラブの「民族戦争」の感を抱くのは、私ばかりではあるまい。

 宗教と民族主義の恐ろしさは、立花隆の言うように、「その信仰(主義)の内と外では、正義と悪が逆転してしまう」からなのではなく、その恐ろしさは、正義も悪も、わけのわからぬ神や単細胞的思想の他は何もかも、見えなくなってしまうところにある。

 ある面では、天皇という現人神を持つ宗教国家であった戦前の日本における、神風特別攻撃隊のごとく、突撃したモハメッド・アタらテロリストたちにとって、つまり正義も悪もなく、ただ彼らの(アッラー)のみがあったと、私には思われる。

 

   3

 二〇〇一年の後半から二〇〇二年の初頭にかけて、数回にわたって雑誌『文学街』に発表された、松本道介と崎村裕の優れた〈対論〉には、正直言って触発された。

「戦争は運命であるか」をキーワードとする、奥行きのある双方の文章を読みつつ、感性で松本道介の意見に共感しつつ、理性で崎村裕の意見に賛同する、そんな奇妙でアンビヴァレントな状態を、なおかつ味わったのだった。

 このアンビヴァレントは、なぜか今だに私をとらえてはなさず、私は必死に理性でこの小文を書いていながら、私の感性は二十歳の不出来な自分を憐れみ懐しむがごとく、テロリストたちの心情へ深く入って行きたがっている。

 思えば、わが青春の愛読書は、ロープシンの『蒼ざめた馬』であり、カミユの『正義の人々』であり、勿論ドストエフスキーの全作品であり、日本の小説も、狂気を秘めた作品しか認めないという有様であった。

 またその頃の私は、私の父の世代の人々が、(よっぽど悲惨な体験者でない限り)「戦争は二度とごめんだ」と言いつつも、好んで戦争を語り、書くのを、うさんくさい目と興味津々の耳で、見聞きしていたはずだ。

 いま、ちっとはましになった頭で考えると、『蒼ざめた馬』の悲哀も、『正義の人々』の論理も、ドストエフスキーの予言も、加えて、父の世代の人々の戦争好きもたいしたことはなかったんだと思われる。

 そういうもの総てを、モハメッド・アタらテロリストたちが、貿易センタービルとともに吹っ飛ばしてしまったような気がする、それほどまでの大事件だったのだと、痛感せざるを得ない。

 かつてサルトルは、「飢えた子らを前に、文学はあまりにも無力だ」と、悲嘆の声をあげたが、オウムやアル・カーイダに吹っ飛ばされっぱなしの、現代の文学者は、野次馬にしかなれない無力を、噛みしめるしかないのだろうか。

 もし三島由紀夫が、生きてこの事件を知ったなら、羨望と嫉妬のあまり、悶死してしまうにちがいないけれども、おぼっちゃん作家とちがって、修羅場をくぐってきた私は悶死なんかしない。

 たどたどしくも、やや具体的に言うなら、逆説的な意味ではなく、アフガンの飢えた子らのために、文学はあるのであって、無力の祈りこそが文学の本質であることを、今こそ私たちは、褌をしめなおし、胆ったまをすえて、再認識しなければならない。

 

   4

 さて、「米首都中枢同時自爆テロ事件」なるものを、ニュースで知った時、イスラムの世界、あるいはイスラム教徒(ムスリム)、さらにはアメリカとアフガニスタンの関係と、イスラム原理主義の存在を、多少なりとも知っている者には、即座にこれは、ウサマ・ビン・ラーディン率いる反米テロ組織、アル・カーイダの犯行だと察知したことだろう。

 勿論、ビン・ラーディンよりさらに過激的な、アルカーイダナンバー2のアルマン・アル・ザワヒリや、軍事部門副官ムハンマド・アーテフが指導指揮していたにしても、ビン・ラーディンの直接間接的関与を疑うものは、何もないのだ。

 ちなみに、今回の事件程に大規模でなくとも、類似した事件の内、ビン・ラーディンが関与したとされるものは、一九九二年の「イエメン・ホテル爆破事件」、一九九三年の「世界貿易センタービル爆破事件」、一九九四年の「フィリビン航空機爆破未遂事件」、一九九五年の「サウジ国家警護隊基地爆破事件」、一九九六年の「アルホバル基地爆破事件」、一九九七年の「エジプト・観光客惨殺事件」、一九九八年の「在アフリカ米大使館同時爆破事件」、一九九九年の「ウズベク大統領暗殺未遂事件」、二〇〇〇年の「米クリントン大統領暗殺未遂事件」と、毎年発生しているのだ。

 それにもかかわらず、日本のテレビと新聞は、なぜビン・ラーディンに「氏」をつけるのか、(私だけではなかろうが)、少なくとも私には、世界の七不思議以上に、不思議な現象に思われた。

 倉橋由美子のいわゆる「天下の公器」たる、朝日新聞やNHKは、しごく徹底していて、事件後何ヵ月経っても、えんえんと「氏」で押し通し、途中、丁度3ヵ月経った十二月一〇日付の朝日の夕刊では、「イスラム世界を中心に、依然としてビンラディン氏の関与を疑う見方もある。」などと、寝呆けたことを記している。

 確たる人殺しに、「氏」をつけること、つまり私の言い草で、「愚の骨頂的表現」は、私の知る限りにおいて、かつてなかったことであるが、かと言って、朝日新聞とNHKを代表とする日本ジャーナリズムが、今回の〈ジハード〉(聖なる戦い)を、よしとしている訳では、むろんない。

 ちなみに、ジハードは、ソ連軍に対抗するアフガン戦士の間で叫ばれはじめ、同じムスリムの国家間で争われたイラン・イラク戦争において、イランの最高指導者ホメイニが、イラクとの戦いを「ジハード」と宣言したことで、いちやく有名になった言葉だ。

 けれども、現在世界中で十二億の信徒を持つと言われる、イスラム教の教義は、(私はよく知らないので、専門家から聞いた話であるが)、平和的で穏やかな教えであり、アラビア語のその聖典『コーラン』は、慈愛と寛容を謳っていると言われる。

 従って、前々項にも書いたように、一見イスラム教とキリスト教の宗教戦争の観もある、今回のテロとその報復戦争は、実は、それぞれの宗教の突出した部分での戦争であり、ムスリムにとってもクリスチャンにとっても、迷惑千万な話ではあろう。

 ただ、これも前々項で書いたことと関連するが、これが宗教というものの恐ろしさの表出であるということを、平和的で穏やかな、ふつうのムスリムやクリスチャンも、どうせ考えないだろうけど、考える必要があると、私は力説したい。

 蛇足ながらつけ足すと、ムスリムの過激派だけが非道なのではなく、かつてはクリスチャンの過激派は、けたちがいに非道であって、その極端な例は、(ブッシユがつい口にしてしまって、誰にも非難されなければ、もっと口にしたかったはずの)「十字軍」だ。

 イギリスのリチャード一世、フランスのルイ聖王、ドイツのフリードリッヒ二世なども参加した、いわばキリスト教精神に高揚した人々の、突発的で圧倒的な進軍は、アラブの国土と財を奪いとり、民衆を大量殺戮した、超大規模のテロだったのである。

 残虐きわまりない十字軍の去った後、女も子供も老人も、何干何万のムスリムの死体が血の海に投げ出され、これぞまさしく中世のホロコースト、戦う術も知らぬユダヤ人たちは、総て焼き殺され、脱出を試みようとした者たちは、串刺しにされたり、釜ゆでにされたりした。

 

   5

 項をかえて、話を元に戻すと、いぎたない日本のジャーナリズムが、日本の文学者並に無知ゆえに、愚の骨頂的表現を弄しているのではなく、その逆であるという推論の方が当たっていると、私は今では考えている。

 つまり、ある意味では、アメリカによって創られた人間と言ってもいいビン・ラーディンが、アメリカをテロ攻撃するのは、言わばアメリカにとって、昔の飼い犬に手を噛まれたようなものであり、しかもその理由が、ちょいと下手糞なたとえだが、飼い犬を冷酷にも、荒野に置き去りにしてしまった無責任さからくるものであり、「アメリカは自業自得だ」のインテリくさい思いが、頭でっかちの日本のジャーナリズムの連中にあったのではないか、と考えるからだ。

 それとともに、日本がアメリカの傀儡となろうとも、自分たちはちがう、常に中立で正当な日本のジャーナリズムをテロ攻撃の対象にすることなかれ、との深謀遠慮もあるかもしれない。

 アメリカとビン・ラーディンの、実は浅くも短くもない関係は、ほとんどテレビでも新聞でも云々されないので、仲々一般には伝わりにくいが、この際、簡潔すぎる位簡潔に、私なりの解説をしてみよう。

 ソ連軍のアフガン侵攻から七年、一九八六年、ソ連と冷戦状態にあったアメリカのCIAは、アフガン紛争への間接的介入を決定、アフガン外のムスリムの原埋主義勢力を、義勇兵(通称アラブ・アフガン)として組織化し、パキスタン経由でアフガンへ送り込む計画をたてた。

 送り込みの事業を統括したのは、サウジアラビアのファハド国王の息子の一人、トゥルキ・ビン・ファイサルで、トゥルキ王子は、サウジを代表する建設会社の大財閥、ビン・ラーデイン家の息子の一人ウサマが、義勇兵として参加することを察知した。

 そこでトゥルキは、礼儀正しく頭がよく威厳のあるウサマを、アラブ・アフガンのリーダーにすべく話をつけ、ウサマは期待以上の働きを重ねたために、CIAも一目置く存在となった。

 アラブ・アフガンの義勇兵に軍事訓繰を施すために、CIAは結果的に三〇億ドルの秘密資金を投じることになったが、これはCIAがウサマを頼りにし信頼したからに他ならない。

 実際その秘密資金の大半は、二十七歳のウサマに預けられ、ウサマの指揮によって、アフガン山中に巨大な地下軍事施設がつくられるなど、つまりCIAとウサマは、がっちりと手を組み、心をひとつにして、共通の敵ソ連軍と戦い続けたのである。

 こういう状況の中で、(現在は反米テロ組織の肩書きとなってしまっている)アル・カーイダ(基地の意味)は、一九八八年に設立され、アメリカCIAと着実な連携をとっていた訳なのである。

 勿論、アメリカがアラブ・アフガンを強力に支援したのは、イスラム社会の貢献を意図したものでも、ムスリムの理念に共鳴したからでもなく、最大唯一のライバルソ連に打撃を与えることによって、世界を支配しようとする政治的決断によるものだ。

 だから、ソ連軍がアフガンから撤退し、その後冷戦も終結すると、アメリカCIAとウサマの協力関係にも、完全にピリオドが打たれてしまうのである。

 いったん母国サウジアラビアに帰ったウサマは、大規模な福祉事業を展開、その名声はさらにあがり、アラブ・アフガンやイスラム原理主義者にとって、カリスマ的な存在となっていく。

 ウサマが徹底的な反米思想になっていく原因は、私の知る限りにおいてもいくつかあるが、その大きなきっかけは、まちがいなく、一九九一年初頭に勃発した、アメリカとイラクのいわゆる「湾岸戦争」であった。

 サダム・フセインの命令一下、イラク軍がクウェートヘ侵攻を開始すると、ウサマ・ビン・ラーディンは、サウジ王室に対し、クウェート奪回作戦を持ちかけ、再びアラブ・アフガンの組織化を試みようとした。

 ところがサウジのファハド国王は、その計画案を却下し、イラクと戦うためのアメリカ軍を、サウジに進駐させ、巨大なアメリカ軍基地を開設、しかも湾岸戦争が終結した後も、フセインの報復を恐れ、アメリカ軍の兵二万を駐留させることを決定したのである。

 聖地に他国の軍隊を駐留させることに激怒した(私流に言えば狂った)ウサマ・ビン・ラーディンは、反サウジ王室、及び反米のキャンペーンを開始、ついにウサマは、ビン・ラーディン一族からもサウジからも追放され、逃げるようにスーダンに入る。

 新天地で約三〇社の会社を経営、再び力を貯えるが、アメリカはもとよりサウジ、エジプトなどの圧力に屈したスーダン政府は、ウサマ・ビン・ラーディンに、国外退去を求める。

 行き場を失ったウサマ・ビン・ラーディンは、一九九六年、パキスタン経由で、当時大半タリバンによって支配されていたアフガンに入り、おそらく初めはウサマの資金力に目をつけた、タリバンの最高指導者ムハンマド・オマルに、客人として迎えられたのである。

 このタリバンは、テレビや新聞などでみると、とんでもない野蛮な連中に思われ、アメリカにやっつけられて、アフガンの民衆にとっては幸いだったと、私なぞも考えたりしているが、それは民主主義とか資本主義とかの視点でみているからで、あえて言えば今のイスラム圏は、日本ならさしずめ戦国時代みたいなもんで、北条早雲や織田信長を、ただのとんでもない野蛮な連中とは言えぬだろう。

 

   6

 大分ざっぱではあっても、こうして歴史的推移を辿ってみると、今回の事件は、少々乱暴な言い方だけれど、オカネモチ国家アメリカとオカネモチ個人ウサマ・ビン・ラーディンの、「勝手にしやがれ」調戦争という見方もできる。

 それと、体験者は語る式で、はっきり言えることは、大きな理由のひとつとして、私はビンボーニンだったから「馬鹿野郎」に失敗し、ウサマはオカネモチだったから「馬鹿野郎」に成功したということで、まったく「オカネモチは日本どころか世界を滅す」である。

 そうして、軍事のハイテク化と、経済のIT革命で突っ走る、けたちがいのオカネモチである「馬鹿野郎」国家アメリカが、バベルの塔が崩れるがごとき自爆的な崩れ方で自国と世界を滅す日がくるのは、そう遠い日ではないと私はみている。

 オカネモチという輩は、バブル絶頂期の日本がそうであったように、本質的に阿呆やから、オカネモチどうし反目しあい、ビンボーニンの悲惨なんかかまっちやいない、だから、景気回復なんか不要、世界中どこもかしこもビンボーニンというのが、世界平和の真の姿なのだ。

 ブッシユ大統領も小泉首相も、今回のテロの犠牲者を、「罪のない人々」と形容したけれども、とんまな台詞を吐いちやいけない、オカネモチに罪のない人々なんている訳がないし、仮に万一ビンボーニンがいたにしても、あんなバベルの塔みたいなビルにいることじたい、オカネモチに加担しているんで、それはオカネモチ国家アメリカに加担した、日本と同様に罪なことなのだ。

 だいたい日本日本とお国を後生大事にかかえていれば、日本の面子が立つなんて大まちがいで、それこそ、世界平和と哀れな子供たちのためなら、日本が滅んでもやむなしの、六分の侠気四分の熱をもって、はじめて日本は不滅となるのだ。 (文中敬称略)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2003/01/27

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陽羅 義光

ヒラ ヨシミツ
ひら よしみつ 小説家、詩人、評論家。1946年 横須賀市生れ。早大卒。主な著作は『道元の風』、『吉永小百合論』ほか。『道元の風』(国書刊行会)で第20回日本文芸大賞歴史奨励賞。全作家協会理事長、日本文芸大賞選考委員長など。

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