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あさくさの子供

 星子の章

 

    

 

 江礼(えらい)の手記……その一

 いつもなにか告口のたねはないものかと、かぎ廻ってでもいるような零子(れいこ)だが、今朝はそうしたいやみもなく、真剣な面持(おももち)であった。私がまだ玄関口にさしかかる前から、コンクリ塀横の電柱の所まで下りて来ていて、先生、星子さんは大へんなんですようと、小首をかしげ、私に問返す(すき)も与えず、昨日弓子さんに大へんわるいことをしたんですって、といいながら、私の手から(かばん)を取ろうとした。女の児達の告口を一々取上げていたのでは、際限がないし、大抵のことはそうかそうかと、軽く受流すことにしているので、鞄を手渡すと、さっさと下駄箱の方に急いでいった。零子も共に駈けつけ、既に知っている下駄箱の扉を開けて私の機嫌を取結ぶのであった。上履(うわばき)にはきかえ、ちょうどそこに来合わせた同僚と、朝の挨拶を交していると、零子はあまり素気(そっけ)なくされた不満でもあったのか、先生ってば、大へん悪いことなんですよう、と大げさに肩をゆさぶった。そうオ、どんな悪いこと、星子さん又いらぬお節介でもしたの。いいえ、そんな(なま)やさしいことじゃないのよ、先生がきっとびっくりなさるようなこと、と、零子はようやく機嫌をなおし、星子さんがね、弓子さんの読方(よみかた)のお点のついた紙を盗んで、自分のものにしたんですって。それ見たことかといわんばかりに、零子は鞄を持ちかえ、私の顔を見上げた。私は、何だってえ、と、ちょっと立止り、それでどうしたの、と反問すると、零子もそれ以上詳細なことは知らないものとみえ、ただそれだけ弓子さんが私に話したの、だってお点のついた紙を盗むって、大変悪いことでしょ、と、眼尻の下がった(こび)を含んだ眼で、私の顔をじっと見上げるのだ。そうか、あとで調べます、と、朝からの不快な話題に、僅かに(むく)いて、職員室にはいっていった。

 朝礼をすまし、児童達のあとについていく時の私は、星子に対する処置で暗い気持にならないではいられなかった。星子は中以上の背丈なので、並び順では逆行する列の中央より前の方だった。私がそれとなく様子を見ようとした時、星子は、ちょっとこちらをむいて、直ぐ前方をむきなおしたばかりで、他の児達よりずっと生真面目(きまじめ)に歩調をとり、表情のどこをさがしても、暗い陰影を宿しているようには思われなかった。いつもその手でだまされているのだと、警戒する心の持ち方がよくないのではあるまいかと、まわりくどい反省をくりかえしながら階段にさしかかった。私はちょっと立止まって列をやり過し、さいごについていく副級長の山岡準子の後頭部を人差指でかるくつつき、先生はちょっと用があるので、みんな生活科の自習をするようにね、今日はお小遣(こづかい)調べをまとめることになってたね、といいつけた。準子は従順な鳩の目のような瞼のあかい瞳で、何分位したら来て下さるの、と私を見上げた。そうさね、十分か十五分位、それ以上にはならないと思うけど、もしかそれでも行けなかったら、あんたや石井君なんかが中心になって学習をすすめるようにといいそえ、すぐ前方を行く藤野弓子をちょっとちょっととさしまねいた。弓子はつぶらな自分の目を人差指で指さして、あたし? とうなずき、そう、と、答えると、むしろ先生に呼ばれた嬉しさをかくし得ないような表情で、横にいる時子に、あたしちょっと先生のとこにいってくるわね、と断って駈けて来た。こっちにいらっしゃい。私は弓子をちょうど階段を昇りつめた処から、観音堂の見える機械標本室に導きいれた。あのね、といいながら、私は窓のカーテンをしぼり、椅子にかけ、あんた昨日のこと先生に何の嘘もつかないでお話出来る? と訊ねた。出来るわ。弓子は無意識にスカートをぐぐっと引上げ、ちょっとおびえたものとみえ、さっきまでの和やかな微笑を消していた。あのね、先生が聞くことに何でも正直に答えるんだよ、正直なこといったために、誰かにいじめられることがあっても、少しも心配することないの、いい? もう五年生だから、自分の思うことを(いつわ)らずいえなくちゃ駄目だね。勢込んで早口にいったのが悪かったのかもしれない。弓子はますます元気を失い、むしろ顔色が蒼白にさえなったように思われた。あたし、何にも悪いことしないのよ。五年といっても四年にもっていってやっと中位の発育しかない弓子は、きょろきょろ視線を迷わせた揚句うつむいた。これまでこうした部屋でただ一人訊問の席にたたされたことのない弓子だったのだ。心配しなくてもいいよ、ね、先生叱るんじゃないんだから、ね、あんた昨日星子さんと一しょに帰らなかった? と、私は気分転換につとめてやさしく訊ねた。弓子の顔に違った意味の雲がかげったようだった。一しょに帰ったわ、あたし松清町でしょう、星子さんは田島町なんだけど、大勝館の横までは一しょに帰らないと、いじめられるんですもの。そうか、でもあんたが星子さんと一しょに帰ったのはいいんだよ、それで昨日ね、星子さんはあんたの読方の紙盗んだって? と、いよいよ核心にふれた質問を出すと、弓子はやっと安堵の色を示し、それでもあたし又星子さんにいじめられるわ、とうつむいた。だってあたし星子さんにきっと誰にもいわないって指切りしたんですもの。いいよいいよ、それはあんたから進んで指切りしたんじゃないでしょ、星子さんが指切りしなきゃいけないといったから、あんたは仕方なしにしたんじゃないか。どこまでも弓子の気持を察し、そしてまた綿密な理窟にたよらねば、第一弓子の性格に暗い影を与えないともかぎらない。ええ、それはそうなんだけど、と、弓子は弓子らしいジレンマからぬけ切れないらしいのである。指切りというものはね、自分も本当にそうと思わなきゃやるものじゃないんだよ、あんたがいやいややったのなら、その指切りは嘘っこの指切りでしょ、だからそんな指切りは守らなくともいいの、分った? 弓子はうなずいた。星子さんは、あんたの読方のお点の紙()ってそれどうしたの、先生はあんたを叱るようなことないから、その通り話してごらん。ええ話すわ、はじめね、あたしいやだいやだっていったんです、いやだいやだっていくらいっても、星子さん一しょに帰らなきゃ承知しないっていうでしょう、仕方がないから、なら一しょに帰るわ、といって、二天門から観音様の裏通っていったのよ、そして池端から大勝館のとこに行ったらね、星子さんは活動の看板見ようって聞かないの、だからあたしいやだったけど、ほら先生も知ってるでしょう、あの真鍮(しんちゅう)の金があるとこ、あそこによっかかって見ていたらね、星子さんはあたしに、鞄見せてっていうの、どうするのっていったらば、今日の読方あんた九十五点ねといって、いやだというのに鞄からあたしの読方を取出してね、星子さんたら大勝館の切符売さんに、ほれ九十五点よって見せたの、あたし星子さんにはかなわないから、黙って見ていると、切符売さんは、その紙取ってみて、あらあんた藤野弓子っていうのって、星子さんのこと聞いたの、そしたら星子さんたらおかしいのよ、そうよって威張ってたの。弓子は偽称されたことがくやしそうに、ちょっと言葉を切った。私はそれからどうしたの、と、次をうながした。星子さんね、切符売さんからとったその紙かえしてくれるかと思ったら、今度は自分の鞄を下してね、筆箱から消ゴムを取出し、あたしの名前を消しちゃって、坂井星子って自分の名を書換えちゃったの。あたし随分ねえ、ずるいわずるいわ、といったけど、星子さんは、すぐ返してやるわ、あたしうちに帰って母さんに見せたら、すぐ持って来るからいいじゃないのさ、といってさっさと田島町の方にいっちゃったの、あたし仕方がないから、その後をゆっくりついていったの、あたしのうち松清町なんだけど、田島町からでも行かれるんですもの。星子のその日の得点は四十五点だったことを思いめぐらすと、私はひやっと冷水をかけられた思いで、弓子に次をうながす元気さえなく、黙ってしまうより外なかった。弓子は腰に両手をあてた。星子さんたら、随分あたしを待たせて、鞄はうちに下して、紙をもって来たの、そしてどうもありがと、母さんよく出来たってほめてくれたわ、だから御褒美にって四銭くれたから、半分の二銭あんたにおごってあげるって、公園までいらっしゃいよって、あたし又随分いやだいやだっていったけど、星子さん聞かないの、仕方がないからあたしついていったらね、そしたら池端のおでん屋で、牛蒡巻(ごぼうまき)の二銭の二本買って、一本あたしに食べなさいっていうの、あたしやっぱりいやだいやだっていったけど、食べなきゃいけないって聞かないでしょう、それでもいやだっていったら、なら牛蒡巻捨てちゃうわというんです、あたし捨てないでもあんたおあがんなさいといったけど、やっぱりあんたが食べなきゃ捨てちゃうというんですもの、勿体ないからあたし食べちゃったの。それからどうした、と、私はますますあきれて追及した。そしたらね、星子さんたら、あたしいやだってあんなにいったのを無理にたべさしといたくせに、どうせあんたも食べたからには同じ罪よ、誰にもいっちゃいけないわよ、指切りしましょうねって、とうとう指切りさせられちゃったの……。私はうちのめされたような衝撃をうけた。じゃその紙取ってらっしゃいと、弓子を教室に行かせて、これをどう処置づけるかを考えた。

 恐しい発見であった。星子が花川戸から田島町に移転してからもう二年になるが、それ以来星子の生活態度が急角度に変って来たことは、これまでにも気づいていた。それは必ずしも環境のせいばかりには負わせられないかもしれない。年齢と共に内にひそんでいた異常性格が動きだしたと見るべきかもしれない。しかしそれにしても、この意表外に出た星子の行状には、何か深い根拠があるものと見なければならない。それではその根拠とは何であるか――これは亦私にとっては実に難解な問題に違いない。けれどもそうした抽象論はしばらく預って、今は先ず何よりも事実の詮索と、当面の処理をつけなくてはならないのだ。

 午後の時間は裁縫になっていたので、志村裁縫教師の諒解を求めて、星子を誰もいない屋上庭園に呼んだ。星子は、形の整った顔にいささかの物おじした風も見せず、何か御用なんですか、と、いつもの慣れ慣れしさを見せてついて来た。まあかけなさい、と、私は江東の工場街の見はらしのきく、コンクリベンチをあごで示した。工場街もこうした高所から見下すと、その汚れもかくされ、街靄(まちもや)に包まれて眠ったように見えるのだった。ぐずぐずしているので、さっさとかけるのですよ、と、その空々しい態度がいささか癇にさわり、語調をちょっと強めると、心なしか星子は不安の翳を見せて今度は素直に腰かけた。星子さん、あんた何でも先生に本当のこと話してくれる? 先生はいつもお話するように、あんた達を叱るのはいやなんだよ、もしか叱ることがあっても、それは本当のことをいわない時だけだよ、あんたが本当のことをいいさえすれば先生は決して叱りません、あんた達は子供だし、まだ、していいこととしていけないこととが、よく分からない時があるでしょ、あんたがしたことが、もしかしていけないことだったら、今度からしないようにすればいいし……分かるでしょう、だから嘘ついたら叱るかもしれないけど、本当のことをそのままいえば決して叱らないから、先生が今聞くことに正直に答えてね。星子の均整のとれた、いくぶん紅らんだ顔を見つめていると、いつか私自身さえこの児がどうしてそうしたことを、と、奇怪に思えてならないのである。あんた昨日学校から誰と一しょに帰った? 弓子ちゃんと。うん、よし、私は幸先(さいさき)よしと、この分ならば案外あっさり事実の申開きをするかもしれない、事実そのままを白状するようなら、事柄は事柄だが、今日のところはあまりひどく追及することは止め、しばらく様子を見ることにしようと(おもい)定めた。弓子ちゃんとの帰り途に、あんた弓子ちゃんから何か貰ったでしょ。星子は顎を前方にちょっと突出し上目づかいに空を仰いで、考えのよりを戻すような仕草のあと、いいえ何にも貰いません、と、首を振って私をまともに見返した。私は咄嗟(とっさ)失策(しま)ったと思った。質問の形式を誤ったのだ。あそう、と軽く受流し、じゃ何か借りはしなかった? 星子は私の軽い狼狽を見てとったのか、何にも借りません、と、きめつけるような語調さえひびかせるのだ。よく考えてごらんなさい、忘れるということがあるからね、ほら、二人で二天門をくぐったろう、観音様の前通ったでしょ、お店が沢山あったわね、池端に出たでしょ、オペラ館の横に髭のぴんとはね上ったお巡りさんがいたでしょう。そこで星子はおかしそうに、いつものくせで糸切歯をちょっとのぞかせて笑った。大勝館のとこに出たわね、随分人がうろうろしてたろう、そこで坂井さん、あんた弓子ちゃんに何か借りなかった? さあ、と、星子は大人びた首のひねり方をして、あたし忘れたかもしれないけど、思いだせないわ、と、いかにも失念してしまったというような風である。ほら、大勝館の看板見てたでしょう、真鍮の棒によっかかってさ、思いだせないの、思いだして知らん顔してるんじゃない? いいなさいよ、昨日のことだもの、思いだせない訳はないでしょ、そら紙だよ……。私はどうしても星子自身の口から聞きたくてたまらないのだ。わたし紙なんか借りないわ、と、星子は頑としていいきるのである。ここまで誘いの手を見せても、なお頑強にいいはるところをみると、これは相当の代物(しろもの)だ、尋常の手では、なかなか予期したコースの終点に持っていけないことを覚悟しなければならなかった。そうオ、と、私は露骨に不快を見せ、きっと借りないんだね、と、言葉にも険を含ませた。え、わたし弓子さんに何にも借りません、と、むしろいわれない言いがかりでもつけられ、腹にすえかねたといわんばかりの返事の仕方だ。よろしい、と、私はもはや最後の切札を出さざるを得ない破目にまで追込まれた。嘘つけ、弓子ちゃんの読方(よみかた)の問題を借りたろうが。そういって私は星子の微動をも見逃すまいと正面からねめつけた。これ見ろ、これを。私はポケットから(くだん)の用紙を取出して、星子の目先に突きつけた。これでもまだ(しら)ばくれるのか。あらあたしそんなの借りたかしら、と、用紙をのぞき込み、そんなのあたし知りません、と、あくまでも強情にいいはる星子に、私はもろくも自制していた感情を押え得ないのではないかと思われた。手が怪しくふるえるのだ。嘘つけ、中の字とこの坂井星子っていう字を見ろ、この名前があんたの字で、中の字が弓子さんの字だぐらい先生にはちゃんと分かるぞ、これでも知らないと(しら)をきるなら、と、私はいらいらしながら立上って花壇のあたりを歩きまわった。さすがに星子も私の権幕に恐れたのか、抗弁しようとはしなかったが、どうだ、と重ねての追及に、あたし決してそんなことしません、と、頬の肉をぴりぴりさせ、弓子ちゃんに聞いてごらんなさい、と、逆襲さえしてくるのだった。よろしい、と、私は思いきめた風を見せ、星子の手をとり、これから地下室に行こう、というと、いやよいやよ、と、手をふりほごそうとする。いやでも駄目、さあ行こう。私は引きずるようにして、階段の方にさしかかった。はじめは頑強に階段の手すりにしがみついて抵抗したが、二階まで下りると、微笑こそしていないが、慣れ慣れしく私の手をつかまえて、けろりとした態度でついて来る。一階児童下駄箱の横から、地下室口に来ると、急にいやよいやよとすねてついて行こうとしない。なら正直にいえばいいじゃないかとたしなめても、ただ歯をくいしばり、握られた手をほごそうと懸命になるばかりだ。じゃともかく地下室に行こう、と、私は強力(ごうりき)をしぼって、星子のからだを宙に持上げ、薄暗い地下室への階段を下りていった。星子は、やっぱりいやよいやよとあがきながら私のからだをところきらわずひっかいた。思いもうけぬ星子の力に、私は危く階段の中程で取落しそうになるのをやっと持ちこたえて下りきり、コンクリのたたきに下した。どうだ、この中にしばらく一人でいて、今まで先生に嘘をついたか、つかなかったかを考えるんだ。室内は、天井横の明り取り窓が僅かにあるばかり、しかもその硝子は(ほこり)に汚れて、こうもりでも出て来そうな陰鬱さだ。室の一方にはスチーム汽罐が置かれ、今はただ休止の状態で、無気味な生物のように巨体を落着けている。その下からチョロチョロと鼠が這出しては、この異様な珍客に驚いたのでもあろう。かくれたかと思えば又出、しっと追えば引込む。そら坂井さん、鼠が遊びに来たよ、では先生は御用があるので、いつまでもあんたをかまってはいられないから、ようく鼠と相談して、自分のことを考えときなさい。そういって星子を石炭庫の横に突放し、大急ぎで引返そうとすると、それまで案外落着いていた星子は、突然わあッと大声で泣出し、私のからだにまつわりついて来た。御免なさい、御免なさい、本当のこというから御免なさい、恐いから御免なさい。駄目、駄目、もう御免出来ない、先生はもうあんたのことは知らないよ、と、邪慳(じゃけん)に突飛ばし、階段を上ろうとすると、先生、御免なさい、拝むから御免なさい、弓子ちゃんの読方の紙借りたんです、悪いと思ったけど、あたしのお点が悪かったので、母さんに叱られると思って、弓子ちゃんのを借りたんです、これから決してしませんから許して下さい、ねえ、先生……私は、懸命な星子の訴えを聞いていると、又しても冷水をかけられたように、それまで熱しきっていた感情が冷却していくような気がするのであった。それ程までに考査の成績を気にしていたのだろうか、そしてその故にこそ、こうした罪を重ねていくのだろうか、私は振離そうとした力がぬけ、又地下室に下り、機関手室の椅子に腰を下した。じゃ今度は本当のことをいうんだね、私は大いに語調をやわらげ、さっき先生がいったことはみんな本当だったろ、と、星子の顔をのぞき込んだ。星子は間歇(かんけつ)的にぐぐっと泣きじゃくり、みんな本当です、あたしが悪かったから御免なさい、と、いかにも神妙である。そうか、先生は本当のことさえいえば、いつも可愛がって上げてるじゃないか。日頃の星子は小うるさい位私になじんでいるのだ。私の手のどこに切り(きず)があり、顔に面皰(にきび)の出た穴があり、耳が平べったくて頭の両側にへばりついていることなども、一々点検してよく知っている程である。もっとも私の星子の可愛がり方には、邪心があったのかもしれない。以前星子が自分の座席のすぐ後の机から二銭盗んだ時、手ひどい説諭を加えてから、ことさら可愛がらねばならない、というわざとらしさがなかったとは、私自身いいきれないかもしれない。そういえば二銭盗んだ時の叱責の仕方は、少し度を過ぎたようだ。しかしその盗みかたが、ほんの出来心とは解されない計画的なところに、私の訓戒も勢い酷にならざるを得なかったのだ。()る前、あんたお金もってるでしょう、と、それとなく相手の気をあらため、相手がうっかり持ってないわよ、と答えたことに安心して盗ったのだ。盗られた田鶴子はあとになって、それと気づき、或いはといって訴えたのだが、星子はなかなか頑固で、田鶴子さんはお金持ってない筈だといって、なかなか実をはかず、もし持ってたなら、田鶴子さんも嘘つきじゃありませんかと、(さか)ねじをくわせて、ぼろを出したのだ。昂奮した私は、つい星子の両手を捻じ、己の全魂を星子にぶっつけるような勢で武者振りつき、思わず涙さえ出して、くどくどと盗みの罪悪について語りきかせたのだった。それ以来というもの、事毎に星子を身近に引きつけ、かりそめにも星子を泥棒呼ばわりでもした児には、自分自身が侮辱されでもしたように、泥棒とは何ごとだと喰ってかかって星子をかばって来たものだ。しかしそうした中にも、星子に対する愛情に、何か説明しがたいギャップがあったのではないか、計算された愛情を、星子はかえって小うるさく思っていたのではないだろうか……。だって先生、母さんたら、試験のお点が悪いと、随分あたしのこと叱るのよ、座敷の柱にしばりつけて叱るんですもの、七十点より悪かったら、朝なんか卵をお姉ちゃんにだけ食べさせて、あたしには食べさせてくれないんです。私は改めて驚かされ、信じまいとしても信じなくてはいられない程の星子のまっとうな訴えに、不覚にも混迷の淵に誘い込まれてしまうのであった。そうかね、そうかね、と、星子の訴えを言葉だけで一応肯定し、要するに星子の母親を呼んでみなければ、ことの真相はつかめないことを考えて、それだけで解放してしまった。

 星子の母親が乳呑児を背負って、学校に来たのは、もう三時を過ぎていた。小使を使いにやって、用があるなら夜でもよい、先生は宿直をしているから、ともかく今日中に是非来てほしいとつけ加えさせたのである。唇の色の紫じみた、顔色のすぐれない、ひっつめ髪の乱れた母親は、私の顔を見るなり、星子がまた何か変なことでもしたんじゃ御座いませんでしょうか、と、背負った児の泣きじゃくるのをあやしながらたずねた。ええちょっとその、と言葉をにごし、まあこちらにお上り下さい、と、応接室に導いていった。母親は腰掛ける間ももどかしそうに、何か又とんでもないことでも仕出かしたんじゃないでしょうか、と、背の児をあやしながら性急にたずねるのだ。私は、いや、と、相手を落着かせる手だてを用い、ちょっと間をおいて、今日の一部始終を語りきかせた。母親は、はァはァ、さよでございますか、と、相の手を入れて聞いていたが、語り終ると、身も世もあらぬ程恐縮して、全く私親馬鹿なんでございますね、珍しくよいお点なんで、少しも怪しみもいたしませんで、いうままに四銭もあてがったんでございますよ、まさかそれ程手の込んだこと……もっともこの頃急に強情になりましてね、毎々先生にお願いしようとは思っておりながら、つい、内職などにかまけましてね、本当にお手数掛けまして申し訳もございませんです。母親は、幾度も幾度も(こうべ)を垂れ、手前共でもあの児の性格には困りぬいておりますので、一つ先生の御力で何とかして頂きとうございますです、主人とも相談いたしてまいりましたですが、一つ何もかも、先生にお願いいたしますから、必要があれば、どんなきびしい折檻(せっかん)でもよろしうございますから、是非あの児をまっとうな児にしていただきたいんですの。分かりました、と、私は母親の案外な分かりのよさに気が軽くなった。そこでさっき話し出せないでいた柱と卵云々について、切りだそうと思った。お宅では星子さんの試験のお点が悪いと……と、星子の告白を半ばいい出すと、まあ、そんなことまで申すんでございますか、お恥しい話ですけど、宅には今のところお座敷などございませんの、田島町のもうほんの雨露(あまつゆ)しのぎ程度のあばらやで、この節は時局柄商売はすっかり駄目でして、卵なんぞ一ケ月に一度も食べさせることもないんでございますの、それでも子供達にだけは、肩身の狭い思いをさせまいと思いましてね、お小遣でもむりさんだんして、よそ様のお児さん(なみ)にあてがっておりますけど……

 これまで星子に対してほどこして来た、私の指導は、かくも無力なものであったのか……無力だったことは、星子へのいびつな愛情に対する、私自身への鋭い鞭だと感じない訳にはいかない。環境が星子をこうも歪めたんだと、逃込む前に私は今一度冷静に、星子への愛情をとくと吟味しなければならない。

 

    2

 

 いつどこで起ったか、はっとした時には、もう車道の真中をよぎって、さかさに据えた漏斗(ろうと)のような小旋風は、見るまに(いしだたみ)を越え、浅草寺アパートの塀に体あたりをくらわせていた。形はむざんにくだけ、その尖端に浮いていた広告ビラは、植込の(かえで)の中にもみ込まれていった。生きもののような旋風に、どぎっとした星子は、広告ビラが見えなくなると、すぐ元の平静さを取戻し、コンクリ塀を平手で撫でながら、観音裏にぬけていった。ちかちかする七月の太陽は、小砂利にはじき返されて眼に痛かった。塗りのはげた赤緒の下駄が小砂利にくねるのをよけて、アパートの軒下をよって歩いた。焼けた公園の昼過ぎは人もまばらで、銀杏(いちょう)の木蔭のベンチに、うす汚れた男たちが、しまりのないからだを横たえ、日盛りの直射をよけて、ひるめしをむさぼっていた。星子は、まだ江礼(えらい)先生が病院から出ては来まいと思いながらも、いく度も振返ったが、団十郎の「(しばらく)」の銅像の植込まで来ると立止まった。やはり江礼先生の、眼に痛いような白麻服の姿は見えなかった。見えないとかえって物足りなくて、星子は又元来た方に引返そうとした。ちょちょちょと呼びとめる声がした。星子は首をひねって声の方を振返ったが、誰もあたりにはいないし、あらへんだ、と、ひとりごといいながらためらっていると、今度はあきらかに団十郎の植込の中で、ちょちょちょとさっきと同じ声がした。星子は、オカッパの髪をかき上げながら植込に近づくと、

「ねえ、君、五年生だろ」

 ひょいと、思わぬ横から黐竿(もちざお)を持った白帽の少年が飛出して来た。星子はどぎまぎして、

「そうよぅ」と、答えたが、二、三歩後しざりして、いつでも逃げられるように身構えた。

「君、遊んでるだろ、遊んでるなら手伝えよ」

 長い黐竿の先を気にして持変えた少年の、柔和な笑いに気を許した星子は、

「どうすればいいのさ」と、言葉はぞんざいに返したが、少年に対する興味でふくらんでいた。少年は団十郎の長刀(なぎなた)の先を指差し、

「ほら、あすこに蝉が止まっているだろ、あれを捕えるから、君台になっとくれよ。そしたらな、君に少し黐をあげるよ」

「どうこ?」と、星子は差された方を抑ぎ、答えをためらっていると、

「俺が団十郎に登るんだよう」

「あら、あんた一人で登れないの。弱虫ね」

「聞かねえか――」

 弱虫といわれて少年は僅かの隙も与えず黐竿で星子の頭を撫でた。オカッパの髪の毛が束になってつるされた。不意をうたれた星子は、

「いやよ、いやよ」と、両手で黐竿をつかみ、毛根の痛みに泣声をたてた。少年は力みかえって更に力をこめ、

「いうこと聞くか、聞かねえか」と、横柄にかまえた。

「聞くわよ、聞くからとってよ、とってよ」

 黐の利く竿は、頭が動くたびにますますこじれたが、少年は器用に髪の毛を黐から離しながら、

「嘘ついたら、又くっつけるからね」と、平べったい汚れた顔を、星子の面前にくっつけて念を押した。終ると少年はその持前の癖らしく、終始唇をなめまわす動作をやめ、

「そら、この中にはいれよ、そして四つんばいになるんだぞ」

 星子はいわれるままに、鎖の柵を乗越え、団十郎の銅像の台石につかまって、うずくまった。重量感にちょっとへばりそうになった星子は、少年の重みがすっとぬけると、何か心残りするような、不思議な魅力の後を追うように首を上げた。少年は用心深く団十郎の袴にしがみつき、立てかけておいた黐竿を引寄せた。星子は、さっき少年に脅されたことを忘れ、逃げるなら今が一番よい機会だなどということには、少しの頓着もなく、少年の挙動を見つめていた。少年は、ちょっと星子を見下し、じっとしとれという合図に手のひらを見せた。突然星子は自分の理性で統御出来ない衝動にかき立てられ、かこいから飛出して小石を拾い、少年がちょうど黐竿を団十郎の長刀の尻近く、呼吸(いき)をのんで接近させているところに投げつけた。小石はねらいがはずれて、団十郎の肩にからんと音をたててはじき返され、向う側の植込の中に落ちた。少年ははっとして竿を収め、

「馬鹿!」と叫んだ。拍子に蝉は、じじっと簡単な鳴声を残して飛去った。少年は黐竿を投出し、白い歯をむいて、やい、と、掛声と共に飛び下りた。星子は、洋服のすそをたくし上げ、一散に観音堂の方に逃げだした。少年は飛び下りた拍子に、踵でも強くうちつけたのか、ちょっとためらったが、直ぐ起きなおり、星子の後を追っかけた。星子は広場をはすに横ぎり、御堂の北側の石段をとんとんと駈け上ったが、恐怖の色はなかった。鬼ごっこでもして追われているような仕草で、廻廊まで届くと、欄干につかまって少年を振返った。下唇をむくれるようにそり曲げ、両肩をたぐりながら駈けて来る少年は、星子の行方もはっきり見分けられない程の力の入れ方で顔をゆがめ、石段の下まで追って来た。星子は物珍しげに廻廊を見廻っている参詣人の間を器用にかいくぐり、東側から正面に廻り、入口の大柱の中に逃込んでからだをひそめ、少年の通り過ぎるのを見守った。少年はやがて大股で駈けぬけた。参詣人達はちょっと驚かされたが、そうした児にかかわっていられなく、それぞれ何ごとかぶつぶつ口中で祈願をこめて参詣をすましていく。星子はしばらく同じ姿勢で、そうした人々を迎え見送っていたが、駈けぬけた少年の引返すもようもないのがかえってものたりなく、御堂を出ると少年の行った方向に駈けだした。西側にも少年はいなかった。星子は朱塗りの欄干を撫でながら広場の露店を見下した。バナナ屋の前にぽつねんと立つているのは、さっきの少年だ。

「ここよ、ここよ」と、星子は廻廊の板を両足でふみながら叫んだ。少年は聞えないものとみえ、バナナ屋の口上を傾聴している。

「ここよ、ここよ、じれったい人ね」と星子は手をたたき、つづいて両手をメガホンにして声をはげました。

「蝉とれたの」

 その声でやっと気づいた少年は、廻廊の星子を振り仰ぐといきなり石段の方に駈けて来た。星子は、にこにこしながら欄干を離れ、南側正面に逃げた。南側から更に東側に廻り、石段の所でちょっとためらったが、思い決して石段を下りていった。駈けたせいで動悸が高く、星子は胸に手を当てて、さて廻廊を仰ぐと、少年はずっとやり過ごされて、北側への曲り角を折れていた。

「ここよ、ここよ」と、星子は右手を高く上げて手招きした。こんどは直ぐ聞えたものとみえくるりと振向くと、愚弄された腹立たしさに歯をむいて石段を二段ずつとんで下りた。星子は、銀杏の木の下のべンチを楯として、少年の襲撃に備えたが、すぐに思いかえし、浅草神社の鉄鎖の囲いを飛びこえて、社殿の後に駈けぬけた。疲れが出た星子は、あたしくたびれちゃった、と、ひとりごといいながら、団十郎の銅像の方にぬけようとするところを、後から少年にしっかり捕えられてしまった。

「いやよ、いやよ」と、星子はからだをゆすぶって逆らったが、逃げるようすも見せず、少年のなすがままに委せた。

「畜生、許さんぞ」と、少年は星子を引きすえながら、

「こっち来う――」

「行くわ、行くからそんなに邪慳にしなくたっていいでしょう。ちょっと休ましてよ、あたしへとへとに疲れちゃった」

 少年は、星子の物慣れた落着き加減にしびれて、ちょっと手をゆるめた。逆になめられたようで、次の句がなめらかにすべって来なかったのだ。そこで、いくたびか口脣(くちびる)をぺろぺろなめまわして、落着きを取戻し、

「お前わりいぞ」

「そうオ、わるいからどうなの」

「わりいから……」と、少年は又口ごもった。

「どうでもしてよ。あたしわるかったらどうにでもなるわ」

 ふてぶてしく居直られて、かえって少年は手が出せないのだ。相手がこうもやすやす折れて出ると、手ごたえがないばかりか、むしろ怖れに似た感情さえわいて来るのだった。「どうするのさ」と、星子は重ねて少年に迫った。「わるいからどうするの、あたしわるけりゃ、どんなにでもなるわ」

 少年が相変らず、星子のからだをつかまえたままためらっていると、星子は、微笑しながら、くつくつと、くすぐったげな声をもらし、

「しばってよ」と、少年に両手を差延べた。星子は両手の甲と甲とを背中合せにすりよせ、指先をぴくぴくふるわせるのである。

「うん、しばってやらァ」

 少年は、ようやく行動のきっかけを与えられて元気づき、星子の両手をぎゅっと握りしめたが、

「しばるものがない」と、あたりを見廻した。

「あら、あんた、随分まぬけね、その自分のバンドでしばればいいじゃないのさ」

 少年はいよいよてれ、よれよれのバンドをはずし、鼻の先につきつけられた星子の両手をしばりつけた。不器用な手つきだが、相手が従順なので、わけなくゆわいつけられた。

「もっときつくしっかりしてよ」

「これっきりしかきつくなんねえよ」

 少年は完全にのまれてしまっていた。ゆわいつけはしたものの、それから先どうするめどもなく、バンドのめいった星子の両手をあらためていた。

「あんた、蝉はとれなくとも、もっと大きなものとれるでしょう」

 星子のいう意味がはっきり了解されず、黙っていると、「あんた鳩とって来ない? 鳩だって黐ではすぐとれるわよ」

「うん」と、少年は意外な問題を持出されて、一応余儀なく口先では肯定したものの、既に自分の意志は置去りにして、星子のいいなりになってしまうのだった。

「行ってらっしゃいよ、あたしここで待ってるわよ」

 星子にせきたてられて、少年は黐竿の黐に唾液をなすりつけて引延ばし、団十郎の横をすりぬけ、まってろよ、といいおいて観音堂の方に駈けだした。

 星子は、少年の姿が見えなくなると、ひとりでにくつくつと笑いだした。黐をくっつけられ、竿を引きずって逃げようとする鳩のあがきが目先に見えるような気がするのだ。あの少年ならあたしのいった通りにやるに違いない、そんなふうに考えると、どうしてもその光景を見なくてはいられない衝動に、思わず駈け出そうとして、はじめてバンドでゆわいつけられた手をつくづく見守るのだった。どうかして解いてしまいたいのだが、無理にも強くしめつけられたバンドは、どうにもならないのだ。植込の近くには誰もいなかった。星子は両手を胸に抱くようにして二、三歩植込を出て、あたりに子供達はいないものかと物色したが、浴衣がけで(えり)白粉だけがきわだって白い女が二人、汗ばんだ声で語り合いながら、千束町の方にいくのが見えるだけだった。星子は、その女たちを呼びとめようと日光の直射を避けて、駈け出そうとしたところを、「どうしたんだ」と、浅草寺アパートの塀にそって、急ぎ足で駈けて来る江礼に呼止められた。江礼は、星子を随分さがしたらしく、はァはァ息せき切って、肥満した腹部をのけぞるようにして駈けつけた。

「いじめられちゃったんです」と、星子は両手に顔をうずめて泣声を立てた。声に誘われて星子は、擬装の涙の意識もないまま無造作に泣けてきた。

「どうしたというの?」と、江礼は、更に星子に近づき、バンドでしばられた両手を握り、

「なんだ、こんなものでしばられてるの?」

「あたし何にもしないのに、男の人がこんなに手をしばっていっちゃったんです」

「何かあんたがしばられるようなことしたでしょ」

 江礼は、信じられないことを、強いて信じなければならない驚きに呆れた。

「何にもしないんです」

「何にもしないものを、こんな目にあわせる者はないよ、何かしたでしょう。いいなさい」

「いいえ、何にもしないんです」

 そこで星子はあらためて泣出した。

「泣くなよ、みっともない」と、江礼は星子の頭に手をおき、ついで両手のバンドを解きにかかった。

「先生は、随分あんたを捜したんだよ、なぜあそこにいなかった?」

 両手首ははげしくしめつけられ、赤く充血していた。

「何かしたに違いないよ、いってごらん――」

 江礼は星子を連れて、浅草寺病院の児童教育相談所にはいろうとしたのだが、そこまでは素直について来た星子も玄関口にさしかかると、頑としてはいろうとしなかったのだ。なだめすかしたが、どうしても(がえん)じないばかりか、大声でいやよいやよと叫びだし、人々の注意を引くので、江礼も遂にもてあまし、じゃ、そこにじっとして待っているんですよ、となかば脅し気味にいいおいて、彼一人相談所にはいっていったのだった。ちょうど診察受付時間のこととて、装備は見事だが、サードクラスの女子供が、めいめい勝手なことをしゃべりながら、ひしめき合っているので、市場のような騒ぎで何もかも挨っぽかった。待合室の片隅の長埼子に、両足を投出して乳房をはだけた女は、泣叫ぶ乳呑児をもてあまし、分からない児ね、まるでのんだくれの親爺みたいじゃねえかよう、と、振り動かし、側に広げたニュームの弁当箱を引寄せて、米粒を数えるようなたべ方をしている。子供達は、鬼ごっこに打興じたり、卑俗な歌を歌って通りがかりの事務員に、そんな馬鹿な歌よしてよと叱られ、なら露営の歌ならいいだろ、と、年嵩(としかさ)な男の発意で、やけに高声で合唱をはじめたりしていた。江礼は、この雑然とした中に、施療病院の雰囲気を胸に鋭く受止め、今自分がこうして階段を下りて地下室に行く姿を、この中にいるかもしれない教え子の身内の者が見たら、何と判定するだろうなどと考えていると、索然とした気持にかりたてられるのであった。児童教育相談所の標札は、地下室の一番奥まった、薄暗いすみにかけられてあった。ドアをノックすると、(かん)走った声で応諾したので、そっと開けた。既に先客があって、並べられた椅子には、頭蓋骨のひどく扁平な、小学三、四年位の男の児と、その母親らしい、よれよれの浴衣の四十がらみの女がかけていた。はァとか、いいえとか答えている言葉ははっきりしているが、自分の意思表示をする言葉は、ずっと低声で聞きとれなかった。江礼は、手に持っていた名刺を出し渋り、先客の終るのを待つつもりで、それから先にはいるのを遠慮して立っていた。女に応対している係員は、洋装の割にはさえない顔つきであったが、もう一人の向う向きになって、カードの整理をしていた女事務員は、鴬色の上っぱりが、その容姿とすこぶるうつりがよく、顔こそ正面からは見えなかったが、江礼にはずっと好感が持てた。何でもかくさずいって頂かねば、私共といたしましても困るんでございますからね、と、ちょっと江礼を振向いた係員は、まん丸い眼鏡のつるをちょっとさわってぺンのインキをしぼった。は、はい、今申上げたことに偽りはないんでございますけど、と、両手をつつましくそろえた女の言葉がやっと江礼にも聞きとれた。でも御妊娠中にあなたの精神上の激動がありはしなかったかどうか、そんなことも伺いませんと、つまりこのお子さんの性質が先天性のものか、後天性のものかの判断が、性質の矯正上重要な問題となるんでございますからね、と、追及されると、は、はいといって深く頭を垂れ、申し訳ございませんです、この児は……とちょっといいよどみ、ねえ新市お前ちょっとあそこに行ってとドアの方を指さした。江礼は反射的に身をかわし、新市の通れそうな隙をこしらえてやった。新市は、やだよ、母ちゃんと一しょでなくっちゃ、やだ、と、駄々をこね、与えられた椅子に反対に打ちまたがり、離れようとしなかった。ここにいらっしゃってもいいじゃありませんか、と、係員はこの女の奇怪な言動を解しかねる風に見えたが、やがて小さな声で、いらっしゃっちゃいけない訳でもあるんですの、と、カードに書込んだものに、今一度目を通しながらつぶやいた。ええ分かっちゃ困るんですの、と、女は江礼にも聞きとれぬような声を出した。そうオと、係員もやっとおぼろげながら諒解がいった風にうなずき、では、といって立上り、向う向きの事務員の所にいって何事かを小さい声でささやいた。あそう、と、事務員は気軽にうなずいて立上り、子供に近寄って、ね、いい児だから小母ちゃんとおしっこに行きましょうね、といって、新市の頭を撫でた。おしっこォ、と、新市は驚いたようすで、椅子に立上り、じゃ行く、といって飛び下りた。江礼は、この機転のよさに感心して、なおも黙って立っていた。新市が事務員と共にドアの外に出ると、女はうながされて、すみません、嘘っぱちを申して申し訳ございません、実はあの児は貰い児なんですの、探い因縁話を申上げてもつまらないんですけど、私の腹を痛めた児じゃないんですの……。あ、そうですか、と、はじめて係員は、ことの仔細がのみこめた風にからだをあらため、あそうですか、と、重ねてカードを見直した。そんな訳ですけど、あの児にだけは私を本当の母親だと思いこましておきたいものですから、ついあの児のいる前では、 心ならずも……。江礼は、この短い女の言葉につよく打たれた。短いながらも何と真実のこもった言葉であろう。彼女の真剣に思いつめた愛情と比較して、自分の星子に対する児童愛が何と打算的であることか、自分のみすぼらしさを鏡面にむきつけにうつし出された気はずかしさに、江礼はうつむいて汚れた靴先を見つめた。分かりましたわ、と、 係員も同じい衝動を受けたもののつつましやかさで答え、では御妊娠中のことも分からない訳ですわね、と、親しみをこめてつけ加えた。何しろあの児の親と申しますのが、父はこの六区のテキヤなんでございますの、もう五十にもなろうという年ですけど今もあの区役所通に網を張っておりますですが、その男がまだ年端(としは)もいかぬ、私の妹に(はら)ましたのが、あの児でございますの、それはいってみれば妹の責任も半分あるわけですけれど、何しろ当時の四十男が、金車亭横の射的屋におりました、まだ十七になったばかりの小娘を甘言で釣りましてね、釣られる方も悪いに違いありませんけど、あの児を生みますと、それっきり棄てられた腹いせに、瓢箪池に身を投げたんでございますよ、もっとも直ぐ男に救い上げられましたものの、もうその時は、アダリンをのんでおりましたの、その妹が死ぬ二日前しみじみ私に頼んでいったのがあの児なんですの、男はにくいけど、あの児だけは一人前にしてくれってね、私もつい妹の心が不愍(ふびん)で引受けましてね、それから再三養育費などかけあいましたけど、相手にされず……。そこで新市が先に立ち、もうすっかり物慣れた風で、女事務員を顧みながらはいってきた。江礼は片隅に身をよけ、二人を中にいれた。話は勿論中断されたが、係員はしきりに何ごとかをカードに記入していった。やがて係員は、では、と軽くいって立上り、カードを整理して、もうじき先生も見える筈ですから、しばらく待合室に休んでいて下さい、といって女をうながした。江礼は自分の横をすりぬけていく男の児とその義母を見送ると、お待たせいたしました、という係員の言葉にはっとして、手にした名刺をテーブルにおき、実はお恥しい話ですが、受持の児童のことで御相談にあがったんですがと口をきった。はァといって女は名刺と江礼を見くらべ、で、お連れになったんでございますか、と訊ねた。え、今玄関口まで連れて来たんですが、なかなか強情ではいろうとしないものですから、と言葉をにごした。江礼は急に自己嫌悪におそわれた。少くとも教師の肩書を持った男が、たかが一人の女の児をもてあましているという事実は、どうひいき目にみてもほめられた図ではないという反省に、それまで用意して来た言葉さえ、しどろもどろになってしまうのであった。それでそのお子さんの御様子はお分かりでございましょうね、といいながら、係員がカードを取出すと、江礼はますますうろたえた。これにお分かりになる程度で御記入願いたいものですが。江礼はカード面を仔細(しさい)に点検していったが、どれといって完全に記入されそうな欄はなかった。母親か、少くとも父親ででもなければ、分かりかねるものばかりだ。ただ一途(いちず)に星子の行動に現れた表面だけを、末梢(まっしょう)的に問題にしすぎてきた自分の教師としての浅見が省みられるのだった。係員は、江礼の様子からさとくもそれを見とったのであろう、やっぱりお子さんの両親におたずねになってからの方がよかないでしょうか、と、いった。はァ、と、江礼はすくわれたように答え、やっぱりそういたしましょう、いずれ伺わせて頂きます、といって、辞去したのだった。

 玄関口に出たが、星子の姿は見えなかった。しまった、と思ったが追いつかない。あるいは待合室の子供達の中にでも、と思って引返し、それとなく物色したが、無益だった。江礼は、はじめ星子の母親の諒解まで得た上に預って来たものを、こんなところで見失ってはと、にわかに責任感を覚え、(いしだたみ)にちかちか反射する光線もかまわず、何よりさいしょに家の方をたしかめようと、田島町の方にいそいだ。街は午後の日ざしで困憊(こんぱい)しきっているように思われた。風の落ちた車道をバス自動車がひっきりなしに駈け去り駈け来り、街を撹乱(こうらん)していく。これでは街の児達が健康に育つわけはないと考えないではいられない。せめて、今の江礼は無意識ながら、児達の不良化を環境の責任に転嫁して、身がるになりたいのであった。交叉点まで来て、近代建築の粋を集めた、国際劇場の方に折れた所で、江礼は何の連絡もなく咄嗟(とっさ)に星子がまだ公園内をうろつきまわっているに違いないと直感した。するとここまで引返してきた自分の迂闊(うかつ)さを、星子に笑われているような気がしてならないのだった。江礼は道を変えて公園にはいっていった。さいしょに瓢箪(ひょうたん)池のまわりの、藤蔓(ふじつる)の下を見てまわったが、江礼の顔を見て、栗鼠(りす)のようにちょろちょろとにげていった児童の中にも、星子は見あたらなかった。元花屋敷のあたりから、仏教会館の前を通り、観音堂、仲見世を廻り、念のため今一度病院まで引返したが、やはり徒労に終った。半ばあきらめ、もう一廻り根気よくさがして発見出来なかったら、その時になって星子の家に行っても遅くはないと、自分の直感にたよって、浅草寺アパートにそって来たところで、星子を見つけたのであった。

「何にもしないんです」

「はじめからこんな所に来なければいい」

「だって先生がいつまでも来ないんですもの。あたし先生はもう帰ったのかと思ったんです」

それもそうかな、と、江礼は星子の言葉をまともに考えないではいられないのだ。

「でもあんたがはじめに先生と一しょにはいってくれたらよかったんだけど、まだほかにも待ってた人があったので、先生はその人が終るのを待ってたんだよ、あんたもう一ぺん先生とあそこに行ってみないか」

「いやよ、あたしいやよ」

 星子は、洋服の着付をしゃんと直してくれた江礼の手を、はげしく振りほどいて駈けだそうとした。江礼は不意をくらって手を離し、

「いいよ、いいよ、あんたがいやならもう行かない。じゃ、これから先生と一緒に公園を散歩して帰りましょうね」

 星子はそこでくるりと態度をかえた。右手で江礼の左手にからみつき、江礼の行くままに従順についていくのであった。観音裏から池端への植込にはいろうとした時、彼等の前を、どした、どした、と、口々に叫びながら、四、五人の男達が駈けぬけた。すると、眼鏡の露店をはっていた老人も、閑散な真昼の退屈な背を伸ばしながら、そろそろ座席から立って下駄を履いてそのあとについていく。江礼は、あまり執拗に彼の腕にしがみつく星子を、いささかもてあまし気味で、その騒ぎをしおにふりほごそうとしたが、星子はどうしたのか、いつもならば何でもないことにさえ、いち早く駈け出すくせを、強情に自制して、江礼から離れようとしなかった。

「何だろうな」と、江礼は星子を顧み、人々のあとをつけようとした。

「ひでえ野郎もあるもんでさァ」と、汚れた日本手拭を両肩に垂らした、日庸(ひやとい)人夫らしい男が、ひとりごといいながら引返してきたが、江礼の前に落ちているバットの吸殻を拾い上げたところをとらえて、

「どうしたんです」と訊ねた。

「ひでえ野郎でさァ。観音様の鳩を(もち)で捕えようとしたんだってさァ。罰があたりまさあ」

「へえ、どこです」と、江礼は背伸びをしたが人々のかげで見られず、行くまいとする星子を引きそびくようにして歩きだした。星子はそうされながら、

「先生、帰りましょうよ」といってきかない。

「ちょっと待て、誰だかちょっと見とかねば」

 江礼はぐんぐん歩きだした。星子は手を離して江礼をやり過し、銀杏の幹にかくれた。観音堂の西側半衿屋(はんえりや)の前に引きすえられているのは、六年生の井垣伍平だった。受持児童ではないが、その思いきった悪戯(いたずら)の話題で、江礼には既に馴染の顔だった。伍平は黐竿を手にして、うつむき加減に神妙に控えていたが、堂守らしい国防色服の男は、毛がぬけて飛翔しきれない鳩を手のひらにのせて、声荒げて伍平をなじっていた。

「家はどこだ」

「馬道だよ」と、伍平はすらすらと答えた。

「学校はどこだ」

「先生にいいつけるからいわねえやい」

 江礼はそのことでまだごたごたしているのだなとさとった。やけに捨て身な伍平に驚き、江礼は人かげの後から、じっとなりゆきをみつめていた。

「どうしてもいわねえのか」と、堂守らしい男は、俄に獰猛(どうもう)な表情にかえって、打ってかかりそうな()はいをみせた。伍平は素早くそれと覚ったのであろう。

「千束学校だい」

「嘘だろう――」と、それまで自白を強要していた男は、案外あっさりくずれた伍平の言葉に信がおけないらしかった。

「千束学校だい。嘘だと思や、聞いてくればいいじゃないか」

「それなら名前は何というんだ」

「名前? 名前はウガキゴロウだい」

「宇垣? 大臣の名前なんか失敬する奴があるか」

 伍平の思いつきの偽称に反撥した男の言葉に群って来た人々が笑いだした。「……だが、まあいいやその黐竿だけ預っとく」

「いやだよ、黐が三銭もついてらァ」

「三銭でもいくらでも、鳩を捕えた罰だ。よこせ!」

 男が伍平の手から無理に竿をもぎとろうとすると、伍平は、いつも受持教師に抵抗するようなあばれ方をしたが、どうしてもかなわないとみると、

「泥棒! 泥捧!」と叫んだ。物見高い公園人種はその声に応じて俄に蝟集(いしゅう)してきた。堂守は、伍平のこの意表に出た作戦にすっかりめんくらい、おじけづいた。事情を知らぬ群集は、単純に子供に同情を寄せ、

「どした、どした」と、押しかけ、堂守に抗議しかねない勢である。

「太え野郎だ――」と堂守は、もはやこの雰囲気には説明の効果のないこととあきらめ、なおも暴れている伍平の蟀谷(こめかみ)に、強い一撃を与えて御堂の南側に引上げていった。伍平は不逞な表情でそのあとを見送り、悠々と黐竿の先にくっついた鳩の羽をむしりとった。そして、「どうしたんだえ――」と、近寄ってきた鬚面の男に返事もせず瓢箪池の方に駈けだした。

 江礼が、四散していく群集と共に元に引返してきた時、星子は銀杏(いちょう)の木蔭のべンチで、見知らぬ若い男と、何ごとかきゃっきゃっいいながら笑い興じていた。

「星子さん、行くぞ」と、江礼はむしろ父親らしい威厳をみせて誘いかけた。星子は、はっとしてかすかにうろたえ、無理にもとりつくろった顔して江礼に駈け寄り、やがて又彼の手に馴れ馴れしくぶら下がるのであった。

 

    

 

 江礼(えらい)の手記……その二

 普通の児なら、一日位の欠席を、そう根掘り葉掘り問い(ただ)すことはないのだ。もっとも星子にしても、別に手ぐすね引いて、何か問責の口実もがなと、待ちかまえている訳でもないのだが、星子の座席が、私の教卓からもっとも近い所に位しているので、よく気づくせいもある。昨日、その星子が欠席したのである。

 今朝、運動場に出ると、いつもなら真先に飛び付いてくる星子が、今日に限って鶏小屋の網につかまり、私の姿を見て見ぬ振りしているのである。つとめて星子に疑惑の目をむけまいとはしていても、昨日の今日のこととて、やはり私の胸には、星子に対して、何かおさまらないものがあるのだった。素知らぬ顔をして、まつわりついてくる女の児達に囲繞(いにょう)せられて、いつものように(けん)をやったり、ハンカチ取りなどに興じながらも、それとなく星子の挙動を見逃すまいとつとめた。私はその時、一計を案じ、恭子という素直な児に、星子さんを呼んでらっしゃいよ、と、命じた。恭子は、星子さん? とちょっと腑におちかねるといった反問をしたが、そうだよ、星子さんだよ、と、重ねていうと、(そば)の楯子が、先生ってば、星子さんのこと随分可愛がるのね、という。いいじゃないか。だって、星子さんてば、とても不良なのよ、学校の帰りなんか、男の児とばかし遊んでくのよ。いいよ、それは先生がいって聞かせる、と、改まっていうと、楯子は、あたしの姉さん、星子さんのことを、名前に似合わぬ不良だっていってたわ。そんなことをいうと怒るよ先生は、さあ恭子さん早く呼んでいらっしゃい。恭子は、はァい、と、言葉を引きのばして駈けだした。私は、ハンカチ取りをやめ、児達に肩をたたかせながら、二人の動作を見ていたが、星子はいやだいやだといっているのであろう。かぶりを振って金網にしがみついている。どうするのかと思っていると、ちょうどその時朝礼の鈴がなったのである。私は星子のことはあきらめ、整列した児達の前に立った。のしかかるようなデパート松屋の高層建築が、珍しく拭ったような青空に屹立(きつりつ)している。秋だというのに、まだ朝からじわつく暑さで、遊びほうけた児達は、額の汗を拭きあえず、ひしめき合っている。プールの蓋がまだ閉めきれない運動場の狭さのせいもあろう。私はいつもの例にならって、列間にはいり、児達の顔を一々点検していった。児達は、私の目にあうと、にっとひそかに笑い、ながし目をつかってにらみつけるふざけた者もある。女の児達の目つきの変化にははっきり成長していく生命の象徴が(うかが)われる。三年から四年五年と私は今三年目にはいったこの児達に対する愛着でふくらんでいるのだ。児達はまことに純真さを持ちつづけて順調に成長してきた。環境の影響をかくまでにも度外視した児達に、私は時々驚異の目をみはる。しかしその驚異をてきめんにくつがえす星子の存在を、私は暗い心で嘆かずにはいられないのである。列のさいごまで行きつくと、私は再び背進していった。一通り健康そうな児達を見終ると、私は朝の満足を満喫するのだ。しかるにただ星子だけが、生真面目な顔をして正面を向き、私の視線を避けて、すがすがしい私の胸に一抹のしみをぬりつけるのであった。

 教室にはいっても、星子にはいつもの落着きがなかった。私は算術の問題を提出してから星子を呼び、あんた昨日どうして休んだの? と、机の向う側にうつむき加減に立っている星子の顔を下からのぞきこんだ。星子はそれでも黙って答えない。どうして休んだの? とつづけて同じ問いをくりかえすと、おばあさんが危篤だって電報がきたんです、という。私は驚いて、そうか、そうならそれでいいけど、と、ちょっと言葉をにごし、顎枕の姿勢を正して、それでどうした、と、かさねた。おばあさんは上野の池端(いけのはた)七軒町なんです、だからあたしおかあさんと朝から行ったんです。姉さんも一しょに行ったの? 私は去年まで六年に在学していた姉の波津子のことを思い出して訊ねた。いいえ姉さんは一人で七軒町に行けるんです、だからあたしだけ休んだんです。少しの疑念の余地もないのである。そうオ、それでおばあさんはどうだったの? おばあさん亡くなったんです。私はそれで元気がなかったのか、と気づき、そうともしらず、疑惑のつぶてを次から次へと投げかけていった軽率を悔いて、そうオ、亡くなったのか、と、(くや)みの情を込めて星子を見直した。星子はうつむいてちょっとうなずき、スカートのポケットからガーゼのハンカチを取出し、つまぐりはじめたが、長く病気してたの、と、物軟らかに訊ねたのをきっかけとして、急に泣出した。いつもなら、泣くな泣くな、といって聞かせるのだが、肉親に死別れた悲しさで泣く児に泣くなともいえず、教室の窓から外を眺めながらだまっていた。星子は、鼻孔をぐずぐずいわせてすすり泣いている。随分前から病気だったの? んん、と首をふり、急に悪くなったの、という。じゃ、あんた達が行った時はもう亡くなってたの? んん、あたし達が行った時はまだ生きてたけど、あたし達を見ると安心して死んじゃったの。そうか、と、私はうなずいたものの、ここで又しても新しい疑惑にとりつかれた。昨日、おばあさんが死んだのに、どうして今日は出席出来るのかとの疑念が、払っても払いきれないのだ。私は念のため、それでお葬式はいつなの? と問うた。星子はハンカチを鼻孔から離し、明日なんです、という。明日がお葬式なら、今日は忌引(きびき)しなくちゃいけないだろ。でもお母さんは、かえって邪魔だから学校に行った方がいいっていったの。なるほど聞いてみればもっともな話ででもある。かりそめの疑念をさしはさんだことを、悔いながら、じゃ明日は休むんでしょう、というと、ええ、とうなずき又も泣きだすのであった。

 子供を信用してかかれ、というのは教師の玉条でなければならぬ。純真な児達になまなかの疑惑をかけることは、童心を潰すものであり、いびつな成長の(かて)になるだけだ、とは、私の長い教師生活の根底をなしていた。それが今、星子によって、見るかげもなくくつがえされそうになっているのだ。もちろん、そのままにして、星子を追及していかなければ、問題は残らないですむであろう、しかし私は、かりにも自分の行動が誤っていたことを、あとになって発見することがあっても、なお残された疑惑の雲のよって(きた)るところを、突止めないではいられないのであった。

 午後授業が終ると、後始末は同僚に依頼して、星子の後を尾行(つけ)て行くことにした。星子がどんなコースをとって帰るかをたしかめたかったし、何か疑惑の雲を払ってくれる手がかりにぶっつかりそうな予感がしてならなかったのだ。私は帽子もかぶらず、持物もなく、ぶらりと裏門に出た。星子ははじめ、門の敷石の前で、クラスの節子行子などと一しょに帰りましょう、と提議していたが、二人ともていよくはねつけ、反対側に駈け去った。ちぇっ、つまんないの、と、星子は二人の去ったあと、ひとりごとをいいながら、ランドセルを背負わず、片手にぶらぶらさせて、二天門の方に駈け出した。私は万久味噌屋の前まで急いで行き、電柱のかげにかくれて、星子の行方を追うと、星子は横断路をよぎると何も考えない様子で、公園の中にはいっていった。私は見失っては大変だと、朱塗りのはげた二天門まで大股で、追っかけた。門を越えた星子は、(いしだたみ)の石を一つずつ数えているらしく、下うつむいて拍子をとって歩いていく。浅草神社の鳥居までいくと、くるっと右を向いて礼拝してから、観音堂の方に進んだ。私はそれから先は人込みも多いこととて、見失う危険を感じて人影を利用して急いだ。星子はずっとそこを突切らないで、さっきと同じく観音堂に礼拝して、仲見世の方に曲った。おやっと思い、露店と露店との間の近道を縫い、仁王門まで行くと、星子は大提灯の下に立止まった。そしてあたりをきょろきょろ見廻す様子である。私は大柱のかげから、続々つめかけてくる参詣人を楯に星子の挙動を見守った。と、星子は急に駈け出し、左手植込の奥にある二つ並んだ仏の銅像の側をぬけ、占師の小屋の横までいった。そこには、十四、五にでもなるであろう。断髪の衿元に濃い白粉の、汚れた緑色のワンピースの女が立っていた。星子は、ランドセルを打振りながら近づき、いきなりその女の手をとってじゃれはじめた。女は何かいっている風だった。星子はじゃれながら、ランドセルを植込の中に放り出し、女から何か受取った風である。星子は、女のいうことを、微笑をもってうんうんとうなずき、くるりと振返ると、そのまま岡田料理店側の柵をのりこえて、仲見世の方に出ていった。私は見られてはと、二、三歩露店の横にかくれ、星子の見返るようすもないことを見届けると、その後をつけていった。星子は両側の店々を物色しながらずんずん向うへいくのである。そして区役所通までいって立止まった。勢い、私もさる玩具店の旗のかげにかくれた。星子はちょっとためらった後、区役所通には曲がらず、真直ぐに雷門の方に急いでいく。ちょうど、首から両肩に日本手拭を巻きつけた一団の観光客にぶっつかり、星子は見えなくなった。私は群集の肩にいくたびも突返されながら人波を分けて進んだが、雷門の交番の前まで出ても、星子の姿は見つけられなかった。仕方がないので、電車通から郵便局裏を路地から路地へと見廻り、或いはという咄嗟の思付きで、松屋の方へ出てみた。千住(せんじゅ)通を横切る小路に出た時、思いがけず同僚の小柴君に会った。どうした? と、小柴は私の異様な扮装をとがめた。いや、例の問題の児を尾行していてまかれてね、と、苦笑にまぎらし、行過ぎようとすると彼はあああの坂井か、と、万事のみこみ顔で、あの坂井なら、松屋にはいって行ったよ、という。そう、どうも、と、私はせかれるままに簡単にあしらい、じゃ失敬と大通りを横断しようとすると、自動車のとだえるのを待合わせている人々の中に、緑色の洋服の女が立っているのだ。てっきり星子と連絡があるに違いないと見当をつけ、急ぎ足で駈けぬけようとする女の後をつけていった。女は一階のエレベーターの前で立止まった。すぐ横のが昇ったばかりだったとみえ、外には誰もいなかった。エレべーターは待つ間もなく地階から昇ってきた。私はまるで女に導かれるようにしてはいっていった。すうっと血が下行するような感覚を残して上昇しはじめると、エレベーターガールは、御用の階数をお知らせ下さい、と、たった二人の客にも丁寧にいうのだ。私はやむなく思いつくまま五階と答えた。五階についても、それまで箱の隅にじっとしていた断髪の女は下りる気はいも見せないので、私はいや六階の食堂まで行こうと、あわて気味に訂正した。さようでございますか、と、エレベーターガールは、少しもいやな顔もせず、開かれた扉を閉じようとした。すると、(くだん)の少女は、危く扉にはさまれそうになるのもかまわず、つかつかと出て行ってしまった。あっという間もなかった。私は、六階に着くと、大股で五階への階段を下りたが、もはやそこには女の姿は見えなかった。思い直して、翻弄されたような不快を押え、七階のスポーツランドに行った。そうだ、そこで星子は遊びほうけているに違いない。突然私の胸に確信的なひらめきがあった。階段を昇りつめ、右側を見廻したが、星子は見当らず、葛飾あたりから遠征してきたらしい、うす汚れた男の児たちが、しきりにキャラメルの自動販売機をたたいていた。お金入れなきゃ、出ねえよ、と、背のすぐれた無帽の児が、物知り顔にいうと、出るわよ、もっと強くたたいてごらんなさい、と、いいながら近寄って来る者があった。星子だ。咄嗟に私は柱のかげに身をかくした。星子はいちはやく私の姿をみつけたのでもあろう。私が再び浮足立ってのぞいた時は、既にその姿は見えなかった。しかし私はそのまま引上げるわけにはいかなかった。スポーツランドを二周りして急いで屋上に昇った。辷台(すべりだい)にでもいそうな気がしてならなかったのだ。星子は、件の女ときゃっきゃっと、はしゃぎながら、ぶらんこで戯れていた。私はいよいよ星子の奇怪な行動にあきれ、ともかく一度捕えて、存分にその不心得をさとさねばおさまらないのだった。いきなり坂井さん、と、呼びながらぶらんこに近づくと星子もさすがにびっくりした表情をかくし得ず、くるりとふりむくと北側の下り階段の方に逃げていった。しかし一方緑服の女は、悠々と横着(おうちゃく)に構え、星子の手離したぶらんこに乗って、大きくゆさぶりはじめた。その空々しさに刺戟された私は、この女を捕えて、星子との奇怪な行動を詰問しようと考えた。あんたちょっと、と、私はぶらんこに近づいていった。あたし? と、女はからだとは全く不似合な低音(バス)で答え、振動を押えて下りてきた。あんたあの坂井星子を知ってるの? 坂井星子ってあたし知らないわ、あんた人違いじゃないこと? 落着き払ってませた口の利き方をした女は、裾のひだを伸ばしながら、胡散(うさん)くさそうに私を胸元から次第に上へと見上げるのだ。首筋の白粉とは、およそ不調和な地肌の汚れた女は、更に、あたしそんな児知らないわよと、重ねて否定した。でもあんた仁王門のとこで小さい女の児にお金をやったでしょ。やったわ、だってあの児は坂井星子って名前じゃないわよ、吉川恭子っていうの、あ、そう、と答えた私の驚きは大きかった。そういえば、いつか学校あてに差出人不明の吉川恭子あての手紙がきたことがある――昨日はどうして来なかったですか、私は池端のべンチで電燈がつくまで待っていたのに、それに昨日はあんたが資金持って来る日じゃなかった? 今日来ないとひどいわよ――といったようなものだ。恭子は少しも心当りがないというので、そのまま握りつぶしにしたのであった。私はそんなことを思出しながら、それで今日はどうしてあんたは、その恭子にお金などやったの? と訊ねた。あら、それはあたしの勝手じゃないの、お金を盗むんだったら叱られても仕方ないけど、人に恵んでやって叱られるなんて手ないわよ。叱るんじゃないよ、ただ訊ねただけでしょ。同じことじゃないの、いけすかない。少女はつんとして取りすまし、さっさと星子の行った方に立去るのであった。私は、ちょっとちょっと、と、呼止めたが、少女は、よしてよ、見も知らぬ女を呼止めるなんて、不良の仕業よ、この真昼間に――私は勢い躊躇しないわけにはいかなかった。スケートの囲いから、小鳥園のあたりの人達が、一せいに私を注視しはじめるのだ。少女はさっさと急いで行く。私は、衆人環視の中にさらされる自分のからだのむずがゆさを押えて、少女の後を追った。少女はエレベーターに依らず、階段をとんとんと二段ずつも飛び下りていく。私もつい戦をいどまれた者のように、速度をはやめた。六階に着いて、やがて五階にさしかかろうとした時、少女がエレべーターにはいりかけているのをちらっと認めた私は、あわててその方に引返し、今一歩で下降していくエレべーターに追付こうとして取残されてしまった。私は待って待って、と、ドアをたたいたが、エレベーターはそのまま下降してしまったのである。

 大勝館の横から田島町にはいり、横町に折れるところで、ばったり星子の母に行き会った。私は、まだそれと気づかぬ様子の母親を、星子さんのお母さんですね、と、言葉をかけた。あたりには、何か異様な臭気がよどんでいたが、それがどこから湧いてくるのか見分けられなかった。ひっつめ髪にした星子の母は、まあまあ先生、と、首をいくどもふりながら、むさ苦しいところですけど、ちょっとお立寄り下さい、と唇の色はあせ、青白い頬から耳の方へかけての垂髪をすくい上げて、引返そうとしたが、私は、いや、と、小さく答え、街路の片側に身をよせ、この度は御不幸がございましたそうで、と、内心強く止せ止せという理性を押えて挨拶した。母はきょとんと顔をあげ、不可解な面持で、あら何でございましょうか、という。私は予期していたこととて、まともに、母親の顔を見詰め、星子さんのおばあさんが亡くなられたそうで、と、いうと、あらァ、と、母親は頓狂に答え、誰がそんなこと申したんでございましょう、と、不服そうに顔をゆがめた。だから星子さんは、昨日欠席なさったって? あらまあ、本当にどうしたというんでございましょう、星子としたことが、先生全く申し訳がないんでございますわ、私の母は、病気は病気なんですけど、そんな死ぬようなものではございませんの、それに星子は昨日だってちゃんと時間に出て時間に帰ってまいったんですの、それから何でございますか、国防献金とか申しまして、二ケ月分五十銭といって、変だとは思いましたけど、持たしてやったんでございますわ。あ、そうですか、でも学校では子供から強制的に国防献金など取立てるようなことはいたしません、と、私は少からぬ義憤に似たものを感じ、ちょっと街路のあたりを物色したが、星子の帰ってくる気はいは見えなかった。私は今日の始終を述べる間にも、星子の母親の感情の動きを見逃すまいとつとめた。母親は、はじめ私を疑い惑った素振りだったが、公園でのことに及ぶとようやく私の言葉に偽りのないことをたしかめたらしく、本当に申し訳もございません、と、頭を下げ、あらためて先生あのう、と、切出した。いつか御注意頂きましてから、随分手前共でも気を配っておりましたけど……。表面は内職に張ります化粧ケースを上野まで、一人で届けてくれたりしまして、誠に従順に見えますけど、時々発作的に父親などにくってかかりましてね、気が強すぎるんでございますね、こないだも女のお友達を男の児がいじめたとか申しまして、年上のその男の児を補え、空家の柱にしばりつけたりなどしましてねオホホ……私は母親の、ほめているのか、けなしているのか分からない言葉を聞いていると、これではいかに自分一人で、星子のことに気をもんでもはじまらないような気がしてならなかった。児達の生活は学校だけのものではない。それにもかかわらず、学校の教師だけが、児達の性行に全責任を負わなければならないであろうか。これは教師の無力の弁護とのみいいきって片づけられるものであろうか。

 私は、教育というものと、児達の生活環境というものに、新たな疑問を抱いて星子の母親と別れたのである。

 

    

 

「君たち、いくらずつもってる」

 井垣伍平は、エスカレーターを上りつめたところで、後からくる坂井星子と里村秋子によびかけた。

「あたし?」と、星子はぞんざいに下駄ばきの足でコンクリの床をたたいて「九十銭よ」と答えた。

「秋ちゃんは?」と、よばれて、後から上ってきたエスカレーターの客に押され、ちょっとよろめいた秋子は、緑色のワンピースの胸のポケットに片手を突込んで、

「あたし? あたしね、監視がひどくて馬の眼一つきり、すまないわね」と、年齢にふさわしからぬ低音で答えた。

「だらしがねえの、でも仕方がねえや、それ俺によこしな」

「あらずるい」と、秋子はかぶりを振ったが、

「だって約束だろ、俺一円だから、俺が会計すんの当りめえだろ」

 いわれて秋子は仕方なし、しぶしぶ五拾銭銀貨を取出して伍平の胸元に投げた。伍平は器用に受取り自分の手のひらのものと合わせた。つづいて星子も、ほれ、といって貨幣を一個ずつ丁寧に数えながら手渡しした。

「じゃみんなで二円四十銭だぜ、あずかっとくよ」と、井垣は仲間の仁義の手前、合計金を二人の前に披露して、汚れた赤蟇口(がまぐち)にねじこみ、「じゃ俺切符を買って()らなァ」と、階段を下りていった。秋子は、

「あんた、二円四十銭あれば、随分使えるでしょ、色んなもの売店で買っていきましょうよ」と、星子をうながした。

「そうね、堀切に行っても買うものないわねえ」

 二人は、井垣が引返してくるまでに売店を見ておこうと、待合室の南寄りに歩いていった。そこには児達の嗜慾(しよく)をそそる玩具類食料品等が所せまいまでにならべられていた。

「あたしあのゴムまりがほしいの」と、星子は、ゴム玩具の中の花模様入の大型の(まり)を指さした。

「いいわね、堀切の土手でつきましょね」と、秋子も女らしい感情をみせて同感した。

「それからあたしこの泳ぐ青蛙もほしいわ」

 ゴム製品の玩具である。星子が手にとって蛙のからだに連結されたゴム管をいじっていると、水色の上っぱりの女店員がきて、

「これね、ここを水につけ、こうして泳がせるのよ」といいながら、簡単な操作法を説明して、購買心をそそった。

「たった二十銭よ」

「買いましょね」と、星子は秋子の顔をのぞき、愉快そうに玩具の台につかまって、軽くはねたりした。

「あんた井垣さんを早く呼んでらっしゃいよ」と、秋子は姉らしい風格をみせて星子にいいつけた。

「じゃ、いってくるわね」

 星子が行ってしまうと、秋子はもう一度ゴム毬を取上げて、その定価をあらためた。

 星子はすぐ井垣をつれて来た。

「そんな所にいたのけ、逃げたんじゃないかと思ったよ」と、伍平は三枚の切符を耳殻にはさんで、秋子に近づいた。

「逃げるもんですか、あんたこそお金だけもって逃げたんじゃないかと思ったわよ」と、秋子はやりかえし、「ゴム毬四十銭に、泳ぐ青蛙二十銭買うんだから払ってよ」「どれけ」と、伍平は一応現品をあらため、言葉のぞんざいに苦笑している店員の目の前で、蟇口の口金の音をぱちんぱちんと楽しむようにいわせて六十銭つまみ出した。星子と秋子が、それぞれ一品ずつ手に持つと、伍平は、

「俺だって買いてえものがあらァ」と、店内にはいり込んだ。「向うに行って食うもの買おう」

 伍平は、星子と秋子を引きつれて、店内を一巡してから、又元の所にかへってきた。

「おつとめ品がいいや、ビスケットに、フライビンズを買おうっと」

 伍平が独断的に金を払おうとするのを秋子が押えた。

「あたし達にも何か買ってよ、毬だって、泳ぐ青蛙だって三人のものですもの、あたし一口もなかがほしいわ」

 伍平は、それを押える理由は見出せなかった。請求された代金を支払うと、それぞれ包をもって引上げた。

「さあ電車に乗ろう」

 先導の伍平が、耳殻にはさんだ切符を束にして改札をはいっていった。

「小父さん、堀切は一番ホームだね」

 知ってはいるが、星子と秋子に軽く威張ってみたいささやかな見栄がない訳ではなかった。車室は存外()いていた。三人は楽に座席を占めた。買込んだものは、それぞれ座席の片隅によせた。電車が動きだすと、立っていた三人は、両手を僅かに上げて、倒れそうになるのをふみこらえ、きゃっきゃっとはしゃいだ。伍平は、

「秋ちゃんはこっち、星ちゃんはこっち」と、自分の両側を指定して、緑のクッションに上った。しかし一つの窓には三人の頭がはいらぬので、それぞれ一つずつを占領して、移り行く窓外の景色に、めいめい勝手な感想をならべるのであった。

 伍平の堀切行は、今年の五月、おたまじゃくしの頃から盛んになったのだ。三畳の屋根裏か、家の周りといっても、四方にめぐらされた大通りに区画された一廓より外は、厳に許可制のもとにある生活では、その単調さに我慢がならないのだ。殊に雨の日など、家に帰るとどこにも行けず、弟妹達と喧嘩でもしなければ、何もすることがないし、ただ白い雨足を眺めながら、部屋に閉じこもることの退屈さは、まことに耐えがたいものであった。そうした翌日は、解放された喜びにおどりながら、許可されている区域外に出て、思う存分遊びまわるのであったが、それも次第にあきてきた。観音堂、池端、六区街、隅田公園、松屋。それでもこういった遊び場は、さまざまな好奇を児童達の鼻の先にぶら下げていたが、それも人の香と、塵埃の中にあっては、新鮮な自然へのあこがれを満足さしてはくれなかった。伍平は時たま連れていかれた校外教授の味を忘れることが出来ない――その時伍平は、教師のとめだてを聞かず、池にはいり、弁当箱にうじゃうじゃする程のおたまじゃくしを捕えたものだ。持って帰って物干台においたが、日が経つにつれてもおたまじゃくしは少しも生長せず、果ては次々に死んでいって、理科で習った蛙は一匹も生まれなかった――そこで教師に対する不信が生まれた。しかし、肌になめらかな空気の触感は忘れられないし、生きものの溌剌(はつらつ)とした刺戟はたまらない記憶だった。伍平は、一人で堀切に行くことを覚えた。さいしょは、観音堂の前で拾った十銭を電車賃にして、多少の不安を伴ったが、一人で出かけた。その日は長い堀切橋を渡りつめた所で、たまたま剣戟ごっこをしていた土地の子供たちと遊びほうけて夕暮になってしまった。それから三日程して、親戚の小母さんに貰った十銭をもって出かけた。サイダー瓶に半分以上もおたまじゃくしをとってきた。翌日学校に持っていくと、教師は、もう理科は終ったところだといってあまり歓迎してくれなかった。伍平は、教師の不実にかっとなり、屋上から瓶もろとも道路側に棄ててしまった。伍平は荒川放水路の水の感触をも忘れることが出来ない。青くさい水藻の香を思い出すと、もうじっと塵埃の市井(しせい)に遊びまわることが耐えられないのであった。しかし堀切へは文明の利器を利用しなければならないのだ。ある日――伍平は電車の無賃乗車をくわだてた。人込みにまぎれて改札の柵によりかかっていたが、駅員のすきをうかがって、ひらりと構内に飛込み、人波の中をかき分けていった。計画は見事に成功したかに見えたが、伍平が乗った電車は日光行きの急行だったのだ。隅田公園も業平橋も無停車で行くので、多少変だとは思ったが、堀切に止まってくれればよいと、簡単にきめていたが、鐘ヶ淵を過ぎて電車が荒川べりにさしかかっても、少しもスピードをおとさないので、はじめて伍平はあわてだした。窓から首を出し、ようすをうかがったが電車は堀切駅を矢のように過ぎた。伍平はもうじっとしてはいられなくなった。そして車内をあちらに行ったりこちらに来たり、無意味にうろうろしているところを車掌に捕ったのだ。電車が北千住に停車すると、こづき廻されながら引き下され、駅長室に突き出された。そこで(おど)されたり、すかされたりして、素性と目的を自白させられ、次の電車で、たまたま署用で雷門に行く巡査に托送されたのである――

 この事件にこりた伍平は、はじめて盗みを覚えた。盗みはまことに簡単だった。朝寝すぎて遅刻して学校にいくと、既に朝礼ははじまって、どの教室もがらあきだった。二階から三階へ行き、自分の教室の一つ手前の五年女の教室を、のぞくともなくのぞくと、一番前の机の左端に十五銭乗っているのだ。伍平は、少しも罪の意識もなく教室にはいり、その中の十銭をつまみ上げた。ただ往復十銭の電車賃があればことたりるのであったのだ。

「いいなァ」と、伍平は糸切歯をのぞかせ、電車の窓から片手を出して風を切った。

「校外教授にいく時、こんなことをすると、江礼のでぶ

先生に叱られるとこね」と、星子はガーゼのハンカチを打振って、伍平に応じた。

「そうよ」と、秋子は星子の方に首をねじまげ、「あたし達の先生も、まるで叱るのが商売みたいだったの」

「だって叱る筈さ、もしか生徒の手が何かに引っかかったら先生の責任だもの」

 伍平はきいた風のことをいったが、

「何いってんのさ、こんな位で何にも手にさわるものないじゃないの」と、星子はやけに両手を突出した。

「そうよ、だからあたし何でもないことで叱られてばっかしだから、学校大きらいさ」

「それで君高等科をよしたのかい」

「まあね、それァ色々わけはあったけど、まあそんなものね、今の小学校というとこ、大抵くさるわね」

 秋子は高等科二年になったばかりの頃、クラスは違うが、同じ学年の小旗仙二から手紙をもらった。これまでに経験したことのない胸さわぎを覚えた秋子は、手紙ってこんなにうれしいものかしら、と、それを同級生たちに見せてまわった。あたしのこと地上の星だって、オホホと、秋子は笑ってみせ、あたし今日日本館に行ってみようかしら、と、つけ加えるのだった。文面をみた女の児達は、あんた幸福ね、と羨望したり、でも日本館なんかにのこのこ行くもんじゃないわ、これラブレターじゃないの、用心しなくちゃ一生を棒に振ることになるかもしれないわ、と、水をさす者もあった。秋子はしかし、せっかくもらった手紙の文面に従順でなかったら、自分の幸福は一生もう来ないじゃないかという風に、大げさに考えると、友人達の忠告も、あの人達()いてるわと、軽く受流し、思いきって日本館前に出かけていった。名前も顔も知っていたが、まだ二人だけで話をしたことのない小旗仙二は、時節外れの襟巻をして、ハンチングをかぶり、セカンドラウンドの映画の広告を見ていた。さすがに秋子は胸が高まって近寄りかねた。制服制帽の仙二を描いてきたのに、これはまたすっかり予想にはずれた仙二なので、次第に冷静にかえり、自然常盤座寄りに二、三歩引返そうとした。すると仙二は、里村さん恥をかかせて逃げんでもいいだろ、ちゃんと君の姿は鏡にうつって見えたんだよ、といって近づいてきた。秋子はもじもじしてためらい、だってえ、と、言葉を引伸ばした。だってなんだい、ここまでくれば学校だって遠いし、大丈夫さ、君の受持はあのフランスパンだろ、あんなのなめるの平ちゃらさ、心配することァないよ、といってぐんぐん秋子の肩に迫ってきた。だけどォ。秋子は本能的な羞恥に首うなだれ、なおも逡巡の色をみせると、仙二は更に、ここまでくれば君、仮にこのまま帰っても、俺がばらせばそれまでよね、一しょに日本館にはいろうよ。いやよ、あたしニュースなら見たいんだけど、日本館の洋画はきらいよ、言葉は分からないし、書いたる字にだって読めないのがあるでしょ、だからあたしニュースでなくちゃいや。ぐずるなよ、あんまり。それにあたし兄さんが出征してんの、だから、この頃よく色んな人がニュースで自分の家の人にあったっていうでしょう、あたしも兄さんにあいたくなったのよ。仙二は、そう頑固にいうなら仕方がない、と、あきらめて、秋子のいうまま、松竹のニュース劇場にはいることに妥協した。切符売場で、仙二はちょっとためらい、襟巻をはずし、洋服の内ポケットをさぐったが、あれあれ、と、まっ赤な顔してあわてながらあちこちのポケットを捜しはじめた。あらあんた日本館なら三十銭でしょ、ここならたった十銭ずつじゃないの。蟇口がない、変だ。あらやァだ、人を誘えば誘った人が勘定すること位あたりまえよ、白ばくれるものじゃないわ、ならあたし帰ろうっと……秋子はそういいながら、二、三歩瓢箪池の方に歩きだそうとした。あ、あ、あったよあったよ、と、仙二はほっとした風で呼びかけ、切符売場に十銭白銅を二枚並べた。秋子はすぐ引返し、仙二につづいて館内にはいり、暗がりにかかろうとすると案内係は、男はこちら女はこちらと、両方に引き分けてしまった。あら、あたし、と秋子はちょっと仙二に呼びかけ、仙二も俺ァと一言抗議しそうに振向いたが、無益だと見て、一応案内係の手にまかせてしまった。戦況ニュースは主に空軍と海軍の長江遡行(そこう)部隊の活躍で占められ、中には山西方面の陸軍部隊のものもあったが、秋子の目ざす兄の顔はなかなか見られなかった。仙二は画面にはさして興味なさそうに、もじもじしながら、漸く暗さに慣れた視力をたよりに、秋子の姿をさがし求めたが、相当混んだ入りなので見当らず、東日提供の部分が終ると、そっと立上り、観衆の後をぬけて、女子席までしのんできた。秋子は後から二つ目の席の端に、ずれ落ちそうなのをこらえて、半ば浮腰で見ていた。仙二はしゃがみ加減にからだを曲げて通路にはいり、小声に、おい里村さん、と、呼んだ。聞えはしたが秋子は画面の展開に引かれて黙っていると、仙二はやや大声に、里村君出ようよ、と、誘いかけた。いやよ、と、秋子は振向きもせず、はっきり拒絶の意志を伝えると、待ってるからな、これが終ったら出るんだよ。そういって仙二は引き退った。とたんに仙二はぎゅっと首筋をつかまれていた。

 所轄署から通告を受けた高等小学校では、ことの重大さに驚き、早速その善後策にとりかかった。秋子の担任の今野女教師は、ただもう男の誘惑にわけなく引っかかったというだけを固執して、秋子の退学説を持出し、仙二の担任の持丸男教師は、一時の出来心のせいだから、改過遷善(かいかせんぜん)の策があるものと主張した。今野女教師は、日頃から秋子の性格に好感が持てなかった。わけても秋子が時々眉毛を剃って引眉にしてくるのが気にくわないのだった。それで眉毛を濃くしようというんでしょう、と、嫌味をいうと、あら、先生は人のこと気になさらなくても御自分のことをお考えになったらどう? などと、逆襲したりした。が、更に彼女を怒らせたのは、フランスパンという渾名(あだな)をつけられたことだった。顔の恰好がフランスパンを連想させるという外に、独身の彼女が、よくバタだけでフランスパンを昼食代りにしていたことからきたものだ。この渾名(あだな)の考案者は、ついに突きとめられ、先生を侮辱するも甚だしいというので、一週間の罰当番を課せられたことさえあった。そうした日頃の憤懣(ふんまん)は、うまくかくしてはいたが、必要以上に秋子の罪悪を誇張して、当人のためは勿論、このままにしておくことは他の児達への見せしめにもならないといって、他の人々の意見には、耳をかそうとしなかった。持丸教師は、小旗仙二の罪跡は認めるには認めるが、ここで放逐したら、教育の本質にそむくといって彼等の処罰に反対した。結局、校長の裁断にまかせられたが、校長は双方の担任教師から厳重な訓戒を与えるということにして、当面の問題は落着させたのであった。しかしおさまらないのは今野女教師であった。

 今野女教師は、居残りを命じておいた秋子を、裁縫室に呼び、焼ごての火鉢の前に引きすえた。あんた、よくも図図しく男なんぞと映画館にいきましたね、あんたその中で何をしたの? 白粉気のない雀斑(そばかす)の皮膚をひくひくさせ、元禄袖に両手を交互に入れてにらみつけた。さすがに秋子は今野の気魄に押され、うつむいたまま、何にもしません、ただニュースを見て、戦地の兄さんを捜したんです、と、ありのままに答えた。嘘おっしゃい、私にはあんたが映画館の中で何をしたか、ちゃんと分かっております、あんたは大体その年で、男と一しょにそんな所にいくって生意気よ、先生なんか……といった今野は口を(つぐ)んだ。三十になる今まで男となんか、一度も一しょに遊んだこともありませんよ、と、いいきかせたいところをこらえ、男なんかと口を利くのさえ大きらい、といって、神妙に坐っている秋子の首筋をみた。それにあんたは時々白粉つけることもあるのね。秋子は揃えた両手の先で、膝をこすりながら、でも、あたしうちで何もすることがないと、つい姉さんの鏡台でもいじりたくなるんです。姉さんという人何してるの。千束町の芸者さんです、姉さんが白粉つけろつけろって聞かないんです、でもあたし学校にくる時大抵洗ってくるのよ。あたり前じゃありませんか、と、今野は大声にどなりつけた。こんな小娘に、自分もまだのぞいてもみない世界を見られたのかと思うと、教師という立場などはすっかり忘れ、ただもう本能的に腹だたしくなるのであった。それであんたも芸者なんかになるつもりでしょう、芸者っていうものは、男のおもちゃなんですよ。だってえ、と、秋子がその言葉の不当に返そうとすると、だってなんですか、と、今野は隙も見せなかった。だって姉さん、あたしの月謝だってだしてくれるし。お黙りなさい、あんたそんな不浄な金で学校にあがってるんですね、だから男からの誘惑の手紙なんかで、ふらふらっと出かけていくのね、里村さん、よく聞きなさい、女には貞操というものがあるんですよ、これは一度盗まれたら一生もう帰って来ないものよ、あんた本当に馬鹿ね、第一姉さんの貞操の代価で学校に出るなんて、恥さらしにも程があるものよ。今野は自分がはげしい恥辱にさらされてでもいるように昂奮してしまった。それであんたも芸者さんになって、白粉こてこてぬりつけて、いいおべべ着たいんでしょう。秋子は矢継早な恥辱の速射に耐えかね、答えのすきもなく、ただ反撥したい心だけが、胸底にうずまいているのであった。あんたは、これ程までに人間として恥しいことをして置きながら、なおまだこの学校にいるつもり? え、そうなの、恥を知りなさい、恥を、それよりいっそ、お姉さんにお世話して頂いてお酌になったらどう? これはもちろん反語のつもりで今野の口から不用意に出たものではあったが、秋子の胸には、耐えがたい刃となって突きさされた。分かったわ、先生、ええ、分かったのよ、あたしどこででもいじめられとおし、先生のおっしゃるとおりするわ、そしたらあたし幸福になれるのね。秋子は、水兵服の胸をつまみあげ、涙を押えた。

 電車は玉の井の青黒いドブの臭いを吸い、建てこんだトタン屋根の工場街を過ぎると、やがて鐘ヶ淵に出た。この辺からようやく郊外の感じが出だし、やがて電車は、快い秋風を切って、荒川放水路の土手に沿って驀進(ばくしん)した。

「堀切、堀切、どなたもお忘れ物のないようにねがいまァす」と、伍平は大声に叫びながら、腰掛から下り、自分の持物を抱えて外を眺めた。秋子も星子もそれぞれ伍平につづいて支度をはじめた。

「あれ、蜻蛉(とんぼ)が飛んでらァ」と、スピードを落しはじめた電車に沿って飛翔する紅殻(べにがら)蜻蛉を見つけた伍平は、いきなり持物をクッションに投げすて、窓からからだを半分もせりだして、両手を伸ばした。すると、見廻りにきた車掌が、伍平のからだを押え、

「おいおい危ねえよ。そんなことすると乗せないよ」と、たしなめた。いわれて振返った伍平は、

「俺ちゃんと電車賃払ってるよ、車掌って威張るない」と、つっぱりながら、開襟シャツのポケットから、切符を取出して、それみろ、と車掌の鼻先につきつけた。乗客がくすくす苦笑した。

 堀切駅に下車すると、三人共競走風に改札口に駈けた。一足遅れた伍平は、三人の切符をもっていることとて、結局先頭にたって構外に出た。日は既に西に傾き、泰洋染工業会社と大書された煙突の突端にあり、空は底深く晴れていた。上り電車がくるらしく、堀切橋への通路には、ちょうど遮断機が下りていた。伍平は、その下をくぐりぬけようとしたが、思いがけず馬力の髭面の男に押えられた。

「命の惜しくねえ児だな」

「危いわ、危いわ」と、秋子も星子も同音にあわてて、伍平を捕えた。と、その時、一陣の風を払って、上り急行が通過した。横断を待っていた人達は、一せいに顔をそむけて、飛ぶ塵をさけたが、伍平は瞬間のスリルを感じて、ああいい気持といって、遮断機が上りかけると、第一番に線路に駈けこみ、電車の行方をちょっとみつめ、線路に(うずくま)って耳をくっつけた。

「おい秋ちゃんも星ちゃんもやれよ。線路が泣いてるぜ」

「そうオ」と、二人共、伍平にならんで平蜘蛛(ひらぐも)のようにはいつくばった。するとさっきの馬力の男は、行方をはばまれて、

「やいやい、危ねえじゃねえか」と怒って、伍平を先ず足の先ではねのけ、つづいて二人の女の児の首筋をつかまえて通路の外につきのめした。

「ああ痛いわ」と、さいしょ女の児達が立上ったが、伍平は、はねられたままでなお線路の泣声を聞いていた。

 人々は大方通ってしまった。伍平達は、なおも線路の中で持物をあらためたり、からだの埃を払ったりしていたが、その(うち)、突然踏切番が、

「危ねえ、危ねえ、電車が来るでねえか」と、呶鳴った。星子と秋子は、反射的に立上ったが、伍平はなおぐずついて、

「どっちからくるんだ」と、踏切番に問うた。

「馬鹿だな、この命知らず」

 胸毛の濃い、()っ歯の男は遮断機を下してからつかつかっと近寄り、いきなり伍平の頬をはりとばし、ひるむところを引きずりながら遮断機の外に突きのめした。下り急行が過ぎた。伍平は打撲のあとの痛みも忘れ、さっと通過した電車のあとを、無心に見つめた。

「よう、井垣さん、どっち行くのよオ」と、秋子は行きかけていたのを引返してきた。

「橋の向うに行こうよ」

 そういって伍平は、さり気ない風をして橋にかかった。橋は長かった。三人は、水の香りを運んでくる川風にふかれながら、黙って歩いていたが橋の中程にきた時、伍平は 欄干によりかかって休んだ。

「どうしたのさ」と、秋子がまず伍平に近づいた。

「景色を見るのさ」と、伍平は答えて、手にした紙包をあけ、「ビスケットたべようよ」

 川上から小舟が一艘下ってきた。伍平は、川面(かわも)にうつる舟の影をみるともなくみていると、何か小魚でもはねているような錯覚を覚え、小石を拾って投げつけた。小石は舟にはあたらず、ずっと橋近くに小さな波紋を描いて落ちた。が、船頭は自分がねらわれたとでも思ったのか、(あか)ら顔から白い歯をむきだし竹竿をふり上げて、この野郎と呶鳴(どな)りつけた。折から川上の鉄橋を京成電車が、玩具のような形を見せて走っていった。

「いいなア」と、伍平は感嘆の声をあげた。

「あれ、葦の匂いがするわ」

 星子は、ビスケットを頬ばりながら、欄干から、首だけ川面に出していった。両岸に沿って、小島形の葦原が、川上から川下に連なり、初秋の風に快い諧調をもって波立っているのだ。人工的な香りと、混濁した塵埃の臭いとに慣れた児達の嗅覚は、このすばらしい自然の香りを、味覚を忘れてむさぼるのだった。

「いいにおいねえ」と、秋子も鼻をくすんくすんいわせた。

「あたし川の匂いとてもすきだわ」

 星子はそういって立上った。嗅覚がつかれたのであろう。「あたしビスケットで口がねばねばする、お水のみたいの」

 三人はいつか堀切橋を渡りつめた。そこから堀切小橋にさしかかるのだが、伍平は、さっさと橋畔から折れて、右側の土手の方に駈けていった。

「こっちこいよう」と、伍平は二人を呼び呼び足首にまつわりつく雑草をとびこえて駈けた。伍平はちょっと息やすめに立止まると、ついで川岸のスロープを駈け下りた。青くさい草いきれに、伍平はからだ中をこすりつけたい衝動にかられた。スロープの中途でちょっとつまずいたのをしおに、伍平はそのままくるくるいも虫のように転びはじめた。軟い草がしくしくと折れ、からだはやっと水辺近くなってとまった。スロープが終って平坦な草原になっていた。伍平は自然にとまったからだをあお向けにして空を仰いだ。街の児の世界に空を仰ぐという生活があるだろうか。たとえ機械的に仰がせられても、空には何の魅力もないのだ。青い空にはちち色の雲が静かに流れていた。伍平はじっと両手を股に添えてどこまで動いていくのか、と、雲を見つめた。突然、

「わっ!」と、足許で星子と秋子が大声を出した。伍平はびくりとはね起き、

「おどかすない――」と、軽く抗議して「いい気持だぜ、こうして寝てると……」

 伍平はそういって又仰向けにねそべった。

「君達も寝てみな」

 秋子はすぐ伍平の横に並んで寝たが、星子は、

「あたしお水がのみたいの」といって水辺に下りていった。

 夕日が徐々に落ちていった。秋子は、やや永い間だまったまま空を仰いでいた。

「あたしね、いよいよお姉さんに教わってお酌になるのよ」

「お酌ってどんなことするのさ」と、伍平が訊ねた。

「そりゃ色んなことをするでしょ、でもあたしどんなことするか、これからぼつぼつお姉さんに教わるの」

「じゃ、これからは今までのように一しょに遊べないな」

「そうかもしれないわ、でもあたしあんたのこと忘れないわ、随分あんたとはこれまで遊んだものね」

「秋ちゃんはきれいになるだろうな」

「どうだか……でもあたしこんな田舎に遊びにこられないのつまらないと思うわ」

 伍平が何とか答えようとした時、

「おうとよ、おうとよ」と、星子が駈けつけた。手にはもう(はね)の枯れそめた大きな螽斯(おうと)を捕えていた。

「螽斯か、見してよ」と、伍平ははね起きて星子の手もとをのぞいた。星子は、

「とっちゃいやよ、あたし捕えたんですもの」

「じゃ、俺も捕えようっと」

 そこで伍平は、草原を分けて、螽斯をとりはじめた。螽斯はしかし生きものであった。伍平は二匹を捕えるのに、へとへとになるまで駈けまわった。保護色をもった螽斯は、時々葉裏にぶら下って死んだまねなどする。伍平はその事実を発見すると、いよいよ興趣深く螽斯を捕えるのに熱中した。

 その間に星子と秋子は土手の上に上って、ゴム毬で遊んでいた。はずみのつく大毬は、草原の中に転々として二人の少女を堪能(たんのう)させていたが、星子が大きなバウンドをつけて投げた拍子に、螽斯捕りに懸命になっている伍平からほんの手の届くばかりはなれた所から、川の中に転んでいった。

「とってよ、早く」と、星子がスロープを駈けおりながら叫んだ時は遅かった。水辺から一米半も離れた葦の根元まで転んでいっていた。伍平はしかし、

「なに平ちゃらさ、螽斯(おうと)持っててね」と、秋子に二匹の螽斯の足をそろえて渡すと、ズボンをぬぎ上衣をとった。伍平は水辺に足を入れた。足指がくすぐられるようでこころよかった。伍平は二足三足次第に深まる水の接触面が、膝から股の方にはい上ってくるのがたまらなかった。猿股がやがてぬれそめた。

「あんた大丈夫?」と星子が両手を宙に支えてまず危ぶんだ。

「大丈夫さ――」とはいったものの、伍平は、足もとのおぼつかなさに、ちょっと躊躇して進みかねて振返った。

「大丈夫さ――」

 しかし、その言葉には自信がなかった。

「あんたとれないでしょう」と、秋子が半ばからかい気味にけしかけると、

「なにいってんのさ」と、いいながら伍平は又元の姿勢にかえって一歩前進した。

「およしなさいよ、あんた泳げないでしょ」

 星子の顔には危ぶむものの真剣な表情があった。

「だって四十銭の毬よ、もったいないじゃないの」と、秋子はやはりけしかけた。

「だってえ、伍平さん溺れたら大へんよ」

「溺れたりしないわ。溺れたら助けたらいいじゃないの」

 伍平は、もはや引くに引けなかった。しかし岸は急に深まり、(へそ)まで沈んだ。そしてそれから先を足さぐりしたが、急勾配になっているらしく、足場の自由が利かなかった。伍平は手を伸ばした。毬はそれでも僅か拳一つ位の間隔をもって届かなかった。伍平の顔にはじめて恐怖の色が浮んだ。足の指先でふまえていた川岸の泥が徐々にめり込んでいくように感じたのだ。からだが急に冷え冷えしだした。もう足場がゆるんで後を振向くことも出来なかった。目の前の葦がぞくぞくと丈がのびて、自分のからだをとり巻きはじめたように思われた。すぐ目の前の水面にも伸びきった葦の葉が倒影をひろげ、伍平はもう身動きも出来なくなるような気がした。ずるずると足場がくずれはじめたのだ。

「秋ちゃん、星ちゃん」と、伍平の声はうつろにひびいた。

「あらあら駄目よ駄目よ」と、星子は水辺に下りてきた。「駄目じゃないのさ、こっちいらっしゃいよ」

 秋子は、この急変に驚いて、スロープをかけ上った。土手には誰もいなかった。秋子は堀切橋の方に一散にかけだしながら叫んだ。

「誰か来てよう。伍平さんが溺れるのよう」

 星子は、秋子が立去ったのを知らなかった。

「あんたってば、溺れちゃ駄目よ」

 葦近くの水面に浮きつ沈みつしながら、伍平は泳げぬからだを懸命にもがいていた。星子は岸から下りて膝まで水につかった。

「あんたってば、ここにつかまりなさいよ」

 恰好の棒切れをとって、伍平の方にさしのべた。伍平はなおも水面にのたうっていたが、やっとのことに星子の差出した棒切れに無意識につかまった。星子はずるずる水中に引き込まれていった。手離せば自分は助かる、と、ちらと考えた。だが手離して自分だけ助かろうという意識はなかった。そのまま自分も伍平と共に溺れるかもしれないということも考えず、ただしっかり棒切れを握って離さなかった。

 星子は一度沈んで多量に水をのみ、ぽっかり頭の方だけ浮んだ。水面にいくつもいくつも人間の顔が並んだような気がした。江礼先生の顔が、その雑多な顔の中で一つだけきわだって濡れているように思えた。そこで又白い白い水中で、伍平からも離れてたったひとり、もんどりうってひっくりかえり、ぐるぐる廻っている自分をはっきり意識した。

 

    

 

 江礼の手記……その三

 酒屋からお電話です、と、取りついでくれた時、私は早い晩飯を終ったばかりであった。出てみると、学校の宿直の小柴君からだ。息せき気味の小柴は、君の受持の坂井星子がまだ家に帰らないそうだ、というのである。二時には帰った筈だが、一体どうしてそれが分かったのかと問返すと、いやその、僕の受持の井垣伍平の姉がさっきまだ帰らぬがと聞きにきたばかりのところへ、今また坂井の母親がたずねてきたというのだ。ともかくその坂井の母親を電話口に出してくれないか。もぞもぞ受話器の底に殆んど聞きとれないような声で、私、坂井星子の母ですけど、お呼びたて申して誠に申し訳ございません、という。いや、と軽く押え、まだ学校から一度も帰らないんですか、と、無益とは知りながらもいうと、はァ、いつもこんなに遅くはないんですけど、それになんですか、少しではございますが宅から今日に限って少々お金を持出しているものですから。ますます細い声になるのだ。私は、送話器に自分の口をくっつけ、上ずった荒々しさで、いくら位のお金なんですか、と、問返した。一円そこそこではございますけど、何だか胸さわぎがするものですから。あ、そう、では今すぐ出かけますから、しばらく待ってて下さい、と、いいふくめて電話を切った。

 星子の異常性行に関して、時たま私の胸に、星子を手もとから追放してやろうかというような、悪魔的な思念が去来することがある。そんな時、私は冷酷な理性にすがり、法的な根拠をもって、私の感情に対して白ばくれてみせるのだ。星子はもと通学区域内の花川戸に住んでいたが、現在では田島町に移転したから、当然退学を迫ってもいいのだという、どこにも一応は聞える筋合である。更に一歩退いて、理性の翼の下に押しひしがれていた良心が、そうしたことが白々しくも出来るものかと反撥すると、星子一人の性行が、学級全体に及ぼす影響を考えてみたまえと、私の理性は逆襲するのだ。しかし私の理性も、いよいよそれを具体的な行動に移そうとするときになると、常に星子に対する愛情の前に雌伏するのだった。

 ある日――それは月の十日、月謝納入日であった。確かに持って来た筈の田鶴子の月謝二十銭が又も紛失したことがある。調べてみると、月謝袋を忘れて来たという星子が、二十銭だけ持っているのだ。しかもその二十銭は算術の本の間から、ぽろりと机の中に転びでたのである。疑う余地はなかった。追及したが自分の月謝だと強弁して譲らないので、それならなぜ袋に入れて来なかったか、それに一しょに持つて来る筈の保護者会費だけどうして忘れたか、と、たたみかけても、ただ忘れたというだけで相変らぬ白ばくれ方である。私はついにたまりかねて、ではいよいよあんたはあさくさの学校から下ってもらおう、そして金竜学校にでも上ってもらおう、ね、それがいいでしょう、そうなさい、というと、それまで頑固だった星子はがらりと態度を変え、いやです先生、これから決して人のものなど()りませんからごめんなさい、ごめんなさい、と、泣いて謝るのだった。しかし私は星子の紋切型の謝罪が気に入らないで、でもあんたは先生が嫌いで、いつも先生を手こずらせてばかりいるから、もう今度こそ、金竜学校に上ってもらおう、と、あくまでも強気に出た。そしたら江礼先生にも叱られないし、あんたもせいせいしていいだろ、ね、そうしようよ。私はぐんと人差指で星子の額を突きのめして立上ると、星子は大声をあげて、先生そんなこといわないでよ、わたし謝るから先生許してね、と、泣きじゃくるのだった。私の冷酷な理性は、いつしかもみくちゃにされてしまった。僅かに金竜の学校に行けといっただけで、従来母親の証言がなければどうしても実を吐かなかった星子がもろくもまいった事実は、私の胸にしみ通るような感動を与えてしまったのだ。それ以来、私は星子追放のことは、かたく口にしまいと思いきめた。

 月謝の問題から十日も出ないころだった。放課になると星子はいち早く帰ってしまったのだ。まだ帰りそびれていた者の中からあら星子さん今日もお当番しないで帰ってしまったのね、という声が聞えた。するとあちらからもこちらからも、星子さんたら忘れるんじゃないのよ、とか、ちゃんと知ってるくせにお当番の日だとさっさと帰ってしまうのよ、などと訴えながら、私を囲繞(いにょう)してきた。当番でない者まで、星子さんたらわたしのお手玉をかくしたのよ、とか、星子さんたら六年の井垣って男の児とばかり遊んで、二人でかかっていじめるのよ、などと日頃の憤懣を持寄ってきた。私はしばらくべちゃべちゃ(しゃべ)る女の児達のいうままに委せ、これ等の不平をどう始末つけようかと、考えをまとめようと思った。先生は星子さんには随分甘いのね、と、先ず零子が私に対する不満を破裂させた。甘いから星子さんの性質が直らないのよ、今度こそ一週間位罰当番をやらしてよ。零子は黙っている私に、激しく星子の処分を迫るのだった。それがいいわ、と、共鳴する者もある。やっぱり金竜学校にやった方がいいなどと、これまでに彼女達の目にふれた、星子の行跡をとりあげての、さまざまな進言である。一わたり児達の抗議がしずまると、私はもういうことはないのかね、と、一同を見廻し、いうことがなければ、これから先生がいうから、よく聞きなさい。私は教卓の椅子にかけた。坂井星子さんはね、一つの病気にかかっているんですよ、と、私は説きはじめた。心の病気なんだから、みんなでよくいたわってやらねばなりませんよ、というと、零子が私の言葉を引取って、あら随分贅沢な病気ね、と、さいしょに反対した。そんな病気ってあるかしら、罰当番位あたり前よ、と、二度もの盗難の被害主田鶴子が零子に添えた。待て。私はちょっと開き直って後続の抗議の機先を制した。それァあんた達がいうように星子さんは悪いさ、しかし今の罰当番ということだが、あんた達は教室のお当番というものをどう考えているの、掃除というものは、自分達の生活する部屋をきれいにすることで、きれいにすることなら、喜んでやるのがあたり前じゃないか。それはあたり前よ、だからあたし達喜んでやってるわ、と、零子が口をさしはさんだ。それならその喜んでやる筈のものを、罰のために使うのは変じゃない? だって星子さんみたいに喜んでやらない人には罰になるわ。田鶴子の論理だ。そしたら星子さんはいつまでも掃除当番というものが本当にうれしいものだと思う時はなくなるでしょ。しかし児達には私のいうことは、なかなか納得がいかなかったらしい。罰当番ってあたし達のお母さんの小学校の頃は、随分あったんですって、と、零子の反撥はますます辛辣(しんらつ)だ。それァ昔のことだよ、昔の考えと今の考えは違うのです、働くことは人間として一番尊いことです、一生懸命働いて、人のためにつくすという精神だね、その精神をもってる人が、人間の中で一番尊い人です、あんた達が浅草神社の清掃をするでしょう、あの精神は何かあんた達が悪いことをしたために受ける罰じゃないでしょ、神苑を綺麗にして神様に奉仕するという精神だろ、あの精神と教室の掃除をする精神とは似たものでなくちゃならんのです、罰当番さえすれば自分の犯した罪がなくなるなど考えるのは、とんでもない間違いさ、働くことが本当に愉快なものなら、罰当番なんかおかしなものじゃないの……児達は分かつたような分からない様な顔をしていたが、俄に反対意見もまとまらないらしかった。しかし、でも先生、と、零子はなかなか譲らなかった。星子さんは、やっぱり金竜学校にやった方がいいわ、あんな人がこの組にいることは、あたし達の恥ですものねえ――と、言葉尻を上げて零子は一同の賛成を求めた。田島町の人が金竜学校に上るのはあたり前でしょ、と、後の方でいった者があった。私は自分の胸をあばかれでもしたようにうろたえたが、それはそうさ、と、一応その一言葉を肯定しておいて、だけど、とつづけた。学級は一軒の家と同じものだよ、先生がお父さん、あんた達が子供、というと、あらだってお母さんがいないじゃないの、と零子はすばやく逆襲してきた。家とそっくりじゃないけど、まあそんなものだよ、とあいまいににごした。だから先生はみんなを子供のように可愛がるし、みんなは先生のいうことを聞く、そこでね、家でだって同じこと、子供の中の誰かが病気したら、家の人達はみんな心配するでしょ、その時この児は病気になったから、家には邪魔だ、どこかに勝手に出て行きなさいといって放り出しますか。そんなことァないわ。二、三の児が同時に答えた。そうだろ、病気になったら、みんなでいたわってやるでしょ、それと同じだよ、星子さんは心の病気です、可哀想だろ、この組から追出すのは……。そういうといつかのようにあんた達の中には、先生は星子さんばかりひいきするというかもしれない、でもひいきというのなら、先生はこの組の人にはみんなひいきをしています、星子さんだけをひいきするのじゃない、ただそう見えるかもしれないが、それはあんた達が病気した時のことを考えると分かるだろ、お父さんもお母さんもあんた達を随分可愛がって下さるでしょ、そのため弟や妹の機嫌がわるくなることもあんた達はよく知っているだろ、それと同じだよ、だから星子さんが病気のせいで、時々悪いことをしても、可哀想だと思って、やっぱりみんなで遊んで上げなくては。でも先生、星子さんたら遊ぶ時はいつもまぜっかえして困るわ、まぜっかえされるとやっぱり誰だって遊んで上げたくなくなるわ。もっともな話といわなければならぬ。そうか、じゃ先生のいうことに無理があるかな、と、私は自分のむきつけな論理に反省の余地をつくった。すると、先生は甘いから駄目、と、零子に切込まれた。さっさと星子さんを金竜学校にやっちゃいなさいよ。そうすると、星子さんは、星子さんの性質をすっかりのみつくした先生の手から手離され、これから新しい先生のところに行くわね、そしたら星子さんの病気はどうなると思う? そらァ仕方がないわ。そうか仕方がないか、すると新しい星子さんの先生は、どうお考えになると思うの、あさくさの児は、やっぱりよくないなあ――あさくさの児はよくないだろうと思っているのは、その先生ばかりじゃないんだよ、もともとあさくさというところは、東京の中でも一番いけないことが、一番多く行われているところのように思われているでしょ、不良やたかり、万引、人殺し、そんなものが、ふんだんにあるところのように思われているの、だからあさくさの児もそんなよくないものの卵だ位に思っている者があるんです、星子さんには、残念だがそう思われても仕方がないようなところがあるし、今星子さんだけをあさくさの学校から放り出したら、星子さん一人を見て、あんた達のようないい児まで、星子さんみたいな児に思われるじゃないかね、先生は、これまで田舎の児や、よその(まち)の児に教えてきたこともあります、ところがそんなところの児にくらべて、決してあさくさの児だけが悪くない、それなのに、あさくさの児は不良の卵だの万引の尻尾だのいわれるのは、先生にはたまらないことなんです、そればかりではない、星子さんにしても、今先生やあんた達の手もとから突き放されていったら、もうきっと不良少女になるにきまっています、今日本は支那と戦争をしているでしょう、戦争というものは、兵隊さんばかりやっていればよいのじゃない、銃後のみなさんが立派になっていなければいけないんです、一人でもよくない人が多ければ、それだけ国の力は減るわけでしょ、私たちは国のためにつくすことを、国防献金や物の節約や慰問文書くことばかりだと考えてはいけません、そんなことでももちろんよいことだが、星子さんのように心の病気にかかっている人を、みんなが心を合わせて直してあげることなども、とても大きなよいことの一つなんです、あんた達は星子さん一人位と思うかもしれないけど、それは人間の身体のことを考えてみるとよく分る筈です、指一本でも怪我してごらんなさい、そのためどれだけからだ全体が苦しむか、その傷から黴菌(ばいきん)がはいるかもしれない、そしたらその毒がからだ全体にまわる、それと同じで、一人の悪い心の人があると国の力はそれだけ弱ります、日本の国というのは非常に大きなからだでしょ、だから星子さん一人で国が亡びるなんていうことはもちろんないさ、でも星子さんがこのままだんだん大きくなっていったとしますね、そしたらそのため国は大へんな費用をかけねばならぬ、するとそれだけ国の力は弱まるでしょ、このわけが分かりますか。みんなはようやく私のいう意味がのみこめたようだった。あたしこれからようく星子さんにそのことをいってあげるわ、と、田鶴子がませた口を切った。国のためですもの。まあいいよ、その心掛けはいいよ、でもあんまり急にいっても駄目、病気の人にいくら薬が利くからって、一ぺんに一リットルも二リットルものませたら大変なことになる位分かるでしょ、それと同じだよ、国のために今日から悪いことは止しなさい、と、みんなが寄ってたかって、どんなに口を酸っぱくしていいきかせても駄目、みんながいつも暖い心で、星子さんとも遊んであげなさい、少し邪魔をしてもよくいってきかせなさい、先生もこれからそのつもりであんた達と心を合わせて、星子さんをいたわっていくからね、心の病気には根気のよい暖い心と、ものの理窟をかんでふくめることの外にはないのだから。児達は一様に納得したらしかった。私は、そこで口を(つぐ)んだが、今まで説いて聞かせたことは、私自身にも自らいい聞かせている、皮肉な自分の姿を顧み、説得しおおせたものの誰しも抱く空虚にとらえられてしまうのであった。それでいて時が過ぎ、さて又しても友達の靴をかくしてみたり、どこで覚えてきたのか猥褻(わいせつ)な落書などしたりすると、女の児達に説ききかせた自分の理性を取落して、星子の方で、どこかもっと遠く、あさくさまで通学出来ない所まで引越して行ってはくれまいかと考えたり、今度こそ法規を楯にとって、退学の手続をしてしまおうかと思ったりするのだった。

 電車で学校に急ぐ間にも、腹の底まで打ちわって率直に自分の心をあけすけに書くならば、このまま星子の行方が知れずにしまったら、というような、悪魔的なひらめきが、一再ならず私の脳裡をかすめた。児達が学校から一たん帰宅してしまうまでは、児達への責任が学校側にあり、さらに追及していけば担任教師にあるなどという観念は、少しも私には起らなかった。それで何より先ず六十の同級の児達が助かる。毎週何ごとかで必ず一回ずつ位は児達の(なご)やかな生活をかきみだし、みにくい罪悪の臭気をふりまかないではいない星子が、突然児達の視界から去ったならば、と、思っただけで私の悪魔は大手を振って跳梁(ちょうりょう)するのだ。一人の生活と、全体とはどちらが重大であるか、これは私には自明な論理であった。しかしそれは抽象的な概念上の理窟であって、現実的なものへ引きさげてあてはめようとすれば星子を失うことを希望する心は、いかに抽象概念を分析しようとたくらんでも、不合理な袋小路へ追込まれるより外ないのである。ここに抽象と現実の矛盾があった。しかもそれが、小使室の電燈の僅かにさしている玄関口に、しょんぼり(たたず)んでいた星子の母親を見た瞬間、はげしい火花を散らして相剋(そうこく)しはじめたのである。お待たせしました、と、挨拶し、わざわざお呼びたてして、と、滅入(めい)るような声で返されている間に、私の抽象概念は、たじたじとなって退却しはじめるのであった。

 私は小柴君を呼び、井垣伍平の行方不明と星子のそれとが関連があるかどうかを考えた。小柴君は、何といい条、宿直の重任の手前、ただ気をもむばかりで、捜しに出かける訳にもいかず、意見といっても、あまりに唐突の出来ごととて、確とした見解も示さなかった。私は忽然(こつぜん)として、いつか観音裏で星子を見失った日、鳩を(もち)で捕えようとした井垣のことを思い出したが、それとて星子との連絡は考えられないので、意見として出すことは差控え、ただ偶然に同じ日二人の行方不明が起ったに過ぎまいと思うより外なかった。母親も井垣のことは皆目分からぬという。すると今はただ心当りを捜してみるより外ないのだった。心当りとはいっても坂井の親戚は既にひとわたりあたってあるし、井垣伍平の姉には、発見次第学校に知らせるようにといいふくめてあるので、勢い手配の範囲は局限される訳だ。即ち公園六区界隈を捜すのと、所轄署へ依頼するの二点にかかるわけだった。警察云々は、先ず小柴君によって躊躇され、母親の同意によって、殆んど不可能かに見えた。新聞などに出ると、名誉云々というのである。そこで議論は後にして、早速公園を隅から隅まで捜すことにし、母親には今一度家に帰って行って確めて貰い、午後七時に観音堂の拝殿の前で落合うことに話をつけた。私たちは、後のことを小柴君にたのんで学校を出た。途中まで母親は一しょに行こうというのだ。たそがれた二天門のあたりには、乳色の夕靄(ゆうもや)がたてこめ、街燈もぼやけて、秋の気はいは肌にひんやりとした感触を与えた。気早な児達は、夜店で買求めた虫籠を下げて、観音堂への(いしだたみ)を引返してくる。私もどうかするとあの児にだけは、手こずった揚句、いっそのこと死んでくれればと思うこともあるんですの、と、それまで黙って歩いていた母親は、ちょっと急ぎ足に追いすがっていった。でもそれでいて病気をされると、もうじっとしていられず、骨を削られるように星子のために苦しんで、恢復してくれるのを祈る始末なんですの。母親は、鼻をぐすぐすいわせた。泣いているのであろうかと、私はちょっと歩調をゆるめて、夜店の灯をたよりに母親の顔をのぞくと、やはりハンカチを目にあてている。その時、浅草寺アパートの方から五、六人の児達が、私達の前をかすめて、仁王門の方に駈けぬけようとした。おいおいちょっと、と声をかけたが、彼等は聞えないらしく行過ぎたが、あら先生、さよなら、と、背の高い零子だけが私の前に立ちはだかった。あ、零子さん、まだ遊んでたの、あんた坂井星子さん、今日どうしたか知らない? 星子さんですか、あたし知らないわ、でもあすこに山岡さんもいるから聞いてみるわ、といって駈けぬけた児達のあとを追っかけた。零子は一人で直ぐ山岡準子を連れてきた。あたし今日ね、星子さんとは、弁天山まで一しょに帰ったんです、すると星子さんは鐘撞(かねつき)堂の下から、どうしても先にお帰んなさいといって聞かないんです、だからあたし一人で仲見世を通って帰ったんです、と、準子はすらすらいってのけた。それであんたは星子さんがどんなつもりでそういったのか、見当がつかないの。さあ、何でも誰かが来るらしかったわ、あたしが岡田の前で振返ったら、にらみつける顔したので、急いで帰って来たんです。どこかに行くようすはなかったの。もしか伝法院で遊んでるかもしれないわ。今頃ォ、と、零子は準子の意見を笑うようにいってから、それで先生星子さんを捜してらっしゃるの、と、たずねた。うん、星子さんのお母さんと二人で捜しているんだけど、と、母親をちょっと顧み、もう暗いからみんなお帰んなさい、不良(よたもん)なんかにつけられると大変だから。でも先生と一しょならいいでしょう、あたし達公園のこと、とても詳しいのよ。そうか、そこでと、と、私は母親に向い、ともかく今一度家を見て来て下さい、そして七時までに、と、いって別れた。

 いつもならば、こんな時刻に零子や準子などをつれて、公園を歩けるわけはないが、なにがなし星子を捜すたよりになるのだった。ここで捜し出さなければ、一体どうすればよいか。いろいろ不吉な予感さえしてならないのである。星子のことだし、誰かに誘われるままに映画館などにはいり込んで、同じ映画を幾回も見ているのかもしれない、金を持出しているからには、案外ありそうなことにも思われるのだ。しかし、気易く誘拐者の手にかかって、今頃は玩具など買ってもらって、おじける風もなく汽車の中で大はしゃぎをやっているかも知れないと思うと、私は急に身ぶるいさえするような不安に陥った。万一そんなことになったら、それこそ責任問題などというものをはるかに乗越え、これまで育ててきた星子という欠陥の多い児を、私自身の手で、そうした不幸にたたき込んでしまったような自責にさいなまれるのだ。星子に対する憐情が急に私を動きのとれない感傷にまで引込んでしまった。

 仲見世に出ると、今が頂点の人の波だった。気早やな女のセルもちらほらだが、まだ人々は夏の名残を衣裳に残して、灯を求める遊蛾(ゆうが)のように、宵の仲見世にひしめき合いながら、観音堂へ観音堂へと吸いつけられていた。私は準子を左に零子を右に擁して、ひと先ず弁天山の方に折れた。ここであたし星子さんと別れたのよ、と、準子の説明する鐘撞堂の石壁は遠い灯にぼやけ、(かたわら)占師(うらないし)掛小屋(かけごや)から、足早に出て来た女優(まげ)の女が、うさん臭そうに私達を見つめて、二天門の薄暗い路地にはいっていった。星子の姿がそのままそこにあろう筈はなかった。そこに行ったのも単なる気休めに過ぎなかったのだ。つづいて私達は元に引返し、しばらく人波を(さかのぼ)って仲見世を泳ぎ、やがて伝法院に折れた。そこで私は迂闊(うかつ)にもこれまで零子と準子を連れまわっている不用意さに気づき、じゃもうこれでいいからお帰んなさい、とすすめた。準子は素直にじゃ帰るわ、といったが、零子は、だってまだ早いんですもの、といって聞かない。しかし私はもうこそ零子の言葉には甘えてはならないと、あんたの家でまで又騒ぎだしたら、それこそ先生の顔はまるつぶれだよ、帰ってよ、と、無理に帰らせることにした。先生は星子さんのことったらこんな夜までさがしまわっているくせに、あたし達のことったら、ただついて行くだけでもうるさがるのね。そんなこというもんじゃないわ、と、準子は零子をたしなめて元の方に引返していった。私は胸の芯まで冷えていくような味けなさに(とら)えられた。女の児のすねやすい心には、どこまで自分の細かい思慮をめぐらせばいいのだろうか、いつもあれ程星子に対する自分の立場を、かんでふくめるようにいいきかせているのではないか。それが今もなお、こうした嫉視(しっし)の言葉を投げかけるとは……。

 伝法院の中は、遠い歓楽境のさざめきが、僅かに聞えるだけでひっそり(かん)としていた。人の通るようすもなく、幼稚園舎の中も今はがらんどうで、ぶらんこ、辷台(すべりだい)などが、空からまい下りて来るような明りに、僅かにそのわびしげな姿を見せているだけであった。私は園舎のあたりをすかして見たが、誰もいる()はいがなかった。すかされたような(わび)しさでとっとと急いで区役所口にぬけていった。暗室から出てきた時のように、私は街頭の灯の波に目をしばたたいた。人々の群はここでもひしめいていた。門前を(さかい)として仲見世に流れる者、映画街へそれる者が区分されるのだ。私は六区への支流に押され、夜風にはためくオペラ館の広告旗の下を歩いた。大勝館通りに出ると、ここは全く光と人との洪水だ。ネオンの強烈な刺戟が先ず私の視覚を(くら)ました。点滅する装飾燈が、私の神経を極度にいらだたした。私は努めてそれらの刺戟を避けて人の顔をみながら歩いた。ここにはあさくさの児は稀であった。男の児たちもたまたま散見したが、どれもこれもあさくさの徽章(きしょう)をつけている者はなかった。あさくさの児は、日頃映画街に出ることを極度にいましめられているのだ。人波の間をかいくぐる人さらいという恐ろしい者が、彼等の頭に焼きつけられているのだ。しかしこうした所だからこそ、星子は悠々と(およ)ぎまわっているかもしれない。私は子供という子供に出あうと、たとえどのようにきちんとした身なりの紳士に伴われている者でも、むしろ怪しまれる程近づいて吟味した。私は映画館に挟まれた鋪道の中央に突立って、去来する人波を物色しながら、ややしばらく(たたず)んでいた。しかしそれはただ無益に終った。時計はいつしか六時四十分を過ぎている。私は映画街にあきらめをつけ、常盤座(ときわざ)横から、鰭屋(すしや)横町に折れ、つづいて鈴蘭通から新仲見世の商店街にそれていった。街々には、ささやかな空間を占めて、虫籠店が並んでいた。街の児達は、清楚な虫の音に吸いつけられるようにして店を取囲んでいた。所々には廻り燈籠や(すすき)など秋の七草を扱う店もあった。しかしせめてもの秋の気はいの持込まれた街頭も、強烈な灯に打消され、ただきりぎりすや鈴虫などの鳴く音だけが、道行く人々をしばしだまらせ、傾聴させるのであった。児達は時々私を認めて、あら先生、さよなら、など挨拶をしたが、私はろくに返しもしなかった。

 新仲見世から仲見世に出たが、人々の波は相変らなかった。私はやはり万一の僥倖(ぎょうこう)をあてにして、子供とみれば決して見逃さなかった。仁王門の前には、三冊十銭の絵本売の七、八歳位の少女がいた。私はためしに近寄り、少女の顔をのぞき込むようにして、あんた星子という児知らないかと、小声でたずねた。少女はうさん臭そうにためらって首をふった。すると門柱のかげにかくれていたらしい夏羽織の紳士が飛出してきて、物もいわず少女の絵本を取上げ、さあ行こうよ、といって抱え去った。私はそのあとをつけたが、男はすたすたと露店の横をぬけ、木立の混んだ仏教会館の方に急いで行くのだった。私は何の手がかりもなく、約束の時間に観音堂の拝殿の前に立った。

 星子の母も何の得るところもなく、まことに悄然(しょうぜん)とした姿を見せた。私も彼女も、()くわずかに口を利いただけで、どちらからともなく拝殿を下り、二天門の方へ歩いていった。学校に立寄ったが宿直の小柴君も、やっぱり何の情報もないよ、と、浮かぬ顔して、私達のもたらすものが何もなかったのを知ると、むしろ悲痛な程がっかりしていた。私達は、小使室の上り(がまち)に腰を下し、何の手だての施す(すべ)も知らず、ただいたずらに時の経過を待つばかりだった。

 電話のベルがなった。私は反射的に立上った。何でもよい、このじっとした雰囲気にちょっとでもよい、変化をもたらすものがあってほしかったのだ。堀切の交番ですが、そちらはあさくさ学校ですか、という。はっ、と電撃を受けたもののように答えた。里村秋子という児童がおりますかな。さあ、と答え、私はがっかり気味で送話器の口を左の掌でつめたく押え、里村秋子って知らないか、と、小柴に訊ねた。聞かん名前だな、ちょっと待ってといって、小柴は出席簿を調べに行った。――そんな名前の児はいないんですが。そうですか、坂井星子ってのは。ええっと、私は頓狂に答え、おります、おりますが、今見えなくて大騒ぎなんです。井垣伍平というのは。やっぱりおります。そう、では至急責任のある方が、堀切の派出所まで出頭して頂きたいです。かしこまりました、それで坂井星子も井垣伍平も無事なんでしようか。いや、それは私は医師じゃないから、はっきりしたことァいえんが、まあ、絶望とは限らんでしょう、至急出頭願いますよ。星子の母は私の肩のところまですり寄って来ていた。星子はいたんでしょうか。いました、いました、と、私は受話器をかけ終るのももどかしそうに答えた。ありがとうございました、ありがとうございました、と、母親はいく度も同じことを繰返し、居先をたしかめることも忘れて、涙をふいていた。私も胸をつまらせ、頬のふくれた、笑うと八重歯のこぼれる、星子の顔を目に浮かべ、よかったですね、よかったですね、と、母親に相槌を打ちながら、小使(こづかい)を物色した。小柴もやっと生きている井垣伍平の在所がわかったうれしさで、大股でとび上るようにして、校舎の見廻りに出かけている小使を追っかけた。

 堀切の橋向うまで、と、はりきって自動車をとどめた私は、星子の母親を先に車におしこみ、つづいて井垣伍平の姉をうながした。自動車は街の灯のなかをおし分けるようにして走りだした。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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長谷 健

ハセ ケン
はせ けん 小説家 1904・10・17~1957・12・21 福岡県に生まれる。「あさくさの子供」により1939(昭和14)年芥川賞。教師体験を活かして書かれたけれん味ない受賞作は、続編「桂太の章・律子と欽弥の章」も併せ出版され読み継がれた。

掲載作は授賞対象作で1939(昭和14)年、同人誌「虚実」第2号初出、長谷は35歳であった。単行本『あさくさの子供』は改造社より1941(昭和16)年1月刊行、電子文藝館では表記を現代仮名遣い、新字体に整えてある。

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