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晩菊

 夕方、五時頃うかゞひますと云ふ電話であつたので、きんは、一年ぶりにねえ、まア、そんなものですかと云つた心持ちで、電話を離れて時計を見ると、まだ五時には二時間ばかり間がある。まづその間に、何よりも風呂へ行つておかなければならないと、女中に早目な、夕食の用意をさせておいて、きんは急いで風呂へ行つた。別れたあの時よりも若やいでゐなければならない。けつして自分の老いを感じさせては敗北だと、きんはゆつくりと湯にはいり、帰つて来るなり、冷蔵庫の氷を出して、こまかくくだいたのを、二重になつたガーゼに包んで、鏡の前で十分ばかりもまんべんなく氷で顔をマツサアジした。皮膚の感覚がなくなるほど、顔が(あか)くしびれて来た。五十六歳と云ふ女の年齢が胸の中で牙をむいてゐるけれども、きんは女の年なんか、長年の修業でどうにでもごまかしてみせると云つたきびしさで、取つておきのハクライのクリームで冷い顔を拭いた。鏡の中には死人のやうに蒼ずんだ女の()けた顔が大きく眼をみはつてゐる。化粧の途中でふつと自分の顔に厭気(いやけ)がさして来たが、昔はヱハガキにもなつたあでやかな美しい自分の姿が(まぶた)に浮び、きんは膝をまくつて、太股(ふともゝ)の肌をみつめた。むつくりと昔のやうに盛りあがつた肥りかたではなく、細い静脈の毛管が浮き立つてゐる。只、さう痩せてもゐないと云ふことが心やすめにはなる。ぴつちりと太股が合つてゐる。風呂では、きんは、きまつて、きちんと坐つた太股の(くぼ)みへ湯をそゝぎこんでみるのであつた。湯は、太股の溝へぢつと溜つてゐる。()つとしたやすらぎがきんの老いを慰めてくれた。まだ、男は出来る。それだけが人生の力頼みのやうな気がした。きんは、股を開いて、そつと、内股の肌を人ごとのやうになでてみる。すべすべとして油になじんだ鹿皮のやうな柔らかさがある。西鶴の「諸国を見しるは伊勢物語」のなかに、伊勢の見物のなかに、三味を弾くおすぎ、たま、と云ふ二人の美しい女がゐて、三味を弾き鳴らす前に、真紅の網を張りめぐらせて、その網の目から二人の女の(かほ)をねらつては銭を投げる遊びがあつたと云ふのを、きんは思ひ出して、紅の網を張つたと云ふ、その錦絵(にしきゑ)のやうな美しさが、いまの自分にはもう遠い過去の事になり果てたやうな気がしてならなかつた。若い頃は骨身に()みて金慾に目が暮れてゐたものだけれども、年を取るにつれて、しかも、ひどい戦争の波をくゞり抜けてみると、きんは、男のない生活は空虚で頼りない気がしてならない。年齢によつて、自分の美しさも少しづつは変化して来てゐたし、その年々で自分の美しさの風格が違つて来てゐた。きんは年を取るにしたがつて派手なものを身につける愚はしなかつた。五十を過ぎた分別のある女が、薄い胸に首飾りをしてみたり、湯もじにでもいゝやうな赤い格子縞(かうしじま)のスカートをはいて、白サティンの大だぶだぶのブラウスを着て、つば広の帽子で額の皺を隠すやうな妙な小細工はきんはきらひだつた。それかと云つて、着物の襟裏から紅色をのぞかせるやうな女郎のやうないやらしい好みもきらひであつた。

 きんは、洋服は此時代になるまで一度も着た事はない。すつきりとした真白い縮緬(ちりめん)の襟に、藍大島の(かすり)(あはせ)、帯は薄いクリーム色の白筋博多(はかた)。水色の帯揚げは絶対に胸元にみせない事。たつぷりとした胸のふくらみをつくり、腰は細く、地腹は伊達巻(だてまき)で締めるだけ締めて、お尻にはうつすりと真綿をしのばせた腰蒲団をあてて西洋の女の(いき)な着つけを自分で考へ出してゐた。髪の毛は、昔から茶色だつたので、色の白い顔には、その髪の毛が五十を過ぎた女の髪とも思はれなかつた。大柄なので、裾みじかに着物を着るせゐか、裾もとがきりつとして、さつぱりしてゐた。男に逢ふ前は、かならずかうした玄人(くろうと)つぽい地味なつくりかたをして、鏡の前で、冷酒(ひやざけ)を五勺ほどきゆうとあふる。そのあとは歯みがきで歯を磨き、酒臭い息を殺しておく事もぬかりはない。ほんの少量の酒は、どんな化粧品をつかつたよりもきんの肉体には効果があつた。薄つすりと酔ひが発しると、眼もとが紅く染まり、大きい眼がうるんで来る。蒼つぽい化粧をして、リスリンでといたクリームでおさへた顔の(つや)が、息を吹きかへしたやうにさえざえして来る。紅だけは上等のダークを濃く塗つておく。紅いものと云へば唇だけである。きんは、爪を染めると云ふ事も生涯した事がない。老年になつてからの手はなほさら、さうした化粧はものほしげで貧弱でをかしいのである。乳液でまんべんなく手の甲を叩いておくだけで、爪は癇性(かんしやう)なほど短く()つて羅紗(らしや)(きれ)で磨いて置く。長襦袢の袖口にかいま見える色彩は、すべて淡い色あひを好み、水色と桃色のぼかしたたづななぞを身につけてゐた。香水は甘つたるい匂ひを、肩とぼつてりした二の腕にこすりつけておく。耳朶(みゝたぶ)なぞへは間違つてもつけるやうな事はしないのである。きんは女である事を忘れたくないのだ。世間の老婆の薄汚なさになるのならば死んだ方がましなのである。––人の身にあるまじきまでたわゝなる、薔薇(ばら)と思へどわが心地する。きんは有名な女の歌つたと云ふこの歌が好きであつた。男から離れてしまつた生活は考へてもぞつとする。板谷の持つて来た、薔薇の薄いピンクの花びらを見てゐると、その花の豪華さにきんは昔を夢見る。遠い昔の風俗や自分の趣味や快楽が少しづつ変化して来てゐる事もきんには(たの)しかつた。一人寝の折、きんは真夜中に眼が覚めると、娘時代からの男の数を指でひそかに折り数へてみた。あのひととあのひと、それにあのひと、あゝ、あのひともある……でも、あのひとは、あのひとよりも先に逢つてゐたのかしら……それとも、後だつたかしら……きんは、まるで数へ歌のやうに、男の思ひ出に心が煙たくむせて来る。思ひ出す男の別れ方によつて涙の出て来るやうな人もあつた。きんは一人一人の男に就いては、出逢ひの時のみを考へるのが好きであつた。以前読んだ事のある伊勢物語風に、昔男ありけりと云ふ思ひ出をいつぱい心に溜めてゐるせゐか、きんは一人寝の寝床のなかで、うつらうつらと昔の男の事を考へるのは愉しみであつた。––田部からの電話はきんにとつては思ひがけなかつたし、上等の葡萄酒にでもお眼にかかつたやうな気がした。田部は、思ひ出に吊られて来るだけだ。昔のなごりが少しは残つてゐるであらうかと云つた感傷で、恋の焼跡を吟味しに来るやうなものなのだ。草茫々の瓦礫(ぐわれき)の跡に立つて、只、あゝと溜息だけをつかせてはならないのだ。年齢や環境に(いさ)さかの貧しさもあつてはならないのだ。(つゝし)み深い表情が何よりであり、雰囲気は二人でしみじみと没頭出来るやうなたゞよひでなくてはならない。自分の女は相変らず美しい女だつたと云ふ後味のなごりを忘れさせてはならないのだ。きんはとゞこほりなく身支度が済むと、鏡の前に立つて自分の舞台姿をたしかめる。万事抜かりはないかと……。茶の間へ行くと、もう、夕食の膳が出てゐる。薄い味噌汁と、塩昆布に麦飯を女中と差し向ひで食べると、あとは卵を破つて黄身をぐつと飲んでおく。きんは男が尋ねて来ても、昔から自分の方で食事を出すと云ふことはあまりしなかつた。こまごまと茶餉台(ちやぶだい)をつくつて、手料理なんですよと並べたてて男に愛らしい女と思はれたいなぞとは露ほども考へないのである。家庭的な女と云ふ事はきんには何の興味もないのだ。結婚をしようなぞと思ひもしない男に、家庭的な女として媚びてゆくいはれはないのだ。かうしたきんに向つて来る男は、きんの為に、いろいろな土産物を持つて来た。きんにとつてはそれが当り前なのである。きんは金のない男を相手にするやうな事はけつしてしなかつた。金のない男ほど魅力のないものはない。恋をする男が、ブラッシュもかけない洋服を着たり、肌着の(ボタン)のはづれたのなぞ平気で着てゐるやうな男はふつと厭になつてしまふ。恋をする、その事自体が、きんには一つ一つ芸術品を造り出すやうな気がした。きんは娘時代に赤坂の万竜に似てゐると云はれた。人妻になつた万竜を一度見掛けた事があつたが、惚々(ほれぼれ)とするやうな美しい女であつた。きんはその見事な美しさに唸つてしまつた。女が何時までも美しさを保つと云ふ事は、金がなくてはどうにもならない事なのだと悟つた。きんが芸者になつたのは、十九の時であつた。大した芸事も身につけてはゐなかつたが、只、美しいと云ふ事で芸者になり得た。その頃、仏蘭西(フランス)人で東洋見物に来てゐたもうかなりな年齢の紳士の座敷に呼ばれて、きんは紳士から日本のマルグリツト・ゴオチエとして愛されるやうになり、きん自身も、椿姫気取りでゐた事もある。肉体的には案外つまらない人であつたが、きんには何となく忘れがたい人であつた。ミツシエルさんと云つて、もう、仏蘭西の北の何処かで死んでゐるに違ひない年齢である。仏蘭西へ帰つたミツシエルから、オパールとこまかいダイヤを散りばめた腕環を贈つて来たが、それだけは戦争最中にも手放さなかつた。––きんの関係した男達は、みんなそれぞれに偉くなつていつたが、この終戦後は、その男達のおほかたは消息も判らなくなつてしまつた。相沢きんは相当の財産を溜め込んでゐるだらうと云ふ風評であつたが、きんはかつて待合をしようとか、料理屋をしようなぞとは一度も考へた事がなかつた。持つてゐるものと云へば、焼けなかつた自分の家と、熱海の別荘を一軒持つてゐるきりで、人の云ふほどの金はなかつた。別荘は義妹の名前になつてゐたのを、終戦後、折を見て手放してしまつた。全くの無為徒食(むゐとしよく)であつたが、女中のきぬは義妹の世話であつたが(おし)の女である。きんは、暮しも案外つゝましくしてゐた。映画や芝居を見たいと云ふ気もなかつたし、きんは何の目的もなくうろうろと外出する事はきらひであつた。天日(てんぴ)にさらされた時の自分の老いを人目に見られるのは厭であつた。明るい太陽の下では、老年の女のみじめさをようしやなく見せつけられる。如何(いか)なる金のかゝつた服飾も天日の前では何の役にもたゝない。陽蔭(ひかげ)の花で暮す事に満足であつたし、きんは趣味として小説本を読む事が好きであつた。養女を貰つて老後の(たの)しみを考へてはと云はれる事があつても、きんは老後なぞと云ふ思ひが不快であつたし、今日まで孤独で来た事も、きんには一つの理由があるのだつた。––きんは両親がなかつた。秋田の本庄近くの小砂川の生れだと云ふ事だけが記憶にあつて、五ツ位の時に東京に貰はれて、相沢の姓を名乗り、相沢家の娘としてそだつた。相沢久次郎と云ふのが養父であつたが、土木事業で大連に渡つて行き、きんが小学校の頃から、この養父は大連へ行きつぱなしで消息はないのである。養母のりつは仲々の理財家で、株をやつたり借家を建てたりして、その頃は牛込の藁店(わらだな)に住んでゐたが、藁店の相沢と云へば、牛込でも相当の金持ちとして見られてゐた。その頃神楽坂(かぐらざか)に辰井と云ふ古い足袋屋があつて、そこに、町子と云ふ美しい娘がゐた。この足袋屋は人形町のみやうが屋と同じやうに歴史のある家で、辰井の足袋と云へば、山の手の邸町(やしきまち)でも相当の信用があつたものである。紺の暖簾(のれん)を張つた広い店先きにミシンを置いて、桃割に結つた町子の黒繻子(くろじゆす)の襟をかけてミシンを踏んでゐるところは、早稲田の学生達にも評判だつたとみえて、学生達が足袋をあつらへに来ては、チップを置いて行くものもあると云ふ風評だつたが、この町子より五ツ六ツも若いきんも、町内では美しい少女として評判だつた。神楽坂には二人の小町娘として人々に云ひふらされてゐた。––きんが十九の頃、相沢の家も、合百(がふびやく)鳥越(とりごえ)と云ふ男が出入りするやうになつてから、家が何となくかたむき始め、養母のりつは酒乱のやうな癖がついて、長い事暗い生活が続いてゐたが、きんはふつとした冗談から鳥越に犯されてしまつた。きんはその頃、やぶれかぶれな気持ちで家を飛び出して、赤坂の鈴本と云ふ家から芸者になつて出た。辰井の町子は、丁度その頃、始めて出来た飛行機にふり袖姿で乗せて貰つて洲崎の原に墜落したと云ふ事が新聞種になり、相当評判をつくつた。きんは、欣也と云ふ名前で芸者に出たが、すぐ、講談雑誌なんかに写真が載つたりして、しまひには、その頃流行のヱハガキになつたりしたものである。

 いまから思へば、かうした事も、みんな遠い過去のことになつてしまつたけれども、きんは自分が現在五十歳を過ぎた女だとはどうしても合点(がてん)がゆかなかつた。長く生きて来たものだと思ふ時もあつたが、また短い青春だつたと思ふ時もある。養母が亡くなつたあと、いくらもない家財は、きんの貰はれて来たあとに生れたすみ子と云ふ義妹にあつさり継がれてしまつてゐたので、きんは養家に対して何の責任もない(からだ)になつてゐた。

 きんが田部を知つたのは、すみ子夫婦が戸塚に学生相手の玄人(くろうと)下宿をしてゐる頃で、きんは、三年ばかり続いてゐた旦那と別れて、すみ子の下宿に一部屋を借りて気楽に暮してゐた。太平洋戦争が始つた頃である。きんはすみ子の茶の間で行きあふ学生の田部と知りあひ、親子ほども年の違ふ田部と、何時か人目を忍ぶ仲になつてゐた。五十歳のきんは、知らない人の目には三十七八位にしか見えない若々しさで、眉の濃いのが匂ふやうであつた。大学を卒業した田部はすぐ陸軍少尉で出征したのだけれども、田部の部隊はしばらく広島に駐在してゐた。きんは、田部を尋ねて二度ほど広島へ行つた。

 広島へ着くなり、旅館へ軍服姿の田部が尋ねて来た。革臭い田部の体臭にきんはへきえきしながらも、二晩を田部と広島の旅館で暮した。はるばると遠い地を尋ねて、くたくたに疲れてゐたきんは、田部の(たくま)しい力にほんろうされて、あの時は死ぬやうな思ひだつたと人に告白して云つた。二度ほど田部を尋ねて広島に行き、その後田部から幾度電報が来ても、きんは広島へは行かなかつた。昭和十七年に田部はビルマへ行き、終戦の翌年の正月に復員して来た。すぐ上京して来て、田部は沼袋のきんの家を尋ねて来たが、田部はひどく()けこんで、前歯の抜けてゐるのを見たきんは昔の夢も消えて失望してしまつた。田部は広島の生れであつたが、長兄が代議士になつたとかで、兄の世話で自動車会社を起して、東京で一年もたゝない間に、見違へるばかり立派な紳士になつてきんの前に現はれ、近々に細君を貰ふのだと話した。それからまた一年あまり、きんは田部に逢ふ事もなかつた。––きんは、空襲の激しい頃、捨て値同様の値段で、現在の沼袋の電話つきの家を買ひ、戸塚から沼袋へ疎開してゐた。戸塚とは眼と鼻の近さでありながら、沼袋のきんの家は残り、戸塚のすみ子の家は焼けた。すみ子達が、きんのところへ逃げて来たけれども、きんは、終戦と同時にすみ子達を追ひ出してしまつた。(もつと)も追ひ出されたすみ子も、戸塚の焼跡に早々と家を建てたので、かへつていまではきんに感謝してゐる有様でもあつた。今から思へば、終戦直後だつたので、安い金で家を建てる事が出来たのである。

 きんも熱海の別荘を売つた。手取り三十万近い金がはいると、その金でぼろ家を買つては手入れをして三、四倍には売つた。きんは、金にあわてると云ふ事をしなかつた。金銭と云ふものは、あわてさへしなければすくすくと雪だるまのやうにふくらんでくれる利徳のあるものだと云ふ事を長年の修業で心得てゐた。高利よりは安い利まはりで固い担保を取つて人にも貸した。戦争以来、銀行をあまり信用しなくなつたきんは、なるべく金を外へまはした。農家のやうに家へ積んで置く愚もしなかつた。その使ひにはすみ子の良人(をつと)浩義(ひろよし)を使つた。幾割かの謝礼を払へば、人は小気味よく働いてくれるものだと云ふ事もきんは知つてゐた。女中との二人住ひで、四間(よま)ばかりの家うちは、外見には淋しかつたのだけれども、きんは少しも淋しくもなかつたし、外出ぎらひであつてみれば、二人暮しを不自由とも思はなかつた。泥棒の要心には犬を飼ふ事よりも、戸締りを固くすると云ふ事を信用してゐて、何処の家よりもきんの家は戸締りがよかつた。女中は唖なので、どんな男が尋ねて来ても他人に聞かれる心配はない。その癖きんは、時々、むごたらしい殺され方をしさうな自分の運命を時々空想する時があつた。息を殺してひつそりと静まり返つた家と云ふものを不安に思はないでもない。きんは、朝から晩までラジオをかける事を忘れなかつた。きんはその頃、千葉の松戸で花壇をつくつてゐる男と知りあつてゐた。熱海の別荘を買つた人の弟だとかで、戦争中はハノイで貿易の商社を起してゐたのだけれども、終戦後引揚げて来て、兄の資本で松戸で花の栽培を始めた。年はまだ四十歳そこそこであつたが、頭髪がつるりと禿げて、年よりは老けてみえた。板谷清次と云つた。二三度家の事できんを尋ねて来たけれども、板谷は何時の間にかきんの処へ週に一度は尋ねて来るやうになつてゐた。板谷が来始めてから、きんの家は美しい花々の土産で賑はつた。––今日もカスタニアンと云ふ黄いろい薔薇(ばら)がざくりと床の間の花瓶に差されてゐる。銀杏(いてふ)の葉、すこし(こぼ)れてなつかしき、薔薇の園生(そのふ)の霜じめりかな。黄いろい薔薇は年増ざかりの美しさを思はせた。誰かの歌にある、霜じめりした朝の薔薇の匂ひが、つうんときんの胸に思ひ出を誘ふ。田部から電話がかゝつてみると、板谷よりも、きんは若い田部の方に()かれてゐる事を悟る。広島では辛かつたけれども、あの頃の田部は軍人であつたし、あの荒々しい若さも今になれば無理もなかつた事だとつまされて嬉しい思ひ出である。激しい思ひ出ほど、時がたてば何となくなつかしいものだ。田部が尋ねて来たのは五時を大分過ぎてからであつたが、大きな包みをさげて来た。包みの中から、ウイスキーや、ハムや、チーズなぞを出して、長火鉢の前にどつかと坐つた。もう昔の青年らしさはおもかげもない。灰色の格子の背広に、黒つぽいグリンのズボンをはいてゐるのは如何にも此時代の機械屋さんと云つた感じだつた。「相変らず綺麗だな」「さう、有難う、でも、もう駄目ね」「いや、うちの細君より色つぽい」「奥さまお若いンでせう?」「若くても、田舎者だよ」きんは、田部の銀の煙草ケースから一本煙草を抜いて火をつけて貰つた。女中がウイスキーのグラスと、さつきのハムやチーズを盛りあはせた皿を持つて来た。「いゝ娘だね……」田部がにやにや笑ひながら云つた。「えゝ、でも(おし)なのよ」ほゝうと云つた表情で、田部はぢいつと女中の姿をみつめてゐた。柔和な眼もとで、女中は丁寧に田部に頭をさげた。きんは、ふつと、気にもかけなかつた女中の若さが目障(めざは)りになつた。「御円満なのでせう?」田部はぷうと煙を吹きながら、あゝ僕ンとこかいと云つた顔で、「もう来月子供が生れるンだ」と云つた。へえ、さうなのと、きんはウイスキーの瓶を持つて、田部のグラスにすゝめた。田部は美味(うま)さうにきゆうとグラスを()けて、自分もきんのグラスにウイスキーをついでやつた。「いゝ生活だな」「あら、どうして?」「外は嵐がごうごうと吹き()さんでゐるのにさ、君ばかりは何時までたつても変らない……不思議な人だよ。どうせ、君の事だから、いゝパトロンがゐるンだらうけど、女はいゝな」「それ、皮肉ですか? でも、私、別に、田部さんに、そんな風な事云はれる程、貴方に御厄介かけたつて事ないわね?」「(おこ)つたの? さうぢやないンだよ。さうぢやないンだ。あンたは(しあは)せな人だつて云ふンだよ。男の仕事つて辛いもンだから、つい、そンな事を云つたのさ。いまの世は、あだやおろそかには暮せない。喰ふか喰はれるかだ。僕なンか、毎日ばくちをして暮してゐるやうなもンだからね」「だつて、景気はいゝンでせう?」「よかないさ……あぶない綱渡り、耳鳴りがする位辛い金を使つてゐるンだぜ」きんは黙つてウイスキーをなめた。壁ぎはでこほろぎが啼いてゐるのがいやにしめつぽい。田部は、二杯目のウイスキーを飲むと、荒々しくきんの手を火鉢越しにつかんだ。指環をはめてゐない手が絹ハンカチのやうに頼りないほど柔い。きんは手の先きにある力をぢつと抜いて、息を殺してゐた。力の抜けてゐる手は無性に冷たくてぼつてりと柔い。田部の酔つた眼には、昔の様々が渦をなし心に迫つて来る。昔のまゝの美しさで女が坐つてゐる。不思議な気がした。絶えず流れる歳月のなかに少しづつ経験が積み重なつてゆく。その流れのなかに、飛躍もあれば墜落もある。だが、昔の女は何の変化もなく太々(ふてぶて)しくそこに坐つてゐる。田部はぢいつときんの眼をみつめた。眼をかこむ小皺も昔のまゝだ。輪郭も崩れてはゐない。この女の生活の情態を知りたかつた。この女には社会的の反射は何の反応もなかつたのかもしれない。箪笥を飾り長火鉢を飾り、豪華に群生した薔薇の花も飾り、につこりと笑つて自分の前に坐つてゐる。もう、すでに五十は越してゐる筈だのに、匂ふばかりの女らしさである。田部はきんの本当の年齢を知らなかつた。アパート住ひの田部は、二十五歳になつたばかりの細君のそゝけた疲れた姿を瞼に浮べる。きんは火鉢のひき出しから、のべ銀の細い煙管(きせる)を出して、小さくなつた両切りをさして火をつけた。田部が、時々膝頭をぶるぶるとゆすぶつてゐるのが、きんには気にかゝつた。金銭的に参つてゐる事でもあるのかも知れないと、きんはぢいつと田部の表情を観察した。広島へ行つた時のやうな一途(いちづ)な思ひはもうきんの心から薄れ去つてゐる。二人の長い空白が、きんには現実に逢つてみるとちぐはぐな気がする。さうしたちぐはぐな思ひが、きんにはもどかしく淋しかつた。どうにも昔のやうに心が燃えてゆかないのだ。この男の肉体をよく知つてゐると云ふ事で、自分にはもうこの男のすべてに魅力を失つてゐるのかしらとも考へる。雰囲気はあつたにしても、かんじんの心が燃えてゆかないと云ふ事に、きんは(あせ)りを覚える。「誰か、君の世話で、四十万ほど貸してくれる人ない?」「あら、お金のこと? 四十万なンて大金ぢやないの?」「うん、いま、どうしても、それだけ欲しいンだよ。心当りはない?」「ないわ、第一、こんな無収入な暮しをしてゐる私に、そンな相談をしたつて無理ぢやないの……」「さうかなア、うんと、利子をつけるが、どうだらう?」「駄目! 私にそンな事おつしやつても無理よ」きんは、急に寒気だつやうな気がした。板谷との長閑(のどか)な間柄が恋ひしくなつて来る。きんは、がつかりした気持ちで、しゆんしゆんと沸きたつてゐるあられの鉄瓶を取つて茶を淹れた。「二十万位でもどうにかならない? 恩にきるンだがなア……」「をかしな人ね? 私にお金のことをおつしやつたつて、私にはお金のない事よく判つていらつしやるぢやないの……。私がほしい位のものだわ。私に逢ひたい為に来て下すつたンぢやなく、お金の話で、私のとこへいらつしたの?」「いや、君に逢ひたい為さ、そりやア逢ひたい為だけど、君になら、何でも相談が出来ると思つたからなンだよ」「お兄様に相談なさればいゝのよ」「兄貴には話せない金なンだ」きんは返事もしないで、ふつと、自分の若さも、もうあと一二年だなと思ふ。昔の焼きつくやうな二人の恋が、いまになつてみると、お互ひの上に何の影響もなかつた事に気がついて来る。あれは恋ではなく、強く()きあふ雌雄だけのつながりだつたのかも知れない。風に漂ふ落葉のやうなもろい男女のつながりだけで、こゝに坐つてゐる自分と田部は、只、何でもない知人のつながりとしてだけのものになつてゐる。きんの胸に冷やかなものが流れて来た。田部は思ひついたやうに、にやりとして、「泊つてもいゝ?」と小さい声で、茶を呑んでゐるきんに尋ねた。きんは吃驚(びつくり)した眼をして、「駄目よ。こんな私をからかはないで下さい」と、眼尻の皺をわざとちぢめるやうにして笑つた。美しい(しろ)い入れ歯が光る。「いやに冷酷無情だな。もう、一切金の話はしない。一寸、昔のきんさんに甘つたれたンだ。でも、––こゝは別世界だものね。君は悪運の強い人だよ。どんな事があつたつてくたばらないのは偉い。いまの若い女なンか、そりやアみじめだからね。君、ダンスはしないの?」きんは、ふゝんと鼻の奥でわらつた。若い女がどうだつて云ふンだらう……。私の知つた事ぢやないわ。「ダンスなンて知らないわ。貴方なさるの?」「少しはね」「さう、いゝ方があるンでせう? それでお金がいるンぢやないの?」「馬鹿だなア、女にみつぐ程、ぼろい金まうけはしてゐない」「あら、でも、とても、その身だしなみは紳士ぢやないのよ。相当なお仕事でなくちや、出来ない芸だわ」「これははつたりなンだ。ふところはぴいぴいなンだぜ。七転(なゝころ)八起(やお)きも此頃はあわただしくてね……」きんはふふふとふくみ笑ひをして、田部の房々とした黒髪にみとれてゐる。まだ、十分房々として額ぎはにたれてゐる。角帽の頃の匂ふ水々しさは失せてゐるけれども、頬のあたりがもう中年の(あだ)めかしさを漂はせて、品のいゝ表情はないながらも、逞ましい何かがある。猛獣が遠くから匂ひを嗅ぎあつてゐるやうな観察のしかたで、きんは、田部にも茶を淹れてやつた。「ねえ、近いうちにお金の切りさげつてあるつて本当なの?」きんは冗談めかして尋ねた。「心配するほど持つてるンだな?」「まア! すぐ、それだから、貴方つて変つたわね。そンな風評を人がしてるからなのよ」「さア、そンな無理なことはいまの日本ぢや出来ないだらうね。金のないものには、まづ、そンな心配はないさ」「本当ね……」きんはいそいそとウイスキーの瓶を田部のグラスに差した。「あゝ、箱根かどつか静かなところへ行きたいな。二三日そんな処でぐつすり寝てみたい」「疲れてるの」「うん、金の心配でね」「でも、金の心配なンて貴方らしくていゝぢやアありませんの? なまじ、女の心配ぢやないだけ……」田部は、きんの取り澄してゐるのが憎々しかつた。上等の古物(こぶつ)を見てゐるやうでをかしくもある。一緒に一夜を過したところで、ほどこしをしてやるやうなものだと、田部は、きんのあごのあたりを見つめた。しつかりしたあごの線が意志の強さを現はしてゐる。さつき見た(おし)の女中の水々しい若さが妙に瞼にだぶつて来た。美しい女ではないが、若いと云ふ事が、女に眼の()えて来た田部には新鮮であつた。なまじ、この出逢ひが始めてならば、かうしたもどかしさもないのではないかと、田部は、さつきよりも疲れの見えて来たきんの顔に老いを感じる。きんは何かを察したのか、さつと立ちあがつて、隣室に行くと、鏡台の前に行き、ホルモンの注射器を取つて、ずぶりと腕に射した。肌を脱脂綿できつくこすりながら、鏡のなかをのぞいて、パフで鼻の上をおさへた。色めきたつ思ひのない男女が、かうしたつまらない出逢ひをしてゐると云ふ事に、きんは口惜(くや)しくなつて来て、思ひがけもしない通り魔のやうな涙を瞼に浮べた。板谷だつたら、膝に泣き伏すことも出来る。甘えることも出来る。長火鉢の前にゐる田部が、好きなのかきらひなのか少しも判らないのだ。帰つて貰ひたくもあり、もう少し、何かを相手の心に残したい(あせ)りもある。田部の眼は、自分と別れて以来、沢山の女を見て来てゐるのだ。(かはや)へ立つて、帰り、女中部屋を一寸のぞくと、きぬは、新聞紙の型紙をつくつて、洋裁の勉強を一生懸命にしてゐた。大きなお尻をべつたりと畳につけて、かゞみ込むやうにして鋏をつかつてゐる。きつちり巻いた髪の襟元が、艶々と白くて、見惚れるやうにたつぷりとした肉づきであつた。きんは、そのまゝまた長火鉢の前へ戻つた。田部は寝転んでゐた。きんは茶箪笥の上のラジオをかけた。思ひがけない大きい響きで第九が流れ出した。田部はむつくりと起きた。そしてまたウイスキーのグラスを唇につける。「君と、柴又の川甚へ行つた事があつたね。えらい雨に降りこめられて、飯のない鰻を食つた事があつたなア」「ええ、そンな事あつたわね、あの頃はもう、食べ物がとても不自由な時だつたわ。貴方が兵隊さんになる前よ。床の間に赤い鹿の子百合が咲いててさア、二人で、花瓶を引つくり返したこと覚えてゐる?」「そンな事あつたね……」きんの顔が急にふくらみ、若々しく表情が変つた。「何時かまた行かうか?」「えゝ、さうね、でももう、私、おくくふだわ……もう、あそこも、何でも食べさせるやうになつてるでせうね?」きんは、さつき泣いた感傷を消さないやうに、そつと、昔の思ひ出をたぐりよせようと努力してゐる。そのくせ、田部とは違ふ男の顔が心に浮ぶ。田部と柴又に行つたあと、終戦直後に、山崎と云ふ男と一度、柴又へ行つた記憶がある。山崎はつい先達(せんだつて)胃の手術で死んでしまつた。晩夏でむし暑い日の江戸川べりの川甚の薄暗い部屋の景色が浮んで来る。こつとん、こつとん、水揚げをしてゐる自動ポンプの音が耳についてゐた。カナカナが鳴きたてて、窓べの高い江戸川堤の上を買ひ出しの自転車が競走のやうに銀輸を光らせて走つてゐたものだ。山崎とは二度目のあひゞきであつたが、女に初心(うぶ)な山崎の若さが、きんにはしみじみと神聖に感じられた。食べ物も豊富だつたし、終戦のあとの気の抜けた世相が、案外真空の中にゐるやうに静かだつた。帰りは夜で、新小岩へ広い軍道路をバスで戻つたのを覚えてゐる。「あれから、面白い人にめぐりあつた?」「私?」「うん……」「面白い人つて、貴方以外に何もありませんわ」「嘘つけ!」「あら、どうして? さうぢやないの? こんな私を、誰が相手にするものですか……」「信用しない」「さう……でも、私、これから咲き出すつもり、生きてゐる甲斐にね」「まだ、相当長生きだらうからね」「えゝ、長生きをして、ぼろぼろに老いさらばへるまで……」「浮気はやめない?」「まア、貴方つて云ふひとは、昔の純なとこ少しもなくなつたわね。どうして、そンな厭なことを云ふ人になつたンでせう。昔の貴方は綺麗だつたわ」田部は、きんの銀の煙管(きせる)を取つて吸つてみた。じゆつと苦味(にが)やにが舌に来る。田部はハンカチを出して、べつとやにを吐いた。「掃除しないからつまつてるのよ」きんは笑ひながら、煙管を取りあげて、散り紙の上に小刻みに強く振つた。田部は、きんの生活を不思議に考へる。世相の残酷さが何一つ跡をとゞめてはゐないと云ふ事だ。二三十万の金は何とか都合のつきさうな暮しむきだ。田部はきんの肉体に対しては何の未練もなかつたが、この暮しの底にかくれてゐる女の生活の豊かさに追ひすがる気持ちだつた。戦争から戻つて、只の血気(けつき)だけで商売をしてみたが、兄からの資本は半年たらずですつかり使ひ果してゐたし、細君以外の女にもかゝはりがあつて、その女にもやがて子供が出来るのだ。昔のきんを思ひ出して、もしやと云ふ気持ちできんの処へ来たのだけれども、きんは、昔のやうな一途のところはなくなつてゐて、いやに分別を心得てゐた。田部との久々の出逢ひにも一向に燃えては来なかつた。躯を崩さない、きちんとした表情が、田部には仲々近寄りがたいのである。もう一度、田部はきんの手を取つて固く握つてみた。きんはされるままになつてゐるだけである。火鉢に乗り出して来るでもなく、片手で煙管のやにを取つてゐる。

 長い歳月に()らされたと云ふ事が、複雑な感情をお互ひの胸の中にたゝみこんでしまつた。昔のあのなつかしさはもう二度と再び戻つては来ないほど、二人とも並行して年を取つて来たのだ。二人は黙つたまゝ現在を比較しあつてゐる。幻滅の輪の中に沈み込んでしまつてゐる。二人は複雑な疲れ方で逢つてゐるのだ。小説的な偶然はこの現実にはみぢんもない。小説の方がはるかに甘いのかも知れない。微妙な人生の真実。二人はお互ひをこゝで拒絶しあふ為に逢つてゐるに過ぎない。田部は、きんを殺してしまふ事も空想した。だが、こんな女でも殺したとなると罪になるのだと思ふと妙な気がした。誰からも注意されない女を一人や二人殺したところで、それが何だらうと思ひながらも、それが罪人になつてしまふ結果の事を考へると馬鹿馬鹿しくなつて来るのだ。たかが虫けら同然の老女ではないかと思ひながらも、この女は何事にも動じないでこゝに生きてゐるのだ。二つの箪笥の中には、五十年かけてつくつた着物がぎつしりと這入つてゐるに違ひない。昔、ミツシエルとか云つた仏蘭西人に贈られた腕環を見せられた事があつたけれども、あゝした宝石類も持つてゐるに違ひない。この家も彼女のものであるにきまつてゐる。唖の女中を置いてゐる女の一人位を殺したところで大した事はあるまいと空想を逞しくしながらも、田部は、此女に思ひつめて、戦争最中あひゞきを続けてゐた学生時代の、この思ひ出が息苦しく生鮮を放つて来る。酒の酔ひがまはつたせゐか、眼の前にゐるきんのおもかげが自分の皮膚の中に妙にしびれ込んで来る。手を触れる気もないくせに、きんとの昔が量感を持つて心に影をつくる。

 きんは立つて、押入れの中から、田部の学生時代の写真を一枚出して来た。「ほゝう、妙なもの持つてゐるンだね」「えゝ、すみ子のところにあつたのよ。貰つて来たの、これ、私と逢ふ前の頃のね。この頃の貴方つて貴公子みたいよ。紺飛白(こんがすり)でいゝぢやない? 持つていらつしやいよ。奥さまにお見せになるといゝわ。綺麗ね。いやらしい事を云ふひとには見えませんね」「こんな時代もあつたンだね?」「えゝ、さうよ。このまゝですくすくとそだつて行つたら、田部さんは大したものだつたのね?」「ぢやア、すくすくとそだたなかつたつて云ふの?」「えゝ、さう」「そりやァ、君のせゐだし、長い戦争もあつたしね」「あら、そンな事、こじつけだわ。そンな事は原因にならなくてよ。貴方つて、とても俗になつちやつた……」「へえ……俗にね。これが人間なンだよ」「でも、長い事、此写真を持ち歩いてゐた私の純情もいゝぢやアないの?」「多少は思ひ出もンだらうからね。僕にはくれなかつたね?」「私の写真?」「うん」「写真は怖いわ。でも、昔の私の芸者時代の写真、戦地に送つて上げたでせう?」「どつかへおつことしちやつたなア……」「それごらんなさい。私の方が、ずつと純だわ」

 長火鉢のとりでは、仲々崩れさうにもない。田部は、もうすつかり酔つぱらつてしまつた。きんの前にあるグラスは、始めの一杯をついだまゝのが、まだ半分以上も残つてゐる。田部は冷い茶を一気に呑んで、自分の写真を興味もなく横板の上に置いた。「電車、大丈夫?」「帰れやしないよ。このまゝ酔つぱらひを追ひ出すのかい」「えゝ、さう、ぽいと放り出しちやふわ。こゝは女の家で、近所がうるさいですからね」「近所? へえ、そンなもの君が気にするとは思はないな」「気にします」「旦那が来るの?」「まア! 厭な田部さん、私、ぞつとしてしまつてよ。そンなこと云ふ貴方つてきらひツ!」「いゝさ、金が出来なきや、二三日帰れないンだ。こゝへ置いて貰ふかな……」きんは、両手で頬杖をついて、ぢいつと大きい眼を見はつて田部の白つぽい唇を見た。百年の恋もさめ果てるのだ。黙つて、眼の前にゐる男を吟味してゐる。昔のやうな、心のいろどりはもうお互ひに消えてしまつてゐる。青年期にあつた男の恥ぢらひが少しもないのだ。金一封を出して戻つてもらひたい位だ。だが、きんは、眼の前にだらしなく酔つてゐる男に一銭の金も出すのは厭であつた。初々(うひうひ)しい男に出してやる方がまだましである。自尊心のない男ほど厭なものはない。自分に血道をあげて来た男の初々しさをきんは幾度も経験してゐた。きんは、さうした男の初々しさに惹かれてゐたし、高尚なものにも思つてゐた。理想的な相手を選ぶ事以外に彼女の興味はない。きんは、心の中で、田部をつまらぬ男になりさがつたものだと思つた。戦死もしないで戻つて来た運の強さが、きんには運命を感じさせる。広島まで田部を追つて行つた、あの時の苦労だけで、もうこの男とは幕にすべきだつたと思ふのだつた。「何をじろじろ人の顔見てるンだ?」「あら、あなただつて、さつきから、私をじろじろ見てて何かいゝ気な事考へてゐたでせう?」「いや、何時逢つても美しいきんさんだと見惚(みと)れてゐたのさ……」「さう、私も、さうなの。田部さんは立派になつたと思つて……」「逆説だね」田部は、人殺しの空想をしてゐたのだと口まで出かけてゐるのをぐつとおさへて、逆説だねと逃げた。「貴方はこれから男ざかりだから(たの)しみだわね」「君もまだまだぢやないの?」「私? 私はもう駄目。このまゝしぼんでゆくきり、二三年したら、田舎へ行つて暮したいのよ」「ぼろぼろになるまで長生きして、浮気するつて云つたのは嘘?」「あら、そんな事、私云ひませんよ。私つて、思ひ出に生きてる女なのよ。只、それだけ。いゝお友達になりませうね」「逃げてるね。女学生みたいな事を云ひなさンなよ。えゝ。思ひ出だのつてものはどうでもいゝな」「さうかしら……だつて、柴又へ行つたの云ひ出したの貴方よ」田部はまた膝をぶるぶるとせつかちにゆすぶつた。金が欲しい。金。何とかして、只、五万円でも、きんに借りたいのだ。「本当に都合つかないかねえ? 店を担保に置いても駄目?」「あら、また、お金の話? そンな事を私におつしやつても駄目よ。私、一銭もないのよ。そンなお金持ちも知らないし、あるやうでないのが金ぢやないの。私、貴方に借りたい位だわ……」「そりやアうまくゆけば、うんと君に持つて来るさ。君は、忘れられない人だもの、……」「もう沢山よ、そンなおせじは……お金の話しないつて云つたでせう?」わあつと四囲(あたり)いちめん水つぽい秋の夜風が吹きまくるやうで、田部は、長火鉢の火箸を握つた。一瞬、(すさ)まじい怒りが眉のあたりに這ふ。謎のやうに誘惑される一つの影に向つて、田部は火箸を固く握つた。雷光のやうなとゞろきが動悸を打つ。その動悸に刺戟される。きんは何とない不安な眼で田部の手元をみつめた。いつか、こんな場面が自分の周囲にあつたやうな二重写しを見るやうな気がした。「貴方、酔つてるのね、泊つて行くといゝわ……」田部は泊つて行くといゝと云はれて、ふつと火箸を持つた手を離した。ひどく酩酊(めいてい)したかつかうで、田部はよろめきながら(かはや)へ立つて行つた。きんは田部の後姿に予感を受け取り、心のうちでふゝんと軽蔑してやる。この戦争ですべての人間の心の環境ががらりと変つたのだ。きんは、茶棚からヒロポンの粒を出して素早く飲んだ。ウイスキーはまだ三分の一は残つてゐる。これをみんな飲ませて、泥のやうに眠らせて、明日は追ひ返してやる。自分だけは眠つてゐられないのだ。よく(おこ)つた火鉢の青い炎の上に、田部の若かりし頃の写真をくべた。もうもうと煙が立ちのぼる。物の焼ける匂ひが四囲にこもる。女中のきぬがそつと開いてゐる襖からのぞいた。きんは笑ひながら手真似で、客間に蒲団を敷くやうに云ひつけた。紙の焼ける匂ひを消す為に、きんは薄く切つたチーズの一切れを火にくべた。「わア、何焼いてるの」厠から戻つて来た田部が女中の豊かな肩に手をかけて襖からのぞき込んだ。「チーズを焼いて食べたらどンな味かと思つて、火箸でつまんだら火におつことしちまつたのよ」白い煙の中に、まつすぐな黒い煙がすつと立ちのぼつてゐる。電気の円い硝子笠が、雲の中に浮いた月のやうに見えた。あぶらの焼ける匂ひが鼻につく。きんは、煙にむせて、四囲の障子や襖を荒々しく開けてまはつた。

 

    ──昭和二十三年十一月──

 

 

新宿区立林芙美子記念館

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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林 芙美子

ハヤシ フミコ
はやし ふみこ 小説家 1903・12・31~1951・6・28 福岡県門司市(現・北九州市門司区)に生まれる。(生地は山口県下関市という説もある。)尾道市立高女卒。養父と各地を行商、早くから詩を書いて地方紙に載せられていたが、1913(大正2)年上京、転々と職を替えながら先ず詩集『蒼馬を見たり』を上梓。歌日記を「女人藝術」に連載していたのが『放浪記』として出版され大きな人気を得た。戦時下、ペン部隊として中国や南方に従軍、戦後は客観的写実的な作風を深め独自の成熟を見せたが、人気作家のまま惜しくも早世。「晩菊」により日本女流文学者賞。

掲載作は「別冊文藝春秋」1948(昭和23)年11月号に発表し、第3回日本女流文学賞を受賞。『筑摩現代文学大系39』を参照。

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