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無法松の一生

原作………………………岩下 俊作

スタッフ

製作………………………中泉 雄光

監督………………………稲垣  浩

撮影………………………宮川 一夫

音楽………………………西  悟郎

キャスト

富島松五郎………………阪東妻三郎

吉岡小太郎………………永田  靖

  よし子………………園井 恵子

  敏雄(少年時代)…沢村アキヲ(長門裕之)

  〃 (青年時代)…川村 禾門

宇和島屋…………………杉  狂児

結城重蔵…………………月形龍之助

熊吉………………………尾上 華丞

松五郎の父………………香川 良介

巡査………………………葛城 秀一

 

1 古船場(ふるせんば)の夕景

 子供が、竹の先にボロ切れをくくりつけたのを空高く振り回しながら

蝙蝠(こうもり)こい、草履やろう」

 と、口々にわめいて、中には草履を高く投げるのもいる。

 子供の群れを縫って忙しく豆腐屋が通り、医者の乗った俥は、餓鬼どもを叱りつけながら行き過ぎる。夜鳴き饂飩(うどん)の老爺が屋台車に水を汲みこんでいるかと思うと、 子を探す母親は大きな乳房に赤ん坊を吸いつかせたまま

「コボヤ、コボや! 早う戻らんかい。ランプの掃除もせんと遊び回って! いうこと聞かん子はお巡りさんに――あ、そらそら向うからお巡りさんがおいでたじゃろ」

 本当に一人の巡査がこつこつと歩いてくる。子供らは変に気味が悪く、しぼらくの間はシーンとして仕舞う。

 

2 宇和島屋の店頭

 木賃御宿宇和島屋と書いた軒燈。ひびの入った色硝子の片側を開いて、豆ランプを入れる若者(十六才位。唖で少し白痴。通称ぼんさん)

 ちょうどそこへ巡査がくる。

 ぼんさんは、巡査と鼻つき合わせて立ち、真剣に軍隊式敬礼をする。

 巡査はにこりともせず

「老爺いるか」

 と言いながら敷居をまたぐ。

 入った所の帳場から(かぎ)の手に細長い板の間があり、其所に大小さまざまのランプが置いてある。(ぼんさんが掃除していたのであろう)

 ぼんさんは巡査に先回りして店の上り(かまち)から廊下の奥に駆け込む。

 何かもぐもぐ頬張(ほおば)りながら宇和島屋の老爺がぼんさんと一緒に出てくる。

「あ、こりゃこりゃ、旦那じゃったのかい。どうもこりゃ、おい、ぼんさん! お布団をあげんかい」

「もう構わんとけ」

 ぼんさん、座布団を取りにはいる。

 巡査、そこに腰をかけて

「時に老爺、松五郎が帰っちょるそうじゃの」

 老爺

「へえ、そうですかな」

 と団扇を取り、巡査を煽ぎながら

「どうもいつまでもきびしいことで――。毎日のお勤めは大変でしょうて」

「おい、ちょっと待て、老爺。松五郎は、一体()るんか居らんのか」

「松五郎のことなら、旦那よう知っとってでしょうが。去年の旧正月にこれ(ヽヽ)(ばくちの手まね)の一件で小倉を追放になっち――」

「そげんこたあ聞かんでもわかりちょらい。わしゃ去年のこたあ聞いちゃ居らんのじゃ。(ぼんさん座布団をすすめる。巡査敷く)松が三日程前からこの辺に舞い戻って来ちょることは、確かなところから聞いてちゃんと知っちょるんじゃ」

 

3 同、二階

 薄暗い二階に松が独り寝ている。枕元に水の入った金盥、中に手拭いが沈んでいる。あり合わせのきれ(ヽヽ)で、無茶苦茶に頭を縛った松五郎が、むくむくと起き上って胡座(あぐら)をかく。続いて立ち上ろうとするが、くらくらっとして、再び坐ってしまう。眼を閉じる。

 

4 階下、店頭

  巡査が

「お前が知らんはずはなかろうが老爺。彼奴が黒崎の方で喧嘩をして、小倉の方へ立ち回ったことは、ちゃんともう足取りが調べてあるんじゃ」

  老爺仰山(ぎょうさん)に驚いて

「松が喧嘩をしたんですと? ありゃ! また、誰と喧嘩したんじゃろか」

 

5 二階

 松、かっと限を開くと、急がしく、瞼をぱちぱちさせてから、

「おーい。ぼんさん!」

 

6 階下、店頭

 老爺と巡査が一瞬変な顔を見合わせる。

 松の声、なおも続く。

「おーい。ぼんさん! ちょっとこい」

 ぼんさんがはしご段の方へ行く。

 老爺と巡査、しばらく顔を見合せているが、急に爆発したように笑う。

 巡査がまず笑いやめて、こわい顔をし

莫迦(ばか)者」

 老爺、頭をかいて

「こりゃ大しくじりじゃ。旦那に怒られても仕様がねえ。それじゃが、うそも隠しもすりゃせんが、あの不死身の松があんた、三日三晩というもんな火のような大熟でなア。つい最前(さいぜん)まで囈言(うわごと)ばっかり言うちょったじゃ、旦那」

 ぼんさんがおりて来て、店の隅に置いてあった煙草盆を持って行こうとする。

 老爺見咎(みとが)めて

「どこへ持って行くんか」

 ぼんさん上を指してあんあん(ヽヽヽヽ)という。

「松つぁんとこか。(ぼんさんうなずく)あの大病人が何し煙草盆がいっか」

 ぼんさん上を指し、自分を指し、煙草盆を指し、それを持って行く風を示す。

「ふーん、松つぁんがや」

 ぼんさんうなずく。

「煙草盆をや」

 ぼんさんうなずく。

「松つぁんがや」

 ぼんさんうなずく

「ふーん。持っち行け」

 ぼんさん去る。

 巡査

「さいぜんまでは囈言(うわごと)、今は煙草盆か」

 老爺頭を(ひね)って

「さ、こうなるとこりゃちょっと話が合いませんナ」

「ははは、老爺情況不利ちゅうところたい」

「じゃけんど旦那、松が大怪我で大病人じゃちゅうことは、これはかけ引きたァ違いますぜ。これを疑われる位なら、おりゃもう、死んだ方がましじゃ」

 ぼんさんがはしご段を駆けおりて、急がしく土間におりる。

 老爺

「ぼんさん、ぼんさん、どこへ行くんか」

 ぼんさん上を指し、表を指し、うどんを食うような真似をする。

「何じゃ、饂飩(うどん)じゃ? 松つぁんがや?」

 ぼんさんうなずいて、あんあん(ヽヽヽヽ)と言って注意を引きながら、手で六の数を示す。

「え? 六? 六ぱいか」

 ぼんさんうなずいてとび出す。

 巡査と老爺、顔を見合す。

「老爺、形勢いよぃよ非なりか」

「おりゃもう、よう言いませんたい。何のことやらおれにはわからん」

 巡査立ち上って

「まあ、居ることさえわかりゃいいんじゃ、別にどうこうするちゅうんじゃない。心配せんちょけ」

「そんならいいけんど――、旦那、松は一体誰と喧嘩しよったんで」

「ふん、相手が悪いわい。若松警察の撃劔の先生じゃ」

「わあ! そりゃかなわん、そりゃかなわん」

 

7 二階

 空の饂飩(うどん)鉢六つ。

 布団の上で、松、大胡坐(あぐら)をかき、煙草盆を引きつけ、うまそうに煙を吐いている。

 ぼんさんは天井の吊りランプに、今灯をつけている。松の前に、宇和島屋の老爺、俥夫の熊吉、同宿の長崎法界坊、虚無僧などごたごたと坐っている。階下から手風琴の音が切れぎれに聞えて、オチニの薬屋が帰ってくる。

「あーオチニット――。わあ! やっとるですね。一、二、三、四、五、六――ははあ、実の所は六ぱいじゃね。あのですねえ松さん、君がですね、三日三晩あずった挙句(あげく)ですね、急にですね、起きてですね、饂飩(うどん)をですね、十六ぱい食うたちゅうて、近所ではモッパラ評判になっとりますぜ」

 皆笑う。虚無僧がすかさず

「オチニの先生、あのですねえ、松さんがですね、喧嘩のですね、イチブシジューをですね――」

「物語るちゅうですか、こいつは逃がせん」

 と、オチニ先生急いでそこに坐り

「ふん、ふん、で、それからどうしました」

 熊吉、仰山に顔をしかめ

「うるさいのが戻んち来たなア。松つぁん、まあ気にせんちやっちょくれ」

 松五郎

「うむ、まあやりかけた話じゃけんやってしまうが、ちょうどその日は蘆屋を朝出て、あちこち道草を食うたために黒崎に来た時は、もう日暮れが近かった」

 

8 黒崎の町はずれ

 松が空俥をひいて、ごそごそやってくる。

 無地の帷子に小倉の黒袴、白いヘルメットをかぶり、木刀をステッキ代りにした(ひげ)男(雄大な口髭と顎髯)が近づき

「おい俥屋、俥屋」

「へい」

「若松まで何ぼで行っか?」

「そうよの、回り道じゃし! 五カンはもらわにゃあ」

「五カン、五十銭か、高い! 四十銭で行け」

「四十銭じゃ、やれんたい」

「四十銭でええ!」

「旦那――、おりゃひどう疲れちょるんじゃ。ほかの俥に乗ってくれんか」

「ほかの俥て、此所らに俥は居りゃせんが、ぐずぐず言わんとやれ」

 と、梶棒を下へ押す。

「旦那! おまい、おれの俥に手を掛けてどうするつもりか」

「妙なことを言うな、客が乗ってやろうと言うちょるのがきさまにはわからんのか」

「わからん、おれはお前のようなアンポンタンは乗せんのじゃ、退け!」

「何、こら、待て!」

邪魔(じゃま)じゃ、退()け、退()け」

「待て! きさま」

 松、遂に梶棒をおろす。

「さ、待ったがどうした」

「何で客を侮辱(ぶじょく)した、きさま」

「お前はおれに喧嘩を売る気か、おれも小倉ではちょいとうるさい男でな、小倉名物、袴に鼻緒、命知らずの松五郎というのはおれのことじゃ」

「それがどうした」

「どうもせんわい。王手が先手じゃ!」

 松がいきなりぽかりと一つ殴る。髯一瞬間ふらふらとなるが、二足三足下って木刀を青眼に構えると、裂帛の叫び声で

「よ、ほう! お面一本!」

 と、一間位跳躍して打ち込む。さすがの松も電柱を倒すように顚倒する。

 

9 元の二階

「それっきり、おりゃうとうてしもうたんじゃ」

 一同唸る。老爺が

「なーるほど、ところで松つぁん、その相手を一体誰と思うちょる」

「そりゃわからん」

「お前のその相手はなア松つぁん、若松警察の撃劔の師範だい」

「ふーむ、おっとんはまた、それをどうして知っちょる」

「お巡りさんから聞いた。何ぼ松つぁんでもこりゃかなわん、相手は商売じゃ」

「道理で、しっかり応えると思うた」

 

10 常磐座(夕景)

 太鼓櫓。ステレケテンテン、スケレケテンテンと心をそそる太鼓の音。

 幟の数々、(川上三五郎丈江等)絵看板(原田重吉門破りの図等)

 木戸番の清吉

「えーしゃい、しゃあい! 本日よりおなじみ川上三五郎一座、日清戦争武勇伝、原田重吉は玄武門破り、さあただ今から、ただ今から」

 法被腹掛けの松五郎、木戸の板敷に上り、脱いだ雪駄をハタハタと打ち合わせて丼にねじ込みながら

「おいさん頼むぜ」

 清吉

「何ナ?」

 と、意地悪く詰問。松、意外。ちょっと当惑。

「すまんが、ちょっとだけのぞかせてくれんか」

「何じゃ、宵の口からただ見か、今度の芝居はお前らが見る、城の辺を回る小屋掛けの芝居とは違うんじゃけ。くるんなら九時過ぎにおいで、そしたら一幕や二幕は見せてやるけ」

「そうか、おれ逹が見る芝居とは違うちゅうのか、そりゃすまなんだな」

 松、ちょっと戻りかけてふりかえり

「じゃがな、おりゃ小倉の俥引きじゃ」

「それがどうしたら」

「どうということもないが、小倉の俥引きが小倉の芝居小屋で木戸を突かれたという話は聞いたことがないんでな」

 松、雪駄を履く。(以上は続々と詰めかける客の群の中で行われる)

 劇場前の稍ロング。(全景の必要はない)

 松が画面外に去る。

 

11 夜景

 前項と全く同じ画面。ただし、詰めかける客の姿はあまり見られない。清吉が思いだしたように

「しゃ――い」

 と、どなる。大きな包みをさげた松五郎と熊吉が画面に入ってくる。そのまま切符売り場に行く。

 見ている清吉。

 木戸に近づく松と熊。切符を渡す。

 切符の大写し(一等券)

 清吉

「ええ一等さん御案内!(ちょっと間をおいて)一等さんだよ」

 清吉、二人の後を見送って小首をかしげるが、今さらのように手に待った切符に見入り、やがてそれを切符さしにぎゅっと突きさすと、表の方を向いて

「えーっしゃあい」

 と、やけに叫ぶ。

 

12 常磐座内部

 幕(たばねのしの模様などが描いてある)

 中を人が行き来するらしく波打っている。

 大道具のトンカチの音。

 一等席のまん中。松と熊が七輪に鍋を掛けてバタバタ煽いでいる。周囲の人は皆驚いて見ている。

 遠くの方の人は立って見ている。幕のすき間からは裏方や役者が見ているし、木戸の入口の方では清吉ほか表方の者が、ひそひそささやき合いながら見ている。

 松五郎の手が、わき立った鍋の中へ大蒜(にんにく)をつかみこむ。見ていた客の一人驚いて

「わァ、にんにくじゃ、こりゃたまらんぞ」

 熊吉

「おい、この(にら)も入れようか」

「おう、遠慮せずにどんどんぶちこめ」

 鍋はぐらぐら煮え立ってもうもうと湯気が昇る。

 女逹はハンケチで鼻を覆う。

 たまりかねた客の一人が

「臭いぞ!」

 すると彼方でも此方でも

「たまらんぞ!」

「わるさはやめとけ!」

 熊吉は声のした方へ

「やかましいわい。臭うても芝居は見えるぞ!」

 二階から

「そこは台所と違うぞ!」

「おかずこしらえは家でせい!」

 松が立ち上って二階をにらむ。

「文句のある奴はおりてこい。無法者の松五郎が相手になってやるけ。自分の買うた桝の中で、何を煮て食おうと此方の勝手じゃないか」

 客の一人

「そうだ。その通り」

 松、その方を見て

「のう、そうじゃろ。お前は話せる。四の五の言う奴は何時でもやって来い」

 場内変にシーンとしてしまう。やがてまたがやがや言い始め、喧騒をきわめる。

 松と熊は幕の方を背にし、客の方をにらんで桝の緑に腰をおろし、いばっている。

 表方の者、下足番、清吉等が通路を急いでくる。

 鼻をおさえたり、こんこんせきをしたりしながら、松五郎に

「一体、あんたら何しとるんか」

「何! 見たらわかろうが、酒の肴をこしらえとるんじゃ」

「あんまりほかの客の迷惑になることをされると、出てもらわにゃならんが」

「おれの好きな物を、おれが煮て食うのに何ぞ文句があるか!」

「大体、今どき芝居の桝の中で煮焚きをするなんちこたあ、はやらんぜ。田舎の小屋掛け芝居なら知らんが――」

「何!」

 松が清吉に猛然一撃を加える。

 清吉、すっとんでひっくりかえる。

 下足番の一人が松五郎に組みつく、もう一人の下足番を熊吉が張り倒す。客が総立ちになり、女がキャアキャアと泣きわめく。

 茶風呂がひっくりかえり鍋も七輪もひっくりかえってもうもうと灰かぐらが立つ。

 

 客席の後の通路の所に立って騒いでいる見物達の後から

「はいごめんよ、少々ごめん」

 という声がし、見物をかきわけるようにして三人の男が出てくる。土木請負師熊の男二人を先にたて、渋い唐桟の揃いを着た小柄な男がこれに続く。

 たちまち見物人の間に私語起る。

「ア、結城重蔵だ!」

「上方で有名な親分ですよ。いえ、あの小さい男が。そうそう、後から行った」

「大里のドンガラガンの工事でこっちへ来ちょるんじゃそうな」

 

 三人、喧嘩の場へ顔を出す。請負師風の男がまずとび出して来て

「ちょっと待った、ドンガラガンの結城の親分が仲裁に来られたんじゃ、ちょっと待ってくれ」

 劇場側は

「エ! 結城の親分が?」

 と、びっくりしてたちまち静かになる。

 結城前へ進み、劇場側の方へ。

「おう、これはさっそく手を引いて下さってありがとう。所でそちらの松五郎さんとやら」

「何か! お前が喧嘩の相手にでもなろうちゅうんか」

 結城笑って

「いや、事と次第によってはお相手をしないものでもないが、私はもっとほかに話の仕様があろうかと思う。申し遅れたが、私は結城重蔵というケチな者だ。不服ではあろうが、一応この場は私にまかせてもらえんだろうか」

 さすがの松五郎も、落ちついた結城の態度に気をのまれたかたちである。

 

13 料亭の一室

 松五郎、熊吉、劇場側の人びとを床の間の左右にすえ、結城及びその手下は少し下って部屋の中程に位置をしめている。

 結城が

「理窟から言やあ、顔で入るという事はよくない事に違いない。しかし、今まで長い間小倉の俥引きの法被は、新聞記者の名刺と同じように扱われて来たというじゃないか」

 一同うなずく。

「とすれば、それは一つのしきたりというもの、今まで人がそれを守って来たからには、何かそこにそれだけの因縁があるに違いない。それを木戸番さん一人の考えで急にやめてしまおうとすれば、どうしたってそこに無理がおこるのは当然だろう」

 清吉恐縮。

 結城やや向き直って

「しかし松五郎さん、お前さんのやり方も正直なところ私は感心しないよ。そりゃお前さんの腹立ちはよくわかる。しかし、事件に何のかかわりもない大勢の見物衆に迷惑をかけた罪はどうしてつぐないをする。ここでシャンシャンと手を打てば、お互いの間の話はそれでつく。しかし、見物衆にかけた迷惑というものは決して消えない。松五郎さん、あんたはこれをどう考えるな」

 松五郎は、結城のせりふの終る少し前から気の毒なほどしょげてしまう。

 沈黙

 結城は松五郎を見守っている。

 松五郎悲しげな顔をややあげると

「おりゃ、そこに気づかんじゃった」

 と、しぼり出すようにいう。

「いや、松五郎さん」

 と、結城が言うのにかぶせて

「あやまる、おりゃあやまる」

 と、深く頭を下げる。結城そのさまを鋭く見ていたが

「えらい。恐れ入った。こんなすっぱりした、竹を割ったような男は見たことがない。今の、お前さんの言葉で見物衆に対する罪も消えたようなものだ。それじゃこの場はきれいにわしにまかして下さるな」

「もう、まかすもまかさんもない。おれは」

「いや、出来た、出来た。おかげでわしの顔も立ったというものだ」

 結城、手下の者めくばせして

「ではぼつぼつ」

 手下、手をたたく。少し隔たった部屋で、女中の返事。

 

14 同、廊下

 膳を運んで来る女の姿、二、三――。

 

15 提灯行列

 日露役大勝・万才などと書いた万燈や飾り行燈の類がまっ黒な空へせり上る。

 画面一ぱいに無数の提灯がわきあふれる。

 画面の近いところをたくさんの提灯が横切る。

 無数の提灯が奔流のごとく上から下へ――。

 (以上、音楽効果だけの方がよい。圧倒的な音の洪水)

 

16 お堀端(初夏)

 松五郎が鼻唄で追分を吟みながら、空俥を引いて行く。子供の群れが、皆竹馬に乗って競争しながら、松の横を駆け抜けて行く。中には自慢そうに一本を肩にかつぎ、一本でピョンピョン飛んで行くのもある。松、ちょっと気をとられるが、直ぐに自分一人の世界に戻り、また追分を始める。と、けたたましい子供の泣き声。

 松五郎、思わず首をあげて前方を見る。

 一人の子供が掘へ落ちたらしい。他の子が石垣の縁に立って何かわめいてる。

「おら、知らんけん!」

 と、逃げ出す奴もある。

 松五郎、俥を引いたまま走り出す。

 

 松五郎が、堀に落ちた子を石垣の下から道ばたにあげる。続いて自分も上ってくる。

「ぼんぼん立ってみい、そら」

 松五郎、脇の下に手を掛けて立たせる。

「痛い――、痛い――」

 泣きながら、子供はしゃがんでしまう。

「ぼんぼん、お前男ならびいびい泣くなよ。どうじゃ、立てんか、立てんか。ここが痛いのか、ここか」

 松、周囲の子供達に

「おい、これはどこのぼんぼんか」

家中(かちゅう)屋敷のぼんぼんじゃ」

「そうか、ぼんぼん、お前のお父さんの名前は」

「吉岡小太郎」

 

17 吉岡家門口

 吉岡小太郎の表札。

 松が怪我した子供を抱いて、吉岡の門を入って行く。竹馬を引きずった子が二三人門の所までついてくる。

 

18 同、玄関

 松五郎

「ごめん」

 奥で『はい』と返事の声がして直ぐに吉岡夫人が現れる。敏雄は改めて泣き出す。夫人は驚いてちょっと立ちどまるが直ぐに

「敏雄がどうかしましたんでしょうか」

 と言いながら走り寄って

「敏雄! どうしたの」

 松五郎

「奥さん、大したことはないが、とにかく医者に連れて行かにゃ」

「お願いします。御面倒ついでに、蜂須賀さんへお願いします。わたくし、後から直ぐに参りますから」

「へい」

 

19 治療室

 敏雄の足がぐるぐる包帯を巻かれている。

 

20 吉岡家居間

 敏雄が包帯の足を投げ出して、敷居で汽車遊びをしている。吉岡大尉、帰ったばかりの風、剣をはずして渡す。夫人隣りの座敷へ持って行く。大尉そこへしゃがんで

「敏雄! 名誉の負傷をやったのう。どうじゃ痛いか。痛うない? ずい分泣いたそうじゃないか」

「僕、泣きゃせんよ」

「泣きゃせんって? さア、どうかのう、敏雄によう似た泣き声が常所にまで聞えて来たぞ」

「ちょっと位は泣いたけんど」

「それみい、とうとう白状しよった」

 夫人着物を持って釆て

「あなた、お召し替え――」

「うん」

 立つ、後から着せかけながら

「お留守の間に怪我をさせてしもうて、本当にすみません」

「なぁに男の子じゃもん。これくらいの事はちょいちょいあるよ。しかし、その世話になった俥屋ちゅうのはどこの者かい」

「それがどこの者とも――。きいても、申しません――」

「それで、適当に礼はしておいたか」

「それが――」

「どうした」

「それが――」

 (以上の会話のうちに三人とも食卓のそばに坐る)

 

21 同玄関(夫人の話)

 松五郎と夫人。夫人、いくらかの金を手に持ち

「これ、ほんの少しですけど」

「奥さん、そんなもな要らんち――」

「どうしてですか、それじゃわたしが困りますけん、これはとっといて下さい」

「いやいや、奥さん、そりゃいかんち、これは商売と違うんじゃけ」

「でも、それじゃわたしが主人に叱られますもの――」

 松五郎ちょっと考えているが、まじめな表情で

「奥さん、おれたちのようなつまらん者でも、たまには損得忘れて人のために働くこともあるんじゃけ、今日はこのままあっさりと帰してやんない」

 言葉を返す暇もなく、身をひるがえして去る。

 

22 元の居間

 大尉飯台に片肱ついたままうなずいている。

「それは近頃変った奴じゃのう。名前だけでもわかるとええんじゃがの」

「いえ、それが荒物屋の小母さんの話で名前だけはわかりました」

「ふむ」

「つい近くの丁場に出とる松五郎とかいう」

「え、松五郎? じゃあ無法松か?」

「あら御存じですか?」

「あっはははは、知っちょる、知っちょる。あっはははははは――」

「まあ、どうでしょうか。おほほほ、何がおかしいんですの」

「うむ、いやあれは痛快な奴じゃよ。それ、お前もおぼえとるじゃろう、去年の春、奥大将閣下が墓参のため、小倉に帰省されたのを」

「はあ、おぼえとります」

「あの時、奥閣下を乗せて駅から堺町の荒川さんまで走ったのは、余人にあらぬ松五郎さ」

「あら、そうでしたの」

「ところがじゃ」

「はあ」

 (これまでに、夫人敏雄の御飯をつけてやる)

「まあ一杯ついでもらおう」

 夫人酌をする。

 敏雄

「いただきまあす」

「おい」

「ところがどうですの」

「ところがだな。歓迎の小学生に対する訓話を終えられて、いよいよ奥大将閣下が松五郎の俥に乗ろうとせられた時にだ」

 

23 小倉駅前広場

 (余り実景に拘泥する必要なし)

 歓迎の装飾、歓迎の人びとなどを背景に、奥大将が松五郎の俥に乗りながら

「行く先はわかっているか」

 松五郎、大将の顔も見ないで

「知っちょる、知っちょる」

 と、膝掛けをあてがう。大将は自分の言うことがよく通じなかったと思い

「俥屋、わしの行先はわかっているのか」

 松五郎、膝掛けを巻きつけながら、ちょっと顔を見上げ、かなり大きな声で

「知っちょるちゃ知っちょるよ! なんべん言やわかるんか、心配せいでもお前の行くとこはちゃんと聞いて知っちょらい」

 副官がびっくりして、乗りかけた俥をおりてくる。

 松五郎梶棒を上げる。

 副官

「閣下、何か失礼を申し上げませんでしたか」

 閣下、俥の上から

「違う違う、何でもないよ、はははは」

 そのことばとともに俥動き出す。

 

24 元の居間

 大尉笑いを含んで

「おれも見ていて、何と乱暴な奴もあるもんだと思うたな。いやしくも当時武勲赫々たる第二軍の司令官閣下だ、まるで後光のさすような凱旋将軍をつかまえて、お前の行くとこはわかっちょる――お前呼ばわりをしたんじゃから驚いたよ」

「ほんとう――」

「それからこの俥夫のことが隊で評判になって、いろいろ聞いてみると、これが無法松というて有名な男だとわかった。いろいろ面白い逸話もあるらしいから、一度お礼がてら一杯献じて、話でも聞くかな」

「そりゃようございましょう」

 

25 駐俥場

 熊吉が一人で煙草をのんでいる。吉岡夫人が現れ

「あの、ちょっと伺いますが、松五郎さんという方はおられませんか」

 熊吉

「へい、今ちょっと出とりますが、何でしたら――、ほい戻って来よった。それがそうで――」

 松五郎そこへ梶棒をおろしながら

「奥さん、ぼんぼんはどうかな?」

 夫人

「はあ、昨日はいろいろありがとうございました。ぉかげ様で大分よろしいようですけど、お手すきでしたら今日もまたお医者さまへ連れて行ってもらいたいんですけれど――」

 松五郎

「へい、承知しました。そんじゃこのまま直ぐに行こうかナ」

 と、再び梶棒を擦ろうとして、思い出したように

「ついでじゃ、奥さん、お宅まで乗って行きない」

「まあ、私はようございます、あれだけの所、乗ったりおりたりしている間に行ってしまいますもん」

「そうかな。乗んなさりゃあいいのに」

 夫人、熊吉に会釈して歩き出す。松続く――。

 

26 町屋敷

 敏雄が松五郎の俥に乗って行く。

 

27 同じ町

 敏雄が、一時の間に合わせの松葉杖を突いて母親とともに行く。

 

28 同じ町

 すっかりなおった敏雄が友達と輪廻しをやりながら通る。

 

29 吉岡家茶の間

 夫人が酒の燗を見ている。

 客間の方から、音吐朗々と追分が聞えてくる。未人徳利を持って立ち上る。

 

30 客間

 夫人襖をあける。

 唄声やむ。

 吉岡大尉

「富島、どうした! 続けてやらんか」

 松五郎、ひどく困って

「まあ、旦那一ぱい――」

「ごまかしたって駄目だぞ、きさま。やれちゅうたら!」

「やる、やる。やるにゃやるけんど、どうも奥さんがいると、おりゃやりにくうていけんのじゃ」

 夫人笑って

「まあ、ひどうきらわれましたこと、それじゃ今直ぐに引きさがりますから」

 と、何か下げるものの用などしている。

 大尉

「敏雄はもう寝たか」

「はあ、もうとっくに」

「そうか。おい富島。松つぁん。もっとやれよ。遠慮するな。おれは何でか知らん、貴様がえろう好きになったぞ。少し酔うたかな。おいよし子、少し寒いな、縁側しめてくれ」

「しまっとりますけれど」

「そうか。松つぁん、おれは失敬して少し横になるぞ」

「どうぞ、どうぞ」

「あなた、御気分が悪いんじゃありませんか」

「違う違う(夫人枕を取りに立つ)おい富島!」

「へい」

「へいじゃないぞ、きさまは軍人なら間違いなしに少将まではゆける男だ。惜しいなあ」

「違う」

「違う? 何が」

「おれは軍人なら大将まで行く」

「はははは、そうか、ごめん、ごめん、参った。参った、参った」

 夫人枕を持って来てあてがう。

「しかし実に寒いのう」

「どうしたんでしょう、こんな暖い晩に寒いなんて」

 夫人ちょっと額に触ってみる。

「あら、ひどうおつむが熱いようですが」

「そんなことがあるもんか」

「今、体温計を持ってまいりますから」

 立つ――。

 

31 玄関

 夫人と松五郎。夫人、声をひそめて

「少し風邪気の所を演習で雨に打たれたのがいけなんだんでしょう。熟は九度九分とおっしゃって下さい、多分直ぐ来て下さると思います」

「へい、無理にも来てもらいますけ」

「それから氷を一貫目と、お願いします。ばけつか何か持って行きますか」

「何、縄で縛ってくるけ、それじゃひと走り行って来ます」

「お願いします」

 松の下駄の音遠ざかる。

 夫人も急いで奥へ消える

 遠くの兵営で消灯ラッパが鳴っている。

 

32 墓地

 音階の練習をする軍隊のラッパが風のまにまに聞えてくる。

 勲 等功 級陸軍歩兵大尉吉岡小太郎之墓、新しい木の墓標を、上から下へゆっくり読んで行くと、下の方にうずくまっている吉岡母子の姿。後に松五郎。今上げたばかりの線香が縷々として煙を上げ、(しきみ)も艶々と葉を光らせている。そばに手桶、箒など。未亡人拝し終って松五郎に

「どうぞ」

 松五郎替って拝む。

 あっさりと拝し終った松五郎、そのまま感慨深く墓標を見上げているが

「まるで夢のようじゃ」

 と、ぽつんという。未亡人眼頭を拭う。

「旦那のような人が早う死んで、こちとらのような屑はいつまでも生きとる」

「松五郎さん、もうおっしゃって下さいますな。私も、もう亡くなった人のことは言わんつもりですから。これからの私のいのちはこれです」

 と、敏雄の頭へ手をのせ

「これだけです」

「うむ、そうですな。そうでなきゃあ」

「ただ、案じられるのは、これが、父親ほどに強うない事です。身体も、心も、父親ほどに強うないことです」

「奥さん、まだぼんぼんは小さいのじゃもの、これからの育てようでどうとでもならい。案じるには及ばんて」

「そうでしょうか。女の力でこの子を強う出来ますかしらん」

「そりゃ出来ますて。これで、おれが多少学問でもある人間なら、こういう時にお役に立てるんじゃが、俥屋ではなアー。なさけないことじゃ」

「そんなことはありません。私からお願いします。折があったら、どうかこの子を鍛えてやって下さい」

「そりゃ、わしに出来る事なら何でもやるけんど、どうもこりゃ大役ですなア」

 

33 練兵場(あるいは郊外の草原)

 空――いろいろな凧があがっている。あげている子等。

 落ちた凧が草原の上を引きずられる。もつれてしまっている糸。

 敏雄が落ちた凧を手もとに引き寄せる。

 腕で涙を()いては、もつれた糸を解こうと試みている。

 近くの道を、松五郎が客を乗せて走ってくる。

 (くるまやさん(ヽヽヽヽヽヽ)といった感じの、軽快で、田園風な小曲が欲しい)走りながら、しきりに凧あげの子等の方を注意して見る。

 困っている敏雄の姿。

 松五郎、次第におそくなり遂にとまってしまう。

 敏雄涙を拭う。

 松五郎、遂に梶棒をおろし、客をほっておいて敏雄の方へ。俥上の客は、やせて小さい男で、大きな髭があり、眉にかぶさるほどぶかぶかの山高帽をかぶっている。彼は、松五郎が俥を離れて歩き出すと、ようやく自分の無意味な立場に気づいたらしく、持った洋傘や手提鞄を振り廻して何かわめき始めるが、幸いにしてカメラの位置が遠いため、われわれはその悪罵を聞かずにすむ。

 

 不器用な手つきで、一生懸命糸のもつれを解こうとあせる松。

 俥上の客、遂に車をおり、たえず何かわめいたりつぶやいたりしながら、傘や鞄を振り廻し、俥の周囲を廻ったり、梶棒につまずいたり、眼鏡を拭いたり、鼻をかんだり、少しの間にあらゆることをする(やはり前と同じ位のロング)ほとんど常識で考えられないくらいオーバーな芝居を必要とする。松五郎、もつれた糸をもて余して

「ぼんぼん、こりゃ直ぐにはなおらんたい。小父(おい)さんは、ちょっとあのお客様を持って行てくるけん、ここで待っちょれや。どこへも行かんと、いいか、直ぐに()んてくるけん」

 と、いいのこして俥の方へ小走りに去る。

 今まであんなに仰山に騒ぎ廻っていた客は、松が近づくと、まるで叱られた子供のように大急ぎで俥に駆け上り、何事もなかったように、すましてちょこなんと坐る。

 松が梶棒を上げかかるあたりで

               (О・L)

 同じ画面の同じ位置に、空俥が前と反対の方を向けて置いてある。

 並んで坐り、笑いながら凧をあげている敏雄と松五郎。

 景気よくあがっている凧。しかし間もなくすーとおり始める。

 松、あわてて糸に手をかけながら

「そらそら、しっかりしゃくった、しゃくった」

 凧、高くあがる。

「そうそう、あがったじゃろ。こういう時にゃ直ぐにしゃくるんじゃ、ぼんぼん」

「うん、――なあ、おいさん。さっき言うたこと本当?」

「さっき? はて、何じゃったか」

「そら! おいさん、子供の時泣いたことないちゅうたじゃろ」

「ははは、それか、うむ、ないない、めったにない。じゃけんど、一度だけあるんじゃ、ワンコラ、ワンコラと思いきり泣いたことが」

「それは、どうして泣いたの」

「それを話すと長うなるが――」

 と、ふり向いて見る。

 主を待っている空俥。

「まあええわ。――そうよ、あれはおいさんが八つ位の時のことじゃ。おらの母親はまま母というての、ぼんぼんらのような、ええお母さん持った者にはとてもわからん、それはひどい人じゃった。そらそら糸をのばした、糸をこういう時には、すーっと伸ばしてやると直ぐに凧のごきげんが直る――。ある日のこと――」

 

34 きたない勝手口

「いつもの伝で、朝からひどう叱られた――」

 勝手口の腰板障子が開いて、子供の松五郎がはだしで突き出される。つまづき倒れるがすぐに起き上る。勝手口の戸はぴしゃんとしまる。

「泣き出しそうになるのを、がまんして、ようようこらえた」

 

35 練兵場

 敏雄と松五郎

「その時分、おれのお父さんは軍隊に納める馬糧を買いに広野ちゅう村へ行っとった。小倉から四里も離れた山の中じゃが、お父さんのことを思い出すと、そこへ行きとうてたまらんようになった。と、いうてはだしの一文なしでとび出して行くわけにも行かん。そこで――」

 

36 きたない勝手口

 勝手口の障子。

 

37 近くの路次

 家の角から松五郎が顔を出してうかがっている。

 

38 きたない勝手口

 障子が開いて、味噌こしを持った、まま母が出掛けて行く。

 

39 近くの路次

 松五郎、一たんかくれるが、又そおっと出てくる。

 

40 長火鉢

 抽出しをあけて、小さい手が銅貨を五枚ほどかき集める。

 

41 土間

  草履を履く足。

 

42 寂しい野道

 松五郎が独りとぼとぼ歩いて行く。荷物を背負った男と行き違う。松五郎、少し後戻りして何かたずねる。荷物を背負った男、歩き続けながら洋傘で後を指し教える様子。松五郎また歩き出す。その先――長い長い道――。

 

43 茶店

 すすけた障子に、御支度・めんるい、などと書いてある。松五郎がそっと来て表へ立ち

「おばさん、うどんあるの?」

 茶店のおばさんがけげんそうに

「うどんはあるけんど、ぼんぼんが食べるのかな」

「うん」

 松五郎、固く握ってきた銅貨を出そうとする。

「まあまあ、そりゃ後でええ。それでぼんぼん、あんたどこへ行くんかな」

「広野」

「へえ! どこから」

「小倉」

「まあ、どうじゃろか! こんな()まい子が小倉から広野まで一人で行く言うとるが、なあ小父(おい)さん」

 と、茶碗酒の客に話しかける。近所の村の人らしいその客は

「なかなかしゃんとしたもんじゃのう。ぼんぼん、こっちへおいで。――広野へは何しに行くんか」

「お父ちゃんがいる」

「ふーむ、お母ちゃんどうしちょるか」

 松五郎、唇を噛んで答えない。

「ははあ、ぼんぼん、お母ちゃんに叱られよったな。ええ、そうじゃろ」

 松、うつむいたまま

「うちのお母ちゃん、ほんとうじゃないもん」

「ふーむ、何ぞ事情がある思うたが、やっぱしのう」

 と、ちょうどその時うどんを持って来たおばさんとうなずき合う。おばさんも

「さあ、お(あし)なんぞいらんけん沢山お食べ。それにしても町うちの子供のしっかりしたことはどうじゃろか。さあ食べんさいよ、後でおばさんが草履も替えてやるけん」

 松、うどんを食べ始める。

 松の足が新しい草履に履き替える。

 

44 丘の道

 松が行く。さびしい道は丘陵を登って行く。

 夕陽

 烏

 鐘楼(鐘は突かない)

 風に散る落葉

 揺れる芒原

 歩く松五郎

 歩く足

 

45 夜道

 松、常夜燈のそばを通る。

 歩く足

 真剣な松の顔。背後にお化けの幻影がもうろうと現れる。お化けは、次第に増える。(お化けは、形はどんなにグロテスクでもいいが、写真術的にはきわめて美しいことが望ましい)

 松、たまらなくなってふりかえる。お化け、かき消すようになくなる。

 松が歩き出すと、お化け、またもうろうと現れる。

 松、遂に堪えかね、一散に駆け出す。お化けも、間をおかず追ってくる。

 

46 バラック

 灯のついたバラックが急激に近づいてくる。障子の開いた所からのぞきこむ松五郎

 中では、百姓や人足が酒飲んでいる。一人が見つけて

「ありゃ、あんな所から子供がのぞいちょる。おかしいぞ、今時分」

「こら、お前豆狸と適うか」

「坊主! こっちへ上ってみい。尾っぽが生えとりゃせんか」

 木綿のどてらをひっかけ、鉢巻きをした大きな男が

「ありゃ、松や!」

 と叫びながら立ち上り

「お前、どうしたんか」

 と、飛ぶようにそばへ来て、

「何と、ようここまでやって来たなア!」

 松五郎、何か言おうとして、一たん微笑しかけるが、その顔はたちまちぐしゃぐしゃに崩れ、爆発したように泣き出す。

「もういいもういい、さあもうここまで来たら泣くこたあない。ちゃんとやめて、こっちへ上れ。――みんながわらうぞ。――さあ、もういいじゃないか」

 鉢巻の手拭いをとって拭いてやりながら、父親がいろいろとなだめる言葉の一つ一つが、ただ泣き声を激しくさせるのに役立つばかりである。頑固に土の上に突っ立ったまま、松は号泣を続ける。

 

47 練兵場

 敏雄と松五郎

「泣いて泣いて、泣き疲れて寝てしもうたが、ぼんぼん、小父(おい)さんがしんから泣いたのはこの時のほかにはなかったぞ」

 敏雄、熱心にうなずく。松五郎の眼が少しうるんでいる。やがて、二人が一緒に凧を見上げる。

 少し左右に擦れながらあがっている凧――。

 

48 運動会

 万国旗

 鉄砲の音

 楽隊

 走る生徒の群れ(障害物競争など)

 校門、福岡県立小倉工業学校の門標。大勢の見物人って行く。附近に急造の屋台二三。

 観覧席の敏雄、未亡人、松五郎。

 校長から賞品をもらう生徒達。

 棒倒し競技が始まる。喊声。

 三人、興味をもって見ている。松五郎が敏雄に何か言っているが、喧騒のためわからない。

 赤鉢巻と白鉢巻の両軍熱戦。

 赤の陣地を攻める白軍

 白の陣地を攻める赤軍、白の棒、時どき倒れそうになる。

 松五郎が、どなり始める。

「白! しっかりせい。ほら、そいつを突き飛ばせ!」

 敏雄が、恥ずかしさの余り、訴えるような顔をして母を見る。

 未亡人微笑している。

 松五郎

「弱味噌! 元気を出せ、ほら(うしろ)に廻った。しっかり守って、放すんじゃないぞ」

 周囲の人達、わらって松を見る。

 敏雄ますますはにかみ、しきりと松五郎の袖を引っ張る。松五郎、介意せず。

「おーい! その高いの、しっかりせい! つっこめ、つっこめ!」

 敏雄、一生懸命引っ張る。松、ようやく振りかえる。敏雄ほとんど泣き出しそうな顔

「どうしたんかん、ぼんぼん。小父さんがあまりどなるもんじゃけ、恥ずかしかったんか、よしよしもうやめじゃ」

 校庭の棒倒し、終って、勝った白が万才を唱える。走ってくる号外配りの生徒二三、(紙製の三角尖り帽、腰に鈴)前の方の子供らが

「小父さん! 号外、号外、号外おくれいな」

 などと叫ぶ。松五郎

「ぼんぼんも行ってもろうといで、早う早う」

 未亡人も

「敏雄、もろうておいでなさい」

 敏雄尻込み。

「ぼんぼんが行かにゃあ、おれがもろうてこうか」

 と、前へ出て、

「おい、兄さん、ここへも一枚おくれ」

 と、松五郎でかい声で言う、生徒はとたんに一枚渡す。

「ほら、もろうたもろうた」

 と席にかえり

「奥さん、何ち書いちありますな?」

 未亡人、受け取って

「次は飛び入り勝手、五百米徒歩競走、どなたでも、脚に覚えのある方は振るって御参加下さい、ですと」

 あちこちから飛び出して行く青年達。

「それじゃ誰が出てもいいかな」

 未亡人

「誰でもいいんでしょう。こう書いてあるんですから」

 松五郎、敏雄に

「ぼんぼん、小父さんが飛び入りやってみようか」

「小父さん、速う飛べるか」

「はっはっは、わしはほかのことはいけんが、飛ぶことなら、あすこらの小僧に負けはせんわい」

「きっと、勝てる?」

「ぼんぼんが大きな声で加勢してくれりゃ、勝てるとも」

 と、着物を脱ぐと、パッチ腹巻。ぐるぐる着物を巻いて

「ぼんぼん、頼むぞ」

 と、投げつけるようにして、ばっと飛び出す。

 スタートラインにはすでに全部並んで待機の姿勢、審判員が

「用意!」

 と言った時、松五郎走りながら

「待った、待った。もう一人飛び入りじゃ。入れちょくれ!」

 一同気抜けして笑い出す。

 一番外側の端に松が並ぶと

 「用意!」ドン!

 スタートと同時に真中の所がもつれ合って三四人かたまってころぶ。

 見ている母子。

 松五郎、先頭近くを走りながら、こちら向いて手を振る。

 笑う母子。

 松五郎、俥を引く時と同じ調子で、のっしのっしと緩慢なテムポで走る。だんだん抜かれる。

 母子の顔、やや不安。

 松、またまた抜かれる。

 敏雄一生懸命になり、母の袂をつかんで食い入るように見ている。

 松、また抜かれる。末尾(びり)に近くなる。

 酔っぱらいが一人トラックへ出てきて、羽織を振ってどなる。

「こら! 無法松! 名物男! 負けたらおれが承知せんぞ!」

 連れの男が、あわてて飛び出し、照れながら引っ張って帰る。その後、直ぐランナア達が走り過ぎる。敏雄、一生懸命

「母さん、小父さん大丈夫じゃろうか、勝ったらええのになあ」

 松五郎、一人二人抜く。

 真中にいた白鉢巻が俄然ピッチを上げて一等に迫る。喊声さかんとなる。

 敏雄、一生懸命に見ている。

 松がぐんぐん抜き始める。

 敏雄

「母さん! 小父さん勝てるなあ、勝てるなあ」

 松、三番になる。

 未亡人思わず

「ああ!」

 ため息のような声をもらす。

 敏雄、こぶしを握りしめて、胸の辺で上下に振り始める。

 松、二番を抜き、さらに一番に迫る。群衆熱狂、わき立つ。

 松、一番と平行、互に逕庭なし。

 敏雄、遂に我を忘れ、泣き出さんばかりになり、初めて声を発して絶叫す。

「おじさ――ん! おじさ――ん!

 おじさん勝って!

 おじさん勝って!」

 群衆もこれに和するかのように

「おやじ!

 おやじ! フレエフレエおやじ!」

 松、ついに相手を引き離しゴールに入る。

 敏雄狂喜す。

「勝った! 勝った! 母さん、勝った、勝ったなあ、勝ったなあ!」

 

49 吉岡家玄関

 未亡人、敏雄、松五郎。敏雄はうるさく松五郎に縺れ附き、肩に飛びついたり、鼻をつまんだりする。

「この子が、あんな大きな声を出して夢中になったのを私は初めて見ました。この子は今日、生まれて初めて本当に血をわかせて興奮したんです。何か、これから新しい性質が伸びて来やせんかと楽しみな気がします。本当にありがとうございました」

 松五郎

「礼を言われていいのかどうか、おれにはわからんが、喜んでもらえりゃ結構じゃ、それじゃ、まあ、お休み」

 未亡人

「あ! 松五郎さん。あなた、大事の賞品を忘れてはいけんでしょうが」

 と、支那鞄を指す。松五郎

「うんにゃ。それはおれには要らんものじゃけ、ぼんぼんが大きうなったら使うてもらおうと思うて、じゃ、さようなら」

「でも、それじゃあ」

「なァに、構わんたい」

 去る。敏雄

「小父さん。さようなら!」

 松の声

『さようなら』

 間、敏雄

「母さん、小父さん偉いなあ、ずい分速いなあ、小父さんが勝った時、僕嬉しうて堪らなんだ」

「だけど、小父さんはただ走るのが速いから偉いんじゃありませんよ」

「うん」

「松五郎さんは、生れつき運が悪かったので、俥なんか引いておられるけんど、あの人がもし軍人だったら、間違いなしに少将ぐらいにはなれる人だちゅうて、お父様も言うておられたぐらいよ、敏雄さんも男だから、あの人のように何でも思うたことを平気でずんずんやる勇気を持たにゃあいかんですよ。わかった?」

「うん」

 

50 車輪

 走る俥の車輪――画面一ぱいに、やや幻想的に、何か時の経過を暗示するような感じに――

 

51 吉岡家外景

 やや俯瞰の吉岡家外景(夜)中から

『鬼は外、鬼は外、鬼は外、福はあ内』

 

52 同、内部

 年男になった松五郎が、紋付羽織を着、三宝を捧げて「鬼は外」をやっている。

 吉岡親子が笑いさざめきながら畳に撒かれた豆を拾っている。

 

53 廊下

 雨戸をしめる三人。松が

「――それ、ぼんぼん早うしめんと鬼が這入っちくるぞ、はっはっはっは」

 

54 座敷

 酒をすすめられている松五郎、固苦しく几帳面に坐って盃を受けている。

 未亡人

「さあ、どうぞ、本当に何も無うてお気の毒ですけんど、どうぞ――」

「へえ、どうも、わしゃいつも仰山に気をつけてもろうた上に、こんなに御馳走にまでなって、切のうていけんたい」

「まあ、何をあなた、こちらこそいつも御世話になるばかりじゃないですか。宅のような無人な家では、何やかやと男手を借りんではどうしてもすまんことがずい分ありますけど、松五郎さんのおかげで今日まで少しも困らずにすみました。それに、海水浴だの、何だのと、いつも、これ(敏雄)を引っぱり出して下さるんで、この頃は以前とは見違える位、元気そうになりましたよ」

 松、余計恐縮して

「いやあどうも、何にも役にたたんで、おりゃ――」

 未亡人、ふと思い出したように

「ああ、そうそう。明日はまた、これの学芸会ですと」

「へえ、ぼんぼん、何をやるんか」

 敏雄

「僕、唱歌」

「何の唱歌か」

「青葉の笛」

「ああ、あれか、

 イーチーノーターニノー

 イクーサ、ヤブレー(節)

 ちゅう奴じゃろ」

 未亡人、驚いて

「あら、松五郎さん、よう知っとりなさること」

 敏雄が

「そりゃ、母さん、小父さんいうたら、いつも学校へ来て、窓の外からのぞいとるもん」

 松五郎、頭をかいて

「おりゃ、どういうもんか小学校が好きでしてナ、よう遊びに行くもんじゃけ、大がいの歌は聞きおぼえで知っちょらい」

「そうでしたか、それじゃ、後で敏雄、小父さんに一ぺん聞いていただきなさい」

 

55 同じ座敷

 食器類全部しまわれて跡かたもなし。松が

「奥さん、ぼんぼんを机の上に上げちゃいけんかナ」

「まあ、何が始まるんでしょう」

「やっぱり、小高いところでやらにゃあ、気が乗らんもん」

「そうですね、それじゃ今日だけ、特別に許しましょう」

「さあ、ぼんぼん、やったやった、イチノタニノ、イクサヤブレじゃ。そら、元気を出して!」

「敏雄さん、おやりなさい。男らしう」

 敏雄、ややはにかみながら机の上に立って礼をする。二人手をたたく。

「私は、四年二ノ組、吉岡敏雄であります。

 これから青葉の笛の唱歌をうたいます」

 続いて

「イーチーノ、ターニノー

 イクーサ、ヤブレー」

 

56 学校講堂(あるいは雨天体操場)

 学芸会で歌っている敏雄にО・Lし、歌はそのまま続く。

「ウタレーシ、へイケーノー

 キンダーチ、アワレー

 アカツーキ、サームーキー

 スーマーノ、アラシーニー ――」

 父兄席、聞いている未亡人、松五郎

 

57 帰路

 提灯の移動

「はははは」

 と、松五郎の哄笑

 敏雄を肩車に乗せた松五郎

「奥さん、今日の学芸会じゃあ、ぼんぼんの歌が一番よかったなあ。よその子は大概あがってしもうて、調子はずれが多かったが、ぼんぼんだけは度胸もいいし、歌もよかった。おりゃ涙が出そうになって困った。ああ! ほんとによかったなあ」

「あらあら、そんなにほめてもろうては、誰かさんが天狗になってしまいます」

「じゃけんど、角の伊凍のいたずら坊主なんぞはどうか、ありゃあ。ふだんの元気はどこへやら、まるで蚊の鳴くような声で――

 フージーノタカネー、クモニソビエテー、ナツモサムシーて、何じゃあれは、情けない! そこへ行くとこちらは何というても吉岡大尉のせがれだけあるたい、はっはっは」

 三人笑う~。

 

58 車輪

 走る俥の車輪

 

59 敏雄の勉強部屋

 敏雄小さい机

 О・Lで大きな机に変る。

 学用品の署名、小倉中学四年生吉岡敏雄

 机の横の壁には小倉の服がかかっている。

 未亡人、菓子か果物を持って入ってくる。

 敏雄がいないので、持って来たものを机に置き不審そうに玄関の方へ去る。

 

60 玄関外

 門と玄関の間にちょっと庭があり、なつめか何かの大きな木が一本ある。

 玄関の外に悪友が三四名、何かひどく気負い込んだ風で、誘い出しに来ている。

 敏雄は、玄関の式台から、格子戸の敷居まで、ひょいと飛んだかっこう。はだしの足で敷居をふみ、片手を頭の上の鴨居に掛けている。

 悪友A

「吉岡! お前も男じゃろうが。そんなら同級生に対する義理ちゅうもん位――」

 敏雄

「おい、大きい声するなちゅうたら、おれは行くちゅうちょるじゃないか」

 

61 玄関次の間

 未亡人がそっとこちらをのぞく。

 

62 玄関外

 敏雄

「おれとこは母親が無茶に心配する方でなア。それでつい知れたら――」

 悪友B

「そりゃお前とこぎりじゃないぞ。親が承知で喧嘩に出す家があるもんか」

 敏雄

「おい! 聞えるちゅうのに。チェ! わからん放じゃなア。とにかく、直ぐ行くけん、先に行っちょちくれ」

 A

「そうか、よし、それじゃ間違いないな。提灯行列が始まるまでに堀ばたの空地に集合じゃけん」

「よしじゃ」

「失敬」

「失敬」

 

63 古船場の駐俥場

 街角に提灯のアーチが出来、それに、青島陥落祝賀会と書いてある。花火の音、遠くでジンタ、パンダウンすると松五郎がボンサン(ヽヽヽヽ)と将棋を指している。ボンサン(ヽヽヽヽ)もすでに四十才であるが、見た感じは相変らずである。しよぼしょぼと生えた無精髭が何となく悲しい。ボンサン(ヽヽヽヽ)が手真似で、お前の番か、わしの番かと問う。

 松

「お前の番じゃないか。頼りない男じゃなア」

 ボンサン(ヽヽヽヽ)指す。松、直ぐ次を指す。

 

64 吉岡家玄関

 敏雄が筒袖に小倉袴、学帽姿で出かけようとするのを未亡人が引きとめようとしている。

「敏雄さん、母さんはね、お父様からあなたをお預かりしとるんですよ」

 敏雄

「そりゃわかっちょるけんど! 何もそげんめんどう臭いことじゃ無いたい。直ぐに()んち来るち言うちょるの――」

「でも――今日だけはやめておくれ、私――」

「おかしいな、なしてそげりんにとるんナ? 今日に限って」

「今日は何か知らん、悪いことがあるような気がするんです」

「やあい、迷信迷信」

「違います。お母さんにはちゃんとわかっとるんです」

「わかるもんか、そげんこと。そんならちょっとだけなあ、約束を破っちゃ悪いけん」

 走り出そうとする。

「敏雄さん!」

「ちょっとだけ、ちょっとだけ――」

 敏雄見えなくなる。

 

65 空地(夕景)

 学生が大勢集っている。

 多くは提灯をたずさえ、気の早きは三々五々灯を点じている。どこかで花火の音。

 

66 駐俥場

 松とボンサンが相変らずばちばちやっている。誰か人の()った気配に、松が何気なく表の方へ眼を移すが、たちまち、びっくりしたように黙って立ち上る。

 立っている未亡人

 松五郎

「奥さん、何か変ったことでん!、ひどう顔色が悪いが」

 未亡人、微かにうなずいて

「困りました――」

 

67 空地

 学生の一団、思い思いの姿勢で、あちらこちらに固まって唱歌をうたい、気勢をあげている。

「ミナトガワラノサツキアメ

 シジョウナワテのユウアラシ

 カレクチタレドクスノキノ……」

 敏雄が到着する。誰かが提灯を一つ渡す。

 

68 駐俥場

 松五郎

「へえ! そりや事じゃ」

 未亡人

「何とかならんもんでしょうか」

「そりゃ何とかしましょう――じゃが、一体相手は何もんでしょうナ」

「私の見当では、これまでのいきさつから考えて師範学校じゃないかと思います」

「うむ、なるほど、違いない。それそれ! 奥さん、それに違いない。はっはっは、ぼんぼんもとうとう喧嘩するような若衆になったんか。奥さん、旦那にひと目見せたいもんなア」

「本当に――(間)だけど、元気になればなったで、今度はこんな心配をせんならんし、どっちにしてもねえ」

「奥さん、心配いらんチ、大丈夫大丈夫。わしがぼんぼんに怪我はさせんけん」

「どうぞお願いします」

「へいへい、引き受けました」

 未亡人去る。ボンサン(ヽヽヽヽ)見送っているが、松の顔を見てニタッと笑う。

 松、気づかず

ボンサン(ヽヽヽヽ)、将棋はやっちおられんたい。お預けお預け」

 ボンサン、松の袖をひき、未亡人の行った方を指し、小指を示し、首の所へ水平に手をやり、横目を使いながら人さし指で松をつつき「キキキキ」と、変な笑い声をたてる。

 松、しばらくそれを見ているが、急に表情が厳しく引きしまると、いきなりボンサンの横面をはり飛ばす。ボンサンあっけにとられるが、みるみるべそをかく――。

 

69 提灯行列の街

 夜空に開花する花火

 花火 花火

 花火 花火 花火

 提灯

 提灯 提灯

 提灯 提灯 提灯

 ジンタの行列、(アナウレシ、ヨロコバシの曲など)続いて仮装した男女、不如帰、弁慶、自雷也、陸軍大将等そのうち半数位は三味線を弾いてジンタに合わしている。

 その後から普通の群衆が提灯をかざし、万才を唱えながら行く。

 学生の群(これは四条(なわて)の夕嵐のみを歌う)

 中に敏雄

 行列の流れと逆に、人混みを縫って探しながら行く松五郎

 学生の群れと敏雄

 探しながら来る松五郎、敏雄に気づく。

 学生の群れと敏雄、松五郎の前を過ぐ。

 松、後をつける。

 

70 練兵場入口

 師範の生徒の一団が集まり、提灯を振って「アムール河の流血や……」と歌っている。

 一人走って報告にくる。

「おーい」

「おーい、ちょっとやめちょけ!」

 などの声がして唱歌がやむ。何かがやがや言っているが、誰かが

「敵は街の角まで来ちょるばい!」

「油断すんな」

「負けんごとやれ!」

「作戦通りじゃ!」

「よし、歌え!」

 で、また

「アムール河の流血や……」

 近づいてくる敏雄らの一団(後をつける松)

 この方は

「枯れ朽ちたれど楠の……」

 片方は

「東に()ける鷲一羽……」

 で、次第に双方が近づくと、違った歌を同時に歌うため、何が何だかわからなくなる。

 熱心に見守っている松

 両軍数間の距離に対峙し、示威運動。

 誰か後の方の奴が小石をつかんでバラバラと投げる。

「どんちくしょか! 石を投げた奴は」

「卑怯者!」

 これがキッカケになって両軍もつれ合う。

 提灯が螢のように飛び交う。

 

71 吉岡家居間

 灯明をかかげた仏壇の前に、未亡人が静かに合掌している。

 

72 練兵場入口

 両軍混載

 注視している松

 飛び出Lて行く敏雄

 師範の中での巨魁、上体を裸出奮戦している奴に、敏雄飛びかかるが一撃で倒される。

 師範側どっと出る。

 敏雄逃げ出す。中学側総崩れ。

 逃げる敏雄、大手を拡げた松にぶつかる。

 思わず

「小父さん! 助けて!」

 松、くやし涙

「弱虫! 弱虫! ぼんぼん見ちょれ、喧嘩はこうするんじゃ」

 追って来た裸の巨魁に一撃、巨魁ひっくりかえる。

 敏雄茫然佇立。

 続く先頭の一団を右に左に張り飛ばし、なぎ倒し、松、暴れ回る。

 すっかり気をのまれた敏雄の顔――。

 

73 車輪

 俥の車輪が廻る。

 

74 吉岡家居間

 未亡人、敏雄の紺緋の着物を縫っている。

 戸の開く音――

『ただ今!』

「お帰りなさい」

 未亡人、針を針山に刺して立って行く。

 

75 敏雄の勉強部屋

 母子出会う。

「どうでした」

「何が?」

「何がって、試験のこと。きまっとるじゃありませんか」

「ああ手続き済ました」

「そうかい、よかったよかった。熊本なら近うてお母さんも心丈夫だから――」

「そげんこと言うたて、まだ通るかどうかわかりもせんのに」

「通ります」

「そんな――、お母さんが何ぼ受け合うても試験だけはいけんて」

「敏雄さん、自信を持っておくれ。あなたにはいつもお父様がついておられるんですよ」

 敏雄、何か打たれるものがあり

「うん」

 と、言って眼を伏せる。

 二人居間の方へ動いて行く。

 

76 居間

 敏雄

「なあ、何かないの?」

「何もありませんよ」

 敏雄、蝿帳を開けてのぞきこみ、何か頬張る。

 未亡人

「また!」

 口をとがらせてにらむ。

 敏雄、同じように口をとがらせてにらみ返す。

 未亡人、軽くためいきして、

「まるっきり子供みたい」

 敏雄戻って来て

「僕なあ、困るんじゃ」

「何がですか」

「松つぁんよ」

「松五郎さんがどうかしたんですか」

「何でもないことじゃけんどなあ」

 

77 練兵場附近(敏雄の話)

 学友数名と並んで敏雄が行く。

 松五郎、俥を洗っている。

 敏雄ら通り過ぎる。松、気づいて

「ぼんぼん!」

 敏雄知らん顔で行く。

 松、小首を傾げて

「ぼんぼん! 吉岡のぼんぼん!」

 敏雄応ぜず。周囲の友人面白がって

「おい、ぼんぼん、親父が呼んじょるが、なんし返事をせんか、こら」

 敏雄あかくなって

「おのれ! やっちゃろか!」

 松、失望の視線を落す。そのまま元の位置に戻って、また俥洗いにかかる。

 

78 元の居間

 未亡人

「それじゃあぼんぼんと貰われるのがあなたはそんなにはずかしいの」

「そじゃけんど、僕、もう子供じゃないもん。一人ならまだいいけれど、友達がひやかすけんなあ」

 未亡人ちょっと考えて

「いい折を見てお母さんも松五郎さんに言うてみますけど、まあ、どっちかと言えば、そんなことは笑うてすますくらいの雅量が無うては、男はいかんですよ。第一あなたは、もう直ぐ小倉を離れる人じゃありませんか」

 未亡人の手に取り上げた紺絣――。

 

79 汽車

 前カットの紺絣を来た敏雄、熊本高校の制帽をかぶって、今発車したばかりの汽車に乗っている。窓から顔を出して後の方を見ているが、やがて首をひっこめる。

 

80 プラットフォーム

 未亡人と松五郎、その表情で、汽車が視野から去ったことがわかる。

「ああ、とうとう行ってしもうた――」

 と、未亡人さびしく徴発。

 松五郎

「かわいい子には旅をさせじゃ。昔の奴はうまいこと言うちょる」

 未亡人

「いよいよ独りぼっち――」

「奥さん、これから夏休みが待ち遠しいことよ」

「夏休み――夏休み――、(ためいき)行きましょう」

 二人動き出す――。

 

81 車輪

 俥の車輪が廻る。

 

82 居酒屋

 松が極めて粗末な肴でコップ酒をやっている。(この場あたりから、松はひどく憔悴した感じになり、白髪も目立ってくる)

 以前の相棒、熊吉が入ってくる。上は印半纏だが、下は請負師風のズボンをはき、胴巻の間から時計の鎖など見せて、大分容子が変っている。直ぐ松を見つけ、感激的に

「おい! 松つぁん」

 松はひょいと相手に目をすえたきり、格別の表情も現わさない。

「うー、熊公か」

「久しぶりじゃったなア、松つぁん! 達者じゃったか、近頃はどうしちょるんか」

「どげんもこげんも、おれあ相変らずよ」

 店の亭主の方へ

「おい、熊さんにも一つやっちょくれ」

「おれは、やっぱア徳利の方がいい」

「お前はまた近頃ひどう工面がいいそうで何よりじゃなア」

「へへ、なんの、言うほどの事はねェが、ようよう近頃若いもんのニ三人も使うように――なったんじゃない、してもろうたんじゃ。結城の親分に。これも元はと言ゃあ、松つぁんお前のおかげよ」

「ちぇ、こ奴顔()ぶるようなおべんちゃらをぬかすな」

「誰がおべんちゃらを言うた! おりゃ本当に腹の底から思うちょるんじゃぞ、おい松つぁん」

「よしよし。それで何か、近頃はずっと久留米の方か」

「そうよ、一ぺん松つぁん遊びに来ちくれんか」

「うむ」

「お前のうわさもときどき聞いちょるが、何でも近頃は、手(なぐさ)みはせんわ、喧嘩はやらんわ、酒は飲まんわで、無法松は人が変った、あの調子では()まる一方じゃろちゅう評判じゃ――」

「ふふん、馬鹿な、酒じゃって飲まんこたない。この通りやっちょるが」

 亭主

「ところが熊さん、松つぁんが飲み出したのはほん近頃のことですたい。ここ何年ちゅうものは、てんとぉ見限りでなア、うちの前なんぞ、顔そむけて通りなはったぐらいじゃけん」

 松五郎

「それはなア、実を言うと、おれの親父が酒で命取られちょるんぢゃ」

 熊吉

「ほー、そうじゃったんか」

「それで、おりゃ酒がおそろしかったんじゃ。いずれは、おれもおそかれ早かれ心臓麻痺ちゅうような病気で頓死じゃろうと思うちょるが――」

「縁起の悪いことを言うな、それよりも松つぁん、おれは今日は真剣で言うが――、お前もういいかげんで嫁をもらわにゃあいけんぞ」

 松、ほとんど取り合わず

「ふ! この齢になって――、人がわらうたい」

 熊、真剣に

「わらう奴はわらわしちょけ! 何をお前、まだそげん齢じゃあるか。お前さえ承知なら、おりゃ、明日にでも上玉(じょうだま)ひっぱっちくるが、なあ松つぁん」

 せりふの終ると一緒に、熊が松のコップ酒を満たそうとする。松手でふたをする。熊、徳利を置いて

「なあ、松つぁん、悪いこた言わんが――」

「要らん」

「そう言わんとお前、ちと人の言うことも考えてみんか、ええ、松つぁん」

「うるさいなア。要らん世話を焼かんと、黙っち酒飲め」

 松、じっと正面をにらんでいる。そこには灘あたりの酒のポスタアが掛っており、ほとんど等身大の美人が酒徳利を持った絵が印刷してある。

 それがいつの間にか、徳利を持った吉岡夫人の姿になる。

 松、おどろいて見直す。

 絵はたちまちもとに復す。

 熊があやしんで

「松つぁん、何をそげんににらめちょるんか」

 松、亭主に

「おっとん、その洒の広告、もろうち()んでもいいか」

 亭主笑って

「ほかならぬ松つぁんのことじゃけん、上げてもいいが、一体どげんしなはるんか」

「こ奴が、さいぜんから嫁とれ嫁とれち言うて、うるそうちかなわんけん、わしゃその別嬪をもらおうち思うちょるんじゃ。その別嬪なら飯食わすこた要るまいがや、はははははは――」

 

83 駐俥場

 前シーンのポスタアが壁にかかっている。

 遠くでたえず舐園祭の太鼓を練習している音。俥はあるが、松はそこにいない。

 未亡人が入ってくる。

「ごめん下さい――お留守でしょうか」

「――へい」

 未亡人、何の気もなくポスタアの美人を見ている。

 松、眼をこすりながら出てくる。

「ゆうべ(おそ)かったんで、うっかりごろ寝しちもうて――何ぞ御用な」

「あの、敏雄が帰るんです」

「ありゃ! 便(びん)があったかな」

「え、明日のひる過ぎですと、それにお客様を連れてくるらしい様子です」

「大方、ぼんぼんの友達じゃろう」

「いえ、先生ですと、それで庭まわりなども、少し手入れしときたいんですけど――」

 松、なんとなく美人のポスタアを捲き上げながら

「へえ、そんなら、おっつけ後で行きますけん」

「お願いします。その先生はね、明日の祇園太鼓をきくためにわざわざお寄りになるんですと」

「祇園太鼓を、へえ。(松、捲き上げたポスタアをはずしてしまう)今時、本当の祇園太鼓の打てる者は、小倉には一人もおりゃせんが」

「まあ、そうですか、それじゃあ折角なにしても――、あ! それからね松五郎さん」

「へえ」

「今度からもう敏雄のぼんぼんはやめにして下さいね、いつの間にかあれも大分大きゅうなりましたから」

「ぼんぼんか、はははは昔の口癖で、うっかり出しちまうんじゃが――、そうよ、もうぼんぼんでもなかろうち」

「すみません。それではお願いします」

 会釈して行きかける。

「奥さん! 今夜は寝らるんまい」

 振り返って

「もちろんですよ、ほほほほ」

 去る。

 松、パラリとポスタアを開いて、再び元の壁に掛ける――。

 

84 祇園祭の夜の街

 太鼓

 鉦

 ゴム風船、ビイビイ鳴る音

 呼びたてる露店商人

 アセチレンガスの灯

 山車、先頭に年寄と書いた提灯を振る男

 花笠をかぶった子供、染め分けの網をひく。

鋳物師(じもじ)大宮司(だいくり)さんナ

 スッチャチャ モヂャモヂャモウ」

「ヤッサヤレヤレヤレエ

 巡航艦の尻からパイプが出るデルウ

 ヤッサヤレヤレヤレエ……」

 敏雄と先生と松五郎が、群衆にもまれながら歩いている。

 ほうずき提灯を笹につけた山車の上、豆絞りの若衆が、身ぶりおかしく太鼓を打つ、鉦を打つ。

 見ている三人。

 太鼓、鉦

 先生が松に

「それじゃあこれらは本当の打ち方ではないのですか」

「へえ、こ奴は蛙打ちという奴で、本当の祇園太鼓はなかなかこんなもんじゃない」

「すると、本当の打ち方はもう見られないわけですか。そいつは残念だなあ」

 松、敏雄に

「おれがちょっと真似ごとだけやってみようかナ」

 敏雄驚いて

「あれ、小父さん打てるんか」

 松、微笑しながら出て行く。

 太鼓打ちのそばへ寄って

「兄さん、済まんがちょっと打たしちくれんか」

 青年

「おう、替っちくれるか、そりゃありがたい、おれあもう豆が痛うちかなわんのじゃ、これ見ちくれ」

「ははは大分痛めたなア」

 松、撥を受け取り、軽く太鼓に当て始める。

 その調子は今までの蛙打ちと変らない。

 が、一躍、左腕で大きく狐を画くとやや急調に、音も高まる。

 敏雄と先生、山車のそばへ寄る。

 不思議にドロドロという無気味な音が混る。

 松

「これが祇園太鼓の流れ打ちだ!」

 若い衆連は鉦を打つ事も忘れて見ている。

 敏雄、先生

 群衆が周りへつめかける。

「今度は勇み駒だ!」

 というと、松は片肌脱いで打ち続ける。

 心がはずむような快調の太鼓。

 たえずいずれかの撥は大きく、また小さく、空間を切って美しい弧を画いているが急湍に激する滝水の如き音は一瞬も熄む暇がない。

 一人の老人

「ありゃ、勇み駒を打っちょるのは誰かありゃ」

「誰か知らん、飛び入りの人らしいぜ」

「この太鼓を打つ人は小倉中に一人もおらんと思うちょったが――」

「じいさん、お前が話しちょった勇み駒ちゅうのはこれのことか」

「そうよの、これが本当の祇園太鼓じゃ、よう聞いとけ」

 群衆の間に

「これが本当の祇園太鼓じゃ」

「本当の祇園太鼓じゃ」

 と言う声が拡がる。

 敏雄、先生、恍惚として見ている

 松、両肌を脱ぐ

「今度は暴れ打ちだ!」

 速度はいよいよ急ピッチとなる。

 びっしょりと水を浴びたように汗で光る背中の筋肉が躍動する。撥は空間に跳梁し、互いに丁々撥止と打ち合うかと見れば、たちまち左右にわかれ太鼓を打つかと思えば頭上に弧を画き、空を()るかと思えば太鼓を打ち鳴らし、まさに一上一下、遊戯三昧の恍惚境である。(あたか)も撥は自分の意志によって独りで戯れ、太鼓は心あって自ら鳴るかのようである。(このような感じをいささかでも具体的に現わすためには画面外に別の太鼓を置き、不自然でない程度に音を重複させることも考えられる)

 

85 車輪

 俥の車輪が廻る。ただし脚はごそごそと歩き、車はのろのろと、あたかも松の衰えを象徴するがごとく――。

 

86 吉岡家居間

 未亡人が机に向って写経をしている。

 

87 仕切り戸(玄関と台所との土間を仕切る戸)

 下部、戸が開き、下駄を履いた足が(しきい)をまたぐ。

 

88 居間

 未亡人ゆっくり顔を上げる。

 筆を()く。

 顔を向ける。

 

89 台所

 土間に松五郎が立っている。

 未亡人の視線を()ける。

 

90 居間

 未亡人

「まあ松五郎さん、お珍しいこと、さあこちらへお上りなさい」

 

91 台所

 松、悄然佇立。

 未亡人の声

『さあどうぞ、そこは冷えますから、こちらの火の所へおいでなさい』

 松上る。

 

92 居間

 未亡人、座布団など用意。

 松、まず仏壇に一拝し終り、向き直る。

 未亡人、火鉢の火をかき立てながら

「さあもっと火のそばへお寄りなさい」

 松、未亡人の顔を見る。

 未亡人、松の顔を見る。

 松あわてて限を伏せる拍子に大きな涙が一つはふり落ちる。

 未亡人

「松五郎さん、あなたどうかせられたのですか。何かあったんですか」

 松、うつむいたきり無言。

「松五郎さん、おっしゃって下さいませんか、もし私達に出来る事でしたら――」

 松五郎

「奥さん――おれは帰ります。――もうおめにかかることはあるまい――」

「どうしてですか、言うて下さい。どうしてそんなことを――」

「奥さん──」

 松、じっと焼きつくように見る。未亡人急に何かに()たれたように、はっと息を殺す。

 間。

「おれの心はきたない――」

 二人。

「奥さんにすまん!」

 松五郎、急に未亡人の前に平伏する。しかし、直ぐに立ち上る。

 呆然と見送る未亡人を後に、風のように去る。

 凍りついたように端坐して、一点を凝視していた未亡人、急に激しく歔欷(きょき)し始める――。

 

93 車輪

 俥の車輪が廻る。ゆっくりと――。

 

94 夕風の街

 夕風が埃をまき上げる。松が俥をひいてとぼとぼと行く。夕陽が傾いて、松と俥の影が長く長く地にひいて――。

 

95 駐俥場

 しんと静まった、寂しい昼中の駐俥場。

 松が壁にもたれて、うとうとといねむりをしている。

 例のポスタアが古くなり、下の方が大分ちぎれてなくなっている。

 羅宇の仕替えが、ピーと汽笛の音をたてて通る。

 

96 居酒屋(夜)

 松が腰をすえて、虚脱したような顔で洒をやっている。松が手で招くと小婢が来て洒を満たす。外には風の音が強い。戸障子ががたがたと鳴る。松が小声で何かを歌っているが、呟きとしか聞えない。

 カメラをずっと近づけてみよう。今は、どろんとにごった彼の両眼が、ゆえ知らぬ涙で(あふ)れそうになっているに違いないから――

 

97 車輪

 車輪が廻る。

 

98 屋敷町

 しんしんと雪が降る。どこかで小鼓のけいこをしているのが凄まじいまでに冴えかえる、

 雪は屋根に――

 庭樹に――

 泉水に――。

 

99 居酒屋の表

 松が、四合びんを一本さげてふらふらと出てくる。五六歩歩いた所で、雪の中へこくり(ヽヽヽ)と膝を折って尻をついてしまう。

 松「ヘヘへへ」と笑い、何かぶつぶつ呟きながら立ち上る。ふらふらと去って行く――。

 

100 野道(夜)

 雪の中をさまよう松

 

101 山裾の道(夜)

 さまよう松、空になったびんを捨てる。

 

102 林の間(夜)

 松が倒木をまたいだ拍子に、そこへ崩折れるように臥してしまう。雪はますます降りしきる。

 多数の俥(鉄輪)の(はし)る音が風のごとく近づいている。

 続いて二重露出で多数の俥が通り過ぎる。

 キラキラと、大小の車輪が何重にも重なって美しく回転する。

 オルガンの音が聞えてくる。続いて小学校の生徒の唱歌が聞える。ほとんど同時に画面は美しい様式と変化に富む、小学生の群舞に変っている。

 ゴム風船のピイピイという音がさかんに起る。

 大小のゴム風船が画面を占領する。

 無数のゴム風船が糸を切られて虚空はるかに飛び去る。

 馳る。馳る。多くの脚が馳る。何も音がしない。

 一生懸命叫んでいる敏雄(少年時代)、

 少しも音は聞えない。

 (以下全く無声、その代り、このあたりより、音程の高い、澄みきった、多くの弦楽器の響きが荘重にわき起ってくる。

 絵のテンポとは全く無関係に)

 走る松五郎

 夫人の笑顔――あっと思う間に消えて――

 提灯、提灯、提灯。火の海だ。

 松が暴れている。姿ははっきりわからない。

 相手は――これもめまぐるしく廻るばかりでよくわからない。

 夫人の顔だけが馬鹿にはっきり現われた

 と思うも(つか)の間。

 夜空に雪がとめどもなく降りしきる。直ぐに車輪が、車輪が、又車輪が――キラキラと美しく廻って――夫人の顔。

 子供たちが花輪の(かんむり)をいただき、手をつないで、自分(松)の周囲を巡りながら歌を唱っているのに何も聞えない。

 またたくさんの車輪が廻るが、次第に消えて行って、最後に残った一つの車もだんだん回転がおそくなり、とうとうとまってしまうと同時に、その車もぼーっとぼけて――夜空に雪が降りしきり、カメラをそーっと下へ向けると、松の体にも真白く雪が――。

 

103 宇和島屋の一室

 行李の中から品物が一つ一つ取り出される。

 銘仙の揃い、肌着、足袋など、次に盆・暮にもらった祝儀の類「松五郎さんへ 御年玉 吉岡」などと記されている。

 結城重蔵が、それを未亡人に見せる。

「お宅でいただいたものは封も切らずに大事にしまいこんでいます。行李の奥へ、まるで宝物(たからもの)のように――」

 未亡人、ハンカチを目にあてる。

 結城のほかに熊吉も来ている。なお、行李の中を調べる。

 出てくる通帳――吉岡よし子、吉岡敏雄の名前。結城驚いて調べる。通帳を未亡人に渡し

「見てやって下さい、奥さん。あの暮しの中で、何という奴でしょう松は、あなたと御子息の名前で五百円余りも預けています」

 未亡人

「ああ! 私達は松五郎さんに何一つしてあげなかったのに――」

 熊吉

「あいつはこういう奴です。慾気というものは微塵(みじん)もないんじゃけん」

 結城

「珍しいキップの良い人だったなあ」

 未亡人、松の遺骸を(かこ)屏風(びょうぶ)の内側へ姿を消す。

 『松五郎さん!』

 と、害うと、それに続いてしのびかねた鳴咽(おえつ)の声がもれてくる。

 

104 駐俥場

 空俥一つ。誰もいない。

 半分位にちぎれた例のポスタアが風にゆられている――。

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2019/03/13

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伊丹 万作

イタミ マンサク
いたみ まんさく 昭和初期に活躍した映画監督。1900~1946年。愛媛県松山市生まれ。監督作品としては、「国士無双」、「赤西蠣太」、「巨人伝」など。俳優・映画監督だった伊丹十三の父。

掲載作の原作は岩下俊作の「富島松五郎伝」(『九州文学』1939〈昭和14〉年10月号初出)。伊丹万作が脚本を書き、1943〈昭和18〉年に大映で映画化。掲載作はそのときの脚本である。日本名作シナリオ選上巻(日本シナリオ作家協会編、2016年10月、第2版)による。無学で乱暴者の松五郎が軍人一家の未亡人に一生を捧げるストイックな作品。 なお作中に、現在では差別語とされる言葉があるが、歴史的な作品であることから原作を尊重してママとした。

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