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検索結果 全1058作品
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評論・研究 ものの見方について(抄) 初出年: 1950年
日 本 似て非なるもの さて、このあたりで私は、問題を少しばかり我々の身近くに引つけて見てみたいと思うが、それにしても、これまで見てきたヨーロッパ諸国の人々の考え方や、ものの見方を、我々のそれと比較して、その異同を考えてみないわけにはゆくまい。 日本人の今日までの頭の動かし方は、以上にのべた三つの国民(注 イギリス・ドイツ・フランス)のどれかに似ているであろうか。まず、こういう問題が出てくるに違いない。やかましく論じ立てれば、これもま
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小説 ドミノのお告げ 初出年: 1950年
或る日―― 足音をしのばせて私は玄関から自分の居間にはいり、いそいで洋服をきかえると父の寝ている部屋の襖(ふすま)をあけました。うすぐらいスタンドのあかりを枕許によせつけて、父はそこで喘(あえ)いでおります。持病の喘息が、今日のような、じめじめした日には必ずおこるのです。秋になったというのに今年はからりと晴れた日はまだ一日もなく、陰気なうすら寒い、そんな肌に何かねばりつくよう
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評論・研究 現代美学の危機と映画理論 初出年: 1950年
1 個人主義文化が、封建主義文化を引きはなすために、たたかった歴史の跡は決して容易なものではなかった。幾千の人が火であぶられ、幾万の人が鎖でつながれたかわからない。一六〇〇年代は、大きなそのたたかいの記念すべき世紀であった。一九〇〇年代もまた、今後の歴史家がその研究の対象とするであろうと思われる記念すべき世紀となるであろう。今や、個人主義文化そのものがその危機に臨んでいる。私たちは、その大いなる世紀のまさにただなかに立っている。 封建主義的文化においては、一つの特徴がある。すなわち地上的なるものは天上的なるものから造られたるもの(<span c
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評論・研究 〝愛〟と〝戦〟と〝死〟 初出年: 1949年
――宮沢(みやざわ)賢治(けんじ)作『烏(からす)の北斗七星』に関連して―― * * 学徒出陣に際して一九四三年十一月十日、第一高等学校文二のクラス会が開かれた。佐々木八郎は、席上このエッセイを朗読した。宮沢賢治諭に託して
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詩 逸見猶吉詩集(抄) 初出年: 1948年
目次兇牙利的(ウルトラマリン第二)曝ラサレタ歌ある日無音をわびて眼 鏡黒龍江のほとりにて人傑地霊 <div class="poetry"
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小説 桜桃 初出年: 1948年
われ、山にむかひて、目を挙ぐ。 ──詩篇、第百二十一。 子供より親が大事と、思ひたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考へてみても、何、子供よりも、その親のはうが弱いのだ。少くとも、私の家庭に於いては、さうである。まさか、自分が老人になってから、子供に助けられ、世話にならうなどといふ図々(づうづう)しい虫のよ
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小説 晩菊 初出年: 1948年
夕方、五時頃うかゞひますと云ふ電話であつたので、きんは、一年ぶりにねえ、まア、そんなものですかと云つた心持ちで、電話を離れて時計を見ると、まだ五時には二時間ばかり間がある。まづその間に、何よりも風呂へ行つておかなければならないと、女中に早目な、夕食の用意をさせておいて、きんは急いで風呂へ行つた。別れたあの時よりも若やいでゐなければならない。けつして自分の老いを感じさせては敗北だと、きんはゆつくりと湯にはいり、帰つて来るなり、冷蔵庫の氷を出して、こまかくくだいたのを、二重になつたガーゼに包んで、鏡の前で十分ばかりもまんべんなく氷で顔をマツサアジした。皮膚の感覚がなくなるほど、顔が<rub
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小説 夜の蝙蝠傘 初出年: 1948年
この孤独と云ふものは、四方八方から責めたてられて起つたものだと解り、一瞬の考へのなかにも、外部から、何かしら音をたてゝはいりこまれてゐる不安を、始終、頭に入れてゐなければならぬと、追ひまくられてゐる気になり、その息苦しい不安を、英助は、ぢいつと虚空(こくう)に只みつめてゐる。「おい、おくさん、何時(いつ)ごろ、冥土へ御出発としますかね」まるで愉しい旅行へ旅立つやうな尋ねかたである。町子が、鍋の
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小説 夏の花 初出年: 1947年
わが愛する者よ請ふ急ぎはしれ香(かぐ)はしき山々の上にありて獐(ノロ)のごとく小鹿のごとくあれ 私は街に出て花を買ふと、妻の墓を訪れようと思つた。ポケットには仏壇からとり出した線香が一束あつた。八月十五日は妻にとつて初盆にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑はしかつた。恰度(ちやうど
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小説 廃墟から 初出年: 1947年
八幡村へ移つた当初、私はまだ元気で、負傷者を車に乗せて病院へ連れて行つたり、配給ものを受取りに出歩いたり、廿日市町の長兄と連絡をとつたりしてゐた。そこは農家の離れを次兄が借りたのだつたが、私と妹とは避難先からつい皆と一緒に転がり込んだ形であつた。牛小屋の蝿は遠慮なく部屋中に群れて来た。小さな姪の首の火傷に蝿は吸着いたまま動かない。姪は箸を投出して火のついたやうに泣喚く。蝿を防ぐために昼間でも蚊帳が吊られた。顔と背を火傷してゐる次兄は陰欝な顔をして蚊帳の中に寝転んでゐた。庭を隔てて母屋の方の縁側に、ひどく顔の腫れ上つた男の姿――そんな風な顔はもう見倦る程見せられた――が伺はれたし、奥の方
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詩 暗愚小伝 初出年: 1947年
目次「典型」序 「暗愚小伝」 家 土下座(憲法発布) ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争
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小説 勲章 初出年: 1946年
寄席、芝居。何に限らず興行物の楽屋には舞台へ出る藝人や、舞台の裏で働いてゐる人達を目あてにしてそれよりも亦更に果敢(はかな)い渡世をしてゐるものが大勢出入をしてゐる。 わたくしが日頃行き馴れた浅草公園六区の曲角に立つてゐた彼(か)のオペラ館の楽屋で、名も知らなければ、何処から来るともわからない丼飯屋の爺さんが、その達者であつた時の最後の面影を写真にうつしてやつた事があつた。
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随筆・エッセイ 堕落論 初出年: 1946年
半年のうちに世相は変った。醜(しこ)の御楯(みたて)といでたつ我は。大君(おおぎみ)のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずくこと
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小説 螢 初出年: 1944年
登勢は一人娘である。弟や妹のないのが寂しく、生んで下さいとせがんでも、そのたび母の耳を赧(あか)くさせながら、何年かたち十四歳に母は五十一で思ひがけず妊(みごも)つた。母はまた赧くなり、そして女の子を生んだがその代り母はとられた。すぐ乳母(うば)を雇ひ入れたところ、折柄乳母はかぜけがあり、それがう
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小説 裸川 ――新釈諸国噺より―― 初出年: 1944年
わたくしのさいかく、とでも振仮名を附けたい気持で、新釈諸国噺といふ題にしたのであるが、これは西鶴の現代訳といふやうなものでは決してない。古典の現代訳なんて、およそ、意味の無いものである。作家の為すべき業ではない。三年ほど前に、私は聊斎志異の中の一つの物語を骨子として、大いに私の勝手な空想を按配し、「清貧譚」といふ短篇小説に仕上げて、この「新潮」の新年号に載せさせてもらつた事があるけれども、だいたいあのやうな流儀で、いささか読者に珍味異香を進上しようと努めてみるつもりなのである。西鶴は、世界で一ばん偉い作家である。メリメ、モオパッサンの諸秀才も遠く及ばぬ。私のこのやうな仕事に依つて、西鶴
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シナリオ 無法松の一生 初出年: 1943年
原作………………………岩下 俊作 スタッフ 製作………………………中泉 雄光 監督………………………稲垣 浩 撮影………………………宮川 一夫 音楽………………………西 悟郎 キャスト 富島松五郎………………阪東妻三郎 吉岡小太郎………………永田 靖 よし子………………園井 恵子 敏雄(少年時代)…沢村アキヲ(長門裕之) 〃 (青年時代)…川村 禾門 宇和島屋…………………杉 狂
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小説 ふるさとびと ―或素描― 初出年: 1943年
一 おえふがまだ二十(はたち)かそこいらで、もう夫と別居し、幼児をひとりかかへて、生みの親たちと一しよに住むことになつた分去(わかさ)れの村は、その頃、みるかげもない寒村になつてゐた。 浅間根腰の宿場の一つと
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評論・研究 春風馬堤曲の源流 初出年: 1943年
安永六年(1777)の正月、蕪村は『夜半楽』と題した春興の小冊を出した。その中に「春風馬堤曲」十八首と「澱河歌」三首とが収められてある。それは一見俳句と漢詩とを交へて続けたやうなものであるが、実は必ずしもさうではない。言はば一種の自由詩である。しかも格調の高雅、風趣の優婉、連句や漢詩とはおのづから別趣を出すものがあつて、人をして愛誦せしめるに足る。その体は日本韻文史上にも独特の地位を占むべきもので、ひとり形式の特異といふ点のみでなく、一の文藝作品として確かに高度の完成した美を示して居ると言つて宜(よ)<
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小説 魔笛 初出年: 1942年
銭湯はひつそりしてゐた。 あから顔の肥つた男が、よたよたとタイルの流し場から姿を消すと、男湯は三村ひとりになつた。浴槽に脚を伸ばして、揺れる湯気を眺めてゐると、うつとりとした睡気に似たものが瞼に漂ひ始めた。そのまま眼を閉ぢた。だが、耳はなにかを聞いてゐた。 桶の音、湯を使ふ音に混つて、女の声が響いてゐた。女湯もすいてゐるのか――どうやら話してゐる女客二人だけらしい。高い天井にはねかへつて来る女の声は明るく弾んで、ひそやかな筈の会話はその笑ひ声といつしよに三村の上気した顔の上に降つて来る。なにを嬉しさうに話してゐるのか? 女は着物をぬぐと、心まで裸にな
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小説 待つ 初出年: 1942年
省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎へにまゐります。誰とも、わからぬ人を迎へに。 市場で買ひ物をして、その帰りには、かならず駅に立ち寄つて駅の冷いベンチに腰をおろし、買ひ物籠を膝に乗せ、ぼんやり改札口を見てゐるのです。上り下りの電車がホームに到着する毎に、たくさんの人が電車の戸口から吐き出され、どやどや改札口にやつて来て、一様に怒つてゐるやうな顔をして、パスを出したり、切符を手渡したり、それから、そそくさと脇目も振らず歩いて、私の坐つてゐるベンチの前を通り駅前の広場に出て、さうして思ひ思ひの方向に散つて行く。私は、ぼんやり坐つてゐます。誰か、ひとり、笑つて私に声を