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検索結果 全1058作品
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随筆・エッセイ ある邂逅
あの衝撃の電話が入ったのは、昭和五十七年十月二十七日水曜日の夜。受話器をとると大きな声が耳を打った。 「望月か、俺を覚えているか、鳥山だ」 「うーん、わかりません」 「新潟高等学校の鳥山だよ」 「そういえば名前を覚えている」 「俺、困っているんだ」 男の口調は乱暴で、何の依頼かと一瞬いぶかりながら、「どうしたの」と聞く私に意外な言葉が返ってきた。 「ゴトウテツオを知っているか」 「よく知っている。三十年位も会わないけれど」 「
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随筆・エッセイ 山本五十六の恋文
せせらぎ荘 地球温暖化という言葉を耳にして何年になるだろう。桜前線北上は年々早くなっている。 沼津市は人口二十一万人、香貫山(かぬきやま)が平坦な市街地へせり出した地形で、麓を狩野川が曲がって駿河湾へそそぎ、海、山、川へ市民が歩いていける。富士山、南アルプス、箱根連山を遠く望み、気候温暖で首都圏に隣接し、東京人の保養に最も適した街でもある。 午前の外来診療を終え、昼食を
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小説 星のない街路
ベルリンの十一月は、いつもながら、ひどく陰気な、じめじめした天候が続く。太陽はわずかに白っぽい光となって層雲の背後に隠されてしまっている。ときどき、しめやかな雨が過ぎる。霧ともつかない湿った空気が自然と微細な水滴となって降りだすような実にこまかい冷雨である。街はいつもくすんだ灰色に閉ざされ、人々は外套の襟を立て肩をすぼめて道を急いでいる。 爆撃の跡がまだあちこちに目についた。殊にティア・ガルテン地区には瓦礫(がれき)の山がそのままに放置されており、それがこの都市の見事な復
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詩 思ひ出(抄)
序詩 思ひ出は首すぢの赤い螢の 午後(ひるすぎ)のおぼつかない触覚(てざはり)のやうに、 ふうわりと青みを帯びた 光るとも見えぬ光? あるひはほのかな穀物の花か、 落穂ひろひの小唄か、 暖かい酒倉の南で 挘<rp
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白金之独楽 抄 大正三年(1914)十二月初版・金尾文淵堂刊 白金ノ独楽 感涙(カンルイ)ナガレ、身ハ仏、 独楽ハ廻レリ、指尖(ユビサキ)ニ。 カガヤク指ハ
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随筆・エッセイ お花畑の春雨
いい雨がふります。 それは絹灑(きぬごし)のやうな細かさを持つた、明るい、落ちついた、いい雨です。温かないいお湿(しめ)りです。 その雨を観てゐると、安らかな、細ごまとした自然の愛(いつくし)みといふものが、とりわけて懐かしく感じられます。降りそそぐ春雨の愛、そ
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小説 いのちの初夜
駅を出て二十分ほども雑木林(ぞうきばやし)の中を歩くともう病院の生垣が見え始めるが、それでもその間には谷のように低まった処や小高い山のだらだら坂などがあって、人家らしいものは一軒も見当らなかった。東京から僅か二十哩そこそこの処であるが、奥山へ這入ったような静けさと、人里離れた気配があった。 梅雨期に入るちょっと前で、トランクを提げて歩いている尾田は、十分もたたぬ間に、はやじっとり肌が汗ばんで来るのを覚えた。随分辺鄙(
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評論・研究 各人心宮内の秘宮
各人は自ら己れの生涯を説明せんとて、行為言動を示すものなり、而(しか)して今日に至るまで真に自己を説明し得たるもの、果して幾個(いくこ)かある。或は自己を隠慝(いんとく)し、或は自己を吹聴(ふいちやう)</ruby
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評論・研究 精神の自由
二、精神の自由 造化万物を支配する法則の中に、生と死は必らず動かすべからざる大法なり。凡(およ)そ生あれば必らず死あり。死は必らず、生を躡(お)うて来(きた)る。人間は「生」といふ流れに浮びて「死」といふ海に漂着する者にして、其行程も甚だ長
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評論・研究 加藤周一「ある晴れた日に」論
一、なぜ小説なのか 評論家の加藤周一は小説も書いていることは、最近はあまり知られていないようだ。加藤氏は、著作集(第一期一九七八〜八〇年、以下同じ)第十三巻「小説・詩歌」のあとがきで「私は生涯に強い感動を伴ういくつかの経験をした。そしてその経験を、架空の話に託して語ろうとしたことがある」と書き、自作として長編三つと、短編一つ、短編連作二つをあげている。長編「ある晴れた日に」は、その一つであり、著作集のこの巻に収められている。それ以外にも、私の知る限り、戦後早
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評論・研究 加藤周一私記
一 私が初めて加藤周一をじかに見たのは、一九八六年十一月、大学四年の時だった。 東大教養学部の職員組合主催の講演会に加藤周一が来たのである。私は講演当日、たまたま学内の掲示板で知って、会場の定数百五十人ほどの階段教室に出かけて行った。 そのころはとにかく活動で忙しかった。授業もほとんど出なかったし、学生自治会や選挙の演説会以外、文化人の講演会などまったく行かなかった。それでも加藤周一の講演を聞きに行ったのは、幼稚な左翼学生にすぎなかった私にとっても、加藤周一は特別な存在だったからである。
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小説 乳母
(一) 夕暮の忙しさは、早や家へ帰る身なるに襷脱(たすきと)るのも打忘れて匆卒(そゝくさ)と、吾妻下駄の歯に小石の当りて騒がしく、前垂(まへだれ)帯の上より締めて、小包持てるは髪結(かみゆひ<
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サボテン 寡黙な客と 寡黙な床屋 窓の外では まだ青い木の葉がちぎれて飛んでいく 「毛虫まで飛んでる」と客 『私も飛んでみたいです』と床屋 あとはまたハサミの饒舌 客と床屋は鏡の中で目をそらす 「この鏡よく見えませんね」 『ええ、ちょっと近視の鏡なんですよ』 </
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小説 向日葵
夏よ、あなたを抱きしめるため、 わたしはできるだけ大きくなろうとする きょうも大勢のひとびとが、この美術館にやってくる。 ひまわりの絵を見るためだ。いちど見たら、どんな人でもけっして忘れられない鮮烈な印象をもった絵である。 ひとびととはちがった理由で、わたしも一日にいちどはこの絵を見にくるのだ。わたしがこの美術館の館長をしているからではなく、ほんとは、この絵がわたしの娘によって描かれたものだからだ。もっと正確にいうと、からだの不自由な娘が、ある男の手をかりて描いたものと
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小説 西瓜喰ふ人
滝が仕事を口にしはじめて、余等の交際に少なからぬ変化が現れて以来、思へば最早大分の月日が経つてゐる。それは、未だ余等が毎日海へ通つてゐた頃からではないか! それが、既に蜜柑の盛り季(どき)になつてゐるではないか! 村人の最も忙しい収穫時(とりいれどき)である。静かな日には早朝から夕暮れまで、彼方の丘、此方の畑で立働いてゐる人々の唄声に交つて鋏の音が此処に居てもはつきり聞える。
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小説 父を売る子
彼は、自分の父親を取りいれた短篇小説を続けて二つ書いた。或る事情で、或日彼は父と口論した。その口論の余勢と余憤とで、彼はそれまで思ひ惑うてゐたところの父を取り入れた第一の短篇を書いたのだ。その小説が偶然、父の眼に触れた。父親は憤怒のあまり、 「もう一生彼奴(あいつ)とは口を利かない。──俺が死ぬ時は、病院で他人の看護で死ぬ。」と顔を赤くして怒鳴(どな)つたさうだ。だから彼は、そ
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ノンフィクション 世界マグロ摩擦!(抄)
南太平洋の島々にて ――海とマグロとアイランダーズ フィジーにて 南太平洋島嶼(とうしょ)国が一国で大学を運営するのは財政的にも負担が大きい。そこで南太平洋フォーラムのメンバー国が集まってそれぞれ基金を設定し、この全地域を統括する総合大学が誕生した。一九九三年七月、私はフィジー共和国で一週間にわたって開催される南太平洋民族科学会議に出席することになった。フ
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評論・研究 能狂言私観
狂言の話芸性 「話芸」というのは、大ざっぱな言いかたをすると、口舌の芸すなわち〈話の芸〉のことである。つまり、落語、講談、浪花節などのように、〈話す〉、〈読む〉、〈語る〉といった技法で表現する芸が、一応、話芸というジャンルでくくれるわけだ。それを、さらに漫談、漫才、活弁、古くは節談説教から、隣接する〈語り物〉の平曲、浄瑠璃のたぐいにまでひろげることもできるわけである。 最近、「話芸」ということ
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朝陽の映画館 月の光をもっと欲しいよ 海面に三角小波が背のびしている 満月の海ぞいの道をバイクで飛ばしている私から 悲しいことかなしいことカナシイコトが はがれ吹き飛ばされ私は天使 これで おさらばだ 悲しいことの全部と 満月色の海上を疾走したいとハンドルを切った バイクはガードレール飛び越し海に突っ込み海底で 眠ってしまった 翼をもがれて陸へ上がった私に <
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目次 水蜜桃 死んだふりして 時代は変わる オレンジの花の香り 少年の日 腕時計 少女時代 月光のオートバイ 小鳥さ