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検索結果 全1058作品
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小説 三等船客
一 「あれ、擽(くすぐ)つたい。」 はねのけるように癇高(かんだか)な、鼻のひくい、中年期の女のみが発し得る声が、総体にゆらゆらと傾いた船室の一隅からひびいた。女の姿は何かの蔭になつて見えなかつたが、男は前のめりに動いた姿だけ、汚
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随筆・エッセイ 八一と白鳥 ─魅力ある文人たち(抄)
山鳩 ――会津八一と紀伊子―― 山鳩の声で、目がさめる。いつものことだが、夢の中にまで谺(こだま)する声だった。 快い目ざめではない。からだの調子も、心も、安らかでいられることは、これからさき、もうあるまいと思う。少しずつ、毎日悪くなってくるのがわかる。 「すみませんね、いつも申しわけなくて」 紀伊子は、会津八
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俳句 有時(うじ)
ぶつかりもせず綿虫の盲飛び (平成十年) 冬霧につぎつぎ裸灯となれり 脚長き椅子が軋みて夜泣蕎麦 地平枯れ第九聴かむと集ふなり 雪景色よき隔たりの橋二つ 風収まれり枯蓮の折られ損 満身で悔い若鮎の釣られたる 引鶴の一羽遅れしあかね空 午後居らず朧の
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詩 考えるジャガイモ
目次 部屋 はえ 鎖の幸福 あいくち 木 木のぼり 青春 ほこり <a href="#P9
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小説 塔のある町で
シエナからその町まで、長距離バスでどのくらいかかるのだろう。 どのくらいかかるのか、私にはわからない。 とにかく、その町には塔が十三基ほど聳え立っていて、それこそ、町そのものが中世そのまま、住む人たちも数百人を数えるくらいで、ひっそりと山の上に暮らしているのだと云う。 そんな町が、はたしてあるのか。
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小説 叛臣伝
一 登世(とよ)が二度目に倒れたのは、夷舞(えびすまい)が笑いをふりまいて去った後だった。 七草明けまで降った雪が、根雪となって塀裾や庭樹の陰にしがみついていた。晴れた日だったが、妙に底冷えのする朝で、登世は頭痛を腰元に洩らしている。普段だったら医者を呼んだかもしれない。三隈城山下の稲田屋敷から五丁ほどの距離で傍町に広沢久庵がい
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小説 からす組(抄)
目次 衝撃隊誕生 女郎屋本陣 血風化地蔵 細谷烏 衝撃隊誕生 "薩長を斬れ!!" 世良修蔵誅戮(ちゅうりく)</rp
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詩 ひとつの道(抄)
目次 岡の上で レオナルドの最後の晩餐 秋 妻の柩 妻の死 三番叟の舞 父母の前へ 梅雨</l
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小説 駒鳥の血
1 突然、目のまえに小さな村が現われた。妙にしんとしている。人の住む気配がしない。光線があらゆる音を吸いとったかのように、村全体が息を潜めて、人目を避けている感じがする。 なぜ、こんなところに迷いこんだのだろう。内海浩子は車から細い通りにとびだすと、怪訝な面持ちで周囲を見まわした。あと十七、八キロで目的地のバースに着くはずだったのが、まるでだれかに誘いこまれるふうに、奇妙な村に入りこんでしまった。 通りの左
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川柳 微苦笑
基地の中から歯をむいた赤ずきん 君が代の他は聞こえてこぬ音痴 おかしいぞ女房明日から家にいる シュレッダーに首を差し出す民主主義 三党が同居危ない雑居ビル ふところは無限テレサの長い道 永田町迷彩服がよく似合う コンドーム持参で歌う海征かば プリクラでヌードを写す人はない <
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小説 池のほとり
父は鉄砲を肩にかけ、俊助は父と並んで歩いて行った。遥か前方に山があり、その麓に池があった。山の背後には鈴懸連峰が遠く連なり、池の土手は錆色の肌を陽に晒して耀いている。藁塚が集落をつくって囁きあうように散在し、時折り、巨大な雲が墨色の影を大地に投げては走って行った。冬の田圃は人影もなくまるで荒涼と荒れ狂う海のようだった。 犬が彼らのまえを、転げる恰好で駈けていた。草叢に立ち止っては、生きものに挑む姿で飛びかかっている。鎖の桎梏(しっこく)から解き放たれた、軽快で快い行動だっ
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小説 風の鳥瞰
耳もとで風が鳴っている。右の耳と左の耳とでは風の音色が少し違って聞こえる。どちらもゴウというふうに聞こえるのだが、多少、右を抜ける風の方が高い音だ。風が向きを変えたのかも知れない。コントロールバーの右手を引いた。身体がハーネスの中に食いこんでいく。ハンググライダーはゆっくりと右旋回を始めた。 眼下はほぼ緑だ。この山は冬はスキー場になっているが、今は雪もなく芝がいっせいに青い葉を太陽に向けている。ゲレンデの端にリフトが赤錆びたまま伸びている。黄色い何百というベンチが揺れている。二列に並んで止まったままのベンチは風が吹くときだけ冬の生命をとりもどしているようだ。裾野から頂
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詩 特別な朝
かつを 赤道からオホーツク海までただひたすらに泳ぎ回る魚 体長90センチにも及ぶ巨体をただひたすらに動かし続ける 速度を上げて 速度を上げて ただひたすらに 今でも一本釣りが正統なんです イワシを撒いて ポンプで水を撒いて海面を泡立たせる 最初は餌のついた針で釣り上げるけど 釣れ始めたら偽物で まあ なんて悲しい習性の魚であることか 不況の底は脱した </p
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評論・研究 なぜ高村光太郎なのか
電子文藝館招待席に委員が提案し、委員会の手続きを経て掲載された「高村光太郎作品抄」の一部にある戦争賛美詩を削除せよという私信メールが、ペンクラブ会員のある作家から提案者宛に届いた。作家の意見をきちんと受け止めた上で、委員会は削除要求に応じていないが、提案者から経緯を述べておきたいと投稿があったので、了とした。(編輯室) 電子文藝館招待席に「高村光太郎作品抄」を、最初は2006年末か2007年初頭に提案して、委員会の了承を得られた。当時の電子文藝館委員会
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コラム ある国語教師の決断
電話の主が最初は誰か判らなかった。中学校時代の恩師だと確信するまでにしばらく時間がかかった。 前回お会いしたのは5年ほど前。久しぶりの同窓会の席だった。2次会でゆっくりお話しを聞きたかったが、できなかった。次の予定があって1次会だけで失礼した。それ以来のお声である。 先生宅に来ないかとおっしゃる。先生宅への訪問は40年ぶりぐらいだろうか。浜松から出てきた先生が30代で建てた家。それまでにお住まいになっていた教員住宅とあまり変わらない造りだが、リフォームしたらしく明るくなっていた。 客間のテーブルの上には本が山積みになっていた。『金子
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詩 詩誌「波」より
休日の午後 土曜の病室 治療は休みでのんびり過ごす ラジオの野球中継は ありえないことが ありうる話 格好のヒマツブシ 回も押しての9回裏 2アウトフルベース 登場したのは ここまでノーヒットの 7番バッター左打ち いのち輝く大歓声 横浜の夕空に 満塁ホームランの美しい放物線
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詩 童児群浴
黒き玻璃(はり)の山脈、赤き血の滴 げせぬ鋭どき天のときの声 これらみな紫の異常になげく 夏の午後の一とき 薄紫、赤、黄は透明を伝染し 天地にみなぎりたり 硫黄泉(いわうせん)は地底をつたふ 美しき湯気の香はする この時太陽は血潮
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評論・研究 高橋和巳序説
1 いにしえ、東方の民が<双神の時間>と名づけた早朝の一時期——暗黒と光明、絶望と期待の陰陽交錯する薄明のゆらぎ、明暗定かならぬ夜と曙のせめぎあいこそ、不安な人間存在の物語の発端であった、といわれる。それはタナトスとエロスの相互循環であり、また、一切の苦痛、一切の快楽も一緒に肯定すべき<運命の愛>と呼ばれる真理なのでもあろうか。 思うに、その双神の運命とは、逃れえぬ闇の深奥でおびえつづけなければならぬ人間の精神と現実の構造的な内実を意味している。いや、それにしても、
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小説 公方繚乱
1 「むっ」 と思わず口を噤む。汗が首周りに噴き出ていた。 蝉時雨の裏山の緑が眩しい。長く、暑い一日になりそうだった。 鶴岡八幡宮の周りは、昼前の照りつけを受け警固した兵が厳かに立ち尽くしていた。鳥居の前には華やかな百五十騎の軍馬が、整然と轡を並べている。本殿ではすでに神楽が奏でられ、舞殿で舞童による舞楽が奉じられていた。三ノ鳥居をくぐり源平池を見て、さらに石
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評論・研究 近代日本における戊辰戦争の意味
《目次》 1 はじめに ―「薩長史観」と「公議政体派」史観― 2 公議輿論と公議政体 3 公議政体と大政奉還 4 五箇条の御誓文と戊辰戦争 5 万国公法と戊辰戦争 6 戊辰戦争とシビリアンコントロール <a href="#P