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ユージン・オニールの世界

目 次

  1. E・オニールと『ああ荒野!』
  2. E・オニールの『夜への長い旅路』 ―その悲劇性について―
  3. E・オニールの『氷人来る』 ―夢と死について―

1 E・オニールと『ああ荒野!』

 I

 E・オニールの『ああ荒野!』Ah Wilderness !は1933年9月25日、ピッツバーグのニクソン劇場で初演されているが、これは数多いオニールの作品の中で唯一の喜劇であり、上演当初から観客、批評家から大評判を獲得した。

 この作品を書いていた頃、オニールは現代宗教に関する3部作の第2作目『限りなき日々』DaysWithout End (1933) を執筆中であった。

 第1作目は『ダイナモ』Dynamo(1929) で、現代文明と既成宗教とが対決する寓話劇であるが、不評のため、数十回の公演で打ち切りとなっている。

『限りなき日々』も1933年12月ボストンで初演されたのちニューヨークでも上演されたが、第1作目と同じ運命をたどった。第3作目には自転車産業界を背景にした『馬鹿げたことじゃない』It Can not BeMadを書こうとしたが、この作品は未完に終わっている。

 1928年8月、オニールは友人のジョージ・ネイサンに宛てた手紙で次のように述べている。

“It is really the first play of a trilogy thatwill dig at the roots of the sickness of today as I feelit―the death of the old God and the failure of Science andMaterialism to give away satisfying new one for the surviving primitivereligious instinct to find a meaning for life in, and to comfort itsfears of death with.”  (註1)

「この3部作は私の感じている現代の病源を掘り起こそうとするものなのです。つまり古い神が死に、まだ人たちの間に残っている原始的な宗教本能が、その中に生命を見い出し、それによって死の恐怖をやわらげることのできる新しい神を、科学や物質主義が支えられない有様のことなのです。」

 精根を注ぎ込んだ作品に対するオニールの創作意欲がここにうかがえるのである。

 オニールは『限りなき日々』の執筆には心を痛め、何度も稿を改めており殆ど神経性の胃痛に悩まされているような状態であった。そんなある夜、それは1932年9月、彼は夢を見て目覚めたのだが、その時にはある戯曲の構想が殆どできあがっていたと云う。このエピソードは有名であるが、彼は『限りなき日々』の執筆を中断し、約6週間とも1ケ月とも伝えられているような短期間で書き上げたのがこの『ああ荒野!』であった。

 科学と神学や哲学との対峙と云う極めて観念的なテーマに取り組みながら、 自らの求める方向にテーマを展開することができず、自縄自縛の中にあって苦しんでいた時に一瞬、彼は自分の過去の夢を追憶することによって、その当時緊張し切っていた精神にある種の緩和剤を与えたのであろう。

 『限りなき日々』を駄作ときめつけたネイサンは『ああ荒野!』を読んだ時には最高傑作のひとつであると絶賛した。

 1933年10月『ああ荒野!』が再演されるや大好評で、上演回数は289回を記録したのであった。3部作執筆の苦衷の中から作者は何を求めてこの作品を書き上げたのだろうか。また、この作品の延長線にあるものは何であろうか。 この小論で考察してみたいと思う。

 II

 オニールにとって『ああ荒野!』は自分自身の青春時代の希望的願望を想わせるような感傷的な回想劇と云われているが、彼の望んだ、そして憧れた青春と、彼自身の生きてきた青春はどのような差異があったのだろうか。

 オニールは『ああ荒野!』について以下のように述べている。

“A Comedy of Recollection. My purpose was to writea play true to the spirit of the American large small-town at the turnof the century. Its quality depended upon atmosphere, sentiment, anexact evocation of the wood of a dead past. To me, the America whichwas (and is) the real America found its unique expression in suchmiddle-class families as the Millers, among whom so many of my owngeneration passed from adolescence into manhood." (註2)

 ここで述べているように、この戯曲は追憶の喜劇であり、舞台は平均的な大きな田舎町―まさに小アメリカ―に住む典型的な中産階級の人たち、ミラー家の家庭のようなものに対する自己のセンチメンタルな回想であると記しているのである。

 4幕7場からなるこの戯曲は1906年7月4日(独立記念日)の朝から翌日の夜までの2日間の家庭での出来事である。場所はコネティカット州のある大きな地方都市で新聞社を経営するナット・ミラー家の居間から始まる。

 主な登場人物は父親のナット、中老の紳士、自由と正義の味方、寛大な心の持主である。またユーモアのセンスもある人物として描かれている。 

 ミラー夫人の弟、シッド・ディヴィスが紙片に書き留めた詩、

“My life is bitter with thy love; thine eyes

Blind me, thy tresses burn me, thy sharp sighs

Divided my flesh and spirit with soft ofsound―”  (註3)

を朗読しているのを笑いながら聞いたミラー氏は、以下のように冗談を云う。

“I missed that one. That must be Mr. Swinburne'scopy. I've never read him, but I've heard something like that was thematter with him.” (註4)

 次男坊、リチャードが恋人に送ったスウィンバーンの詩を理解しながらも、恋人ミュリエルの父、ディヴド・マッコーマーがそのことで文句を云いにきた時には、息子の名誉のためにマッコーマーの広告掲載は一切断る、と怒鳴ることのできる強い頼もしい父親である。

 ミラー夫人のエミーはピュリタンの信仰を家庭生活の基礎としている典型的なニューイングランドの女性。優しい善良な性格で子供に対する様は大変厳しく、時々一家を悲喜劇的な世界へ追い込んでしまう。彼女は、

around fifty, a short, stout woman with fading light-brownhair sprinkled with gray, who must have decidedly pretty as a girl in aroundfaced, cute, small-featured, wide-eyed fashion. She has big browneyes, soft and maternal-a-bustling, mother-of-a-family manner.  (註5)

 この姿は典型的な中流階級の母親であり、ミラー夫人は「母の日」の母親として誰もが描く女性像である。ミラー夫妻はニューロンドンで若き日のジェイムスとユージンの親子が理想の家庭として、憧れの夫婦として賞賛し、羡望したジョンとイヴリン・マッキンリーをモデルにしていると云われている。

 ミラー家には4人の子供の他にふたりの居候がいる。妻の弟で定職を持たない中年の独身男、前出のシッドとミラー氏の妹で高校教師をしているリリー・ミラーである。

 シッドは明朗でお喋りな性格であるが、飲酒泥酔という悪い癖がある。そのためにピュリタン独特の潔癖さを持つリリーには十数年来の愛を受け入れて貰えない。このふたりには『交戦区域』In the Zone(1917)に登場する水夫スミティと、彼を愛しながらも酒癖が治らぬため別れる決心をして手紙を書いたイデスの姿が重なる。

 さて、この戯曲の主人公の青年リチャードであるが、他の3人の子供たちの素直で溌剌とした気性とは対極にあり、ピュリタン的頑固さに反感さえ持ち、自由開放に憧れ、耽美主義的な人生感を持つ文学青年である。彼の愛読書と云えばカーライルの『フランス革命』、ワイルド、ショー、イプセンなどの戯曲、スウィンバーンの詩、キップリング、オーマ・カイヤムの『ルバイヤット』などで、社会主義や恋愛に関する作品が多い。リリーやシッドも『ルバイヤット』を読んでいるらしく、それぞれ好みの一節を引用して朗読し合っている。リチャードが口ずさむ一節、

“A Book of Verses underneath the Bough,

A Jug of Wine, A Loaf of Bread-and Thou

Beside me singing in the Wilderness ― ” (註6)

木陰に詩集と酒とパン

そしてあなたがいて、荒野に唄えば

 このあとに―ああ、荒野もパラダイス―が続き、それがこの戯曲の題名となっているのである。

 リチャードの恋人ミュリエルは内気で純情な娘。しかし親にふたりの仲を引き裂かれそうになりながらも、再会して愛を確かめ合い、互いに将来を語り合う。では17才のリチャードと同年令であった1906年、オニール自身の生活はどのようであったのだろうか。

 III

 1906年の夏、17才のユージンは秋にプリンストン大学への入学を目前にして、コネティカット州ニューロンドンにあるオニール家のサマーハウスで過ごしていた。彼はこの町の青年医師、ジョーゼフ・ガニーの診療所に度々通い、そこの本を読みふけっていた。

 ガニーはユージンより10才先輩であり、彼が非常に崇拝していた人物であるが、医師になる前は肉屋で働いたり石炭関係の仕事にたずさわっていたと云う。医師になって間もなく彼は世界一周の旅に出て、その間かなりの初版本を入手して帰国している。

 オニールの父は読書家で、自宅の本棚にはシェイクスピア全集、V. ユーゴ、ディケンズ、キプリング、デュマ、その他エマソン、スコットやバイロンの詩集、アイルランド史全集などがあったが、ガニー宅にはワイルド、ショウペンハウエル、ゾラ、モーパッサンなどオニール家にはない図書が沢山あった。ガニーの蔵書はオニールにとって興味の的であり、新鮮であった。ガニーが本の貸し出しを許さず、集まって読むのは時間制限しなかったので、オニールは夜の更けるのを忘れて読みあさった。

 ガニーの診療所の2階は“SecondStory Club”と呼ばれ、近所の不良仲間が集まり、酒を飲んだり、論議したり、カードをしたりの場所であったので町の評判はあまり良くなかった。オニールはガニー氏の“SecondStory Club”へ通う一方、ニューロンドンのネオン街、プラドリー通りにもせっせと足を運んでいた。 (註7)

ミュリエルに送った耽美的な恋文がたまたま彼女の父親の目に止まり、怒りを買い交際ができなくなってしまい、さりとて町の売春婦ベルともろくに話もできず、酒も上手に飲めない純情なリチャード・ミラーとは正反対の、ユージンの若き日の姿がここに見られるのである。

 IV

 『ああ荒野!』はオニールの死後数年を経て発表された自伝的戯曲『夜への長い旅路』LongDay's Journey Into Night (1940完成、1956初演)とは光と影のような関係で比較される。両作品共、時期、場所も同じニューロンドンで、同じような家庭の物語として舞台は展開されるからである。しかし、後者の暗い絶望的な、息のつまるような人間関係、登場人物の性格に比べ、前者には全く暗い影が見当たらない。

― there is no problem of existence ; no fightingof life or fear of death ; no probing of hidden motives ; nounfullfi11ed longings, neuroses, or obsessions ; no father-sonhostility, mother fixation, or martial difficulty   (註8)

 このように『ああ荒野!』に登場する人物には暗さや悪意など殆どなく、親子関係も順調で、古き良き時代の善良な市民たちの類型が見られるのである。

 戯曲の筋は極めて簡単である。主な出来事と云えば、リチャードが独立記念日にミュリエルに宛てた手紙を持って、マッコーマーが怒ってミラー家へやってくる。彼は娘への罰として向こう1週間外出禁止、夜は8時に就寝させることにしたこと、新聞広告もやめさせてもらうなどと云いたてる。

 ミラー家の主、ナットは始めは寛大にあしらっていたが、だんだん怒りだし、自分の息子の名誉のために広告はこちらの方からお断りとばかり、 追い返してしまう。このようなことが発端で話が展開していく。

 リチャードはミュリエルが恋を怖がっているから「自分自身の人生を過す勇気」を与えたかったのだと云いながらも、彼女からの絶交状を見せられてすっかり腹を立ててしまう。

 この若い男女と平行してこの劇にはもう一組の男女、シッドとリリーが登場する。シッドは背がひくく、肥満、禿頭で1幕のト書によると「決して大人になることのない腕白小僧のような面構え」をした初老で、彼は何度もリリーに禁酒を誓っては結婚を申し込むが、いつも誓いを破って、とうとう16年前には婚約破棄されてしまったと云う性格の弱い人物なのである。リリーもそういう彼を心底憎むことができず、今度こそは酒を止めてくれるかしらと一縷の望みを持ちながら今日まで過ごしてしまった。彼女は独立記念日の夜、花火に一緒に行こうと誘われれば、断われず、新調のドレスを着て心待ちにしているような心のやさしい女性である。

 この作品でもっとも喜劇的な役割を演じているのはシッドで、青二才アナキスト耽美主義者気取りのリチャードの真剣な社会批判や、母親を驚かせる言葉も一度シッドが口を開けば、たちまち警句と冗談の中に取りこんでしまい、皆を笑わせてしまうからである。

 彼の憎めない身体的条件、彼の存在自身が機智や笑いの源になりうるのである。彼はリチャードと親との関係、恋人との関係における良き理解者であり、この人柄を登場させることによってこの劇の中での家庭の雰囲気を何度も和らげている。いわば『ああ荒野!』における狂言回しの役をしているのがシッドである。しかし彼の弱点は飲酒にあり、そのために真面目なリリーとの恋は中々実らない。同じ失敗を何度もくり返しながらリリーとの恋を成就できない淋しい男である。酔った彼が、リリーへの求婚を断られ、救世軍の讃美歌を歌い、太鼓のまねを口でしながら寝室へ退去する。あのコミカルな2幕の1場面も憐れみと哀感が迫ってくるものがある。泣き笑いの人生を我々はここで見るのである。自ら笑いをつくり、自ら涙を誘い、またそれを笑いでかくす、ここにもユーモアの真髄がある。やがてはリリーと結ばれる筈のこの初老の男性に観客はエールを送りたくなるのである。

 ナット・ミラーはト書にもあるように「服装は生来無関心だが、わざと渋い良さをねらって、いささかぎこちない」のだが、この無関心さや、渋い良さやぎこちなさなどがこの男の豊かな個性といささかユーモラスな点をうかがわせる。素朴で純情で怒りっぽい、そして時々間の抜けた点もあるというのは、背が高く禿頭であるという肉体的条件とぴったりはまり、オニールの描く他の老人像『アンナ・クリスティ』Anna Christie のクリスや『楡の木陰の欲望』Desire Under the Elms (1924)のキャボット老人を想像させる。彼は古いタイプの家長の威厳を示して、子供たちには厳しい父親ではあるが、反面、子供に関してはまことに子煩悩な親馬鹿で物わかりのよい父親になったりする。前出のマッコーマーとの一件の時のナットのとった態度も息子をかばう親の一念である。

 しかしマッコーマーを退散させる、あの滑稽とも思える場面のあとの彼の言葉―

“I’ve got to do something about thatyoung anarchist or he'11 be getting me, and himself, in a peck oftrouble. But what can I do? Putting the curb bit on would make himwords. Then he'd have a harsh tyrant of defy. He'd lovethat,―” (註9)

 これは父親にとっては笑えぬ冗談であり、新しい思想の波が足元までひたひたと押しよせているのに充分理解できない大人の苦悩でもある。しかし、ナットが昔から何度も繰り返し皆が知っている話をまた得意気に始め、その度に話が大きくなるので、シッドに注意されその場にいた者たちに笑われた時、彼の妻に対して見せた哀しそうな微笑みは、極めて暖かく、健康的な場面として心に残る。

 ナット・ミラーが威厳を保ちながらも、時々哀愁をただよわせるのと対照的に、ミラー夫人の場合はト書にあるように「大きな茶色の目は柔和で母親らしく、その働きぶりは一家の主婦らしく、いつもせかせか忙しそうに見える」のだが、若い世代の言動に素朴に驚き、怒りながらも善意と愛情溢れる平凡な家庭の主婦の日常の姿はオニールの描く、すぐれた女性像のひとりと云えよう。

 彼女はピュリタンの家庭らしく口やかましく子供たちに躾を強要するが、成長した子供たちは云うことをきかない。子供を追いかける肥った母親、それだけでユーモラスな光景であるが、この戯曲はこのような場面で開幕し終始、このような暖かい雰囲気に包まれて、話が進展していくのである。

 リチャードが乱読している世紀末の感覚的な詩のことや、恋文を送ったりしたことを知って驚天動地、生きた心地もしない。息子が酒場へ行って酔っぱらって帰宅することですら、どう対処してよいか判らず、ただ狼狽えるだけである。時代とのずれ、子供の精神的成長に追いつくことを考える以前に驚き茫然としてしまう母親。ミラー夫人はそう云う女性なのである。少しも憎めない愛情と悲哀が彼女の身上である。

 V

 『ああ荒野!』には前出のように3組の男女がそれぞれの時代に応じた役割を演じている。リチャードは例の絶緑状が父親によって無理に書かされたものだと判り、お互いの誤解がとけた。その夜そっと家を抜け出した恋人たちは海岸で会い、誠実な愛を誓いあう。ことの次第を理解すると、両家の親たちも心配はなくなり若い2人を祝福してやる。

 一家に平和が戻り、若いふたりに影響されたのか、中年の男女にも愛情がかよいはじめ、毎日儀式のようになってしまったシッドの求婚を軽く断り続けていたリリーも、シッドと一緒に出かけてしまう。

 落ち着いたリチャードの姿にミラー夫妻は自分たちの若き日の恋を思い起こす。ナットは『ルバイヤット』の詩

春がすべてではない。秋だって

語るべきことが多い。秋には秋の

美しさがある。そして冬だって―

君が一緒にいてさえくれれば・・・

と口ずさみ、 静かにふたりは口づけを交わす。この場面こそ、この戯曲の幕切れに最もふさわしいと云わねばならない。

 若者が青春の情熱を謳歌し、初老が秋の小春日和の喜びをわかちあい、中老の夫婦が冬の陽だまりに静かに暖まる。このような3代の愛情の終止符として

 オニールはまことにふさわしい人物、舞台を設定した。

 オニールの作品の多くは『楡の木陰の欲望』 や『喪服の似合うエレクトラ』MourningBecomes Electra (1931)によって代表されるようなギリシャ悲劇の現代版であったり、一連の海洋物や『地平線の彼方』Beyondthe Horizon(1920)や『夜への長い旅路』に見られるメロドラマ風のものであったり、として紹介されている。それらの作品に登場する人物は必ずといって云ってよい程、心の病や身体の病に苦しみ、親子―特に父と息子―の確執に悩み、男女間の愛憎に心を痛め、アルコールに溺れるなど、人間が持つ弱い悲劇的な要素をすべて持ち合わせており、それらが舞台と云う大きなフィルターを通して観客の胸に何かずっしりと重たくのしかかってくるのである。観客はそこから自らの人生を反省したり、登場人物に比べて自己の優位に安堵したり、または悩みに共感して涙したりするのである。これらをオニール的作品と云うのならば、『ああ荒野!』は全く異質な作品であり、この作品位、明るく上品で、健康でユーモアや笑いがふんだんにあるものは他に類を見ないだろう。登場人物たちの挙措動作、言葉すべてが観客の心に暖かい、なにか懐かしいものを残してくれるのである。

 この明るさ、この郷愁にも似たほのぼのとした感傷的な気持は一体どこから溢れでてくるのであろうか。

 まず、『ああ荒野!』が、オニールが若い頃に望んで得られなかった純真な青年時代への願望、憧れを描いたからであろうと考えられる。その願望、 憧れとは、観客の深層心理に存在するそれと同一性のものであり、老いたる者は追体験でき、また若者には想像力をかきたてる何物かであるのだ。

 またこの作品が、オニールが述べているように非常にアメリカ的な作品、つまり古き良き時代のアメリカの典型的な市民生活を披露したことに意味がある。それは、アメリカ人にとって非常に大切な日、7月4日の独立記念日にこの戯曲が始まる点においても最も顕著である。加えて、カーライル、ショー、イプセン、ワイルド、スウィンバーン、オーマ・カイヤムなど19世紀末に流行した文学をリチャードという青二才の文学青年やシッド、リリーなどの口からふんだんに語らせ、遂には父親のナットまでが影響を受けてしまうなど、観客にもその時代をノスタルジックに回顧させてしまう。1900年の流行歌の自動ピアノでの演奏も観客の琴線に触れるのである。

 流行歌の好き嫌いは別問題として、それぞれの歌が流行した時代の追憶も心暖まる要素として否定できない。

ゲブルは『夜への長い旅路』と『ああ荒野!』はコインの表裏のようだと述べている。両者とも自伝的要素の強い作品でありながら、オニールが『ああ荒野!』においては光の部分をのみ取り上げ、古き良き時代のアメリカを再現したのは、自分がかつて体験したことのない理想のアメリカ人家庭での青春を疑似体験しようと試みたためではなかろうか。

  1. Nancy L. and Arthur W.Roberts :“As EverGene”  Associated University Press, Inc., N.Y.1987.p. 84
  2. Arthur & Barbara, Gelb :O'Neill.Jonathan Cape, London, 1962. p.762
  3. E. O’Neill : The Plays of EugeneO’Neill. Random House, N.Y. l964 p.205
  4. 註3 に同じ。p.205
  5. Edwin A. Engel : the Haunted Heroes of EugeneO’Neill. Harvard University Press, Cambridge, l953.p.273
  6. 註3 に同じ。 P.199
  7. 註2 に同じ。 pp.88〜 89
  8. 註5 に同じ。 P.272
  9. 註3 に同じ。 P.204〜 205

2E・オニールの『夜への長い旅路』  ―その悲劇性について―

 I

 『夜への長い旅路』は劇作家、E・オニールの自伝的要素の最も濃い作品のひとつといわれている。この作品は内容があまりにも生々しいため彼自身、死後25年間は発表を禁止するよう遺言した家族の記録なのである。未亡人カーロッタに宛てた献辞は以下のように述べられている。

Dearest : I give you the original script of this play of oldsorrow, written in tears and blood. A sadly inappropriate gift, itwould seem, for a day celebrating happiness. But you wi1l understand. Imean it as a tribute to your love and tenderness which gave me thefaith in love that enabled me to face my dead at last and write thisplay ― write it with deep pity and understanding andforgiveness for all the four haunted Tyrones. ―  (註1)

 ここにあるように、彼は今は亡き家族に対して「深い憐れみと理解と寛容を持って」この作品を書くと自ら告白しているが、肉親との骨肉の争いをその手で描くとき、作家の胸中に去来したさまざまな想い、感情の起伏、苦しみはいかがであったか想像に余りある。事実、執筆も終盤になった頃のことをカーロッタは、

“It nearly killed him to write thisplay.”―“After his day's stint he would bephysically and mentally exhausted. Night after night I had to hold himtight in my arms so he could relax and sleep・・・・・Thus the play waswritten.” (註2)

と述べ、また彼女が最初の原稿をタイプしたときには、その内容の悲劇性ゆえに気が転倒し、涙が止らなかったと告白している。献辞にあるように、この作品は文字通り「血と涙でかかれた古い悲しみのドラマ」なのである。

 この作品は、彼の追憶のドラマで唯一の喜劇であり自伝的要素の極めて強い『ああ荒野!』と、対をなしているといわれている。ゲルブの言葉を借りるならば、

Ah, Wilderness and Long Day's Journey Into Night may beregarded, in a sense, as two sides of the same coin ― one abenign glimpse of what the O'Neill family, at its best, aspired to beand the other a bale-fully heightened picture of what it was at itsworst. (註3)

のように、まさに1枚のコインの表裏として考えられるのである。この極めて対象的な2作品は悲劇性においても喜劇性においてもその両極においてのみ存在する。

 今回の小論においては『夜への長い旅路』におけるオニール的な悲劇性は何か、作者が命がけで吐露しなければならなかったものは何か、を考察してみたい。

 II

 『夜への長い旅路』は旅回りの俳優、ジェイムス・ティロンである父と麻薬中毒で苦しむ母、メアリーとふたりの成人した独身の息子たち、ジェイミーとエドモンドで構成されている。

 舞台は1912年の8月のある朝から真夜中までの一日の出来事として描かれている4幕5場の戯曲である。登場人物の構成、性格や、劇中で語られるそれぞれの生きざまを知る限り、実在したオニール家のそれと極めて似ていることが、ゲルブやシェイファーなどのオニールの伝記と比較しても明らかである。

 登場人物の父親役、ジェイムス・ティロンはオニールの父、ジェイムス・オニールを、母親役のメアリー・ティロンは母のエラを、長男役のジェイミー・ ティロンはオニールの兄、ジェイムス Jr.を、弟役エドモンドがE・オニール本人をそれぞれモデルにしていることは充分に想像できる。父、ジェイムスの姿、性格はト書を読む限り『モンテ・クリスト伯』芝居の主役ぶりではなく、むしろ本人の出身地、アイルランドの農夫の典型であることがよくわかる。

 彼は65才とは思えないほど若々しくみえ、立派な体格である。

―broad-shouldered and deep-chested, he seemstaller and slenderer because of his bearing, which has a soldierlyquality of head up,chest out, stomach in,shoulders squared. (註4) (p.11)

 また、彼の容貌は、

―still remarkably good-looking ―a big,finely shaped head, a handsome profile, deep-set light-brown eyes.(p.11)

といまだおとろえをみせず、というところであるが、その半面、

a simple unpretentious man, whose inclinations are stillclose to his humble beginnings and his Irish farmer forebears. (p.11)

 このようにいささかあか抜けないし、衣服には全く無関心である。しかしながら彼はアイルランドを誇りに思い、息子たちから故国の悪口をいわれると(p.29) 腹を立てる。この一家は芝居のシーズンオフである夏の期間を除いては連日、汽車で移動し、二流ホテルでの旅暮しである。

 当り役のおかげで経済的には豊かになったものの、土地やその他に投資し、家族のことはあまり面倒みない。彼の収入に比べて彼は大変な吝嗇である。ジェイムス・ティロンの父は彼がまだ10才の時、家族を捨てて故国へ帰り、死んでしまう。ティロンは幼いときから一日12時間も働きながら母親を助け、幼い弟たちの面倒をみてきたようだ。掃除婦をしていた母親がある日1ドル余分の報酬を貰って、そのおかげでその日、一家は暖かい食事をすることができた。それ以来、彼には1ドルの有難さが忘れられない。吝嗇の原因はそれなりの理由があるのだ。ジェイムス・ティロンが家中の不用の電気を消して廻ったりしても、妻に中古車しか買い与えなかったりして常に節約を心がけていても、何か憎めない憐むべき点を見い出してしまうのである。極端なまでの彼の吝嗇は、かえって、救いのない暗いこの作品の中にあって、ときには滑稽にすら写るのである。しかしこの吝嗇が同時にこの物語の悲劇性の温床となっていることを我々は忘れてはならない。

 息子たちはこのような父親の吝嗇に対して絶えず批判的である。エドモンドが結核にかかっているのをずっと父は、1ドルしかとらないハーディ医師に診察を続けさせる。兄のジェイミーは、

It might never have happened if you'd sent him to a realdoctor

when he first got sick. (p.26)

と腹を立てて父親をなじる。しかしジェイムスは、ハーディ先生にたのんで エドモンドを結核の施療病院へ送りこもうと計画する。この件に関してはジェイミーも母メアリーも強く反対する。エドモンドはのちのちまでも父を恨むのである。

 その当時、結核は不治の病とされており、吝嗇なアイルランドの農夫特有の前時代的な考え方では、死に至る病への投資は浪費以外の何物でもなかったのだ。

 エドモンドの不満の声は鋭い。

―I won't go to any dammed state farm just to saveyou a few lousy dollars to buy more bum property with! You stinking oldmiser! (p.26)

 また、今ティロン家最大の悩みの種である母のモルヒネ中毒もそもそもの原因は父の吝嗇にあると兄弟たちは察している。第二子が旅先の安ホテルで藪医者によっての出産でなければ死なずにすんだものを。そのあとリウマチにもならなかったであろうに。従って痛み止めの麻薬を使う必要もなかっただろに・・・・ 父の弁解の声は息子たちには聞えない。聞こうともしないで父を非難する。

― You've never given her anything that would helpher want to stay off it! No home except this summer dump in a place shehates and you refused even to spend money to make this look decent,while you keep buying more property, and playing sucker for every conman with a gold mine or a sliver mine, or any kind of get-rich-quickswindle! (p.l22)

 このように息子たちに責められても、父は銀行はつぶれても、土地はいつまでもこの足元に残ると、父なりの金の運用方法に執着する。彼のような喜劇的、悲劇的両面の要素をもち合わせた人物が戯曲の中心にいては物語の母胎はより破局へ向って追い立てられていくのである。

 さて、母親のメアリーであるが、彼女には幼い頃から将来は修道女になることと、ピアニストになることのふたつの夢があったのだが、ジェイムスと知り合うことによってその夢も叶わぬものとなってしまう。 舞台に姿を現わす彼女は中肉中背の美人である。

― She still has a young graceful figure, a trifleplump, but showing little evidence of middle-aged waist and hips,although she is not tightly corseted. (p.l0)

 いまなお人目をひく顔は、かつては極めて美しかったことをうかがわせる。

What strikes one immediately is her extreme nervousness(p.10)

とあるように極めて神経質で、リウマチのために醜く脹れてしまった指をひどく気にしている。 彼女の、

― simple. unaffected charm of a shy convent-girlyouthfulness she has never lost ― an innate unworldlyinnocence. (p.l1)

 これらは彼女の特性であり、悲劇の運命に操られる要素のひとつとも考えておく必要がある。ト書による彼女の姿はオニールが好んで描き、愛し、深い同情と理解をよせている女性たちの類型である。つまり感覚の鋭い―それ故に苦しむ女性的な女性『奇妙な幕間狂言』のニーナ、または『喪服の似合うエレクトラ』のラヴィニアなどに匹敵する女性像である。

 彼女もアイルランド系である点ではジェイムスと同じであるが、一方が貧農の息子であったのに対して彼女は良家に生まれ、修道院で教育を受けているという。全く両極にある境遇や生い立ちである。この相違がティロン夫婦の間に少しずつ亀裂を生じさせ、やがては悲劇的な展開へと進んで行く要素を秘めている。

 演劇がオフシーズンになる夏には、ティロン家はコネティカット州の海辺の家で過すことになっているのだが、この年は入院生活をくり返していたメアリーが2ケ月前に退院し、久し振りに家族が揃った年であった。そして「今回こそは母が全快しますように」と夫や息子たちが心から願っている時期でもあることが3人の男性たちのしつこいほどの言葉のくり返しの中から充分理解することができる。しかし、ジェイムスに会うまでは劇場に足を運んだこともないメアリーが、唯一頼りにしている夫が、

money and property and the fear he'll end up his days inpoverty. (p.87)

と彼女にいわせているように、自分の老先きのこと以外に心を配らない。長男のジェイミーはそんな父に反抗して放蕩に身をもちくずし、最後の頼みの綱の末子エドモンドは胸を患って入院しなければならないらしい。このような彼女を取りまく不幸、不安は、折角退院してきたとはいえ、心安まることもできず、彼女を再び孤独、悲哀、苦しみのどん底へすぐにでも落してしまう危険をはらんでいるのである。

 ふたりの息子、ジェイミーとエドモンドの間にもうひとり、ユージンという息子がいたのだが、彼は生れて間もなく、メアリーが夫の巡業に同行して家を離れた時に、ジェイミーのかかっていたはしかに感染して死亡してしまった。愛する夫の言葉に従って旅に同行したその留守に、幼い子を死なせてしまった―この現実に対して彼女は母親としての自責の念にかられ、それは自分を巡業に同行させた夫に対しても恨みとなり、また、夫に同行してしまった自分自身に対しての怒りともなっているのである。 加えてはしかにかかっていたジェイミーにも彼女は腹を立てているのである。このような自己嫌悪、自己批判の精神的葛藤を引きずって過去20年間、彼女はユージンを失った悲しみを忘れずにきた。次男のユージンの死による淋しさを忘れさせるため、ジェイムスはもう子供はいらないといい張るメアリーを説き伏せて生まれたのがエドモンドである。したがって長兄とエドモンドとは10才も年が離れている。

 家の中では末っ子として可愛がられ、兄からは、

Mama's baby, Papa's pet!  (p.l46)

と嫉妬されるほどであった。しかしエドモンドは自分の出生のために母は産後の肥立ちが悪く、引いてはリウマチにかかり、その痛み止めのために麻薬を使用するようになったことを絶えず気にして苦しむのである。

 ここに潜む運命の皮肉や無情を我々は心に止めておかねばならない。

 さて長男のジェイミーは33才の独身者で父親に肩幅の広さ、胸の厚みなどは似ているがやや背は低い。当然のことながら父親ほどの貫禄は備っていない。眼は父親ゆずりの薄茶と、母親の黒褐色の交り合ったような色をしている。しかしながら、

His hair is thinning and already there is indication of abald spot like Tyrone's. ― Combined with his habitualexpression of cynicism it gives his countenance a Mephistophelian cast.(p.16)

 皮肉が得意な彼もまたアイルランド人特有のユーモアやロマンティックな気まぐれさをもつ魅力もあり、詩人の心ももち合わせている。

 ジェイミーは寄宿舎にいた子供の頃、みんなから好かれ、先生からも成績の良い子供としてほめられていた。成人した彼について昔をなつかしんで母親は嘆く。

Who would have thought Jamie would grow up to disgrace us.(p.95)

 父親の劇団から僅かな給料を貰いながら、さりとて役者として精進、努力するでもなく、父に似て酒が好きである。彼はブロンクスの聖ジョン大学に学んでいたが、卒業6ケ月前に退学処分になり、翌年22才の時、役者として父の舞台に立った。その時すでに彼はアル中であった。彼は社会からも家庭からも冷たくあしらわれていることを察知しており、そのために弟に嫉妬し、両親に反発し、酒と女に溺れる日々を過すのである。しかし彼は自己分析し自分なりに苦しむのである。そして弟に訴える。

He wants company, he doesn't want to be the only corpsearound the house! (p.146)

 酔っぱらって帰宅すると玄関で大声をあげる。霧を利用して玄関の階段が自分を踏み付けようとしたとか、玄関に燈台を点けておけ・・・・ここは死体置場か。

 解剖用死体にあかりを照らせ、など次から次へまるで言葉遊びと思えるようにユーモアと自嘲がないまぜになった台詞が口をついてでてくる。しかし病める母に想いを馳せる時には、彼は深い悲しみと絶望の淵に立たされてしまうのである。この想いはジェイムス、エドモンドにも共通するものだ。母のことを考えると彼は人生の無限の悲しみを感じ、胸を痛める。しかしその中にあって彼は冷淡に皮肉っぽく自己を守り、その自己防衛はメフィストフェレス的性格へと変貌していく。

 彼独特の皮肉、ウイット、ユーモアはこの悲劇の中にあっていささかの笑いを誘うものではあるが、逆にこれらの毒舌や皮肉な態度がこの家の人間関係の悲惨さを助長し、拡大していく役目を果していることは否めない。それ故にジェイミーの存在は決して軽んじられるものではない。 その姿には『ああ荒野!』 におけるリチャード・ミラーを想わせるものがある。

 弟のエドモンドは23才。長身で母親に似ており、大きい黒い目の典型的なアイルランド系の顔付をしている。

His mouth has the same quality of hypersensitiveness herspossesses.

――

Edmond's hands are noticeably like his mother's, with thesame exceptionally long fingers. They even have to a miner degree thesame nervousness (p.17)

 彼の神経過敏という特徴は母親似であり、ロマンティックな夢に憧れ、現実を直視できず理想と現実の狭間に苦しむ生き方は、オニールの描く独自の人物像のひとりである。

 エドモンドの姿は『地平線の彼方』のロバート・メイヨ『アンナ・クリスティ』のクリスや『楡の木陰の欲望』のエーベンなどにかさなる。

 エドモンドの生活も尊敬する兄のそれに似た部分が多々ある。学業を中途で放棄、船乗り生活、波止場での放浪生活、安宿で安酒と女に明け暮れする三流新聞の記者など、どれひとつ取り上げたとて立派とはいえない。このような放蕩三昧の為に、遂には肺結核を患う。家族のぺット的存在であるエドモンドの発病のため、一家は不安と心配のどん底に陥る。このように波乱に富んでいるのが彼の短い半生なのだ。

 エドモンドの詩人のような鋭すまされた感性は単にロマンティックな夢をみているだけではない。現実を否定し、両親の信仰する神に背徳的な言葉を投げかけるときもある。父の小作人ショネシーを応援し、彼の隣に住む大金持ちを親ゆずりの財産で暮す無能力者と言ってみたりするのであるが、彼の主義、思想の大半は書物や兄ジェイミーからの受け売りで実体が伴わない。 エドモンドの社会主義者的な発言に対し父から兄弟は、

You've both flouted the faith you were born and brought upin ― the one true faith of the Catholic Church ―and your denial has brought nothing but self-destruction! (p.66)

と厳しく叱責される。しかしエドモンドはニーチェの無神論をもちだし、神は人間への憐れみのために死にたもうたのだから・・・・ただ飲んで忘れるほかない・・・・など罰あたりなことをいったり、ダウソンの詩を口ずさんだりして虚無的になっている。彼は兄の指導よろしきを得て、次第に自嘲の中に自らを包みこんでいくのである。しかしながら兄同様、彼も病める母親には強い愛情と憐みの心をもっている。母の病気治癒を願う気持は人一倍強い。兄が思わず母を「麻薬患者!」と罵ると弟はたまりかねて兄をなぐりつけるほどだ。自分のために母が病気になったことを気にしているのだが、自分が生まれてきた現実は否定できない。母への愛情と憎悪、憐れみと離反、これら自己分裂、自己矛盾の中でエドモンドは悶々とする。ここに我々は父や兄と異なる彼のもつ多面的な苦しみを知るのである。「お母さんっ子」と兄にいわれながらも彼の誕生そのものが母の病の源になっている現実、その母の愛に報いることのできないままに不治の病にかかり、彼女の心をひどく痛めてしまうという第二の悲劇。不治の病に対する母親の心痛は彼女の麻薬中毒による精神錯乱を悪化させることはあってもその逆はあり得ない。さらには、彼はそのような母から離反しようとこころみる。彼のこの行動は母の病をいっそう重くする結果となる。ここで再び我々はオニールが作りあげるもうひとりの人物『ああ荒野!』のリチャードの姿に『毛猿』The Hairy Ape(1929)のヤンクを加えたような人間像が浮び上ってくるのである。

 これら4人の親子のほかにもうひとり、手伝いのキャサリンが登場する。彼女もまたアイルランド出身の20才になる田舎娘である。あまり気のきかない愚鈍そのものなのだが、その愚かしい存在は絶えず緊張の続くこの悲劃の中で時にはほほえましい。この重苦しい雰囲気のティロン家の中にあっては明るさ、愚鈍さは悲劇性をいっそう深刻にする役目を果しているのである。

 III

 登場人物の性格、思想、成長の背景などが戯曲を生みだす温床であるとすれば、それが育ち結実していくという構成が作品の主題であり、 実体である。その実体とはこの作品の場合は母親メアリーの病であり、そこからの逃避回復の努力にもかかわらず、次第に錯乱や発狂へと進んでいくその不定な過程だといえよう。またエドモンドの発病と病院行きという新しい心配、不安が別のテーマとして形成されている。これら主、従2本の精神的、病的流れに4人の家族の思いやり、笑い、涙、病気を絶望視する暗い心のからみ合い、流されていくところに悲劇の展開をみるのである。

 第1幕の朝食直後の場面は最も明るい場である。夫婦の会話の中で土地ブローカーの話があり、だまされたジェイムスのお人好しさが笑いをひきおこす。 また前夜の霧や霧笛に話が及び、 ティロンの鼾はまるで鯨のようだとメアリーはからかう。やがて息子たちが登場し、エドモンドの話すショネシーの豚の水遊びに、

― it seems there's a break in the fence and thepigs have been bathing in the millionaire's ice pond―, andHarker's foreman told him he was sure Shaughnessy had broken the fenceon purpose to give his pigs a free wallow. (p.20)

 この場の笑いやウイットは『ああ荒野!』に匹敲する位優れたものといわねばならない。しかしこの明るい一家団欒の場面の底にすでにふたつの病の芽は育まれていたのである。エドモンドの殆んど慢性化した夏風邪は、母親の心に不安や疑惑の念をいだかせ、ハーディ先生への不信を表明して不安をまぎらわそうとしている。父や息子は母の病気を気にし、ことに前夜おそくまで2階の空部屋で起きていたらしい様子に心を痛める。彼女は夫や息子たちの自分に対しての心配や不安を察知すると、リウマチで醜くなった指や白くなった髪のことを気にする。

 第2幕は昼食前の第1場と昼食後の第2場とにわかれる。第1場は父が垣根刈りに出て人と話しこんで帰ってこないので、みんなが待ちわびているところである。ここでキャサリンがみんなの笑いを誘う言動をし、またウィスキーの空瓶をめぐって親子が、誰が飲んだ・・・とかけひきをする。兄弟はウィスキーを飲んではその分だけ水を足しておく。それを承知の上で父は冗談をいって爆笑をひきおこす。このような明るい場でも初めから2階で昼寝をしている筈の母親のたてる物音に弟は耳をそばだてる。

 やがて母は階下へおりてくるが、 第1幕のときよりも

― her eyes are brighter, and there is a peculiardetachment in her voice and manner, as if she were a little withdrawnfrom her words and actions (p.50)

 このようによそよそしく、自己防衛の態勢をとる。母親を案ずる息子にたしなめられ、夫の悲しそうな眼差しには反抗の表情で応じる。

 第2場は第1場の30分後のことである。ハーディ先生から4時にくるようにいわれてエドモンドの結核の宣告が間近くなり、不安は一家に、ことに母親に対して暗い影を投げかける。ただでさえ自己防禦につとめるメアリーにとって唯一の心の拠りどころとするエドモンドを手放すことは、より彼女を不安と孤独におとしいれる。

 医者に対して悪口をいい、この場の後半では家で息子の看病させてほしいとたのみこむ。息子を手元に置いておきたい母親の必死の抵抗である。ここに従のテーマであるエドモンドの病がはっきりと浮び上ってくる。

 メアリーが髪を直しに退場しようとして、2階で番をしてもいいというと夫はここは牢屋ではないと答えるが、ジェイミーは

Another shot in the arm! (p.65)

と残酷にも母を責める。ジェイムスやエドモンドがたしなめるが、男性たちの間にあった潜在的な不安や疑惑がこの一言で表面的になり、心配はますます増幅されていく。

 エドモンドの気持も不安定で昔にもどらない・・・・・と思ったり、まだ始めたばかりだから止められると希望をすてなかったりする。

 結局は、

You can still stop. You've got the will-power!We’ll all help you.I'11 do anything― (p.80)

と嘆願するが、何も判っていないのにとやかく云うのはやめて欲しいと軽くいなされてしまう。

 メアリーの神経質さ、よそよそしさ、自分勝手なおしゃべりの交錯した態度がこの場の後半ではよりいっそう空々しいものへと変化していく。 しかしながらティロンが退場しようとすると、みんながいってしまうと淋しがり、エドモンドに注射をやめるようたのまれてもそれには応じようとはせず、 その半面、

I have become such a liar. I never lied about anything onceupon a time. Now I have to lie、 especially to myself・・・・ (p.86)

といった自己を見失った悲しさや錯乱が始まり、全員が退場してひとりになると淋しさを訴えるとともに自嘲の念に襲われる。この場面では彼女の内面の自己分裂と救いを求める祈りと自己矛盾が徐々に進行していくのがみられるのである。

 第3幕は同じ日の夕暮れ。霧が立ちこめ、霧笛がしきりに聞える場面である。この場面でもメアリーは表面的には現実を無感動に冷やかに受けいれたり、 無視したりする態度をとるが、時々は昔の修道院にいた頃の娘時代にもどったような陽気さを顔にだしたりする。

 この二面性のある言動が彼女の自己分裂をより深刻なものとしているのだ。女学生時代の回想話、尼僧、ピアノ、ティロンとの出合い、結婚衣裳、エドモンドの出産、リウマチ・・・・などには次第に破局に追いこまれていくひとりの女性の哀れな息づかいを感じとることができるのである。

 最愛の息子エドモンドから、

It's pretty hard to take at times, having a dope fiend for amother! (p.105)

といわれ、彼女は顔から血の気がひいていく。

 この場でのメアリーの分裂と錯乱は暗い、悲惨な影を舞台に投げかけるが、一方、キャサリンとふたりだけでの短い対話の中には女性として、妻として、母として安定した感情を披露する。霧笛と鼾の話だとか、ウィスキーを水増しする話だとか、男性たちの酔ったときの千鳥足の恰好だとか、女同志のたわいない話、笑いのなかに我々はメアリーに対して一抹ではあるが安堵感を味わう。

 その反面、その安らぎがこの悲劇をいっそう強める役割を果していることは否めないのである。

 第4幕は真夜中の場である。濃霧が立ちこめ、 霧笛や船の警鐘がよく聞える。前幕でのメアリーの狂気はこの幕ではより顕著となり、 殆ど亡霊の形相を呈してくる。周囲の人物もメアリーの狂乱ぶりに絶望的な諦めの状熊となる。

 ティロンは急に老人の姿に変貌するし、エドモンドも自暴自棄に陥る。兄のジェイミーもこの家は死体置場だと皮肉り、希望もなくし、自嘲的な溜息をもらす。男性たちは三者三様にメアリーの終末を観察するのである。

 幕明きから父親とエドモンドの間で口論が始まる。メアリーの病気に対する父の責任追求、息子を施療病院へいれようとする父の吝嗇に対する非難、それに対して父から自分の貧しい生い立ち故の吝嗇の釈明など激しくやり合っているところへジェイミーが帰宅し、母をめぐって親子3人の間での毒舌の応酬は頂点に達する。まさに骨肉相食む惨状である。しかしここで彼らは持前のユーモアとウイットでこの息詰まるような緊張を緩和させるのである。

エドモンドが父の吝嗇になった原因を理解し、父への憎しみを愛情へと変化させ、それを口にする。父もそれを喜んで、ふたりの間に横たわっていた長い間の確執は氷解するのである。ここに我々はオニール独特のユーモアとしみじみとしたペーソスを感じとることができる。この場の親子の対話には『オセロ』や『テンペスト』からの言葉や他の詩人の言葉が多くの台詞のなかに引用されている。

 これらの言葉は自嘲的または絶望的な状態にユーモアを投げかけ、その場の緊張を柔らげてくれる。この場の父子の対話は時としては悲劇の進行を一時停止させたり、息抜きさせる働きをなしている。しかし笑いやユーモアのような明るさの裏には必ずより深い悲しみが隠されていることを忘れてはいけない。

 時折聞えてくる2階の物音に、階下の人たちとくにエドモンドは恐怖を感じたりする。彼には母はもはや生きた存在ではなく、彼の生れない昔に帰って過去のなかに生きる亡霊のように思えるのである。やがてメアリーが登場するが、女学生のようでどこか不気味で、婚礼衣裳を手にし周囲の男性たちには全く無関心で、まるでなにかを探しにきたかのように動く。ジェイミーは冷笑的に、

The Mad Scene. Enter Ophelia! (p.151)

と叫ぶ。まさに現代版のオフィーリア狂乱の場である。しばらく長いメアリーの独白が続く。ジェイミーは立ちあがってスウィンバーンのA Leave-taking の詩を朗唱する。

Let us rise up and part ; she will not know

Let us go seaward as the great winds go,

 

Let us go hence, my songs ; she will not hear.

Let us go hence together without fear ; (p.l53)

 これは彼女に対する別れを暗示している。

 彼女は夢遊病者のように歩き、昔を回想し、マリア様に祈りをささげる。そして最後に、

― Then in the spring something happened to me.Yes, I remember. I fell in love with James Tyrone and was so happy fora time. (p.156)

という彼女の言葉で幕が下りる。真夜中への長い旅路はここで終るのであるが、メアリーの悲劇、ティロン家の悲劇はこれで幕になったわけではないのである。

 IV

 この作品に登場する4人の主要人物の性格、思想はそれぞれ四者四様であり、各自が背負う重荷、苦しみも異なり、それ故に複雑に悲劇が展開していくわけだが、何度も述べてきたように、各幕でくりひろげられる悲惨な状況の中にあって、適度に散りばめられたユーモア、ウイットがこの作品の悲劇性を高めると同じにアンティテーゼとしての役割を果たしているのである。この悲劇が完成されるための必要な要素は単に異状な人格、状況の組み合せだけではなく、 ここにはオニールの特質を加味しなければならない。ではそのオニールのオニール的なもの、特色とはなにであろうか。

 それは彼の詩人的要素、思索家としての資質であり、これこそ『夜への長い旅路』完成のために不可欠なのだ。

先ず第1幕のト書によって我々が彼の思想家、 読書家としての一部をかいまみることができるのである。

― sets of Dumas, Victor Hugo, Charles Lever, threesets of Shakespeare, The World's Best Literature in fifty largevolumes, Hume's history of England, Thier's History of the Consulateand Empire, Smollette's History of England, Gibbon's Roman Empire andmiscella>neous volumes of old plays, poetry, and severalhistories of Ireland. (p.9)

 しかもこれらの本が何度も読み返された跡があることが記されているのだ。

 また戯曲の進行の中で彼はシュイクスピア、ダウスン、A.シモンズ、ボードレール、ヴォルテール、ルソー、ホイットマン、ポウ、キプリング、ロゼッティ、 ワイルドなどの詩を引用し、その場の状況を語っている。

 これらの詩が朗読される場合、時によってはユーモラスになり、笑いを誘発することもあれば、また別の場面においては涙を誘うような悲惨な状況を強調する迫力も有しているのである。

 母メアリーは失った青春、若き日の幸福を追求しながら、半面では病気からの脱出、また家族たちの監視、心配から逃れようとする。こうした過去の追憶と現実の恐怖、この二律背反の中で彼女は苦しみ、この問題が解決されないところに彼女の悲劇の頂点がある。

 ジェイムスはその貧しい生い立ちの故か、老後の養老院行きばかりを気にして、妻や息子の重い病を二の次と考え、家族を不安にする。長男ジェイミーは自らを人生の落伍者ときめてしまい、劣等感からますます自嘲的になり、両親を困らす。次男エドモンドは母への限りない愛をもちながら、母はすでに自分たちの手のとどかぬところへいってしまったと半ば諦め、 そのことがひいては自分の病に対しての諦めともなってしまうのである。

 彼の施療病院行きの決意は「死」と対峙する決意でもあるのだ。

 メアリーの病、エドモンドの病という2本の主従関係にあつた主題の「流れ」は時間の経過と共に各自の「告白」によりひとつに融合していくのである。 そしてその中心にはいつもメアリーが大きな存在としていたのだ。彼女の最後の言葉、

I fe1l in love with James Tyrone and was so happy for atime. (p.156)

 まさにこの募切れの言葉にこの悲劇のすべてが集約されているのであり、 これはオニール自身の願望、祈りでもあったと考えたい。

 また、この戯曲を構成している中で重要な役割を果たしているものに霧の存在を見逃すわけにはいかない。

 第1幕から早々に霧と霧笛は背景効果として存在している。そして劇の進行と共にますますその実力を発揮するのである。第3幕では世界から人を、人から世界をかくす霧、もの悲しくさせる霧になり、第4幕にいたってはエドモンドにぼくは霧の中にいたかった・・・・ぼくは霧の中の幽霊で、霧が海の幽霊のようだったといわしている。

 かくのごとく霧と霧笛は神秘的な不思議な力で次第に一家を破局に導く力を発揮するのである。この不気味な霧は『アンナ・クリスティ』の霧、初期の海洋物の作品の霧『楡の木蔭の欲望』の楡と同様オニールが好んで用いたものである。このような霧の扱い方は船乗りを経験し、海に接した場所、海の見える場所を絶えず舞台に選んできたオニールならでの技であろう。

 ちなみにこの作品は1956年2月、スエーデンのストックホルムで初演され、同年の11月にはニューヨークで初演されている。同年、第4回目のピュリッツア一賞、ニューヨーク劇評家賞、トニ一賞を受賞している。

  1. Eugene G O’Neill : Long Day’sJourney Into Night. Jonathan Cape, London. 1974. p. 5
  2. L. Sheaffer : O’Neill-Son and Artist.Paul Elek, London. 1973. p. 509
  3. A. & B. Gelb : O’Neill.Jonathan Cape, London. 1962. p. 81
  4. 註1 に同じ。 P.11 以後、原文からの引用は同版のページを( )内にて数字で示す。

3 E・オニールの『氷人来る』 ―夢と死について―

 I

 l932年から44年にかけて、ユージン・G・オニールは『ああ荒野!』 AhWilderness (1933)『限りなき日々』DaysWithout End (1934)『詩人の魂』ATouch of the Poet (l935) 『大いなる館』MoreStately Mansions (l938)『氷人来る』TheIceman Cometh (l939) 『夜への長い旅路』TheLong Day's Journey Into Night (1940) そして『ヒューイー』Hughie (1942)など数の上でも、多面性の上でも驚くべき作品群を完成させ、そのいくつかを世に問うた。1934年ごろから彼の健康がひどく衰え始めていたことを考えるなら、この偉業を成した彼の精神力は並々ならぬものがあったと察せられる。若いころからの遺伝的ともいわれているアルコール中毒の進行は1926年ごろに一旦は止ったものの、全身に及ぶふるえは次第に悪化していた。彼のかかっていた医師のほとんどはパーキンソン病の一種であるとの診断をしていたくらいだった。

 オニールは1932年の春、その後10年間にわたり書き綴っていた一大連作戯曲の構想を練りはじめた。それは1775年から1932年に至るハーフォード家の運命を描き、所有欲と物質主義というふたつの情念に支配された一族代々の物語である。しかし晩年になってオニールはこの連作全部を破棄してしまったのだが、幸いなことに『詩人の魂』と未完の『大いなる館』の原稿だけは偶然にも難を免れた。その当時オニールは11篇の戯曲を前後しながら並行して書き進めていたのだが、その中の1篇が彼の考える水準に達していなかったので、全く別の構想ではじめるため、連作を一時中断した。この連作中断のおかげで、オニールをアメリカ最大の劇作家としての地位を不動のものとする戯曲が2篇誕生した。

 それらが『夜への長い旅路』と『氷人来る』である。

 彼はこの2作品の着想を同時に得たが、1939年に『氷人来る』は脱稿し、『夜への長い旅路』の完成はその翌年であった。

 オニールは『氷人来る』に関してはその長さと暗い内容のための興行的失敗を恐れ、ニューヨークでの上演を第2次大戦後まで許可せず、作品は封印されたままであった。

 1934年『限りなき日々』上演以来沈黙をまもり、1936年ノーベル文学賞を受ける栄誉に輝きながら健康を理由に授賞式に欠席したオニールは、すでに過去の作家としての評価を受けていた。しかしながらl946年『氷人来る』の大作を発表することによってその健在ぶりを示した。これは第2次世界大戦後のアメリカ演劇界で注目すべき事項のひとつであり、1950年代後半に起ったオニールの再評価のはじまりでもあった。

 両作品にはいくつかの共通点がある―つまりそれ以前の作品群に比べてより自伝的な傾向が強くなっており、オニール独特の人生観がより顕著になっていること。またこれら作品にはアルコール中毒が大きく取り上げられ、しかも極めて同情的に扱われていること。しかしながら社会的背景では『氷人来る』のほうがはるかに広範囲の人間像が描かれている。また両作品の舞台設定の時代が世界経済大恐慌のあった1929年になっている点も注目すべきである。というのもこの年には自殺未遂、最初の離婚、サナトリウムでの療養生活など、若いオニールにとって青春の終りでもあり、人生反省の時期でもあったからだ。

 これらの事柄を考え合わせると、この時期にオニールは悩み、苦しみ、これからの人生について一番深く考えたころといえよう。従ってこれら作品のために1929年を彼が選んだとしても不思議はないのである。

 『氷人来る』は前述のようにl939年に完成されたが、すぐには出版、上演されず、1946年になって初めてランダム・ハウス(Random House)社から出版され、同時にE.ダウリング(Eddy Dowling)の演出でシアター・ギルド劇団によって上演された。大作であるため上演には5時間近くかかったが、10月9日から翌年3月15日までの長期公演はかなりの成功であった。この作品は単なる若き日の作者のノスタルジアではないことは明白である。長い沈黙のあと発表されたこの作品の中にあるオニールの人生観、 死生観はいかなるものであるかを考察してみたい。

 II

 1940年2月8日、オニールは長年の友人であり、批評家のジョージ・J・ネイサン(George J. Nathan)に対し『氷人来る』に関し次のような書簡を送っている。

All of the characters are drawn from life, more or less,although not one of them is an exact portrait of an actual person. Andthe scene, Hary Hope's dump, is a composite of three places.

The plot, if you recall, is my imaginative creation, ofcourse, but it has a basis in reality. There was a periodical drunksalesman, who was a damned amusing likable guy. And he did make thattypical drummer crack about the iceman, and wept maulding by over hiswife's photograph, and in other moods, boozily harped on the sloganthat honesty is the best policy.

   ・

I hope you like The Iceman Cometh. Including the title whichI

Love, because it characteristically expresses so much of the other andthe inner spirit of the play.  (註l)

 この書簡にもあるように舞台となったハリー・ホープの酒場兼下宿はニューヨークの下町のウエスト・サイドの三流酒場兼下宿「ジミ一坊主」 (Jimmy thePriest)。オニールが若いころ殆ど通いつめ、下宿したこともある場所や、『アンナ・クリスティ』では「ジョニ一坊主」(Johnny thePriest)として登場している、同じような酒場、「地獄の穴」(the Hell Hole)、そして「ガーデン・ホテル・バー」(theGarden Hotel Bar)などを組み合わせて創造したバーである―と云うより男たちの溜り場である。

 ニューヨークの下町、ウエスト・サイドの酒場兼下宿には主人のハリー・ホープの好意によって過去の想い出と明日への夢にすがりついて酒びたりになって生きている人生の敗残者の老人たちが集っている。そのモデルとなったのはオニールの青年時代、とくに彼が自殺を図った1929年の夏に知り合った人びとである。

 そのひとりラリー・スレイドはサンジカリスト系アナキストとして一昔前カルマー・ヒューゴーなどと共に無政府主義運動に参加していたが、今日では「主義」も「運動」も捨て、明日を夢みることもなく、「哲学的超脱」という立場で余生を送っている。フィロソファーをもじって「老いぼれのフールソファー」と呼ばれ、今や死― 即ち大いなる眠りを待つばかりなのだ。彼にとってこの酒場は、

It's the No Chance Saloon. It's Bedrock Bar, The End of theLine Cafe, The Bottom of the Sea Raths Keller! Don't yon notice thebeautiful calm in the Atmosphere? That's because it's the last harbor.No one here has to worry about where they're going next, because thereis no farther they can go. It's a great comfort to them.  (註2)

 ラリーはこのように「絶望サロン」「どん底バー」「終点カフェ」「海底ラーツケラー」「みんなにとって最後の港」と説明しているが、全く外界から隔絶されていた場所で人生を送っている老人の別天地である。ラリーは洞察力が鋭く、時にはオニール自身の姿が投影されている。またこの酒場の主人、ホープは名前とは裏腹にホープレスな生活を過している。彼は気前がよくて底ぬけのお人好し。優しかった妻ベッシーの死後20年間、店の外に一歩も出ることもなく、毎年誕生日が近づくたびに市会議員立候補を夢みては地元を一廻りしてみようかと考えながら実現しないでいる。そしてここに集ってくる奇妙な人たちの面倒をみているのだ。

 そこにはホープの亡妻の弟エド・モジャーが居候しているが、彼は生来の怠け者で、以前のサーカスの切符売りだったころの生活が忘れられないでいる。他の下宿人たちとは元主任警部のパット・マクグロイン。かつて職権を利用しすぎて免職となり、それ以来ホープのご機嫌をとりむすんでは酒をたかり、復職できさえすれば・・・・・と昔をなつかしみ明日を夢みている。それに元ボーア義勇軍の指揮官であったビエット・ワエットジョンと元英国軍の歩兵大尉のセシル・ルイス、同じボーア戦争の元通信員で通称「明日のジシー」ことジェイムス・キャメロン。彼はスコットランド系の気の好い万年青年。それに放蕩にやつれ、酒びたりのウィリー・オーパン。彼はひどい格好はしているが、下宿人中、唯一の育ちの良さと教養を自認するハーバード大学出身の法学士。弁護士の開業を明日に夢みながら、悪徳相場師だった父親の幻影にもおびやかされている。それからヒューゴー・カルマーも同宿している。彼は元アナキスト新聞の記者。ヨーロッパ系の貴族的な雰囲気を持っているが、爆弾を片手に持っている過激主義者の典型を想わせる。10年の投獄生活を送った今では「輝かしい革命の日」も夢の彼方になってしまった。またバーテンは夜勤のロッキー。彼はイタリヤ系のやくざ風だが根は善人。小遣い稼ぎのために同宿のふたりの商売女、パールとマージーのマネジャーをしている。チヤックは昼間のバーテンで商売女のコーラを養っていて、将来は酒をやめて結婚しようと考えている。それから元黒人専門の賭博場を経営していたことのあるジョー・モット。彼はその当時は肩で風を切る道楽者であったが、今はこの酒場の掃除や雑用で飲代を稼いでいる。しかしいつかはまた新しい賭博場を開いてここの連中に大もうけをさせてやりたいと叶わぬ夢をもっている。

 このような多種多様の人間の中にラリーを尋ねてドン・パリットという青年がやってくる。彼は西海岸でおきた爆弾事件の主犯として捕えられたローザ・パリットの息子であり、母の昔の友人であり同志でもあったラリーを頼ってこの宿にやってくる。プレイボーイ風だが、なにか落着かぬ様子である。

 この戯曲の主人公と思われる人物は金物のセールスマン、セオドア・ヒックマン、通称ヒッキー。彼は毎年ハリーの誕生日を中心としたパーティにきまって姿を見せ、有り金をはたいて下宿人たちに「定期便」として大盤振舞をすることになっている。彼の巧みな話術や冗談をきくのをみんな心待ちにしているのだ。

 第1幕ではある初夏の早朝、バーテンたち以外の常連はみんなテーブルの前で眠りこけている。部屋に戻らずにヒッキーを待ち続けていたためである。

 ラリーは昨夜からきて泊っているパリットに尋ねられるままに酒場の様子を話してきかせ、眠りこけている連中の身の上を説明していく。彼によればここにいる連中はとにかく酔っぱらい、それぞれの「パイプドリーム」(あへん吸飲者がいだくようなとてつもない空想)を大切にしており、彼らが人生に求めるのはそれだけで、それ以上を求めている人間はいないという。しかしこの「パイプドリーム」のもつ幻想、嘘こそが、人間がどんな状態であろうともすべての人間に生きる力を与えてくれるとラリーは考えている。

 暫くして常連たちは目をさまし、それぞれの夢を語りはじめるが、それは各人が長年心にもち続けているだけのものであり、実現不可能な現実逃避的な夢、 つまり「パイプドリーム」なのである。

 やがてみんなの期待通りにヒッキーが姿を現わす。彼は50才位の人好きのする男で、彼らとの再会を喜び、いつものようにみんなに酒をふるまうが、乾杯をしても自分は水しか飲まない。飲酒をやめたのだ。ヒッキーはいう。

―The only reason I've quit is―I finallyhad the guts to face myself and throw overboard the damned lyingpipedream that'd been making me miserable, and do what I had to do forthe happiness of all concerned--and then all at once I found I was atpeace with myself and I didn't need booze anymore. (註3)

 彼はみんなにもパイプドリームを捨てるようにすすめる。パイプドリームとは人間の生活を害し、破壊に導くものであり、人間に安らぎを与えないようにしている。勇気をもてばそのパイプは簡単に断ち切ることができる。それには自分に正直になることだともいう。自分だけは例外だと思っているラリーに対してもヒッキーは正直な人間にしてやろうという。

 第2幕は同じ日の真夜中近く。ヒッキーの指示によってホープの誕生パーティの準備が整えられている。ヒッキー自身、ケーキや食料品、シャンペンを大量に買い込んできてホープが階上からおりてくるのを待つ。その間、ヒッキーはラリーの生き方を批判し、もし死を望むなら、なぜひと思いに非常階段から飛び下りないのか、といったり、ラリーに救いを求めているらしいパリットに対しても、もしラリーがそれなりの手を差しのべるのなら、ひとつだけ道はあるといったり、なにかと差し出がましく、みんなは不快な気持になってしまう。そのせいかパーティが始まるが、例年のような盛り上りはない。ヒッキーのメッセージは自分がパイプドリームを捨てたおかげでもったこの心の安らぎをみんなにももってもらいたいということである。

 ラリーがヒッキーがいつもの「氷人の冗談」をいわないことを問いただすと、みんなも勢いづいてヒッキーに迫る。

 「氷人の冗談」とはいつもヒッキーがたびたび口にしているもので、それは「夫が留守の昼間、氷を配達してきた氷屋とその家の主婦が浮気する」という話である。ヒッキーはそれを使って「女房を氷屋と寝かせてきたよ」といっていたのである。「氷屋」とはラリーが「死の氷屋」とか「死とはヒッキーが家に招いた氷屋だった」といっているように「死」を意味していると考えられる。

 ヒッキーはみんなにはやしたてられ、いやいやながら話し始める。

―I guess, your bringing up the subject of Evelyn.I meant to wait until the party was over. But you're getting the wrongidea about poor Evelyn, and I've got to stop that―I'm sorryto tell you my dearly beloved wife is dead.―

 そしてまた続けて、

I've got to feel glad for her sake. Because she's at peace.

She's rid of me at last. (註4)

 ラリーは自分の非礼を詫び、みんなもそれぞれお悔みの言葉を述べるが、

 ヒッキーは悲しそうな様子を見せない。

 第3幕ではパリットが、母親やその同志のものたちを裏切ったのは女のための金欲しさからであったと告白し、ラリーに執拗に救いを求める。しかし今のラリーにとっては主義とか連動は、もはやなんの関係もなく、パリットの悩みにも興味がない。パリットにときどきどなり返すだけで、酒を飲んで正体をなくすことだけが慰めである。ヒッキーのおかげでパーティ気分をすっかりこわされ、いらいらして、みんなはジョーをはじめとしてつぎつぎと酒場を去っていく。そんなところへまたヒッキーがやってくる。酒場の主人、ホープさえ我慢できずに出ていくが、彼は目も耳も悪く、妻の死後20年の間、一度も外出したことがないので、自動車の往来の激しさに驚いて間もなく引き返してきてやけ酒をあおる。ヒッキーのお節介に対する怒りのあまり、ラリーがヒッキーの妻の死因をただすと、ピストルで撃たれたという。しかも自殺ではなく殺されたのである。殺人者はまだ判明しないが、やがて知れるだろうとヒッキーは謎めいたことをいう。

 このように芝居以前に重大事件が設定されており、その事実が芝居の進行と共に徐々に明らかにされ、最後にその全容が暴露される技法は分析的構造技法と呼ばれるもので彼の他にはアーサー・ミラーも多くの作品にこの手法を用いている。

 第4幕は翌日の夜中。酒場には相変らず重苦しい空気がただよっている。

 ヒッキーは電話をかけに出ていって暫く戻ってこない。

 パリットはまだラリーのそばを離れず、自分の犯した罪の行為をラリーに理解してもらいたいと願うが、応じてもらえない。すると反対にラリーを罵倒しはじめる。ラリーはヒッキーに同情しないと同様にパリットにも同情しない。 人生の特別席に自己の生き方を見いだしている人間である。

 やがてヒッキーが戻ってくるがその表情には昔日の陽気さはなくなにか自信のなさそうな態度である。ただなにかに憑かれたように「心の平和」という説教をまくし立てるだけである。パイプドリームを捨てさえすれば自分に嘘をつく必要もなくなり、本当の自分になり、心の安らぎが得られるのだというヒッキーが繰り返しいっても彼に同調するものはもはやひとりもいない。

 ヒッキーは理解してもらいたい一心で自分と妻との関係を話しはじめる。ヒッキーは小さい時から落付きのない子供であったが、彼の家庭も学校も牢屋のように感じられた。やがて成人になってからは売春宿に足を運んだりギャンブルに夢中になったりしていた。世の中を否定的に生きていた中でイヴリンだけは彼を理解し、互いに愛し合った。やがて彼女の家庭の反対を押し切ってふたりは結婚したが、旅行がちのヒッキーは間もなく酒と女遊びを始めた。放蕩のあまり、彼女に病気をうつしたりもした。しかし妻はその度に、彼の不品行も今回限りにちがいないと信じて許し続けてきた。この彼女の底知れぬ寛大さが長年にわたってくるとヒッキーには重荷になり、自己嫌悪におちいると同時に、「明日こそは・・・・」という夢にすがって夫を許し続ける妻が憎らしくなった。この哀れな妻を自由にし、自分も同時に安堵する道はただひとつしかなかった。すやすやと眠っている妻のこめかみに彼はピストルを撃ち込んだのである。彼は妻を救うために自殺しようかとも考えたが、もし自分が死ねば妻は夫の自殺の原因を考え、苦しみながら生きていかねばならないだろう。ふたりが愛し合っていたからこそ、ヒッキーは妻を殺さねばならなかった。妻から救われる道はそれ以外になかったのだという。そしてそれは彼にとっても心の安らぎを得る唯一の手段だったのである。しかし妻を殺したあと、妻の死体にむかって、

Well, you know what you can do with your pipe dream now, you

damned bitch!  (註5)

といってしまったと語ってから、すぐにそれを否定し、

No! That's a lie! I never said―! ―If Idid, I'd gone insane! Why, I loved Evelyn better than anything inlife (註6)

と自分の混乱ぶりを示す。ホープや酒場の連中たちにはほっとする事実である。やがてやってきたふたりの刑事にヒッキーが連行されると、酒場はもとの陽気さに戻り、ホープらは飲み騒ぎ始める。ヒッキーの頭が変だったので、自分たちはヒッキーに気をつかってわざとパイプドリームを語っていたのだとみんなは妙に納得し、互いに慰め合う。

 しかし、ラリーのテーブルではヒッキーの告白に触発されたように、パリットは自分が母や仲間を裏切ったのは金ではなく母に対する憎しみからだと告自し、自分の行為は自由を愛する母に生きて死の苦しみを味あわせることであるからヒッキーより罪が深いといい、ラリーに意見を求めるとラリーは「死ね」と命令する。パリットは外へ出ていく。酒場の陽気な騒ぎなどよそに、窓際のテーブルに腰をおろしているラリーの耳にパリットの非常階段から身を投げた不気味な音が聞える。しかし一同はそれに気付かず、思い思いの歌をうたいはじめるのである。この混声から異様な不協和音が生じ、みんな笑うのを止め、大声で笑いくずれる。 ラリーだけはまわりの騒ぎが耳に入らぬようにじっと前をみつめているのである。

 III

 この作品で多く取り上げられるのは「夢」と「死」である。オニールはヒッキーを主流とし、対立する傍流としてパリットとラリーを登場させ、より劇的効果をあげている。

 ヒッキーにとっての夢は自己欺瞞であり、長年その夢の中に浸って人生の終盤まできた。

 しかしその重荷から逃れるためにパイプドリームを捨てて本来の自分に戻るべきだと考える。それを正当化するために、舞台には登場しない妻、イヴリンを殺し、彼女も自分も心の平和を得られると思っている。彼女は「明日こそは夫がまともになってくれる」というパイプドリームをいだくことによって夫の不行跡を許し続け、そのために自らを不幸にしている。ともかく彼女が生きてこられたのはそのパイプドリームのおかげであって、ヒッキーによってその夢を断ち切られたとき、彼女の人生は終焉を迎えるのである。そしてヒッキーも彼女の殆んど呪詛に近い、寛大さから解放されるのである。

 またラリーについては「夢」は人間の生きがいであり、生きている限り夢を見てもいい。夢を見る資格があると主張している。そしてヒッキー以上の主要人物としてこのラリーを引き立たせているのがパリットの存在である。パリットへのラリーの屈折した対応を通じて、過去においてラリーとパリットの母親とは主義の運動に関わっていたころ恋人同志であったことや、彼の現在が写し出されてくる。つまり、一見彼はドラマの解説者、狂言回し的存在として描かれているように見えるが、本来の彼はその役目にとどまらず、各幕においての長台詞の中に彼の人生観、思想を吐露している。

 彼は30年間も主義運動に自らを捧げたが、結局は自分の性格に合わぬことを知り不信感におちいる。またパイプドリームの嘘が愚かな人間たち全体に生命を与えているのだと悟り、自分はそれから離れた場所にいて「よっぱらいの哲学者」に甘んじ、「美しい長い眠り」を待っている。

 ヒッキーはラリーにこそ一番手を貸して助けてやりたいと思っているのだ。 ラリーの死への憧れは、パリットに伝えたハイネの詩の一節

“Lo, sleep is good; better is death; in sooth、

The best of all were never to be born.” (註7)

といったようにロマン主義的な死への憧れといったものがある。ラリーのこの引用は自己の現実逃避の心境をうかがわせるが、事実、ラリー自身も認めているように、生を恐れ、さらには死を恐れていて、自らのみじめな姿を忘れようとアルコールに身をまかせている。

 この事実はヒッキーに鋭く指摘されていることである。繰り返すがこの作品のテーマは夢と死である。ヒッキーがいつも云っていることは自己を見つめようということであるが、自己を見つめていくうちに結局はパイプドリームがはぎ取られ、究極的には死に直面するのだ。ヒッキーは自ら妻を死に導いたが、パリットはラリーの言葉を借りてようやくたどりついたことになる。しかしラリーは死に至る以外に道がないことが判っていても非常階段から飛び下りる勇気もなく、ただひたすら死が近づいてくるのを待っている。

 オニールは夕イトルに古風な言葉、「来る」comethを用いているが、これについては友人のD・ニコルス (DudleyNichols) にこのように述べている。

― a combination of the poetic and biblical DeathCometh' ―

that is, cometh is all living―  (註8)

 この言葉を信じれば、戯曲のテーマの比重は死より生への夢のほうが重くなるようだ。

 人生の虚の洞穴、パイプドリームを抜けることによって現実の世界に向うことになるのである。これは生にも繋がるのだ。

オニールは『氷人来る』で過去の友人や知人をホープの酒場に集合させ、様々な人物像を造り上げた。そしてラリーやヒッキーの中に自分の姿を部分的に投影させ、発言させている。そして各々の人物に夢と希望を与えた。しかしその夢は正夢が逆夢か、それとも悪夢なのか定かではない。

 ラリーはよっぱらいながら明日はみんなの家には素晴らしい日―つまり万愚節がくるだろうという。明日という夢はラリーやヒッキーが仕組んだ真夏の夜の夢である。夏至のころの道化の夜なのだ。ヒッキーは妻を殺したというが、それは本当だったのだろうか、その真偽も定かではない。ヒッキーは大ぼらふきであるが、パイプドリームを捨てて再び正気に戻れるのか。 

 パイプドリームは人生の敗北者のシンボルであり、幕切れと共に夢は消える。パイプドリームから抜け出せるのは誰か。

 オニールがこの作品に書くころには酒を断ち、病と闘いながらの日々であったことは伝記によって察せられるのである。私生活においてふたりの妻に別離という苦しみを与えた彼も自身のパイプドリームから抜けだすことによって第2次大戦後における作家としての再生を達成し、世界のオニールとしての地位を不動のものとしたといっても過言ではあるまい。

 ヒッキーの再生への夢はオニールの再生の夢でもあったのだ。

  1. Bogard Jackson R., Travis and Bryer: (ed.) SelectedLetters of EugeneO’Neill. Yale University Press,New Haven and London. 1988.
  2. The Plays of Eugene O’Neill, Random House, New York. l964. p. 587.
  3. 註2 に同じ。p.621
  4. 註2 に同じ。p.663
  5. 註2 に同じ。p.716
  6. 註2 に同じ。p.716
  7. Arthur & Barbara. Gelb: O’Neill.Jonathan Cape, Thirty Bedford Square, London. l960.
  8. 註7 に同じ。

参考文献

  1. Arthur H. Quinn: A History of The American. Drama―From the Civil War to the PresentDay―Appleton-Century-Crafts. New York. l936.
  2. Eugene G. O’Neill: The Iceman Cometh. Random House. New York.1946.
  3. Edwin A. Engel: The Haunted Heroes of EugeneO’Neill. Harvard University Press, Cambridge, Mass.1953.
  4. Doris V. Falk: Eugene O’Neill and TheTragic Tension. Rutgers University Press. New Brunswick, NewJersey, 1958.
  5. The Plays of Eugene O’Neill. Random House, New York. 1964.
  6. Winifred L. Dusenbury: The Theme ofLone1iness―In Modern American Drama―University ofFlorida Press, Gainesvil1e. 1960.
  7. Arthur & Barbara Gelb: O’Neill. Jonathan Cape Thirty Bedford Square, London. 1960.
  8. Horst Jrenz: (ed.) American Playwrights on Drama. Hill and Wang, New York. l965.
  9. Jordan Y. Miller: Playwrights Progress:O’Neill and The Crilic. Kansas State University,Scott, Foresman and Company. N.J. 1965.
  10. Louis, Sheaffer: O’Neill. J.M. Dent & Sons Limited, London,1968.
  11. Michael Manheim: Eugene O’Neill 's NowLanguage of Kinship. Syracuse University Press, New York.l982.
  12. Jackson R. Bryer and Bogard Travis: (ed.) TheTheatre We Worked For. New Haven and London, Yale UniversityPress, 1982.
  13. Horst Frenz & Susan Tuck: (ed.) EugeneO’Neill’s Critics ?Voices from Abroad. Southern Illinois University Press. Carbondale and Edwardsville. 1984.
  14. Virginia Floyd: The Plays Of EugeneO’Neill. Frederick Ungar Publishing Co. New York.1985. Bogard―
  15. Ronald H. Wainscott: Staging O’NeillThe Experimental Years, 1920-1934. Yale University Press, NewHaven and London, l988.
  16. Travis Bogard : Contour In Time The Plays ofEugene O’Neill. Oxford University Press, New York.l988.
  17. Anne Fleche: Mimetic Disillusion-EugeneO’Neill, Tennessee Williams and U.S. DramaticRealism―The University of Alabama Press, Tuscaloosa andLondon. 1997.

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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山本 澄子

ヤマモト スミコ
やまもと すみこ 1929年生まれ。立正大学名誉教授(米文学・比較文学)。主な著書『英米演劇移入考明治・大正・昭和』。

掲載作は、1996(平成8)年から2000(平成12)年にかけて発表した立正大学文学部論叢(103号、104号、111号)より自撰した。

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