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蝴蝶

 國民の友の附録にするとて御望みが有つたため歴史的小説のみじかい物を書きました。が、実の処これこそ主人が精一杯に作つた作で決していつもの甘酒では有りません。匆忙の中の作だの何だのと遁辞をば言ひません、只是が今の主人の実の腕で、善悪に関せず世間の批許をば十分に頂戴します。猶この後には春のや、思軒の兩「しんうち」が(ひか)へて居ります。それ「比較は物の価格を定める」。大牢の前の食散らしは或は舌鼓の養生にも為りましやうか。一座早く出た無礼の寓意(も凄まじい)は実にこゝに在るのです。

 脚色は壇浦没落の後日です。 安徳帝は実に御入水にならなかつたといふのがまづ多数の説で、文化十四年三月、攝津国能勢郡出野村の百姓辻勘兵衛が幕府へ一つの古文書を持出した事が有つてそして其古文書は經房卿と言つて幼帝に供奉(ぐぶ)して逃げた人の自筆で書いてあります。是等は白川少将も望んで一覧し、また京都で日野大納言も懇望して見た事さへあつた程で、中々容易ならぬ箇條なのです。今この小説は脚色をその經房の古文書から抜いて一毛一厘も事実を()げず、ありの儘に書いた物で、その他日向(ひうが)に御逃れなつたの、又は阿波に御逃げに為つたのといふ方の説は(こゝ)で更に取用ゐませんでした。

 中の人物の言葉は矢張り武蔵野と同様つとめてその時代の口気を写しました。時代物に必ずその時代の言葉を用ゐるといふことは全体たしかに是と言つて褒めるほどの事でも有りません。たゞ目先を変へただけです。

   明治二十一年十月    美妙齋主人

     其一

 

 勇む源氏、いさむ濱風、無情、何のうらみ、嗚呼(あゝ)今まで白旗と数を競つて居た赤旗もいつか過半は吹折られたり、(きり)折られたり、はやその色をば血に譲つて仕舞つて、たゞ御座船の近処の辺に僅に命脈を繋いで居るありさま、気の(せい)か、既に靡いて居るやうです。

 海は一面軍船を(ゆか)として、遠見の果てが浪に揺られて高低さへ()なければ水が有るとは思はれません。雨のやうに()が降注いだのは戦争がやゝ(さかん)()つた頃(まだ運命がいくらか頼もしかつた内)だけで、今はその雨も敵の凱歌と共にあがり(かゝ)つて、たゞ手近な太刀討と組討と薙倒しがあちこちに始まるばかり、折れて水に陥つた箭の死骸、それも討死した士卒の(からだ)と共に幾百となくむらがつて浪に弄ばれて居る(てい)たらく、さながら堰か水門に塵芥が集まつたやうです。今少し前でした、能登守(教経)が血眼に()つて源氏の旗下(はたもと)へ飛込んだのは。蹴散らし、拂ひ倒して見る見る敵の中へ割つて入つたうしろ姿のいさましさ、かなぐり捨てた、鎧の袖の切れ目の絲は微かな波を空中に打つて、乱髪に勢を添へて居て、そして之が乱入するや否や、敵はにはかに(さわ)ぎ立つて、主人九郎(義経)が危いと思つたか、やゝ進んだ兵の内でも、旗下へ引返したものさへありましたが、いつかそれも静まつて更に立直る反動の力のすさまじさ、瞬く間に敵は早御座船ちかく近寄ります。「能登守だに死にたるよ」。たれ言ふと無く伝へる此声、こゝろ細さは増すばかりです。新中納言(知盛)の顔を見るさへ涙です。泣立てゝ訳も無く主上(安徳帝)に取縋る女房どもの有様には萬夫不当、平家の柱石と聞こえた新中納言の唇もわなゝいて、着馴れた鎧の威毛(をどしげ)にやゝ止る露の雫、それを飛沫(しぶき)と言ふだけ哀れ、だれが永別の涙で無いと言ひましやう。知盛の今日のむねぐるしさ、わざと従容(しようよう)として無理に笑顔を賣るものゝ、その笑顔は冬野の寒菊、無情の風を待つのみです。主上に対する眼、女房どもに向ける目眦(まなじり)、いづれ優劣なく無念の露を宿して、否帯びて、むしろ色は、今まで蒼ざめて居たのが次第に紅く為つて行き、いつの程にか髪の毛も針を植ゑて居るやうです。

 かなはぬまでもと思ふ心は今でも知盛の胸には充ちて居ますから一寸帰つて主上に拝謁するや否や更にまた引返しては敵に近付いて士卒をはげまして居ます。

 敵は次第に御座船に近づく。……また矢が雨のやうに()る、……前後には呻り苦しむ聲。見るに目も暮れ、心も消えます。はや其処此処とも乱れ果てました。最前(さいぜん)から幾度も心元なさに舷頭へ立出ては戦争の様子を見て居た二位尼もこゝで心を決したと云ふ(てい)(ひそか)に御座船の奥の間へ源典侍(げんのないしのすけ)、侍従経房、原田大輔判官(たいふはうぐわん)種長、因幡郡司(いなばのぐんじ)景家、及び右大将基方、大納言典侍(だいなごんのすけ)勾当内侍(かうとうのないし)、阿波内侍の八人を呼びました。

 それから何を話して居るか元より祕密にしたことと見えて次の間へ行つて聞いてもよくは聞えませんが、たゞ非常に嘆きかなしむ声がします。蝴蝶と言つてことし(はじ)めて十七になつた宮女(きうぢよ)、これは京都から此処までも常に源典侍に従つて居る美人ですが、しきりに怪しく思ふのあまり近寄つて心を静め、よく聞けば其内に門院(建礼門院)の御声として涙にうるんだ気はひが洩れて来ます。

「さればとて、(なう)、二位」、紛れも無い門院の御声です、「御門(みかど)(安徳帝)のむづがらせ給はんを……如何(いか)に、是のみにては」。

「御心細くも侍らん。()はあれども源氏あざむかんには二位こそ此上(こよ)なきものなるを」。

 是はたしかに二位の声で、跡は鼻をすゝる音が聞えるばかりです。聞けば表の方で女ばらも立(さわ)ぐやうです。「すはや源氏」といふ声に蝴蝶も立聞しては居られません。足を()いて立帰つて外を見れば、なるほど源氏は既に間近く寄りました。が、頼母(たのも)しい、それでも猶名を惜しむ士卒どもは防戦して寄付(よせつ)けまいとして居ます。

「かくては(いか)でか逃れ果つべき。早く心をするこそ()けれ」。一度(ひとたび)蝴蝶も心をば斯う決しましたが、さて又主上や門院の御身(おみ)の上が気に為つて気に為つて堪りません。暫時舟の端にたゝずんで(今は矢を恐れもしません)、四方(あたり)を見回はして居ましたが、思付いてまた奥の方へと立帰つて行く出合がしら見れば二位尼は主上の御手を引いて其処に立つて居ます。

「蝴蝶、いくさは如何(いか)にぞや」。

 問はれては墓々(はかばか)しくも言へません。

口惜(くちを)しうこそ。みそなはせ、御船ちかきに源氏も来ぬる」。

「つなぎ止めしも甲斐無かりき。いざさらば我もなどてやたゆたふべき。いでや人々もろともに」……

 言掛けてはらはらと涙を落して蝴蝶をじつと見詰めたまゝやゝ身繕ひをする(てい)たらく、如何にも合点が行きません。

「人々もろともに、そも如何に(せさ)せたまふ」。

「もろともに水にこそ」。

「今はや()らせたまはんとや。そは勿體(もつたい)無し玉體を」。

「玉體と和女(おこと)も思へるよ。これは如何に」。

 言つて尼が主上の被衣(かつぎ)取退(とりの)ければ是は主上と思ひの外、知盛の子息です。蝴蝶も之には(おどろ)きました。

「こは、そも。そもそも主上は」。

「今はや落ちさせ給ひけり。かくてぞ敵を(あざむ)くべき」。

「はや落ちさせ給ひけり」。あまりの意外に息もせはしく、「女院の君も諸共に」。

()なり、供奉(ぐぶ)しまゐらしゝは先き程呼びぬる八人(やたり)になん。和女(おこと)もいざ()く……はや事迫りぬ……ためらひ給ひそ、落延びんほどは落延びて御門(みかど)を助けまゐらせてよ。(こゝ)に心な残し給ひそ」。

 言ふ内人の叫ぶ声は既に間近く聞こえて来ます。

「源氏入来る、間もあらじ。(やいば)にかゝるはうたてきを……蝴蝶、()く疾く……いざ疾く疾く」。

 二位は(しき)りに急立(せきた)てゝ跡の蝴蝶の返事を耳にも入れず、何か錦の(ふくろ)に入ツた御剣(ぎよけん)めいた物を捧げながら右に主上(仮の)の御手を引き、早足に船端(ふなばた)にさしかゝれば……(おど)しのためか……敵から来る()は隙間もなく降注ぎます。

(なう)、しばし待たせたまへ」。蝴蝶は跡から追ツて来ました。が、無残、及びません。蝴蝶が船端まで来た頃には既にはや水(けむ)りが……

「すはや入らせたまひしよ」。呟いたのは是ばかり。流石(さすが)に生死を構はぬ身にも又何処やら箭玉(やだま)の雨は恐ろしく、急にまた(くびす)を返して横の船端(ふなばた)から(きつ)と見れば、主上の影は見えませんが、源典侍たちが小舟に乗ツてはるか向ふへ漕いで行きます。死ぬ気は蝴蝶も有りません。追付いて供奉(ぐぶ)()たう(ござ)います。

 片手は涙、片手は周章、急に一人の雑兵(ざふひやう)を呼掛けて手を合はさぬばかり、

「逃れん。(なう)、漕ぎてたべ、小舟にて」。

 命ぜられて雑兵も再議に及ばず(すぐ)に小舟を引寄せて蝴蝶を乗せて漕ぎ出しました。(かい)は折れてありません。仕方なく薙刀(なぎなた)で一心不乱に漕ぎました。

 前後左右は皆源氏です。が、わづかの仕合せ、皆御座船を目掛けますから落人(おちうど)も案外平易に逃れます。けれど肝を冷したのは幾度ですか、波も荒ければ四方(あたり)に船も多く、思ふやうには進めません。それのみか、わるく()ると典侍(ないしのすけ)の居る船を見失ひます。折々は僅かの目を(ぬす)んで懐かしい今までの御座船を見返れば、その今日まで皇居とした御座船には雑人(ざふにん)ばらが早乱入して……きらめく剣戟の影のするどさ。

 典侍の方の船に心を()けると同時に身の周圍に敵が来るかと気を配る混雑の間、ことにあちこちに(むら)がつて居る敵の眼を(かす)めることですから自然船も典侍の船のすぐ跡に()く事が出来ません。或は右へ駈隔(かけへだ)てられたり、あるひは左へ迂回させられたり、(つひ)に、あゝ、やゝ敵の目の遠く()ツた処へ来て、やれ安心と思ふと一途(いつしよ)に典侍の方の船の影は……折角の骨折も水の泡……どこへ行ツたか見えません。弱りました、これには蝴蝶も。船はやゝ見れば苫屋(とまや)の二三軒ある磯の()の近くへ来て居ます。傍には漂泊して居る、主の無い兵船も一二艘あります。

(なう)(から)く命は助かりつ。されど是より如何に()ん」。

 話掛けるといふ風でも無くて蝴蝶は呟きました。

「如何に()ん。何をか(のたま)ふ。(こぎ)もて来ぬる骨折の(しろ)、いざおのれに賜はずや」。

 頬髯を撫でながら(あたか)も傲慢な(てい)(しか)も冷笑といふやうな気色をあらはして言ひます。

 蝴蝶は流右に眞面目です。

「何を」。

「何をなンどゝ」、傍へすりより、「骨折の(しろ)にこそ。されど玉にも黄金(こがね)にもあらず、たゞわが妻になりたまヘ。こやなどて(おどろ)きたまふ、あたりに人の見る目も無きを」。

 思ひの(ほか)の無礼な言葉、婦人ながらも軍馬の間を経て来た蝴蝶、これには(くわツ)となりました。物をも言はず睨付(ねめつ)けるを雑兵は更にかまひません、袿衣(うちぎ)の袖を取らうとする、今は蝴蝶もこらへかねて、振拂ふや否や、身を躍らせて近い処の船に飛込まうとは為ましたが、運わるく足が滑りました。滑りました、眞逆さま……跡は水烟(みづけむり)と呆れた雑兵の顔ばかりです。

 

     其二

 

 清くて、優美で、そして愛らしいものは六七歳の少女と浦の春景色ででも有りましやう。その眉のまだ(ほそ)くて薄く、その顔のまだ肥えて固まらず、薄絹の頬に笑靨(ゑくぼ)の泉をたゝへて、こぼさうとは思はずに愛嬌の露をこぼす有様を見ては誰が一片きはめて高尚な愛情を起さずに居られましやう。夕日の(べに)を解かして揉砕(もみくだ)いて居る波の色、その余光を味はふといふ有様で反射の綾模様を浮織にしてゐる苫屋(とまや)の板びさし、しかも昨夜過ぎた春雨の足跡をば銀象嵌とも見立てられる蝸牛(でゞむし)のぬめりに見せて居ながら、それで尚水際立つて見える工合の美くしさ、餘情は以心伝心です。

 壇の浦つゞきの磯づたひ、白沙の(きら)めきを鏡として翠色(すゐしよく)の色上げをば生温い浦風にさせながら思ふまゝに悠然と腹這して居る黒松の根方に裸體のまゝ腰を掛けて居るのは、前回に見えた蝴蝶といふ少女です。()に西の嵐に東の日和、花をたしなめる風雨を見ては誰が実を結ばせる末を思ひましやう。わづか離れた処の修羅の巷はここに蜃楼の影も留めず、一網の魚に露命を(たの)む、いはゆる質朴の静かさばかりが苫屋の春を(とざ)して居ます。波にもてあそばれて居る鴎。可愛らしい銀色の足でちよろちよろと磯へ這上がつて来るさゞ浪。血腥(ちなまぐさ)いといふ言葉は(こゝ)では只魚の料理で僅に悟るといふばかり、すべて景色が、言ふもおろか、さて空気を汚すべき非理の福原の別荘も、否、別殿も、有難いこと、まだ有りません。

 濡果てた衣服を半ば身に纏つて、四方(あたり)には人一人も居ぬながら猶何処(どこ)やら吾と吾身へ対するとでも言ふべき(はぢらひ)を帯びて、風の囁きにも、鳥の羽音にも耳を(そばだ)てる蝴蝶の姿の奥床(おくゆか)しさ、うつくしさ、五尺の黒髪は舐め乱した浪の手柄を見せ顔に同じく浪打つて多情にも朝櫻の肌を(かす)め、眉は目蓋(まぶた)と共に重く垂れて其処に薄命の怨みを宿して居ます。水と土とをば「自然」が巧みに取合はせた一幅の活きた画の中にまた美術の神髄とも言ふべき曲線でうまく組立てられた裸體の美人が居るのですものを。あゝ高尚。真の「美」は真の「高尚」です。

 見亙(みわた)せば浦つゞきは潮曇りに掻暮(かきく)れて、その懐かしい元の御座船の影さへ見えず、幾百かの親しい人の魂をば夕暮のモヤが祕め鎖して居るかと思はれるばかり、すべて目の触るゝその先の方は茫漠として(いた)ましく見える塩梅(あんばい)、いとゞ心痛の源です、否、「源」といふのも残念な。

「そも如何にすベき。如何に()らせ給ひしやらん、事無う御幸(みゆき)ましましつるよ。覚束無(おぼつかな)。さるを猶この身だに斯くて御ン跡をも失ひつ、いづくに()りて便りを得ん。苫屋の(ほか)は無きものを、もしは敵に見認(みと)められなば、逃れ来し心尽くしも泡なれや。人目を避けて山路より御幸ますとや聞きぬるに……されば伯耆(はうき)や過ぎさせ給はん。よし、さらば、如何にもして御跡(みあと)を慕ひまゐらせん。久しく時を移すは甲斐なし。命めでたうてかく(よみがへ)りつ、疲れは有るとも何ならん。いでや苫屋に哀れを請ひて(あま)(きぬ)だに乞ひ受けてん」。

 雄々しくも(きつ)と思案を定めましたが、さて其処が乙女のあどけなさ、まだ裸體を人に見られる恥かしさに、何の思慮もなく、更にやゝ暫くは松の根に腰を掛けて居るその処へ聞えるのは兼ねて幾度も聞馴れた鎧の袖の噛合ふ声です。

 驚いて見返つて更に一入(ひとしほ)、さて穴へも入りたい程になりました。鎧の音は一人の武者で、武者、しかも其人は兼て蝴蝶が陣中で名を知つて見覚えて居る同じ平家の旗下(はたもと)の二郎春風といふ人で、また(しか)もその人は蝴蝶が常から……おゝ、つれない命……人知れずその為に恋衣(こひごろも)を縫つて居た者です。

 駭きましたが逃げられません。逃げたくは有りますが身は縮みます。俄に顔は……はてどうでも()いのに……潮路の(べに)を借りて来て……見れば、今日を晴と(よそほ)つたその武者ぶりの奥床しさ、村濃(むらご)の鎧に白の鉢巻、目は涼しく、口は(うるほ)つて……

「思掛けぬ……蝴蝶ぬし、御身(おんみ)のみにてましますか」。

 あゝ身が慄へます、近寄らずに二郎は尋ねます。

 返辞は有りませんので二郎は重ねて、

「見たまへや、此身も落ちて来ぬるを。主上は如何に為らせたまひし」。

御幸(みゆき)ますとて()りしが」、声は微かに蝴蝶の口を忍び、「恙無(つゝがな)(おは)せしならん」。

御幸(みゆき)。いづくヘ」。

「人無き里、伯耆わたりや過ぎ給はん」。

 二郎は勇立(いさみた)ちました。

「さらば、蝴蝶ぬし、やよ心な()たまひそ。如何に御跡(みあと)を尋ねまゐらすべきに、打連れて、君もろともに」。

 下を向いて慄へて居る蝴蝶の横顔、さしのぞけば愛と情と嬉しさとに掻乱(かきみだ)されて涙は湧返るばかりです。

「あな、いみじき御姿」。思はず出した二郎の声、さて其声を見送るのか、怨めしげに光りを凝らす蝴蝶の眼、手弱(たよわ)くも横へ向く二郎の眼。

 

     其三

 

 西山を(ふく)む二十三夜の残月、今些(すこ)し前まで降続いた五月雨(さみだれ)に洗はれた顔の清さ、まだ化粧は止めずに雲の布巾(ふきん)を携へて折々はみづから拭つて居ます。夜半、それが此時の「美」の原素で、山里、それがこの処の「美」の源です。消迷(きえまよ)ふといふ様に淡泊な朦朧な光を受けては沐浴したまゝまだ露を滴らせて居る新樹の影も(むせ)ぶやうで、そして僅にかよわい呼吸(いき)を吐く風に戯れられては(から)く浮世の宿を求めた梢の雫も落ちてまた雨と()ります。形容すれば、秋冬の淋しさは「嘆いて居る淋しさ」で、そして春夏の淋しさは「笑つて居る淋しさ」、その「笑つて居る」夜半の淋しさに忍んで色彩を添へる四辺の寂寞、思へば「自然」の腕も非常なものです。

 此処にある貧しい草の屋は手製と思しく、掘立の柱に(なら)の丸木の棟木(むなぎ)を持たせ、そして貧家の常として、籾糠(もみぬか)を厚く()いた上に更にまだ乾果てもせぬ(がま)(むしろ)を不作法に()べて有ります。今の眼から之を想像して御覧なさい、北海道の土人の家か何かとか思はれましやう。それでもまだ感心なのは明るいといふよりは(むし)ろ暖いといふ方が適当して居るらしく見える残燈が哀れな浪を打つて居ることです。「裏もかへさぬ」と馬琴なら言ふ荒壁に矢根(やのね)が幾本も打付けてあつてそれに衣服調度のたぐひが吊されて有るさへも釘の用方がまだ自由で無いと思はれて生計(くらし)の度の低いのが見えます。時は夜更です。それで何か容易ならぬ事が有ると見えて此家(このや)の夫妻は臥しても居ません。男は胡坐(あぐら)、女は片膝立て。二人とも思入(おもひい)つた(てい)です。

 男も女も別人では有りません。二郎春風と蝴蝶です。濱辺で二郎と蝴蝶とが()つた後は作者が述べるにも及びません、是からの二人の会話で知れます。

 身の運命と共に薄い光の燈火(ともしび)を見詰めて居るばかり、返答もせぬ蝴蝶の(てい)に二郎は更に語気に力を入れたやうです。

「君を思ふ志しは()もあらん。されど暫時は身をも思ひたまヘ。埋木(うもれぎ)の花咲かで朽つるも一期(いちご)、時めいて暮すも一期。あたらしや一期を落人(おちうど)と共に(はか)なく過ぐさんは」。

 膝を進めて声を潜め、

宿世(すくせ)いかなる(えにし)なりけん、君と假初(かりそめ)の濱辺の物語りは斯くも三年(みとせ)がほどまでの契りを(もて)来つ、君の情のこまやかなる、吾もなどて(あだ)にせん。かく言ふも君を憐れみ思へばなり。如何に末長う吾を憐みたまはずや。末長うあはれみ玉ひなば……(なう)、答へたまヘ、など泣いたまふ」。

 やさしく言はれるだけ胸ぐるしく、

「しか(のたま)はすから猶ぞもの憂き。君のやさしき御ンなさけの程は言ふまでも非ず、たゞ(くみ)知らせ玉はずや、如何にせん、(やゝ)知れぬる御門(みかど)のおンありかを源氏に告げんとは……(なう)、思ひまゐらするだに(いた)ましきを、(さて)も養はれつる平家の(めぐみ)(おぼ)したまはゞ……いかで()正無(まさな)き事は思ひ止まり玉ひてよ、喃。霜に臥し、(たきゞ)に宿り、憂きを経てこゝに住むはそも何のため。御門に尽くす真心ぞ。喃、願ふは涙のみ。思ひ止まりて給へかし」。

 して見れば御門(みかど)の所在が知れたので二郎は心変りしてそれと源氏に訴へやうといふのでしやう。あゝ人の心の頼み難いこと……二郎は何か得意顔ですこし身を反らせました。

「いまだ知らねば()のたまふ。永く祕むべきにもあらねば打出でん、聞きたまヘ、喃、吾は」。

 改まつた言葉に蝴蝶は重い目を上げました。二郎は(すこ)(ゑみ)を寄せ、

「まこと吾は平家の譜代(ふだい)にあらじ。源氏より忍入(しのびい)りし者なるを」。

「源氏より忍入りし者」、……忍び……忍びの者!

 今はじめて知つて、あゝ残念、無二の人と頼んだ者は浅ましい(かたき)

 蝴蝶には答が出ません。

「ことわりなり、(おどろ)きたまふも。されば、早、かく()らば」……言掛けて二郎は有無の挨拶を待つて居ます。

 胸は(さわ)いで顔は逆(のぼ)せ、それで身は烈しく顫へて蝴蝶の歯の根は合ひません。わが良人(おつと)ながら(にらみ)付けるばかりです。

「扨は、御身は……あゝ二郎ぬしツ」。

 如何にも無念らしく見えます。二郎も(夫婦の愛情はまだ消えません)無念らしく顔色まで変へる妻の(てい)を眺めては居られません。妻の方もまた左様(さう)です。愛情の点に於てはまだ度は減らぬいとしい二郎、しかし怨みの点に於ては流石(さすが)忍兼(しのびか)ねるおのれ二郎。

    * * *

はや時も(あけぼの)ちかく()ると覚しく闇が暫時濃く為つて星も光を隠して居ます。残酷な羽音を響かせて血に乾いた咽喉を鳴らす梟。人を嘲けるか、冷淡に戸の隙間をすりぬけて肌膚(はだへ)を薄淋しく嘗める山風。其処へ立つて居る蝴蝶、()に花をはづかしめた美人の蝴蝶は殺気を含んだ目元を(きつ)と見張つたまゝ闇にも晃めく短刀を抜離してじつと眺めて息を一吹。寝入つて居る良人(おつと)二郎の顔をのぞき込みました、極めて冷かに。

 しかし目も露を重く含んで居ます。

 兎角()いて出る呼吸(いき)を無理に弱く出して居ます。

 がさつく蒲の(むしろ)をば憎いながら(そつ)と踏んで居ます。

 (たゝず)んで居る身は吾か人かのやうです。

「口惜しや、あざむかれて。はじめより敵とだに知りつらば如何に浅ましい煩悩は(たけ)るとも……さりと知らねばこの憂目(うきめ)よ。(かたき)、源氏、さてぞゆゝしき。今日も今日、三年ごしの今日しも初めて御門(みかど)のいます方の()知れし喜び、言ふ間もあらで、如何にぞや、源……源氏の(かた)に告げうとは。なつかしい、いたいけの君、その君をあはれ()も無う、その君に憂き思ひ()せたいまつらんず、おのれ二郎ツ、にツくき春風ツ。そこを頼み()しゝはそも何の為ぞ。たゞ女子(をなご)の甲斐なきを助けられて諸共(もろとも)に安らけき君を見参らせ、この真心のせめての一筋聞上(きこしあ)げてんとせしばかりなる……うたてくも()りしよ、(なう)。猶予せば御門(みかど)御大事(おんだいじ)、女なりとて武家の片はし、男なりとて御門の怨敵(をんてき)、夫なりとて君の仇、とても斯くても……悲し……あゝ二郎ぬし……否、二郎……君の心の招くなり、そこの心の為すことよ。時はこよひを限るべき。つま殺す罪、後世(ごせ)のほどだに恐ろしけれども……念ぜよ、是も君のおんため」。

 殺さうと心は決めても猶何とは無しに今すこし物思(ものおもひ)に胸を悩ませたくて更にまた持つた刀を敷き隠して(むしろ)にすわり、

「殺されうとも知ろし召さでいぎたなう……宿世(すくせ)あやしき(えに)しかな。縁しかなツ! 源氏より忍び来し人。さしも吾がその時に(ゆか)しとも思はずもあらば妹脊(いもせ)(ちぎり)は結ぶまじきに、あなや、をさな心の女子(をなご)の浅ましさよ」。

 けれど平常からやさしい二郎の情愛を思出せば(はらわた)は実に猶切れるやうです。

「ねんごろに情こまやかなる人、その人を殺さうとや、その人のためには袖捲きし、この懐かしき手をもて。なつかしき手、昨日まではぬしの病を撫でし手も、あはれ、今こそはぬしを切る、ぬしの身を裂く手になん。浅ましき妹脊かな。友白髪(ともしらが)まで契るべきを……浮世の道こそつれなけれ」。

 今は(むせ)ぶばかりです、が、悟られまいと歯をくひしばり、

(つま)を殺せし妻ありきと後の人にも歌はれん。罪の程など知らざるべき、知りつゝも為す心根、(なう)、ねぶらせ給ふ二郎ぬし、(くみ)知らせて……酌知らせて……喃、二郎ぬしイ」。

 首を傾けて考沈み、

「たゞ此身には怨も無き人を墓無くも殺さんは、思へばいとをし。さりとも吾も心をひるがへして……さらば妹脊の契りも破れず……夫の心のまゝにせうか。夫の心の儘にして……されどいたいけなる御門(みかど)御上(おんうへ)、それも扨おン(いた)まし。壇の浦の船にても蝴蝶と(のたま)はせし事さへありき。その御恵の程し思へば……あら、げによ、我ながら空……空恐ろしき、などてさる(まさ)なき心」。

 雨と降る涙をあらあらしく払ひながら(きつ)と戸の外を眺むれば、吾を促し顔です、はや闇は次第に影を潜め始めて居て。

「夜明けなば……こよひは再び得難(えがた)かり。あゝ心、などて手弱(たよわ)き。あな、手まで、など震ふ」。

 たしかに思案を定めて刀を抜持ち、片唾(かたづ)を呑んで近寄る夫の枕もと、はツし、空蝉(うつせみ)の命、知らぬが佛の寝顔のやさしさ。「この優しき顔なるを、このやさしき人なるを……せめて此身を()づるそのやさしき心を御門にまゐらせたらんには」。

 立掛ツてはいよいよますます瀧を落す無情の涙、それが滴ツて二郎の顔を()たぬやうにと気を配ツて片手は目を(おほ)はぬばかり、やゝ(やいば)を下しかけましたが、しかし肉と骨とは溶けて離れるやうです。

「そこの首級(しるし)(たづさ)へて御門(みかど)にこの身の真心を()めて一言なりと聞え参らせ、さてしも後は同じ刃、同じ刀に死ぬばかりよ。妹脊の中はかはらじな。浮世の道は(さて)いと憂き」。

 今にその首から血も出ましやうか。今に男の命も絶えましやうか。あゝ斯う活きて居るものを。暫時刃は(あだ)にさまよツて晃めいて居ます。

 その内に、無残、勇氣! にはかに始まる泣声、物音。

「た……た……たれ……二郎を斯く」。跡はもろともに唸る声。

 また暫時、物音も絶えました。物音の絶えるや否や慌たゞしく戸際へ馳出して人でも居るかと見回はした蝴蝶の顔のその凄さ(あゝ殺した)、忍寄る暁の青い朦朧に映つては、顔色は全く土と見紛(みまが)ふばかり、たゞその代りこツてりとした鮮血の紅を縦横に塗ツて居て……御覧なさい、噛まれて居る乱髪の末一二本。既に仕留て仕舞ひました。今更無念なやうでもあり、悲しいやうでもあり、くやしいやうでもあり、また情無いやうでもあり、気は逆上してほとンど知覚も無くなつて只茫然……ですが、猶思詰めた一ツの念力、火のやうに熱する身と切れて続かぬ(せは)しい息を辛うじて(はげ)まして(つひ)に首をば斬放して仕舞ひました。

 が、はや身はほとんど打たれたやうです。何を見ても目は目の役を()ず、何を聞いても耳は耳のつとめを仕遂げず、それで、妙です、猶何処か神経が鋭敏に過ぎるやうな処もあります。

 首を取りましたが抱占(だきし)めたばかり、声を惜まず泣出したそのいぢらしさ、()に意地ほど恐ろしいものは有りません。

 やゝ昇ツて来る旭日も昨日までは勇ましさうに見えましたのに今日はそれも幽鬱であるやうです。やゝ啼出す鳥も咋日までは猶比翼の情に咽喉を鳴らして夫婦つれだつて居ましたに……哀れと薄命といふ言葉はつまり蝴蝶の又の名です。

 人の話し声、発矢(はツし)、家の外に聞える人の話し声。風の音にも忙がはしく耳をそばたてる今日の蝴蝶。蝴蝶も之をよく聞けば(乱れたながらも本性違はず)、これは主上の行宮(かりみや)のある(あたり)作男(さくをとこ)どもの話です。それで何と言つて居ました。斯う言つて居ました。「おンいたはしさよ、若宮の。定業(ぢやうごふ)にてや(おは)しけん、あへなく()らせたまひつゝ」。

 若宮が……ま、どうです、御崩(おかく)れなさいましたとか。恥を忘れて蝴蝶も表へ飛出しました。

「物問ひてん、(かた)ざまたち。いないな必ずうろたへ給ひそ、たとひ斯く浅ましき姿せるとて。さて。若宮はツ」……

 言へません、あとは(すこ)しも。里人たちは素気(そつけ)も無く、

「咋日の朝の程なりき、(かく)れさせたまひてき」。

 

     其四

 

 さてもさても無情な世の中。花が散ツた跡で風を怨ませるとは何事です。月が()ツた後に(かく)した雲を(にく)ませるとは、ても、無残な。風は空の根方と共に冴互(さえわた)ツてやゝ紅葉(もみぢ)()ツた山の崖に錦繍の波を打たせて居る秋の頃、薄い(きぬ)を身に纏ツて其辺を托鉢して居る尼の(さま)、面影はやつれても変りません、前の哀れな蝴蝶です。

 羽を伸した事も無くて世にはその名に縁ある夢の間に過ぐしました。()に蝴蝶、それも平家の紋処(もんどころ)です。壽永四年の彌生(やよひ)の春風に翼も切れて……そもそも之が浮世ですか。思遣(おもひや)れば須磨浦の昔の歌、「掻曇る雪気(ゆきげ)の空を吹変へて月になり行く須磨の浦風」。その吹変へる風は(むし)ろ小笹を(さわ)がせたばかりです。

 

   (明治二十二年一月)(挿畫 渡邊省亭筆)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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山田 美妙

ヤマダ ビミョウ
やまだ びみょう 小説家 1868・7・8~1910・10・24 東京神田に生まれる。幼時より尾崎紅葉と親しく、ともに硯友社を結び我楽多文庫をだし19歳で美妙齋を名乗って以降、紅葉に先行して名をはせた。

美妙の文学的苦心の最たるものは言文一致体の創出で、1888(明治21)年の第1著作集『夏木立』におさめた代表作「武蔵野」は文壇を驚倒、翌年1月「國民之友」付録に発表の掲載作も、渡邊省亭描く半裸の挿絵とともに評判をとった。近代文学の草創期、新鮮な言文一致と会話の妙にどれほど明治の先達が命を削ったか、四迷の「浮雲」嵯峨の屋の「初恋」若松賤子の翻訳等とともに記念されていい。

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