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女方

     一

 

 増山は佐野川万菊の藝に傾倒してゐる。國文科の學生が作者部屋の人になつたのも、元はといへば万菊の舞臺に魅せられたからである。

 高等學校の時分から増山は歌舞伎の(とりこ)になつた。當時佐野川屋は若女方で、「鏡獅子」の胡蝶の精や、せいぜい「源太勘當」の腰元千鳥のやうな役で出てゐた。そのころはひたすら大人しい、端正な藝であつて、誰も今日の大をなすとは思つてゐなかつた。

 しかし當時から、増山はこの冷艶な人が、舞臺で放つ冷たい焔のやうなものを見てゐる。一般の觀客はおろか、新聞の劇評家たちも、それをはつきり指摘した人はゐない。ごく若い時分からこの人の舞臺に搖曳してゐた、雪を透かして見える炎の下萌えのやうなものを、指摘した人はゐない。そして今では、誰もがそれを自分の發見であるかのごとく言ひはやしてゐる。

 佐野川万菊は今の世にめづらしい眞女方(まをんながた)である。つまり器用に立役(たちやく)を兼ねたりすることのできない人である。花やかではあるが、陰濕であり、あらゆる線が繊細をきはめてゐる。力も、權勢も、忍耐も、膽力も、智勇も、強い抵抗も、女性的表現といふ一つの關門を通さずしては決して表現しない人である。人間感情のすべてを女性的表現で濾過することのできる才能である。それをこそ眞女方といふのだが、現代ではまことにめづらしい。それは或る特殊な繊巧な樂器の音色であつて、ふつうの樂器の弱音器をかけて得られるものではない。ただやみくもに女を眞似ることで得られるものではない。

 たとへば「金閣寺」の雪姫などは、佐野川屋の當り役で、増山は一月興行に十日も通つた記憶があるが、何度重ねて見ても彼の陶酔はさめなかつた。あの狂言そのものに、佐野川万菊を象徴する凡てがある。凡ての要素がからまり合つてゐる。

抑々(そもそも)金閣と申すは、鹿苑院(ろくをんゐん)相國(しやうこく)義満公の山亭、三重の(たかどの)造り、庭には八つの致景を致し、夜泊の石、岩下の水、瀧の流れも春深く、柳櫻を植ゑまぜて、今ぞ都の錦なる」

 といふ浄瑠璃のマクラ文句も、大道具のきらびやかさ、その櫻と瀧と金色燦然たる樓閣との對比も、舞臺にたえず不安を與へる瀧の暗い水音の太鼓の效果も、嗜虐的で好色な叛将松永大膳の蒼ざめた相貌も、旭に寫せば不動の尊體が現じ、夕日に向へば龍の形があらはれる名劍倶利加羅丸(くりからまる)の靈驗も、その瀧や櫻に映える夕日のあでやかさも、ひんぷんたる落花も、……すべてが雪姫といふ一人の高貴な美しい女性のために存在してゐるのである。雪姫の衣裳は變つたものではない。ふつうの赤姫の緋綸子(ひりんず)である。しかしこの雪舟の孫娘には、その名に(ちな)む雪の幻が搖曳してゐる。雪舟が描いた秋冬山水圖の満目(まんもく)の雪がひろがつてゐる。かうした雪の幻影が、彼女の緋綸子をまばゆいものにしてゐるのだ。

 増山はなかんづく、櫻の木に(いま)しめられた姫が、祖父の傳説を思ひ出して、爪先で落花に鼠をゑがき、その鼠が生動して、縛しめの縄を喰ひ切るにいたる「爪先鼠」の件りを愛した。もちろん佐野川万菊は、ここで人形振りを見せたりすることはなかつた。縛しめの縄が万菊の姿態を、いつもよりも一そう美しく見せた。といふのはこの女方(をんながた)の繊巧な身のこなし、指のうごき、指の()り、それら人工的な姿態の唐草模様は、日常の動作のためにはいたいたしく見えたが、縄に縛しめられると却つてふしぎな活力を得て、不自由な動作の強ひる花文字のやうな無理な姿態が、一瞬一瞬に美しい危機をゑがき、しかもその危機のつながりが、あくまでもしなやかな、不撓の生命力を波打たせて來るやうに思はれたからである。

 佐野川屋の舞臺には、たしかに魔的な瞬間があつた。その美しい目はよく利いたので、花道から本舞臺を見込んだり、本舞臺から花道を見込んだり、あるひは「道成寺」でキッと鐘を見上げたりするときの目には、目づかひ一つで觀衆の全部に、情景が一變したかのやうな幻覺を起させることがよくあつた。「妹背山」の御殿で、万菊の扮するお三輪が、戀人の求女(もとめ)を橘姫に奪はれ、官女たちにさんざんなぶられた末、嫉妬と怒りに狂はんばかりになつて花道にかかる。と、舞臺の奥で、「三國一の聟取り済ました。シャンシャンシャン。お目出たう存じまする」といふ官女たちの聲がする。(ゆか)の浄瑠璃が「お三輪はきつと見返りて」と力強く語る。「あれを聞いては」とお三輪が見返る。いよいよお三輪が、人格を一變して、いはゆる疑着(ぎちやく)の相をあらはす(くだ)りである。

 ここを見るたびに、増山は一種の戦慄を感じた。明るい大舞臺と、きらびやかな金殿(きんでん)の大道具と、美しい衣裳と、これを見守る數千の觀客との上を、一瞬、魔的な影がよぎる。それはあきらかに万菊の肉體から發してゐる力だが、同時に万菊の肉體を超えてゐる力でもある。彼のしなやかさ、たをやかさ、優雅、繊細、その他もろもろの女性的な諸力を具へた舞臺姿から、かうしたとき、増山は、暗い泉のやうなものの(ほとばし)るのを感じる。それが何であるかはわからない。舞臺俳優の魅力の最後のものであるあの不可思議な惡、人をまどはし一瞬の美の中へ溺れさせるあの優美な惡、それがその泉の正體だと増山は思ふことがある。しかしさう名付けても、それだけでは何も説き明かされない。

 お三輪は髪を振りみだす。彼女のかへつてゆく本舞臺には、彼女を殺すべき鱶七の刃が待つている。

「奧は豊かに音樂の、調子も秋の哀れなり」

 お三輪が自分の破局へむかつて進んでゆくあの足取には、同じやうに戦慄的なものがあつた。死と破滅へむかつて、裾をみだして駈けてゆく白い素足は、今自分を推し進めてゐる激情が、舞臺のどの時、どの地點でをはるかを、正確に知つてゐて、嫉妬の苦しみのなかで欣び勇みながら、そこへ向つて馳せ寄るやうに思はれた。そこでは苦悩と歡喜とが豪奢な西陣織の、暗い金絲の表と、明るい絲のあつまる裏面とのやうに、表裏をなしてゐたのである。

 

     二

 

 増山が作者部屋の人となつたのは、歌舞伎の、わけても万菊の魅惑に依ることは勿論だが、同時に、舞臺裏に通暁することなしには、この魅惑の縛しめからのがれられないと思つたためでもあつた。人ぎきに舞臺裏の幻滅をも知つてゐて、一方では、そこに身を沈めて、この身一つに本物の幻滅を味はひたいと思つたためでもあつた。

 しかし幻滅はなかなか訪れなかつた。万菊その人がそれを阻止してゐた。たとへば、「あやめぐさ」の訓へをひたすら守つて、「女方は樂屋にても、女方といふ心を持つべし。辨當なども人の見ぬかたへ向きて用意すべし」とある一條のとほり、時間がなくて客の前で辨當をとらねばならぬ時などは、「一寸失禮いたします」と斷つて、鏡臺のわきのはうへうつむいて、實に見事に、後ろ姿からさへ感づかせぬほど、手早く美しく食事をすました。

 舞臺の万菊に魅せられたのは、増山は男であるから、あくまで女性美に魅せられたのであることはまちがひない。が、この魅惑が、樂屋の姿をまざまざと見たのちも崩れないといふのはふしぎである。云ふまでもなく万菊は、衣裳を脱いで裸かになる。繊細な體つきではあるけれど、紛れもない男の體である。その體で鏡臺にむかつて、肩まで白粉で塗りつぶしながら、客にしてゐる女らしい挨拶は氣味が惡いと云へないこともない。歌舞伎に親しんだ増山でさへはじめて樂屋をのぞいたときは、さういふ感を抱いたのだから、まして女方が氣味がわるいと云つて歌舞伎を毛嫌ひする一部の人などに、かういふところを見せたら何と言ふかわからない。

 しかし増山は、衣裳を脱いだ万菊の裸體や、汗とりのガーゼの半襦袢一枚の姿を見ても、幻滅と云ふよりは、一種の安心を感じた。それは、それ自體としてグロテスクであるかもしれない。が、増山の感じた魅惑の正體、いはば魅惑の實質はそこにはなく、從つてそこでもつて彼の感じた魅惑が崩壊する危険はなかつた。万菊は衣裳を脱いでも、その裸體の下に、なほ幾重のあでやかな衣裳を、着てゐるのが透かし見られた。その裸體は假りの姿であつた。その内部には、あのやうな艶冶な舞臺姿に照應するものが、確實に身をひそめてゐる筈だつた。

 増山は大役を演じて樂屋にかへつたときの佐野川屋が好きであつた。今演じてきた大役の感情のほてりが、まだ万菊の體一杯に残つてゐる。それは夕映えのやうでもあり、残月のやうでもある。古典劇の壮大な感情、われわれの日常生活とは何ら相捗(あひわた)らぬ感情、御位(みくらゐ)争ひの世界とか、七小町の世界とか、奥州攻の世界とか、前太平記の世界とか、東山の世界とか、甲陽軍記の世界とか、一應は歴史に則つてゐるやうに見えながら、その實どこの時代とも知れぬ、錦繪風に彩られ誇張され定型化されたグロテスクな悲劇的世界の感情、……人並外れた悲嘆、超人的な情熱、身を灼きつくす戀慕、怖ろしい歡喜、およそ人間に耐へられぬやうな悲劇的状況に追ひつめられた者の短かい叫び、……さういふものが、つい今しがたまで万菊の身に宿つてゐたのだ。どうやつて万菊の細身(ほそみ)の體がそれに耐へてきたかふしぎなほどだ。どうしてこの繊細な(うつは)から、それらが滾れてしまはなかつたのかふしぎである。

 ともあれ万菊は、たつた今、さうした壮大な感情の中に生きたのだ。舞臺の感情はいかなる觀客の感情をも凌駕してゐるから、それでこそ、万菊の舞臺姿は輝やきを發した。舞臺の全部の人物がさうだといへるかもしれない。しかし現代の役者のなかで、彼ほどさういふ日常から離れた舞臺上の感情を、眞率に生きてゐると見える人はなかつた。

「女方は色がもとなり。元より生れ付て美しき女方にても、取廻しを立派にせんとすれば色がさむべし。又心を付て品やかにせんとせばいやみつくべし。それゆゑ平生女子(へいぜいをなご)にて暮さねば、上手の女方とはいはれがたし。舞臺へ出て(ここ)女子(をなご)の要の所と、思ふ心がつくほど男になる物なり。常が大事と(ぞんず)る由、再々申されしなり」(あやめぐさ)

 常が大事。……さうだ、万菊の日常も、女の言葉と女の身のこなしが貫ぬいてゐた。舞臺の女方の役のほてりが、同じ假構の延長である日常の女らしさの中へ、徐々に融け消えてゆく汀のやうな時、その時、もし万菊の日常が男であつたら、汀は斷絶して、夢と現實とは一枚の殺風景なドアで仕切られることになつたであらう。假構の日常が假構の舞臺を支へてゐる。それこそ女方といふものだと増山は考へた。女方こそ、夢と現實との不倫の交はりから生れた子なのである。

 

     三

 

 老名優たちが(きびす)を接して世を去つたあとでは、樂屋における万菊の權勢は強大だつた。女方の弟子たちは腰元のやうに彼に仕へ、舞臺で万菊の姫や上臈に附き從ふ腰元たちの、老若の序列は樂屋のそれと變らなかつた。

 佐野川屋の紋を染め抜いたのれんを分けて、樂屋へ入つて行く者はふしぎな感じに襲はれる。この優雅な城郭の中には男はゐないのである。同じ一座の人間とはいへ、増山もそこへ入つてゆくときは異性であつた。彼は何かの用事で、肩でのれんを分けて、そこへ一歩(ひとあし)ふみ入れるより早く、自分が男であることを、妙に新鮮に、なまなましく感じた。

 増山は會社の用事で、レビューの女の子たちの、むつとするほど女くさい樂屋を訪ねたことがある。肌もあらはな娘が、動物園の獣のやうに、思ひ思ひの姿態をしてゐて、無關心にこちらをちらりと見る。しかしそこへ入つてゆく増山と女の子との間には、万菊の樂屋のやうな妙な異和感はない。増山にわざわざ自分は男だと、今更らしく思ひ直させるやうなものはない。

 万菊の一門の者が、増山に格別の厚意を示したといふわけではない。むしろ蔭では、なまじ大學教育をうけた増山が、生意氣だとか、出すぎるとか、噂されてゐることを彼自身知つてゐる。時には増山の衒學が、鼻つまみになつてゐることも知つてゐる。この世界では技術を伴はない學問などは、三文の値打もないのである。

 万菊が人にものをたのむときの、尤もそれは機嫌のよいときのことであるが、鏡臺から身を(はす)にふりむいて、につこりして軽く頭を下げるときの、何とも云へぬ色氣のある目もとは、この人のためなら犬馬(けんば)の勞をとりたいとまで、増山に思はせる瞬間があつた。さういふと万菊自身も、自分の權威を忘れず、とるべき一定の距離を忘れてゐないながらも、明瞭に自分の色氣を意識してゐた。これが女なら、女の全身の上に色氣の潤んだ目もとが加はるわけであるが、女方の色氣といふものは、或る瞬間の一點の(ほの)めきだけが、それだけ獨立して、女をひらめかせるものであつた。

「櫻木町(万菊は昔風に、踊りや長唄の師匠を、その住居の町の名で呼んだ)には、それぢやあ、あなたから申上げて頂戴。私からはどうも申上げにくいから」

 と万菊が言つたのは、一番目の「八陣守護城(はちぢんしゆごのほんじやう)」が終つて、中幕(なかまく)の「茨木」には出ないので、雛衣(ひなぎぬ)の衣裳を脱ぎ、かつらを脱ぎ、浴衣を着て、ひとまづ鏡の前に落ちついたときである。

 増山は、用があるからと呼ばれて、「八陣」の幕が閉まるのを樂屋で待つてゐた。鏡が忽ち緋いろに燃え上る。樂屋の入口いつぱいに(きぬ)ずれの音をさせてかへつて來た万菊から、弟子や衣裳方が三人がかりで、脱がすべきものを脱がせて片附け、去るべき人は去つて、次の間で火鉢のそばに坐つてゐる弟子のほかには人もなく、俄かに樂屋は寂然とした。廊下のラウドスピーカァからは、道具を片付けてゐる舞臺の金槌の音がつたはつてくる。顔見世月(かほみせづき)の十一月下旬のことで、すでに樂屋にはスチームがとほつてゐる。病院の窓のやうな殺風景な窓の硝子は蒸氣に曇り、鏡臺のかたはらには七寶の花瓶にたわわに白菊が盛られてゐる。万菊はわが名に因む白菊が好きである。

「櫻木町には……」云々といふとき、万菊は鏡に向つて、厚い紫縮緬の座蒲團に坐つて、鏡の中をまつすぐに見ながら言つた。壁際に坐つてゐる増山からは、万菊の衿足と、鏡の中のその雛衣の化粧をまだ落さぬ顔とが見えた。しかしその目は増山を見てゐず、自分の顔を正視してゐる。舞臺のほてりが、薄氷(うすらひ)を透かす旭のやうに、なほその白粉の頬を透かしてゐる。彼は雛衣を見てゐるのだ。

 正しく彼は、自分の今演じて來た雛衣(ひなぎぬ)、森三左衛門義成の娘、若い佐藤主計之介(かずへのすけ)新妻(にひづま)、そして良人の忠義のために夫婦の縁を切られ、「添臥しもせぬ薄い(えにし)」に貞女を立て、自害する雛衣の顔を鏡の中に見てゐる。雛衣は舞臺の上で、すでに身も世もあらぬ絶望の果に死んだ。鏡の中の雛衣はその幽魂だ。彼はその幽魂すら、今にも彼の身から立去つてゆくことを知つてゐる。彼の目は雛衣を追ふ。しかし役の激情のほてりが納まると共に、雛衣の顔は遠ざかる。彼は別れを告げる。千秋樂まではまだ七日もある。あした又雛衣の顔は、万菊の顔の、しなやかな皮膚の上へかへつて來るだらう。……

 増山は、前にも云ふやうに、かうした自失の状態にある万菊を見るのが好きだつた。そこでほとんど目を細めてゐた。——万菊は突然増山のはうへ向き直り、今までの増山の注視に氣づきながらも、人に見られることには馴れた俳優の恬淡さで、用談のつづきを言つた。

「あそこの合の手が、あれぢやあ、どうしても足りませんわ。あの合の手で、いそいで動いて動けないことはありませんけれど、それぢやあねえ、あんまり風情がなくつて」

 万菊は來月出す新作の舞踊劇の、清元の作曲のことを言つてゐるのである。

「増山さん、あなた、どう?」

「ええ、私もさう思ひます。『瀬戸の唐橋、暮れかぬる』の、あのあとの合の手でせう」

「ええ、暮れエかアぬウるウウウ」とうたつてから、万菊は問題の個所を、繊細な指先で調子をとりながら、口三味線で説明した。

「私が申しませう。櫻木町さんも、きつとわかつて下さると思ひますから」

「さうお願ひできます? いつもいつも、厄介なことばつかりお願ひして、本當に申譯(まうしわけ)ないんですけど」

 増山は用談がすむといつもすぐ立上ることにしてゐる。

「私もお風呂へまゐりますから」

 と万菊も立上つた。せまい樂屋の入口を、増山は身を退いて、万菊を先に通した。万菊は軽く會釋(ゑしやく)をして、弟子を連れて、先に廊下へ出て、増山のはうへ(はす)かひにふりむいて、につこりしながら、もう一度會釋をした。目尻に刷いた(べに)があでやかに見えた。増山が自分を好いてゐることを、万菊はよく承知してゐると増山は感じた。

 

     四

 

 増山の属する劇團は、十一月、十二月、正月と、同じ劇場に居据ることになり、正月興行の演目が、早くから取沙汰された。その中に或る新劇作家の新作がとりあげられることになり、この作家は若さに似合はぬ見識家で、いろいろな條件を出し、増山は作家と俳優との間のみならず、劇場関係の重役との間をも、複雜な折衝を通じてつないでゆくことで多忙を極めた。増山はインテリであるといふので、さういふ役目にも狩り出されてゐたのである。

 劇作家の出した條件の一つに、彼の信頼してゐる新劇の或る若い有能な演出家に、演出を擔當させるといふ一條があり、重役もそれを呑んだ。万菊は賛成したが、あまり乗氣ではなかつた。そしてその不安をかう打明けた。

「私なんか、よくわかりませんけれど、さういふ若い方が、歌舞伎をよく御存知ないで無鐵砲なことを仰言るとねえ」

 万菊はもつと圓熟した、といふのは、もつと妥協的な年輩の演出家を望んでゐた。

 新作は「とりかへばや物語」を典據にした平安朝物で現代語の脚本であつたが、重役はこの新作については奧役(おくやく)に委ねることをしないで、若い増山に一任すると言つた。増山は自分の仕事だと思ふと緊張を感じ、又その脚本も佳いものだと思つたから、仕事に生甲斐を感じた。

 脚本が出來上り、配役が決定すると匆々(そうそう)、劇場の社長室附の應接間で十二月中旬の或る午前、打合せ會がひらかれた。製作擔當重役、劇作家、演出家、舞臺装置家、俳優たち、それと増山とが出席者である。

 スチームは暖かく、窓からさし入る日光はゆたかである。増山は打合せ會のときに一等幸福を感じる。それは旅行の相談に地圖をひろげて語り合ふやうなものである。どこからバスに乗りどこから歩くか、あのへんにはいい水があるか、中食(ちゆうじき)の辨當はどこでひらくか、眺めはどこが一等佳いか、かへりは汽車にするか、それとも時間がかかつても船にしたはうがよくはないか、等々。

 演出家の川崎は定刻に遅れた。増山は彼の演出した舞臺を見たことはないが、評判は聞き知つてゐる。抜擢されて、一年のうちに、イプセン物とアメリカ現代劇の二つを手掛け、その後者の演出で、某新聞社の演劇賞をとつた人である。

 川崎以外のみんながすでに揃つてゐる。せつかちで有名な装置家はみんなの注文をきいて書きとるための大版のノートブックをすでにひろげて、鉛筆のキャップで空白の頁をしきりに叩いてゐる。

 たうとう重役が噂話をはじめた。

「何しろ才能はあつても若い人だからねえ。俳優さんのはうでいたはつてやらなくちやいけませんよ」

 そのときドアがノックされて、女給仕が、いらつしやいましたと言つた。

 川崎はまぶしげな面持で入つてきて、いきなり、字で言へば金釘流といふやうなお辞儀をした。五尺七、八寸はあるらしい長身の男である。彫の深い、男らしい、しかし大そうな神經質な風貌をしてゐる。冬だといふのによれよれの單衣(ひとへ)のレインコートを着て、それを脱ぐと、煉瓦いろのコーデュロイの上衣を着てゐる。まつすぐな長髪が、鼻の先まで垂れ下がるのを、たびたび掻き上げるやうにする。……増山はこの第一印象で一寸がつかりした。人に抜ん出た男なら、自分を社會の定型から外さうとするだらうに、この男は在り來りの新劇青年そのままの恰好をしてゐる。

 川崎はすすめられるままに上座に腰を下ろしたが、昵懇(ぢつこん)の劇作家のはうばかり向いてゐる。一人一人の俳優に紹介されて挨拶するが、またすぐ劇作家のはうを向いてしまふ。この氣持は増山にも憶えがある。年若な俳優の多い新劇畑で育つたものは、素顔で並ぶと堂々たる貫禄の年輩の俳優ばかりの歌舞伎役者に、馴染んでゆくのが容易ではない。

 事實、打合せ會に並んだ大名題(おほなだい)の役者たちは、無言の、慇懃な態度で、どことはなしに川崎に對する軽侮の氣持を漂はせてゐた。増山はふと万菊の顔を伺つた。万菊は、(ほこ)りを秘めてつつましく控へ、侮る様子がさらになかつた。それを見て増山は敬愛の念を深めた。

 一同が揃つたので、劇作家が臺本の梗概を話した。その中で万菊は、子役時代はさておき、おそらく生れてはじめて立役を演ずるのである。

 權大納言(ごんだいなごん)に兄妹二人の子があつて、性格が反對であるところから男女姿を變へて育てられ、兄(實は妹)は侍從を經て右大将となり、又妹(實は兄)は宣耀殿(せんえうでん)尚侍(ないしのかみ)となつたが、後に實相が(あらは)れてもとの男女に復し、兄は右大臣の四の君と、妹は中納言とそれぞれ結婚して、めでたく榮えた、といふ筋である。

 万菊の役は、妹(實は兄)の役である。立役と云つても、實は立役の姿になるのは短かい大詰の一場(ひとば)だけで、それまではずつと宣耀殿の尚侍の姿で、眞女方(まをんながた)でゆけばよいのである。それまで特に男を露見させるやうな演技を見せず、全く女で行つてほしい、といふのが作者と演出家の一致した意見であつた。

 この臺本の面白味は、歌舞伎の女方の成立ちをおのづから諷したやうに出來てゐることで、尚侍が實は男であるといふのは万菊が實は男であるといふのと異らない。そればかりではない。眞女方の万菊がこの役を演ずるためには、男でありながら女方である彼が、その日常生活の操作を二重に重ねて、舞臺の上に展開せねばならない。本來の立役の演ずる辨天小僧の娘姿のやうな單純なものではない。そして万菊は、この役に大いに興味を抱いてゐた。

「万菊さんの役は全く女で行つていただいていいのです。終幕の姿も、女らしくて一向にかまひません」

 とはじめて川崎が口を切つた。聲は朗らかで、さはやかにひびいた。

「さやうでございますか。さうさせていただけば樂ですけど」

「いや、樂ぢやありませんよ、決して」

 と川崎は斷定的に言つた。かういふ風に力を入れるとき、彼の頬は()のともるやうに赤くなつた。

 一座が少し白け、増山も思はず万菊のはうを見た。万菊は口に手の甲をあてて、恬淡(てんたん)に笑つてゐた。それでみんなの氣分がほどけた。

「では本讀みをいたします」

 と劇作家は、安コップほどに厚い眼鏡の奥に二重に見える突き出た眼を、卓上の臺本の上に落した。

 

     五

 

 二三日してから、それぞれの俳優の體の空くひまを見つけて、抜き稽古がはじめられた。顔の揃ふ稽古は、今月の興行がをはつてからの數日間しかできないので、それまでに固めるべきところは、固めておかなくては間に合はない。

 抜き稽古がはじまつてみると、果して川崎は、西洋人が紛れ込んで來たやうなものであることが、みんなにわかつてしまつた。川崎は歌舞伎のかの字も知らなかつた。そばで増山が歌舞伎の術語の一つ一つを説明してやらなければならない。かういふことから、川崎は大そう増山をたよりにするやうになつた。最初の抜き稽古のあと、川崎がいちはやく酒に誘つたのは増山である。

 増山は一概に川崎の味方になつてはいけない自分の立場を知つてゐたが、彼の氣持はよくわかるやうな氣がした。この青年の理論は精密だつた。心の持ち方は清潔であり、萬事に青年らしく、その人柄が劇作家に愛される所以(ゆゑん)がよくわかつた。歌舞伎の世界に見られぬこんな本當の青年らしさに、増山は心を洗はれる思ひがした。増山の立場は、何とかしてさういふ川崎の長所が、歌舞伎のプラスになるやうに引廻すことである。

 十二月興行の千秋樂のあくる日から、いよいよ顔を揃へた立稽古がはじまつた。クリスマスの二日あとであつた。歳末の街のあわただしさは、劇場の窓々、樂屋の窓々からも感じられた。

 四十疊の稽古場の窓ぎはに、粗末な机が置かれてゐる。窓を背にして、川崎と、いはば舞臺監督の役をつとめる作者部屋の増山の先輩の人とが坐る。増山は川崎のうしろに控へてゐる。俳優たちは壁ぎはに坐り、出番になると中央へ出てゆき、忘れたセリフを舞臺監督がつけるのである。

 川崎と俳優たちの間にはしばしば火花が散つた。

「そこのところ、『河内へなと行つてしまひたい』といふセリフのところで、立上つて上手(かみて)の柱のそばまで歩いて下さい」

「ここは、どうも、立上れないところですがね」

「何とかして立上つて下さい」

 苦笑ひをしながら、川崎の顔は、みるみる(ほこ)りを傷つけられて蒼ざめてくる。

「立上れつて仰言つたつて無理ですな。かういふところは、じつと肚に()めて物を言ふところですから」

 そこまで言はれると、川崎は、はげしい焦躁をあらはして、黙つてしまふ。

 しかし万菊のときはちがつてゐた。川崎が坐れと言へば坐り、立てと言へば立つた。水の流れるやうに、川崎の言葉に從つた。万菊が、いかに氣の(はひ)つてゐる役だとはいへ、いつもの稽古のときと可成ちがふのを増山は感じた。

 万菊の第一場の出場(でば)がをはつて、再び壁際の席へかへつたとき、増山は一寸用事に呼ばれて稽古場を(はづ)してゐたが、かへつて來てふと見ると、次のやうな情景が目に入つた。

 川崎は机に乗り出さんばかりにして稽古を凝視してゐる。長い髪が垂れてゐるのを拂はうともしない。腕組みしてゐるコーデュロイの背廣の肩先が怒つてゐる。

 彼の右手には白い壁と窓がある。歳末大賣り出しのアドバルーンが朔風の吹きすさむ晴れた冬空にかかつてゐる、冬の硬い、白墨で書きなぐつたやうな雲がある。古いビルの屋上の小さな(もり)と稲荷神社の小さな朱い鳥居とが見える。

 そのさらに右手の壁ぎはに万菊が端坐してゐる。臺本を膝に置いて、着崩れのしない正しい衿元の利休鼠を見せてゐる。しかしここから見えるのは、万菊の正面の顔ではなく、ほとんど横顔である。目がいかにも()いで、やはらかな視線が、川崎のはうへ向いて動かうともしない。

 ……増山は軽い戦慄を感じ、入らうとしてゐた稽古場に入りかねた。

 

     六

 

 増山はあとで万菊の樂屋へ呼ばれたが、くぐり馴れたのれんをくぐるとき、いつもとはちがつた感情の引つかかりがあつた。万菊はにこやかに紫の座蒲團の上で彼を迎へ、樂屋見舞の改進堂の菓子を彼にすすめた。

「今日の稽古はいかがでした?」

「はあ」

 増山はこの質問におどろいた。万菊は決してこの種の質問をする人ではない。

「いかがでした?」

「あの調子なら巧く行くと思ひますが……」

「さうでせうか。川崎さんがあんまりやりにくさうでお氣の毒だわ。××屋さんも△△屋さんも、すこしかさにかかつた言ひ方をなさるもんだから、私、ひやひやして。……おわかりでせう。私、自分でかうしたいと思ふところも、川崎さんの仰言るとほりにして、私一人でも、川崎さんがなさりいいやうに、と思つてゐるのよ。だつて他の方々に、私から申上げるわけに行かないし、ふだんやかましい私が大人しくしてゐれば、他の方々も氣がつくだらうと思ひます。さうでもして、川崎さんを庇つてあげなければ、折角ああして、一生けんめいやつていらつしやるのに、ねえ」

 増山は何の感情の波立ちもなしに、万菊のこの言葉をきいてゐた。万菊自身が、自分の戀をしてゐることに氣づいてゐないのかもしれなかつた。彼はあまりにも壮大な感情に馴らされてゐた。そして増山はといへば、万菊の中に結ぼほれた或る思ひは、いかにも万菊にふさはしくないやうに思はれた。増山が万菊のうちに期待したのは、もつとずつと透明な、ずつと人工的な、美的なものの感じ方ではなかつたか?

 万菊はいつになくやや横坐りに坐つてゐた。なよやかな姿に一種のけだるさがあつた。鏡には七寶の花瓶に活けた深紅の寒菊の小さい密集した花々と、青々と剃り上げた万菊の衿足とが映つてゐた。

 ——舞臺稽古の前日になると、川崎の焦躁は、傍目(はため)にもいたいたしかつた。稽古がすむ。待ちかねてゐたやうに、増山を酒に誘ふ。増山には用事があつた。そこで二時間ばかりあとに、川崎の待つてゐる酒場へ行つた。

 大晦日の前の晩だといふのに、酒場は混雜してゐる。スタンドで一人で呑んでゐる川崎の顔は蒼く、酔へば酔ふほど蒼くなるたちである。入りしなにその蒼い顔を見た増山は、この青年からかけられてゐる自分の精神的負擔が、不當に重すぎるやうな氣がした。二人は別々の世界に住む人間だつたし、青年の混亂や悩みが、禮儀上、それほどこちらへまともにかかつて來られる(いは)れはなかつた。

 果して川崎は、心安立てに、増山を蝙蝠(かうもり)だの二重スパイだのと言つてからんだ。増山は笑つて受け流した。この青年と五つ六つしか年はちがはないが、増山にはすでに「わけ知り」の世界に住んでゐるといふ自負があつたからである。

 とはいふものの、増山は、苦勞を知らない、あるひは苦勞の足りない人間に對する、一種の羨望を抱いてゐた。彼が歌舞伎の幕内(まくうち)にゐて、大ていの中傷に平氣になつてゐることは、卑屈と云へないまでも、自分を滅ぼすやうな誠實さとは縁のない人間であることを示すものであつた。

「僕はもうすつかりいやになりましたよ。初日の幕があいたら、どこかへ雲隠れしたいくらゐだ。こんないやな氣持で舞臺稽古に臨むと思ふとたまらない。今度の仕事は僕のやつた中で一等ひどい仕事だと思ふ。もうこりごりだ。もう決して二度と、こんな別世界には跳び込まない」

「だつてそんなことは、はじめから大てい豫測がついてたんぢやないですか。新劇とはちがひますからね」

 と増山は冷淡に出た。すると川崎は意外なことを言ひ出した。

「僕はなかんづく万菊さんがたまらないんだ。本當にいやだ。もう二度とあの人の演出はしたくない」

 川崎は見えない敵を睨むやうに、煙草の煙が渦巻いてゐる酒場の低い天井を睨んだ。

「さうかなあ。私はあの人はよく()つてゐるやうに思ふんだが」

「どうしてです。あの人のどこがいいんです。僕は稽古中に、ごてて言ふことをきかなかつたり、いやに威嚇的に出たり、サボタージュをしたりする役者には、あんまり腹も立たないけれど、万菊さんは一體何です。あの人が一等僕を冷笑的に見てゐる。腹の底から非妥協的で、僕のことを物知らずの小僧ッ子だと決めてかかつてゐる。そりやああの人は、何から何まで僕の言ふとほりに動いてくれる。僕の言ふとほりになるのはあの人一人だ。それが又、腹が立つてたまらないんだ。『さうか。お前がさうしたいんならさうしてやらう。しかし舞臺には一切私は責任はもてないぞ』とあの人は無言のうちに、しよつちゆう僕に宣言してるやうなもんだ。あれ以上のサボタージュは考へられんよ。僕はあの人が一等腹黒いと思ふんだ」

 増山は呆れてきいてゐたが、この青年に今眞相を打明けることは憚られた。眞相とは行かぬまでも、万菊が川崎にもつてゐる厚意を知らせるのも憚られた。生活感情のまるでちがふ世界へいきなり飛び込んで、感情の反應の仕方がわからなくなつてしまつた川崎は、それをきかされても、又ぞろそれを、万菊の策略ととるかもしれない。この青年の目は明るすぎて、理論には秀でてゐても、芝居の裏の暗い美的な魂をのぞくことはできなかつた。

 

     七

 

 年が明けて、曲りなりにも、初芝居の初日はあいた。

 万菊は戀をしてゐた。その戀はまづ、目ざとい弟子たちの間で囁かれた。

 たびたび樂屋へ出入りをしてゐる増山にも、これは逸早(いちはや)くわかつたことだが、やがて蝶になるべきものが繭の中へこもるやうに、万菊は自分の戀の中へこもつてゐた。彼一人の樂屋は、いはばその戀の繭である。ふだんから静かな人だが、正月だといふのに、万菊の樂屋は一そうひつそりしてゐるやうに思はれた。

 廊下をとほりすがりに、開けつ放しになつてゐる万菊の樂屋を、増山はのれん越しに一寸覗いてみることがある。出の合圖を待つばかりになつて、すでに舞臺姿になつた万菊が、鏡の前に坐つてゐる後ろ影を見ることがある。何か古代紫の衣裳の袖と、白粉を塗つたなだらかな肩が半ば露はれてゐるところと、漆黒にかがやく(かつら)の一部とを、ちらりと見る。

 さういふときの万菊は、孤獨な部屋で、一心に何かを紡いでゐる女のやうに見える。彼女は自分の戀を紡いでゐる。いつまでも、さうして放心したやうに紡いでゐるのである。

 増山には直感でわかるのだが、この女方の戀の鑄型(いがた)とては、舞臺しかないのである。舞臺はひねもす彼のかたはらに在り、そこではいつも、戀が叫び、嘆き、血を流してゐる。彼の耳にはいつもその戀慕の極致をうたふ音樂がきこえ、彼の繊巧な身のこなしは、たえず舞臺の上で戀のために使はれてゐる。頭から爪先まで戀ならぬものはないのだ。その白い足袋の爪先も、袖口にほのめくあでやかな襦袢の色も、その長い白鳥のやうな(うなじ)も、みんな戀のために奉仕してゐる。

 増山は万菊が自分の戀を育てるために、舞臺の上のあの多くの壮大な感情から、進んで暗示をうけるだらうと疑はない。世間普通の役者なら、日常生活の情感を糧にして、舞臺を豊かにしてゆくだらうが、万菊はさうではない。万菊が戀をする! その途端に、雪姫やお三輪や雛衣(ひなぎぬ)の戀が、彼の身にふりかかつてくるのである。

 それを思ふと、さすがに増山も只ならぬ思ひがした。増山が高等學校の時分からひたすら憧れてきたあの悲劇的感情、舞臺の万菊が官能を氷の炎にとぢこめ、いつも身一つで成就してゐたあの壮大な感情、……それを今万菊は()のあたり、彼の日常生活のうちに(はぐく)んでゐるのである。そこまではいい、しかし、その對象は、才能こそ幾分あるかもしれないが、(こと)歌舞伎に関しては目に一丁字もない、若い平凡な風采の演出家にすぎない。万菊が愛するに足る彼の資格は、ただこの國の異邦人だといふだけで、それもやがて立去つて二度(ふたたび)來ないだらう一人の若い旅人にすぎない。

 

     八

 

「とりかへばや物語」の世評はよかつた。初日になつたら雲隠れする筈の川崎は、毎日劇場に來てダメ出しをしたり、奈落をとほつて表と裏をしきりに往復したり、花道七三のスッポンの機械(からくり)に、めづらしさうに(さは)つてみたりしてゐた。子供みたいなところのある男だと増山は思つた。

 新聞評が万菊を褒めたその日、増山はわざわざその新聞を川崎に見せたが、川崎は負けずぎらひの少年のやうに唇を引きしめて、

「みんな演技はお上手さ。しかし演出はなかつたのさ」

 と吐き出すやうに言ふばかりであつた。

 増山はもちろん、川崎のこんな罵詈雜言(ばりざふごん)を万菊に傳へることはせず、川崎も亦、万菊に面とむかふと神妙にしてゐたが、万菊があまりにも他人の感情に盲目で、自分の厚意が素直に川崎に通じてゐると信じて疑はないのが、増山には歯痒(はがゆ)かつた。相手の氣持がわからない點では川崎も徹底してゐた。この一點でだけ、川崎と万菊は、似た者同士といふところがあつた。

 正月も七日のことである。増山は万菊の樂屋に呼ばれた。小さな鏡餅が鏡臺の横に、万菊の信心してゐるお(ふだ)と一緒に飾られてゐる。あしたはこの小さな餅も、多分弟子に喰べられてしまふのである。

 万菊は機嫌のよいときの常で、いろいろと菓子をすすめた。

「さつき川崎さんが見えましたわ」

「ええ、私も表で會ひました」

「まだいらつしやるでせうか」

「『とりかへばや』がすむまでは居るでせう」

「何か、あとお忙がしいやうなことを言つていらして?」

「いいえ、別に」

「それでしたら、一寸あなたにお願ひがあるんですけど」

 増山はなるたけ事務的な面持で聴く用意をした。

「何でせうか」

「あの、今夜ね、今夜ハネたら……」——万菊の頬には、見る見る(くれな)ゐの色が昇つた。その聲はいつもより透明で、いつもよりも高い。「……今夜ハネたら、御一緒にお食事をしたいんですけど、あなたから御都合を伺つていただけない? 二人きりで、いろいろお話したいつて」

「はあ」

「わるいわね。あなたにこんな用事をおねがひして」

「いや……いいんです」

 そのとき万菊の目はぴたりと動きを()めて、ひそかに増山の顔色を窺つてゐるのがわかつた。増山の動搖を期待して、たのしんでゐるやうに感じられた。

「ぢやあ、さう申し傳へてまゐりますから」

 と増山はすぐ立上つた。

 ——表の廊下で、むかうから來る川崎にすぐぶつかつたのは、幕間(まくあひ)の混雜のなかで、一種の奇遇のやうに思はれた。川崎は花やかな廊下に似合はぬ身装(みなり)をしてゐた。この青年の何かいつも昂然としてゐる態度は、ただ芝居をたのしみに來てゐる善男善女の群の中に置くと、少々滑稽に見えた。

 増山は彼を廊下の片隅へ連れて行つて、万菊の意向を傳へた。

「今さら何の用があるんだらう。食事なんてをかしいな。今夜は暇だから、全然都合はいいけど」

「何か芝居の話だらう」

「チェッ、芝居の話か。もう澤山だな」

 このとき増山に、舞臺でいつも見る端敵(はがたき)のやうな安つぽい感情がわれ知らず生れ、彼自身が舞臺の人のやうに振舞つてゐるのに氣づかなかつた。

「君、食事に呼ばれたのがいい機會だから、歯に(きぬ)着せないで、君の言ひたいことをみんなぶちまければいいぢやないか」

「でも……」

「君にはそんな勇氣はないのかな」

 この一言が青年の誇りを傷つけた。

「よし。それぢやさうしよう。いつかはつきりした對決の機會が來ることは覚悟してゐたんだ。招待はおうけするつて、傳へて下さい」

 …………。

 万菊は大喜利(おほぎり)に出てゐたので、閉場(ハネ)まで體が()かなかつた。芝居がハネると、役者たちは身じまひもそこそこに、風のやうにかへつてしまふ。かういふ慌しい動きを少し外して、万菊はモヂリを着、地味な襟巻をして、川崎を待つてゐた。川崎は、やつてきて、外套のポケットに両手をつつこんだまま、ぶつきらぼうな挨拶をした。

「雪がふつてまゐりました」

 と、いつも腰元をやる弟子が、大變事を報告するやうに駈けて來て、腰をかがめた。

「ひどい雪?」

 万菊はモヂリの袖口を頬にあてた。

「いいえ、ほんのチラホラ」

「車のところまで傘がないとね」

「はい」

 増山は樂屋口で見送り、口番(くちばん)は丁寧に、万菊と川崎の履物をそろへた。弟子が傘をすでにひらいて、淡雪の散つて來る戸外へかざしてゐた。

 雪はコンクリートの暗い塀を背に、見えるか見えぬかといふほどふつてゐて、二三の雪片が樂屋口の三和土(たたき)の上に舞つた。

「それぢやあ」と万菊は増山に會釋をした。微笑してゐる口もとが仄かに襟巻のかげに見えた。

「いいのよ。傘は私がさしてゆくから。それより運轉手に早くさう言つて頂戴」

 万菊は弟子にさう言ひつけて、自分でさした傘を、川崎の上へさしかけた。川崎の外套の背と、万菊のモヂリの背が、傘の下に並んだとき、傘からは、たちまち幾片(いくひら)の淡雪が、はねるやうに飛んだ。

 見送つてゐる増山は、自分の心の中にも、黒い大きな濡れた洋傘が、音を立ててひらかれるのを感じた。少年時代から万菊の舞臺にゑがき、幕内(まくうち)の人となつてからも崩れることのなかつた幻影が、この瞬間、落した繊細な玻璃(はり)のやうに、崩れ去つて四散するのが感じられた。『俺はやつとここまで來て幻滅を知つたのだから、もう芝居はやめてもいい』と彼は思つた。

 しかし幻滅と同時に、彼はあらたに、嫉妬に襲はれてゐる自分を知つた。その感情がどこへ向つて自分を連れてゆくのかを増山は怖れた。

 

(昭和三十二年一月「世界」)

 

 

三島由紀夫文学館

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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三島 由紀夫

ミシマ ユキオ
みしま ゆきお 小説家 1925~1970 東京四谷に生まれる。讀賣文学賞等。その巨大な世界的な文学の業績には、事新たに言う言葉がない。才能豊かな少年の昔より身の盛りの自決に至るまで、その存在は人と時代とを震撼した。

掲載作は、「世界」1957(昭和32)年1月号に初出。ことに天才を発揮した演劇作家でもある作者の、その方面にふれた巧緻で異色で落ち着いた力作をと選ばせてもらった。昭和36年10月刊行講談社「日本現代文学全集」100に拠っている

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