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検索結果 全1058作品
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詩 ああ大和にしあらましかば 初出年: 1905年
ああ、大和(やまと)にしあらましかば、 いま神無月(かみなづき)、 うは葉散り透く神無備(かみなび)の森の小路を、 あかつき露(づゆ)に髪ぬれて<ruby
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随筆・エッセイ 東京の木賃宿 初出年: 1904年
活地獄――木賃宿の異名――九千人のお客様一泊六銭――柏餅の雑居――雨の日の繁昌――三畳の家庭――千四百五十の世帯――擂鉢は車輪と廻る――二銭皿の鮪—――井に落せし簪――連込みの客――鬼一口――安宿ごろつき――良人ある身――夫婦喧嘩の統計――十年前の大家の嬢様――お湯は如何――屋根代の餌――丸裸の夫婦是れにつきねど 野山長閑(のどか)に春霞、立ちつづく道者笠(<
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短歌 戦争を呪ふ 初出年: 1904年
天の星、野べの百合にも平和(やすらぎ)の、色は満てるを、醜(しこ)の戦(いくさ)よ。 血の酒杯(さかづき)、舌つゞみ打つ醜人(</
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小説 薄命(ドストエフスキー『貧しき人々』より) 初出年: 1904年
しめやかなる都の春の夜(よ)、已(すで)に更けて、暁に近づける頃、ほとほとと戸を叩くは誰(た)が家、内には今しも、窓に倚り眠られぬ苦しさを忘れんと、庭の暗き方を眺めゐる主人、恁(かゝ)る夜更、何人の訪
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随筆・エッセイ 獄中述懐 「妾(せふ)の半生涯」より 初出年: 1904年
三 書窓の警報 夫(それ)より数日を経て、板伯(はんはく)(板垣退助伯爵)よりの来状あり、東京に帰る有志家のあるを幸ひ、御身(おんみ)と同伴の事を頼置(たのみお<rp
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評論・研究 所謂戦争文学を排す 初出年: 1904年
文芸の内容より趣味を奪ひ去らば、之れ文芸なきなり。文芸が吾人実際の生活に或実利を与ふる如き場合も、畢竟文芸に趣味あり、趣味に実益ありと云ふに帰す。然るに世間往々文芸と実益とを云々せむと欲し、文芸の目的本質を枉(ま)げても、尚実益に資するあらしめむと望む者あり。かゝる人士の希望の如く、文芸の目的本質を枉げ尽さば、文芸の存在得て保つべからず、趣味の湧起得て期す可らず、従つて文芸の与ふる実益なるもの空(むなし)</
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評論・研究 ロマンチックを論じて我邦文藝の現況に及ぶ(抄) 初出年: 1902年
(承前) 近世の文藝は古代の単純調和的文藝とは違つて兎角(とかく)中正な円満なものは稀で、大抵皆一方に偏跛に発展して居る。啻(たゞ)に文藝のみならず学問でも宗教でも徳義習慣でも総て社会組織が皆夫々偏跛の方向に分化して発達して居る。夫れが近世文明別しては十九世紀文明の一大特色である。是はどうも人文発展上寔(まこと)</r
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詩 冬の蝶・農夫 初出年: 1901年
冬の蝶 灰色深き冬空の 見る/\雨のこぼれきて 膚(はだへ)に告ぐる寒き日を 覚束なくも飛ぶ蝶よ。 春は菫の花に泣き 夏は小百合の香に酔ひて 闌なりしその夢は 萩吹く風にさめたるか。 つらく悲く淋くて われも泣きたきこの雨よ
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詩 荒城の月 初出年: 1901年
春高樓の花の宴 めぐる盃影さして 千代の松が枝わけいでし 昔の光いまいづこ。 秋陣營の霜の色 鳴き行く雁の數見せて 植うるつるぎに照りそひし むかしの光今いづこ。 いま荒城のよはの月 變らぬ光たがためぞ 垣に殘るはただかつら 松に歌ふはただあらし。 天上影は變らねど 榮枯は移る世の姿 寫さんとてか今もなほ <
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評論・研究 嶺雲揺曳(抄) 初出年: 1899年
人才の壅塞 徳川幕府封建の制度は門閥の弊を養成して、上下人為の分厳に、格卑きものは才あるも用ゐられず、格貴きものは才なきも要路を占むるを得、登門杜絶、人才壅塞(ようそく)せらるゝもの三百年。而して其の弊の極まるや発して維新の革命となる。維新の革命は実(げ)に多く<r
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小説 凱旋祭 初出年: 1897年
一 紫紅(くれなゐ)の旗、空の色の靑く晴れたる、草木の色の緑なる、唯うつくしきものの彌(いや)が上に重なり合ひ、打混(うちこん)じて、譬へば大幻燈(うつしゑ)花
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小説 黒蜥蜴 初出年: 1895年
一 年齢(としごろ)廿五六の男、風體(ふうてい)は職人。既(は)や暮れんとせる夏の日の、暑熱(あつさ)尚ほ堪へ難くてや、記章
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小説 名誉夫人 ヒンデルマン原作 初出年: 1895年
男女のいひなづけして、未だ婚礼せざるものさしむかひにてあるとき、これに立会ふを名誉夫人とはいふなり。又この篇に絵画の事をいへるうちに、古流新派とあるは、世に所謂印象派の方面より、今までありし流派をすべて古流といひ、おのれが一種の自然を観る法をそなへ、一種の色彩を施す式をおこなふを、新派といへるなり。我国にては、今黒田久米のぬし達、ここに云ふ新派に属し玉へり。これ等の事あらかじめことわりおかでは、この「スケツチ」の味解しがたかるべし。(明治二十八年しも月の末つかた) 君たち二人こゝにあそび給はんほど、しばしかの岡にのぼりて、今の景色をうつさばや、光線の工
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小説 惟任日向守(これたふ ひうがのかみ) 初出年: 1894年
第一 憐(あは)れなりけり、天正十年三月十一日天目山(てんもくざん)の一戦、落花狼藉(らつからうぜき)天日(てんじつ<
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評論・研究 文學一斑 総論 初出年: 1892年
凡例 一 題して文学一斑といふ。是れ僅に一斑を説きしものに過ぎざればなり。文学は極めて幽奥にして推究する事愈々深ければ愈々尽くる処を知らず。豈(あに)此一小冊子が能く説き尽し得るものならむや。 一 本篇説く処は尋常一様にして、識者既に熟通するの言なれば、遼東の<ruby
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小説 初戀 初出年: 1889年
嗚呼(あゝ)思ひ出(いだ)せばもウ五十年の昔となツた。見なさる通り今こそ頭(かしら)に雪を戴き、額に此(この)様な波を寄せ、貌(かほ<
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評論・研究 「日本人」が懐抱する処の旨義を告白す 初出年: 1888年
円錐形の鎮火山、秀然として海を抜き、屹立(きつりつ)一万余仭、千年万年の氷雪、皚々(がいがい)として其(その)峰嶺に堆積するものは、実に富士の峯に非(あら)ずや、而{しか}して幾多の山系之と綿亙し<r
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小説 當世商人氣質(抄) 初出年: 1886年
當世商人氣質自叙 錦織(にしきおり)なす花の都に軒を並べての繁昌。いつも変らぬ其家かと見れば主人大半非なりといひし白楽天の憾(うらみ)にも似て四代五代と一つ暖簾(のれん)</r
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小説 お菊さん(抄)(ピエール・ロチ『マダム・クリザンテエム』より) 初出年: 1885年
リシュリウ公爵夫人に 公爵夫人、 此の本を非常に敬虔な友情のしるしとしてお受けください。 私は此の本をあなたに捧げることを躊躇してゐました。題材がふさはしいものに思へなかつたからです。けれどもその表現法に於いて私は決して悪い趣味に堕しないやうに努めました。さうしてそこまで達せられたことを望んで居ります。 これは私の生涯のうちの或る一と夏の日記です。私は少しの変更も加へず、日附さへそのままにしました。それは、私の場合に
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随筆・エッセイ 漢字御廃止之議 初出年: 1866年
国家の大本は国民の教育にして其教育は士民を論せす国民に普(ひろ)からしめ之を普からしめんには成る可く簡易なる文字文章を用ひさる可らす 其深遠高尚なる百科の学に於けるも文字を知り得て後に其事を知る如き艱渋(かんじふ)迂遠(うゑん)なる教授法を取らす渾(