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文學一斑 総論

    凡例

一 題して文学一斑といふ。是れ僅に一斑を説きしものに過ぎざればなり。文学は極めて幽奥にして推究する事愈々深ければ愈々尽くる処を知らず。(あに)此一小冊子が能く説き尽し得るものならむや。

一 本篇説く処は尋常一様にして、識者既に熟通するの言なれば、遼東の白豕(はくし)(もと)より之を甘んず。江湖願くは其卑近浅膚なるを笑ふ勿れ。畢竟是れ文学の入門たるに過ぎざればなり。

一 詩を説くに(あたつ)て、先づ「美」を説かざるべからず。然るに此篇は一言「」に及ばず。其間或は摸索しがたき処あらむ。是れ「文学」なる語の殆んど「カーレント、ウオルド」となりしを以て此語を解説する事の極めて必要なるを信ずればなり。

一 篇中に定義を下せし処あれど、諸般学術の第一原理猶ほ朦朧たる(かん)(いづく)んぞ正確なる定義を作るを得んや。余はカアライルの如く「定義の空漠たるは当然なり」といふものにあらざるも定義は畢竟「假定」に過ぎざるを信ず。

一 識者あり曰く、批評家は詩人を作るを得ずト。此言或は()ならむ。若しレツシングの「ラオクーン」にして、ハルトマンの美学(エスセテツクス)にして、鴎外氏の柵草紙(しがらみさうし)にして、逍遙氏の早稻田文学にして果して(この)毀言(きごん)を値ひするものならむには、浅膚なる余が文学一斑焉んぞ能く三文(さんもん)詩人をだに作るを得んや。畢竟是れ文学の入門たるに過ぎざればなり。

一 要するに(この)陋見(ろうけん)勿論博渉精通なる識者の嗜読を煩はすに足らず。余が欲する処は探偵小説に垂涎(すゐぜん)し新聞の続き物に待焦(まちこが)るゝ婦人小児、(もし)くは小説をもてはかなき根なし草と()し軽率に是を冷視する浅見者に示さんとするにあり。然れども其文字は拙劣其用意は疎雑なるをもて或は晦澁に陥り或は放浪に流るゝの点また多からむ。(いは)んや余が謭才鈍識は中々に文学の真相を喝破するの力に乏しければ、此一篇素より正鵠を得たりと()はむや。畢竟余が思ふ処斯くの如しと云ふに過ぎざれど愚考萬一にも文学の入門とも為らば則ち余が幸のみ。

一 今や文壇名家に富む。博学宏聞(もし)くは識見超邁の士乏しきにあらざれば、(みだ)りに後進を以て文学を論ずる事極めて僭越に似たりと(いへ)ども、却て是れ研究せし結果を述べて以て江湖諸君子の示教を待つもの、願くは其莽鹵(もうろ)を憐んで之を咎むる(なか)れ。

一 余や浅学迂慮、加ふるに識狭く見低ければ以て文学を談ずるものにあらず。既に校するに臨んで其説の迂陋(うろう)を恥づる処(すこぶ)る多かれば、他日必ずや稿を(あらた)めて再び世の示教を仰ぐ事あらむ。

   壬辰(明治二十五1892年)二月       不知庵識

     目 次

第一 総論

文学の不朽及び感応○文学とは何ぞや○文道○文字と文学○学問及び文章○人間の二思想○詩及び哲学○古人の文学解○文と道○社会の発達と文学思想○文学の定義及び解釈

第二 (ポーエトリイ)

ポーエトリイの義○文藝の才○詩想○想像○ベリンスキーが美術の定義○ヘーゲルの詩論○詩の活気○詩人及び非詩人○詩形○韻文○詩と韻文○詩想の変遷○詩と理学の関係○詩と社会の関係○詩と他の美術との比較○詩の分類○詩と歴史、演辞及び評論○全章の綱要○詩人の任

第三 叙事詩(エピツク)

神代紀○創世紀○アラビヤ物語○古代の詩○叙事詩○純正叙事詩○平家物語○太平記○打諢譚○假作物語○假作物語の分類○冒険物語○美術的社会物語○時代小説○社会小説○未来小説○教義的物語○雑躰叙事詩○結論

第四 叙情詩(リリツク)

叙情詩の範囲○叙情詩と韻律○叙情詩の解○和歌○萬葉集○定家卿○和歌の進歩せざりし所以○俳諧○檀林派○芭蕉及び正風○散文体叙情詩○国家的叙情詩○哲理的叙情詩○感動的叙情詩○悲感的叙情詩○快感的叙情詩○高壮的叙情詩○敬神的叙情詩○恋愛的叙情詩○詼謔的叙情詩○結論

第五 戯曲、一名世相詩(ドラマ)

「ドラマ」の語義○「ドラマ」の解○「ドラマ」と叙事詩○「ドラマ」の起原及び発達○「ドラマ」の質○悲壮劇及び滑稽劇○今日の「ドラマ」○「ドラマ」の基礎○近松門左衛門の浄瑠璃○「天網島」の解析○「キヤタストロフ」○「ドラマ」の価値○結論

 

文學一斑

       不知庵主人述

第一 総論

 

 文学の不朽及び感応

 ワシントン、アービングのウェストミンスター教堂を()ふや、累代詩人の墓碣(ぼけつ)(えつ)して後、(その)所思(しよし)を記して曰く、  

 人の無窮に伝へらるゝは、大抵歴史の媒介に頼るなれば、物変り星移るに連れて、次第に朦朧暗淡に帰するを免かれず。独り文学者が同人に於ける信交は、常に生新快活且つ直接にして、彼は自己の為めよりは(むし)ろ諸人の為めに生存し、四辺の歓楽を犠牲と為し、浮世(うきよ)の興を打捨てゝ、後の人また末の世と語らむとて、余念なく一生を暮したりき云々。 千年の遠き昔となりて、歴史は既に杳冥(ようめい)たりと(いへ)ども、論語に接すれば親しく仲尼(ちゆうぢ)の教を受け、南華経を読めばさながら荘周に嘲けらるゝの感を起し、章句の間髣髴として温乎たる其貌(そのかたち)瓢然たる其姿を認むるを得む。(けだ)し二者の思想が萬人の胸板に徹するの力他の音楽或は絵画に比して大に(すぐ)るゝは、是が媒介たる文字の音楽に於ける声調(もし)くは絵画に於ける色彩と異なりて悉く完全なる意義を有するを以て直接に其感触を與ふればなり。

 何人(なんぴと)も能く知らむ、亜米利加(アメリカ)の士気を鼓舞せしは革命之檄にあらざるか、佛蘭西(フランス)の民心を噪狂せしは馬耳塞(マルセイユ)の歌にあらざるか、昌黎の文はガク(=鰐を意味する難漢字)魚の暴を鎮め、晋子の句は夕立や田を三めぐりの神を動かしぬ。是が為めに英雄豪傑も其膽(そのきも)を破られ、是が為めに悪鬼羅刹も其腸(そのはらわた)を断ち、一韻一句に悲喜哀歓の情を左右せらるゝは(そもそ)も何等の魔力ぞ。冷鉄も忽ち熱し堅氷も瞬時に解く文学の力偉なる哉。

 

 文学とは何ぞや

 此魔力を有する文学とは何ぞ。古往今来何人(なんぴと)も能く是を理解するが如くして而も是が確然たる定義を與へたるものなく、社会一般思想の発達と共に其意義も変転せしが如し。(けだ)し文化未だ進まざりし時代に有つては、人間の智識浅く学界の区域猶ほ狭隘(けうあい)なりしを以て、是を解くも亦簡易なりしかど、次第に発達して深邃(しんすゐ)(はし)るほど愈々(いよいよ)錯雑して、学海の茫々たるを知ると共に精細なる考査は益々精細となりて、昔日(せきじつ)は漫然説去つて衆人(すこ)しも怪しまざりしものを、今は分析の上に分析して猶ほ是に満足せず、推窮の上に推窮して(つひ)に是に安心するを得ざるほどなれば、唯箇(ただこの)一語「文学」の義解に苦むも又勿論也。

 上世水草を追ひし時代に文学なし。(その)「文学」なる形を生ぜしは如何(いか)なる時代なるや混沌として知るに(よし)なけれども人次第に言語通じて単純なる舌唇を(ふる)つて相試む時、自然の法則として外界に触るる毎に喜怒哀楽の情を起すは必然なり。雷霆(しつ)し風神怒る彼等は畏懼(ゐく)して(あはれみ)を天に乞ふ。是時に於て口に発する号泣祈念の声は以て一種の詩と為すを得む。(もし)くは苦闘して敵に勝ち或は愛人と相逢ふて馴るゝ時彼等は歓喜して蛮音を発し舞踏を為す、此蛮音は亦一種の詩にあらざるか。然れども文字(もと)より無く詩の形未だ成らざりしが、人の稟性(ひんせい)として(かく)れたるを(あらは)さんとし知らざるを悟らんとするのみか、猶ほ他に教へまた伝へんとするは自然にして、此稟性は結縄に始まり(つひ)に鳥跡に及び耳目の感触を仮りて是を音に取り是を形に(かたど)つて文字を創造せり。(ここ)に於て文学萌芽の(もと)成る。

 

 文道

 むかしは文武両道と()へり。然れども此「文」と云へるは武技に対しての言にして未だ文の質を云ふにあらざるなり。徂徠(そらい)の答問書に「吾国の俗説に文武二道と申す(ことば)有之候(これありさふらふ)是は中古より公家武家(くげぶけ)とて家別候より公家の伝候(つたへさふらふ)藝を文道と唱へ武家伝候藝を武道と名附候俗説迄の事に候詩歌も弓馬も藝にて候を文盲なる者の名附(まうす)習しにて候」とあるは能く文道を説明せしにあらざるか。

 

 文字と文学

 又文字の上より説くものあり、(いやし)くも文字を(つら)ねしもの則ち是れ文学なりと。此説根拠する処なきにあらざるもまた疎鹵(そろう)に失するが如し。文字を陳ねて而して文学と云ふを得べくんば算数法政(すべ)て文学ならざるはなく、統計表も法律規則もまた文学書たるを得む。是れ素より文学を詳悉せしにあらず。

 

 学問及び文章

 古来より支那日本共に文学の定義を與へしものあらずして、常識の上より学問と云ひ文章と云ひしも、其性質に到つては毫も講ずる処なかりき。畢竟理化学は秘密の中に葬むられて昏朦(こんもう)たりしかば、所謂(いはゆる)儒なる者は純正哲理に安んじ実験を(たつと)ばざりし故に、学問と云へば唯先王の道に限れる如く思ひ、医本草(いほんざう)の類は殆んど学問外に置き、特に文学と(なづ)けざるも直ちに是を学問と混同せり。而して学問即ち文学と文章との関係に到つては頗る漠然たるに甘んじ、(あだか)も善悪邪正を口にするも確然たる標準を知らざるに同じく、学問と云ふも文章と云ふも彼等は考へずして、或は文章も学問の一なりと云ひ、或は学問は本にして文章は末なりと云ひ、紛々是を説去つて終に文学の何物たるに及ばざりき。津阪東陽は曰く、

詩之於学者也特其剰技耳。行有余力乃以学之。君子不必譏也。近時学風軽薄舎本而趨末。以詩爲性命。六経群史一切束之高閣。唯  於五字七字之中。抽黄対白翫 時日。云々

(化けて表記できない漢字が少なくも三字あり、此処には大意だけを摘しておく。学者にとって詩は余技にすぎない、よほどヒマなら嗜んでもよいが、さほどのことではない。しかるに近年学者の風儀が軽薄になり本末を失して、経典を(ないがし)ろにして詩作を旨とする者の多いのは嘆かわしい、と。文藝館注)

 

 是れ学問と文章とを混同して一と為すの謬説(びゆうせつ)に出づ、学問(あに)文章と一ならむや。

 人間の二思想

 パスカルは()へり、人間の思想に二あり一を数学的思想と為し一を情感的思想と為すと。此説を為すもの独りパスカルのみにあらで古今(すこぶ)る多し、(けだ)し相期せずして合する処(ただ)に白壁に面して会得したるのみならで、実験の上より見るも当れるに近きを以てならむ。一を割て二と為し二を割て四と為し天を望めば星辰の所在を(つまびら)かにせむ事を欲し地を見れば土層の性質を窮めむ事を願ひ草木の生長を量り昆蟲の(はら)()是れ数学的思想なり、或は花爛漫たる春の景色に浮れて蝶と共にさまよふやたちまちにエンジェルを空際に現じ、或は怒濤澎湃(ほうはい)として来り一葉片々呑まれむとするや忽然として海坊主を水上に見る、是れ情感的思想なり。此二者は人間共に有する処にして、一方に偏すれば恆河(ごうが)の砂をも数へんと欲し又一方に偏すれば木に(よつ)て魚を求むるを怪まざるに到る。而してたゞ文意を以て直ちに身を処し能はざるものが事物に触るゝ毎に(エモーシヨン)或は(インテレクト)(うつた)へて満足を求むるは自然の数にして怪むに足らず。殊に気鋭雋爽(きえいしゆんそう)の士がまゝ熱焔して両極端に()するは免かれざるの事実にして、(ここ)に於てか詩人(もし)くは哲学者を生ずるにあらざるか。

 等しく情感的思想なりと雖ども、是を表白するに或は会意的を以てし、或は分析的を以てす。会意的を以てするものは思想を形像の上に表はして是を直覚せしめ、分析的を以てするものは思想其まゝを分析して是を理解せしむ。一は譬喩形容を設けて(さと)らしめんとし、一は解析釈義を試みて説かんとす。蓋し二者各々所長ありて共に学海の水路案内者たれば相随伴して離るゝ事なしと雖ども殆んど背反したる研窮法をもて互に結托して以て文学を為す。而して文学の主因たる感情的思想を会意的に表白したるものを(ポーエトリイ)と云ひ分析的に説明したるものを哲学(メタフイジツク)と云ふ。ベリンスキーは此二者を論じて曰く、

 

 詩及び哲学

 詩と哲学と常に相関係して常に相和せず、二者の故国たる希臘(ギリシヤ)に於て見るも所謂哲学者は(かつ)て桂冠を献げて詩人を賞揚せしと雖ども(つひ)に是れを想像社会の外に追遂せり。一般社会は詩人を見て以て最も活溌熱心なる者と為し、過去將来を遺却して独り現在に沈溺し、唯快楽あるを知て利益あるを知らず、而して其快楽を求むるの念は尤も深ふして曾て飽足せし事なく、風采傾癖は常に変転して定まらず、又懆然たる想像力に富むが故に絶えず実境を離れて空想の中に彷徨し、而して現在の幸福は是を捨て却つて頼むべからざる空想を尚ぶものなりと為す。

 哲学者は是に反して常人の解すべからざる人生の最大幸福たる至賢に心酔し、唯一不変の目的を(とつ)て堅く動かず其行為は智ありて、其希望は適度に利益また真理を(たつと)むで愉快娯楽を卑み、能く確然たる実益を尋求し、且つ其原因を人生浮栄の皮相(もし)くは雑駁なる「カレイドスコープ」の中に求めずして反て是を其秘宝なる不死の霊魂の中に得て以て楽むものなりと為す。詩人は萬物の愛元、幸福なる頑童、無頼、放逸、我意。兇悪また兇悪なるが故に一層可憐なる小児なり。哲学者は真理及至賢の忠僕、言語中に形せし真誠、行為中に蔵する善行と為す。(中略)要するに詩人の哲学者に於けるは、活溌激烈狂誕豪放なる想像の冷々索々難渋険快荘重なる智識に於けると同じ云々。

 

 二者の相離るゝ斯くの如くにして其現象を見れば到底同一なる範囲内に置く事能はざるが如けれど、また如何にしても隔つる事を得ざるは二者の目的及理想は殆んど同一世界に在つて、詩人が胸を打つて其心肝を吐くも哲学者が頭を曲げて其脳漿を沸すも間接に又直接に大道を踏むで真理を求め衆生を挙げて其理想界に奔らむとするものならざるはなし。ベリンスキーは又説て曰く、

 

 詩と哲学は共に同一の目的を有し共に上天に赴くものなりとす、即ち一般社会の詩に帰するは人生の最も美なる神工の形像を作り依て以て人をして高尚なる感情を起さしめ依て以て人心をして九天の上にあらしむるの神力を以てす、然れども哲学は人心上天及び其高尚なる感情とを合せずして夫の人生通則の活識を以て高尚なる感情を起さしむるものなりとす云々

 

 されば相離るゝと雖ども(もとも)其根蔕(そのこんたい)同ふ(おなぢふ)して、是を別種と為すを得ざるなり。又詩を以て哲学の附属物と為すを得ざると同じく、哲学を以て詩の附属物と為すを得ず。又詩想を以て人間の唯一思想と為す(あた)はざると共に、哲学的思想を以て人間の唯一思想と為す能はず。又詩を以て人間の最大嗜好と目すべからざる如く、哲学を以て人間の最大嗜好と目すべからざるなり。是二者相待て進み以て宇宙の秘密藏を開き人生に最大福利を恵むを得む、則ち是二者を合して是を「文学」と云ふ。

 されば文学の範囲は最も広くしてカントの純理論ヘーゲルの「ロジツク」或は沙翁の戯曲カアライルの論文皆是を以て文学世界の生産物と為すを得む。

 

 古人の文学解

 兎に角学術の範囲狭かりし時代殊に理学の発達せざりし時代に有つては文学の意義暗朦たるは怪むに足らでポスネツトの記せし処に従えばタシタスは literatura Groeca なる句を希臘文字の形を現はさんが為めに用ひ、クインテイリアンは同じ literatura を文法の義に考へ、シセロは学問の総名に解きしと云へり。全盛を極めし羅馬の時代猶ほ且然り、支那日本に於て確然たる意義を與へざりしも勿論ならむ。

 

 文と道

 然れども此二大分類詩と哲学との関係に到つては頗る摸糊たるも猶ほ曖昧に認識したるが如し。支那人が(しき)りに文と道の二者を説きしは素より疎枝に過ぎざるも又詩と哲学に於ける関係に近からむか。李漢は曰く文者貫道之器也ト。晦庵は曰く文者載道之器也ト。貫道と云ひ載道と云ふ素と殆んど同義なれば其是非は先づ論外に置きて以て学界に文と道との二者相随伴するを会得するを得べし。唯其判然たる限界に到つては誰人(だれひと)も是を説かず、又説くも其形に安んじて其質に及ばざりし也。

 ()や説き得たるものは曰く、道は形なくして文は(あと)ありト。是れ道と修道とを混ずるの言にして、()し説者にして然らずと云へば文もまた迹あらむや。独り文に於て迹ありとなして道の形なきを云ふは道と修道を混和して一と為すの誤想にして、果して然らむには文と道の二者を説くも詩と哲学に於けるとは同じからざるなり。

 社会の発達と文学思想

 社会は日に転化し其外相を(あらた)むると共に各般の文義も亦変遷するは実事にして、法三章を約せし時代の「法」とアオースチン或はブルンチュリイの「法」とは其義を(こと)にす、文学又斯くの如し。

 文字と文学と異なるは云ふまでもなし、然れども昔人(むかしびと)は是を同一にせり。書籍と文学と異なるは云ふまでもなし、(され)ども昔人は是を同一にせり。算数と文学と異なるは云までもなし、然れども昔人は是を同一にせり。政務と文学と異なるは云ふまでもなし、然れども昔人は是を同一にせり。単純なる思想をもて区画する事の(かた)きは当然なりと雖ども、今にして這般(しやはん)空漠に安んずるは進むに躊躇せざる人間の為さゞる所にして、萬人協力呉越相結んで暗雲を(ひら)き真理の光を認めざるべからず。知つて其一路に志す者あり、知らずして其一路に志す者あり。兎も角も人は進むの性を有す、縦令(たとへ)自然の法則より見れば退くにもせよ。

 かくて人の進化果して実事たらば、社会の発達と共に人類理想も亦長ずるは怪むに足らず。熟々(つらつら)考ふるに人類の進歩と一個人の進歩とは素と相像似(あひさうじ)して、胎を出で呱々(ここ)乳を求むるの孩児(がいじ)漸く長ずれば竹馬に跨つて石を飛すお山の大將となり、忽ちにして青年、忽ちにして壮年、外界に伴ふて終に(のり)を超へざるに達せむ。社会の壽幾何(いくばく)なるやを知らず、現在の社会は少年なるや又壮年なるやを知らず。兎に角に相類したるは歴史の證する所にして、猶ほ揺籃の中に在つて無想無念に暮せし上古の人間が其保姆たる萬物の為めに育成せられ、僅かに口碑(くひ)を信じて是に安心せしは云ふまでもなく、漸く文字を発明して、秘密を(つつ)み得ざる人間の性として木に刻み石に彫りし時に於て、()や文字の嗜味を感得せしならむが、(この)象形文字を楽みし上古の人間は、(いずくん)んぞ今日に於て其文字が「文学」なるものを組成する事を夢視せんや。野蛮人民は雉舌(ちぜつ)を弄して意味なき歌を唱へり、孟浪たる想像は荒唐不稽の怪譚を作りて堅く是を憑信(ひようしん)せり。然れども(いずくん)んぞ知らむ、此意味なき歌また荒唐不稽の怪譚が今日偉大の力を有する「ポーエトリイ」の(もと)ならむとは。

 漸く進むで、人自ら歌を作つて是を(しる)し物語を編むで是を残すの時に到れば、人の思想は自ら一個の見地を作りて、勿論朦朧たるも「文」なる文字に()や深き意義を與ふるを承認せり。(ここ)に於て曰く「文はアヤなり」ト、「人の心をたねとして萬づの言の葉とぞなれりける」ト。

 怪しむに足らず、むかしより「文学」の意義大に明亮を缺けるのみか、次第に其変移せるが如きも、思想漸次に高まりて何事にも及ぼすと共に「文学」の意義も益々深くなれり。むかしは文学とは文書き習ふ(すべ)なりと云ふに安んじたれども是れ最高思想を保有する開明人種の満足する処ならむや。

 歴史の伝ふる処に依れば、其初めは唯謡ふのみにして説きしものあらず。空想は宗教を作り、占巫(せんふ)を考へ、漸く哲学の範囲に侵入せしが如けれど、是を各国文化の淵源に遡るも詩は常に其先鋒となりて、哲学は然る後に生じ、其初は詩と哲学との区別最も判別しがたく、詩にして哲理を説きしものゝ如きあり、哲理を説きしものにして詩に類せるあり。其間分釐(ふんり)の差は次第に遠ざかりしのみならず、加ふるに実験的研究は益々行はれ、今日に在つては殆んど千里懸絶の感あれども、素と是れ同系に属して両支と為りしもの、愈々(いよいよ)隔離して愈々密接の関係を生ずるは免かるべからざるなり。

 思ふに宗教が人生の秘密なりと云ふは、此想像世界の無際涯なる殆んど想像し得ざるほどにして、限りある乾坤に棲息して限りある年壽を受くるの人間が、如何にしても数学的研究を容るゝ能はざる余地を存するが為めにあらざるか。文学が永く光を垂れて炳然(へいぜん)たるも亦此故にして、世益々開け、次第に宇宙の妙機を識得すると共に愈々想像世界の漠々たるを発見し、勇闘奮戦(この)闇冥(ダークネス)を破らんとするは則ち文学者の任にして、斯くてこそ()にやカアライルが云へりし如く、凡そ名づくべきほどの智は皆文字に(あつ)まりて、洪朦たる一大塊を作り、惣ての心も惣ての智も悉く此中に溶化して、無始無終の自然界にいや高く飛翔するを得べし。而して此磅磚(ほうせん)たる不可識界(アンツーエーブルウオールド)は即ち詩人及び哲学者が逍遙する天地にして、虚空に沖騰し星斗を弄するの意気を以て人生を研究し、(もし)くは湛然廓落として、一片長空の如き霊心を以て社会を観察し、進んでは現前せる濁浪洶湧(だくろうきょうゆう)を鎮め、以て人類を彼岸に導くの渡し守たるべく、退いては一向専念に萬考を錬つて、以て造化の秘を奪ひ、宇宙の幽を(ひら)くの道士たるべし。(ここ)に於てか文学者は無究に存じて日月と共に光明眩耀永く人類の師表たるを得む。

 

 文学の定義及び解釈

 文学の定義未だ確然たるものなければ、今軽々しく是を與ふるは(すこぶ)る非なれども、仮りに余が信ずる処を以てすれば──文学とは人生に属する諸現象の研究なり。

 もと「文学」なる詞は科語にあらずして普通語なるをもて一定の意義を()たず、時代或は人に依つて其解を異にせるは、前既に繰返せし如くむかしは大に広汎に過ぎて、(いやし)くも文字を陳ねしもの皆是を総称して文学と云ひ、今は()や狭褊に失して殆んど詩と文学を同視するに到る。勿論純正文学の詩たるは何人も()ふ処なれども、直ちに文学と詩を混同して一と為すは断見の(きらひ)なきを得ず。既に文学なる名目存ずる以上は能く研究して其質を(つまび)らかにせざるべからず。而して詩と文学を異名同物と為す如きは寧ろ文学の解釈を與へざるに同じ。

 トーマス、アーノルド曰く「文学とは特殊の派を為したる人にのみ訴ふるにあらで、惣ての人に興ある題目を取り、唯事物の符号としてのみに言語を用ひず、思想の運搬器兼表章として言語を用ひ、以て全般の人智と普通の人情に訴ふるもの是れなり」ト。是れ未だ文学の性質を説尽せしものにあらざるも、又尋常文字と技藝的文学を区別するに足るべし。要するに如何なる文字も皆多少の意を含むと雖ども、其以外に或る想観(コンセプシヨン)を読者に與へ、読了りて後猶ほ想像の一郷に彷徨せしむるものにあらずんば文学と云ふを得ざるなり。斯くして尋常文字を羅列せし統計表或は法律文が文学の範囲に入るべくもあらぬは判然たらむ。然れども此解釈に適応するは最も詩に近き文学にして、勿論文学の一部を解きしに過ぎざるなり。

 今世人が文学と(なづ)くる区域を見るに歴史伝紀の如き、評論(エツセイ)或は批評(クリチシズム)の如きも各々一部の要地を占むるに似たり。然るに詩を以て唯一の文学と為せば、是等は文学域外に()はざるべからず。従来の歴史若くは伝記なるもの、多くは事及び人を主としてたゞ記述せしに止まるを以て、分明に詩の範囲内にありと雖ども、思ふに記述躰既に廃れて、事及び人を題目に取り分析的批判を試みんとするの機運漸く迫れるなれば、従来の叙事詩(エピツク)に類せるは兎に角、(まさ)に来らんとするの歴史及び伝記は()に詩の隷属ならんや。又評論(エツセイ)及び批評(クリチシズム)に到つては英国の如きは分析的研究の進歩せざりしを以てデクヰンシー、カーライル等皆頗る詩人の観あれども評論(エツセイ)或は批評(クリチシズム)質焉(いづくん)んぞ詩に同じと云ふを得んや、

 蓋し事を説くに当つて唯既往の現象のみを見て將来に及ばざるは未だ説き得たるものにあらず、既往は()くの如くありたりきと云ふも、進歩せざりし時と進歩せる(あかつき)とは物皆同じからねば、縦令(たとへ)今日の歴史、評論、批評等は詩の範囲内にありと雖ども、(にわ)かに其本質を以て詩に同じと云ふを得んや。

 既に「文学」なる名目あり、而して是に属するもの或は詩と云ひ、評論と云ひ、皆同域内に存するなれば、「文学」の定義は(すべか)らく各目の意を包含せざるべからず。若し一方に偏してアーノルドの如く又ポスネツトの如く()かんには、縦令(たとへ)彼等は文学を釈きしといふも、畢竟文学を没了して詩を説きしものなりと云はむ。

 今や哲学の現象を見るに実験学派(ポジテイヴヰズム)は次第に侵入して、理想界の研究よりは(むし)ろ実際社会の観察に忙がはしく、人生及び社会の運命は彼等が獅子眼を怒らして攻窮するの問題となりしと共に、詩界に於ても叙情詩(リリツク)は漸く凋落して主観の情を重んずるドラマの気運来れるなれば、其題目は(いづ)れに在つても人生問題外ならざるなり。

 是を人間の生涯に於て見るも、幼童未だ事を解せずして、我が心のまゝに東西奔馳、唯私慾を充たすの外に余念なく、五月人形前に菖蒲刀(しやうぶがたな)を奮ひて義経弁慶に擬し、竹馬に跨がりてお山の大將を任ずる時代過去れば、思想少しく複雑して客気盛んに()え立ち、我が欲する処何事か成らざるなしと謬信し、日月を呑吐するの勢を以て弾指冨士山巓を震動せしめ、一吹太平洋上に大波濤を起さしめん事を願ひ、偏更(ひたすら)に我が兇暴なる妄想を満足せしむるに熱狂せる青年時代と為り、又進んで実際社会の痛苦に触れ、外界の悲酸に伴つて推移するや、初めて我が妄想の全く妄想たるを知り信仰の往々撞着するを悟り、少壮の客気消散すると共に、昏朦たる人生の行路に迷ひ、有漏無漏(うろむろ)に彷徨して(つひ)に一覚悟を生じ、不動の信念を堅むるに到らむ。

 是を以て仮りに此社会に像似すれば、今や空漠たる希望を講究し或は記述せし青年時代は去りて、実際社会と相随伴して毫も背反せざる覚悟及び信念を表白するの時代正に来らんとするが如し。此故に余は考ふ──

 文学とは人生に属する諸現象の研究なり。

 要するに哲学は考察を重んじて分析的に是を研究し、詩は想像を崇びて会意的に研究せし(はて)を形像の上に表現せしものなり。換言すれば哲学は現象の推理を為して識得せしめ、詩は現象の描画を為して感得せしむ。其為す処同じからずと雖も二者の逍遙する世界及び目的は同一にして之を総称して文学と云ふ。

 (ここ)に余は先づ詩を論ぜんとす。

 

 附記

 長谷川辰之助氏が訳せられし魯國パアブロフの「學術と美術との関係」中の一節に云く、 

 凡そ学術は物を変じて意思と為し美術は意志を変じて物と為す、学術は実在の物を変じて虚霊の物となし美術は虚霊の物を変じて実在の物と為す、智識は学術を物象より抽出すれども美術に至りては自ら之を産む、学術に在りては種々の物象智識に集まり美術に在りては智識種々の物象に変ず、学術に在りては物智識に反映し美術に在りては智識物に反映す、学術に在りては形而下の物変じて形而上の物と為り美術に在りては形而上の物変じて形而下の物と為る、是れ之を美術と学術との差別とは謂ふなり。 

 是れ能く詩と哲学の別を説き得しものなりと云はむ(國民之友第十九號)。

 又記す。マツシユー、アーノルドは曰く詩は社会を批評するものなりト。アオスチンは難じて曰く詩は社会を批評する者にあらで表現するものなりト。アオスチンの説()や正鵠を得たるものにしてアーノルドが社会を批評するなりと云ひしは詩よりは寧ろ哲学の(いひ)なりと云ふべし(アーノルドの The Study of Poetry 参観)。

 

第二 (ポーエトリイ)

 

 ポーエトリイの義

 純文学即ち「詩」是を英語に「ポーエトリイ」と云ふ。其範囲頗る広くして漢詩、和歌は素とより宣命、祝詞、狂言、謡曲、浄瑠璃、台帳、小説野乗、(すべ)て是を「ポーエトリイ」界の産出物と為す。

        ──以下・割愛──

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/09/05

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内田 魯庵

ウチダ ロアン
うちだ ろあん 批評家 1868・4・5(新5・26)~1929・6・29 江戸下谷に生まれる。明治20年代に石橋忍月とならんで「評論時代」を形成、その批評は自由かつ柔軟、博識かつ社会的識見に富んだ。

掲載の『文學一斑』は1892(明治25)年3月博文館に拠った処女出版で、満24歳、しかもひろく永く時代を感化した「文學」概論である。此処には注目に値する「総論」を掲載。

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