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嶺雲揺曳(抄)

  人才の壅塞

 

 徳川幕府封建の制度は門閥の弊を養成して、上下人為の分厳に、格卑きものは才あるも用ゐられず、格貴きものは才なきも要路を占むるを得、登門杜絶、人才壅塞(ようそく)せらるゝもの三百年。而して其の弊の極まるや発して維新の革命となる。維新の革命は()に多く()の士以下下層の不平の輩によりてなされたり。彼等利器を(いだ)いて草廬に()り、(れき)に伏して驥足(きそく)を伸ばす(あた)はざるの徒、鬱勃満腔の不平、外舶突として来り幕府の紀綱弛廃の(あと)(あらは)れたるに乗じて、(はし)りて尊王攘夷の説となり、(つひ)に倒幕復古の大業を成しぬ。幕府覆亡の原因もとより諸多と(いへど)も、人才の壅塞亦其一大原因たらずんばあらず。

 幕府倒れ、王政建つ。維新の革命なつて封建門閥の制打破せられ、世襲の風廃せられ、材によつて人を用ひ、人材登用の途開け英俊競ひ進む、明治初政の彬々(ひんぴん)たる人材を以て満たされたる実に所以(ゆゑ)あり()

 維新革命来、(ここ)に三十年、世はまた人材の壅塞を見んとす。尊卑の門閥は既に維新の革命に破れたりと(いへ)ども、今日また旧新を別つの一新門閥をみる。旧進の者前に塞がって、新進のもの進む能はず。進む能はざるの新進は益々多ふして、前に塞がるの旧進は動かざること依然。於是乎(ここにおいてか)、新進の進む能はざるものは、相胥(あひともなひ)て失意の壑中(がくちゆう)に陥らんとす。新進にして稀れに進むを得るものあらしむるも、これ皆便侫利口(べんねいりこう)の徒のみ、狷介圭角(けんかいけいかく)の人の如き、(たま)を抱いて空しく不遇に哭するあるのみ。(けだ)し今の世は巧利の世なり、器械的の世なり、唯物の世なり。今の世の風は大才を容るゝ能はず、今の世は則ち俗物の世なり、俗才子の世なり。旧進既に途を(ふさ)ぐ、新進にして稀れに進むものあるも、円滑軽薄の俗才子、小利口に非ざれば則ち得ず。翩々(へんぺん)たる俗才子を除いては、大才と雖ども(つひ)に其才を奮ふに所なし、大才は時に媚び世に(へつら)ふものに非ず、刀筆(たうひつ)の吏たるは小才の事のみ。今の世終に大才を容るゝ地なし。

 小才はよく鼠を捕ふるの貍児(りじ)たるのみ。大才は深山に(いば)ゆるの虎の如き()、一声よく百獣を懾伏(せふふく)す。今の世貍児の能にして馴らし易きを知つて、虎の威にして致し難きを()く。小能を見、小技にとる、所謂(いはゆる)巧利の世なるもの(かく)の如きのみ。

 猫をして怒らしむるも牙を(あら)はし(ひげ)()つるのみ。虎を野に放つは天下の至険なり。有為(いうゐ)の大才を抱いて轗軻(かんか)に沈倫する、これ虎の野にあるなり、畏るべきものは失意の大才なり。彼等意を当世に失ひ、望を当世に絶つ。絶望は人を暴にするなり、自ら其才あるを知り、而して自ら其才あつて而して用ゐられざる所以(ゆゑん)を知り、而して自ら望の今に()く可らざるを知るに至らば、彼等(むし)ろ何事をか為さざらんや。愚者の暴は憤を酒色に遣りて則ちやまんのみ、才あるもの憤りを洩さんとす、非常の事と雖もまた為さざるを保する能はず。

 維新の革命は実に幾多不平の徒の手によつて成されぬ、家もなく位もなく而かも才ある幾多浪士の経営に成りぬ、今日の弊にして極まらば、今の天下失意の才()にまた往日の歴史を再びせざらんや。物平を得ざれば則ち激す、革命なるものは、不平の内に激して之を外に発するの噴孔なり。維新の革命は幕末失意の士の不平の迸発のみ。革命の猛焔は一度積弊を()き尽して、暫く人材の鈞衡(きんかう)を得たり、積弊再びす、今日の弊何を以てか之を(すく)はん、嗚呼(あゝ)何を以て()之を拯はん。

 沈滞は腐敗を生ず、波瀾は活動を与ふ。嗚呼今の世、人才壅塞するものは、社会に活動なければなり。内閣は依然たる元勲の内閣なり、改進党は依然として大隈(おほくま)を戴けるなり、自由党は依然として板垣を戴けるなり、硯友社は依然として紅葉を領袖とするなり。今の時一大旋風を吹起し、一大波瀾を捲起し、今の社会を一大震蕩せずんば、天下は遂に失意不平の徒を以て満たされん。旋風よ来れ、波瀾よ来れ。汝とともにあらゆる腐敗を吹き去れ、汝とともにあらゆる沈滞を捲き去れ。

 三十年の泰平は姑息の風を養ひなし、苟且(こうしよ)の俗を養ひなせり。人に口あつて手なく、弁あつて勇なく、粧飾あつて赤心なし。失意不平の徒と雖ども、また往日幕末浪士の熱誠と熱意とある(すこ)ぶる疑ふべし。僅に五斗米を得れば則ち腰を屈するを耻ぢず、(くら)はすに利を以てすれば払髯(ふつぜん)()ぢず。昨日朝を攻めしの筆を以て今日は野を撃ち、吏を罵りしの口を以て今日は上官に媚ぶ。天下不平の徒また小不平あるのみ、食を得ざるに不平し、職を得ざるに不平し、官を得ざるに不平し、顧を得ざるに不平す。其不平や小なり、故に反覆表裏を常にせず、(かく)の如きの徒不平ありと雖ども、失意たりと雖ども、以て真に事をなすに足らざるなり。幕末の士は、死を決して天下後世の為めに、門閥の積弊を破らんとせり、一身の栄達は寧ろ彼等が企図せし所に非ず、彼等其一身を犠牲として一大目的に殉ぜしのみ。今の所謂失意不平の徒亦よく此大決心を有し、大勇気を有するや否や。既に一身の為に不平す、何ぞ一身を捨つるの勇あらんや。

 嗚呼(ああ)天下後昆のために身を挺し、命を捨てゝ、今日の積弊を一洗せんとするものは誰れかある、嗚呼今の世に旋風を吹起し、波瀾を捲起(けんき)するもの天下(つひ)に人なき()。而かも今の世旋風なかるべからず、波瀾なかるべからず。嗚呼々々誰れにか待たん、誰れにか待たん、(ああ)

 

  詩人と人道

 

 人道とは何ぞ、相憐(あひあはれむ)(いひ)のみ、相憐とは何ぞ、同情の謂のみ。詩人は最も同情に富む者と称す、詩人人道に冷かなるものなりといふは、吾人の信ずる能はざる所、詩人に果して人道に冷かなるものあらむ()、吾人は之を許して真詩人と称する能はざるなり。彼等にして人類に相憐を表する能はずといふ、吾人はその真に山川花鳥に同情するを信ずる能はず、既に同胞の為めに泣く能はず、彼等にしてよく真に恋愛の為めに泣くといふを信ずる能はず。彼等にして真によく恋愛に泣き、花鳥風月に同情せば、何を以てか人類に同情し同胞の為めに泣く能はざらんや、詩人にして人道に冷かなる、吾人之を称して真の詩人に非ずといふも何の不可かこれ有らむや。

 今の小説家は最もよく人間の暗黒面を描くを以て誇るものなり、而かもその一人、果してよく社会下層細民の為めに泣き、其悲惨の境遇を描出して、之を天下に愬へたるものある()。彼等の奇僻の人間を描くやよし、不具の人間を写すやよし、然れども飢に叫び寒に泣く、悲惨の境遇は彼等の題目たる能はざるべき歟。恋愛をうつすもよし、失恋を写すもよし、然れども絶望して溝壑(こうがく)に転ずるもの、果して更に悲惨の運命を有するに非ざるべき歟。嗚呼(ああ)吾人之を知れり、今の所謂(いはゆる)詩人文士と称するものゝ輩は、一時の流行を追ふて其流行の(おもむ)く所に従て其筆を動かすのみ。彼等内に一点の真温情あり、一毫の真同情ありて、鬱勃たる満腔の感慨抑えんと欲して抑ゆる能はずして始めて、之を筆に下したるものに非ず、彼等のよく失恋に泣き、無能に同情を表するが如くなるも、而かも一点人道に敦きを認め得ざるは(ただ)にこれが為めのみ。

 嗚呼人生の悲惨、()の下流細民の生涯より甚だしきものある歟、失恋なるものもとより悲惨なり、而れども彼等は唯精神的に絶望の谷に陥れるのみ、未だ貧窟裡の民が精神的肉体的に絶望の暗黒に陥れるか如くならず。彼の不具なるものの生涯亦もとより悲惨なり、而れども猶肉体的に然るのみ、未だ貧窟民の如く然るにあらず。それ活きんとするは人の皆之を欲する所、而かも彼等は時に自ら死するものすらあるなり、何ぞや、彼等は絶望の極に陥れる者なり。彼等は生きて生を繋ぐの糧に乏しく、而して既に生を繋ぐの糧に乏し、口腹のもとめこれ急、何ぞ(いは)んや声色の慾を充すを得んや、彼等はあらゆる快楽なるものを其一身より(うば)はれたるなり、あらゆる幸福なるものを其一生より奪はれたるなり、希望あれども必ず達するを得ず、需求あれども必ず給するを得ず、それ人希望あるが故に立つ、快楽あるが故に生く、既に希望の達すべきなく、快楽のもとむべきなし、彼等また何のために生くるを欲せんや、何のために世にあるを望まんや、彼等生きて何の用ぞ、生くると雖ども既に死す、(むし)ろ死して早く身神の寂滅につきて知る(なか)らんには()かず、彼等何ぞ生を(かろん)ぜんや、死の更に楽しきを知ればなり、嗚呼人生病に死するものもとより多し、然れども貧のために縊死(いし)し投水するものまた決して少々に非ず。彼等の運命が斯くの如く悲惨なり、悲惨なる(かく)の如くにして之が為めに泣き之が爲めに同情するもの少きは何ぞ、吾人敢て之を天下に責めず、彼の同情に富まざる可らざる詩人文士にして猶今日の如きを見ずや。

 然れども貧民が天下多数の同情をひかざる(そもそ)もまた其所以(ゆゑん)なくむばあらず、(けだ)し彼等を以て懶惰(らんだ)のために此域に陥れるものとし、而してまた彼等を以て罪悪の府となせばなり。而れども知らずや、彼等が罪悪を犯すに至るものは寧ろ其貧に因して然るものなり、而してまた彼等か此境遇に陥れるものは、其社会の潮流に乗ずる能はざりしによるなり。吾人は必ずしも悉く然りとはいはず、而れども其多数は必ず自業の致す所に非ずして境遇のためにこれに陥り、而して自ら好むでなすに非ざるも、必至に迫られて罪悪を犯すものなり。社会の潮流に乗ずる能はざるもの(もと)より自らに不能なりとはいはず、然れども社会の順風に駕するもの多くこれ僥倖児のみ、然らずんば玕犴便佞(かんかんべんねい)の徒のみ、而して誠実真摯(しんし)のもの世と共に醒酔(せいすい)する能はずして却て逆流に落つ、假令(たとひ)然らずといへどもまた世波の激動に堪ゆる能はざる弱者のみ、薄運者に非らざれば則ち弱者、弱者は憐むべし、(にく)むべきに非ず、(いはん)や彼等絶望に落ち飢寒に迫らる、彼等が生を好むの情、自ら殺すを能くするも猶飢寒に死する能はず、死せんよりは(むし)ろ罪悪を犯さん、清廉高潔の士に非らざるよりは、誰か飢死に瀕して猶凛然として其名を(いさぎよ)くし其節を守るを能くせんや。彼等に食を奪ふて猶彼等に責むるに仁義を以てするは()に彼等のよくする所ならんや。嗚呼衣食(たつ)て後礼節を教ゆべきのみ、貧者の罪を犯すや、其責其人にあらずして其貧にあり、彼等をして此罪悪を犯さゞる能はざらしむるの運命、寧ろ憐むべくして(にく)むべきものあるを見ず。嗚呼滔々たる天下、今日白昼に相欺(あひあざ)むき、稠人(ちうじん)の間に相詐(いつ)はり靦然(てんぜん)、唯だその巧みに法網を潜るが故に、紳士と称せられ、紳商と称せらるゝのみ、何ぞひとりかの貧者に責めんや、貧者に責めんや。嗚呼貴紳の食前に供せらるゝ葡萄の美酒には僅に幾分の関税を課せられたるのみ、而して貧民は一日の罷労(ひらう)をいやすべき一杯の濁醪(だくらう)に高価の税を払ふなり。マニラ、ハヴァナの葉煙草は一厘の印税をも課せられざれとも、貧者の骨休め一服刻煙草(きざみたばこ)には彼等は幾何(いくばく)の重税を払ふなり。十九世紀は階級を打破したりといふ、而かも富貧の懸絶を以て人爵の差等に代へたるを知らずや。貴の賎を圧すると、富の貧を圧すると、実際に於て何等の相違あるべき()。代議の政躰()かれたりといふ(なか)れ、所謂代議士なるものは中等以上の富者の代表者たるのみ、彼等は自己の選挙者に便にせんことをこれ知るのみ。彼等は貧者の為めに代りて愬ふるあるなきなり。貧者は仮令(たとへ)不平あるも、不満あるも、其枉屈(わうくつ)以て伸ぶる所あるなし。天に泣くも天冷々、地に泣くも地冷々、法は彼等の為めに庇護せず、行政の者は彼等を度外に()く、彼等は恨を呑んで黙せざる(べか)らず。嗚呼誰れか此等の慰者となり、庇護者となり、之に代て天下に愬へ、之に代て懐抱を伸ぶべきものぞ。

 宗教者あり、彼等は此大任を尽くすべきの職責あり、而るも彼等の慈善を名とするも実は己れの宗教に利せんとする私心の其の間に介せるを免れず。彼れ等の多くは偽善者なり、其の名を美にして其の行を匿にす、彼等には以て此れ等の貧者を托すべきに非ず、未来の福田(ふくでん)を説て貧者の財嚢を絞るが如きは更に酷し、断じて貧者の味方に非ず。

 庶幾(ねがは)くは唯詩人文士あるのみ、もし真に意を此に注がば憐むべきもの、悲むべきもの、泣くべきもの、憤るべきもの、慨すべきもの、皆是れのみ。貧民の為めに代りて其枉屈(わうくつ)を愬へ、更に其悲惨の境遇を描きて天下に示す、血あり涙ある詩人文士、(ねがは)くは起てこれに従へよ。而れども銭の為めに文を売り、銭の為めに書肆に叩頭(こうとう)するもののよくする所にあらず、一身を以て人道の為めに殉じ、毀誉禍福を以て度外に()くの熱誠あるを要す。起て貧者の昧方となれ、起て貧者の味方となれ、花鳥と恋愛とのみ必ずしも汝等が好題目に非ず。社会の最大数を占むる貧者の味方となつて天下に絶叫するまた人間の一大快事に非ずや。

 嗚呼我に一万金あらしめよ、我は先づ東京中に於けるあらゆる貧者乞食(こつじき)の徒、襤褸蓬髪(らんるはうはつ)の者を率ゐて、一夜()の所謂紳士と称するものゝ宴遊の場たるあらゆる紅楼翠閣に上り、彼等をして牛飲飽食せしめ、これが興を助くるに彼の紳士貴顕と称する人々の宴に侍して、嬌語喃笑するあらゆる絃妓なる者を喚来(よびきた)つて絃歌舞踏せしめん哉。

 

  境遇と霊性

 

 言ふ(なか)(ならひ)、性となると。言ふ莫れ境遇、人を造ると。境遇もとより人を造るあらん、習もとより性となることあらむ。然れども人はまた其自己を有す、其自己の霊性を有す。這個(ひとり)の自己や、霊性や、之を熱して鎔けず、之を()して磨せず、之を(つい)して砕けず、習や境遇や、よく人を変ふることはあらむ、而かも此霊性、此自己をも併せ()ふること能はざるなり、故に人に二面あり、習によりてなれる性あり、而してまた生得(しやうとく)の霊性あり、境遇によりて造られたる自己あり、而してまた本来の自己あり。然れども此本来の自己や生得の霊性や、常に境遇の我や習性やに蔽はれて深く隠る、隠約として認め(やす)からざるなり。境遇の我や、習性や、日常挙手投足の上に顕はれて吾人の不断に目賭(もくと)する所。たゞ吾人の目賭する所たり、故に此境遇の自己や、習性やを捉へて、直ちに之を以て其人の真実とし、其人の本来とす。殊に知らず、其真実や其本来やは却て其見難く知り難きの辺にありて存するを。而かも其真実や其本来やの顕はるゝ猶闇夜の(いなづま)の如く然り、時に黒雲を擘破して一閃す、認めんとすれば既に隠る、故に甚だ捉へ難きなり。捉へ難しと雖どもこれや却て人の真実なり、本来なり。故に真によく人を観て透徹ならむを要せば、其皮相の習性や、境遇の我やをみると共に、更にまた其内奥の自己、生得の霊性を看ざる可らず。然れどもこれをなすこと別に一隻眼を有するものにして、始めて得べきのみ。之をなし得て乃ち人をみる。悪者必ずしも悪ならず、蟾蜍(せんよ)(かしら)玉を蔵す、醜厲(しうれい)恢恑(くわいき)のうち、未だ必ずしも玲瓏無塵の美徳を認め得ずむばあらず。既に之を認め得、於是乎悪者必ずしも悪むべきを覚えず、否寧ろその此の如きの霊性、此の如きの本質ありて、而して境遇の為めに(くら)まされ、習性の為めに(くら)まされ、不知不識醜厲(しうれい)恢恑の闇中に堕落し去りたるを憐まずむばあらざるなり。之を心の上よりして同情といひ、行の上よりして寛恕といふ。此寛恕、此同情、人之を欠く可からず。而して殊に小説作家を然りとす。夫れ社会の法律なるものは行の(あと)を罰するなり、社会の制裁なるものは行の(すゑ)を咎むるものなり。法律や、制裁やの外に立ちて独り能く所謂悪者なるものに美徳を認めてこれがために一滴の涙をそゝぐもの文士を(おい)てそれ誰かあるや。法律が之を罪として牢獄に投じ、社会が之を罪として(よは)ひするを恥づる間に在て、独り彼等が弁護者となり、彼等が慰藉者となるべきもの、文士を措てそれ誰れかあるや。故に小説作家の人を描くや、表よりして之を写して足らず、更に裏よりせざる可らず。外よりして足らず、更に内よりせざる可らず。正よりして足らず、更に側よりせざる可らず。徒らに行の末、行の迹を写して、以て其の人を描き得たりといふも、猶これ其半面を描きたるなり。それ良工の人を画くや、眉目服飾の外に於て、よく其人の気象をして紙幅上に活躍せしむ。良作家また然らざる可らず、(おもんみる)に人間半面の境遇の自己と、習性とを写して足らず、更に其眼光内奥の霊性、本来の自己とに徹して人間そのものの全真実を描きて、之を文学の外に躍らしめざる可らず。()のユーゴーが描き来る諸性格を見ずや、彼は確かに此裡(しり)の消息を解せるものなり。よく冷酷氷の如きの人に一点の温かき愛を捕へ、匪徳匿行のものに一点の義気を捉へ得たるに非ずや。吾人がユーゴーに服するは常に此点にある而已(のみ)。吾人は頃日一葉女史が近作「にごりえ」を読みて、女史がかの醜悪卑陋の売春女の心事を描きて、而してこれに満腹の同情をそゝぎたるに服す。

 

  操觚界の地理的分色

 

 地、南北を分てば風気同じからず。風気同じからざれば、気質従て相異す。気質相異あれば、文章調を別にせざるを得ず。支那に就て之をみるも、春秋戦国の時、其文学、既に鄒魯(すうろ)荊楚(けいそ)とを以て其致(そのち)を同じうせず。六朝(りくてう)以来は則ち経義(けいぎ)文章より、書画の末技に至るまで、画然として南北を別つ、唐の一統と共に、一たび額術上の調和を試みしも、猶他に従うて風を殊にすること依然。これ亦已むを得ざるのみ。(ただ)に支那に於て然るのみならず、欧洲に於て之を見るも亦南欧の文学と北欧の文学と其趣致の混同する可らざるものあるを見るに非ずや。之を要するに南方は多く風土温和、山水秀麗、北方は則ち風物粛殺、故に北方は其人心沈重に、南方は軽快。軽快故に浮薄に流れ易く、沈重故に迂遠に失し易し。北方は経を守て権を知らず、南方は変に処して正より逸す。南方は変通多く、北方は守株となる、故に北方は保守に傾むき、南方は進取に(はし)る、南方は化せられ易く、北方は()ゆるなし。南方は寧ろ利に敏に、北方は義を(おもん)ず。北方は守成に適し、南方は創業に適す。孔子既に南方之強、北方之強をいふ。北方の強は則ち剛毅持重にあり、南方の強は則ち疾風迅雷の如し。南方は情に富み、北方は意に強し。唾せられて他面をこれに向くる者は北方の人なり、勃然として色を()すは南方の人なり。南方は華を喜び、北方を実は(たつと)ぶ。北方は樸、南方は文。一擲千金、豪奢を競ふて意を一時に快にするは南方の華なり、文なり。美田を買ひ、書を蔵して、子孫の計をなすは北方の実なり、樸なり。南北の風気それ相反すること(かく)の如し。文章また然らざらんや。閑雅雅馴(がじゆん)なるは南方なり、峭抜崢(えい)なるは北方なり。北方は法度森厳、南方は詭奇変幻。南方は流麗、北方は簡勁。これ実に免る可からざるの数歟(すうか)。今これを吾邦今日の操觚界(さうこかい)に見る、雑誌に於て、新聞に於て、其特色の南北各一方を代表せる者あるを認む。雑誌に於て「國民の友」と「日本人」と。新聞に於て「國民」と「日本」と。此両々二者は、鮮明に吾操觚界の地理的分色を表示せるものたり。「日本」と「日本人」は北方の趣致を表し、「國民の友」と「國民」とは南方の好尚を示す。(けだ)し「國民の友」と「國民新聞」とを主幹せる徳冨蘇峰は熊本の人、而して「日本人」の三宅雪嶺は金沢の人、「日本」新聞の陸羯南は青森の人、而して両者其麾下幾多の俊髦(しゆんぼう)、悉く其主なるものと其色彩を(おなじ)ふせるもの()(しか)らずんば則ち其感化を被るを免るゝ能はず。於是乎(ここにおいてか)、両々画然として南北を分つ。其主義に、其趣味に、其体裁に、其文章に、各相反せるの特色を発揮せるを見る。「國民」と、「國民之友」は、其主義に於て進取たり、其傾向に於て西欧崇拝たり、其体裁は整然、其文章は直訳風たり。「日本」と「日本人」とは、其主義に於て、保守たり、其傾向に於て、国粋保存たり、其体裁は乱雑に、其文字は漢文調たり。前者は常に時に先んぜんとし、俗に容れられんとし、後者は時と(そむ)かんとし、俗に離れんとす。二者共に不偏不党の名の上に標置すと雖ども、前者は改進党に近く、後者は国民協会に近し。前者は(けん)巧の風あり、後者は悲歌の調を帯ぶ。後者には古武士の面影を認むべく、前者は当世才子の風采を想はしむ。後者の文章は直截森厳なれども精覈(せいかく)を欠き、前者は流麗通暢なれども冗漫に失す。各其尚ぶ所に偏して、其体(そのてい)をなす。民友社一輩の文は、渓流の谷間を流るゝが如し、(つぶ)さに曲折を極むれども雄大の趣に乏し。後者の文は、山峯屹立するに似たり、厳々たりと雖も紅紫の彩なし。前者は利を視るに敏なり、故に体裁の可成時好に投ぜんことを力め、後者は俗を顧みず、故に体裁の整雑を問はず。二者の趨向趣味の相反せる(かく)の如し。而して吾人は此を以て我国操觚界の好対となす。

 

  独造の見識と歴史的発達

 

 歴史的研究は、近時学風の長所にしてまた短所なり。吾人は敢て歴史的研究が学術研究の上に重要ならずとはいはず、然れども吾人は之をなすに於てその何が為になされざる可らざるかを顧みざる可らず。歴史的研究なるものは、其歴史的発達の(あと)を尋究して今日に於ける吾人の地歩を定むるにある而巳(のみ)。既に今日に於ける吾人の地歩を知り得、吾人は()さに其今日の地歩に於てなさざる可らざる所を尽くして、歴史的発達の連鎖の一環たるべき而已(のみ)。然るを単に歴史的研究なるものを以て、吾人思想発達の記述を諳んじて以て得たりとせば、これ歴史的研究の大弊なり。古人以外に自己を嶄出(さんしゆつ)する能はずむば、所謂発達なるもの(いづ)くにか存するや。歴史は連続なりと共にまた発達なりとせば、吾人は()の歴史的研究を唱へて独造の見地を()みするものの、歴史的研究そのものを目的として歴史的研究をなすものにして、()の自己の歴史的発達に関るべきものたるを忘れたるに非ざるかを疑ふ。今日の自己は之を前に()ぎて之を後に伝ふべきもの、然れども吾人は之に紹ぐと共に之を前に増して、之を後に増すものに(たす)けざる可らず。吾人は現在に於けるの我として先哲の思想を尋究すると共に、更に之を自己の思想中に露化渾融して、先哲の旧蹤以外に一歩を拡めざる可らず。而して夫の歴史的研究を唯一の方法として、独創を(なみ)するの論者は、之を倣すことの、単に歴史的の蹟を尋ねて即ち得べしとせるが如きも、然れども()し自己中に一個独創の見地既に定まるにあらずば、古今東西の思想を鎔化することだも亦能はざるを知らずや。自己なる活火あるが故に、其中に鎔融渾化する思想もあれ、独創なる模型あるが故に、其鎔融したる思想が新模型にも鋳成るゝなれ。我に独創の見地なくして、如何に東西古今の思想を尋究すればとて、そは唯火なきに鎔融せんとするもののみ、型なきに鋳んとするもののみ。炉辺徒(いたづら)に鉄屑銅片の*々(らいらい)(難漢字、「儡」の偏が金ヘン)として横はれるを見ん而已(のみ)。論者にして歴史的研究そのものが方法にしてまた目的たりといはば知らず、吾人は歴史的発達に一分の力を添ふべきものなりとせば、吾人は独創の見地を(なみ)すること論者の如くにして可なる()。彼等一輩の徒は私に今日を以て思想旱涸の時なりと信ずるものに似たり。果して然る()、果して然る乎、何ぞ彼等の怯懦(けふだ)なる何ぞ無気力なる、試みずして之を能はずといふ、嗚呼これ能はざるに非ず、為さざるものに非ずや。(かく)の如くにしてやまば読破万巻徒に衒識の用に(きよう)するに足るあるのみ、剪栽の労に(あま)むずるあるのみ。抑々(そもそも)吾人が古今の思想に千載の(もと)猶凛々たる生気ありといふ者は、我既に定見あり、我が心彼の心と会し、渙然(くわんぜん)として会釈する所あればなり。我に定見なし、昔人の心如何に凛然たりといふとも、何の所にか悟入あらむ、何の所にか会釈あらむ、(かく)の如くむば昔人の思想は死せんのみ。此の如くにして書を読まば、徒に文字の粃糠を読むのみ、言句の皮相を観るのみ、何の所にか所謂凛然の生気あらむや。且更に一歩を進めて之を論ぜん()、所謂歴史的発達なるものは、無意識の発達のみ、時勢は黙移す、哲人その時と勢とに化せらる、(もと)より其識る所にあらず。彼は黙移の時勢に暗応して其思想を出だす、その思想を出すや、彼に在ては則ち其独創たるのみ、唯後よりして之を観る、其時勢に暗応せるが故に、之を称して歴史的発達をなせりといふのみ。彼の心豈に始よりその我が為す所の所謂歴史的発達なるものたるを知らむや。彼は唯其自ら信じ自ら考ふる所をいひしのみ。嗚呼歴史的研究なくば歴史的発達なかるべき乎、独創なくば極力の研究も所謂発達の上に幾何(いくばく)の価値ある乎。嗚呼滔々たる今日の学風、歴史的研究を重むずるは可なり、而して之が為めに独創の立見を排するに至ては、学風の弊も極まれりといふべし。哲学史は哲学に非ざるべく、文学史は文学に非ざるべし、美術史を研究して画工たり、彫刻者たらんと欲するものあらば如何(いか)に。嗚呼彼の論者の如きものは本を忘れたるなり。独創は本なり、歴史的研究は末のみ。本を忘れて末に()す、吾人は学界の為めに長大息せざるを得ざるなり。

 

  写実と理想

 

 画者の虎を写生するものあり、一毛の微、一線の細、猶之を(いやし)くもせず、写し()へて其形(はなは)だ虎に肖たるなり、肖たることは則ち肖たり、而かも其虎(つひ)に死したる虎に過ぎざるのみ。或は之を危巌の下に居き、或は之に点ずるに半輪の寒月を以てし、其鬚を()たしめ、其眼を(いか)らしめ、其背毛を逆立(さかだて)せしめ、而る後虎に生気あり、画に活趣あり、猛虎一声月に()えて山震ひ樹撼(をのの)くの景、即ち躍々として画幀の外に動く。(かく)の如くにして初めて良工の苦心をみるべく、妙画の霊活をみるべきのみ。もしこれにして写実に止まり、写生にしてやましめば、其形似はあらむ。其酷肖はあらむ、而かも其形似其酷肖遂に猶写真に輸すべきのみ。画の写真の上高く一地歩を占むる所以(ゆゑん)の者は、其形似を描くと共に、其神(そのしん)を伝ふればなり。虎児の相好を写し其毛鬚を写し其斑文を写すと共に、猛獰なる虎の神を紙幅に活躍せしめざる可らず。之を活躍せしめんが為めには、唯真を写し生を写して足らず、之に配するに或は寒空半輪の月を以てし、或は寒巖疎竹を以てす。要は写真を其白描として、之に理想の生彩を加へざる可らず。写実は形を写す所以(ゆゑん)なり、理想は(しん)を伝ふる所以なり。実を写さずむば豚狗は以て猛虎たり難し、実を写して虎たりと雖も、神を伝へずむば其虎は則ち死虎のみ。(ただ)に画に於て然るのみならず、吾人は小説に於てまた其の然るをみる。写実もとより可なり、然れども写実にして小説の能事(をは)れりとせば則ち不可。作家は写実を材として理想の楼閣を築かざる可らず。写実をとり来て之を理想の猛火中に鎔化せざる可らず。理想は摸型なり、実際を鎔化して新たに鋳る。理想は建築者なり、実際を材として楼閣を造る。言ふ(なか)れ没理想と。没理想とは理想なきにあらざるなり、理想の最大なるなり、最大なり故にみる可らざるなり。理想は塩素なり、よく海に入るの汚穢(をわい)を純化す。理想は化金薬なり、一たびそそげば実際の鉄鉱悉く化して金となる。理想は明礬(みやうばん)なり、一たび投ずれば渣滓悉く沈んで実際の濁水を清徹ならしむ。世上のあらゆる実際は、作家の理想中に入りて初めて純化し美化す、純化し美化す、始めて之を其作に用ゆべし。所謂大作家とは大理想を有する者なり、実際の汚濁を純化し美化するの化力強きものなり。かの写実を以て小説の能事畢れりとするものゝ如きは、死虎を描くもののみ、()にいふに足らむや。

 

  名を為し易きの弊

 

 古人(かつ)て人間の三不幸を数へて、少年にして及第するを以て其一に入れたりき。少年にして名を為すは驕慢の心を長ぜしむる所以(ゆゑん)なり。驕慢の心既に生ず、進歩(ここ)に止まらむ。(けだ)し人自尊の心なきはあらず、既に自尊の心あり、而して他和して而して之を揚げばこれ其自尊の心を成さしむるなり。自尊の心既に成る、慢心従て生ず、慢心は安心を致し、安心は怠慢を誘ふ。古来より神童必ずしも大人(たいじん)たらざる所以のものは実に(ここ)に存す。天才と(いへど)(あく)まで之を鞭撻し、之を誘導し、激励せしめ、感奮せしめ、始めて天才の天才たる所以を成すべきのみ。今や世間、名を為し易きこと文士より甚だしきはなし、朝に一文を草すれば夕に所謂大家となる。世上の愚衆なるや真に実力を見る能はずして之を買被る。(かく)の如くにして文士の鼻忽ちに天に(あした)し、両肩揚々として風を切る。世上よりは珍重せられ、自らも得々す、嗚呼(ああ)文士の名を為し易きこと此の如し。是に於て()、世上幾多の青年、一攫功名(いつくわくこうみやう)を夢想しつゝ、筆を()りて無病呻吟、一篇の新体詩を作り出し、一篇の小説を編み来りて、会々(たまたま)文学雑誌の掲録を得るあり、乃公(だいこう)得意仮号に頭を悩まし、落款(らくくわん)に意匠を凝らし、天晴(あつぱれ)自称文学者となり澄し、此の如くにして幾多有望の青年は、自己の伎倆、自己の使命の(いづれ)の所に存するを忘れて、(いたづら)に文壇の虚名を攫まんとし、その器量以外に手を出したるが為め、失敗し失望したるもの果して幾何(いくばく)ぞ。嗚呼有望の青年をして、方途を誤らしむるものは文壇の名を為し易きの弊なり。而して今日文壇の名を為し易きは、猶今日我国文運の幼稚なるを証するものにして、読書界猶真に玉石を鑑識するの炬眼なき所以なり。玉石混淆故に庸劣のもの、猶真の天才者に伍して其地歩を保つを僥倖す。読書界既に低し、名を為し易し、庸劣のもの競ひ進んで、天才のものも亦其才を(みだりに)して安んじ易し。此の如くにして所謂大文学者なるもの(いづれ)の時にか出でんや。大文学者は出づるに時なくして、却て有為の青年を(かつ)て自己の伎倆、自己の器量とを忘れて、(いたづ)らに文壇の虚名に狂奔せしむ。()(むし)ろ国家の大患にあらざらむや。人各々其材を(こと)にす、其材の異なるに従て其業を異にすべし。而して少年自ら其材のある所を知らず、客気徒らに世の流行に伴ふて文壇に僥倖せんとし、幾多国家無用の廃材を造り出す。嗚呼今日文士名を為し易きの弊は、唯に人の子たるものを賊するのみならず、更にまた国家百年の大計に毒するものなり。今日の勢にして変ずるなくむば、或は有識者をして文学の害毒を説くに至らしめんもまた知る可からず。稠繆(ちうびう)今日にあり。嗚呼吾人は今日如何にして吾国読書界の鑑識を高うせむや。文士をして世に媚ぶるなく、世を従へしめよ、世に造らるるなく、世を造らしめよ。回顧すれば十五六年前、嘗て政界の名をなし易きが為めに、世上の青年をして政治に狂奔せしめ、而して其廃材今日の壮士なるものとなれり、文界廃材の前途果して何者とかならむ、前途を思へば関心に()へず。

 

  紛々たる所謂文学者を如何がすべき

 

 昔者(むかしは)紀の貫之歌の徳を称して、目に見えぬ鬼神をも(なか)せつべしといへり。文学なるものゝ徳、(けだ)()にして大なるものあらん。吾人は敢て文学者なるものの任の貴うして重きものたるを疑はず。然れどもこれ唯大詩人、大作家、大詞人に就て之をいふべきのみ。今日の紛々たる所謂文学者の如き、斗(そう)碌々の徒。彼等は紙を(はみ)て生を繋ぐ蠹魚(とぎよ)のみ。墨を(ふい)て身を保つ烏賊のみ。彼等は蝸牛の(よだれ)に似たる没意義の文字をつらねて、自ら得たりとなす。吾日本の穀潰(ごくつぶし)のみ。彼等の為す所、(ただ)に当世に益なきのみならんや、(むし)ろ害あるのみ。吾人は文学なるものが必ずしも実用的ならざるを知る。文学なるものゝ心霊の飢をいやす糧にして、形而下上に生産的ならざる、よく之を知る。然れども、今の所謂文学者の為す所は、唯に形而下上に不生産的なるのみならず。また心霊上にも何の(たまもの)をも頒たざるなり。彼等は唯文学なるものの、肉体的の劬労(くらう)なくして、且つ早く名をなし易きを見て、これに就きしのみ。彼等は文学を道楽とせんとする懶骨(らんこつ)のみ。彼等は文学なるものの、別に人間に対する一大使命あることを知らず。彼等は唯文学を(もてあそ)ばんとす。故に彼等()に其富と、名とを挙げて、詩神に殉ずるの大決心あらんや。彼等は唯一時の名を僥倖し、苟且(かりそめ)の安逸を(ぬす)まんと欲して、所謂文学者となれりしのみ。書を名山に蔵して千歳の知己を待つ、彼等豈に之を能くせんや。一瓢一箪の飲食に安んじて、身を文に(ゆだ)ぬる、彼等豈に之を能くせんや。彼等は一時の喝采に意を注ぐのみ、幾金の潤筆料に心を奪はるゝのみ。故に書肆(しよし)の鼻息を窺ひ、世好の趨向を知らんとするに急。彼等の為す所これのみ。故に彼等の心に操守なく、風潮を()うて走る。彼等は詩の為めに詩を作らず、書肆の為めに作り、世好の為めに作る。看よや昨年来悲惨小説、青楼小説の一時に行はるゝや、彼等は競うて之に()せて、一も二も皆(しひ)て其境を狭斜にかり、局を悲惨に結ばんとせり。立案の牽強、結構の不自然は寧ろ彼等の顧みる所にあらずして、唯世評に懸念し、名声に痛心するのみ。彼等は私の為めに文学者たるなり。詩を私にせんとするものなり。詩神を(ないがしろ)にせんとするものなり。(かく)の如きの所謂文学者なるものが、美に向つて何の貢献する所ぞ、詩神に向つて何の貢献する所ぞ。(かく)の如きの文学者は偽文学者なり、此の如きものの胸に生れたる文学は偽文学なり。然るに文学者を以て自ら居り、自ら高く世俗に標置せんとす。()しろ憫笑(びんせう)に堪へんや。天下何の世、何の時か文学を少くべけんや。然れども偽文学、偽文学者は寧ろ亡きの(まさ)れるに()かず。国家まさに多事、今日は元禄の当時を追うて、優遊緩舞すべきの日にあらず。王朝の古を慕うて、櫻かざして日を送るべきにもあらず。偽文学者よ、去れ。今の日本は汝の如き穀潰(ごくつぶし)譫言(うはごと)に耳をかすの(いとま)あるの時にあらず。汝の如き懶骨に玩ばるゝの閑日月あるの時にあらず。偽文学者よ、退け。偽文学者よ、地を払へよ。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/01/08

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田岡 嶺雲

タオカ レイウン
たおか れいうん 評論家 1870・11・28~1912・9・7 高知県高知市に生まれる。20歳で上京内村鑑三の「偽君子になるな」を生涯の教えとし、東京帝大在学中に我国に初めてハイネの詩を紹介。弱冠25歳1895(明治28)年頃から「日本人」「明治評論」「帝国文学」等に文閥打破の尖鋭な論説で気を吐き、批評眼確かに樋口一葉の「たけくらべ」「にごりえ」等をいち早く認めて世に知らしめたのも嶺雲であった。

掲載作は1899(明治32)年、それら論説をとり纏めた著名な評論集より抄出。教科書収賄事件を烈しく筆誅して官吏侮辱罪で下獄するなど、生涯波瀾に富んで気迫は世に轟いたと謂えよう。

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