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所謂戦争文学を排す

文芸の内容より趣味を奪ひ去らば、之れ文芸なきなり。文芸が吾人実際の生活に或実利を与ふる如き場合も、畢竟文芸に趣味あり、趣味に実益ありと云ふに帰す。然るに世間往々文芸と実益とを云々せむと欲し、文芸の目的本質を()げても、尚実益に資するあらしめむと望む者あり。かゝる人士の希望の如く、文芸の目的本質を枉げ尽さば、文芸の存在得て保つべからず、趣味の湧起得て期す可らず、従つて文芸の与ふる実益なるもの(むなし)からんとす。実益を求むるに急なる結果は、却りて得らるべき実益をも併せて失ふに至るに心付かず、豈賢と云ふべけむや。(ひと)り此論が賢ならざるのみならず、時に文芸発展の趨勢を(はゞ)むの結果を生ずる場合あり。謬論なりとて看過すべからざるなり。

今や我国、事を露国と構へ、海陸の将士は銃剣を執りて満韓の野に善闘し、一代の民心之に集注す。此時に当り、所謂文芸の士と称する者、筆を以つて殉難の誠を尽さむとす。其志や頗る可、しかも所謂文芸なる仮面の下に、俗悪なる述作を公にして、名づくるに戦争文学なるものを以つてするに至りては、吾人実に観て堪ふ可らざるものあるなり。夫れ文芸は名にして趣味は実なり趣味の実は『戦争』の語あるに於て何等の増減あるなく、文芸の名は『戦争』の文字に於て何等の影響あるなし、趣味の実ある文芸を作するに於て文芸の士の務は足る、正しく戦に臨んで善く闘ふは兵士の務たると意を同じうす。然るに何事ぞ、名を美にして実を俗悪にし、戦争文学を云々して一時を糊塗するあらんとは。嗚呼海陸の兵士は戦の為に戦へり、文芸の士は文芸の為に述作する能はず、豈に恥づるなしと云ふべけんや

更に辞に巧なる者ありて云ふ。戦国時代に当り戦闘を謡ふは之れ所謂時代精神を歌ふ者なり。文芸にして時代の面影を映象するにあらずんば、其文芸や価値なきものゝ一たらんのみ、故に戦争文学必ずしも排すべきにあらずと。

時代精神は果して文芸の内容に不可欠の要素たりや否や。吾人は此の如き元素が、しかく重大なる地位を文芸上に占め得べしとは信ずる能はずと雖も、文芸が人生の帰趨を描写するに際し、其時代人心の帰着点を看取する事の、趣味を饒多ならしむる必要上、時に効益あるを承認するを得べし。故に文芸、趣味を饒多ならしむるに効益ある限度に於て所謂時代精神描写論を認容すとせんか。しかも今日の所謂戦争文学は、果して時代精神の描写ありと云ふを得べきや否や。夫は軍に従ひ妻は幼児を抱いて種々の迫害に抗するの情を写す、是れ時代精神の描写か。普通の恋愛小説の舞台を戦場にし、男女相愛の情を写す、之れ時代精神の描写か。近時の戦争小説なるもの、畢竟戦争を機会としたる一情話のみ、時代精神の描写と称するが如き、理想や着眼や、何の頁に於てか之を求むるを得む。固より時代精紳の義(ばく)たるありと雖も、一時代民衆の頭脳を支配する或普通性の思潮を意味すと云はゞ、天才ある詩人は直に其本体を捕捉し得べし。此本体が文芸上必要の程度甚高からざるは既述の如し。しかも其意義や多少の深遠、多少の幽微を包み、彼の俗悪卑下なる戦争文学中に於ては、見出し得べからざる高価なる分子を有す。時代精神を云々して戦争文学を弁護するの説、遂に採るに足らざるなり。

或は又戦争文学必ずしも排す可らずと唱へ、其排す可きと排す可らずとは一に其作物の価値に就いて定むべしと云ふ。斯論必ずしも誤れるにあらざれども、又新奇の見るべきあるなし。吾人が戦争文学を排斥するは、論者の言の如く、只材を戦争に採ると云ふのみの理由にあらずして、所謂戦争文学が何れも皆際物的なるの点に存す。然るに更に曲論する者あり、際物文学必ずしも排す可らざるを説きて曰く。際物なるが故に直に之を排する勿れ、際物描写の精粗巧緻を撿して後、初めて採るべきと棄つべきとを定めよと。借問す、説者は際物の意義を如何に定め、際物文学の内容を如何に决せんとするか。

抑々際物とは、現在事件にして極めて人気に投ずる材料を云ふに於ては、説者も異論なかるべし。しかも之を取材したる文学の悉くが、際物文学なりと速断するを得ず。説者は際物文学に採るべきと棄つベきとありと唱ふれど、吾人の見を以つてすれば、際物文学は悉く棄つべき文学たりと云ふにあり。盖、真正なる文学は悠久なる不滅性を存すべきが故に、吾人は際物を取材したる文学にして此不滅性を欠くものを称して際物文学と名づけんとす。されば吾人の所謂際物文学なる語中には取るべき際物文学なるものを含む事なし。際物文学は悉く棄つべき文学なり。泰皇の手を待たず、之を焚くべき文学なり。取るべき際物文学と云へば思想に矛盾あり。棄つべき際物文学と云へば用語に重複あり。故に吾人は全然際物文学を排斥せんと欲す

人に考へあり、社会に文字あり、考へを文字にあらはして文書成る。人の実際生活に準則を与ヘんとして、倫理法律の文書あり。人の理想生活に趣味を供せんとして、詩歌小説の文書あり。前者が社会の進運に追随する能はずして、変説、改正、学者の脳裡を悩まさしむるにも拘らず、後者は千古に通じて、()はる事なく、湛へられたる趣味は混々として汲めども尽くる期なしと讃せらる。文学にして.一時の俗衆に媚び不滅性を有せざるもの、それ直ちに際物文学なり。実は文学の名をだに冐さしむべきものにあらず。説者這般の区別を弁へずして、際物文学を云々せんとするや謬れりと云ふべし。而して彼の戦争を材料としたる文書が、何等の趣味なく何等の理想なく、僅に軽薄なる国民の好尚に投じて、書肆無飽の欲に資せんとするあるが如き、際物文学の好標本と云ふに何の躊躇する処あらん。彼等は之を以て国民の士気を鼓舞すと云ひ、軍国の真相を描破すと云ひ、大言壮語して一時を瞞過(まんくわ)するにすぎず陋なる哉。

更に評論壇の一方を顧みれば、此軽浮にして卑陋なる作物に多大の賞讃を与へ戦争を謳歌せざる文士に対しては、冷嘲悪罵、誣ふるに反逆を以つてせんとし、所説常則を欠き、言論殆んど狂せるに似たり

際物文学推奨の説者の如き、亦此毒に()てられたるに一人たり。大なる文学の出づベきを望むは、古徃今来少しも異なるなく、苟くも大なる文学にてあらば、其取材の如何は固より問ふべき筈なし。然るに殊更に戦争を取材としたる作物の発現を望むに至りては、中毒の証歴々指摘するを得んか。しかも尚ほ際物文学に採るべきあり棄つべきありとし、賢きが如くにして若かも愚なる論法を提し来りて、自らの中毒を蔽はんとす女々しき哉。

戦争は戦争なり、文学は文学なり、愛国は愛国なり、趣味は趣味なり、各其職分を異にし、其意義を異にす。兵士に文を以つて責むる能はざると共に、文士に戦争を以つて強ふる無くんば、庶幾くは真の述作の世上に顕出するを得むか

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2009/02/23

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平出 修

ヒライデ シュウ
ひらいで しゅう 弁護士・作家 1878・4・3~1914・3・17 新潟県中蒲原郡に生まれる。1909(明治42)年石川啄木、平野萬里らと「スバル」を発行、森鷗外の知遇を得、翌1910(明治43)年に幸徳秋水ら大逆事件の弁護を引受けるに当たっても鷗外の世界の社会主義に関するひそかなレクチュアを受けた。大逆事件の法廷に関係したことは盟友啄木を刺激し、彼の名高い論文「時代閉塞の現状」を導き出した。中の「若い弁護人」が当時34、5歳の作者を謂うものと読んで許されよう。近代を震駭した大事件を衝く稀有の証言作であり、発表の翌年に死去した。関連作として啄木の上記論文、徳富蘆花「謀叛論」与謝野鉄幹「誠之助の死」などが「ペン電子文藝館」に収めてある。

掲載作は1904(明治37)年6月の「明星」に発表された。筑摩書房の「明治文学全集 明治社会主義文学集(二)」に依拠して収録した。

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