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ああ大和にしあらましかば

ああ、大和(やまと)にしあらましかば、

いま神無月(かみなづき)

うは葉散り透く神無備(かみなび)の森の小路を、

あかつき(づゆ)に髪ぬれて()きこそかよへ、

斑鳩(いかるが)へ。平群(へぐり)のおほ野、高草の

黄金(こがね)の海とゆらゆる日、

塵居(ちりゐ)の窓のうは(じら)み、日ざしの(あは)に、

いにし()(うづ)御経(みきやう)黄金文字(こがねもじ)

百済緒琴(くだらをごと)に、(いは)()に、彩画(だみゑ)の壁に

見ぞ()くる柱がくれのたたずまひ、

常花(とこばな)かざす藝の宮、斎殿深(いみどのふか)に、

()きくゆる()ぞ、さながらの八塩折(やしほをり)

美酒(うまき)(みか)のまよはしに、

さこそは()はめ。

 

新墾路(にひばりみち)切畑(きりばた)に、

赤ら橘葉がくれに、ほのめく日なか、

そことも知らぬ静歌(しづうた)(うま)し音色に、

目移しの、ふとこそ見まし、黄鶲(きびたき)

あり樹の枝に、矮人(ちひさご)楽人(あそびを)めきし

()ればみを。尾羽身(をばみ)がろさのともすれば、

葉の(たゞよ)ひとひるがへり、

(ませ)に、()の間に、──これやまた、野の法子児(ほふしご)

()のものか、夕寺深(ゆふでらふか)(こわ)ぶりの、

読経(どきやう)や、──今か、(しづ)こころ

そぞろありきの在り(びと)

魂にしも()()らめ。

 

日は()がくれて、(もろ)とびら

ゆるにきしめく夢殿の夕庭(さむ)に、

そそ(ばし)りゆく乾反葉(ひそりば)

白膠木(ぬるで)()(あふち)、名こそあれ、葉広(はびろ)菩提樹、

道ゆきのさざめき、(そら)に聞きほくる

石廻廊(いしわたどの)のたたずまひ、振りさけ見れば、

高塔(あららぎ)や、九輪(くりん)(さび)に入日かげ、

花に照り添ふ夕ながめ、

さながら、緇衣(しえ)の裾ながに地に曳きはへし、

そのかみの学生(がくしやう)めきし浮歩(うけあゆ)み、──

ああ大和にしあらましかば、

今日(けふ)神無月(かみなづき)、日のゆふべ、

(ひじり)ごころの(しば)しをも、

知らましを、身に。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/06/10

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薄田 泣菫

ススキダ キュウキン
すすきだ きゅうきん 詩人 1877・5・19~1945・10・9 岡山県に生まれる。 「暮笛集」で世に出「二十五絃」「白羊宮」等の詩集により蒲原有明とともに象徴主義時代をもたらした。

掲載作は、1905(明治38)年11月「中学世界」冬期増刊号に初出、高踏的浪漫主義による近代詩の到達点の一つとして名高い。

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