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お菊さん(抄)(ピエール・ロチ『マダム・クリザンテエム』より)

    リシュリウ公爵夫人に

 

 公爵夫人、

 

 此の本を非常に敬虔な友情のしるしとしてお受けください。

 私は此の本をあなたに捧げることを躊躇してゐました。題材がふさはしいものに思へなかつたからです。けれどもその表現法に於いて私は決して悪い趣味に堕しないやうに努めました。さうしてそこまで達せられたことを望んで居ります。

 

 これは私の生涯のうちの或る一と夏の日記です。私は少しの変更も加へず、日附さへそのままにしました。それは、私の場合にもさうなのですが、一体私たちが事件を整頓しようとしますと、却つて不整頓に終るやうなことが屡あると思つたからです。全体を通じて最も重要な役割(ロオル)はマダム・クリザンテエムの上に在る如く見えるかも知れませんが、その実、三つの主要な人物は、日本と及び此の国が私の上に及ぼした効果と、これだけです。

 あなたはあの写真──少しをかしな写真ではありましたが──大男のイヴと或る一人の日本の娘と私と、此の三人がナガサキの写真屋の注文通り一緒に列んで撮られてゐるあの写真を記憶してゐますか? あなたは私たち二人の間に挾まつてゐるあの丹念に櫛を入れた小さな女が私の隣人の一人であつたことをお知らせした時に微笑なされました。どうぞあのやうな寛大な微笑を以つて私の此の本をもお収めください。危険とか善良とかそんな道徳的な意義(ポルテエ)をこの中にお探しなさることなく、──丁度、私があなたのためにすべての奇怪の本産地なる此の不思議の国から持ち帰つたをかしな花瓶、象牙の像、こまこました奇妙な骨董品などをお収めくださつたやうに。

大いなる敬意を以つて、公爵夫人、
あなたの、友情に富める
ピエル・ロチ

    発 端

 

 明けがたの二時頃、穏やかな夜の、星空の下の、海の上。

 イヴは艦橋(パアスレル)の上に私と列んで立つた。さうして私たち二人に取つて全く新らしい国、私たちの気まぐれな運命が今や私たちを導いてゐるその国のことを話し合つてゐた。私たちは次の日は錨を入れることになつてゐたので、その期待が私たちを娯しましめ、私たちにさまざまな計画を立てさせた。

 ──僕はね、私は云つた、着いたら直ぐと結婚するんだよ。……

 ──へえ! イヴは何物にも驚かされることのない人のやうな無頓着な風で答へた。

 ──さうだ。……皮膚の黄いろい、髪の毛の黒い、猫のやうな目をした小さい女をさがさう。可愛らしいのでなくちやいかん。人形(プウペ)よりあまり大きくないやつでね。──君に部屋を貸して上げよう。──青い花園の中の、植込のこんもりした、紙の家(メエゾン ド パピエ)だよ。──花の中でくらすんだ。そこいら一面に花が咲いて、毎朝花束(ブウケ)でいつぱいになるんだ、君なんざ見たことのないやうな花束で。……

 イヴは此の家庭の計画にだんだん興味を持つて来た。全く、彼は私が此の国の僧侶たちの前でその場の誓言を立て、島の女王と契をこめて、夢のやうな湖水のまん中で硬玉(ジヤアド)の家にふたり閉ぢこもつて暮すつもりだと話しても、恐らく同じ位本気に聞いたであらう。

 実際私は彼に打ちあけた計画を実行しようと考へてゐた。さうだ、本統に倦怠(アンニユイ)孤独(ソリチユド)にさそはれて、次第にそんな変つた結婚を想像したり望んだりしようと考へてゐた。──それには何よりも暫らく陸で暮して見たい、木立や花の中の、人目に立たぬ所で暮して見たい心が先に立つた。それは私たちが膨湖島(新鮮さも森も小川もなく、ただ支那の匂と死の匂とで充ちた暑い乾燥した島)で長い幾月を無駄に過した後では、聞くからに心が躍るやうだつた。

 私たちの船は支那のその熔鉱炉を出てからもう余ほど緯度を進んでゐた。さうして天の星座も急速の変化を遂げてゐた。南十字星はその他の南洋の星と共にもう見えなくなつてゐた。大熊星は空高く昇つて、今ではフランスの空で見ると殆ど同じ高さに留まつてゐた。新鮮な夜風は私たちを慰め蘇生させて、──一夏私たちがブルタアニュの海岸で当直にあたつた夜のことなどを思ひ出させた。

 それにしてもあの懐かしい海岸を離れて私たちはいかに遠く来ていることだらう! いかに恐ろしく遠くの果まで来てゐることだらう! ……

 

   一 

夜が明けると、私たちは日本を見た。

 丁度予定の時刻に、日本は、尚遥か彼方に、広い海の果に、これまで幾日も空虚のひろがりに過ぎなかつた海の果に、はつきりした一つの点の如く現はれた。

 はなのうちは赤く染まつた峰の一とつづき(朝日に照された深井群島の前面)よりほかなんにも見えなかつた。けれども間もなく水平線一ぱいに沿うて、空気から重たいものの垂れたやうに、水の上に厚ぼつたい被衣(かつぎ)の懸つたやうに見えて来た。それが日本そのものであつた。さうしてその深い濃い雲の中から、次第に少しづつ、頗る不透明な山の輪廓が浮き出して来た。それがナガサキの山山であつた。

 私たちは絶え間なく吹きつのる風をまともに受けて立つてゐた。たとへば此の国は風を勢一ぱいに吹きつけて私たちを寄せ附けまいとしてゐるのではないかと思はれるほどであつた。──海も、帆綱も、船体も、動揺して音を立てた。

 

   二

 午後三時頃になると今まで遠くに見えてゐた物が皆近くなつてゐた。その岩根やら木立が私たちの上に影を落すほどに近くなつてゐた。

 さうして私たちは両方から高い山山が不思議に似通つた形をして押し列んでゐる薄暗い掘割みたいな間へはひつて行つた。──非常に奥深い劇場の飾框みたいで、美しいには美しいが、少しも自然でなかつた。──それは、たとへば日本が私たちの前に胸を押し拡げてその霊妙な裂目に心の奥底まで覗かせてくれるのではないかとさへ思はれた。

 その長い不思議な入江の行きづまりに、まだ見えてはゐなかつたが、ナガサキが在るのに相違なかつた。どこもかしこも驚くべく青青してゐた。海洋の強い風が急になくなり、穏やかな場所になつてゐた。大変暑くなつた空気は花の香に充ちてゐた。さうして山あひには蝉の音楽が恐ろしく鳴り響いてゐた。その音は浜から浜へと呼応してゐた。山山も限りなき彼等の騒音を反響してゐた。国中がガラスのやうに絶え間なく震動するかと思はれた。私たちは大きなジョンク〔和船〕の群がつてゐる間を通り抜けた。それらの船は有るか無きかの風に吹かれて静かに辷つてゐた。穏やかな水の上にはそれらの船の進む音さへ聞こえなかつた。横に出た帆桁に張られた白い帆は店先の日覆(ストオル)のやうに無数の皺を畳んで力なく垂れてゐた。奇妙に反を打つて城のやうに高まつてゐるその艫は中世期の船の艫のやうであつた。山山の立ち列んだあたりの深緑の中に船のみが白雪のやうに際だつて見えた。

 何といふ緑と蔭の国だらう、日本は! 何といふ思ひも寄らぬ楽園(エデン)だらう! ……

 此処を出て沖の方へ行つたら今頃はまだ明るい真昼の日が一ぱいに照つてゐるに相違ない。それに此処いらの山あひでは、もう夕暮の感じがしてゐた。峰はまともに日光を浴びてゐながら、その麓と水際の木立の深いあたりには、黄昏の半陰影(ペノンブル)が立ち罩めてゐた。薄暗い茂みの背景にくつきりと白く浮き出して過ぎ行く和船(ジョンク)は、皆んな長い髪を女のやうに結んで丸裸かになつた小さい黄いろい人間に静かに巧みに操られてゐた。──次第に私たちが青青した掘割を先へ先へと進み行くに随ひ、香気はますます高くなり、蝉の単調な啼声は管絃合奏楽(オルケストル)漸加強調(クレサンドオ)のやうに張り切つて来た。頭の上の、山と山の間に区切られた照り輝いてゐる空では、大鷹(ゼルフオ)の種類の鳥が、ハン! ハン! ハン! と人間のやうな奥行のある声で叫びながら飛びまはつてゐた。憂愁の調子を帯びたその声は反響を伝へてあたりにひろがつてゐた。

 すべてこれ等の豊富で新鮮な自然は日本特有の変つた調子を持つてゐた。それは奇妙な山山の頂にまで行き亙つてゐるかと見えた。たとへばそれは余りに綺麗すぎる不自然さで出来てゐるかと思はれた。樹木は漆塗の盆に描いてあると同じ美しさを以つて叢だち茂つてゐた。しとやかな形をした円い芝山と列んで大きな岩がいかめしく聳え立つてゐるといふ風に、風景の有らゆる不調和な分子が、たとへば箱庭かなんぞに在る如く寄り集まつてゐた。

 ……尚ほ、よく見ると、其処此処に、よく崖の端などに建てられて古い小さな神秘な塔が木の間がくれに見出された。それは私たちのやうな新来の客に対して、何よりも遠隔の思をさせ、また此の国には精霊(エスプリ)即ち樹木森林の神、言ひ換へれば国土を守護する古代の象徴なるものが知られてなく了解されてもないかの感じを与へた。……

 ナガサキが見えた時、それは私たちの目に一つの裏切であつた。それは青青した覆ひかぶさるやうな山の麓に在つて、何処にでも在る平凡な町であつた。その前面には世界各国の旗を翻へした沢山な船の紛糾錯雑(ペルメル)があつて、どこの港へ行つても見かけるやうな汽船や黒い煙がたかつてゐた。波止場には工場が列んでゐた。実際どこにでも見られる有りふれた物には一つとして不足する物はなかつた。

 今に人間が世界の隅から隅まですべての物を一様にしてしまふやうな時節が来たら、此の地球上は退屈な住み場になるであらう。さうしたらもう変化を求めて航海して歩くやうなことさへいらなくなるだらう。……

 

 私たちは、六時ごろ、其処に集まつてゐる沢山な船の間に大きな音を立てて錨を入れた。すると忽ち襲はれた。

 小舟に親舟に一ぱい積み立てて上げ汐の如く押し寄せて来る商売上手な熱心な滑稽な日本に襲はれたのである。男や女がぞろぞろと引切なしに、声も立てねば言ひ争ひもせず、おとなしくやつて来て、みんなにこにこしてお辞儀をするから怒ることも出来ず、果は此方までがにこにこしてお辞儀を返すのであつた。彼等は皆背中にそれぞれ小さな籠や小さな箱やいろんな形をした入物を背負つてゐた。それはどれも器用に組み合せが出来て、一つが一つの中へと幾つもはひるやうになつてゐるので、やがてその数が限りなく殖え、隙間もないほどになるやうに考案してあつた。中からは思ひも寄らぬ有らゆる奇妙な物が現れた。屏風、靴、石鹸、提灯、袖口のぼたん、小さな籠の中で啼いてる生きた蝉、宝玉細工、小さな厚紙の車を廻す白い小鼠、いかがはしい写真、水兵あて込みの熱い罎入のスウプとラグウ〔一種のスチウ〕──花瓶、急須、茶碗、小壷、小皿などの陶器。……これ等は見る間に荷を解かれて、驚くべき早さと陳列の巧みさを以つて其処へ拡げられた。売手は皆品物の後に猿見たいに(かが)まり、両手を両足に触れて──絶えずにこにこと愛嬌を振りまきながらお辞儀をしてゐた。さうして船の甲板はこれ等の色模様の品物に蔽はれて忽ち宏大もない勧工場(バザア)のやうになつた。すると水兵たちは面白がつて陽気に品物の間をぶらつきながら、物売女の顎をつまんで、何でも買つてやつては喜んで白い銀貨(ピアストル)を撒き散らした。……

 それにしても、まあ、此の人間たちはいかに醜く、卑しく、怪異(グロテスク)なことだらう! 私は折角結婚の計画まで立てたけれども、だんだんと考へ込んで興醒めて来た。……

 

 イヴと私は、翌朝まで職務についてゐた。さうして入港するといつも船中に起る最初の騒──(短艇を下したり、梯子段や下部帆桁を張つたりすること)──その騒がすむと、もう私たちはあたりを眺めでもするよりほかに仕事がなかつた。で私たちは二人して話し合つた。一体私たちは何処へ来てゐるのだらう? ──合衆国(エクジユニ)か? ──豪州(オオストラリ)の英領植民地のうちか? それとも(ヌヴエル)ゼランドか?? ……

 領事館、税関、工場。露西亜のフレガアト型の軍艦が一隻入つてる船渠(ドック)。高台の上のヨオロパ人の居留地(コンセシオン)と其処に見える大きな別荘(ヴィラ)。また波止場には水兵向のアメリカの酒場(バア)。併し下の方、ずつと下の方の、そんな平凡な物から離れた後の方の遥か彼方には、青青した広い谷合に、幾千万の小さな黒ずんだ人家が奇妙な外観を呈して寄り集まつてゐて、その間には其処此処にどす赤く塗られた一段と高い屋根が幾つも覗いてゐた。多分今も昔のままに残つてゐる古いほんとうの日本人のナガサキがあれだらう。……さうして其処へ行くと、多分どこかの紙の仕切の蔭に笑顔を作つて居る猫のやうな目をした小さい女がゐて……その女と、多分……二三日を出ずに(時を失はずに)私は結婚するだらう!! だが併し、私はもうその女を、その小さな女を、描き出して見ることが出来なくなつた。此処に居る白い小鼠の女どもが、その女のまぼろしをこはしてしまつた。私は若しや小鼠の女どもにその女が似てゐはしないかと今ではそれが気がかりだ。……

 

 日が暮れると、私たちの船の甲板は魔法でもかけられたやうに空つぽになつた。時の間にその箱を片づけ、その引戸を重ね、その扇子をたたみ、さうして一一私たちに丁寧なお辞儀をして、小さい女どもと小さい男どもは去つてしまつた。

 夜が落ちて来るに随つて、あたりの事物は青ずんだ夕闇に閉ぢ罩められ、私たちの周りの日本は又もや次第次第に夢のやうな魔法の国となつて来た。今では黒く見える大きな山山が私たちの船の浮んでゐる麓の静かな水に投影をひろげて、その逆まになつた輪郭と映り合ひ、恐.ろしい崖の幻影を描き出してゐる。その幻影の崖の上に私たちの船はかかつてゐるのである。──星もその順序を逆にして小さな燐光を撒き散らしたやうに想像の谷底に列んでゐた。

 それからナガサキ全体は無数の提灯の灯に蔽はれて、際限もなく輝いてゐた。最も小さな郊外の最も小さな村村までが明るくなつてゐた。高台の木立に隠れて昼間は目に入らなかつたささやかな小家さへ蛍のやうな小さい光を投げてゐた。やがて灯だらけになつた。どこも彼処も灯だらけになつた。湾内のどの方面にも、山山の上から下へかけて、私たちの周りに目を眩ます円形劇場(アンフィテアトル)となつて展開した大都会のやうな印象を与へながら、数万の灯が闇の中に燃え輝いて来た。それからその下の方には、物静かに湛へた水の上に、今一つの都会が、同じやうに輝やかしく、今にも底深く落ち込みさうに思はれゐた。夜は生温く、純に、甘くあつた。空気は山山が私たちの処へ送つて来る花の香で一ぱいになつてゐた。メイゾン ド テエ〔茶屋〕やよくない夜の家家から聞こえて来る三味線(ギタル)の音は遠く、美しき音楽の如く思はれた。それからあの蝉の啼声──それは日本では生涯絶え間なき騒音の一つで、今に私たちも二三日すると気にならなくなるだらう、それほど世間の有らゆる騒音の基礎になつてゐる──その蝉の声が冴えて間断なき、軟かな、単調な音に聞こえてゐた。たとへば硝子の滝の落ちる音を聞くが如くに。……

 

   

翌日は雨が滝となつて降つてゐた。遠慮なく、小止みなく、有らゆるものを暗くし、びしよ濡れにして降り注ぐ大雨であつた。船の此方の端から向の端まで見通しのつかないほどの濃い雨であつた。たとへば世界中の雲がナガサキの入江に集まつて、思ひのままに流れ落ちるため此の緑の大きな漏斗を選んだのではあるまいかと思はれた。雨は降りに降つた。夜の如く暗くなるまで濃く降つた。砕けたばしる水の被衣を通して山山の麓はまだ見えてゐたが、併し峰峰はどうかといふに私たちの上に押しかぶさつてゐる黒ずんだ大きなかたまりの中に隠れてゐた。暗い大空の円天井から裂け離れたかと思はれるやうな雲のちぎれが、灰色の大きなぼろきれのやうに森の上を高く揺曳してゐるのが見えてゐた。──さうして引切なしに水の中へ、降りしきる水の中へ、消え失せてゐた。また風もあつた。風は底深い声を立てて谷間谷間を吼え叫んでゐた。──入江の表面全体は雨に打たれ、四方から吹き来る風に揉まれて、波立ち、呻き、狂ひもがいてゐた。

 初めての上陸に何といふいやな天気だらう……斯んな土砂ぶりの中を、どうして相手なんか捜してゐられよう、しかも見も知らぬ他国の果で! ……

 なあに! 私は服を着替へてイヴに斯う云ふ。──彼はどうしても私が出かけるといふのを笑つてゐるので。

 ──艀舟(サンパン)を呼んでくれないか、ねえ、おい、後生だ。

 イヴは其の時、片手を雨と風の中で動かして、私たちの近くの海の上を雨にぬれて真つ裸になつた二人の黄いろい子供が操つてゐた小さい木製の石棺(サルコフアジユ)みたいなものを呼び止める。──それが近づいて来る。私は飛び乗る。それから、私は漕手の一人が開けてくれた鼠落しみたいな形をした小さな引窓から辷り込んで、茣蓙の上に一ぱいに私の身体を伸ばす。──サンパンの『船室(カビヌ)』と呼ばれてゐる所で。

 此の浮棺には私の身体を横たへるだけの余地が十分にある。──その上、小ぎれいにきちんとして、真新しい板目の白さがある。私はざあざあと覆ひに降りそそぐ雨にも濡れないで、斯んな風に此の箱の中に平つたく腹這になつて、町の方へ出かけて行く。一つの波に揺られ、次の波に揉み立てられ、そのたんびに危ふく転がりさうになりながら。──さうして半分開いた鼠落しの戸口からは、私の運命を託した二人の小さい人間が逆さに見上げられる。年はせいぜい八つか十ばかしの猿のやうなあどけない顔をした子供ではあるが、もう筋肉は微細画像(ミニアチユル)の大人のやうに発育して、年中海で暮してゐる老練者の如く馴れてゐる。

 彼等が大声で叫び出す。それは云ふまでもなく私たちが上陸場に近づいたのである! ──実際今私が広く押し開けたばかりの鼠落しから、波止場の灰色の敷石が直ぐ手近に見える。そこで私は私の石棺(サルコフアジユ)から出て、生れて初めて日本の土を踏もうとしてゐるのだ。

 何もかもますます降り流されてゐる。さうして雨は目の中へ打ち込む、いらだたしく、我慢しきれなく。

 私が上陸すると直ぐさま、十人ばかしの不思議なものが、それは降りしきる土砂ぶりの中で定かに見分の附きかねるやうな──人間の針鼠とでも云ひさうに、皆んな大きな黒い物を引きずつてる──その異形なものが、私の所へ駆け寄つて来て、がやがや云ひながら、私を取り囲み、私の行手を遮つてしまふ。その中の一人が骨の沢山ある大きな傘の透明なその表面に鶴の絵を装飾したのを私の頭の上からさしかける。──さうして皆んなにこにこしながら私の方へ近よつて来る。何かを期待してゐるやうな、愛想よいありさまで。

 かねて聞いてゐた。これは唯私の選択の名誉を得ようとするdjins(ヂン)〔人力車夫〕に過ぎないのである。併し私は此の不意打に、初めて上陸に対する此の日本流の歓迎に、面喰つた。(ヂン或ひはヂンリキサン、これは小さな車を引いて賃銭に対して人間を運んで走る人のことで、丁度私たちの国に於けるfiacres(フイアクル)〔辻馬車〕の如く、時間又は距離で傭はれる。)

 彼等の足は上方までむきだしである。──今日は、びしよ濡れになつてゐる。──それから彼等の頭は、らんぷの笠の形をした大きな帽子の下に隠されてゐる。彼等は藁の一本一本が外を向いてやまあらしの逆毛のやうになつた藁蓆で出来た防水外套を纏つてゐる。まるで藁屋根を着たやうに見える。──彼等は私の選択を待ちながら微笑をつづけてゐる。

 誰一人と取り分けて近づきになる光栄を持つてゐないから、私はいい加減に、傘をさしかけてゐるヂンを選んで、彼の小さい車に乗る。すると彼は母衣(ほろ)を下す。ばかにばかに低く。彼は私の足の上に蝋を引いた膝掛をかけ、それを目の高さまで引上げる。それから傍に寄つて来て、私に日本語で斯んな意味のことを聞く。『どちらへ、わたしの旦那様?』それに対して私も同じ国語で答へる、『百花園(Jardin-des-Fleurs)へ、わたしの友だちよ!』

 私は、それを些か鸚鵡じみた方法で暗誦してゐる三つの言葉で答へたのである。そんな言葉が意味を持つことも不思議であれば、そんな言葉が了解されることも不思議である。──さて私たちは出かける、彼はひたばしりに走り出しながら。私は彼に引かれて、箱詰にされたやうに、蝋引のきれにつつまれて彼の軽い車の中で揺られながら。──二人とも、のべつに濡れ通しで、あたりには水とぬかるみをはね散らしながら。

『百花園へ』と私はいつも行きつけの者ででもあるかのやうに云つて、われと我が言葉の通じたのに驚いた。でも私は日本のことに関しては人が想像するほど知らなくはなかつた。この国から帰つて来た多くの友だちが私に説明してくれたので私はいろんな事を知つてゐる。此の百花園といふのは一つの茶屋(メエゾン ド テエ)である。一つのしやれたrendez-vous(ランデエヴウ)〔会合所〕である。其処へ行つて私はカングルウ・サン〔勘五郎さん〕とかいふ人を尋ねるつもりである。此の人は通弁でもあり、同時に洗濯屋でもあり、また人種結合の秘密周旋人でもある。さうして今夜にも、若しかして、事件がうまく運べば、私は不思議な運命がわたしに結び附けてくれる所の若い娘に引き合はされるだらう。……此の考は私たちが、私のヂンと私が、没義道(もぎだう)な土砂ぶりの中を、一人が一人を曳きながら、喘ぎ喘ぎ急いでゐる間ぢう、私の心を目さましてゐた。……

 

 おう! 実に変つた日本をその日見たことではある! 桐油布の隙間から、雨水をはね返してゐる小さい車の母衣の下から。しかめ面の、泥まみれの、溺れ損なひの日本を。家、家畜、人間、これ等を想像以外ではまだ私は見たことがなかつた。屏風と花瓶の青い地や赤い地の上に描かれたのを見たことはあつたけれども。今やこれ等すべての物が、薄暗い空の下に、現実となつて現はれて来たのである。傘をさして足駄をはいて、いたいたしげに、裾を捲くつて。

 時時思ひ出したやうに雨がひどくなると、私は隙間を塞ぐ。私は喧騒と動揺の中に気が遠くなつて、どこの国に今居るのかもすつかり忘れてしまふ。──車の母衣には幾つかの穴があいて居り、そこから小さな流が背中に伝はつて来る。──それから、私は、今ナガサキの真ん中を通つてゐるのだ、而かも生涯に初めて、さう思つて物珍らかな視線を外に投げる。洗滌を受ける度胸をきめて。私たちは黒ずんだ見すぼらしい裏通を駆けぬけてゐる。(其処には斯んな裏通が何千となく迷路(デダル)のやうになつてゐる。)滝は屋根から、閃めく敷石の上に迸つてゐる。雨は有らゆるものを(もつ)らして空気の中に灰色の網目を造つてゐる。──時時、婦人が着物に悩みながら、高い木の履物をはき、足もと危なげに、絵をかいた紙の傘の下に、裾を端折り、屏風の中のやうな姿をして来るのに出逢ふ。それから寺の塔の前を通り過ぎる。すると其処には、古い花崗岩の怪物が水に背中をうたせて(かが)まりながら、いやに気味わるく私の方へ顔を顰めてゐる。

 それにしても何といふ大きさだらう、此のナガサキは! 私たちは全速力を出してもう小一時間も駆けてゐる。それにまだ達しさうにも見えない。町は平原の上に在る。斯んな広い平原が入江の先の谷底にあらうとは、誰だつて来て見るまでは想像もつかなかつたであらう。

 たとへば、今私はどこに居るか、私たちはどつちの方を駆けて来たかを云ふことも私にはむつかしい。私は私のヂンと運とに任かせてゐる。

 まるで人間の機関車だ、私のヂンは! 私は支那の苦力(クルウル)には馴れてゐた。併しそれは私のヂンに比較しては何物でもなかつた。私が何かを見ようと思つて桐油布を押しのけると、いつも一番に目に入るのは云ふまでもなくそのヂンである。彼の、むき出しになつた、鹿色をした、筋肉の逞ましい、かはるがはる踏み出して、あたりにはねを上げる二本の足と、それから雨の下に曲げられた針鼠みたいな背中とである。──誰か此のびしよ濡れの小さな車の通るのを見て、此の中に相手を捜しに行く人間がはひつてゐようと思ふ者があるだらうか? ……

 

 遂に私の車は止まる。私のヂンはにこにこしながら、私の首筋に新しい川の流れ落ちないやうにと用心して、車の母衣を下す。丁度暴雨の絶え間で、もう降つてゐない。──私は今まで彼の容貌を見なかつた。彼は人並はづれていい顔をしてゐる。年の頃三十ばかしの若者で、生気と強壮に充ちた風で、明るい顔つきをしてゐる。……さうして、誰が思ひ設けようか、数日の後に此の同じヂンが……いや、いや、私はまだそんなことは云ひたくない。そんなことを云ふのは、クリザンテエム〔お菊〕に、前ぶれの不当の汚名を被せることになるだらうから。……

 さて、私たちは止まつた。それは蔽ひかぶさるやうに聳えた或る大きな山の麓である。私たちは多分町を通りはづれて来たに相違ない。此処はもう郊外になつてゐる。これから歩いて行かねばならぬらしい。さうして今度は殆ど垂直になつた狭い小径を登らねばならぬらしい。私たちの周りには、小さな百姓家や、庭園や、竹垣や、そんなものが高く視界を遮つてゐる。青い山はその高さ全体で以つて私たちの上に押しかかつてゐる。さうして重たげな薄黒い低い雲が、私たちの今居る、此の人知れぬ片ほとりに押し込めて了つた蓋かなんぞのやうに、私たちの頭の上に垂れてゐる。実際此のやうに遠景が無くなつて見通しの利かぬために、私たちの目の前に在る、びしよ濡れになつた、泥だらけの、他所行でない日本の此の小さな片隅の零細な物までが、自然目につくやうになつたらしい。──此の国の土は真つ赤である。──道ばたに生えた草や草花までが私には珍しい。──けれども竹垣の内には私たちの国のと同じやうなリズロン〔ひるがほ〕が咲いてゐる。それから庭園には、マルグリト・レエヌ〔えぞぎく〕、ジニア〔百日草〕、その他フランスの花が見える。空気に複雑な匂がある。植物と土の香の外に疑もなく人家から来る匂が交つてゐる。干肴と香のまざつた匂だと云へさうだ。誰も通りかかる者はない。所の人も見えなければ、家の内部も見えなければ、生活も見えない。さうして私には、此処は世界の何処ででもあるやうに考へられる。

 私のヂンは彼の小さな車を或る木の下にしまひ込んだ。さうして私たちは一しよに険しい坂道を上つて行く。赤土に足を辷らしながら。

 ──私たちは百花園へ行つてるんだらうな? 私は、私の云つたことが通じてゐるかどうかを心配して聞く。

 ──へい、へい、ヂンは答へる、つい此の上で、もう直ぐです。

 道が曲ると、両方から囲まれて薄暗くなつて来る。一方は山の側で、一面に雨に濡れた羊歯で飾られてゐる。一方は大きな木造の家で、入口が開いてなく、外見のわるい家である。私のヂンの止まつたのは其処である。

 はて斯んな陰気な家、これが百花園だらうか? ──彼はさうだといふふりをして、のみこんだ顔附をしてゐる。私たちは大きな戸を叩く。その戸は直きに溝を辷つて開く。──すると、二人の小さな、おどけたやうな、かなり年の行つた女が現れる。併し若く見せかけてゐる。それがすぐわかる。子供のやうな手と足をして、花瓶に描いてあるやうな恰好である。

 私を見ると彼等は、鼻を床にすりつけて四つん這になる。──おや、おや! どうしたと云ふのだらう? ──なに、何でもない。斯んな風にするのはただ儀式の挨拶である。私はそれにまだ馴れてなかつたのだ。彼等はやがて立ち上り、大急ぎで私の靴を脱がし(ニッポンの家では決して靴を穿いて入らない)、それから私のずぼんの裾を拭き、それから濡れてゐはしないかと私の肩にさはつて見る。

 

 日本の室内に入つて一番に気がつくのは、細かい清潔さと白いうす寒い空虚さである。

 私は、皺目一つなく、模様一つなく、汚れ目一つ附いてない、申分のない畳の上を、二階へ上つて行き、大きながらんどうの部屋に案内される。それこそ全くのがらんどうの部屋の中に。紙で出来た仕切は、框縁で溝を辷るやうになつてゐて、見えなくする場合には重なり合ふやうに出来てゐる。──さうして部屋の或る一方は全部縁側(ヴエランダ)になつて、青い田野の上に、灰色の空の下に打ち開けてゐる。座席としては黒いびろうどの一枚の座蒲団があてがはれてある。さうして私は殆ど凍えさうなだだ広い此の部屋のまん中に非常に低く坐つてゐるのである。──例の二人の小さい女(これは此の家の召使であつて、同時にまた私の非常に從順な召使である)が、大そう畏こまつた態度で私の云ひつけを待つてゐる。

 

 私には、私たちが膨湖島に島流しになつてゐた間に私が辞書や文典の力を借りて何等の確信もなしに其処で学んだ奇妙な言葉や字句が、何物かを意味し得ようとはどうしても信じられない。──けれども又かなりに行けさうにも思はれる。私の云ふことは直ぐに了解される。

 

 私は先づムッシュ・カングルウとか云つて、通弁で、洗濯屋で、大結婚(グランマリアアジユ)の秘密周旋人なる男と話したいとたのむ。──ありがたい。皆んなが彼を知つてゐる。即座に彼を探しに行つてくれる。年上の方の女中はそのために彼女の木の履物と紙の傘を用意する。

 その次に私は立派な日本のもので出来たおいしい食事を食べさせて貰ひたいとたのむ。結構、結構。それを云ひつけに台所の方へ駆けて行く。

 最後に私は下に待つてゐる私のヂンに茶漬を出してやつてくださいとたのむ。──私には、私には、欲しいものが沢山ある、私の人形(プウペ)さんたち、今に私が必要な言葉を拾ひ集めることが出来るやうになつたら、落ついてそれをだんだんとお前さんたちにたのみます。……併し、私はお前さんたちを見れば見るほど、私の明日のfiancee(フイアンセエ)のことが、どうだらうと、気がかりで仕方がない。──お前さんたちは、可愛らしいには可愛らしい、と、私も認めてはゐます。おどけてゐて、きやしやな手をしてゐて、小さい可愛らしい足をしてゐます。でも要するにみつともない。おまけに滑稽なほど小さい。陳列店の骨董品みたいな顔をしてゐる。ウイスチチ〔南米産の小猿〕みたいな、何とも云はれぬ顔をしてゐる。

 ……私は此の家へわるい時に来合せたことがわかつて来た。何か私に係はりのない事が始まつてゐるらしい。さうして私は邪魔になつてゐるらしい。

 最初から私は、歓迎の非常に鄭重なのにも拘らず、そんなことを推定し得た筈であつた。──なぜと云ふに、今になつて思ひあたると、下で靴を脱がしてゐた時、私は私の頭の上で誰かのささやきの声を聞いた。それから襖があわただしく閾を辷る音を聞いた。云ふまでもなく、それは何か私が見てはいけない物を私に見せまいとして隠すためであつた。彼女たちは私のために、私の今居る部屋を急拵へに拵へてくれた。──たとへば、動物の見せ物で、いよいよ見せる際になつて、或る一野獣だけには別に隔離した一室をこさへてやると同じやうに。

 今私は誂へ物のこさへられてゐる間ぢう、独りきりで取り残されてゐる。私は畳と襖の白さの中に、私の黒いびろうどの座蒲団の上に仏陀のやうに膝を組んで、耳をすましてゐる。

 紙の仕切の向側では、使ひ嗄らした大勢らしい声がごく低い調子で話し合つてゐる。それから三味線(ギタル)の音と女の唄ひ声が、雨の日の物わびしさの中で、斯んながらんとした家の鳴り響きの透る中で遣る瀬なく、いとしめやかに起る。

 いつぱいに明け放した縁側(ヴェランダ)から見渡した眺は美しい。私はそれを認める。夢の国の景色のやうである。見ごとに木の茂つた山山は、いつまでも薄黒い雲の中に高く聳えて、その頂を隠してゐる。──さうしてその雲の間から一つの寺院がのぞいてゐる。空気はどこまでも澄み透つてゐる。遠景にはかの豪雨の後に来る晴れやかさがある。けれどもまだ水を含んで重たげな円天井がすべての物の上に垂れかかつてゐる。うなだれた木木の茂みの上には、灰色の綿毛の大きな塊まりのやうなものが懸つて、動かずにじつとしてゐる。一番近景には、それ等すべての殆ど夢幻的な物の前と下に、一つの微細画(ミニアチユル)に描いたやうな庭がある。──其処には二匹のきれいな白猫が遊びに出て、リリプト〔小人国〕の迷宮(ラビラント)のやうな小径を砂がまだ濡れてゐるので、前足を振りながら鬼ごつこして戯れてゐる。庭は非常に凝つたものである。花はなんにもなく、その代り小さな岩と、小さな泉水と、奇怪な趣味で刈り込まれた矮小な植込と、それ等のものが少しも自然(ナチユレル)な所はないが、新鮮な苔を附けて、いかにも青青と出来てゐる! ……

 遠く私の見渡す濡れた田野には大きな沈黙がある。遠景の果の行詰まりまで絶対の静寂がある。併し、紙の仕切の向側の女の声は哀愁を帯びた極度の可愛らしさで絶えず唄つてゐる。唄につれて弾かれてゐる陰気な音色の三味線(ギタル)は、少しわびしくさへある。……

 おや! ……こんどは三味線が急調になつて来た。──さうして誰かが踊つてゐるやうな様子である!

 尚ほと困つたことになつた! 私は軽い襖の縁と縁の間から覗いて見よう。──其処にある一つの隙間から。

 おお! 奇体な光景。明かにそれはナガサキの若い粋な人たちが、こつそり大宴会を催してゐるのだ! 私の部屋と同じやうにがらんとした部屋の中に一(ダス)ばかりの人の数が円く座を作つて畳の上に坐つてゐる。青い木綿織の長い着物に袂のついたのを着て、ヨオロパ風の甜瓜(ムロン)型の帽子(シヤポオ)〔山高〕を載つけた阿呆らしく長い直髪をして、間の抜けた、黄いろい、疲れ切つた、気力のなささうな顔を列べてゐる。畳の上には小さい火鉢、小さい煙管(キセル)、小さい漆塗の盆、小さい急須、小さい茶碗などが列んでゐる。──すべて赤ん坊のままごとに似つかはしい日本の宴会の附属物が皆んな列んでゐる。さうして此の遊び人たちの円陣のまん中には、大変に着飾つた三人の女が、三人の不思議なおばけとでも云ひさうな姿をしてゐる。着物は青白い名前の附けられないやうな色合で、それに金色の噴火(シメル)みたいな模様が附いてゐる。頭の髷は思ひも及ばない方法で結ひ上げられ、かんざしや花が挿さつてゐる。二人が坐つて私の方へ背中を向けてゐる。その内の一人は三味線(ギタル)を抱へてゐる。今一人、その女が可愛らしい声で唄つてゐる。──二人ともその姿と云ひ、その服装と云ひ、その髪と云ひ、その頸筋と云ひ、すべて後からそつと覗いた所は優にやさしく出来てゐる。私は一つ動いてもそれが私の夢を醒ますやうな顔を私の方へ向けることになりはしまいかと思つて身震ひする。三番目の女が立つて踊つてゐる、此の薄野呂どものアレオパアジュ〔最高会合〕の前で、山高帽(シヤポオムロン)と長い直髪の前で。……おう! その女が此方を向いた時の恐ろしさ! その女は恐ろしい引き吊つた青ざめた面を顔に被つてゐる。幽霊か、それとも吸血鬼(ヴアンピル)みたいな面を。……その面がゆるんで落ちる。……それは小さな可愛らしい妖精(フエエ)のやうな子供で、年は十二か、まだ五の上は出まいと思はれる。細つそりして、もうコケットで、もう女になつてゐる。着てゐるのは、青い夜の薄暗い色の縮緬の長い着物で、蝙蝠の縫取がしてある。鼠色の蝙蝠や、黒い蝙蝠や、金色の蝙蝠を。……

 梯子段の足音、白い畳を踏む軽い女の足。……疑もなく私の御馳走の一番目が運ばれて来るのだ。──いそいで私は席に戻り、私の黒いびろうどの座蒲団の上にじつとしてゐる。

 彼等は今度は三人になつた。三人の女中が微笑と敬意を以つて一列に列んでやつて来た。一人が私に火鉢とお茶を出す。その次の女が、きやしやな小さい皿に載せた果物を、またその次の女が、宝玉のやうな小さな盆に全く形容の出来ない物を盛つて。さうして三人とも私の前にひれ伏して、私の足もとにそんなままごと見たいな物を置く、

 その時私は日本について実にたのしい印象を受ける。私は今まで漆器の絵や磁器の絵で見馴れてゐた此の人工的な小さな想像の国の真ん中に来てゐるのを感ずる。実に素的である! 此の坐つてゐる三人の、きやしやな、しとやかな、小さな女たちの、切れの長い目と、大きな髷にあげた、滑らかな、仮漆(ニス)のやうな見ごとな髪。──さうして畳の上の此の小さなままごと。──さうして縁側(ヴエランダ)から見渡される此の美しい景色。雲の間からのぞいてゐるあの塔。──さうして至る処にある、事物の中にまである様子ぶつた所。これがまた実に素的である。あの紙の仕切の向側で尚ほ聞こえてゐる女の憂鬱な声。それは如何にも彼女等が唄ひさうな調子である。以前私が唐紙に奇妙な色の絵の具で描かれたのを見た、あの途方もなく大きい花の間に薄ぼんやりした小さな目を半眼に見開いた女の音楽者たちが唄ひさうな調子である。私は此処へ来る随分長い間、そんな風に此の日本を描いてゐた所が、実際は、それよりもずつと小さく、ずつと風変りに、さうしてずつと物憂げにさへ見える。──疑もなくこれは、一つにはあの黒雲の経かたびらのため、さうして一つにはあの雨のためだ。……

 

 ムッシュ・カングルウ(彼は直ぐに来るだらう、多分、着物でも着てるのだらう)を待つてる間に、ままごとでも始めよう。

 飛んでる鶴を描いた非常に可愛らしい椀の中には、有りやうもないやうな藻草の汁がはひつてゐる。その外、砂糖煮の小さな干肴、砂糖煮の蟹、砂糖煮の隠元豆、酢と胡椒で味をつけた果実。どれも皆大変なものである。何より、併し意想外で、想像も及ばないものばかしである。彼等が私に食べさせる、此の小さな女たちが。たあいもなく笑ひながら、絶え間なく腹立たしくなるやうに笑ひながら、日本特有の笑を湛へながら。──彼等の作法で私に食べさせる。即ちきやしやな箸としなやかな指先とで。私は次第に彼等の顔附に馴れて来た。全体の効果から云ふと上品である。──その上品といふのは例へば私たちの国の上品とは全く別ものであつて、ちよいと一目見ただけでは私には殆ど了解が出来ないけれども、併し長くたつ内には多分気持のよいものになりさうである。

 ……俄かにはひつて来る、真昼の光に醒まされた蝶蝶の如く、世にも稀な物おぢした蛾の如く、隣室の踊り子が、気味のわるい面をかぶつてゐたあの女の子が。その子は無論私を見に来たのである。彼女は臆病な猫のやうに目をくるくるさせる。それから、急に馴れ馴れしくなり、私にすり寄つて来る。赤ん坊の甘つたれるやうな、あどけないわざとらしさで。彼女は愛らしく、しなやかに、あでやかに、よい匂をさせてゐる。石膏のやうに真つ白に、をかしなほど塗り立てて両方の額のまん中にはかなりくつきりした小さな赤い丸を染めてゐる。赤い口もとと僅かばかしの鍍金が下唇を一字に引いてゐる。頸筋は襟足のうぶ毛が沢山生えてゐるために白く塗られないので、日本人の几帳面好きから小刀で削り取つたやうにおしろいを一直線に塗り止めてある。その結果頸の後には自然のままの皮膚の方形がいやに黄いろく露出してゐる。……

 襖の横で三味線(ギタル)の横柄な音、明かに呼立だ! パチン、彼女は逃げ出す、その小さな妖精(フエエ)は。隣りの薄野呂どもと一緒になりに。

 もう探すことをやめて、あの子と私が結婚したらどうだらう! 私は彼女を預り子のやうに大事にしてやらう。私は彼女を今のままにして置かう、すなはち風変りな可愛らしいおもちやとして。どんなにおもしろい小さな家庭が出来ることだらう! 実際、飾物と結婚するからには、それ以上のものを発見するには困難だらう。……

 ムッシュ・カングルウがはひつて来る。ラ・ベル・ジャルヂニエルもしくはポン・ヌフ〔どちらもパリのかなり有名なデパアトメント・ストアで、出来合いの着物を買ふに都合のよい店〕あたりから来たやうな鼠色の洋服を一着して、山高帽(シャポオ・ムロン)をかぶつて、白の粗末な絹手袋をはめてゐる。顔附は狡さうで同時に間が抜けてゐる。殆ど鼻もなく、殆ど目もない。日本流のお辞儀をする。即ち、いきなり腰を折る。両膝の上に平たく両手を置く。身体が二つに折れさうなまでに足と直角に胴を曲げる。そこから爬虫の如き小さいささやきを出す。(それは歯と歯の間で口唾を呑んで出す音で、此の国では一番へり下った礼儀の極度の表現である。)

 ──フランス語を話しますか、ムッシュ・カングルウ?

 ──はい! 旦那(ミツシウ)

 またお辞儀。

 彼はまるでばね仕掛の人形のやうに、私が一言云ふ度にお辞儀をする。尤も私の前の畳に坐つてゐる時は、頭を下げるだけに限られてゐるけれども。──その度に口唾の鳴る音がいつも伴ふ。

 ──お茶を一つ、ムッシュ・カングルウ?

 またお辞儀。さうして両手で非常に丁寧な手まねをする。恰かも斯う云ふ如く、『どういたしまして。それでは恐れ入ります。……併し、仰せに従ひまして。……』

 彼は私の頼んだ最初の言葉を聞いたたけで直ぐに呑込んでしまふ。

 ──きつと御相談に預りませう。彼は答へる。八日ほどもたちますればシモノサキ〔下の関〕の或る家族で、二人のきれいな娘を持つ者が、確かに着くことになつて居りますので。……

 ──何だつて、八日だつて、ムッシュ・カングルウ! あなたは私の云ふことがわからないのだ! (ノン)(ノン)、すぐでなくちやいかん。明日でなくちや駄目だ。

 またもささやきながらのお辞儀。さうしてカングルウ・サンは、私のいらいらしてゐるのを見て取ると、ナガサキで彼の自由のきくすべての若い女たちの品さだめを熱心に始めだす。

 ──こうつと、──マドモアゼル・ウィエ〔石竹〕という子がゐたんですがね。おお! 二日前に話すとよかつたんですが、惜しいことをしました。それは可愛い娘で、三味線(ギタル)がうまいんですがね。──取返しのつかぬことをしました。つい一昨日ロシアの士官に取られてしまひました。……

 ──ああ! マドモアゼル・アプリコ〔杏〕──あの子はいかがでせう、あのドモアゼル・アプリコは? デシマ〔出島〕の勧工場(バザア)の或る金持の陶器商の娘で、大そう評判な、物のよく出来るひとですが、その代りねだんが非常にかかります。親たちが大事にしてゐますので月百円以下では手ばなしますまい。非常に教育があつて、商売向の手紙も読めれば、二千字以上のむづかしい書体もその指先で書けます。或る歌の競詠会では、朝の露を含んだ(まがき)の白い小さい花を賛美した一首を詠んで一等賞を得たことがあります。ただ惜しいことには、顔がそれほどきれいではありません。それに、片一方の目が少し小さいです。──そして子供の頃の或る病気のせいで、頬に穴が一つ残つてゐます。……

 ──おお! (ノン)、ぢや、どうぞ、その娘はよして下さい。そんなにえらくない若い人たちの間で探しませう。傷なんかないところをね。時にあれはどうでせう、隣りの部屋にゐる、あの金色の縫取した綺麗な着物を着た娘たちは? たとへば、ムッシュ・カングルウ、あのおばけの面をかぶつた踊り子は?? でなけりや、あの優しい声で唄つてゐた頸筋のきれいな娘の子は??

 彼にはしばらく問の意昧がわからない。それから、やつと其の意味がわかると、殆ど嘲るやうに首を振つて云ふ。

 ──(ノン)旦那(ミツシウ)(ノン)! あれはゲエシャですよ!

 ──なるほど、でも、ゲエシャなら何故いけないのです? ゲエシャであるとしても、私に取つては構はないぢやありませんか? ──後になつて私は日本の事情がもつとわかつて来たら、自分の要求の法外であつたことがわかるだらう。私は悪魔と結婚をしようとしてゐたと思はれたかも知れない。……

 すると幸ひにもムッシユ・カングルウはマドモアゼル・ジャスマン〔素馨〕とかいふ女の子のことを急に思ひついた。──それにしても、なぜ初めからそれを思ひつかなかつたのだらう。併し、彼女は全然私の望み通りである。明日か、今夜にも、彼は此処からずつと離れた向の岡のヂウ・ヂェン・ヂ〔十善寺〕の郊外に住んでゐる其の若い娘の親たちの所へ交渉に行つて呉れる筈だ。彼女は非常に可愛らしい少女(ドモアゼル)で、年は十五ぐらいである。彼女は多分一ケ月十八ピアストルか二十ピアストル〔一ピアストルは約二円〕で約束が出来るだらう。何枚かのよい流行の着物をこさへてやることと、住み心地のよい、場所のよい家に置いてやるといふ条件で。──それは私の如き気のつく人間が、してやらぬ気づかひはないことである。

 ぢやマドモアゼル・ジャスマンにしよう。──ぢやこれで別れよう。時間がない。ムッシュ・カングルウは明日彼の最初の手順の結果を知らせに、さうして見合の事で私と話をきめに、私を船に訪ねて来る筈である。報酬については彼は今はなんにも受けない。併し私は彼に私の洗濯物をやらうと思ふ。さうしてラ・トリオンファントの私の仲間のひとたちの得意をも彼に取つてやるつもりである。

 話はついた。

 大変なお辞儀。──女中たちが門口でまた私に靴を穿かせてくれる。

 私のヂンは、うまくも此の通弁を通じて、これからも自分を傭つて呉れと云ひ出す。彼の溜りは丁度波止場の上である。彼の番号は四一五で、彼の車の提灯にフランス文字で書いてある。(私たちは船でも砲手に四一五号のル・ゴエレクと云ふのがゐて、私の大砲の或る一門の左側を受持つてゐる。丁度よい、私はそいつを覚えてゐよう。)彼の賃金は、常客に対しては、片道十二スウ〔一スウは約二銭〕一時間十スウである。──よろしい。彼を傭ひつけにしよう。そのことを約束する。──さあ出かけよう。女中たちは私を見送つて来て最後の挨拶として四つん這になつて閾の上に打つ伏したままじつとしてゐる。──垂れ下がつた歯朶の雫が頭の上へ滴る薄暗い小径にまだ私の姿の見えてゐる間は。……

 

 

  ピエル・ロチと日本

 

 ロチLotiといふのは東方に咲く小さい花の名から取つた雅号で、本名はLouis Marie Julien Viaudと云つた。一八五〇年にフランスの南方の海岸に生れ、一九二三年に七十三歳で死んだ。

 彼はフランス海軍の将校(大佐)であり、またフランス学士院(アカデミー)の会員であつた。

 彼が海軍に入つたのは十七歳の時で、軍艦に乗るやうになつてからは、彼の幼少の頃からのあこがれであつた世界の有らゆる地方を見てあるく機会を持つた。彼の観察と経験は多くの創作を彼に与へた。一八七七年に発表したAziyadeを手初めに、その著作は四十篇に達してゐる。Madame Chrysantheme(お菊さん)の発表は一八八七年で、Pecheur d’Islande(氷島の漁夫)の次の年、彼の第九番目の作品である。

 ロチは日本を前後二回訪問した。初めの時は一八八五年(明治十八年)、彼が三十六歳の夏で、その年の七月から九月へかけて、いかに退屈の日を、長崎の郊外で、一人の憐れむべき日本のムスメと過ごしたかは此の小説がよく語つてゐる。その年、機会は更に彼を導いて、京都、東京、及び日光をも観察せしめた。Japoneries d’Automne(秋の日本的なるもの)(一八八九年)がその記録である。彼の次の訪問は一九〇〇年(明治三十三年)の暮からその翌年へかけてで、その時すでに五十を越えてゐたロチは、昔の人形(プウペ)であるクリザンテエムよりは、寧ろ老いたるマダム・プリュヌに興味を持つてLa Troisieme Jeunesse de Madame Prrune(お梅さんの三度目の春)(一九〇五年)を書いた。之はもちろん「お菊さん」の後日譚として見るべきものである。

 ロチが「お菊さん」に於いて何を書かうとしたかに就いては、リシュリウ公爵夫人に話しかけた彼自らの献呈詞(デヂカス)が明白に説明してゐる如く、彼と日本との交渉とそれを見るべきである。彼の神経質と気むづかしさは、憐むべき人形(プウペ)以上の何物でもないことを発見した女主人公をばおつぽり出してひたすらに日本的なる物の本質を捜し出さうとすることにのみ努力するやうになつた。それ故に、「お菊さん」は殆ど小説に成り得ないかの観を呈してゐる。それだけまた此の作品はロチの日本に対する批評をはつきりと顕前せしめてゐる。之が訳者の翻訳を思ひ立つた唯一の根拠である。

 ロチの此の甘味を欠いた小説が日本人の大部分に喜ばれようとは思へない。併し、喜ばれると否とは訳者の関する所ではない。訳者は之に依り読者に次の如きことを感じて貰ヘれば満足である。即ち、一人の正直な異国の文藝家が我我の間に入り込んで、いかに我我を理解しようと努めたか、いかに我我の文化を理解しようと努めたか、といふことを。不幸にして彼はそのことに於いて十分に成功したとは思へないが、それでも尚ほ我我の最も信用すべき一箇の批評家であつたことをば失はない。少くとも明治十八年の──我我の父の時代の日本を忠実に観察しようとした人であつたことは確かである。

 此の翻訳は大正四年に初版を、同十二年に再版を新潮社から出したのを、此の度改訂して「岩波文庫」に収めるについて、新潮社主佐藤義亮氏の厚意を謝す。

昭和四年三月                           訳  者

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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野上 豊一郎

ノガミ トヨイチロウ
のがみ とよいちろう 英文学者、能楽研究家 1883・9・14~1950・2・23 大分県生まれ。東京帝国大学卒、大正9年法政大学教授、昭和22年に法政大学総長となる。第一高等学校在学中に教鞭をとっていた夏目漱石に師事、門下生となり、漱石や門下生たちの影響で能楽に傾倒した。英文学者として英文学やイギリス演劇、ギリシャ古典劇を通して、能の研究に進み、能の普及、紹介につとめ、先駆的研究の業績をあげた。著書に『能研究と発見』、『能の再生』などがある。小説家の野上弥生子は妻。

掲載作はフランス海軍の将校であり、フランスアカデミーの会員でもあった、ピエール・ロチの作品の翻訳である。ロチは2度日本を訪問している。第1回目の訪問の1885(明治18)年7月から12月までの日本滞在中、長崎での経験によって書かれたのが本作であり、その一部を抄出した。

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