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北海道雜觀

 わたしが北海道に行つて見たいと思ひ始めたのは國木田獨歩の小說『牛肉と馬鈴薯』や同じく『空知川の岸邊』を讀んでからであつた。前者には北海道を一の理想實行の境地として、まだ現世の汚濁(をぢよく)にけがれてゐぬ淸淨な處女地として痛切な憧憬が書いてあつた。後者には作者自身がその理想實行を志して北海道に渡り、空知川沿岸の森林中にわけ入つた經驗が例の筆致でみづ〳〵しく書いてあつた。これらを讀んで胸を躍らしたのはわたしのまだ學生時代であつたとおもふから今より二十年も前の事であつた。

 わたしは旅行が好きでよく出かけるが、あちこちと廣く見物して廻るといふより、一度好いと思つた所には幾度となく出直して行つて獨り自ら樂むといふ癖で、所謂(いはゆる)見聞は廣くない方である。で、もう日本中で御覽にならない所はないでせう、といふ質問にもよく出會ふがこれに對してみづから自分の習癖を知つて居るところから一向何の感じも起さないのが常であるが、()し誰かに、北海道へはまだですか、と訊かれると、(ふる)い負債をあばかれた樣な氣持で、いつも少からぬ衝動を起した。そして、これは早く行つて來なくてはいかぬと一種意地になつてすら思ふ樣なこともあつた。

 その癖、其處に對するわたしの知識といふものは實に怪しいもので、本州を挾んでゐる釣合の慨念からか、自分の生れた九州と同じ大きさとしか北海道を考へてゐなかつた。()して今度實地に出かけてみると九州はおろか更に四國臺灣を加へたものよりもう少し大きいといふので呆氣(あつけ)にとられてしまつた。

 北海道の(うはさ)をばわたしは注意して聞いてゐた。そしてその多くが言つた、北海道の自然は雄大である、北海道の景色は實に雄大である、と。

 成程、その雄大說にわたしも異を稱へるものではない。いかにも雄大である。が、單に雄大であるとだけで片附けてしまはないで、わたしはこれにもう少し附け足したい。曰く微妙である、曰く複雜である、曰く單調である、と。單調であつて複雜であるといふのは可笑しい樣だが、其處にいひ難い微妙さがあるのである。若しまたこれと同じい反語式口調を用ふるならば、もう一つある、曰く微妙であると同時に甚だしく粗野である、と。

 單に雄大であると觀る觀方は其處の山や野や河や海を殆んど死物扱ひにしての觀方ではあるまいかとおもふ。それらのものを單に一つの『形』としてのみ觀てゐるのではなからうかと思はれる。山や河の間に動いている雲や霧や、降り注ぐ、雨や雪や、日の光空の色星の輝き、夏過ぎ秋來る、さうしてそれらのものに包まれた斷えず生きて動いてゐる山河の姿、さうした事柄を忘れての觀方ではなからうかと思はれるのだ。

 其處でわたしはいふ、北海道の自然は内地のそれに比し雄大であり、單調であり複雜であり微妙であり粗野である、と。といふとひどく()めあげる樣であるが、(あなが)ちさうでもない。世にいはれて居る雄大さよりずつと型を小さくした雄大さをわたしのは意味して居るのである。

 實際今度の北海道で、雄大とか單調とかを感ずるより前にわたしは先づ眼まぐるしい樣な複雜さ微妙さを感じた。これは主として、雨風、雲、日光、溫度、斯うした氣象方面の變化の烈しさから來る感じであつたとおもふ。ぱつと日光が窓にさしたかとおもふと、もうばら〳〵と(みぞれ)がガラス戶に音を立てゝゐる。珍しくほくら〳〵の暖かい日和だと喜んでゐると、いつかしら木の葉を吹きまくつて凩が荒んでゐる。

 初めて經驗するわたしにはこれが甚だ珍しく、且つ樂しかつた。が、同伴した妻などにとつては寧ろ少からぬ脅威であつたらしい。初めはわたしと同じく、珍しく面白かつた樣だが、あまりにそれが續いて繰返されるのでしまひには恐ろしくなつたらしい。無理ならぬことゝわたしは微笑した。微妙と粗野との交錯は斯んなところにも見られるとおもふ。

 然し實によく降られた。九月廿四日に函館に着いて十一月廿五日に函館を發つまで北海道に居ることかつきり二ケ月間、その間一日のうちに雨か霙か霰か雪かに降られぬ日とては恐らく十日となかつたであらう。降られぬ日は、大抵吹かれた。あちこちと思ひ出して來て十勝國帶廣在の登別溫泉といふに滯在した五日のうちの三日間が不思議とよく凪いで晴れて吳れた。紅葉は照り樫鳥(かしどり)はまひ啄木鳥(きつつき)は啼き遠山の雪は輝き、忘れられぬ三日間であつた。

 九月廿四日、聯絡船から函館の棧橋に降り立つと、もう降つてゐた。その夜、札幌の驛から出ると其處はまさに大吹降りの時化(しけ)であつた。翌朝、山形屋の暗い部屋から庭木ごしに空を仰ぐと氣味の惡い樣な藍色に澄んでゐた。やれ嬉しやと植物園に出かけて歩いてゐると如何にも時雨らしい時雨が靑やかな樹木の高い梢に荒らかな音をたてゝ降り過ぎた。

 天鹽(てしお)國增毛港に汽車から降りたのは十月六日の夜九時であつた。そして其時もまた札幌におとらぬ吹き降りであつた。岡の上のお醫者樣の宅に一晩厄介になつて翌朝其處の診察室から見下す增毛の港から遙の沖にかけてはたゞ眞白な浪の渦であつた。近くの林檎園を見に行かうとして朝早く一人の若者が誘ひに來て吳れたが、わたしは到底歩かれる風でなかつた。やがて彼は黑いマントを被つて前こゞみになつて駈け出したが氷の玉の樣な果實を一抱へ持つて來て吳れた。直ぐ歌の會が開かれた。めい〳〵が考へに耽つて居る部屋の板葺きの屋根にすさまじい音を立てゝ降過ぐるものがあつた。窓さきの落葉松に降りつけて庭にまろぶそれを見れば驚くべく粒の大きな眞白な(あられ)であつた。庭はまたゝく間に白くなつた。

『昨夜のもこれだつたネ』

 とわたしは妻をかへりみた。昨夜幾度か我等はこの不思議な荒々しい屋根の上の物音に眠りを覺されたのであつた。

 遠山に雪を仰いだは九月三十日岩見澤のもろこし畑の間からであつた。身に降りかゝるそれを見たのは十月廿四日の夜石狩新砂川炭山に於てゞあつた。しかし夕張炭山では一尺以上も積つた白雪を踏むことになつた。十一月六七日ころの事であつたらう。そして後に咫尺(しせき)を辨ぜぬといふ吹雪に出會つたは十一月十四日、札幌から新琴似村に行く宵闇のなかであつた。幌をかけた自動車の中で我等の膝掛毛布は(たちま)ち白くなつた。ふと見ると傍らの妻の髪が眞つ白になつてゐた。オヤ〳〵と思つてゐるうち自動車はパンクし立往生した。止むなく足袋(たび)跣足(はだし)になつて歩いた。一夜を土地の郵便局長である我等が歌仲間の宅に過ごし、翌日は特に仕立てゝくれた馬橇といふものに生れて初めて乘つた。

 人間の乘るのはまだ用意が出來ないとかで石炭や大根を積む無蓋橇であつた。煙の樣な雪は涯もない野原の西から東から吹雪(ふぶ)いて來た。鼻の頭に積つては消えてゆく雪の白さを面白く見詰めながら約一時間半を揺られて札幌の街に入つた。ちやんらん〳〵とひゞく鈴の音はまだ札幌の人たちにも珍しく振返られながら北大通西何丁目といふ友の家の門口に着いた。友の家の門口の生垣の何やらの木も重さうに雪をかづいてゐた。

 北海道の景色といふうちに、渡道前先づわたしの想像に上るものは森林であつた。次いで原野であつた。而してこの想像は當つた。矢張り北海道の美を成すものは森であり野である。勿論、海あり河あり山岳あり、それ〴〵に特色を持つてをるが、特にいふならば矢張り野であり森であらうと思ふ。

 札幌に着いた翌日、月寒(つきさつぷ)の牧場に案内せられて初めてわたしは北海道の野らしい野を見た。この野は、否、北海道の野は案外に柔かみを持つてゐた。札幌あたりよりずつと奥にわけ入つてから見た諸所の原野にも何處といふことなくこの柔かさ優しさの籠つてゐるのを感じた。とりあへず思ひ出されるのは野付牛あたりの平野、狩勝峠から振返つて眺めおろした十勝一帶の平野、すべてにそれが感ぜられた。燒け殘りの木の切株の並び立つた所など、いかにも荒涼としてゐるわけだが、わたしは寧ろ上州信州境の六里ケ原、信州甲州境の野邊山が原念場が原あたりの荒涼さに較べて遙に優美に眺めたのである。

 森に就いて思ひ出されるのは、たしか天鹽と北見の國境になつてゐたかと記憶する一の橋驛から興部(おこつぺ)驛あたりにかけての森、北見釧路の國境だとおもはれた置戶(おけと)驛から小利別(しょうとしべつ)驛間の森、下富良野驛から野花南(のかなん)驛あたりのそれこそ空知川沿岸一帶の森、これはやゝ樹木のこまかいのをば感じたが夕張炭山に新設せられたといふ汽車から眺めた森、同じく夕張から追分驛に出やうとしてなにがし川を挾んで見て來た森、すべてがわたしの心を()いた。興部、置戶附近の森は非常に山が古いらしく、立枯の木や倒れて朽ちた幹や、山火の跡らしく枝も幹も眞裸體に黑々として立ち並んだ有樣や、すべてが寧ろ凄壯といひたい位ゐの美しさを持つてゐた。若し今度わたしが用事を持つての旅行でなかつたならば以上の各驛あたりでは恐らくそれ〴〵に飛び降りてこれら『時』の流れのあはれさ强さ美しさを嚙みふくんで茂つてゐる森林たちとゆつくりと睦み合つて來たであらうと思はるゝ。それを思ふと野幌の森を見殘して來た事と共に今でも殘念でならない。

 それにしても北海道の森森の上に『亡び』の影がかなりあらはに漂ふてゐるのを感ぜざるを得ないのを悲しむ。ろく〳〵田にもせず、畑にもせずたヾ伐らむがために伐りつくしたといふ森林の亡骸(なきがら)の隨所に横たはつてゐるのを見て通りながら、わたしは實にいたましい氣がしたのである。

 森林の亡骸というた。その亡骸のうへに巢をくうてゐる蟲のゐるのを見た。或地方の北海道の百姓たちに斯ういふことをいふのは非常に失禮な不當なことであらうか。

 北海道の自然は雄大である、そして北海道の人間は濶逹であり大膽であるといふことを聞いてゐた。雄大はまだ可なり、人間の大膽濶逹はよくわたしには解らなかつた。寧ろ普通より小膽で神經質で、徒らにひとの眼顏を讀むのに苦勞するといつたところがありはしないだらうか。それがまた妙に運命を(がへ)んじて小成に安んずる、さう云つた所がありはしないだらうか。

 山や河の姿は一目見れば解る。が人間は生きもの故、さう簡單に見通しがきかぬのかも知れぬ。

 北海道でたべて來たもので何が一番おいしかつたらう。

 林檎か、然り、林檎はおいしかつた。丁度その熟れどきで、それこそ飽くまでたべて來た。時期といへば鮭もそのしゆん(ヽヽヽ)であつた。いはゆる秋味とかいふのださうで到る所殆んど每日これを膳の上に見た。本場だといふ網走では宴會の席上にわざ〳〵その鍋までしつらへて下された。が、不幸にもわたしはあまりこれを好まない。嫌ひではないが、三度四度と續くともう苦しくなるのである。恰も信州甲州に行つて鯉攻めに會うて弱るが如くどうもこのあぶらつこい魚はわたしには向かない。(妻は大いに喜んで貪つてゐた樣だが。)かといつて鮃とかおひやうとかいふ白肉のさかなはまたこれ大味にすぎて、所謂(いはゆる)嚙み足りないのを覺えた。わたしは魚の小味のあるのを好む。曾て相模の三浦半島の漁村に住んでゐたことがあつた。其處は東京灣の入口に當る所で、所謂入江ものゝ小ざかなが澤山とれた。またその種類が非常に多かつた。色や形も美しい。小舟の歸つて來るのを濱に待ち受けてあれこれと舟底から選み出し、持ち歸つて自ら料理してたべたあの味は忘れられない。もつとも其處の小魚は評判ものなのださうで、日本橋の魚河岸でも其處の魚だけは普通の肴屋の手には渡らず、大抵東京一流の料理屋が自ら買出しに來て買ひとつてゆくのださうだ。わたしのいま住んでゐる沼津千本濱は駿河灣に臨んで居る。此處でもまた種々の小魚がとれるのである。

 やまべ(ヽヽヽ)を何處かで御馳走になつた。これはおいしかつた。前言つた森の停車場興部と狩勝峠の淸水であつたか落合驛であつたかとでやまべ鮨を賣つてゐた。ふた所とも買つてたべたが、惜しいかな米粒が各自分離運動を起してゐてまづかつた。

 野菜、さうだ、野菜がある。これはおいしい。五升薯(ごしよいも)、玉葱、きやべつ、とまと、たうもろし、すべておいしかつた。それに我等に珍しい茸も幾つかあつた。岩見澤の友人の家に泊つてゐた時はわたしは每朝門口にたつて荷車を引いて其處を通る野菜賣のねえさんをばさんたちから色々なものを買ひ込んで新婚早々のその友人の細君に嫌はれた。夕張の友人のうちでは納豆賣を呼び込んだ。札幌ではこれは一二度我慢したのだがこらへかねて棒鱈賣を呼んで買つて貰つた。其處の友人の阿母さんは笑ひながらいつた、斯んな安いものがお好きならそれこそおやすいことです、と。鱈のすぢ子(ヽヽヽ)も流石においしかつた。

 もう一つある。おかうこ(ヽヽヽヽ)である、漬物である。各地とも、何の漬物でもみなうまかつた。わたしは刺身やお椀より殆んどこのおかうこでのみ酒を飮んで來た樣に思ふ。これは野菜のよいのと、一つは長い雪ごもりの好伴侶として自然その漬かたに工夫を凝らされたものかとおもふ。

 サテ、それでは酒はどうか。

 これがわたしには少々意外であつた。定めしひどいのを飮まされるだらうと覺悟して行つたに反し各地ともみなお酒がうまかつた。ことに、地酒にいゝのがあつた。旭川で面白いことがあつた。其處では七師團の或大佐殿の宅に四五日厄介になつてゐた。旣にわたしの酒ずきは知られてゐて所謂(いはゆる)(なだ)生一本(きいつぽん)といふのが多量に用意されてあつた。其處へ出入の商人か何か、これもわたしの噂を聞いてゞもゐたか、わざ〳〵土地出來のものだがお口に合ふかどうかと斷つて小さな一樽を持つて來た。どうせ駄目だらうが、一杯飮んでみますか、とその樽の口をあけて見たところが、どうも、灘の生一本よりその土地出來の地酒の方がずつとうまいのであつた。それからわたしがその方ばかり所望するので、少からず大佐殿の御機嫌をそこねた傾向があつたのである。その後ずつと經つて、旭川出來の酒が全國品評會で一等賞を得た、本道では初めての事であるといふ記事を本紙(北海タイムス)だか他の新聞だかで見た。ともするとわたしの舌鼓を打つたそれではなかつたかと(ひそ)かに微苦笑したのであつた。岩見澤のも、夕張のも、ともに地酒であつたが、共にうまかつた。ことに岩見澤のは秀れてゐた。

 サッポロのなまがおいしかつたといふことも一言書き加へておかずばなるまい。

 右のほか、何彼と思ひ出さるゝものゝ數々。

 月寒(つきさつぷ)の緬羊と秋の夕暮。岩見澤の農學校で見た高山植物。旭川の夜の霧。旭川春光臺の柏の木立。春光臺から見た遠山の雪。神居(かむい)古潭(こたん)雨中の紅葉。深川町の追分。名寄町の夕時雨朝時雨。其處富士屋旅館風呂番の老爺。其處で夕方獨り出て雨に濡れながら買うてたべた栗の實。紋別附近の海の色。其處の砂濱に咲き遲れてゐた一輪のはまなすの鮮紅。網走三眺山の紅葉の眺望。其處のあきあぢの山と沖にかけられたその網。幾春別(いくしゆんべつ)の貝の化石と露頭。夕張炭礦で頭に卷きつけられたエヂソン式キャップランプ。歸りかけてみた雪の駒ケ岳。

 其他、いろ〳〵なストウブ。圍爐裡の上に吊られた自在鍵。其處に(おこ)す木炭の豐けさ。鴉。各停車場に積まれてゐた大根の山。炭山坑夫長屋の煙突の行列。菊の花。家のゆがみ。風によつて向を變へる氷柱の鼻。

 いざとなるとなか〳〵思ひ出せぬものである。

 最後に少々臭い話を書きつけておく。

 ことに宿屋などでそれを感じたが、便所の外部に面した方の窓は寒さのせゐであらう必ず密閉してある。さうして人の出入りする内側の方の戶は多くの場合殆んど完全にしめてない。用をたしながらあけ放してゐるのをも幾度か見た。だから其處の臭氣はそのあいてゐる所から悠々として屋内座敷の方面に向つて侵入して來る。ことに便所はよく階子段の下に在る物である。乃ちこの臭氣は、恰も石炭の煙が煙突の筒先に急ぐが如く、この階子段の穴から二階三階に勇んで上昇してゆく。或る町の或る立派な旅館で或る朝わたしは或る()せる樣な氣持で眼を覺した。滿室の香氣、鼻まさに(ゆが)まむとする光景である。廊下に向いた欄間から階子段下の臭氣氏がいゝ氣持で忍び込んで來てゐたのである。わたしは一種の嘔吐を覺えつゝその臭氣氏の故鄕に向つて急いだ。

 また、普通の家にはよく手洗鉢(ちょうずばち)が置いて無かつた。

 

 

沼津市若山牧水記念館

 

 

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日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2018/12/01

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若山 牧水

ワカヤマ ボクスイ
わかやま ぼくすい 歌人 1885・8・24~1928・9・17 宮崎県東臼杵郡に生まれる。前田夕暮と共に尾上柴舟の門に出て、生命の真実にひたすら迫り、純情、浪漫、憧憬、人生、哀愁そして旅情と酒。じつに「新風」そのものであった。多くの愛唱歌を抱き込んだ『別離』は東雲堂より1910(明治43)年4月刊行の第3歌集で、非常な好評を博した、時に歌人は26歳。

掲載作は、『北海タイムス』(1927<昭和2>年1月7日~13日掲載)に寄稿したもの。1926年の北海道旅行、1927年の朝鮮旅行と牧水(1928年に43歳で逝去)にとって、晩年は旅行が続いていた。いずれも1926年に創刊した「詩歌時代」が経営難から6号で廃刊となってしまい、その借金返済の揮毫の旅であった。北海道には、9月から11月まで2ヶ月滞在し、道内各地の歌仲間宅を訪ね、好きな酒を飲み、歌を詠み、揮毫をし、それを金に替えて旅を続けたのだろう。九州生まれの牧水の目に北の大地はどう映ったか。若山牧水全集第8巻(1982年6月、日本図書センター刊)より収録し、読みにくい漢字には新たにルビを振った部分もある。

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